( 262863 ) 2025/02/09 18:29:16 2 00 2人同意すれば黄泉の世界へ扉開く医師 年間1万5千件以上安楽死 裁量に偏りはないのか 安楽死「拡大の国」カナダ(2)産経新聞 2/9(日) 9:00 配信 https://news.yahoo.co.jp/articles/365da27ebaada45e315a9a9178a91d8552407419 |
( 262864 ) 2025/02/09 18:29:16 1 00 2016年にカナダで成立した「死への医療的援助法(MAiD)」に基づき、CAMAPという任意団体が設立され、約1600人の医療従事者や倫理学者が登録している。 | ( 262866 ) 2025/02/09 18:29:16 0 00 カナダで安楽死を認める「死への医療的援助法(MAiD)」が成立した2016年、任意団体「CAMAP(ケイマップ)(MAiD評価者および提供者協会)」が設立された。医療従事者やソーシャルワーカー、倫理学者ら約1600人が登録。法にのっとった安楽死を担保するため、さまざまな事例を検証、検討している。
「家族が実施を反対したこのケースでは、どうアプローチしたのか」
「この患者は、進行性の病気ではない。認めるべきか否か」
CAMAPでは毎月1回、オンラインでセミナーを開催。昨年12月3日のセミナーには約40人が参加し、実例などをもとに活発な議論を交わした。「CAMAPはいわば実務者の教育機関のような役割を担っている」。会長で医師のコーニャ・トラウトン(59)が説明する
医療機関の中には、患者の真意をくみ取るため福祉の専門家やカウンセラーらの専門チームを置くところもある。人柄、病気になる前の生活、なぜ死を望むのか-。家族も交えて深く見つめ、不同意も視野に最良の選択肢を探す。
「安楽死に同意するには、プロフェッショナルが最善を尽くしたと確信できることが必要だ」。専門チームを置く病院の医師、アンドレア・フロリックは、同意の前提として、真意に寄り添うことの重要性を強調する。
■法改正で「死期が予見できる」要件を撤廃
カナダの安楽死は、21年の法改正で余命宣告の要件が撤廃されたが、適用対象はあくまで「重篤で回復の見込みがなく、耐え難い苦痛がある」患者に限られる。安楽死は医療行為の一環であり、自殺の手段であってはならない。
実施の可否は、患者が主治医に意志を示し、主治医と第三者の医師が同意して初めて認められる2段構えの仕組みだ。ただ、最終的には医療従事者の裁量のみに委ねる制度ともいえ、実質上、医師の解釈が対象を広げたケースもある。
例えば認知症患者に対する判断。法制定当初、認知症は意志確認が困難で安楽死の対象にはならないとの見方が支配的だったが、17年、70代女性に対する事例では、主治医との長年の信頼関係で女性の意志は明確だと判定され、安楽死を実施。調査した州医師会も法律違反には当たらないとした。以降、カナダでは認知症を患う人も安楽死の適用対象となっている。
トラウトンは、認知症患者に対しては数週間かけて何度も面談を重ね、可否を判断するようにしている。「安楽死は個々の事例で慎重、適切に判断されている。医師の裁量が大きすぎるとは思わない」と話す。
■年間30件以上実施の医師も
カナダ保健省の年次報告書によると、同国では23年、1万9660件の安楽死申請に対し、実施されたのは1万5343件。申請全体の22%は行われなかったが、そのほとんどは「実施前に死亡」「取り下げ」が理由で、要件を満たしていないと医師が却下したのは915件、4・7%にとどまる。
一方、報告書は、同年安楽死を行った医師ら2200人のうち、89人(4%)が年間31件以上実施したと指摘。「安楽死は一部の医療従事者の専門分野になりつつある」と偏りに懸念を示している。
国民の要請に応じて、適用数や範囲が拡大してきたカナダの安楽死。メモリアル大教授の生命倫理学者、ダリル・プルマン(70)は、終末期患者に対する安楽死に賛成の立場だが、制度の立て付けには疑問を呈する。
「州によって公的な審査の手だてがないところもあり、安楽死の要件が、一部の医師によって自由に解釈されてしまう恐れがある。全ての州に独立した審査機関が必要ではないか」=敬称略(小川恵理子 池田祥子)
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( 262867 ) 2025/02/09 18:29:16 0 00 =+=+=+=+=
安楽死を日本でも認めてほしい。自分がガンになって、痛みに耐えながら死を待つくらいなら、自分で死を選択したい。無駄な医療費も減って次世代の子供達に負担をかけずに済むし。国だって年金削減出来て良いと思う。
▲18275 ▼572
=+=+=+=+=
安楽死は認めるべきだと思います。 現実問題としても高齢化率が3割近くになっており、将来的には4割程度まで上昇する事が認められています。ただ、政府推計の出生率は毎回低位推計近くになっているため、想定よりも早く高齢化率が4割以上になる可能性が高い。 高齢者の介護等は金銭的にも人員的にも不可能になる可能性が高く、命が大切とのキレイ事ではダメです。このままだと現役世代が介護離職するしか無く、現役世帯と高齢世帯と共倒れにならないように今から制度設計をするべきでしょう。
▲16338 ▼1535
=+=+=+=+=
動物の話で恐縮ですが、特にアメリカではペットの犬が癌など不治の病に被患した時、苦しみから解放してあげる為に飼い主が犬の安楽死を選ぶケースが多いように思う。ただ、犬は死期が迫るとその準備に入り、自分で旅立ちのタイミングを決めている気がする。それを看取るのが主流の日本において、個人の意志に基づく尊厳死は認めても個人の安楽死の意志を第三者が検討して判断するのには賛同出来ないんじゃないかな。
▲11 ▼0
=+=+=+=+=
カナダは自分たちでルールを決めて、しっかり議論しているのが羨ましいね。安楽死のような難しい問題でも、医療や福祉の専門家が関わって慎重に判断する仕組みが整ってるのは、日本も見習うべきだと思う。日本はこういう議論がなかなか進まなくて、結局先送りになることが多いからね。どんな問題でも、社会全体で考えて最適な制度を作る姿勢は大事だよね。
▲8880 ▼165
=+=+=+=+=
生まれたてときから小さい障害を抱えて生きてるんだけど、これが加齢で悪化したら通常の生活は送れない 人に迷惑をかるだけで誰の役にも立たずに生き続けるくらいなら安楽死を選びたい 家族になるべく負荷をかけず、死後の片付けも全部自分でできるなんて幸せだと思う
▲6175 ▼155
=+=+=+=+=
