( 262248 )  2025/02/08 16:47:13  
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誰が今さら「早慶上智」などと言っているのか…上智ボロボロ、早稲田は慶應を凌駕「数学出来ない人間はダメという論文」

みんかぶマガジン 2/8(土) 9:10 配信

https://news.yahoo.co.jp/articles/57b5356822d324fc821ba2c825188c371c51a01c

 

( 262249 )  2025/02/08 16:47:13  
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早稲田大学、慶應義塾大学、上智大学の間のパワーバランスの変化が見られる。

早慶上智と呼ばれていた3大学の中で、早稲田がリードし、上智は低迷している。

その理由について、AI開発の手法にも関連付けながら、数学的思考力を持つことの重要性が指摘されている。

早稲田大学は数学を必須科目にし、入試改革を行い、学生の学力水準が向上している。

慶應義塾大学は伝統的な入試制度を守りつつも、早稲田大学に抜かれつつある状況が示唆されている。

また、上智大学は数学を重視してこなかったためにパワーバランスから脱落しつつあるとされている。

(要約)

( 262251 )  2025/02/08 16:47:13  
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(c) Adobe Stock 

 

 早稲田大学、慶應義塾大学、上智大学のパワーバランスに変化がみられる。かつては「早慶上智」などと3つの大学をまとめて言っていた人もいたかもしれないが、この中で早稲田が頭一つ抜け出し、上智は逆に低迷している。一体なぜそんなことが起きているのか。経済誌プレジデントの元編集長で、教育事情にも詳しい作家の小倉健一氏が解説していくーー。 

 

 まず冒頭で大学とは、少し関係のない話をするが、現在の慶應義塾大学、早稲田大学、上智大学を語る上で欠かせない話題がある。最近注目を集めている中華製の生成AI「DeepSeek」だ。業界内で騒然となった理由は、その性能がアメリカのトップクラスのAIと同等か、それ以上と評価されながら、開発コストがわずか10分の1以下に抑えられている点にある。 

 

 これほどの低コストで、高性能なAIを開発することが可能になった理由について、開発者自身が語るところによれば、学習方法の革新にある。従来のAI開発においては、大量のデータを使用し、多様な質問とその回答を学習させる手法が一般的であった。たとえば、チャットGPTの場合、「はい」か「いいえ」では答えにくい複雑な質問を数多く学習し、それに適切に対応できる能力を高めるアプローチを採用してきた。大量の質問をランダムにぶつけ続けることで、言語処理能力と推論力を向上させるという方法だ。 

 

 これに対して、「DeepSeek」は異なるアプローチを採用した。まず、答えが明確に定まっている数学の問題を大量に学習させ、論理的な思考能力をAIに身につけさせることを優先した。この方法を取ることで、単に膨大なデータを詰め込むのではなく、論理的に推論し、自ら答えを導き出す能力を強化することができた。この手法の大きな利点は、学習データの総量を抑えながらも、推論力と回答の正確性を向上させる点にある。結果として、開発コストを劇的に削減しながら、高い性能を実現することが可能となった。 

 

 この手法は、単にAI開発のコスト削減という観点だけでなく、人間の学習方法にも示唆を与えるものとなる。数学を学ぶことが論理的な思考力の向上につながるという研究成果は、これまでも数多く発表されてきた。 

 

 

 AIが数学的思考を通じて、推論能力を高めたのであれば、人間の教育においても数学の学習が論理的思考の基盤を築くために有効である可能性は高い。単に暗記に頼るのではなく、思考の枠組みを強化することが、知的な問題解決能力の向上につながるのではないか。 

 

 いくつか例示してみよう。 

 

『数学的に卓越した男性と女性の人生の軌跡と達成―40年後の分析』(2014年、ヴァンダービルト大学)では、以下のような指摘がされている。 

 

<数学的な才能があると認定された13歳の男女(1650人)を40年以上追跡し、彼らの職業的成果、創造的業績、心理的幸福度、家族構成、人生の価値観を分析した> 

 

<結果として、彼らは一般的な期待値を大きく上回る成果を残していた。例えば、研究対象者の4.1%が有名研究大学の終身教授となり、2.3%がフォーチュン500企業や有名企業のトップエグゼクティブになった。さらに、2.4%が著名な法律事務所や組織で弁護士として活躍していた。知的生産活動の面でも、85冊の書籍、7,572本の査読論文を出版し、681件の特許を取得し、3億5,800万ドルの研究資金を獲得していた> 

 

 数学の落ちこぼれに関するデータもある。 

 

『「数学で失敗すれば人生でも失敗する」―機会均等への障壁を学ぶ』(2014年、オーストラリア・カトリック大学)では、次のような点が明らかになった。 

 

<数学の学習には社会で成功するための重要なスキルが含まれている。しかし、数学不安(Maths Anxiety)を抱えることで数学を避けるようになり、将来の選択肢が狭まり、生活の質(Quality of Life)が低下する> 

 

<数学不安の影響は、学業成績の低下にとどまらず、長期的なキャリア形成にも影響を及ぼす> 

 

<数学不安があると、以下のような職業選択の制限が生じる。(1)STEM(科学・技術・工学・数学)分野の回避、(2)高収入職へのアクセスの減少、(3)数学の重要性を認識できず、非効率な意思決定をする> 

 

 人生において、いかに数学が大事かということがお分かりいただけただろうか。冒頭にあげたこれら3つの、名門と呼ぶべき大学は、それぞれの道を歩み、結果が徐々に出つつある。 

 

 

 まず、伝統を捨て去り、数学を受験の必須科目とすることで大成功を収めたのが早稲田大学である。 

 

 かつての早稲田大学の入試は、暗記型のマークシート試験や極端に専門的な知識を問う問題が多く、文系3教科型の受験が主流であった。この形式では、知識の詰め込みが重視される一方で、論理的思考力や総合的な学力を持つ受験生にとっては不利な側面もあった。この状況を打破するため、大学は思い切った入試改革に着手した。 

 

 政治経済学部を先陣とし、試験形式と出題範囲を大幅に見直した。共通テストの導入や数学の必須化により、東京大学や一橋大学などの国立大学と併願する受験生もターゲットとする入試制度を構築した。この改革により、偏差値の維持だけでなく、受験生の質の向上も実現している。 

 

 長年、目の上のたんこぶのような存在であったライバル・慶應義塾大学を偏差値で上回りつつある。現在、河合塾、東進、ベネッセの偏差値分布表を参考にすると、難関私立大学の序列は明確になっている。 

 

 最上位に位置するのが早稲田大学であり、僅差で慶應義塾大学が続く。その下には同志社大学や上智大学が並び、さらに立教大学、明治大学が続く。中央大学法学部や法政大学はやや差が開き、青山学院大学、中央大学の非法学部、国際基督教大学、学習院大学が後に続く。 

 

 慶應義塾大学が早稲田大学に抜かれつつある状況が、各種データからも浮き彫りになっている。 

 

 慶應義塾大学は「独立自尊」を掲げ、伝統的な入試制度を守り抜こうとしているようである。慶應義塾大学の松浦良充常任理事(教育・入試担当)によれば、毎日新聞(2024年11月13日)で以下のように述べている。 

 

「全体的なバランスや多様性より、ぜひ慶應で学びたいと強く思ってくれる人に集まっていただきたい」 

 

さらに、一般選抜に限界はあるかという問いに対して、次のように答えている。 

 

「総合型選抜では、高校時代に何をしてきたのかということを確認した上で判断することができます。他方で一般選抜の出題は、アドミッションポリシーに沿って学部や大学から社会に対して、こういう学生をとりたいというメッセージを発信している、と学部も強調してきました」 

 

 慶應義塾大学の入試では、小論文が特徴的である。小論文は学力よりも思考力や柔軟性を重視している側面が強い。 

 

 

 作文能力や国語能力は数学を解く能力と隣り合わせであり、文章を書く力が高い者は、基本的に数学的思考力も備えていることが多い。しかし、慶應義塾大学の入試は、早稲田大学ほど数学能力を絶対的な基準とするものではない。あくまで慶應義塾大学に忠誠を誓う学生を取ろうとしているが、早稲田大学は東京大学を志望するより質の高い学生を取ろうという意欲が見える。 

 

