( 263028 ) 2025/02/10 04:42:51 2 00 「右に見える競馬場、左はビール工場」 ユーミンの「中央フリーウェイ」はなぜ時代を超えて愛されるのか? 歌詞から読み解く1970年代の東京の姿とはMerkmal 2/9(日) 20:51 配信 https://news.yahoo.co.jp/articles/b991da1b44ae081ee872128e5f6f7958db560068 |
( 263029 ) 2025/02/10 04:42:51 1 00 松任谷由実(当時は荒井由実)の「中央フリーウェイ」は、高速道路を舞台にしたドライブを描いた楽曲であり、リリースから半世紀以上が経過しても多くの人々に支持され続けている。 | ( 263031 ) 2025/02/10 04:42:51 0 00 現在の中央自動車道と調布IC(画像:国土地理院)
1976年に発表された松任谷由実(当時は荒井由実)の「中央フリーウェイ」(『14番目の月』収録)は、東京から八王子方面に向かう高速道路を舞台に、ドライブを描いた楽曲だ。リリースからほぼ半世紀が経過しているが、その魅力は今も色あせることがない。
なぜ、この曲は時代を超えて多くの人々に支持され続けているのだろうか。
歌詞に登場する具体的な地名や風景、例えば在日米軍の調布基地(現在の調布飛行場)、サントリー武蔵野ビール工場、東京競馬場を手がかりに、当時の時代背景や都市の変遷を考察することで、その理由を探ってみたい。
荒井由実(松任谷由実)『14番目の月』(画像:ユニバーサル ミュージック)
「中央フリーウェイ」は、単なるラブソングにとどまらない。曲の冒頭からリズミカルなメロディとともに
「右に見える競馬場、左はビール工場」
といった具体的な風景描写が登場する。この情景は、中央自動車道(中央道)の調布ICから八王子方面に向かうルートに沿ったもので、当時から現在に至るまで変わらず存在している。
中央道は1967(昭和42)年に調布ICから八王子IC間が開通し、当時最先端の道路として注目を集めた。都市と郊外を繋ぐこの高速道路を走ることは、単なる移動ではなく、東京の中心から少しずつ日常を離れていく感覚そのものだった。
「都会を抜け出し、どこかへ向かう」
という体験が、この曲の爽快感と自由な雰囲気を支えている。
東京競馬場の空撮(画像:写真AC)
「右に見える競馬場、左はビール工場」というフレーズは、単なる地理的な説明ではなく、都市の遊びと郊外の工業が隣り合う、当時の東京西部の姿を象徴している。
東京競馬場(府中市)は、日本の競馬文化を代表する場所のひとつであり、1970年代には「大人の娯楽」としての側面が強まりつつあった。競馬はかつて賭け事として扱われていたが、この時期、週末には多くの人々が足を運ぶスポットとなった。
競馬場は「熱狂」と「夢」を象徴する場所でもあり、観客たちは馬の疾走に歓声を上げ、その光景は中央道を走る車の窓からも見えた。こうした情景が、「中央フリーウェイ」の歌詞にさりげなく織り込まれている。
一方、競馬場の反対側にはサントリー武蔵野ビール工場がある。この工場は1963年に操業を開始し、1970年代にはビール生産の重要拠点となっていた。ビール工場は日本の高度経済成長を象徴する存在であり、労働者たちはここで働き、都市に住む人々はここで作られたビールを楽しんだ。
・都市の「働く場所」としての工場 ・都市の「遊ぶ場所」としての競馬場
が、中央道を挟んで並んでいる構図は、まさに当時の東京西部の姿を映し出している。
この対比があるからこそ、「中央フリーウェイ」は単なる風景描写ではなく、都市のエネルギーを感じさせる楽曲となっている。
調布飛行場(画像:写真AC)