この条件なら日本でも認めてくれないかなと思う。回復の見込みがなく耐え難い苦痛があり、本人も望んでるんですよね。私なら、そんな状況になったらやりたいことを全部やって、苦しみ続ける前に楽にして欲しい。日本ではどこかタブーのような風潮があるけど、認めるにしても認めないにしても、もっと議論があってもいいと思う。
▲5562 ▼78
=+=+=+=+=
父がガンになり、抗がん剤をしても効かなくて痛い痛いと苦しんでどんどん痩せ細り、亡くなっていく姿を見るのは非常に辛かった。 もし私もガンになったら家族に精神的、金銭的にも迷惑をかけたくないし苦しんでる姿も見せたくないし見られたくない。 もう回復の見込みがなくなったら会話できるうちに安楽死を選択させてほしい。
▲5205 ▼77
=+=+=+=+=
私の母も庭先で草むしり中に転んでから歩けなくなって寝たきり状態になり、軽い認知症を発症し、施設に入ってからは大腸癌等々様々な病気が出て来てからは、いつも死にたいと言っていました。 常に体中が痛いと言って、そのうち足の指から壊死が始まり切断しなければならなくなると言われ、数カ月間苦しんで亡くなりました。 その時からある程度の状態になったら安楽死を認めても良いと考えるようになりました。 日本もそろそろ議論に入っても良いのかと思います。
▲4550 ▼58
=+=+=+=+=
高齢者です。昨日2回目の手術から退院しました。2回の手術で約500万円かかったようですが、高額療養費制度のおかげでそれほど出費はかかりませんでした。
これがもし自費だったとして、安楽死も選べる制度があったとしたら、安楽死を選んでいたかもしれません。
生きたい人や死ぬわけにいかない人を助けるために社会保障費が十分に使えるように、ある程度人生を生き切って満足している人には安楽死を選択できる制度が必要だと思います。
▲2188 ▼76
=+=+=+=+=
いかに客観的に判断できる仕組みを作るかが課題ですが、安楽死制度自体は絶対に必要だと思います。 寝たきり延命治療は日本ではまだ保険適用されますが、いつまでもこんなことしていたら保険制度自体持続できるわけがない。また親族への経済的負担も大きいし、患者本人もそれを望まないでしょう。 痴呆の場合も、家族に肉体的金銭的負担をかけるだけでなく、詐欺師のターゲットになりやすい。
交通事故の時の臓器提供意思カードのように、本人が健康なうちに意思を明らかにしておく仕組みが必要だと思う。
▲2972 ▼92
=+=+=+=+=
自らの最期を自らの意志で決断する。とても人権を尊重する制度だと思います。残される側の意見も・・・なんて聞こえはいいけど、病の苦しみや痛み、死への不安や恐怖、それらと向き合うのは本人なんだし、本人の意志と決断を何より尊重する社会になっていってほしい。
▲2685 ▼65
=+=+=+=+=
回復の見込みがなく、本人も辛いだけの日々なら、安楽死を認める方がいい 馬だって脚を骨折したら安楽死させてあげるのに、人間は最後まで痛みと苦しみに耐えながら過ごす日々に意味はない気がします 本人も早く楽になれるし、その分の医療費の節約にもなります はじめは、ごく限られた少数の人から認めていって、安楽死も仕方ないよねと思える人から認めていって、人々の抵抗感が薄らいだら、だんだん拡張して行ってほしい
▲2369 ▼78
=+=+=+=+=
最近終末期の医療や精神状態についてリアルな情報がオープンになり、終末のあり方や尊厳死について色々な考えや主張が出来るようになってきた。 その延長線上に安楽死が手段の一つとして出て来るのだろうが、この記事からは何となく商業主義に走る危険性が読み取れる。 これは終末医療の苦痛の耐えがたさや看取りの尊厳といったことを本人が冷静に判断しての選択肢だ。高齢者の不安定な精神状態を考慮しケアも出来るような総合的な施術であって欲しい。
▲894 ▼53
=+=+=+=+=
脳梗塞で寝たきりになり、栄養もチューブで流し込まれるだけになった母を見舞いに行ってきました。もう私が誰かもわからなくなっているようなのに、他に致命症となる疾病もなくただ生きているだけ。最近は自分はどのように逝くべきか、よく考えるようになりました。自分は大丈夫とか、他とは違うと思っているのは自分だけ。他界した父もそうでしたが、現実から目を背けていると、その時がある日突然やって来ます。自分の意思で尊厳死を選ぶことも重要な選択肢のひとつだと思います。本人の意思よりも倫理が先行することはあってはならないことだと思います。
▲608 ▼22
=+=+=+=+=
とてもいいことだと思う。 自分の命は自分だけのものだから、死に場所は自分で決めたいよね。 個人的には、医師だけでなく弁護士とか行政の担当者とかの意志確認や支援もあったほうが良い気がする。 遺産の配分とか埋葬とか、そういうことも準備しておかないとね。
▲1886 ▼84
=+=+=+=+=
寝たきり老人にかかる医療費、介護費が年500万くらい。今働いても年収500万ない人もいるのに、寝たきりにそこまで費用がかかるから社会保障費にめちゃくちゃ持っていかれる。完全に寝たきりで飲めない食べれないとなれば、延命治療になる胃瘻や点滴は全額自己負担にすればいいのにと思う。家族は年金欲しさに延命治療を望む人も多いけど、家族が支払うのは高額療養費の上限までだから金額はしれてる。後は税金。選択的安楽死、尊厳死制度は絶対に必要なのに取り入れないなら、せめて80歳以上の寝たきりの延命治療は全額自己負担にするとかしないと、どんどん医療費は増える。あと、外国人への医療を完全に止めるようにしないと破綻する。
▲1663 ▼103
=+=+=+=+=
私は自分が痛みや苦しみに弱いし、それを耐える心の強さがないことを自覚しています。 闘病して良くなる可能性がない時、「安楽死」が選択肢にあるだけで心が落ち着いて過ごせるように思います。それを決定する医師の責任を過剰にするのではなく、あくまで本人が判断能力のあるうちに臓器移植と同様、意思表示を示すシステムをお願いしたいです。
▲264 ▼2
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生きる権利があるのであれば死ぬ権利もあると思う ただ、自殺や殺人に利用されないよう細心の注意が必要ではあるだろう 私は60代だが、母が認知症で昨年亡くなった 最後の半年間は母の人間としての尊厳が傷ついてしまったと感じる。あれだけ苦労して私たちを育ててくれた母があんな状態で死んでほしくなかった。認知症が酷くなると家族に多大な迷惑をかけてしまう 自分がそうなった場合は安楽死を行ってもらいたい そうすれば安心して老後を過ごせる気がする
▲673 ▼16
