( 261146 )  2025/02/06 15:59:00  
00

フジテレビの清水賢治新社長が週刊文春の「訂正」に対し法的手段含めて検討する姿勢を見せている(AP/アフロ) 

 

 中居正広氏の女性トラブルに関して、『週刊文春』が記事を訂正したことで文春批判が起きている。 

 

 文春は、「本記事(12月26日発売号掲載)では事件当日の会食について『X子さんはフジ編成幹部A氏に誘われた』としていましたが、その後の取材により『X子さんは中居に誘われた』『A氏がセッティングしている会の"延長"と認識していた』ということがわかりました」と訂正した。 

 

 確かに、フジテレビ職員が当該の会食をセットしたのと中居氏が誘ったのでは、テレビ局の関与の度合いが異なるが、テレビ局がそのような会食を日常的にセットし、今日の基準ではセクハラとされるような会合が行われていたのは事実なのだろう。 

 

 誤解を恐れずに言わせていただくと、他の業界の企業でも、女性従業員に、温泉での宴会に浴衣で参加することを強要するとか、取引先との会合でお酌を無理強いするとか、もっと積極的に取引先の接待に女性従業員を侍らせる、取引先に派手な化粧の従業員を連れて行くなどのことはいくらでもあった、ということを、筆者はこれまでに様々な方から聞いたことがある。 

 

 芸能界では、それをもっと派手に、恒常的にやっていたのだろう。多くのマスコミが、他の日本企業でも似たようなことはやっていたと報道しないのは、藪蛇になりかねないからだろうが、『日本経済新聞』が「接待セクハラに企業責任」という記事を掲載したのは立派である(2025年2月3日)。 

 

 宴席にいた細マッチョの男性が、「(自分は)脱いだらすごい」と言ったのに対して、同席していたある女性政治家が、「私だって脱いだらすごいのよ」と言ったのを目撃したことがある。筆者は、その時、セクハラ、パワハラ当たり前の政治の世界を生き抜いてきた女性の覚悟にある意味で感動してしまったが、そんなことに感動していてはいけなかった。すでに世間ではそれが「アウト」だと認識するようになっても、芸能界では、そのような慣習が続いていたということだろう。 

 

 ハリウッドと言えばセクハラの牙城だったろうが、MeToo運動によってそれはアウトとなった。2017年10月に、ハリウッドの大物プロデューサー、ハーヴェイ・ワインスタインがセクハラで告発され、18年2月には逮捕された。 

 

 ワインスタインは、『恋に落ちたシェークスピア』や『もののけ姫』の英語版、『Shall we ダンス?』のハリウッド・リイメイク版などのプロデューサーである。ハリウッドでアウトなら、日本の企業では当然にアウトだ。そう考えなおす機会はいくらでもあった。 

 

 18年4月には、財務次官が、取材していたテレビ朝日の女性記者に対してセクハラ行為を行っていたことが問題になった。次官は、訓戒処分を受け、その月のうちに辞任した。 

 

 

 世の中が変わったことに気が付くか、気が付かないかが問題だった。それが改まらなかったのは、時代にずれていたということだ。つまり、私たちは訂正しながら生きていかなければならないということだ。 

 

 間違えたら間違いを認めてやり直すことが大事だ。筆者も事実関係を間違えることがある。いくら気を付けていてもそういうことはある。間違えたら訂正するしかない。 

 

 記事の取材で間違えたから「文春は廃刊だ」という声さえあることに驚く。「間違いを認めろ」と言い、間違いを認めたら「なんで間違うのか」と、さらに批判すれば、誰も間違いを認めなくなるのではないだろうか。試行錯誤や間違いを認めない社会では進歩が遅れるのではないだろうか。 

 

 一方、政策の変更については、日本は寛大だ。石破茂首相は、党内野党時代に反安倍晋三首相の言論の一環として、アベノミクスの異次元緩和にも反対していた。ところが石破氏が9月27日自民党総裁選に勝利すると、日経平均は2000円近く下落した。慌てて10月2日、「現在(利上げをする)そのような環境にない」と発言すると株価は元の値に戻った。 

 

 石破氏は、他にも、国会で十分な政策論議をしてから解散する、高額所得者の税率を低める結果となる金融所得課税の見直しを行う、東アジア版NATOを作るなどの発言をしたが、いずれも反故になっている。しかし、だからと言って辞任しろという声はあまり高くなっていないように思われる。 

