( 262236 ) 2025/02/08 16:28:42 0 00 〔PHOTO〕Gettyimages
トランプ政権が誕生して10日目の1月29日、首都ワシントン上空で旅客機と軍のヘリコプターが空中衝突し、67人が亡くなるという悲劇が起こった。
直後の会見でトランプ大統領は犠牲者の冥福を祈った後、急に話題を変えた。それは集まった報道陣も、生放送を見ていた私たち視聴者もまったく予想しないものだった。
トランプは「衝突事故の原因は連邦政府のDEI(Diversity, Equity & Inclusion≒多様性)プログラムにあると考えている」と発言したのである。
彼は就任当日の大統領令の中でも、連邦政府のDEI(多様性)プログラム廃止を打ち出していた。とはいえ、犠牲者の身元すらわかっていない段階でこの物言いには、多くが眉をひそめた。
しかしトランプにははっきりとした意図があったと考えられている。それは多くのアメリカ人がテレビに釘付けになっているこのタイミングで、DEI を完全に葬り去ることだ。同時に、アメリカが自国のあるべき姿として過去60年にわたって強く信じて来た「多様で素晴らしいアメリカ」という価値観からの、脱却宣言でもあった。
それにしてもなぜトランプはここまでDEIを攻撃するのか? その背景には彼を担ぎ上げた共和党の、長きにわたる戦いがある。
DEIはDiversity(多様性), Equity(公平性), Inclusion(包括性)の頭文字をとった言葉だ。企業や教育機関、政府機関などで、多様な人々が公平に扱われ、すべての人が活躍できる環境を整える取り組みを指す。
1964年の公民権法で、人種や民族、宗教、出身国などによる差別は禁止となった。しかし、政治や経済の分野でまだまだ平等が実現しているとは言い難い。制度的人種差別は根強く残り、今も白人家庭の世帯収入の平均は黒人の1.6倍と大きな格差がある。
80年代以降はヒスパニックやアジア系移民が急激に流入したために、アメリカは人種的に急速に多様化した。
差別も問題だが、本当に能力がある多様な人を雇用しなければ、社会にとっても不利益だということになり、2010年代に入るとDEIを経営理念に取り入れる企業が増え始めた。多様性がある企業はそうでない企業に比べ、収益が高いという数字もその後押しになった。
しかしこの時点でも、DEIについて一般にはほとんど知られていなかった。
さらに多くの企業がDEIに注目したきっかけは、2020年の白人警官による黒人男性ジョージ・フロイドの殺害事件だ。ブラックライブスマター運動が燃え上がり、世間の批判をかわすためにDEIを取り入れる企業も激増した。その直後に誕生したバイデン政権は、人種の面でもジェンダーの面でも史上最も多様なメンバーを登用した政権となった。
多様化が進むアメリカは、今や若いZ世代(13~27歳)のほぼ半数が白人以外の人種で占められている。またジェンダーの面では、彼らの2〜3割がLGBTQを自認するという数字もあるほどだ。彼らの多くがDEIを支持している。
一方国勢調査は、2045年にはアメリカ全人口で白人が過半数を割ると予測している。そんな多様性の時代に、全ての人が公平な機会を得るために、DEIの推進は不可欠に見えていた。
しかしそれに強い反発や危機感を感じる層もいた。
保守共和党の支持者は8割が白人、しかも年長者が多い。このまま非白人が増え、いずれ白人がマイノリティになれば党の存続自体が厳しくなる。
そこでまず共和党が注目したのは、ふだんあまり投票しない労働者階級の白人層だった。2016年の大統領選で、共和党が、中西部ラストベルトの白人労働者の不満や怒りを喚起し、票につなげたことはよく知られている。
ところがその後ジョージ・フロイド事件が起こり、多くの若いZ世代の白人が自分たちは人種的な意味で「特権」をもっているという事実に目覚めた。黒人とともにブラックライブスマター運動を推し進めた彼らは、自らを「ウォーク(目覚めた者)」と呼んだ。その年トランプはバイデンに敗れた。
しかし共和党はその「ウォーク」を逆に利用した。ウォークが白人に対する逆差別で、社会を分断させているというメッセージを強く打ち出して大反撃に転じたのだ。フロリダなど共和党州は、「白人に罪悪感を与える」という理由で奴隷制など黒人の歴史教育を制限したり、「子供に悪影響を与える」として、LGBTQに関する本を図書館から撤去するなどした。トランスジェンダーに関しては、未成年者への治療の制限や禁止などを次々に進めていった。
2023年に長く続いたアファーマティブ・アクション(人種を意識した入学プログラム)が最高裁判所により違憲と判断されると、企業のDEIも「ウォーク資本主義」としてターゲットになった。
保守派は何か問題が起きると、その原因をDEIに求める論調を煽るようになった。2024年1月、アラスカ航空機のドアが上空で吹き飛んだ事故では、女性機長の責任というデマが広がった。同年7月のトランプ暗殺未遂では、シークレットサービスのDEIプログラムがやり玉に上がった。先日のロサンゼルスの山火事で、女性の消防署長が攻撃の的になったのは記憶に新しい。
