( 262492 )  2025/02/09 04:40:10  
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50歳を超えて最近地方から東京に出てきたのだけれど、昔自分の地元にもあったようなアーケード街が東京にはけっこう残っている。やはり人口がそれなりに多いところは、商店街も続くのだなと思った。田舎はみんな車で移動するし、イオンSCで事足りてしまう。昔ながらの商店街を歩くのは楽しいけど、実際にそこに住むと色々な古いしきたりがあって、葬儀一つ出すのも非常に面倒臭い。地方のご近所の距離感は平成以降の世代には窮屈で受け入れがたいだろう。 

 

▲789 ▼45 

 

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大型スーパーまた飲食のチェーン展開などによって旅をする楽しさは少なからず失われたと思う。 

それと働き方にも変換があると思う。家が自営でやっている所が少なくなり、雇われて働く(就職)事が多くなっていると思う。 

でも、農業とかも代々その家が受け継いで行くのにはもう限界が来ているので、一括で広大な土地を一つの企業が運営してそこに働きたい人達が就職する仕組みの方がいいなと思う。 

 

▲36 ▼7 

 

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その郊外型ショッピングモールだって永遠ではないし。 

住民が高齢化し車の運転が難しくなったら客数が減少して今の経営プランは成り立たなくなるよ。 

高齢化した住民が郊外の一軒家を売って町の中心部のマンションに住み替えるということも起こってきてるし、やりようによっては駅前商店街の復活もあるかも。 

ただ、そのためには地主である商店主の意識を変える必要はあるだろうね。 

 

▲597 ▼23 

 

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昔は町屋では家が狭すぎて食品や消耗品を余分に置く場所も無かった。冷蔵庫も冷凍品など小さな冷凍庫には幾らも入らない、だから毎日の買い物は欠かせない。下手をすると料理を作り始めてから調味料が足りないのに気づき近くの店まで子供に買いに走らせるくらい便利だった。 

 

▲71 ▼6 

 

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このライターさんの記事は最初に結論があって、それに都合の良い事実のみを列挙したようなあまり新しい知見も無いものだと思いました。 

 

街の再開発を専門にやっている方の書いた書籍で商店街が衰退する原因に触れていますが、そこではモータリゼーションや少子化、高齢化が商店街の衰退を招いたわけではなく、商店街の構造そのものに衰退の原因があると指摘されています。 

 

その中でも大きな原因はこうした商店が個人事業主であるため世代交代が事実上不可能でそこの事業者が高齢化すると基本的に廃業を選択するため、どれほど大きな商店街であっても最初から時限爆弾のようにそこがシャッター街になることが運命付けられていたというものです。 

 

最近こうした商店街の復興に成功した事例では土地の所有権などを商店街が保有したまま営業権のみを年単位の契約で行うようになっています。 

 

▲33 ▼2 

 

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駅前商店街がにぎわっていたのは、高度経済成長期に専業主婦が激増し、毎日のように買い物かごを提げて来てくれていたことが大きかった。その後、自家用車が普及し、共働きが一般化して、買い物はまとめて行うようになっていった。この半世紀あまりの暮らしぶりの変化の中で理解する必要あるはず。 

 

▲379 ▼15 

 

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うちのあたりはまだそれなりにやっている商店街だと思う。 

昔からの店は減ったが入れ替わりで店が入っている。高齢化などで商売をやめた家も貸店舗経営で賃料を得る形にしているようでシャッター街になっていない。 

また稼働していないぼろ屋があると一気にさびれた雰囲気になってしまうが、古くなった建物は建て替えて、元店舗が廃屋のような状態になっていないのが良い所だと思う。 

 

勿論それなりの購買人口が無いといけないと思うし、そういう場所で商店街や地主が柔軟に対応している結果だと思う。 

 

▲179 ▼10 

 

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私の住む街でも閑散とした商店街があります。時代の流れの一言で片付けられるのは確かに問題かもしれません…。が、結局「大勢の人がそう望んだから」というのが一番大きな影響な気がします。マスメディアやら経済界がそう仕向けたのかもしれませんが…。それでも消費者が商店街の方が生活にとって便利と思っていれば、商店街が各地で続いていたと思います。 

いいことか悪いことは別として人がそう望むからそうなってしまうのは仕方ないことで、不便さを享受せよというのは人の心理として無理かなと思ってしまいます 

 

▲357 ▼30 

 

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そりゃあ家族皆んなで行って駐車場に停めてだいたいの物が揃うショッピングセンターとかに人が集中するのは便利だし仕方ないとは思います。 

ですけど昔ならアーケード商店街とかに行けばだいたいの物は買えた時代を考えると移り変わっただけだと思います。 

ですが、アメ横とかは今も人が多いですし賑わってます。 

車走らせて遠方の神社仏閣や観光など行くのはそこにしか無い物を求めて人が集まるからだと思うので大型ショッピングモールと張り合うのではなく違うアプローチをしてみてはどうかなと思います。 

 

▲5 ▼4 

 

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意外に大都市には商店街が多いような気がします。車だとかえって不便なこともあるので。自分は田舎の小さな街に住んでますが買い物はほんと不便になりましたね。駅前の商店街はシャッター街になりマンションのすぐ近くにあった肉屋さん八百屋さん酒屋さんなどの個人商店がすべて店じまいしてしまい。大家族ではないのでちょこちょこ買い物が出来てとても便利だったのですが。商店街の消滅はコミュニケーションを含めて特にひとり暮らしをされている高齢者の方々はいろいろな意味でこたえていると思います。 

 

▲65 ▼4 

 

 

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商店街の老舗の中には江戸、明治 

それ以前から続く店が少なくない。 

代々受け継がれてきた商品は日本の 

文化だし、とても魅力的なものだ。 

大量販売し、合理的なサービスを 

提供するスーパーとは一線を画す。 

シャッター通り商店街は確かに増えたが、反面で地域発の魅力的な商品を揃え商店街を活性化させる若い 

経営者らも増えている。 

老舗を残し、新しい商店も増やして 

客層を拡げて行けば魅力的な商店街になるだろうし、これからの時代も 

生き残れると思う。 

 

▲2 ▼1 

 

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最近は旅行で遠くの街を訪れても、段々同じ表情の街ばかりになってきた感。 

同じ量販店、同じ飲食チェーン店、同じ看板。昔はそれぞれの特色があったけど、既視感のある街ばかりになってしまった。 

街に長く住んでいて、その街の風景を長く慣れ親しむと、その街特有の風土を心に宿すことになるけど、今の時代は全国どこも似たり寄ったりだから、地方それぞれの地域性も希薄になってきていると思う。 

まあ仕方が無いんだろうね。利便性はどこの地域の人たちにとっても大切なことだろうし、どこでも同じ商品や食事を同じ料金で得ることが出来る安心感も否定は出来ない。 

でも各地方の「文化」は、これから先本当に無くなる運命だろう。 

 

▲146 ▼16 

 

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地元の商店街も無くなるか閑散としていました。嘗ての賑わいは無いですね。 