 10年以上前は明らかに慶應義塾大学のほうが偏差値的に格上と見なされていたが、近年は早稲田大学の入試改革によって学生の学力水準が大幅に向上している。今後、社会の中枢を担うのが、伝統を守り続ける慶應義塾大学なのか、それとも入試制度を改革し続ける早稲田大学なのか。その行方には注目が集まる。 

 

 最後に、上智大学について触れる。「早慶上智」と並び称された時代から大きく後退し、現在ではその枠組みから脱落しつつあるように見える。 

 

「早慶上智」とまとめられる上智大学は、四谷という抜群の立地にもかかわらず、早稲田大学と慶應義塾大学から大きく突き放された。 

 

「むしろ『早慶上智』と言われていた時期がバブルだったのだと思います。人気がはじけて、本来の位置に戻ったのでしょう」 

 

「独自入試が仇になりました。英検協会と共同で開発した英語試験『TEAP』か共通テスト、どちらかの受験が必須でハードルが高い。ただし前者は何回も受けられるので、英語が得意でコツコツ型ならば穴場かもしれません。外国語学部の看板は就活でも十分に通用しますし」 

 

 これは「週刊現代」(2025年2月1・8日号)の記事『大手予備校職員が明かした「コスパが悪い大学」の実名…もはや「早慶上智」とは呼べなくなってきた』に掲載された予備校関係者の証言である。 

 

 入試に関わる人物たちからここまで厳しく指摘されると、反論の余地も限られるのかもしれない。しかし、上智大学が数学を軽視してきたことが、この状況を招いた要因の一つではないかと感じる。 

 

 数学を重視しない入試制度は、一部の受験生には魅力的に映るかもしれないが、結果として幅広い学力を持つ学生の流入を妨げる可能性がある。英語力に特化した学生を集めることで特色を打ち出してきたが、数学的思考を問う入試を課さなかったことが、結果的に大学の評価や偏差値の低下につながったのではないか。 

 

 筆者自身も、国立大学を卒業したが、数学が苦手で、入試では数学の比重が低い方式を選択し、論文入試を突破した。しかし、「数学ができない人間はダメだ」という論文や記事に触れるたびに、自身の学力の偏りを痛感し、30歳を過ぎてから高校数学の教科書を新たに購入し、一通りやり直した経験がある。 

 

 それが人生にどう影響を与えたのか、あるいは今後成功につながるのかは分からない。ただ、数学の能力は後天的にも身につくものであり、数学を苦手とする意識自体が、人生の様々な場面で障壁を生むことは間違いない。 

 

 慶應義塾大学であろうと、上智大学であろうと、数学は最低限学んでおくべきである。 

 

小倉健一 

 

 

( 262250 )  2025/02/08 16:47:13  
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このテキストのコメントは、数学や論理的思考に関する重要性や勉強法、大学選びについての意見が幅広くあります。

数学を取り入れるかどうかに関しての意見や、数学能力と論理思考能力の関連性についての考察、大学入試や学生の将来への影響に関する意見などが反映されています。

 

 

また、大学や学問の分野についての指摘や批判、社会での役割や成果に関する観点も見られます。

一部では、数学能力や学歴、社会人としての態度や能力についての考察もあります。

これらのコメントからは、数学や論理的思考、大学教育や社会人としての必要性についての多様な意見が示されています。

 

 

(まとめ)

( 262252 )  2025/02/08 16:47:13  
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=+=+=+=+= 

 

文系出ても経営、営業、企画をするなら、数字に強くて論理的思考が出来ることは必須。 

メーカー勤務なら、ある程度技術に詳しくなる必要もある。 

だから数学はある程度出来る方がいい。 

入試で数学を回避できても、その先で算数や数学から逃れられる人は少ないと思う。論理的思考からは誰も逃れられない。 

だから数学の無い入試は間違いと思います。 

 

▲486 ▼54 

 

=+=+=+=+= 

 

数学自身でなくて、論理性が必要ということですね。数学ができなくても、国語や社会科、理科などいろいろな科目で論理性は鍛えられます。ただ、日本の学校教育の一斉授業では、その学習方法に合う子どもしか伸びないのです。私はアメリカで数学の授業をとった時、英語がそんなにわからなくても、数学の論理の流れがわかりすかったと思うことがよくありました。自分に合った教え方に出会うと、成績、学力が伸びることも実感がしました。ても、日本の学校は教員に教授方法の選択もない。本当に子ども全体の学力を上げる仕組みと方法が弱い、と思います。 

 

▲190 ▼57 

 

=+=+=+=+= 

 

経済学は理系学問と言う方もいますね。実際、外資金融などは理系出身の方もけっこうおられると聞きます。また、実験や統計を扱う心理学では理系の手法でレポートや論文を書かされます。文系理系の区分がそもそもナンセンスだとはずっと思っていたし、早稲田の選択と流れは時流に合っているようにも思います。 

 

▲23 ▼3 

 

=+=+=+=+= 

 

私自身は国立文系出身だけれど、大学に入って理系の人に「高校時代は数学が得意だった」と言ったら鼻で笑われた。 

今になってみると確かにと思うけれど、やっぱり文系でも共通テストレベルの数学くらいはできた方が良いと思う。 

子が今、国公立の経済学部だけれど、必須科目の数学のテストが難しく、共通テストや二次試験ではクリアしているはずの数学で詰む人がいるそう。 

文系の私が言うのもおこがましいが、数学の勉強を通してしか得られない考え方のコツや発想、思考の手順のようなものは確かにあると思う。 

頭の柔らかいうちに数学に取り組む経験は価値のあることだと思う。 

 

▲181 ▼13 

 

=+=+=+=+= 

 

数学ができるイコール論理的思考ができる、とはならないけど、論理的思考が出来ない人はおそらく数学は出来ないでしょうね。 

なので受験に数学を取り入れると言うのは理にかなっていると思います。 

ただ大学の質は学生の偏差値で決まるのではなく教育や研究室の質だと思うので、学生の質がどうのこうのではなく、望む授業が受けられるか否かで判断すべきとは思います。 

 

▲56 ▼13 

 

=+=+=+=+= 

 

早慶はどうでも良いけど、ほとんどの大学レベル記事は文系学部ばかり、 

理系学部を知らないのだろうか? 

それとも、同じ大学では文系より理系学部の難易度が低いので、理系は文系よりレベルが低いと思って記事にする必要も無いと思っているのかな? 

それで数学の重要性なんて記事にするのか… 

 

▲29 ▼5 

 

=+=+=+=+= 

 

新大学群のSMARTという名称は、上智大学(Sophia)のS、明治大学のM、青山学院大学のA、立教大学のR、東京理科大学のTというそれぞれの頭文字を並べたもの 

 

マーチより上の扱いで早慶上とか早慶上理とかもあるが上智が落ちて 

理科大はやはり早慶理工とは全然違う 

マーチは明治と中央(法だけは健闘)、法政は同じ大学群なのか? 

という声も出てマーチ上位の明治立教青学と上智と理科大を足して 

スマートと称することもある 

 

▲14 ▼31 

 

=+=+=+=+= 

 

上智は昔から、関連する高校からの推薦入学者の枠がかなり多くて、一般入試での合格枠が少ない狭き門となって、受験時の偏差値が上がってることで有名で、図らずも今の私大のなりふり構わない偏差値上昇手法を編み出した元祖だろう。 

それで受験の時だけは早慶に並び称されるまでになった。しかし社会に出ると受験時の存在感が嘘のようになくなる。この10数年はそれらが受験生から上智が敬遠されてる原因だとか。 

35年ほど前、私も滑り止めに私大の早稲田を受験して合格したが(進学はしていない)、上智は上記の状況に加えて、入試問題の解答が全て択一式で、極端に英語力を重視した特殊な配点と出題傾向だったので選択肢から外したのを思い出した。 

 

▲115 ▼49 

 

=+=+=+=+= 

 

慶応早稲田等の難関私大法学部の方が国立や他学部よりも就職が有利だったとされる理由の一つは論理的思考力を持っているからとのことでした 

しかし、それらの私学の法学部には基本的に数学受験はありません。 

また、慶應の場合は 小論文が論理的思考力を測る科目とされていますし、現代文ができれば数学ができるとも言われていますから、数学の出来だけで論理的思考力が決まるという考え方は極端な気がします。 

実際 、一例ではありますが、大学受験のために、私は30代で数学の勉強をしていますが、国語力がなければ数学は理解することがでないと痛感しているところです 

 