そして大統領選ではカマラ・ハリスに対し「DEI候補」のレッテルを貼り、女性でマイノリティだから候補になれた「弱い候補」というイメージを作り出した。
この戦略は、多くが白人男性であるトランプ支持者に見事に刺さり、マイノリティの不法移民排斥の政策とも連動して、共和党に対する高い投票意欲につながったと考えられている。
トランプ大統領は就任と同時に、連邦政府の雇用におけるDEIを禁止した。特定の層を優遇することで、それ以外の層を逆差別し、社会の分断を促進するというのがその理由だ。今後は肌の色や性別にかかわらず実力主義で採用する「カラーブラインド」社会を目指すという。
実はこれは1965年にジョンソン元大統領が発令した、雇用機会均等の撤廃でもある。連邦政府とその下請け業者は、労働者を人種や性別で差別することはできないという、公民権運動時代の大統領令の廃止は、60年間続いた政府の方針の歴史的な大転換となった。
同時にトランプは、各省庁でダイバーシティ雇用に携わる人々を軒並み解雇または自宅待機にした。また職員に対し、同じようなDEIらしきプログラムを行っている同僚を知っていたら、密告するよう命じた。
DEIやダイバーシティという言葉は、政府の公式ウェブサイトや文書から次々に削除されている。LGBTQはLGBに変更された。性別は男女2つだけというトランプの主張通り、(男性でも女性でもない)性別「X」も廃止された。パスポートの性別が「X」となっている者は、そのパスポートを使えなくなった。
DEI撤廃を発表する大企業も出ている。しかし実は、その多くはトランプ就任以前にすでに動き始めていた。
大統領選と同時進行で、企業に対するDEI廃止運動が行われていたのだ。それをリードしたのは、政治活動家でインフルエンサーのロビー・スターバックだ。特に保守的な顧客を持つ企業、マクドナルドやウォルマート、農業機械のジョン・ディアなどをターゲットに、SNSでの批判や販売ボイコットなどを組み合わせた強力な圧力をかけ、DEI廃止や一部撤廃に追い込むことに成功している。
彼はあくまで独立したアクティビストでトランプとの関係は直接ないとされている。しかし、現政権の次席補佐官で最もトランプに近い場所にいるスティーブン・ミラーが設立した、アメリカ・ファースト・リーガルとは深い関係があるようだ。
一方、アップル、マイクロソフト、コストコなど、今後もこれまで通りDEIを遵守するとは宣言した企業もある。その多くはDEIの歴史が長く、顧客もグローバルに幅広い。そこから得たメリットと社会的影響の大きさを自覚しているのだろう。
今後さらに多様化するアメリカ、そして世界の中で、DEIにどう対応するかで企業の持つ価値観が評価され、その立ち位置が問われることになるのは間違いない。
前に述べたように、DEI禁止の理由は、肌の色や性別にかかわらず実力がある者を優先的に採用するため……ということになっている。
しかしトランプ大統領の発言から、それが建前にすぎないことがはっきりわかるという指摘があった。
彼は飛行機事故での発言に対しレポーターに「DEIが原因という根拠はあるのか?」と聞かれ、「自分には常識があるから」と答えた。
その答えには「白人男性が優れているのは常識だろう」というニュアンスが含まれている。他人種や女性に対する明らかな差別意識を嗅ぎ取った者も多い。
実際共和党の中には「少数の優れた白人がアメリカを支配すべきだ」という、非主流派の過激な意見が根強く残っている。白人が少数派になる未来が現実に近づいてくるにつれて、それが現実味を帯びてきているという論調もある。
民主主義というのは多数派の意見が優先されながらも、少数派の意見も保護される政治体制だ。それがもし少数派による支配になれば、かつてのアパルトヘイト時代の南アフリカのような独裁に近づき、アメリカの民主主義は危機に瀕する事になる。
ちなみにトランプ政権の閣僚(候補含む)は2人を除き全員白人だ(ルビオ国務長官はヒスパニック系白人)。
ロイター/イプソスの新しい世論調査では、DEI廃止の動きに回答者の59%(共和党の30%を含む)が反対している。
さらにモーニング・コンサルトの記事によれば、企業の6割がDEIプログラムは多くの企業の成功にとって非常に、またはある程度重要であると答えている。
確かにこれまでのDEIは完全なものではない。白人やストレート男性が冷遇されたと感じる場面も確かにあっただろう。企業は消費者や株主に批判されないために、義務的にやっているという批判も少なくなかった。
しかし、いくら不法移民を強制送還しても、DEIを否定しても、アメリカの多様性がなくなることはない。問題は高度に多様なアメリカがどう協力してやっていくのかなのだ。
トランプ政権の動きは、自分たちにとって不都合な未来に抗う保守白人による揺り戻しなのか、それとも本当に少数の白人による支配のための先ぶれなのか。それとも全く別の意図があるのか、注意深く見守る必要がある。
シェリー めぐみ(ジャーナリスト・Z世代評論家)
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