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安楽死賛成です。旦那の祖母は97歳で身体中に痛みがあり、もう十分生きた、と安楽死を選びました。最後に電話で話しましたが、家族みんなにもお別れを言えて幸せそうでした。数人の家族が立ち会いましたが、とても美しかったそうです。日本にも早く安楽死の選択が出来ると良いですね。
▲894 ▼28
=+=+=+=+=
日本でも安楽死を制度として認めるべきだと思います。 特に完治の見込みのない患者、認知症になった患者にとっては本人、家族共に幸せになれる唯一の手段ですよ。 記事にもあるように認知症になり、正常な判断ができなくなった患者に対して、どの時点で安楽死を望むのか確認が難しいケースもありますが、親の介護の為に離職したり、介護疲れの末に虐待や殺害など悲惨なケースも後を絶ちません・・・ 私の母親も認知症で要介護3、現在は特養への入所待ちですが、自宅での介護には限界がありました。 また、認知症も悪化の一途ともなれば、親が壊れていく様を死ぬまで見続けなければなりませんし、当然のように言動の壊れ具合も酷くなっていきます。 団塊の世代が後期高齢者になり、団塊Jr世代が50代に突入した日本、団塊Jr世代から下の世代に負の遺産を残さない為にも、尊厳死より一歩進めて安楽死を制度として認めるべき時期に来ていると思います。
▲674 ▼27
=+=+=+=+=
究極な問題ですが、高額医療費を払えないから苦痛、恐怖も無く眠るように「安楽死」させてほしいと願う人はいると思います。 若い世代の治療を最優先させて60歳を過ぎたら「安楽死」の選択が可能になれば、医療費・介護費・年金の 財源も少子化時代に即した制度になると思います。 高齢者が誰でも金融資産を持っているわけではありません。退職金200万円の私は長く生きようとは思いません 不治の病、寝たきりの状態になったら自分で死期を 決められることを希望します。
▲401 ▼12
=+=+=+=+=
祖父が亡くなる時、既に意識がなく、亡くなると宣告を受けて家族が病院に集まっても臓器が元気で死ぬことができず、最期は肺が窒息するか、心停止するのを自然に待つという状態でした。
そこからが長く、1ヶ月以上、祖父は最期肺の窒息で亡くなりましたが、交代で看取ろうと泊まってていた娘たちが息ができずもがき苦しむ姿を見ることとなり、深い後悔が家族に残りました。
自然死は楽ではありません。
脳梗塞や心臓発作が起きなければ私たちの誰もがもがいて死を迎えなければならず、楽に死ねる方法がある昨今に死ぬ選択だけがないのは辛すぎます。
せめて議論だけでも始めるべきです。
▲355 ▼5
=+=+=+=+=
私自身も、難病の疾患があり、心房細動でもあるので、突然 息苦しくなったり、大量の鼻血が出たり。こんな状況で仕事もできないし、お金もない。障害手当や生活保護も適用されない状況で生活するのは難しい。もう少しで還暦。悲しむ親も亡くなったので、もう逝ってしまった方が楽です。京都の医師が安楽死させて逮捕されたけど、日本も許可して欲しい。海外は、手続きが大変みたいなので、簡単な手続きで日本国内で逝かせて欲しい。毎日、泣いて暮らすよりも、楽になりたい。
▲298 ▼8
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父親が大腸がんで闘病し、他界するまでそばでずっと見ていた経験から、安楽死が認められる事を強く希望しています。 耐え難い苦痛があって体が動かなくてもまだ心臓が強く、死ぬ事が出来ない姿を見るのは本当に辛かったです。 まだ10年程前の事です。
今は痛みはコントロール出来る、という人もいますが、主治医もその意見でしたが、やはり痛い、辛いと訴えておりました。 しかし主治医は、充分な痛み止めを処方しているので、痛みはコントロール出来ている、それでも痛いと感じるのは精神的なものだという姿勢を曲げませんでした。 現状の日本では、その苦しみから寿命が来るまで解放してもらえない事に恐怖心を感じます。
少なくとも末期がんなどの終末期には安楽死制度適用して欲しいと強く願います。 緩和ケアでコントロール出来る、大丈夫という意見には絶望すら感じます。 そんな生易しいものではなかったからです。
▲224 ▼1
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高齢者は当然ですが、小児の重身患者に対する医療のあり方も考えてほしい。10年以上寝たきりで呼吸器依存、意思疎通もできない重身患者の医療は議論することすら許されない。やまゆり園の事件は議論するいいきっかけになるべきだったのに事件そのものがまるでなかったかのように抹殺された。 高齢者の安楽死が議論されるなら一緒に小児の重身患者のことも是非議論してほしい。
▲254 ▼17
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父は終末期医療のお世話になりました。老人ホームは最後を看取ってくれるとうたっていても、実際は容体の悪い人は病院へ、そしてその後は元の場所へは戻れず終末期の専門病院へ行きます。そこには人工呼吸器をつけた人やタンなどの吸引を必要とする人だらけです。本人も家族ももう疲れ切っている中、栄養を辞める決断などをしてゆきます。安楽死があれば、あの病院にいる全ての患者は望むと思います。 ガンや難病の患者だけでなく、終末期の患者にも必要だと思います。 昔は死んでいた心筋梗塞や脳卒中を現代医療でほとんど助けているから起きている高齢化社会でもあると思います。助けて欲しい、安楽死もさせて欲しい、は矛盾するようですが、現代には必要なのだと思います。
▲207 ▼7
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自分ごとで考えるべきだと思います。もし私なら、助かる見込みもなく、耐えがたい痛みで、治療法もないなら安楽死を選びたいと思います。ただ問題は家族の心情と、医師の負担です。医師は人の命を救うのが達成感、喜びでしょうから、その真逆のことをするのは辛いと思います。国民皆で、議論した上で法整備が必要な時期に来ていると思います。
▲198 ▼4
=+=+=+=+=
安楽死までいかなくても、自然死を望む人は多いと思います。 特に高齢期で死期が近づいて意識もない人へ栄養点滴、胃瘻、心臓マッサージ、人工心肺装置などで行う終末期医療は辞めてほしいと思っている人が多いと思います。 痰が絡まって定期的に痰吸引をするのも点滴による水分過多から来るそうで、意識がないのに痰吸引の時は苦しげな表情をするのが見ている方もつらいです。 欧米では、食べ物を摂取できなくなったら無理に食べさせることを辞め、自然に息を引き取るのが主流で、長期間の寝たきり老人はほとんどいないそうです。 できれば、終末期はこういう形で自宅で看取りたいと思う方も多いのではないでしょうか?