▲16 ▼18 

 

=+=+=+=+= 

 

早大が数学を入試に導入したことは当然。本来、アカデミックの語源はプラトンのアカデメイア学園で、大学の先駆。ここでは平面幾何学、立体幾何学、天文学、測量学、音階学の5教科の勉強。正門に「幾何学を知らざる者、入るべからず」は有名。「数学を学ぶことが論理的な思考力の向上につながるという研究成果は、これまでも数多く発表されてきた。」とあり、AIの開発にも有効が認証されたことは良いこと。普段から「数学は世界最高の学問」と思っているから、この記事を読んで嬉しくなった。数学を勉強すると定義、公理、定理、証明の繰返しが多い。特に証明は「これがこうなって、こうこうで、こうだからこうなる」調。「数学が出来ない人間はダメという論文」は何がダメなのか、ちょっと抵抗がある。日本は国語、漢字や古典のやり過ぎ。多くの人がこの域の知識やレベルで終わっている。人生で数学に触れないことは、モッタイナイとも思う。高知柏島。 

 

▲4 ▼4 

 

 

=+=+=+=+= 

 

確かに思考のの1つの側面としてして、論理的思考は必要だと思います。そして数学を学ぶことで論理的思考を磨くことはできるとも思います。 

ただそれだけではダメですよね。 

ロジカルとラテラル、そしてコミュニケにおける感情の部分、それぞれをバランスよく高めていくことが大切です。 

 

▲16 ▼12 

 

=+=+=+=+= 

 

数学は確かに論理の学問で、理工系の大学生や大学院生が学ぶのは本物の数学ではなく、物理数学と呼ばれるもの。本物の数学は数学科の人が学ぶもので、抽象的。 

で、受験の数学はどうかというと、抽象的なのは整数問題くらいなもので、あとは物理数学の入り口のようなもの。ゲーム感覚で解けてしまう。さらに言えば、論理的な思考を持ち合わせていなくても、解き方を覚えてしまえば乗り切ることができる。なので、受験数学ごときで論理性を語るのは如何なものか、というのが私の意見。受験数学が苦手な人は、論理性云々の前に、箸にも棒にもかからないお粗末な思考力、と思う。勿論、論理性を持っているものの、そもそも選択していないから受験数学が出来ない人もいるだろうが、そのような人は現代文が出来るのではないか?現代文も論理性を問うのに充分な指標になるはずだ。 

 

▲17 ▼17 

 

=+=+=+=+= 

 

一部の推薦で合格した元子役たちを除き、早慶合格者のほとんどが難関高校出身者です。 

そして、5教科のうち1科目でも不得意科目があればこれらの高校には進学できないので彼らは全員普通に算数はこなせるということです。 

よって、慶応文系(偏差値60以下の高校出身者を除く)は数学が得意ではないというのは少し疑問です。 

そして、普通に考えれば受験科目数と偏差値は逆相関関係があるので早稲田が慶応より上になるということは信じがたいです。 

しかし、なぜそうなったかというと二次試験で数学が必須の東大京大志望者が受けるからでしょう。 

彼らにとっては3科目だけを必死に勉強してきた私文受験生より有利に戦えるからです。 

そして、数学導入効果で偏差値が上がった政経につられて他もよくなったのでしょう。 

 

▲6 ▼3 

 

=+=+=+=+= 

 

ChatGPTの話題が出たが、今週以降急に質が下がった。前は「ChatGPTに下書きさせたうえで数式をWordに貼り付けて数式ビルダで修正したいからTexコマンドのままで出して」といえば素直に応じていたが「はいわかりました」といいながら全然違うことをしてきて、何回か指摘するとたまにきちんとした出力をするのだが、やっとできたと思えば同じスレッド内でまたおなじことをせんいけない。そうこうしてるうちに有償版なのに上限にとね。 

 

上限も厳しくなりフォーマットの指示も理解できなくなり、内容のレベルも下がる。 

 

このへんができないと、どうとでも言えるようなあまり意味のない文章を書くときに手を抜くぐらいしか使い道がなくなる。 

 

そして、なんでチウ国が対抗馬出してきたこのタイミングでというのに、陰謀論めいたものを感じてしまう。 

 

▲26 ▼24 

 

=+=+=+=+= 

 

ものすごく数学の出来ない文系生徒だったので、とても身につまされる。 

とはいえ国立で6科目受験だったので、まるでやってない私立の連中よりは、苦手ながらもやっておいて良かったとも思う。 

あと、二次の模試だといつも80点中20点も取れなかったが、マークはほぼ毎回満点だったので、「難しい問題だけ手も足も出ない」タイプだった気もする。 

 

▲1 ▼2 

 

=+=+=+=+= 

 

自分も子供の頃から計算がすごく速くて数学が大得意だったけど、数学が得意な人って意外と苦労してないんだよね。問題を見たら閃いてしまう。暗記が得意な人もすごいと思うし、文才がある人、討論ができる人…頭の良さは色々あると思うけどな。 

 

▲277 ▼81 

 

=+=+=+=+= 

 

早稲田は「受験を東大に合わせたので東大志望者が併願するようになり、紙一重で東大不合格の人が入学するようになり偏差値が上がった」と読みました。早稲田は東大のコピーになりたいのか、それとも英数国に偏りなく偏差値の高い学生はポテンシャルも高いのか、それとも著者の言うように文系学科でも数学のできる学生の方が伸びるのか、いろいろな解釈がありそう。 

 

▲121 ▼59 

 

=+=+=+=+= 

 

論理的思考の出来ない人とは会話がなかなか成立しにくい。思い込みと感情論が優先しているからだと思う。数学に強い人ほど論理的思考が出来るから話はしやすい。しかし論理的思考が優先されるので騙されやすい。詐欺被害に遭いやすいのは論理的思考の人が多い理系。そう考えるとバランスが大事。 

 

▲16 ▼29 

 

=+=+=+=+= 

 

戦前までは、芸大でも入試に数学が出たそうです。クラシックの世界でも、数学ができない人は、微妙な間が取れなく伸びない、と見られてきたそうです。演歌ならば…、と言われてきました。戦前の人の感性は素晴らしい。 

 因みに、私は某私立大学のトップの法学部を出ましたが、事務職であっても、統計学や推論、予兆を逃さず気付く脳力には、やはり数学の素養がないとダメ、と感じました。 

私は…ありまして、場外ホームラン級の仕事を随分しました。矢張り、文系でも数学は必要です。 

 

▲13 ▼28 

 

=+=+=+=+= 

 

数学で一番大事なのは論理的思考力。 

答えが合ってるかどうかなんていうのはどうでもよくて、その答えに至るプロセスで論理的推論がしっかりできているかが非常に重要である。 

数学が苦手な人は論理的に考えられないし、論理的に話すこともできないから、話も聞いていて何が言いたいのかわからない。下手したら冒頭3分全部修飾語(関係代名詞節)だったりする。 

これからはますます数学ができる人とできない人の収入格差は大きくなる。 

 

▲100 ▼48 

 

 

=+=+=+=+= 

 

数学と数字、数学と論理的思考能力、それぞれは同一ではないと思います。 

 

筆者はそれを混同して論じていると思います。 

 

数学が得意でなくても数字に強かったり論理的思考能力が高い人もいます。 

筆者は少し数学を有利にとらえすぎるように感じます。 

 

▲8 ▼3 

 

=+=+=+=+= 

 

「数学ができる=論理的思考力に強い」という風潮はどうかと思いますね。 

記事においてはAIと人間の脳を同じものとみなしてますがその根拠は示されていません。 

まだ「作文能力や国語能力は数学を解く能力と隣り合わせ」と書いてありますが、根拠はあるのでしょうか。 

 

私は数学が大の苦手でしたが、学生時代は議論にはめっぽう強かったです。 

中高とプログラミングをやり、受験時代に予備校で論理的な考え方をする授業を受けたおかげだと思っています。 

 

記事中の「数学ができる=論理的思考力に強い」と「作文能力や国語能力は数学を解く能力と隣り合わせ」の前提は同意しかねます。 

言語能力と数学的(記号処理)能力は、脳の別の部位だと肌感ですが思います。 

 

日本は弱点を克服させようとしてますが、強みを強化する方が伸びるのでは? 