私はチェーン店やデパートよりも、個人店の方が好きです。飲食店は失敗も有りますが、それも含めて楽しんでいます。画一的な味では面白くないと思っていますから。 

新小岩のアーケードや宇都宮のオリオン通りにユニオン通りと言った商店街も、昔に比べたら変わりましたね。やはりチェーン店が増えました。それに、外国人向けの店が増えてきたと思います。アジア物産店が特に多いかなと。 

何でも揃うスーパーやデパートは便利ですけど、記事に有る様に店と客とのコミュニケーションは少ないですよね。私は肉屋や魚屋で行き付けの店が有りますが、軽い世間話をしたりサービスしてくれたりと、チェーン店には無い良さが有ります。賑わう商店街が無くなっていくのは、残念に思います。 

 

▲236 ▼54 

 

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人間を経済動物として捉えた場合、効率化こそが最大の正義となります。金銭という極めて数値化に適した指標に基づき、何が最適か、を考えることになる。感情は目に見えず、かつ捉え方が人によって異なるので指標化しにくく、即物的に捉えるならば無価値として扱われます。 

でもそれが我々が望んだ社会なのでは。プライバシーと利便性、個人の自由を極限まで追い求めた結果がこれであり、それはもはや不可逆的と思います。 

 

▲128 ▼21 

 

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神戸三宮の高架下はとても魅力的でした。個性的な店が軒を連ね、サブカル好きにはたまらない店が多く、違法建築では?というような作り方をした店も多く、安全ではない雰囲気でした。ひと一人がギリギリ通れる階段の先に狭いレコードショップがあったり、店の中も客がすれ違えないような狭さであったり、宝探しのような気持ちで、少し薄暗くて、同じ店にいる人が、趣味が同じような仲間みたいな感覚で楽しかった。 

 

▲108 ▼14 

 

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商店街が不振なのは全国的な状況で、郊外型の大規模SCや、食料品に特化したスーパーチェーンに人が集まるのも同様。 

でもそのSCやスーパーが撤退したらどうなるか。若ければ車で移動もできるだろうが、高齢になると買い物も難しい。 

コンビニと宅配に頼る地域も出てくるだろうし、巡回の移動型車両販売を利用するかもしれない。 

安さと品揃え、営業時間の長さなどでスーパーを選択しているが、気づいたら周りに店がない住宅街も増えるだろう。 

地域とのつながりも薄く、近所付き合いもない、孤独な老後を多くの日本人が送ることになるが、社会や政治の責任ではなく、それぞれの選択の結果。 

 

▲7 ▼0 

 

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熊本、鹿児島、松山、高松… 

 

こうした古くから地方の中心都市の特徴として、駅から離れた場所に巨大なアーケード街がある。そしてどこも人で溢れかえっている。出掛けるたびにいつも思うのだが、この人たちはどこからどうやって来るのだろう?市電やバス、ホテルもあるが、それにしても賑わっている。 

 

こうした街の共通点として古くからの城下町であったことが挙げられる。それがうまく商店街として発展し、逆に駅は離れた場所に設置された。それがうまく地元に根付いたのかな、と思う。 

 

▲14 ▼1 

 

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全国のほとんどが車社会なのだから郊外SCで買物することが普通になった。駅利用者が少ないような所はその影響をかなり受けるから店も淘汰されて商店街自体が衰退してしまう。 

一方、勤め人などの駅利用者は帰宅途の中で買物を済ますことが多い。 

駅から住まいまで徒歩とか自転車で移動するから、そんなにたくさんの買物はできないので結果として日々ちょこちょこ買いするようになる。 

このちょこちょこ買いは、高齢者や単身者も同じで車に乗らず自分の足で動ける範囲で済ます。 

商店街が流行る流行らないは、やっぱり住民の生活スタイルによるかと思う。 

 

▲5 ▼2 

 

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群馬へ観光に行ったとき、県庁所在地である前橋市の商店街と桐生市の商店街を通りましたが、GWなのにあまりにも閑散としていて時代の流れを感じました。 

 

桐生の商店街に有名な和菓子屋があるので寄ってお土産を買いましたが、そこの亭主によると50年ほど前は桐生市の商店街も人が溢れるほど栄えていたらしく、ここで駐車場が空き地だった頃は子供達が野球をしてたとか、今とは比べ物にならないくらい地域の結びつきが強かったんだな〜と感じました。 

 

そういった時代を知ってる50代以降の方々はこうした商店街を見てどう感じるんだろう。便利になったけど生きづらい世の中になったなと感じるのかな。。 

 

▲36 ▼5 

 

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地元に100年続く商店街を25年見てきましたが、25年前と現在比べて明らかに減ったのは個人商店で、増えたのはチェーン店と外国人経営のお店。 

「色」は無くなりましたね。確かに。 

都内どこにでもあるような、コンビニや飲食店。 

日本人は買わない様な食材を売る外国人の店。 

ほんと、日本の縮図がここにあると感じています。 

図書館で戦後の様子を写した資料があったので読んでみると、子供で溢れ、個人商店でひしめき合い、なんとも「カオス」な印象w 

昔のほうが活気はありそうでしたが、全国的にみると減っていく商店街。大切にしたいです。 

熱海の商店街は、昭和感漂う雰囲気に方向転換しましたが、ウケましたね。 

昔よりも訪れるのが楽しくなりました。 

 

▲130 ▼28 

 

 

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先の阪神淡路大震災が発生する前には市場が2つ、そこを通り過ぎると商店街がありましたが、全て経営できなくなりました。何年か後、駅前に商業施設と劇場が出来、市場や商店街の方々は別棟のビルに集まって経営しておられるそうです。商業施設には飲食店やブティック、大型量販店、デパート、高級スーパー等が入り神戸三宮や大阪梅田まで行かなくても、ここで全てが揃うと皆さんおっしゃってます。 

地震は大変だったけど、その後再開発でとても良くなった例だと思います。 

ただ昔の面影は全く無くなりました。 

災害が起きる前にも度々、1つのビルに皆が集まって商売をしようという案が上がっていたようですが、なかなか実現しなかったようで。 

最後の方には閑古鳥が鳴いて、このまま寂れていくのかと思っていましたが奇跡の復活を果たしました。 

しかし沿線の他のエリアでは商店街だけではなく、商業施設もシャッター通りとなり、経営が苦しいようです。 

 

▲2 ▼0 

 

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普段車で移動してる人を相手にするのではなく、車を持たない20才くらいまでの人や高齢者をターゲットにする商売を、自転車で買い物しやすい環境を作るとか、ストリートライヴできる場所を用意したり、スケボー等ができるちょっとしたスペースを用意して若い人が集まるようにしたり、そういう元気な人と高齢者が一緒にいられる工夫をするのがいいと思う。老朽化してる区域は再開発して、商店街の近くに住めるようにするのもいいし。 

 

見た目をすっきりさせることに拘って駐輪場を商店街から離れたところに作るのはだめね。 

 

▲3 ▼0 

 

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駅のある(あった)地域では駅の近くに商店街があるし、集落にはだいたい一軒は小さい個人商店があった 