▲167 ▼4
=+=+=+=+=
安楽死はあるべきだと思います。 回復の見込みがない病気ならなおさらです。生きていても苦痛があるだけ。 日本に関しては経済的な理由でも安楽死を許可しても良い気がします。 格差の固定が凄まじい。一度底辺に落ちてしまうと浮上するのがほぼ不可能です。これも回復の見込みがないと言えるでしょう。 就職氷河期の問題もある。この問題は現時点でもう手遅れでしょう。 助けてあげることが出来ない。
本人が望めば最期の手段としての安楽死がある。 苦しんで生きる人にとって大きな救いになると思います。
▲169 ▼14
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米国留学中に安楽死、尊厳死についてそれぞれのテーマのディベート大会に参加したことを思い出します。自分のディベート前の賛否に関わらず、賛成と反対サイドのチームに分けられ、1週間学習、理論武装した後にディベート大会があります。ディベートを通じて賛成が反対意見に変わったり、その逆もあったりと本当に難しいテーマだと認識しました。安易に反対、賛成と言わず、色々な立場や状況を想定する必要があると思います。 安楽死を認めると、本当は本人は安楽死を選択したくなくても、家族のために、家族のプレッシャーで安楽死を選択する場面も想定されます。臓器提供のように、健康な時に判断しておくのか、本人の意思を最大尊重できる制度とセットで検討して欲しいと思います。
▲163 ▼8
=+=+=+=+=
認知症の母が、私の名前すら出てこないのに安楽死をさせてと頼んできます。認知症になって、時間も日付、居場所も、子供の名前もわからなくなっても、自分の最後をずっと考えているようでとても辛いです。 本当に安楽死ができるとして、母が希望しているから、じゃします!とはならないと思うが、選択できる世の中であってもいいのかもと思います。 生きていることに楽しみがなく、もし苦痛でしかないなら、終わりの自由もあった方がいいと思います。
▲203 ▼10
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安楽死や尊厳死の法整備を日本でも行うべきだろう。
家族間で介護や生活の面倒を見る負担や 経済的な負担を減らす部分もある。 家族だからこそ迷惑をかけたくない、という気持ちも理解できる。
また国単位で見ても 医療や介護費など福祉予算の増大を抑えて 若者世帯全体への負担軽減にもなる。
その一方でうつ病などの自殺志願は 尊厳死などの対象から除外するなど 医療の見地からの自殺幇助の回避を議論し 尊厳死を保険金目当てなどの犯罪行為に利用されないための 刑法からの議論も必要。
しかし、老人を生かしつづけ 莫大な医療や福祉で国家を傾かせて良いわけでもなく 安楽死や尊厳死の法制化は日本こそ議論を繰り返して 早急に決定すべきだろう。
カナダが先進国ならば 学んで日本に取り入れる部分は必ず有るはずであり カナダの否定にはならないはずだ。
▲242 ▼19
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生きる権利があるように、死ぬ権利だってあっていいと思う。極端な話し、ガンや難病でない方でも、希望すれば医療の力によって命を終わらすことができてもいいのでは。自由で稼いだお金と同じように、1人1つずつ与えられた自分の命なのだから、どう使おうとその人の自由だと思う。そうすれば連日のように起こる痛ましい自殺は減るだろうし、誰かを傷つけるより、もう自分が人生終えようと他殺事件も減るかもしれない。健康な臓器は必要とされている方に使われたら死を選んだ方も誰かの役に立てる。
心配されそうで実際は口にしたことはないけど、この考え…おかしいかなぁ。
▲275 ▼27
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私の母も数年間、寝たきりの状態で昨年亡くなりましたが、元気な高齢者であれば人生も楽しいと思いますが、自分で何もできない状態で長生きするのは本人にとっても苦である場合がある。しかもその間も医療費はかかり、介護も負担しなければならない。税金を使って長生きすることは本当に正解なのか、そろそろ日本も安楽死を含めて議論は必要だと思う。
▲122 ▼5
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これは驚きの数ですね。こんなに多いとはびっくりしました。以前テレビで観たのは、スイスに渡って安楽死を選択した不治の病の日本人女性お二人でした。とても内容が重く、観た後に考えさせられる事ばかりでした。お一人は娘さんがいらっしゃる方で、もうお一方は独り身で家族のない方でした。人1人がこの世から居なくなる事の なんとも言えないもの悲しさとそれを選択するまでの葛藤、実際に死ぬためにスイスに渡ることなど 数え上げたら「ここで引き返そう」という迷いのタイミングがいくつもあったと思います。しかし実行したという事に、それだけ彼女たちには、生きていくのに耐え難い地獄の苦しみがあったのだと感じました。
▲162 ▼4
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人間と動物を一緒にしてはいけないと思いますが、自分の愛犬が病気で痙攣を引き起こし死んでしまう手前までいって病院に駆け込みなんとか一命を取り止めたものの、このままでは時間の問題だと獣医に言われ、何回も発作を抑える注射をしていてこのまま苦しむのなら安楽死させたほうがいいと、安楽死しました。 自分の抱いた手の中でスーッと息を引き取りました。しばらく立ち直れませんでした。 これでよかったのか、その後もまだ生きれたのかもしれないとずっと葛藤していました。 でも苦しみながら生きたいと思うのでしょうか。自分はそんな状況だと早く死んでしまいたいと思う。 安楽死で苦しみもなく死ねるなら、それも必要だと思います。
▲21 ▼1
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知り合いのがん患者の最期を見ても、ベットにつながれた患者の終わることのない地獄の苦しみの中で、患者と近親者の誤った生への執着につけこみ、さらに「不要な」医療処理をだらだら続けられ、医療機関が儲けるため患者を犠牲に無用に苦しめているとしか思えなかった。安易に死を選ぶことにはもちろん反対だが、まず第一に患者自身の意思を尊重してほしいものだ。
▲48 ▼0
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人間みな死にたくないのは当たり前。 自分がなに不自由なく幸せで、永遠に生きていきたいと願っているのは人間の願いである。 しかし、生きている中で、必ず辛いことがあり、耐え難く、生きる希望を失うこともある。そこで、自ら選択し、自らの生を終わらせる選択肢は、いわゆる自殺となんら変わらないが、その幇助を受けるわけだから、法律面では難しい局面を必ず迎える。私たち人間がどう生きるか、社会からどう離脱するか、選択肢を広げることは大切な面もある。
▲54 ▼12
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安楽死は法体制の整備は必要ですが、日本でも今後認めた方が良いと思います。 誰かが書いていますが、日本の高齢化率は今後も当面は上昇していく傾向で出生率は低いまま。
実際に田舎だと現状でもほぼほぼ老々介護の状況ですし、寝たきりのパートナーがいてもお金がかかるからという理由で自宅でみている方も多いですし、難病や癌の末期で日々の生活の苦痛から解放されたいという想いがあっても、それでも大切な命だし鎮静薬や鎮痛薬、それに付随する医療費を過剰に使用してまで大事にしてくださいなんて、健常者の押し付けでしかない気もします。
国は医療費を抑制もしたい意図があるので、もし安楽死という方法論が認められればそれを希望する患者本人、国、医療従事者みんな色々と軽減できることが多い気がしてます。
▲108 ▼11
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安易な選択はいけませんが本人の意思を尊重して欲しいと思います。責任逃れなど逃げの為に選択しようとする人もいれば病気や老人の孤独死など先行きの不安など色々理由はあると思います。悲観的な事だけではなく人生やり切ったと言える人もいるかもしれません。前向きな議論を望みます。
▲56 ▼0