さつまいもはいくら磨いてもさつまいもです。 

国語・英語やプログラミングで論理的思考力は身につきます 

 

▲34 ▼26 

 

=+=+=+=+= 

 

数学出来ないのはだめって 少しはそう思う。国語が出来て数学出来ないのは怪しいと時々思う。数学ができるということは、それだけ文章も理解してるし、物事をつかんでいる 数字を間違えると物事はねじ曲がってしまう。文章理解なども理解しているから数学出来る人は正解が導き出せる 正解を導き出せないのが国語とかやっても、気分で判断してるんだなって思う。 

 

▲6 ▼5 

 

=+=+=+=+= 

 

一理あると思う内容でした。あと、数学って、数学嫌いの人には信じられないでしょうが、問題を色々考えて解いている時間が楽しいんですよね。でもタイパは悪い。考えても考えても、わからない。だから人生の一番の贅沢って、豪邸でのきらびやかな生活とかではなく、潤沢に数学のことだけ考える時間を持てる生活なのでは、と思ったりもする。 

 

▲37 ▼2 

 

=+=+=+=+= 

 

論理的思考力を議論するなら、重要なのは「数学」ともう一つは「国語」。「国語」に関しては今の日本の国語教育は左派教師の趣味で「文学」に偏り過ぎて、言語的な「国語力」をつけさせる為には「評論」や「論文」等の客観的な文章の教材比率を増やすべきとも言われている。 

 

▲118 ▼41 

 

=+=+=+=+= 

 

社会で人の役に立つこと 

 

賢い人とそうでない人と、となったとき、そりゃ頭は良いほうが何かと人生で良いこともあるでしょう。でも、大事なのは社会に出て、人の役に立つこと。 

 

理系でも文系でも、高度な知識を良からぬことに使っては意味がないし、場合よっては犯罪。 

 

その人なりに、社会に役に立つ仕事をして、その人が幸福な人生を送れるなら学歴もあんまり気にしなくても良いと思っています。 

 

▲183 ▼68 

 

=+=+=+=+= 

 

早慶上理は、塾や予備校・学校が難関大の合格実績をかさ増しするために生まれた用語だ。一部の学部は除くが、早慶と上理は昔から明確なレベル差がある。 

数学に関して、早稲田の政治経済学部が共通テストでⅠAを必須化したわけだがまだまだ甘い。ⅡBC(ベクトル)まで必須化すべきだ。特に統計はしっかりと学んでおくべき。ⅠAなんて中学数学の延長レベルで生ぬるい。 

数学でなくても論理的思考力は鍛えられるという意見もあるが、ある論文では数学を勉強している学生としていない学生とでは脳内でGABAの濃度に有意な違いがあるという。数学だからこそ高まる能力もあるということだ。 

 

▲12 ▼5 

 

=+=+=+=+= 

 

『人間の教育においても数学の学習が論理的思考の基盤を築くために有効である可能性は高い。単に暗記に頼るのではなく、思考の枠組みを強化することが、知的な問題解決能力の向上につながるのではないか』 

 

論理的思考と知的問題解決能力が極めて重要であることは人類史に置いて獲得した真理であることは間違いないです。同時に、それを求められる層はごく一部でしかなく、数学はそのための代表的手段の一つであり、文明社会に生きる前提として不可欠な暗記能力や言語化・数値化できない事象を読み取り、(正しくではなく)適切に処理する能力は数学では判定も向上もできません。 

 

紹介されたされた論文やDeepSeekから日本の大学の入試事情を読み解くのは面白い試みでおおむね賛同できますが、これも仮説でしかないことをわきまえず、「数学」以外の学問の効用を勝手に下げてしまう極めて浅慮短慮な方々が週明けの会社に登場しそうで怖いです。 

 

▲13 ▼6 

 

=+=+=+=+= 

 

とはいえ、私大は文系の受験科目に数学を課すと、受験生に敬遠されて虎の子の受験料も稼げなくなるってジレンマがあるんですよ。 

 

「コスパ」って観点から見ると、就活でどれだけ恩恵が得られるか?と受験科目の負担とを天秤にかけた場合、見返りの方が上回りそうな私大は早慶ぐらい。(だから、数学必須化は早稲田が先にやったけど慶応もまだ間に合う) 

 

ティーンエイジャーがこういう考え方で学校を選んでしまうのも、新卒一括採用の雇用文化の仇花なんでしょうね。「新卒カード発行所」としての意味しか持たない日本の私大では、学生は学びなんか目指してない。いや、日本の雇用社会が「それを目指させない」と言うべきか… 

 

▲91 ▼25 

 

=+=+=+=+= 

 

そもそも私立文系→英語重視、算数が苦手というのがおかしいです。英語は努力の結果と言われますが帰国子女は有利すぎます(東大でも帰国子女は英語以外の勉強に専念出来るので有利との事)。地頭を測定するには論理的思考や数理分析で、文系も理系も関係無いと思います。それに今の受験英語は何の役にも立ちません。米国大学院に留学してつくづく実感しました。 

 

▲36 ▼6 

 

 

=+=+=+=+= 

 

今さら感のある記事。超有名私立の一貫校では授業は数学中心で回るし、入試でも数学のできで合格がきまる。数学ができない人間は必然的に落ちこぼれる。旧帝大をはじめ、国立大学で数学を課さない大学はない。また、早慶を受験する生徒も有名私立一貫校では文系でも社会で受けるやつはいない。みんな数学で満点を狙う。 

 

▲130 ▼86 

 

=+=+=+=+= 

 

昔の早稲田は数学が得意な受験生にチャンスがあった。 

数学を選択すれば約30%の配点だったから、 

英語国語の失点を取り返せた。 

難易度が高い地歴公民よりも 

数学の難易度は標準的だったので 

選択者が最も多かった。 

今は最大で25%しかなく、しかも共テ。 

共テなら数学IIBCよりも他の科目の方が 

高得点が狙いやすいので、 

数学IIBCの得点は利用されにくい。 

今の早稲田は完全に英語ゲー。 

そりゃ人生では英語の方が数学より重要だけど、 

数学ガチ勢を排除しなくてもと思う。 

 

▲5 ▼1 

 

=+=+=+=+= 

 

今後のAI社会では、数学の能力より、「人間関係を適切に築く能力」が重要になるはず。なぜなら、AIは論理的能力では、現在でも既に、一般人の能力を凌駕してるから。 

 

だからむしろ、大学入試では数学を不要にすべき。 

なぜなら第一に、数学を習得するためには、膨大な時間が必要だから。なのに結局は、AI社会では役に立たない。それならその時間は、他の分野で人間性の幅を広げるために使うべき。 

 

また、数学は他の科目に比べ、論理を順番に身につけてく積み重ねの作業が重要。だから「高1・高2では勉強を怠けてたけど、高3になってから一気に勉強に真剣に取り組み、急激に学力を向上させる」のは難しい。 

結果、数学を重視する(国立大的な)大学入試では、合格者は同質(高1の頃からこつこつ真面目に勉強をし続けてきた人)になる。 

でもそれは、「AIとは違う、人間ならではのランダムな個性」が必要な、今後のAI社会には適してない。 

 

▲12 ▼74 

 

=+=+=+=+= 

 

学校の勉強はどれもそうなのですが、その科目毎に固有の考え方があります。本来すべてに共通なのは論理性ですが、何を基に論理的に考えていくのかを身に着ける作業です。数学ができないということは数式を基に論理的な思考ができないということですね。国語などは先生がだめな人が多いので、そもそも論理的な回答ができない指導しかできませんね。 

 

▲30 ▼20 

 

=+=+=+=+= 

 

>「数学ができない人間はダメだ」 

 

ダメとは思わないし極端な表現だと思うが、こと入試に関しては数学が最も差がつく科目であることは事実だ。 

 

多少できる程度ではなく、理系でも通用するレベルで数学ができると、文系数学なら満点さえ不可能ではない。恐らく5割程度が合格ラインのところで、圧倒的なアドバンテージになる。この貯金を英国で失う可能性は低く、文系で数学が理系並みにできれば、非常に有利だ。 

 

以上、点は取れても物理化学が嫌いになって、一生理科に関わるのは耐えられないと考えて、高3で文転して旧帝大経済学部に進んだ経験からの感覚です。 

 

▲55 ▼45 

 