在日米軍調布基地(現在の調布飛行場)は、かつて「中央フリーウェイ」の舞台となる調布IC付近に存在した。1945(昭和20)年の終戦直後から1974年まで米軍に接収されていたこの基地は、その後返還され「調布飛行場」となり、現在では小型機の発着場として活用されている。
この地域は、戦後日本の復興とともに大きな変化を遂げた場所だった。米軍基地として機能していた期間、一般市民の立ち入りは制限され、その場所は
「日本の土地でありながら、日本ではない場所」
ともいえる異質な空間だった。しかし、1974年に全面返還された後、日本の航空産業の一部として再編され、都市の一部として取り込まれることとなった。ちょうど1976年に「中央フリーウェイ」が発表された時期は、この変化が進行していた時期でもある。
このように、「中央フリーウェイ」は単なるドライブソングではなく、都市構造の変化を背景に生まれた楽曲である。「中央フリーウェイ」が今なお多くの人に愛される理由は、単なるノスタルジーにとどまらない。まず第一に、この曲は
「移動することの楽しさ」
をシンプルに伝えている。車を走らせ、窓の外の風景が流れていくという感覚は、時代を超えて変わることがない。
第二に、歌詞に描かれた風景が、単なる「過去の景色」ではなく、現在も存在している点が重要である。府中の競馬場、サントリーのビール工場、調布飛行場は今もその場所にあり、形を変えながらも機能し続けている。
第三に、「中央フリーウェイ」が持つ都会的な洗練さと、郊外へ向かう開放感が、多くの人の心に響く。都市のエネルギーと、それを抜け出す爽快感。このバランスが見事に表現されているからこそ、この曲は時代を超えて愛され続けている。
府中・調布エリアの空撮(画像:写真AC)
「中央フリーウェイ」は、単なるドライブソングではなく、都市と郊外の境界を駆け抜ける喜びを描いた名曲である。
その歌詞には、当時の東京西部の都市風景が凝縮されており、競馬場、ビール工場、米軍基地跡などが登場し、これらの場所は社会の変化とともに新たな意味を持ち始めた。
この曲が今も色あせない理由は、「走ること」そのものが持つ喜びが、時代を超えて普遍的なものだからである。クルマに乗り、景色が流れていく。
その感覚に込められた「自由」が、この楽曲が長年にわたって愛され続ける理由だといえる。
山腰英二(カルチャー系ライター)
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( 263030 ) 2025/02/10 04:42:51 1 00 この記事には、ユーミンの「中央フリーウェイ」という曲にまつわる様々なエピソードや思い出、歌詞の解釈、関連する風景や施設などについてのコメントがたくさん寄せられています。
(まとめ) | ( 263032 ) 2025/02/10 04:42:51 0 00 =+=+=+=+=
松任谷正隆は「中央フリーウェイ」を聴くとユーミンが作ってきてくれた納豆スパゲッティを思い出すそうです。
両者が結婚するまえの話。スタジオからユーミンの自宅までいつも自家用車で送迎していた松任谷氏にお礼としてユーミンが納豆スパゲッティをタッパーに入れて作ってきてくれたらしい。どこかの公園で食べたらよかったのに外が寒かったので車内で食べたら手が滑って納豆スパゲッティを車内にぶちまけたそうだ。そしてエアコンの暖かい風に乗って納豆の匂いが充満するクルマが中央自動車道を駆け抜ける(笑)
▲88 ▼5
=+=+=+=+=
中央フリーウェイの先にある街・八王子は、ユーミン自身が生まれ育った街。故郷に続く道をそれなりに長く付き合っている恋人とドライブをしている、という背景も考慮すると、また違った解釈が見えてきそうだね。名曲はいろんな解釈ができるから面白い。
▲40 ▼0
=+=+=+=+=