鉄道の近くには平行して主要道路がありますが、そこに大規模商店が進出して多くの商店街、個人商店は廃れてしまった 

買い物に公共交通を使う機会が減り、どうしても自家用車に頼らざる得なくなった 

そして住民が高齢化により自家用車の運転もままならなくなる 

 

便利さと引き換えに失い、後戻りするのか、あらたな何かを構築するのか、そんな時代に来ていると感じる 

 

▲34 ▼4 

 

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駅前商店街って本当に個性のあるものだったのだろうか 

街の色 

というけどもどの駅にある商店街も似たり寄ったりでそれこそ郊外型ショッピングモールと変わらないんじゃないかな 

結局似たり寄ったりなので、より便利なモールの方を選択されるわけで、、、 

街の色と言われる商店街は生き残ってると思う 

 

▲53 ▼6 

 

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店主が子供たちに跡を継いで欲しいと思っているかとか、そういうのもあるようには思うし、お店の2階が住まいだったりだと、お店も住まいも古くなってたりするしな…… 

 

個人的には、ではもし今、ショッピングモールと商店街が隣接する街があるとしてどちらも徒歩圏内だとしたら、食料品と日用品と服はたいがいはショッピングモールで買うと思う。食べるのは商店街が面白そうだね。 

 

▲1 ▼0 

 

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この記事には「既得権益の保身が招いた衰退である」という考え方が抜けているのでは? 

そもそもイオンなどは既得権益との対立が生み出した業態だったはず。 

時代のニーズに合う変化を遂げられた業態だけが勝者となっているって事だけなんだと思う。 

 

しかしイオンなどの郊外型の業態も、客が運転して来店するという今は当たり前のスタイルが維持できなくなる日が来ると予想されている昨今、再び駅近のアクセスの良い立地の商業施設のニーズが逆転する可能性は高い。 

 

要は来るべき「その日」に今どう備えるか、今は商店街にそういう事が問われているのではないでしょうか? 

ヤル気があるのなら、この記事のようにノスタルジックに浸っている場合ではない。 

 

▲34 ▼14 

 

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自分の住んでいた街も、駅から伸びる大通り沿いが見事にシャッター街になりました。35年前くらいまではとてもにぎわっていたんですけどねー。昔はそこに住む人がお店をだしていたので、土地店舗含めてその人のもの。なので、歳もとり景気が悪くなってお店締めたら、そのままの状態。そこに住んでるものだから店舗を賃貸として貸すわけでもなく、一等地で老後をすごしてる。もちろんその権利はあるし責められないのだけれど。しかし、そのため若い人がお店を出したくても、通り沿いには出せない。アーケード街なんかもそんな感じで歳と共にさびれていきました。そうこうしているうちに大型のショッピングモールができて、人はそっちに流れていきました。 

 

▲3 ▼0 

 

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郊外型、商店街型が良い悪いではなく、新しい(というよりも当然の)型で街づくりをしたほうが良いですね。 

 

ある程度の高層マンション、アパートにして一階はスーパーマーケット、二階は病院など、三階はジムや娯楽施設など、四階以上は居住区。田舎なら平置き駐車場、田舎以外は機械式駐車場を設置。子供が遊べる公園があれば尚良し。 

 

老人はこれで足ります。老人以外はクルマで好きなところで必要なモノを買えば良い。 

 

さらにこれらを狭い地域に複数作れば、いわゆるコンパクトシティの出来上がり。コンパクトシティ間の道路は整備が必要だがそれ以外は歩道も街灯も不要(通学路には必要、路側帯は必要)。複数のコンパクトシティが学区の小学校、中学校、高校があれば言う事なし。 

 

自分が住んでいる市では未だに茶畑を大規模宅地に開発している。けれどコンパクトシティを唱えている。首長にビジョンがないとダメの好例になっていて涙が出ます。 

 

▲0 ▼0 

 

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商店街vs郊外のショッピングセンターみたいな記事になっているが、昭和50年代には商店街vs大型スーパーという時代があった。ダイエーやジャスコといった大手のスーパーが商店街に進出表明すると、商店街や商工会議所が大反対してたけど、平成後半にそういったスーパーが経営不振で撤退を表明するようになると、街の核が消えると言って商店街や市町村は撤退しないよう本社に陳情したりしていた。要は個人商店が立地(既得権)にあぐらをかいて商売していたからそんなことになるのであって、そんな商店のあつまる商店街には大した文化もなかったと思う。魅力のある店なら駐車場がなくても客は来る。それだけのこと。 

 

▲8 ▼0 

 

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素晴らしい観点だと思います。 駅前商店街のゲストハウスとか、エリアを感じるお店の復興とか、逆の動きもあります。小さな成功例が集まり、大きなうねりを作り、駅と駅周辺を元気にし、鉄道を使えるエコな街並みが出来れば素晴らしいですね。 

 

▲60 ▼27 

 

 

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駅前商店街って、大抵駐車場が高額。 

何かを買えば少しは駐車場が割り引かれても、何かを絶対に買わないといけない。でも、欲しいものが売っていないというリスクがある。 

その点、イオンだと駐車場がほぼ無料。欲しいものは何かあるし。 

まずは、無料の駐車場が大切なんだと商店街の人達は気がついて欲しい。 

 

▲13 ▼2 

 

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昔の商店街は高齢者や会社仕事にあぶれた人、子育て中の人、幅広い世代の受け入れ先にもなっていたと思う。 

手伝いや世間話からつながって、なんとか生きていける形みたいなものがあった。 

時代には合わないのだろうけど、人の生きにくさや孤独を救う部分もあったんじゃないかな。 

 

▲1 ▼1 

 

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高度成長期に渥美俊一と言う人がアメリカのチェーンストアをモデルに日本でチェーンストアを展開するようにセミナーを開催し、多くのスーパー経営者が参加して全国に進出して行きました、その当時はまだ郊外出店では無く資本のある企業が駅前に大型店を作り大型店が核になって駅前商店街は繁盛してましたが、今では考えられないのですが当時のジャスコ(今のイオン)はダイエーや西友、ヨーカ堂、ニチイなどに比べ資本力が弱く、地価の安い郊外への出店を余儀なくされました、しかしその事が企業力を高めイオンモールへと発展して行ったのです。広大なアメリカの理論を持ち込んだ為、地方の中核都市の衰退が始まりました、そして便利な都市部へと人が流出して益々地方が衰退するようになりました、例えば東北地方では仙台市に人が集中し、今や仙台市の人口は秋田県の人口を上回っています。この先更に人の移動が進み、5大都市以外は住みにくくなると思います。 

 

▲3 ▼2 

 

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自分たちが子供のころ、もっと言うと小学校高学年〜中学生のころは地元にいても楽しかった。 

コンビニはあるけどファミレスやファストフード店がないような田舎だけど、個人経営のお店が沢山あった。 

移動手段は自転車しかなかったけど、手の届く範囲で楽しむことができた。 

今では個人経営店の衰退によってその楽しみがほとんど失われ、子供が遊べるところではなくなった。 

 