=+=+=+=+= 

 

高学歴でも仕事ができない若者が増えています。 

計算間違いの連発、見直しをさせても自分がどこを間違っているのかが分からないから、又間違う。全然学習できない。 

働かないでも学歴は高いから高給貰って当たり前だと思っている。会社は労働して給料を貰って働く場所であり、金を払って通う学校との違いを分かっていない。 

社会人としてのルールが分からないとか、礼儀やマナーも無いGMARCH卒が大勢いますよ。 

彼らが自覚をもって金を稼ぐ事は辛い事だという事を理解しなければ、日本の未来は無いでしょうね。 

 

▲11 ▼3 

 

=+=+=+=+= 

 

数学的な論理思考がこれから世界的には必要とは思いますが 

一般的な日本人には得意分野では無いですし 

日本人にはデジタルよりアナログが向いていると思っています。 

 

それが一番良く分かるのは名前の呼び方です。 

漢字を当て字とし同じ字で何とでも読める世界は日本位でしょう。 

 

文字の読み方が一つで無い国でデジタル化が進まないのは当然です。 

 

▲1 ▼6 

 

=+=+=+=+= 

 

英語が出来なくて、Fラン大学しか行けませんでした。しかし、田舎の県立高校でしたけど、数学は成績上位でした。負け惜しみですけど、私立文系って、当時は英語が出来る順なんですよ。会社に入って、WIN98以降は全員にPC配布になりました。そうなると、数学の知識(センス)がないと、Excelで効率的に仕事が出来ないと思います。私文の難関大卒でも、高校時代に数学はサッパリだった社員は、まずExcel嫌ってWordばかり使っています。Excelも関数使えないから効率悪い文書しか作れなくて、若手には相手にされません。もう、微分積分が判る訳ではありませんけど、約40年前に勉強した数学のセンスは役に立っています。私立文系の学部が、入試に数学を取り入れるのは、大学の入試改革と云うより、社会のニーズをくみ取っていると思います。 

 

▲22 ▼23 

 

=+=+=+=+= 

 

大学と言えどもビジネスである.inputとoutputが重要で,大学にとっては学生がこれにあたる.このため,大学の先生にも入り口と出口担当がいる.入り口担当は志望学生を増やす,出口担当は卒業生の就職率を上げるがパフォーマンスの指標である.そこで,志望する学生にとって魅力的な研究や,卒業生がどこに就職したり,卒業後の社会での活躍が重要である.もちろん,魅力的な研究の維持や,卒業後の活躍には,優秀な学生の獲得が必要だが,それほどの高望みをしなくても,ボリュームゾーンを獲得できれば良いという考えもある.学生の数はそのまま授業料という形で大学の収入になる.そこで,著名な研究成果を上げた教授や,企業とのパイプを持つ企業出身の教授を揃えている.学生にとって魅力的に映れば志望者は増える. 

と,いうわけで,大学経営という視点で,数学は関係ない. 

上智は上智なりにうまくやっている.ということではないか. 

 

▲29 ▼67 

 

=+=+=+=+= 

 

早稲田の文系で数学を必須にしたのは政経学部だけ。しかも政経学部の定員は900名だがそのうち一般入試はたったの300名。対して慶応の経済学部は定員の半数を一般入試で選抜し、昔からA方式では数学が必須。募集人員はA方式400名、B方式200名。早稲田政経はもはや一般入試で学生をまともに選抜しようとしているとはいえず、入学者の大半は指定校や内部推薦などの学力的に怪しい人達が占める。 一般入試の定員を減らした事で見かけの偏差値は上がったが本当に早稲田に入りたい人ではなく東大、一橋落ちが行く大学に成り下がっただけ。 それらを考慮せずに早稲田が頭一つ抜けたなどと言い張るこの記事のライターは洞察が浅すぎる。まともに大学入試見てきたの? 

 

▲58 ▼20 

 

 

=+=+=+=+= 

 

数学に限らず自分に向いてないことに努力するやつがダメなんじゃないかな 

好きでもないのに一人前になれないことに時間を割いても無駄 

人生もお金も限られてるんだから自分の向いてることの強化に努めて、いざというときに頼れる人脈をつくっといたほうが人生楽 

誰もがラマヌジャンやドストエフスキー、ピカソ、大谷翔平になれるわけじゃない 

 

▲30 ▼29 

 

=+=+=+=+= 

 

かつて慶應法学部は、私大法学部には珍しく数Ⅰ必須の変則型入試をやっていて、その頃の法学部は偏差値が低く、立教法学部とほぼ同じくらいだったはず。 

なので、阿呆学部阿呆学科と揶揄されていた。それが、数学を外した途端、偏差値が急上昇し、今や慶應高校からの内部進学で、経済学部より政治学科を志望する生徒の方が成績が良かったりするらしいし…。 

反対に、経済学部は数学必須をやめて、歴史と選択制に換えてしまった。それが故に、早稲田に負けたと言いたいのだろうか? 

高校数学の基礎レベルができていないと確かに困ることは出てくると思うが、入試と違って、実務で手計算や電卓使って処理する人は皆無なので、エクセル使いこなして、関数処理したり、プレゼン能力上げるほうが重要だし、評価される。 

 

▲6 ▼8 

 

=+=+=+=+= 

 

筆者の言わんとするところはごもっともなことばかりだし、古くはナポレオンも「数学の隆盛は国家の隆盛に直結する」みたいなことを言っているから、全国民が数学が得意になった方がいいことは確かです。 

私も頭では重々理解していますが、体がついていきません。子供の頃から数字の羅列を見ると頭痛がしたし、図形問題は見ただけで吐き気がしそうでした。還暦を過ぎた今でも、数独や数学系の脳トレには全くやる気が起きません。 

世の中には数学と相性が悪い人間が一定数いることは確かだと思います。 

数学ができる人が優遇されることはいいことですが、それが格差や差別、偏見の元になったり、人間性否定の道具に使われることにはならないでほしいものです。 

いくら数学が得意な人がエリートになったところで、その人達だけで世の中を切り盛りできるものではありません。村田英雄ではありませんが、「世間歩がなきゃ成り立たぬ」です。 

 

▲0 ▼0 

 

=+=+=+=+= 

 

社会には学校の勉強なんて必要ない、という人がいるけれど、完全な間違いと教えたい。 

物事を国語的、数学的、理科的、社会的、歴史的、道徳的に見るという視点の形成において学校の勉強なんて基礎の基礎だ。人生の大半でぶち当たる壁を越えるための思考、それがさまざまな考察だ。暗記だけでは手法を生み出せない。考えてこそなのだ。 

 

▲9 ▼2 

 

=+=+=+=+= 

 

いくら政経の受験生と言えど、数学が出来る子はそうそうはいない。 

だいたい、東大文系に受かる子の数学の点数は30〜50/80点満点と聞いていたし(いや、50点取れる子はまれ)、そこから考えれば推して知るべしというか、ほぼ自明のことである。 

 

出来ればラッキーぐらいでしかなく、彼等は英語や国語で従来よりも一層険しい闘いを強いられているに過ぎぬ。 

 

▲0 ▼0 

 

=+=+=+=+= 

 

数学が苦手な人にありがちなのが、「教科書をきちんと最初から丁寧に読むこともせず」ひたすら問題集の問題を解きまくろうとすること。 

 

この記事でも話されているように数学は論理的思考を学ぶ学問で、理屈をとことん突き詰めて考える学問。教科書の本文を読むのを面倒くさがって、基礎的な考え方を理解せず「とりあえず公式だけ覚える」て、あとは問題演習で勘を養う・・・みたいな勉強の仕方をする人は、まず数学は不得意なまま。 

 

わかりやすかったり、覚えやすかったり、とっつきやすそうな「参考書」をつまみ食いしたり、問題集をひたすら解きまくるのではなく、とりあえず、教科書を食い入るように読み込み、それから教科書の例題と練習問題を解けるようにしてごらん。発展問題なんてやらなくていい。基本問題と標準問題だけまんべんなく解けるように。 

 

それだけで、偏差値60以上はとれるようになっているから。 

 

▲2 ▼3 

 

=+=+=+=+= 

 

宇宙は数学で出来ている、其の通りであるが、物理要素と精神要素が厳然としてある。それを知らないと例えばフェルマーの最終定理で250年間も悩む。3次元方程式を組む場合には制約があり、当該方程式は組む事が出来ない。物理要素に合致しない数学は精神要素の自由平等友愛を表す四則演算の反対方向に突き進む。 