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選択の一つとして認めるべきだろう。 患者の家族も初めのうちは甲斐甲斐しく面倒を見てくれたり面会に来てくれたりするが、だんだんと介護や金銭面、時間的負担などで苦痛に変わってくるのが多い。自分が家族の生活の支障にもなって、それを感じてしまう患者本人も辛いでしょう。そして自分が亡くなった後にも負債として生きていく家族に残ってしまうのも耐えがたいものです。 お互いに家族と思っていられる内にも必要だとは思う。金銭的にも裕福な部類の一部の方が道徳を持ち出し綺麗事を言いますが、患者本人の尊厳を守ってあげてほしい。
▲14 ▼2
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例えば寝たきりだとか、毎日激痛があるとか、そういう場合、安楽死を選べても良いと思う。 もし、医療がすすんでいなければ、生かされていなかったというなら、安楽死もしかたないのでは。 精神的につらくて自死するのとは、別に考えていいと思う。 絶対に治らない病気、回復しない状態で、点滴や胃瘻で行き続ける。一生眠ったまま。 家族は生きてほしいというのは、家族のわがままなのか、優しさなのか難しいとは思う。 ただ、患者本人の意思が伝えられるならありだと思います
▲152 ▼9
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安楽死も個人の決定権のひとつとして成立すべきと考えています。 生きるのに助けられることがあるならそれを積極的にすべきですが個人の痛みも悩みも環境も人それぞれ。「この程度のことは耐えるべき」「なにがあっても生きるべき」など簡単に強制すべきではありません。
病気で安楽死を希望するような体調症状の時は 余命宣告されていたり痛みや医療行為で冷静正確な意思決定ができないこともあるでしょう。当事者しか議論できないとすると 前述の問題以外にも 議論を尽くす前に意思表明できなくなってしまったり体力生命が限られるケースもあるでしょう。 当事者も健常もいまのうちに冷静に議論すべきであり議論しないほうに誘導するのは偏見に満ちた行為だと思っています。論理的な説得力ある主張ができるなら 議論できるはずです。
▲4 ▼5
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難しい問題ですね。 看取りケアも前もっていくら希望して準備していても、いざその時になると「まだなんとかなるのでは」と考えて救急搬送を望む方や御家族もいます。 延命を希望しないのと違って、自ら最後を望むというのも自殺とどう違うのか?という問題もありますね。 環境や治療に変化があった時に考えが変わる場合もあるでしょうし、誰が見ても限界だと断ずるのは本当に難しいと思います。
▲50 ▼21
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現役介護福祉士です。数カ所の介護施設(有料老人ホーム・社会福祉法人老人ホーム・デイサービス・グループホーム等)を経験しています。どの施設も定員の2割弱くらいは自己摂取が出来ない利用者です。無理矢理に食べてもらっています。中には胃瘻とか・中心静脈注射とかありますから活きないけど逝く事も出来ないのです。2割弱の人数分が有ればより多くの待って居る方々が入所できますね。高額な医療費も浮くかもしれません。 自己摂取が出来ないようになったら自然な死を受け入れる事も必要と思います
▲16 ▼2
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高齢者や障害の方が何故不安になるの?強制じゃないです。自分で自分の最後を選ぶ。シンプルにそれだけです。重度精神疾患、末期、難病、原因不明の病気、とことん向き合って最後はどうしたいか、の選択です。誰かに強要される訳ではない。みんな自分の命との向き合い方の選択の一つ。医療は治すだけでなく痛みを無くしてあげる事も医療だと思います。ただ痛み止めだけでベッドに長く寝た切り意識朦朧の日々を過ごすならば私は動ける内に思いっきり人生生きてすっきりしたい。痛みに苦しんだり、寝たきりで意識朦朧としたりは私が!嫌なんです。反対の人はその選択をしなければいいし自分で決めればいい。
▲4 ▼3
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一昨年ですが、義母をパーキンソン病に伴う心不全で亡くしました。7年もの闘病の間、3年以上もの義父の献身的な介護、最後は緩和ケア病院に1ヶ月ほど入院していました。その時私は学生の頃「尊厳死」について学んだ頃と終末期医療を取り巻く状況や、リビングウィルについて何も進歩していないのだなと感じました。 亡くなった後、義父や主人と、何も話せなくなった義母はほぼ寝たきりになって、胃瘻になったことについてどう感じていたのか等、本当にこれが良かったのかなど取り留めなく話していました。 簡単に答えが出ませんが、生前に自分の命の終わり方について考える機会を持ち、終わられ方を決めることができていたら、もっとより良い闘病生活が送れたのでは?と感じました。
▲7 ▼1
=+=+=+=+=
平均寿命が伸びて来ている今、「生かされている」人も多いと思う。自分の母親は認知症で何もできない状況で亡くなり、父親はがんで苦しみながら亡くなりました。なので日本でも安楽死を認めても良いのではないかと思います。 私は苦しんで死ぬのは嫌ですし、もう自分の寿命がわかっている状況であれば自分に最後を選ばせて欲しいと思っています。
▲11 ▼1
=+=+=+=+=
私は何かを決める時、様々な角度から見たメリットとデメリットを洗い出し、小さなメリットがあってもデメリットが大きければ見送るようにしています。 それぞれの人が異なった事情を抱え、異なった価値観を持って生きています。ルールで厳格に縛るより多様な見方、考え方を提示して本人の意思を重視して数人で決定するのがいいのかと思います。
▲25 ▼10
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安楽死は、必要な措置となるケースもあると感じます。 病気の治療も、QOLの向上が前提であり、寛解が望める治療法もあれば、進行抑制しか現状できない治療法もあります。
また、最近では、医療経済の観点も議論されるようになってきました。
日本は、皆保険で、さらに高額医療制度が設けられており、諸外国に比べると非常に恵まれた環境にあります。
それらを考えると、生きていることにおいて、次に何ができるのか? さらに得られる喜びを苦悩を比較するタイミングが生まれるときに、死を選ぶことが、医療の観点からも妥当と思われるときには、その選択をすることも、整備されることは大切だと感じます。
▲6 ▼2
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医療や文明の発達で昔なら生きられなかった障害や病気でも生きることができるようになった でも人間は社会性の生き物だから、生きていても社会に参加できていない疎外感は死ぬことと同義と感じる人も多いだろう 今までなら死んでた人がこの制度を使ってるだけ そう深く考えるほどのことでもないと思うけどね そりゃみんなが幸福に生きられたらそれがベストよ
▲9 ▼1
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安楽死は基本的に賛成です。もちろん、安楽死を選択する為のガイドラインは明確にしないとダメだとは思う。当然、最大のポイントは本人の意思。次に家族の同意だろう。ただ完治不能の病気でもまだ意識があるなら本人の考えが聞けるが事故や事件だと難しい部分もある。個人的な考えだけど、例えばドナー登録と同じようにしっかりとしたガイドラインに乗っ取り、そのラインに入ったら安楽死を希望するなどの意思表示が出来るシステムを作ったらどうだろうか?もちろん破棄も可能にして。私もこれから高齢者の仲間入りをするが、治る見込みも無く苦しみや痛みと闘い、更には家族の時間やお金を費やして生きている人にダメージを与えてまで生きていたくない。
▲5 ▼3
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高齢で病気になって、回復する見込みが無いのなら、安楽死を認めるのが個人からも社会的にも良いのだと思います。 両親は90歳を過ぎて亡くなりましたが、一人は肺炎で脳死状態で人工呼吸器に繋がれて、時々呼吸が出来なくなって緊急の吸引が続きました。それが数か月続きました。 一人は脳梗塞で倒れ、言葉がわかるのかどうかもわからない状態で、数か月生きました。 二人とも高度な医療が無ければすぐ亡くなったと思うし、こんな状態では生きていると言えるのか?と迷ったものです。 安楽死も当然選択できるようにして欲しいけども、その前に、どこまで医療技術を駆使するのかを議論すべきではないかと思います。 平均寿命も過ぎて、高齢により体力が無くなってかかった病気をどこまで治療するのか? 私は家族と見込みの無い治療はしないで欲しいと話しているけども、判断が難しい事はわかります。
