( 261711 )  2025/02/07 16:47:14  
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10時間以上に及んだフジテレビ「2回目」の会見。毒抜きの効果を果たし、矛先が文春に向く一因となった(撮影:梅谷秀司) 

 

 人気タレントの中居正広氏の性的スキャンダルとフジテレビの対応をめぐって日本のメディアは激震したが、その後に開催された10時間超にわたる会見と文春砲の「誤報」によって、どうやら新たなフェーズに入ったようだ。 

 

 とりわけ週刊文春が事件当日の会食について、被害者がフジテレビの幹部A氏に誘われたとしていたものを、「中居氏に誘われた」「A氏がセッティングしている会の“延長”と認識していた」と訂正し、お詫びしたことに批判が集中した。 

 

 フジテレビの不祥事に対して「停波」と息巻いていた人々の論調が、今度は文春の不手際に「廃刊」を叫び出すといった様相を呈した。 

 

 それだけコンプライアンスや正確性に過敏になっているともいえるが、もっと重要なことは、この一億総付和雷同するかに見える状況にデジタルメディアの生態系の力学が影を落としていることだろう。 

 

■大きく様変わりした“情報の広がり方” 

 

 スマートフォンとSNSの普及などによって、情報の広がり方は大きく様変わりし、発信する側もその特性に適応した。 

 

 ネット環境が常に過剰な情報で満たされている中で、注目を獲得するためには、SNSへの波及の仕方を計算に入れつつ、今の時代が求めている燃焼性の高い話題を拡散する必要がある。 

 

 このような構図は、2000年代以降、アテンション・エコノミー(関心経済)という概念で語られてきた。かつて社会学者のマイケル・ゴールドハーバーは、世界経済が物質ベースのものから人間の注意力に基づく情報ベースのものへと移行すると予見した。 

 

 アテンション=注意・関心の争奪戦であり、そこでは「耳目を集められた者」が勝者となる。注意・関心を作り出せるということは、媒体やプラットフォームそのものが広範な影響力を持つようになり、新たな権力が生じ得るということでもある。だが、この弊害についてはあまり検証されていない。 

 

 法学者のティム・ウーは、先の概念を踏まえ、「アテンション・ブローカー」という考え方を提唱した。この場合の仲介とは人間の注意・関心を転売することを指す。人々に娯楽やニュース、無料サービスなどを提供することで注目を集め、その注目を広告主に転売して現金を得ることである(Blind Spot: The Attention Economy and the Law/Antitrust Law Journal Vol.82〈2019〉)。 

 

 

 純粋なアテンション・ブローカーの例として、メタやXのようなソーシャルメディア企業、グーグルなどの検索エンジン、一部のニュースサイトやテレビチャンネルを挙げている。このブローカーの原点は、19世紀の新聞までたどれるとウーはいう。 

 

 人々の注意・関心を効率的に引き付ける現代科学の粋を尽くしたSNSの台頭は、他のアテンション・ブローカーたちを否応なく再編した。デジタルメディアの生態系においてかつてない規模のブースター(増幅器)として、人々の注意・関心を独占し始めたからである。そこに、ポリティカル・コレクトネス(人権的な見地からの表現や言葉の是正)の深化が加わり、それに対応する形でリスクマネジメントが高度化せざるを得なくなっていった。 

 

■オールドメディアとネットメディアの相互浸透 

 

 多くのメディアがSNS的なブーストがかかりやすい娯楽やニュースなどを提供するという順応が進んだ。これは言い換えれば、オールドメディアとネットメディアの相互浸透である。 

 

 その一つが不倫や性加害などの性的スキャンダルの重視だったと考えられる。文春砲が「政治家や新聞などよりも権力を持っている」といった識者の発言が散見されるが、このような論評はSNSの圧倒的な破壊力とのシームレスなつながりを前提にしないと成り立たない。 

 

■週刊誌報道の“功”と“罪” 

 

 とはいえ、一連の週刊誌報道がなければ今回の性的スキャンダルとフジテレビのガバナンスの問題が表に出てくることはなく、また物言う株主(アクティビスト)による圧力も、海外メディアからの批判もなかった。 