 

▲2 ▼20 

 

=+=+=+=+= 

 

アルキメデスは敵兵が近づいても気がつかず、地面で計算や図形を書いて考えている最中に殺された。ピタゴラスも相当の変人だった。数学の天才達は社会不適応者であり、むしろ天才的な偉業を成し遂げる人間は社会不適応者が多く、日本の大学ならすぐに退学になるような連中ばかり。 

 アメリカのAIが凄いのは、イノベーションの塊であること、誰も作ったことがない物を作り上げ新たな概念を創造することで文明は進化する。二番煎じが低コストなのは当たり前。 

 日本の教育の最大の問題は、型にはめるような人間しか作れないこと。数学が出来ないから自分はダメだったというのは、筆者のコンプレックスから来る思い込みに過ぎない。 

 ツッコミどころが満載の記事でした。 

 

▲7 ▼2 

 

=+=+=+=+= 

 

25年目の内科医です。 

僕はKO中退して国立大学医学部に入り直しました。文系から理系に変えました。 

僕は東大文一に落ちました。まあ東大型の勉強は中々当時は独学では難しかった。 

東大は文系も理系も全ての科目をやりますから。理系に転科するのは簡単でした。、 

その頃からKOは数学必須。 

大学でも数学やるので理転は簡単。 

早稲田は当時は文系は数学がなく、文系3教科でした。最近は変わったんですか? 

早稲田は細かすぎる知識を問う問題が多く合わなかったです。 

広末さんに代表される様に昔から早稲田はAO入試をしていました。 

今や早稲田は附属校が増えて、また学生の7割が首都圏出身者との記事を最近見ました。 

これって明らかに偏りすぎです。 

首都圏出身者てことは私立高校一貫校出身者が多いって事だと思います。 

たかだか3教科に絞って受験に特化した高校で学んだとしても幅広い知識が身につくとはとても思えませんが。 

 

▲109 ▼106 

 

=+=+=+=+= 

 

予習復習をしない、宿題をしない生徒でした 

地方の公立普通科高校卒 

それでも成績は上位 

中学までは国語英語数学が得意科目 

 

高校に入り数学を捨てた 

赤点を取るようになった 

 

暗記をしなかったから 

 

わかると知るとは別物ということ 

社会も理科も暗記科目 

中学の数学は暗記の要素がまだ多くない 

むしろなぜそうなるのか「わかる」ことで解ける 

中学校でも「わかり方」を丁寧に説明する授業なてない 

勝手にわかるから解けてた 

高校数学では、暗記すべきことが増える 

わかるまでもなく「こうだからこう、覚えろ」そういう授業しかない 

落ちこぼれるついていけなくなるというのはココのこと 

 

わかるのが苦手な人というのは「とても」多い 

その人たちを労働者、戦力として欲しがったのが「詰め込み型教育」 

 

ネット社会で正解が拾える状態 

全員がカンニングからの丸暗記生活をしてる 

その外付けHDがなくなれば彼らは「わからなくなる」 

 

▲6 ▼7 

 

 

=+=+=+=+= 

 

普通に私学の法学部出て今は集計とか分析やってますが…まあ確かに管理職や経営陣レベルでも算数出来んのか、くらいの人は多くいます。 

明らかに効率悪いでしょって方に仕事のやり方を持っていくあの感覚は驚愕に値する。 

あーあと人の評価ね。明らかに無駄を生み出す人を評価するあの感覚も数字読めないからかなww 

数学的には国立大学生は尊敬に値するね。 

 

▲21 ▼20 

 

=+=+=+=+= 

 

私は文系だけど、政経以外の社会はいずれも壊滅的に学力が低かったので、必然的に、私大も受けられるとこは全て英数国で受けました。 

地理は元々苦手だったけど、中学受験の時までは歴史は超得意だったし好きだったのが、中学入学以後は日本史、世界史も全然ダメになった。 

正直、やたら細かい人名や地名、年号を単純丸暗記するのにすぐ飽きて、全然やる気が出なかった。 

その点、数学は分野にもよるけどめっちゃ面白かったし好きでした。 

逆に、楽な数学で受けられるのに、わざわざ膨大な面倒で退屈な単純丸暗記だらけの日本史、世界史、地理で受ける文系の受験生が多いことが不思議だった。 

 

▲0 ▼0 

 

=+=+=+=+= 

 

>現在、河合塾、東進、ベネッセの偏差値分布表を参考にすると、難関私立大学の序列は明確になっている。 最上位に位置するのが早稲田大学であり、僅差で慶應義塾大学が続く。その下には同志社大学や上智大学が並び、さらに立教大学、明治大学が続く。中央大学法学部や法政大学はやや差が開き、青山学院大学、中央大学の非法学部、国際基督教大学、学習院大学が後に続く。 

 

青学とICUが少し低い気がするが、平均するとこうなってるの?高偏差値帯の受験生が多い駿台を加えれば、また若干変わってくるだろ… 

 

▲12 ▼7 

 

=+=+=+=+= 

 

数学は昔から苦手で文系に進んだが、メーカーでセールスエンジニアのような仕事に就いてからは数学や統計学、工学の重要性が身をもって理解できた。もし若い頃の自分に会ったら、理系を勧めるだろうな。 

 

▲35 ▼4 

 

=+=+=+=+= 

 

関西圏の関関同立で言えば立命館が頭一つ抜け出した感じがする。 

関学が落ちてきている。関学は推薦入試を重要視している。 

近畿大学が関学に近づきつつあると思うが、企業側の評価は依然関学の方が高いと思う。 

20年後には変わってきているのでは? 

 

▲14 ▼30 

 

=+=+=+=+= 

 

竹島を中国の領土だと答えるAIを評価している時点で、この著者に批判的な気持ちになってしまった。 

さらに加えて現在の大学ランキングも著者の色眼鏡を通したものであって、色々とツッコミどころが多い。 

 

確かに、これからは英語と数学の両方が出来た方がよい、できる人とできない人で生涯賃金に大きな差は生まれるが、このエッセイで同意できるのはほぼその部分のみだった。 

 

▲58 ▼18 

 

=+=+=+=+= 

 

早稲田の政経で数学が必須になったと言っても数学I・Aだけやからな。 

大学でミクロ経済や計量経済学や統計学を学ぶ人は高校で数Ⅲ・Cまでキッチリ勉強した方がええね。 

 

経済学部に限らず、法学部や商学部、その他の文系学部や高卒の社会人でも数学的思考力は必須だと思うんで、数学受験をするかに関わらず高校1~2年レベルまではしっかり勉強した方が良い。今はどんな職に就いても数字やデータを扱うし、日常生活でも役に立つはず。 

 

どの大学も強い分野と弱い分野がある。ブランドを気にするより、この大学だとこの分野が強いとか比較した方が大学選びの参考になる。語学力で食っていきたい人は上智でも悪くないかと。それより大学4年間勉強するかどうかで圧倒的な差がつく。 

 

▲3 ▼1 

 

=+=+=+=+= 

 

文系でも東大・京大をはじめとする旧帝大や神大の方が文学部でも数学が実施される分、早慶・上智よりもはるかにハイレベルなのは火を見るよりも明らか。それに旧帝大は基本的に国語だって現代文・古文・漢文と三科目必要で現代文は無論、古文・漢文だって本格的な記述・論述式なので早慶・上智ではとても太刀打ちできないと思います。 

 

▲28 ▼37 

 

=+=+=+=+= 

 

「DeepSeek」はデータベース構築コストは複数の方法で引き下げたが、回答辺りに必要なGPUコンピューティングパワーはChatGPT比で同等無いし劣るという指摘もある。NVIDIAに数学で勝つと勝負を挑んだメーカーも過去に複数ありましたね。AMD位しか残らなかった訳ですが。 

 

▲16 ▼2 

 

=+=+=+=+= 

 

私が受験の頃は現役で東大や一橋落ちたら浪人だったけど最近は現役指向の高まりで早慶に進むようになったから東大や一橋の入試との親和性の高さが上位私大の序列を決めるようになったね。 

 

表現は良くないけど早稲田はコバンザメみたいに東大や一橋を落ちた人間を確実に取り込んでいるということだね。 

 