▲6 ▼0
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寝た切り、胃瘻、重度障害者、進行性の難病等で苦しんでいる人達は多い。安楽死尊厳死が最後の希望になるかも知れない。現実的には医療費や介護の労力も問題で本人だけではない。
最後の最後は安楽死尊厳死があると制度化すべき。そうすることで本人家族にも罪悪感や倫理的な負担もけ威厳されるはずだ。フジテレビ問題とかアホな問題ばかり取り上げす、タブー化せずに話す時だと思うよ
▲360 ▼17
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一つは年齢。 80歳以上、日本人なら平均寿命以上で病気で苦しんでいるならそこは考えものだと思う。寿命を超えてる場合、医学の力で1日でも長く行きたい人は生かせてあげたいし、痛みや苦痛で限界を感じてる人には検討してもいいと思う。 もう一つは難病。 呼吸ができなくなる、動けなくなる、本人にしか分からない苦痛。 私自身が片目を網膜剥離になり失明ならずに手術で視力回復したからよかったけどあの恐怖を知っているから。。。今、病でもう限界になっしてる人の気持ちを理解してあげて個別に相談乗ってあげてほしいと思う。 もちろん、難病だろうが、痛みがあろうが、一秒でも長く生きたい人の気持ちに答えるのも当然。
▲27 ▼5
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安楽死は認めるべきだと思っています。以前、身体が動かなくなる病気の女性がスイスまで行って安楽死をしたドキュメンタリーを見ました。本当に亡くなるところまでカメラで追っていて、結構衝撃を受けた番組でした。ただ本当に安楽死という名の通りに穏やかな最期で、苦しんでいる人なら、こういう救われ方はあっても良いと感じました。特に年老いて体力が無い人以上に、若い人が死ぬのは壮絶な苦しみを伴うと思います。納得して自分の死を選べるのも医療の1つなのでは‥と思います。
▲12 ▼3
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まずは指定難病や悪性腫瘍については、成人で自身の意思が示せる状況なら認可してもいいと思います。在宅安楽死はダメで、あくまで入院し、医師の判断の元で。みたいな感じで。
長年在宅医療に関わっていますが、本人はもちろん辛く、家族も本当に辛い。お金の問題もあるし、サービス事業者を探すのも年々大変になってくる。
けど私が難病になったら、、、子供のために限界まで生きます。生きることも死ぬことも選択できる世の中だといいですね。
▲16 ▼2
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私の母は大腸癌で亡くなりましたが、亡くなるまでの2ヶ月程は痛みと酷い倦怠感でなんのために生かされているのだろうと、側で見ていることしかできず、あの頃の記憶が未だに後悔として残ります。 もう死ぬことを待つしかできない状態であるとき、苦しみや痛みから1秒でも解放してあげたいと思います。 安易な死ではなく…痛み、苦しみから死を持って解放される方には安楽死という選択があればいいのに、と思います。
▲39 ▼0
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手術を経験した人ならご存知だと思うが術前に術中万一脳死状態になった場合延命治療を望むか望まないかは必ず書きますね、本人に意識がない場合家族にそれは託されますが患者や家族にとっては「失敗前提か」 「最善の治療をする気が無いのか」とよくトラブルになるそうです。経験豊富な医師は「治療に最善を尽くすのは当たり前であり予期出来ない万一の事態になった場合に脳死状態の延命治療は本人にもご家族にも大きな負担となる場合が多いのです、しかも途中でやっぱり止めますは聞き入れる事が出来ないのですよ」と諭すのです。 日本にも安楽死をと言う意見に対してこれ以上現場の医師に負担を求めるのですかと言うのが正直なところです。医師は介錯人では無い、この問題はまず倫理醸成を盤石にして専門医を医大から造るレベルで進められるべきだと思います。
▲10 ▼2
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自分の意思で安楽死を選ぶ事は悪くはないと思います。病気の苦しみから逃れたいと思う気持ちもわかります。病気だけではなく、高齢になりなり、自分の事が自分で出来なくなった時に生きている意味があるんだろうか?と思う時が必ずくると思います。人に世話をしてもらい、迷惑をかけながら生きないといけなくなった時、楽しみも無くなり、ただ生きてる状態なら安楽死もありかなあと思いますね。
▲9 ▼4
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自分は安楽死を望みます。 インスタやショート動画等で、末期がんや難病で余命幾ばくもない方の映像に時々触れることがあります。黄疸が出て目が黄色になり、腹水で腹がパンパンになり、関節が出っ張るくらい痩せ細り、呼吸も浅く……。 殆どの人が祖父母以外で人間の終末期を目にする機会はほとんどないと思いますが、皆、この現実を知るべきだと思います。 私はせめて死ぬ時は、自分の意思で終える権利が欲しい。
▲12 ▼0
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安楽死、いろいろ考えさせられることですが、私は賛成です。 一昨年叔母が病に倒れステージ4の乳がんだとわかり年齢的に手術も抗がん剤治療も不可だったため転院して亡くなるまでの半年間緩和ケアの病院にいましたが、表現は良くないですが、話せない食べれない寝たきりで枯れ木のようになっている方が何人も入院されていて、ご本人やご家庭が望まれているのかしれませんが、それが本心なのかとこの状況に心が痛み日本の医療や延命治療が本当に正しいのかとても考えさせられました。
▲16 ▼0
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今現在の臓器提供の確認があるのだったら安楽死選択もあっていいと思う。 健康で平凡な生活を送っているうちから常に考えた方がいい。 安楽死といっても、誰かに死をゆだねるのではなく(そういう場合もあるかもしれないけど)ホスピスとか詳しくは知らんけどそんな施設で、治す治療じゃなく、痛みを取ってくれて最後が迎えれる場所に、健康保険で面倒見てくれると助かる。あとの事もすべて決めて入所するとかで。 せっかくマイナンバーやマイナポータルがあるのだから、最後の連絡先や後始末の事を登録出来たら助かる。 誰でも最後が来るのだから、元気な時からいつでも書き換えたり追記したりと意思表明出来たらいいと思う。
▲22 ▼0
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この世に生を受けた限り寿命まで精一杯生きるのは美学と言えば美学ですが、自分の意思で終えるという事も可能な世の中ができたらいいな。 必ずしも全ての人が長生きする為に生きている訳ではないと思います。 何でもタイミングってありますよね。 最終的にどんな人生でも自分が納得できていればそれでいいと思うのですが。 今は健康な人が自分で命を断つ手段は自殺しかない。 もしかしたら自殺しようと考えている段階でもう健康ではないのかもしれませんが。 難しい問題ではありますが人生の終わり方、終わらせ方も多様化してほしいなと思います。 選択肢が多いというのはそれだけで心の安寧につながると思います。
▲30 ▼0
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十数年前に母が脳梗塞で倒れ搬送された病院の医師から脳のCT画像を見せられながら脳のほぼ全てに影響が出ているので回復の見込みは全く無いと告げられ、退院後も半植物状態に成った母の介護を何年も続け他界した直後に唯一の身内の兄に末期癌が見つかり一年間の闘病の果てに母の後を追う様に他界して仕舞いましたが、もし当時安楽死制度が有ったとして掛かり続ける医療費と介護や助からない身内を見続けなくては成らない精神的負担を差し引いたとしても、意識の有る兄には本人の意向を聞く事が出来たでしょうけど、ほぼ意識が無く聞く事も出来ない母には安楽死の決断は出来なかったと思います。