今住んでいるところも決して便利なところではないが、衰退していく故郷を見ているよりは遥かにいいと思っている。 

 

▲10 ▼2 

 

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一時期、下町の商店街そばに住んでいましたが…八百屋の野菜はくたびれ、鮮魚屋で刺身にできるような鮮度の魚は種類が少なかった。手作り豆腐は水で薄めまくったのか、大豆の味がしない不味いもの。ケーキ屋のケーキにのっているフルーツはなぜか酸っぱい…。住んでから、自分が下町の商店街に抱いていた幻想と、現実のギャップが大きいことに気づきました。閉店時間も早く、仕事帰りには閉まっていることも多かった。 

 

▲77 ▼12 

 

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昔、シムシティをしていて感じたことだが、商業地を発展させるには、 

1.農地(工場) 

2.住宅地 

3.商業地 

の順につくると良かった。 

雇用があるから人が移り住むし、人が移り住むから商売が繁盛する。 

 

日本の商店街の多くもそうだったと思う。働く場に必要物品を供給したり労働者に昼飯・晩飯とお酒を供給したりした。 

最近は、働く場の必要物品をアスクルなどが補っているので、大型量販店の進出と併せ、商店街に落ちるお金が少なくなっているのは間違いないだろう。 

 

だから、空き店舗に若い人のチャレンジショップを入れたりコミュニティスペースをつくったりするだけでは、お金の動きとしては不十分。プラス働く場…様々なソーシャルビジネス企業に進出してもらい、商店街周辺の社会課題を解決するような取り組みが必要だろう。 

今年より来年、来年より再来年のほうが縮んでいくこの国では、改革待ったなしのフェーズに差し掛かっている。 

 

▲9 ▼1 

 

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地元の商店街はもう随分昔に廃れてしまいました。昔から車社会なので、商店街のすぐ近くに有料の立体駐車場があり、皆、そこに車を止めて商店街で買い物していて、商店街の中にあるお店で買い物すると、駐車料金が安くなったりしていたのですが、無料駐車場完備の大きなショッピングモールが近くに出来ると殆どの人がそこで買い物するようになり、今では商店街の面影が消え、単なる住宅街となってます。 

 

▲3 ▼1 

 

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地元は早くから幹線道路沿いに街が発展していて衰退も何も駅前に商店街が無く少し離れた場所に商業地域として存在していて成り立ちが違う 

商業地域であるため近くに住む人もあえてその場所に足を運ぶ必要があるため見守りなど元々無縁だし駅を利用する人もあえてその場所を通る必要がないから車中心が加速すると大きな駐車場を持たない独立した商店街も衰退が加速した 

これは街の成り立ちが違うから変わりようがないと思う 

 

▲5 ▼1 

 

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昔の商店街は自宅兼店舗が多く、シャッターが閉まっていても商店主が店の2階に住んでいることが結構あります。引っ越すほどのお金は無いし、1階を素性の知れない人に貸すのは嫌という人も大勢います。もうここは商業地ではなく住宅地なんです。 

 

また、記事にあるような独自性の高い商品を扱っている商店は今でも営業しています。筆者は思い出補正が強すぎるのでしょう。大多数の商店は大量生産品を右から左に売っているだけの凡庸な店です。商店の経営は趣味で出来るようなものではなく、競争に勝ち抜く力が無ければ持続できません。 

 

行政が移住者に補助金を出して空き家にリノベカフェを作らせる取り組みなどがありますが、経営経験も無い一個人を優遇し過ぎです。郊外の商業施設周辺に出店する企業に補助金を出したほうが確実に雇用も税収も増えるでしょう。ノスタルジーに捉われず、現実的な選択をしてほしいです。 

 

▲26 ▼4 

 

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人々の暮らし方が変わったんじゃないでしょうか。 

大家族から核家族になり、更には増える子供の養育費や増税のために夫婦共働きが当たり前になってきました。 

そこに大店法の規制緩和で出店も増えたことや、様々な駅前も小さな商店街を潰して大型商業施設へ再開発をするようになりましたね。 

結果、平日会社帰りに毎日ちょこちょこと買い物に行くよりも、土日の休日に大型ショッピングセンターでまとめ買いも当たり前になってきました。 

私は駅前商店街、好きだったんですけどね。 

 

▲35 ▼2 

 

 

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商店街が提供してきた「個性」「地域性」「文化」は確かにあるが、そういった地域性や文化が時として排外性を生み、都市への人口流入の一因となっていることも事実である。また、商店街が仮に維持されたとしてもこれらの地域性が本当に維持されたのかどうかは疑問である。商店街の負の側面に目を向けずノスタルジーばかりの記事が多いが、閑散としている商店街は、商店主もやる気がないことも多く、そのような商店街に公金が流れて「地域再生」などとされるのは、許されることではない。もちろんやる気のある商店主が積極的に焦点を再生し、その商店街が地域性を高めてくれることは大いに歓迎である。 

 

▲18 ▼0 

 

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シャッター通りにしたのは、商店主自身の問題もあると思っています。 

①共働きや変則時間勤務等によって、お客様の買い物時間が変わっているにも関わらず、夕方の早い時間に店を閉めてしまう。 

②利益率をこうと決めたら、絶対に変えない。なので、価格がコンビニと変わらないことが多い。この点で、生鮮三品以外は売れなくなる。 

③確かに生鮮三品は、スーパーよりも良いものを売る店は多かったが、跡継ぎがいなくて閉店する店も多い。商店街において、生鮮三品のひとつが無くなると、ワンストップショッピングができなくなり、やはりお客様は遠ざかる。 

④レトルトや冷凍食品は、設備投資が必要なため、扱う店が無いか、あっても商品アイテムが少ない。さらに置いてあるものが老人向けばかり。 

私の実家近くの商店街も、都内ベスト3の売上高商店街だったが、店舗が1/7まで減り、客数一桁の店舗もあると聞いている。 

 

▲18 ▼8 

 

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電車の駅を中心に昭和の日本は栄えてきた 

駅前にはデパートや商店街 

駅を中心に住宅街へバス路線が縦横に走る 

しかし、車社会が少しずつ駅中心の生活に変化を与えて、ネット社会になった現在は電車や車さえも不必要となりつつある 

駅を中心にしているのは都心部だけで、少し都心部から離れた郊外の駅などは衰退している場所が多くみられる 

かつては住宅街の周辺も団地を中心に商店街があったり、駅~住宅街への導線に沿って商店街が伸びていた 

郊外や観光地なども駅を中心だったが、今や温泉地のある駅前などはどこも閑散としている 

今後の日本の人口は高齢者が半数以上を占める社会となる 

高齢者は自ら運転しなくなり、電車やバスを頻繁に使用するように変化します 

今こそ、駅中心の社会を再構築するべきだと考えているのは当方だけでしょうか? 