上智はせっかく栄光学園や広島学院などを抱えていて、彼らには噂では無限と言われる推薦枠用意しているのにそっぽ向かれているのが痛いね。(武蔵や筑駒、フェリスも同系列の大学には進学しないけど、そういう学校も結構あるね) 

 

▲31 ▼8 

 

 

=+=+=+=+= 

 

実際、数学ができる人の頭の回転は凄まじいものがあります 

数学が全てというわけでもないし、ちょっと努力ではどうにもならない部分もあるでしょう 

しかし、数学が苦手だからといって学生のときに早々に逃げ出して努力しなかった人間は、やはり総合的な能力もたかがしれているでしょうね 

 

▲3 ▼1 

 

=+=+=+=+= 

 

今は営業でもビッグデータを使うことが当たり前になってきていて、それに伴いビッグデータを扱うための高度な統計学の知識が求められるようになってきている。 

 

体力、根性、気合いがあれば引く手数多だった時代は終わった。 

 

▲10 ▼2 

 

=+=+=+=+= 

 

早慶上智って言葉で一番得してるのは上智ですね。 

難易度的には早慶、SMARTのほうがしっくりきますが、なかなか定着しないようです。 

ただ難易度的にはだいぶ追いつかれてますが、上智とMARCHではダブル合格時の選択率、社会的評価でまだかなり上智に優位性があるのは確かだと思います。 

 

▲75 ▼48 

 

=+=+=+=+= 

 

こういう記事で喜ぶ人たちがいるのだろう。 

正直言って、大学間の競争・序列化の話で飽き飽き。 

数学ができるか否かと、その人の価値は関係がない。 

数学の出来不出来で大学や人間を観るのは、差別的で視野が狭いと言わざるを得ない。 

昔をいえば、早慶あたりは東大併願で数学ができる生徒は多数。現役で慶大経済や早大政経に受かった者は、東大浪人合格者と学力的には大差ない。また、系列校はかつてからずっと難関で、公立中学のトップクラスが進学していた。 

問題は、大学に入ってからの教育体制で、有名私大は数学教育をはじめ、ここが弱いと言えば弱い。 

この度の数学必須化は、体制整備の一環と見る。 

それと、理系の仕事はともかく、どれだけ数学が役に立っているか?何か検証材料があるのか。数学優秀者が、決して社会で認められるとは限らない。 

むしろ。大学が多様性を失うことを危惧する。 

ちなみに、当方私大文系ながら数学には自信あり。 

 

▲13 ▼6 

 

=+=+=+=+= 

 

前半は興味深いけど、後半は読み飛ばした。 

 

数学を記述する言語は一階述語論理。 

一階述語論理による推論は、プログラムの実行のステップと対応関係がある。 

 

学ぶのはガチ数学でなく、プログラミングであってもよい。 

 

▲2 ▼4 

 

=+=+=+=+= 

 

数学の重要性は答えではなく、その過程だと思う。その理を構築、理解、遵守しないとまとも研究もできないし、倫理感も醸成できない。論文も過程が大事で、その結果に至る経緯が重要。皆が納得し、再現性があるものでなければならない。そこを疎かにして騒動になったのはSTAP細胞。小保方さんを擁護する人もいるが、その基本が欠落してるから研究者としては最低。商品開発をしていたら、その過程からは逃げれない。ある意味、地獄だった。 

あと斎藤知事、告発者の処分、第三者を交えなかった、告発された側が一方的に行った等、その過程も疎かだったから今回の騒動につながってる。 

数学は兎に角、過程が大事。その思考を問われる。だから正解でも過程がないと0点。 

 

▲8 ▼0 

 

=+=+=+=+= 

 

学力入試の観点からだとその通りかも知れないが、指定校推薦による入学が徐々に増えていることも考えれば、総体的には早慶は殆ど変わらないのでは? 

尤も、筆者が言いたいのは論理的思考を身に付ける若者が増えないと拙いという事だと思うが。 

 

▲1 ▼0 

 

=+=+=+=+= 

 

特に私立はいろいろな選抜方式があって科目数は一般的に国立より少ないので学力もどうなのかいろいろいるとは思いますね。まあ学力と社会人として優秀かもまた少し違うので、評価ってほんとうはもっと難しいです 

 

▲1 ▼0 

 

=+=+=+=+= 

 

元々慶応の方が数学必須だったんだけどね。経済も商学部も。あと、小論文は慶応に忠誠ではなく、独立自尊の理念にあった紋切り型の人間でなく社会を引っ張っていくようなリーダーを求めている部分もあるからね。この筆者何もわかってないけど、司法試験、公認会計士試験、商社、コンサルなど超一流企業は慶応が早稲田を凌駕している事、出口は圧倒的に慶応が上な事には触れていない。 

 

▲2 ▼4 

 

=+=+=+=+= 

 

コーポレートガバナンスとやらで、 

社外取締役や女性取締役を 

目標にしているからダメなんです。 

法律、会計、経済に詳しい経営者は 

もちろん必要だが 

理系科目の大学院修了や理工系の資格を 

取締役の要件の一つにしたら? 

 

▲4 ▼1 

 

 

=+=+=+=+= 

 

とはいえ、それは、「私立文系」の中での争い。 

結局、どうせ予備校などでは「数学だって、解法パターンの暗記だあ!」「最小努力でコスパよく受験競争を勝ち抜くんだあああ」とか叫びながら、せっせと暗記に励むことでしょう。 

 

そもそも、「考えることが苦手なので科目数の少ない私立」→「どうしようもなく数学が苦手なので私立文系」とたどりついた人が大半でしょうから。 

 

そうして、早稲田文系とか慶応文系とかを出て、大企業や役所に徒党を組んで入って、学閥を作り数の力で出世競争をよじ登った人たちが、どんどん日本をダメにしてきたんですから。 

 

▲5 ▼5 

 

=+=+=+=+= 

 

まぁAIや先端技術産業分野で成功したいなら確かに数学が必要なのはわかるけど…それ以外で政治経済法律教育出版人事などの分野ならこの記事はあまり該当しない気がする。経営者になるにしても数学が得意な人を雇用すればいいし…。 

 

▲8 ▼7 

 

=+=+=+=+= 

 

全くナンセンスな記事。何も考えずに寄せ集めで書いているコタツ記事の類い。偏差値みたいな「入る」ことで勝った負けたなんて全く意味が無い。こういうことだから学問研究で後れを取る。 

DeepSeekのことを持ち上げているが、自分で調べもせず誰かも言ったことを鵜呑みにしているだけ。結果を見ればあきらかなのに全く検証していないのだろう。 

数学を試験科目にすることでどうにかなるようなことも、ものを知らないというか考えが浅すぎるにもほどがある。解法のパターンを覚えてそれをミスなく適用させて問題を解くのが数学力ではない。他の科目も同じ。分かりやすい例でいえば国語で高得点取るのと国語力があるのとイコールではないことぐらい、高校出た人ならそういうことを体験しているはずだ。 

 

▲27 ▼10 

 

=+=+=+=+= 

 

んー明確な定義はないけど文系数学と理系数学は異なるしなあ。理系数学は力技でなんとかなるけど文系数学は閃きが必要な印象。 

 

なので文系数学の入試は閃かなかったらアウト。昔、東大文系受験は数学0点でも受かるようにせなあかんと聞いたこともある。 

 

▲2 ▼11 

 

=+=+=+=+= 

 

変なことを書いてるけど、今までのように一般試験がある層が数学の試験を受けるわけで、推薦組がどんどん増えて、その推薦のほうが多くなるけど、推薦組は学力試験の担保が何もない。大学の成績はコミュ力が入るから、学力の成績ではない。 

 

一般の試験でいくら、こんな試験になりましたといっても、その一般試験が実は一般試験ではなく、少数派の学力選抜試験になっていってる。そんなに学力を重視するなら、推薦を全てなくせば? 