▲11 ▼0
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私は尊厳死、安楽死の法整備をするべきだと考えます。親の介護を10年ぐらいして強く思ったのですが、自分、家族の事も分からなり動く事も出来なくなってしまうのは家族にとっても辛く大変な日々です 私は自分家族の事が分からなく前に皆に、ありがとう。と伝えて見送られながら眠るように往いたいと願ってます。
▲14 ▼2
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少子高齢化且つ自分が人口のボリュームゾーンという背景で、尚且つ子どもに恵まれなかった自分からすると、完全に認知症になってしまう。または生きていくのに介護が必要になって現役世代の手を煩わせるぐらいならば、安楽死が選択肢としてあって欲しいとは以前から考える。 尊厳死を議論するのは今の高齢化の解消で論じる人もいると思うが、私のようなまだ高齢者ではない世代の、自分がどうありたいか、という想いで意見を持つものもいるということがもう少し汲み取られてほしいなと思う。
▲19 ▼1
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自死は良くないという前提で、自分の死に方くらい決められる社会であってほしいと思います。 病床で苦痛、絶望に耐えながら、それでも生きていくことを望む人はいるかもしれませんが、全員がそうではないでしょう。 見込みがないのであれば、なるべく穏やかに旅立てる最期を選択できるなら、それに越したことはないと思います。
▲9 ▼0
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マイナンバーカードに延命治療のことなど、自らの希望を登録できるようになればいいのにと思います。 祖父が90近くで心臓発作を起こしましたが、お医者さんが心臓マッサージをする姿は衝撃的でした。 身体に不自由が出てくる中、心臓マッサージしてある生き返りたいと思わない人もいるのでは。老い先短い中リハビリがんばれといわれてまで。 知人が脳梗塞で倒れて意志の疎通もできないまま3年入院していました。何度も命の危機で呼び出され、そのたびに治療により助かり結局3年です。意思疎通は一度もできないまま。子供は乳児を抱えてその度に呼び出されてもういいと思ってしまう罪悪感を抱かせて、誰が得してるのか。 この状態からかなり低い確率で意識が戻る事もあるがやはり後遺症が残るとのこと。 国民民主が尊厳死の事話したら、反対派の反応がすごかった。賛成してる人も多いとはおもうのに。ただ選択肢が持てればいいと思う。
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自殺を防げとはよく言うけど、世の中いくら綺麗事を吐いたところでどうにもならない事ばかり。人は100%誰にでも死は訪れるので、死ぬ時を選ぶ自由があるのが当然だと思う。死ぬ場所がないから、電車に飛び込んだり高いところから飛んだり、吊ったりと誰かに迷惑がかかるぐらいなら、きちんと話を聞いてあげて、それでどうしても死にたいと思うなら、しかるべき場所でなるべく楽に死なせてあげたらいいと思う。無論、段階はいくつも踏むべきだし条件もつけるべきとは思うが、安楽死が問題とは全く思わない
▲28 ▼4
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高齢者が増えるから社会的に苦しくなるから安楽死を認めろというのはとても危険な考えだと思います。ただ、個人的な判断で自分の死は自分で選択できるようになって欲しいです。私の場合だと認知症になったり治る見込みのない痛くて苦しい病の場合は安楽死を認めて欲しい。それがお守り代わりになるくらい安心できます。死はそれぞれ個人的なものであるべきです。命が何よりも大事だから過度な医療行為を施すのも嫌だし、老人が増えるから安楽死を認めろというのも間違っていると思います。
▲38 ▼3
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懸念は必要ないと思う。権利は必要だし、 生きる希望を持っていいなら、死に対しての希望を持つのも自由だと思う。 心身共に苦痛は他人と共有出来ない、他人が関与できないし、それを理解出来ない反対する人の強い意志や気持ちも逆を言えば共感も共有も出来ないし、お互い交わる所ではないから、生きたい方は自分の命を大切にして生きて、色々な理由で自分のタイミングを決めると決断した方はそうして、時間と命は個々にしか決められないと思う、本来ならば他人が介入できる領域の問題じゃないから、制度があるならば、どう考えるかは個人次第だよね。お互いに違う考えに関与しなくて良いと思う
▲10 ▼2
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日本も見習ってほしい。 私も認知症が進んだら希望すると思う。 祖父が認知症になった時に手足を拘束されて痒いところも自分でかけなくなり地獄の苦しみの中生きていた。
体質の似ている私もそうなると思う。
長期間の酷いかゆみは睡眠すら上手くとれず正気を失う。
コロナワクチンをきっかけに突然アトピー性皮膚炎になった私は、最初アトピー性皮膚炎と気づかず1ヶ月間地獄の様な酷い痒みで睡眠薬が手放せなくなった。
その時、認知症になって手足を拘束され痒いところもかけずに苦しんでいた祖父を思い出した。
身近に老人のいない友人は「ボケてしまえば本人は何もわからないのだからある意味勝ち組だ」と言ったが、私の祖父の最後を見たら絶対にそんな風には思えない。 ボケていても苦しいものは苦しい。
自分の身の回りのことも自分でできず、他人に頼る上にあんな地獄を味わうのなら安楽死を考えたくなると思う。
▲5 ▼2
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身内が癌と闘っている時、涙を流しながら何度も思った。何で真っ当に生きてきて誰からも愛されて来た人が、重罪を犯した死刑囚より 長い間辛く苦しい最期を迎えなければならないのかと。 自分の命の期限が決まった時や、自分ではなくなる時(痴ほう症)、命の選択が出来るよう国も真剣に考えて欲しい。
▲24 ▼0
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自分なら、治る見込みの無い病気になったり、初期の認知症を発症したら安楽死を希望すると思う。 いつまでも高額医療費がかかったり、認知症で家族の事が分からなくなったり、排泄で誰かのヘルプが必要になるぐらいなら、さっさと死にたいと思う。そこまでして長生きしたいと思わない。 高額な医療費を使うなら、次の世代への費用に使って欲しい。政府には早く議論を初めて欲しい。
▲78 ▼4
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いざ、自分が身内がその立場になってみないと無責任なことは言えないが、安楽死というか尊厳死について日本でも議論されてよいと思う。
宗教的な考えや文化の違いもありカナダやスイスのようにはいかないと思うが、治る見込みのない病の耐え難い苦痛の中で生かされている辛さは当事者しか分からないだろうけど、諦めではない人生の仕舞い方の選択肢として尊厳死はあってもいいと思う。
あとは、延命だけの治療と言うと語弊があるが、無駄な治療はせず自然を受け入れる流れも必要なのかなと思う。 医療の発展で寿命は延びたが、生かされすぎた感もある現代。
▲44 ▼2
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日本でも安楽死をみとめて欲しい。 重篤な病の他、重篤な認知症は周りも巻き込む悲惨な病です。 病院や施設に入って、人手をかけても、治ることのない病です。 病院、施設に入れない人は、家族も壮絶な生活になります。もはや人間というよりも、ただ生きているだけの動物です。 それでも大事にされている人は良いですが、家族から邪魔者にされている人も多いです。どんなに大事な家族でも、重篤な認知症になれば、周りの家族の生活はめちゃくちゃです。それでも家族は見なくてはならない。家族に判断を託すのは残酷です。自分でまともに判断できるうちに安楽死を選べれば…。 高齢者の健康保険が、健康保険制度の重荷になっています。 治る見込みのある治療は大いにして欲しいですが、私は、家族も親しい親戚もありません。せめて、少しでも意識があるうちに、友人とお別れの挨拶をしたり、財産の処分を自分でしてから死にたいです。