 

▲36 ▼15 

 

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地方は 車社会だと思います。車無しの生活はまず 考えられません。あと 時間はやはり お金だと思います。個人商店街が 潰れるのは 当たり前だと思います。家族全員で コストコに行くのは 有るイベントに近いと思います。キャンプ バーベキュー 景色を楽しむなど。独身の方々は デートでIKEAに行くとか様々です。お金や時間を使って良かったと思えるところに皆 満足するのだと思います 

 

▲1 ▼0 

 

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東大阪市の近鉄布施駅の近くにアーケード付きのシャッター商店街の店舗を改装した『SEKAI HOTEL』というホテルがあります。空店舗をホテルにすることで人の往来や残った店舗の売り上げに貢献しています。 

 

適度な駅前シャッター商店街ならこんな活用もありだと思います。 

 

▲37 ▼5 

 

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こういうのって、大型スーパーとかの影響は勿論あるのだろうけど、シャッター街で廃虚になってしまうくらいなら若者などに超安価でトライできるような取り組みをするべきだと思う。 

商店じゃなくてもレンタルオフィス的な使い方でもいいと思うしね 

 

貸す側は儲けを考えるのだろうけど、廃虚になっていくだけなら使いながら立て直すしかないでしょ 

 

▲0 ▼0 

 

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駅前商店街の消失を嘆く前に、取り敢えず「片付ける」ことから始めるべきでしょうね。 

 

良い悪いは別として、地方ではクルマの普及とクルマ中心の街づくりが進んだことで、市街は拡散し賑わいは駅前ではなくロードサイドに移っています。 

駅前という立地はメリットではなく、むしろデメリットになってしまったのです。 

 

高齢化が進んでいることから、そのクルマ中心社会もまもなく維持が困難になります。 

もう一度都市のあり方を考える必要がありますが、その前に廃墟化した商店街の残骸を片付けるべきです。 

役割を失った上に建物自体も老朽化しており、もはや「ゴミ」と同じです。新しいことをする前に、まずゴミを片付けなくてはなりません。 

 

宅地の空き家などもそうですが、そうした「放置ゴミ」が街にあふれることで、街の美観も損ねますます雰囲気を悪くするのです。 

 

一度綺麗にしたら、新しいものも見えてくるかもしれません。 

 

▲47 ▼19 

 

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ほんとに一見便利なショッピングモールに客足を取られて商店街が衰退してしまった。商店街には個人経営の喫茶店等もあって息抜きしに寄ると顔なじみのお客さんと会話したり、おかわりサービスで飲んだり、そんな何気ない暖かさがあった。孤独も癒やされた。今は何処に行っても同じチェーン展開された店ばかりで個性も何も無い。つまらない街ばかりだ。そんな中でも勿論高円寺とか健闘している町もある。私は昭和が好きだ。今より不便であっても人の通い合う場が、やりとりが一杯あったー。懐かしい。取り戻したいな。 

 

▲13 ▼13 

 

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駅前商店街は、鉄道の駅に人が集まるのを見て店を開いただけだから、駅前に人が居ないのを見たらまた別の人のいる所に移動するのが普通だと思います。ほとんどの駅前商店街は、100年前には無かったのだから。 

 

▲74 ▼9 

 

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商店街ができた頃は行商人のような人が近くまで来てくれるのが当たり前でよかった、商店街ができて遠くまで行かないといけなくなって困ったなんて人もいそうだし、50年後には例えばネット社会が一層進んでショッピングモールのあった時代は週末は家族や友達、ひとりでも気軽に行ける空間があってよかったなんてこと言ってそう。 

 

▲0 ▼0 

 

 

=+=+=+=+= 

 

自分の場合出来れば1箇所で買い物が済む方がありがたいので、スーパー・ドラッグストア・ホームセンター以外はほとんど行かないです。駐車場無料でない店には行かないし会話不要なのでセルフがあれば有人レジが空いていても必ずセルフに行きます。 

こんな事書く私からすると商店街のお店ってちょっと入りにくいんです。眺めるだけだと長居出来ないし店員さん寄ってきたりするんで。今は会話求めて無い人多いから商店街は難しいんじゃないでしょうかね。 

 

▲28 ▼3 

 

=+=+=+=+= 

 

平成の始めくらいまではまだまだ地域の商店街が元気だったんだけどね。それ以降は日本人が皆貧しくなってきた事もあって安売りの大手スーパーに廃業に追い込まれてしまったね。 

かつては駅前どころか主要なバス停の周囲に八百屋、魚屋、肉屋、酒屋くらい揃っていたものだった。 

たしかに値段は安くなったんだけど、ちょっとした買い物でもスーパーまで車で往復してレジで行列に並んで、とにかく時間がかかるようになったなあ。 

 

▲11 ▼8 

 

=+=+=+=+= 

 

なんかこんなことを言ってしまうと天の邪鬼みたいって怒られてしまうかもなんですが、駅前商店街だってその当時の利便性は兼ね備えていたわけですよね? 

では比較してショッピングモールに人とのつながりや色が感じられないとしても、そこを利用する人たちがそういう場にしたいと思えばそれなりのことはできないわけではないようにも思いますが。 

あと、信長が刑場にしていたと言われる新開の森や黄門様が足を踏み入れたとされる八幡の藪知らずは現存かそれに近い形で残っていたりします。 

人があまり集まらない場所にも、その地の文化や色というのはあるような気がしますけどね。 

 

▲3 ▼1 

 

=+=+=+=+= 

 

郊外型のショッピングモールは、確かに便利かもしれません。我が家の近くにもありますが、歩いて行くと何となく「車のない人お断り」みたいであまり好きではありません。 

 都市部では歩行者重視の街づくりも進められようとしている中、身近で歩いて行ける、そして本当に個性溢れる地元の商店街、何とか頑張ってほしいものです。 

 

▲90 ▼62 

 

=+=+=+=+= 

 

子供の頃は商店街が苦手だった。 

どこどこさんの家のだれだれちゃんとバレバレで通れば声をかけられ、買いにいくと話しかけられ、人見知りだった上に 

なんだか監視されているようで。 

今はそれが見守りなっていたとよくわかるし、地域や高齢者の交流にもなっていただろうと。 

今はない地元の商店街が懐かしい。 

 

▲8 ▼0 

 

=+=+=+=+= 

 

都内の商店街もそこそこに賑わってはいるが、何というか、言葉は悪いが、安っぽい店やチェーン店ばかりになった。かつては、個人の魚屋でも、お茶屋でも店ごとの風格とカラーがあって、それが商店街の魅力でもあったと思う。 

 

▲5 ▼6 

 

=+=+=+=+= 

 

地元の商店街は駅前を除いて昭和から2ヶ所くらいあるけど 

区画整理で道が広がってから衰退が始まったと言われてる 

昭和からあった1ヶ所は数件しか店は残って無くて 

本通も半分くらいシャッターが閉まってる 

駅前の道も広くなり車の通行が良くなったけど 

駅から200メートルくらいの両サイドにある店舗は半分くらいは空いている 

 

▲2 ▼2 

 