昭和の頃の小学校5年生のときの運動会での5年生の演技がこの曲だったんだけど、当時は曲名も分からずスピーカーも悪くて歌詞も何行ってるのか全然分からないままだったけど、高校生の時にたまたまラジオで流れて荒井由実の中央フリーウェイであることを初めて知りました。収録されている14番目の月をレンタルで借りてカセットに録音して聴いたらこのアルバムの曲がとても良くてその後ユーミンを聴くきっかけになり、何十年経った今でもユーミンの中で一番好きなアルバムで、そのせいか荒井由実の時代の曲が好きです。
▲2 ▼0
=+=+=+=+=
車が若者の現実的な憧れになってきた頃ですね。プチブルとか言われてた記憶がある。コミックスの軽井沢シンドロームなんかはワルにした感じだが、時代の空気として近い気がする。この頃、車やバイクを題材にするコミックスも多かったし、ドライブがらみの曲はたくさんあった。翼の折れたエンジェルとか雨上がりの夜空にとか悲しい色やねもそう。洋楽でもHighway StarとかBrass in Pocketとか。ちょっとマイナーか。ここ十数年で普及したスマホみたいに、当時、技術と経済の発展が開いた新しい可能性にみんな夢を抱いていたんじゃないか。自分の移動の能力が広がることは快感なんだろうと思う。いまの曲は全然知らないけど、いまは今の価値観で、なにか皆んなが共有できる希望に満ちた文化が出て欲しい。
▲0 ▼0
=+=+=+=+=
関西では尼崎駅前と京都・桂川のビール工場が閉鎖され、住宅街とショッピングセンターに生まれ変わった。整然としたきれいな街にはなったものの、独特の風情は消えた。大都市圏に近い大型工場は次第に消えて行っており、中央フリーウェイから見えるサントリーの武蔵野工場は貴重だ。
▲8 ▼1
=+=+=+=+=
今はもう行かなくなりましたけど、東京競馬場の1コーナー近くにある東門と府中本町駅をつなぐ連絡通路があるんですが、特にジャパンカップが終わった後の秋や、中山で有馬記念の場外発売が終わった後の冬場にここを歩くと、遠くに見える中央道の街灯がこの中央フリーウェイの歌詞にある夜空へ続く滑走路のように見えて良いんですよねぇ〜。
個人的には府中本町駅側の入口に歌碑を設けてほしいですねぇ〜。
▲42 ▼0
=+=+=+=+=
話しは横道に逸れてしまうんですが、去年、そのビール工場見学へ行って来ました。 工場見学の後、約20分ほどの試飲会で、三種類の出来立てビールを各1杯づつ、合計グラスに3杯(1杯350ccほど)頂くことができました。 ビール好きな私ですが、もう70過ぎた身で、普段はやらない一気飲みの様な嬉し楽しい試飲会でした(笑)
玄関ホールには、ユーミンのお写真と共にサインが飾られていました。
そういえば、一昨年前の夏だったか、府中競馬場でユーミンデビュー50周年記念花火大会を、ご本人を招きやっていましたね。 盛大に打ち上がる花火は、少~し距離がある我が家からもよ~く観えました。 いっぱいやりながら楽しませて頂きました。 勿論、あの工場から生まれたビールを飲みながら。
▲25 ▼1
=+=+=+=+=
この記事見てると中央自動車道を仕事とかの移動で通る時にその風景を思い出す。 中央本線や国道20号(甲州街道)もそうだが、八王子を過ぎると風景が一変するんだよね。そのギャップ差がいい。
▲30 ▼0
=+=+=+=+=
私はかなり田舎に住んでいますが、学生の頃は圧倒的に中島みゆきさんのファンが多かったです。ユーミンの歌は当時の我々には都会すぎて理解できなかったです(笑)。今は我々が追いついてきたので中島みゆきさんもユーミンも大好きです。
▲20 ▼2
=+=+=+=+=
話題はズレますが昨日中森明菜さんの特集番組見た中でこの曲がお好きだったこと、彼女の代表曲「北ウイング」というタイトルもこの曲をきっかけに明菜さん自身が強く推したものだと知りました。
▲30 ▼2
=+=+=+=+=