 

慶応の推薦組も全て入れた学生の入学時学力が、中堅大学の一般試験組の入学時学力と同程度あるのかも、疑問なのだが。旧AOの入学時学力なら、かなり下がるだろ。 

 

▲38 ▼3 

 

=+=+=+=+= 

 

今は学習塾では「早慶上理」と言われるよね。実際は早慶と上理の間にはギャップがあるけど、上智が落ちてきて東京理科大が上がって来てる表れかな。文系に強い上智と理系に特化した理科大で上のような状況を考えると筆者のいう「数学が…」ってのも分からんではない。 

 

▲0 ▼0 

 

=+=+=+=+= 

 

大学は義務教育でもなく、高度な内容を国からの補助金で学ぶところなので、共通テストの数学で半分も取れない人は入学資格を剥奪するくらいしてもいいと思う。勉強苦手な人を高卒採用として有効活用できるので、国益になると思います。 

勉強が向いていなく、大学でも勉強しない、モラトリアム的に大学に通う人を養う体力は、もうこの国に無いと思います。 

 

▲0 ▼0 

 

=+=+=+=+= 

 

この筆者も数学の大事さを説くわりには数学(というかその一ジャンルである統計学)のことがわかっていない。早稲田と慶應の偏差値を比べて「10年以上前は明らかに慶應義塾大学のほうが偏差値的に格上と見なされていた」と書くが、そもそも偏差値というものは課される科目やその数(科目数)を同一に揃えなければ横に比較できない。科目数が少ないほど見かけの数字はインフレする。入試改革前の早稲田(文系)は基本的に3教科(国語に古文漢文を含むので科目数としては5)、慶應はまるごと国語がなく代わりに小論文を科すが科目数としては2科目(SFC2学部は1科目)。かつて慶應が偏差値で早稲田を抜いたかのように言われたのは英社2科目の同大法学部の偏差値が見かけ上早稲田の政経や法学部を超えた時期があったからだが、科目数差を考えれば実質値で超えていたかは怪しい。「条件を揃えなければ比較不可」は数学に限らず科学全般の基本だろうに。 

 

▲7 ▼6 

 

=+=+=+=+= 

 

数学も国語も大事。 

覚えるだけの勉強ならあんまり意味ない。それをどう使うか?だから。 

仕事して思うのは、色んな技術的な文献、法律なんかを理解するのとか、上司への説明なんかは言葉の大事さを痛感するし。論理的な思考でないと、なぜを追求したり、知ったことを整理できないし。上司への説明は論理的にしないと経験で勝る人を納得させられない。もし、上司が経験だけで自分の考えを否定してきたらイラッとくるし。読解力を身につけること、覚えることはあくまで下地。論等的に考えることができないと、仕事において、やらされる側のことしかできないと感じます。 

 

▲0 ▼0 

 

=+=+=+=+= 

 

昨春の上智の入学式の学長挨拶をきいて、この時代に必要な倫理、人としての徳、数値や古い価値観からの評定には乗らない価値観の大事さを説いていて、素晴らしい学校だと思いました。 

この記事がどーのこーのはおいておいて(つまんねーなー、とは思いましたが)、人としてどうあって欲しいか、どう生きていって欲しいか、信頼できる学舎だと確信しました。 

 

▲12 ▼0 

 

 

=+=+=+=+= 

 

論理的思考力は数学で高まることはあるが、それが全てではない。 

大事なのは、論理的思考力から先の問題解決能力だ。 

数学がどうの、偏差値がどうのだと言っていてもその大学の世界的評価は、全体でも中の下クラス。こんなことでばかり言っているから、日本発の革新的技術、リーダーが生まれない。 

 

▲0 ▼0 

 

=+=+=+=+= 

 

数学で大切な事は、ポイントを棚に整理して、組み合わせ、最適な解答を導き出す。 

人生でも、不要なものは無視し、大切な事を整理し、組み合わせる事が、数学と似てる部分があるのかと思っています。 

 

▲2 ▼0 

 

=+=+=+=+= 

 

今は早慶上智とか言ってると笑われる時代 

お金儲けの為だけに塾が作り上げだ造語に親子共々のせられる時代ではない 

そもそも私文は推薦で進学する時代であるため 

塾の需要も極端に減っているのが現実 

これからの大学選びは偏差値やヘンテコな括りではなく学びたいことのある大学や大学理念が自身に合っている大学選びにシフトしていくだろう。 

 

▲9 ▼5 

 

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上智がボロボロだったとしても 

自分のレベルの遥か上なので 

結局あまり関係のない話にはかわりがないですが 

世の中の貧富の差が開いて 

しかも富裕者は少数で貧困層が多数の理由がわかりました 

成功するには数学が必須なんですよね 

今の学校教育では 

算数、数学の落ちこぼれ救わないですよね 

落ちこぼれいてもいなくても 

数学の授業は進みますからね 

そうすると 

高三までには数学落ちこぼれの人の方が 

圧倒的に多くなりますよね 

中には努力して落ちこぼれから挽回する人も 

いるかもしれませんが少数ですよね 

結果として 

数学落ちこぼれなかった少数の人が 

成功してして富裕層になって 

落ちこぼれた多数の人が貧困層になると 

いうことですね 

数学必要な理由、納得できましたが 

挽回はもう無理だな 

 

▲3 ▼2 

 

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論理的思考の基盤がどうの言いながら、全然論理的ではない内容。 

 

筆者は、途中紹介されている研究結果にある「数学的素質」と数学力を同じとしているが、日本語的にはおそらく別物だよ。 

数学的素質があっても、数学を勉強しない人はたくさんいる。 

数学的素質があるってのは、単に地頭がよいだけだ。 

地頭が良い人も悪い人を比べて地頭が良い人が知的な結果を出すの当たり前だろ。 

 

仮に「数学的素質」と数学力を同じと捉えたとしても、今度は紹介されている研究結果が使えない(紹介されている限りの内容では)。 

なぜなら、数学だけ素質がある人と、数学だけ素質のない人を比べてないから。数学の優位性は全く示せていない。 

 

▲27 ▼10 

 

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久しぶりのマトモなコラムですね。日本の失われた30年、そのきっかけは不動産バブルの崩壊だと思いますから、バブルが始まった1985年頃に分岐点があったとして考えると、大学入試と卒業後の観点から見て、東大、京大、一橋が文系エリートだとされていた処に早慶が加わった頃に一致すると思うのです。  

 すると、1979年共通一次開始で国公立大が二期入試を無くし一発勝負、5教科7科目のヘビー入試になったのをきっかけに、私立大文系が数学が必要な経済学部までも数学不要にして優秀な学生を確保しようとしたなことにより、私立トップの早慶に数学が嫌い、不得意のトップ層が進学し、大企業や官僚に多くを輩出するようになったからだと。  

 最近それを強く実感したのが、フジテレビ幹部達の記者会見でしたが、殆んどが早慶文系卒だったみたいですからね。コミュ力あっても数学出来ないから、解決能力低いんですよね。 

 

▲5 ▼22 

 

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文系にしても数学は必要ですね。 

文系で数学をほぼ学んでいない人が弱いのは統計的な思考が出来ない事、これが出来ないとデータを読めないし文献を読んでも内容が理解出来ない。 

当然、論理的思考も無理。 

学力的には中卒くらいの段階で止まってしまっている感覚ですね。 

 

▲8 ▼1 

 

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サイン・コサイン何になる、無限級数なんか一生関係ない、みたいなことが言われていた時代が懐かしい。 

 論理的な思考を身に付けるなら、法学も国際関係論も考古学も言語学も有効。 

 数学教育の主な意味は論理的思考ではなく、持久力、注意力、記憶力、事務処理能力などが培われるから。 

 論旨的思考が重要だから数学が重要、みたいな短絡的な考えしかできない人こそ、低レベル教育の犠牲者だと思う。 

 

▲26 ▼3 

 

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上智大学と関係がある者です。 

早慶上智という括りを作って浸透させたのは受験業界の人たちなのに、あたかも上智側が早慶と同格だと思い上がっているかのような言い方をされるのは不服です。 

別にこちらとしては早慶に張り合う気なんて毛頭ないのに、勝手に同じ土俵に上げられて困っています。 

 

▲64 ▼6 

 

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数学関係ないだろ。僕は小学の時は算数が苦手だった担任の代りに文章問題の解説とか授業でしてたし、高校でも数Ⅰから数Ⅲまで殆どテストは満点だった。大学入試もほぼ満点だったかもしれない。しかし、因数分解はスラスラでも人間関係の方が空中分解ばかりで人事考課は赤点だったようだ。あんなん役に立たないよ。必修の数Ⅰ取ったら、後は好きでいいと思う。 

 

▲3 ▼11 

 

 

 
 

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