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昭和に「スーパー」が大旋風を起こして既存の商店に大きな脅威になった。そこで出来た法律が「大規模小売店舗法」だが、何と昭和48年つまり今から51年も前だ・・この法律によって要は「勝手にスーパーなどは作れない」そういうことになったた。この法律を盾に地元商店街に大きな商業施設を「拒否した」商店街はほぼシャッター街になっていると思う。大変皮肉なのだが「中小商店街を守れ!」という動き自体が商店街を亡ぼしている。何をどう言おうが「買い物をするのは消費者」であって消費者は「買いたい店に行きたい」のだ。そこに「魅力的な店がない」なら行かないだけ。昔ながらの店がどんどん閉店するのに「残念だ」という人は実は大してそういう店で買い物できていない。皆が「残念だ」となること自体がそもそもおかしいのだ。 

 

▲26 ▼1 

 

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別の視点で言うと 

駅前に 

商店街買い物者用の駐車場つくりました。 

どうぞ皆さま車を止めて買い物してください。 

としたところで 

 

買い物者が増えるどころか 

駅前という立地を逆手にとって 

駅や鉄道利用者が車を勝手に止めたりする問題が実際起きている。 

商店街買い物認証入口出口にしたら 

人を常時配置することになり人件費がかかる。 

 

だから商店街側も駐車場を積極的につくろうとはしないし、コインパーキングの補助に留めているのでは? 

(人件費を負担したくないし、勝手に止められても困るから) 

 

▲1 ▼0 

 

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近隣住民にとってスーパーで購入する方が金額的にもわかりやすく納得でき、商品の品質管理にも安心でき、買いたいものが一つの場所で済む。利便性を考えれば必然的なだけだろう。 

記事の「八百屋が選び抜いた旬の野菜」とあるがそこまで品種があるわけではなかった(セロリなんか見た事がない)。老舗和菓子屋でも今時の人は賞味期限などとても気にするので古臭いショーケースに入っているのをみて「いつ作ったやつ?」って気にする。 

それでもお肉屋さんでコロッケなどの揚げ物をしている店、和菓子屋さんでも目の前で調理していたり、きちんと梱包してる店は必要とされるために頑張っている。 

時代の流れというのであれば顧客ではなく、経営者側が時代に合ったやり方に合わせるべき事案です。 

コミュニティーや見守り云々も昔と違って住民など地の人間以外が頻繁に引っ越してくる。特に都会の人間にとって知らない人間に声を掛けられても迷惑なだけ。 

 

▲2 ▼0 

 

 

=+=+=+=+= 

 

没落もあるが、単に経営者が引退しつつあるのも大きいのでは。現実問題として、スーパーと競うよりも各店舗で個性を出した方が良いと感じる。一度、社会に出て揉まれた人の中には、時間的な融通の利く生業を商店街で営みたいと人もいると思われる。その一部が女性なら子供も育てやすいかもしれない。 

 

▲0 ▼0 

 

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没落商店街を見るたびに残念な気持ちにはなる。でもいざ買い物をするとなるとショッピングモールに行ってしまう。残って欲しいと思いつつも、自分の行動が伴わない。もしもその内に通販でしか買い物しない時代がやって来たりすると、ショッピングモールでさえ安泰ではない。便利になればなるほど何かを失うんだなと実感する。 

 

▲11 ▼2 

 

=+=+=+=+= 

 

昭和の商店街店主、若い時は生きるために分け隔てなく接客していても、年齢を重ねて顔馴染み以外には愛想が悪くなり、一見さんは近づき難い排他的な店となってしまう。 

減価償却など積んでいないから陳列用の什器など店内設備も古ぼけたまま。 

都心部を除いて、駅前商店街はもう役割を終えたと思う。 

これも、時代の流れで致し方ない。 

 

▲28 ▼3 

 

=+=+=+=+= 

 

大規模店舗は便利さ、効率の良さ、名の知れた店舗が集い、少しの安さと商店にはない圧倒的な物量が人々を引き寄せる。店内も明るい。明るい場所へと、そして大きな施設への好奇心が加わって、人は自然と向かってしまうのだ。確かに商店にも好奇心は向くけれど、好奇心の大きさが違ってしまう。そして地方のお金が都会に流れてしまう。まあ確かに工場誘致同様に地方の税収増となる。その税収が資本力の小さな店舗よりも圧倒的に大きい。だから行政は誘致する。公務員は儲かり、地元は吸い取られる訳だ。 

そして、地方はゆっくりと衰退していく。 

 

▲2 ▼6 

 

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ショッピングモールでは冷暖房が完備されており、段差もなく高齢者が安心して歩行できる。また、オムツを交換できるベッドや授乳できるスペースが確保されており子育て世代でも利用しやすい環境が整えられている。 

品ぞろえはテレビやネットで見た世界の流行に沿ったものが常に取り揃えられている。商店街のように埃をかぶった一昔前の規格品といったものではない。 

そもそも、商店街の「見守り」自体が若い世代にとってプライバシーの侵害であり、不要どころか有害なのである。学校や職場で住所録を廃止している世代にとって時代錯誤の考え方だと理解した方がいい。 

私も全国を旅して多くの商店街を見ているが、活気があるのはある程度以上の都市にある商店街で、人情味以前の商売に徹している商店街だった。 

 

▲2 ▼0 

 

=+=+=+=+= 

 

ショッピングセンターが立つ事によって生まれる雇用、税収などに目が眩んだ役所が悪い。確かに商店街の努力も足らない部分もある。しかし、逆に言えば効率化を図ったスーパーばっかしで、売っている物をほぼ同じで面白くなって来たのも事実。おそらくまた、昔みたいに対面方式の販売方法が流行ってくる様な気がする。その流れを今の商店街の人たちは組まないといけないと思う。 

 

▲2 ▼9 

 

=+=+=+=+= 

 

自分は郊外型スーパーは近い将来なくなるか、行き詰まると思う。ますます高齢社会になって、車が運転できなくなり、どうやって郊外スーパーまで行けるのか。あの広い店舗内を例えば豆腐一つ買うのにどうやって移動できるのか。将来小さいけど駅前の個人商店が復活すると思ってます。 

 

▲2 ▼3 

 

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別の視点から。 

2000年にバス運転士としてバス会社に入社しました。  

入社以降、駅前商店街など中心市街地の衰退とともに、路線バスの乗客はどんどん減っていき、自分の会社では、ほぼ毎年、路線廃止と減便を繰り返しています。  

マイカー利用で郊外の大型商業施設へ行くため、路線バスで中心市街地に行く人は激減しました。 

 

自分が入社した後、自分のバス会社は、給料表が変わるなど賃金に大幅なメスが入り、勤務もきつくなりました。乗客減のため、バス会社には待遇を改善する体力がないのです。 

現状のままですと、地域の公共交通はさらに崩壊します。 

 

▲23 ▼2 

 

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他の方のコメントと一部重複するけど、今は便利な車でのアプローチが将来的にも可能なのかという点は重要な視点だと思う。これは別に高齢ということには限らない。故障・怪我・病気・免停などの運転できなくなるケース、自動車の維持負担が困難になるケースとか。ここのところの大雪で苦労されている方もいるだろう。雪なんて一過性だろうと思うだろうが、今、必要な時に出向くことができないストレスは大きいよね。 