▲22 ▼2
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自己決定のプロセスや同意を得る回数や機会を数回設ける、薬物投与の実施もご自身でされる、ことが必須なら・・・個人的には賛成 病気(特に痛み、苦痛、絶望)で自らの意思でこの世から去りたいという権利も「生きる、治療、闘病、延命」と同じうように人間の尊厳として尊重されてもイイのはないかと強く感じる
▲22 ▼1
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これは、私個人の考えです。82才。「尊XXXX」の会員です。
「自分で食事を摂れなくなった時が私の寿命」と考えています。 年齢を考えて、癌等の重篤な病と診断されても手術はしません。かかりつけの先生や家族にもハッキリとお伝えしてあります。痛み軽減の治療だけお願いしています。 この年で大手術をして結果寝たきりになるより、動ける間は自分の好きな事をしたい。チャリ漕ぎ1日20-25キロ)や軽いランニング・自宅メニューでの筋トレ・庭師等。 私のようは場合、最終的には安楽死というより今の日本では自死になるのでしょうか。 先生には書面で「私の考え」を書いてお渡ししてあり、先生からは「あなたのような考えの方への終末治療は医師としての判断にとても役に立ちます」と言われています。 私は今の日本での安楽死は反対です。理由は簡単。邪魔になる「高齢者を除去」するだけにしか動機がなっていません。
▲15 ▼10
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安楽死は必要な制度であると思います。 人権という観点で見れば生存権があれば当然死を選ぶ権利もあります。 本人が望んでいないのに終末医療で苦しみ抜いて若い人たちから強制徴収した保険料で無理やり延命されてしまうって拷問だと思います。
安楽死を認める要件については議論を重ねる必要はあると思いますけど、自殺が増えていくのを野放しするよりよほど健全だと思います。
▲7 ▼0
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亡くなった親族に首から下が事故で動かなくなった人がいたんだけど、葬儀の後に口癖が殺してほしいだったと聞いた時はショックだったな。 ルールの策定は難しいとは思うけど、親族の家族も苦労していた姿を思い出してしまうと、安楽死も選択肢として日本も用意しておく事は必要じゃないかと思います。
▲20 ▼0
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すごくいいと思う 要件も理にかなっている。
現代医療によって「生かされて」いる方、沢山いると思う。見ていて気の毒になります。呼吸苦や痛みが強い方、進行性の病の方だけでも早く検討して欲しい。
長く生かすのが正しいとは限らない。 医療費の使い方も同時に考えたらいいと思う。
▲5 ▼1
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私は子供に迷惑をかけたくないので安楽死の制度があったら喜んで使用すると思います。 懸念は親が安楽死を選択した子供は自身の安楽死に抵抗がより少なくなりそうなことと、天寿を全うしたいと思っている人の肩身が狭くなるのではという点ですね。 安楽死が広まれば圧をかけられて否応なしに選択してしまう人が出てきてしまい、選択肢が増えているようで狭まる可能性が増えると思われます。
▲28 ▼5
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本当に日本も真剣に考えてほしい。 倫理的に問題が、とか抜け道を利用して犯罪に使う恐れがあるのはわかるけど、議論を重ねてルールを作ってぜひ実現してほしいと思う。 不治の病(国が決める医師2人以上の判断)、個人の意思、第三者の同意(家族がいる場合などを考えるとやっぱり必要じゃないかと)。 この3つを色々な分野の人で突き詰めてルール化すれば…とか個人的にはよく考える。あくまでただの個人的意見に過ぎないから、これがどうやったら公式に議論されるんだろうか。
▲20 ▼0
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ガンの終末期にうまく痛みのコントロールがなされずのたうちまわってる人や、終末期にも関わらず老人ホームで無理矢理車椅子で食堂に連れて来られ今にも崩れ落ちそうな体勢で栄養ドリンクを介助で口に流し込まれるのを見ると長生きするのが良いのか分からなくなってくる。終末期で事前に本人の希望があれば安楽死を認めてあげてほしい。 あと80歳以上で透析開始するのは禁止もしくは保険外にしてほしい。老人ホームで嚥下困難者や口を開けなくて食事の経口摂取が難しい利用者も食事介助を中止すべき。いずれも寿命でただの老衰だと思う。
▲14 ▼1
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安楽死自体には賛成する。 しかし段階をおいて認可し、データを取りつつ基準を設けて行くべきだと思っている。 たとえば、いきなり60代超えたら皆が安楽死の権利を持ちます。などというのはよろしくない。 実際に日本では姥捨山等の風習はあったと聞くが、安楽死は近代に入り合法ではなかったわけだ。 どのような副作用が起きるのか。想定はされるだろうが、その上を行く事が起きるのは必定と言える。
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条件付きではありますが安楽死には賛成です。 条件としては当たり前ですが病気等で確実に死ぬ事が決まっていてそこに至る迄に苦しむ事になるのが分かっている事。 先天的、後天的に身体が動かず人間として最低限の幸せを得ることが出来ずにただ生きているだけの状態な事。 でしょうか。 当人の尊厳死は勿論、家族の金銭面、介護の負担もある。 周りの人間の事も考えて本人がそれを望み、家族がそれを受け入れれば安楽死は有りだと考えます。
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安楽死というより、医療の過剰な状況を是正する方が先ではないかな。 医療福祉の充実は経済力の差を埋めて誰しもが一定以上の医療を受けることが出来る一方で、国の予算は青天井、また高齢者の中には生きていることがつらいにも関わらず、無理やり「生かされている」という状況の人たちも少なくない。また最近身内の件で老人ホームを頻繁に訪れているのだが、そこで生活する人々が幸せであるようにはとても思えない。 もうある程度の年齢になれば、医療保険の負担額を逆に大きく増額して、基本的には終末医療のみにしてもいいような気がする。 「長寿」が幸せなのは、最期を迎えるのが自宅で家族に見守られながらというのが可能である場合。ずっと健康で、ほんの少しの期間寝付いて最期の時を迎えるというのが人間の尊厳を保つためにも必要ではないかな。
▲8 ▼3
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将来日本もそうなるのでは?戦後80年ですよ。戦前の人はみんな高齢である。医療費や介護の問題もある。高齢介護で悲惨な事件もある。 また一人子供を置いていけないとか複雑な家庭も多い。 世話をする人が居なければ外での仕事は無理になる。訪問介護には限界もある。このような大雪の時に誰が行けるのか?家にまでたどり着けない。 廃校などを、老人ホームなどに改良をするべき。敷地も駐車場もある。 皆が慣れ親しんでいる。いろんな作業もやりやすいはず。給食とか作業も出来る。最近魚の養殖もプールでしている。年寄りでもエサやりは出来るはず。 体育館も使える。それこそ子供の面倒も見れるはず。地域で使えるし避難場所にもできる。
▲40 ▼3
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切腹が文化として肯定されてた国が、自死にそれほど抵抗があるのだろうかとは思う。そこらへんで自殺されて他者が巻き込まれるくらいなら、選択肢としてあった方が結果として、心が救われる人は多いと思うな。不適切かもしれないが逃げ道があると認識できているのと、いないのとでは、心のゆとりが変わると思う。
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