 

 つまり、自浄作用が期待できない組織は、同様のショック療法に頼るしかないという厳しい現実がある。 

 

 そのような部分と、デジタルメディアの生態系における社会的制裁、社会的抹殺の問題は、アテンション・エコノミー(関心経済)という側面でリンクしているが、切り分けて考える必要があるだろう。 

 

 

 文春叩きは、長年にわたるマスコミ不信に根差したものだが、素朴な情報観が裏切られたことへの反発も少なからず影響している。 

 

 その深層には自分たちは常に正しい側にいるという正当性を脅かされることへの苛立ちと、善と悪の闘争の物語として理解したいという根強い欲求がうかがえる。そもそも情報というものは新たな証拠や追加取材などによって修正され、更新されるものであり、確定したものではない。 

 

 アテンション・エコノミー(関心経済)の暴走の先にあるのは、「アテンション・ハッキング」の氾濫であり、全体としては「公益性のカオス」を招来する可能性が高い。前者は、この危なっかしい生態系を自己の利益のために逆手に取ることを意味し、後者は、社会課題の優先順位が崩壊することを意味する。 

 

 今回のフジテレビの会見は、まさにこの生態系のメカニズムにうまく便乗したところがある。 

 

■ジャーナリストが目撃した、会見の異様っぷり 

 

 ビデオジャーナリストの神保哲生氏は、会場脇に水のペットボトルが何百本も用意され、400個のパイプ椅子に臨時の電源が引かれ、初めから長期戦覚悟だったことや、参加者を限定せずメディア側の罵声や無礼な言動、自称記者の演説などを放置したことを踏まえて、「巧妙なダメージコントロールだった」と結論付けている(大演説に怒声、「ショー化」が生んだフジ記者会見 メディアの責任は/2025年1月31日/朝日新聞デジタル)。 

 

 「あの状況で会見を開けば、本来『0―10』でフジの完敗です。ところが、『罵声』に耐え続ける姿を配信することで『2―8』あるいは『3―7』まで持っていけた」と総括し、その真因として、ネット登場のにより「会見そのものが記者の質問も含めて『見られ消費される』場」になったことを指摘した(同前)。 

 

 「『見られ消費される』場」とは、アテンション=注意・関心が発生するところであり、そこにおいていかに有利なポジションを築くかが焦点となる。フジテレビは、アテンション・エコノミー(関心経済)の特性を念頭に、あえて玉石混淆の舞台を設け、不愉快なノイズを排除しないことによって、むしろ人々の非難の矛先を一定程度分散させることに成功したといえるだろう。 

 

 

 これは、いわばアテンション・ハッキングと呼べるものであり、今後も大企業からインフルエンサーに至るまで、新たな生態系に適応したダメージコントロールに磨きをかけていくことは想像に難くない。 

 

 人々の注意・関心の高まりに乗じて、別の人物や対象にスポットを当てる、混乱を作り出して受け流す、等々の手法の洗練化である。 

 

 この問題の厄介なところは、何が事実で何が真実かといったことよりも、相対的に注意・関心が引かれることに好悪の念を抱きがちで、そこから疑惑や信頼性を感じ取りやすいことにある。 

 

 結果的に人々の注意・関心を適切に誘導することができた者が得をすることは言うまでもない。 

 

 ここにおいてわたしたちはただのユーザーや傍観者ではない。意識の上で、わたしたちは多様なメディアのフィルターを通して「悪者とされる人々」を嬉々として懲罰し、その転落を見守っているのだ。文春砲に対するアンビバレントな感情がそれを如実に表している。自らが透明な権力の一部になったかのような愉悦と恐れである。 

 

 誰もがデジタル世界の兵士であることから逃れられない昨今。試されているのはわたしたちの頭脳そのものなのだ。 

 

【もっと読む】中居騒動でフジが露呈「日本的組織」の根深い問題 いかに内部が狂っていても外まで伝わらないワケ では、フジテレビが露呈した「日本的組織」の問題について、評論家・著述家の真鍋厚氏が詳細に解説している。 

 

真鍋 厚 :評論家、著述家 

 

 

 
 

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