 

ロードサイドのショッピングセンターを否定する訳じゃなく、選択肢が無くなることがリスクなのではと思う。中央資本のショッピングセンターができて地場の商店は壊滅。が、数年後に当のショッピングセンターが撤退してしまい地域まるごと買物難民になった例も既に出ているし、特に人口減が進みが早い地方はショッピングセンターが未来永劫のものだとは決して思わない方が良いのでは。 

 

▲6 ▼4 

 

=+=+=+=+= 

 

仕事でフィリピンによく行きますが個人商店が沢山あっても同じ事です。 

店は売れる商品を揃えないと儲からない。 

今やバラック小屋に住んでいるフィリピン庶民もスマホを持っていて日本と同じように広告が沢山流れている。 

皆がネット上の広告を見るわけだから必然的に売れるモノが決まってくる。 

そうなると看板が違うだけでほぼ同じ物を売る同じような店が大量に街に溢れます。 

飲食屋台やレストランも同じ。 

そうなるとボッタクリがまず無いチェーン店の方が安心できる。 

かくしてフィリピンでもセブンイレブンが増えている。 

日本で起こったように大資本が資本力で商店街を無力化したわけではない。 

個人商店が沢山栄えているのにセブンイレブンがジワジワと支持されている。 

イオンやユニクロやニトリが無くても商店街は消えていたでしょう。 

原因は情報化社会による均質化が世界的に広がったせいだと思う。 

 

▲5 ▼2 

 

 

=+=+=+=+= 

 

最寄駅のシャッター商店街の店は、ほとんどが後継者が居ない為に閉店しています。かつて文豪が通った天婦羅屋や雑誌に何度も紹介された和食屋も皆繁盛していたのに、後継者がいなくて閉店してしまいました。少子高齢化の影響なので仕方ないと思います。異常気象で住みにくくなる地域もこれから増えると思うので、インフラが整備された都市部の人口は更に増えるのでは。 

 

▲0 ▼0 

 

=+=+=+=+= 

 

昔から交通の要所が栄え、長いこと街道沿いがそういう場所になっていた。鉄道の駅前を中心とした繁栄は歴史的に短い。そして、いまでは鉄道利用が盛んな地域は大都市に限られている。地方では鉄道駅は交通の要所でもないのだから、そこが栄えるのは無理があるのではないかな。 

 

▲8 ▼1 

 

=+=+=+=+= 

 

駅前商店街は交通手段が鉄道時代の街。それ以前に城下町があって、宿場町があって、定期市があって。現在は自動車が主な交通手段となったので、ロードサイド郊外型店舗の連続か大型ショッピングセンターへの集約がメインになってきた。 

 

▲17 ▼3 

 

=+=+=+=+= 

 

昔ながらの商店街はほとんどがサービスの質でチェーン店に負けている。私の知っている商店街の主である高齢者は自分の馴染みの仕入れ先からいつも同じものを仕入れて同じものを並べて同じものを配達するしかしない。まあこれは極端な例だが他も似たような店は多い。 

あえてはっきり言わせてもらうと、私の知っている商店街のほとんどは「崩壊するべくして崩壊したし、崩壊して良かった」と思っている。 

 

▲6 ▼1 

 

=+=+=+=+= 

 

日本人ってむかしは三世代とか大家族で食卓を囲んだりしてたけど、だんだんとそれを煩わしく思う人が増えて個人主義が中心となりましたよね? 

今の50代くらいは既に子供の頃から個室が与えられ、移動は家族のクルマ。公共交通機関なんてつかったことがなく公共の場での振る舞いにも抵抗や煩わしさを感じる世代。 

だから、商店街の顔見知りよりも、郊外にクルマで行って、知らないバイトの店員から買うほうが気が楽なんでしょう。 

年取って孤独感に悩まされるようになって初めて人との関わりの大切さに気づくんでしょうね。 

 

▲10 ▼11 

 

=+=+=+=+= 

 

駅前商店街は、確かに少なくなっていますね。大山ハッピーロード商店街はまだ大丈夫ですけど、東松山のまるひろ通り商店街は、丸広百貨店が東松山から撤退して、寂れていますね。駅前にあるしまむらがきれいになっていますが、有料駐車場で、何かと不便で、ちょっとした買い物では、悩んでしまいます。 

坂戸駅前のサンロード商店街は完全にシャッター通り商店街です。 

 

▲19 ▼3 

 

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駅前商店街の店舗兼住宅が、全て賃貸物件だったら引退した店主はよそに行くのだが、持ち家のためにシャッターが閉まったままになったのも大きい。 

地方でも店舗を入れ替わり促す政策をとれば、香川県高松市のようにアーケード街が繁盛しているところもある(ただし、高松のアーケード街も全部がにぎわっているわけではなく、末端部にはシャッター街もある)。 

他の都市でも、やり方次第ではもっと商店街を繁盛させられたと思う。 

 

▲1 ▼3 

 

=+=+=+=+= 

 

まあ、失われたモノを列挙して、共感を得るのも悪いことではない。 

 

しかし、どうしろと言うのだ、何か対処策はあるのか。何もないなら、年寄りの愚痴にしかならない。 

 

市町村が近くに駐車場を作れば良かったのか? 大資本に協力して貰って、シャッターを下ろした店舗を買い取って、人気の店を誘致し、テナント化すれば良かったのか? 果たしてそんなことが出来ただろうか? 

 

アメリカなんかが典型的な例だが、町の中心はスラム街になり、一般庶民は郊外の広い道路の近くに家を建てている。広い道路の交差点には巨大なモールがある。 

 

過ぎた過去を嘆いてもしかたないだろう。 

 

▲5 ▼1 

 

=+=+=+=+= 

 

中学生のころ近所のバス通り沿線は賑わっていた。10がつく日には十日市が開かれ縁日のように店が連なり、大きくはないがスーパーもあり、映画館もあった。本屋、雑貨屋、用品店など、たいていの物は揃っていた。 

地下鉄が開通して路面電車がなくなると、日を追うように沿線に自転車がぎっしり停められ十日市は開催不能になった。いま残っているのは、本屋と洋服屋の2軒だけだ。地下鉄ができて便利にはなったが、地下鉄も古くなりエスカレーターがない通路もあるため高齢者には住みづらい。活気のない町になってしまっている。 

 

▲2 ▼3 

 

=+=+=+=+= 

 

スーパーが出てくる前の商店街は、狭い地域のいわば冷蔵庫代わりで主婦は毎日買い物に行っていたが、ほかに買い物の選択肢がなかったからだ。ここで書かれているような選び抜かれた品揃えとか、魅力的な店なんてないし、地域の色が豊かで、コミュニケーション豊かで文化の香りがする商店街なんて、昔だって普通にはなかったよ。品ぞろえの少ない八百屋や、誰が着るのかわからない古臭い洋服屋、へんてつもない食堂などが普通だった。 