関西在住なので土地勘がないのですが、「右に見える競馬場 左にビール工場」の風景を想像しながら聴いていました。 最後の「この道はまるで滑走路 夜空に続く」どんなに素晴らしい景色なのだろうと、まだ見ぬ景色に思いを馳せています。
多分、ずっと見ない方がいいんでしょうね。
▲5 ▼2
=+=+=+=+=
80年代あたりまでは車が歌詞に出てきたりメインテーマになっている曲が少なくないが、90年代あたりから急激に減り、今のヒットチャートで見る機会はなくなっている。若者が聞くなら「車の爽快感」ではなく「東京の風景」としての捉えられているんじゃないかと推測する。
▲0 ▼0
=+=+=+=+=
<「都会を抜け出し、どこかへ向かう」 という体験が、この曲の爽快感と自由な雰囲気を支えている。 <「移動することの楽しさ」 対極的なイメージを、醸し出しているのが、ほぼ同じ時期に大ヒットした狩人の「あずさ2号」ではないでしょうか。新しい恋人と「自由」を求めて、「春まだ浅い信濃路へ」と暗い雰囲気で歌われています。奇しくも甲府・長野・松本方面へは「中央フリーウェイ」(中央自動車道)とライバルの「あずさ2号」(特急「あずさ」)の2大幹線がヒット曲になりました。また曲も夜なのに明るい「中央フリーウェイ」と昼なのに暗い「あずさ2号」で対極しており、昭和の時代の旅情と言う点では「あずさ2号」の暗さにあります。
▲34 ▼4
=+=+=+=+=
車離れといわれる今の時代でも、誰もが目の前に広がるドライブデートの情景。流れるようなメロディはひたすら心地よく演奏がとても丁寧。この頃のユーミンは間奏がとてもいい。ユーミンパパのセンスの良さが際立ってる。今では超大物のミュージシャン達が楽しそうにセッションしている様子が目に浮かぶ、世代を超えた作品だわ。 自分が初めて聴いたのは80年代で、そこからおそらく300回は聴いてる。飽きないんだよ。
▲33 ▼2
=+=+=+=+=
昔はモルツの文字があったのに、今は何も書いてないからビール工場を認識出来ずに通り越してしまいます。 円柱のタンクが高速横にあるので、それが目印になります。 ビール工場見学はプレモルの飲み比べが出来ますのでおすすめです。
▲23 ▼3
=+=+=+=+=
工場とギャンブルという対比で、地元静岡のこと重ねたよ。日本一稼ぐ競輪場として今でも伝説の静岡競輪場の隣には三菱電機静岡事業所やタミヤ模型本社があって、あの辺一帯は製造現場となっている。更に加えると競輪場前には静岡県立大学(昔の静岡薬科大学)のキャンパス、つまり教育現場があったりもする。
▲0 ▼0
=+=+=+=+=
免許を取って車を買った大学一年の頃、夜に調布深大寺のバスラーメンを食べに何度も中央道に乗ったものの、ユーミン聴きながら走りたくて調布を過ぎて国立府中まで乗り越したのも良い思い出。 20号ではキューピーの工場や仙川ボウル、飛田給の米軍ハウスと東京五輪マラソンの折り返し点の標識。 懐かしい。
▲14 ▼1
=+=+=+=+=
中央フリーウェイ=中央道を、知多半島に住む人たちは知多中央道だと思い、尾張地方に住む人たちは西尾張中央道だと思って、地元がユーミンの歌になったとそれぞれに喜んでいた …というネタが、ほんの一部の愛知県県民の間で流行ったことを記しておきたい
▲72 ▼23
=+=+=+=+=
田舎者で全く景色は知らないのだけれど、景色を想像する楽しみがありまた曲も良く、自分にとって、なんとなくそばにいる曲というポジションにあります。 邪魔をしないのに、好きだな、と残る曲という印象です。
▲5 ▼0
=+=+=+=+=
昭和〜平成のバブル期、スキーブームもあってドライブでユーミンかけとけば間違いなかった。ある日上司を車に乗せたら知った顔で『荒井由美だろ?』と言われた。その頃から既に世代を超えた存在だったユーミン。未だにお元気で何よりです。こちらの方がくたびれてきてしまいました。
▲28 ▼2