 

 筆者の感覚では、国家の重要な政策の変更に対して批判が集まらないのに、芸能スキャンダルの些細な訂正がこれほど批判されるのはバランスを失している。そう考えるのは、スキャンダル報道は民主主義にとって重要だと思うからだ。 

 

 CNNの報道によると、ロシアのプーチン大統領が2022年3月の演説で、「精神的に」西側と歩調を合わせかねない人々を非難。彼らは自分たちを「より高位の人種」と考え、「西側の集団」と1つの目標のために活動していると糾弾した。目標とは「ロシアの破壊」だ。「ロシア国民は常に、真の愛国者と取るに足らない裏切者とを見分けることができる。後者は偶然口に入ってきたブヨのように、吐き捨てるだけだ」と述べたとのことである。 

 

 CNNは、続けて、プーチンとその取り巻きこそが、ロシアの腐敗と偽善を体現していることを示している。ぺスコフ大統領報道官の子どものうち、少なくとも2人は成長期の大半を西欧で過ごし、成人してからモスクワに帰ってきた。ペスコフ氏が2020年に役職で得た収入は17万3000ドル(約2180万円)だったが、60万ドルのブランド物の腕時計を身に着けているのが確認された、とのことだ。 

 

 プーチン大統領自身も反西側の言説を主張する人物の偽善の例に漏れず、家族や近しい人々が西側諸国に住んでいる事実を記事は示している。パートナーの一人とされる女性は、プーチン氏の娘とみられる子どもを出産した数週間後、モナコにある410万ドルの邸宅のオーナーになった。長女のマリア氏は、モナコの330万ドルの邸宅で暮らしていると言われる。プーチン氏には他にも複数の子どもがいるとの噂がある。その全員が西側諸国に住んでいるとみられるが、クレムリンはそうした報道を常に否定している、とのことである(CNN『「クレムリンの子どもたち」、親が非難する西側で優雅な生活』2022年4月14日)。 

 

 これらのスキャンダル報道がロシア国内で自由に行えれば、プーチンにとって戦争の継続は難しくなるだろう。ロシア国民は、西側の文化を否定しながら、その子供たちが西側の消費文化を楽しんでいる独裁者のために戦場で命を落とすことは避けたいだろう。 

 

 

 同様のことは戦前の日本でもあった。戦前の日本は、1930年代中ごろまで、スキャンダル報道は盛んだった。現在1万円札を飾る渋沢栄一やその長男の女性遍歴も自由に報道されていた。 

 

 報道は、非難がましいものではあったが、それほど糾弾された訳ではなかった。財閥や政治家のスキャンダルが盛んに報道されたことで、人々が既存のエリートに失望し、それがより清廉と思われていた軍の力を増したと理解されているようだ。しかし、権力を握った軍人たちも何も変わらなかった。 

 

 戦時中、大日本言論報国会長として戦争扇動をしていた徳富蘇峰は、戦後になって、次のように証言する。「ある軍需会社が、あることについて願書を出した。しかるに陸運主計中尉の某というものが、平素海軍の方には付け届けするが、陸軍にはしないということを根にもって、一ついじめてやれということで、その願書を机の抽斗(ひきだし)に1ヵ月余も投げ込んで置いたということである。そういう調子である。また、某造船会社に、これこれの船を造れと命令したが、その会社には資材の持ち合わせがない。官庁には余る程あるが、それは決して融通しない。・・・役所の仕事というものは、素より民の為めでもなければ。また必ずしも官のためでもない。誰が為めといえば、ただ自分が、大にしては立身出世、小にしては保身安家の為めに他ならない」(徳富蘇峰『徳富蘇峰 終戦後日記』177-183頁、講談社、2006年)。 

 

 権力を得れば堕落するものなのである。軍人が清廉な訳ではなかったが、スキャンダル報道が禁じられたから、徳富蘇峰ほどの大物言論人といえども戦後になるまでこのようなことは書くことができなかった。 

 

 イギリスでもアメリカでも、スキャンダル報道は盛んである。スキャンダル報道を行うジャーナリズムは民主主義に必須のものである。 

 

原田 泰 

 

 

 
 

IMAGE