だいたいスーパーや郊外型ショッピングセンターの台頭したのはもうずいぶん昔のことだから、いまさらこんなノスタルジーを言っても仕方がないのでは。昔ながらの駅間瀬商店街などといわずに、地域に根差した魅力的で利便性のある商店街をつくるために、外部との交流や大型店との提携などいろいろ工夫していけばいいのではないかな。 

 

▲15 ▼1 

 

 

=+=+=+=+= 

 

今は廃れてしまったけれど、かつて栄えていた「駅前商店街」に思い出があり、ノスタルジーな感情を抱く人はどのくらいの割合でいるのだろうか。 

そもそも最寄駅に行くのにバスで20分かかり、在来線に初めて乗ったのは中学の修学旅行で東京に行ったとき、次に乗ったのはセンター試験会場に向かう時です。というレベルの縁の無さなので、この手のニュースを見るたびに、置いてきぼりを食らったような消化不良の感情を抱く。 

 

▲6 ▼3 

 

=+=+=+=+= 

 

商店街も東京で賑わってるところもあって、そういうところは買い物も楽しいが、チラホラ歯抜けになってきた時点で終わりの始まり。商店街の努力も足らないとは思うがどうしようもない運命だった。 

大型店にEC、専業主婦の激減とか理由を挙げたらきりない時代の変化。 

立地が悪くないところは再開発して別の使い道もあると思うが… 

 

▲0 ▼0 

 

=+=+=+=+= 

 

残念ではあれど仕方ないな、という感想。この流れは止まらない。現在はむしろ東京にこそ昔ながらの商店街が生き残っているし、そうした商店には年配の店主が座っているだけという光景がよく見られる。都会の商店主は商売人ではなく単なる地主であり、稼ぐ必要がないただの片手間なのだから。 

 

地域のあり方は良しあしがあるとは言えど、誰もが、少なくとも多くの人が狭いコミュニティの中における干渉や相互監視、同調圧力の中で生きていくことを望んでいないし、衣類も飲食もその他多くのサービスや消耗品や趣味の品々も、競争に勝ち残ってきた大企業が練り上げたパッケージに敵いはしない。 

 

このライターもまた、ノスタルジーを記事に散りばめつつも、自分が実際に過去の生活に戻ることを望んではいないのだろう。社会の発展に伴う必然であり、地方が都会人の身勝手な郷愁に付き合う義理はない。 

 

▲14 ▼1 

 

=+=+=+=+= 

 

栄枯盛衰は世の常で、百貨店もローカル線も温泉街も 

ニーズが無くなれば寂れ、失われる。長崎の軍艦島も賑わった過去に思いを馳せ、廃墟を味わう場となった。 

 

現在経済活動が活発な場所は、そこが必要とされているからであって、必要性が無くなれば寂れる。商店街も生き残っているところは利用価値があるから残っている訳で、価値が無くなれば廃れるだろう。 

それは郊外のモールでも同じこと。 

 

画一的で、地域性がなく、面白みがないチェーン店であっても、お客さんが入っているなら、個人商店よりも魅力があるから利用されているのだろう。 

 

▲0 ▼0 

 

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駅なんてない発展途上国のローカルな場所に行って何年か住んでみないから、こういうトンチンカンな論調になるのです。 

問題はスモールビジネスが出来ない様に規制をかけた法律の問題です。交通の便の悪い地域の小さいスーパーもことごとく潰されてしまいました。 

売れ残った野菜や色の悪くなった果物を調理して売る事が出来ないから、廃棄が多くなる分、価格が高くなってしまい、客が来なくなります。調味料も小分けして売れませんし。 

サプリメントや医薬品も1日単位で売れません。 

更に少子化で子供がお使いに行く事もなくなりました。 

全てスモールビジネスが成立する為には必須なのです。 

 

▲4 ▼4 

 

=+=+=+=+= 

 

薄利多売により、安価で購入出来る郊外の大規模店で購入するため、 

薄利多売が出来ない駅前商街や地域の八百屋、魚屋、肉屋、雑貨屋、文房具店が淘汰された。しかし、個人商店街でも対象人口が多くて薄利多売が可能な人口密集地(東京、大阪の繁華街)の商店街は元気です。 

だから、各戸が駐車場を持ち、車を有する様なベッドタウン的な地域では、商店街は成り立たず、大規模店のみとなり、個人店ではコンビニのみとなるのは時代の流れだと思います。 

一方、人口密集度が高く、駐車場代が高く車を所有できない繁華街地域では、個人商店街が元気だという事だと思います。 

日本は、これから人口の減少が本格的に始まるのだから、 

没落した商店街の復活はありえなく、商店街が新たな形態(駐車場とタワマンなど)に生まれ変わるという様な方向だと思います。 

 

▲0 ▼0 

 

=+=+=+=+= 

 

ヨーロッパは、大型店舗の都市部への規制が強く、商店街はそこまで、シャッター街にはなっていない。但し、商店が汚いままにしているケースも見受けるし、家賃が高すぎのケースもある。私自身は、商店街でよく買い物するが。食べ物の良し悪し聞けるし。議員さんから、良い案ないか、聞かれた事もあります。地域問題が違うから難しいです。 

 

▲7 ▼4 

 

=+=+=+=+= 

 

大規模店舗規制法の緩和からはじまり、車で買い物できる大型店舗の登場。対面接客を嫌う若い人々、スーパーは万引きや犯罪を呼び、人々の交流もない。結局、スーパーも価格競争や立地競争に疲労、閉鎖があいつぐ、結局足のない老人などは不便を被り、バスにのって買い物に行かないといけない、大規模店舗緩和は、トイザらスの日本出店のためで、今やその姿もない、日本は貧しく選択肢のない買い物を強制される 

 

▲4 ▼8 

 

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駅前商店街が寂れたのは、高度経済成長からバブル景気の頃にかけてマイカーが普及したってことが流れとしてあるんでしょ 

それまでは電車かバスという二択だったけど、自動車の普及によって郊外型ショッピングモールが登場、代わりに駅前商店街から人が姿を消す 

18きっぷで全国を旅した際、シャッター街となった駅前商店街はよく見たし、地元名古屋も高級住宅街と呼ばれるエリアの駅前には商業施設がほとんどない 

 

▲0 ▼0 

 

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なぜ没落したのか 

それは地方の公共交通機関が貧弱だから 

地下鉄のように天候の影響をうけにくく定時運行かつ大量輸送でき、なおかつ本数が多いということが地方にはない 

政令指定都市ならともかく地方中核都市ではそれは望めない 

となると大量輸送できない、本数が少ない、定時運行無理、なおかつ運転手の態度がよくないバスだったりするわけでそれを乗り継いで目的地に行くのは時間的にも大きなロスになるから車が必要ということになる 

自動車メーカーは日本の大きな産業でもあるから国は地方の貧弱な公共交通の改善をする気がないんだと思います 

本来は高齢者社会、観光、子どもの移動問題などを考えると公共交通の改善に力を入れるべきなんですが 

 

▲2 ▼3 

 

 

 
 

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