=+=+=+=+=
地方で親の車のCDで子供の頃から「中央フリーウェイ」を聞いて育ったものです。 当時は何を言ってるのかよく分からなかったですが仕事で就職して東京に来て、中央道を通った時に「あの歌詞本当の話だったんだ!」と感動しました。
▲16 ▼0
=+=+=+=+=
今、爆発的な人気で、ユーチューブで何千万回も再生されている最新の曲は沢山あるが、50年後にもユーミンの曲のように毎日聴かれているだろうか? せいぜい10年でブームを終える天才とはまったく違う存在だと思う。
▲19 ▼1
=+=+=+=+=
フリーウェイとはなんだろうかと検索したところ、信号などがなく流れが自由な道路のことを指す。アメリカでも、フリーウェイが無料の道路と勘違いしている例があるみたいだけど、基本的に有料だろうが信号がなく流れが自由ならフリーウェイでいい。
そうなると、中央フリーウェイは、信号がなく流れが自由な道路で間違っていない。無料か、有料ではない。中央高速をわざわざ中央フリーウェイって言うところが、何とも言えない感じがする。ある意味、ユーミンのセンスなんだろう。
▲32 ▼3
=+=+=+=+=
大好きな曲ですがこの記事の内容は少し違うと思うな。 確かに中央フリーウェイだから良かったのかもしれないけど、その時代の男女の恋愛観とか時代背景を、1番は曲調だと思う。
▲9 ▼1
=+=+=+=+=
すばらしい記事!少しウルっときた。 チョッと深読みしすぎかもしれないけど、素敵な歌詞解釈と秀逸な説明です。まさに時代を超えて愛され続ける名作になりましたね。私も国立府中から初台まで20年近くも、この道を往復したので人それぞれ思い入れがある…。
誰もが「ちゅおフリーウェー♪、♪…」と、頭のなかでメロディを回想しながらこの記事を読んだに違いない。
▲10 ▼0
=+=+=+=+=
この曲は中学生の教科書にも載っているから、しばらくは語り継がれる名曲になるだろう。 ユーミン世代のジジババも喜ぶかもね。
▲16 ▼3
=+=+=+=+=
実際にこの場所を初めて車で走った時(友人の助手席だったが)感動したのを覚えています。 しかし、「競馬場、ビール工場」なんて初めて聞いた時から頭から離れなくなるマジック的な歌詞ですね。
▲28 ▼0
=+=+=+=+=
「都会を抜け出し、どこかへ向かう」? 違うと思います。都会(=飯倉キャンティ)で遊んでムッシュ(=かまやつひろし)が八王子まで送ってくれてた。でも最近は送ってくれないじゃん。って曲だと思います。
▲3 ▼0
=+=+=+=+=
中央フリーウェイは、ユーミン(荒井(松任谷)由実)のオリジナルとカバーがあるが、 ユーミンのよりもハイ・ファイ・セット版の方が編曲が少し速い。 一説には、ユーミンのは時速120kmで走ると歌詞とピッタリ合うけど、ハイ・ファイ・セットのは時速140kmという噂を聞いたが、どちらもスピード違反なので確かめてはいない。笑
▲3 ▼0
=+=+=+=+=
ユーミンの「中央フリーウェイ」の向こうのその先は名古屋までつながって、 昭和29年生まれのユーミンと同じ歳の名古屋テレビ塔の絵空事な景色も見える
▲7 ▼2
=+=+=+=+=
ユーミン、八王子だからね。 早熟でね。夜、家を抜け出して飯倉の キャンティに通っていたらしいね。 14番目の月。 荒井名での最後のアルバムだったかな。
▲4 ▼0
=+=+=+=+=
今でも中央道を走ると、自然とこの曲を口ずさんでしまいますね。何かに追い詰められたようなものが多い現代の曲と違い、自分たちの時間を楽しむ余裕があります。
▲18 ▼0
=+=+=+=+=
スタジオから車で送ってもらう時に浮かんだメロディと詞らしい、ワクワク感が半端ないですね〜 ただ素晴らしい!
▲12 ▼0
=+=+=+=+=
旦那のアレンジが素晴らしいすぎる。松原正樹さんのギターも素敵だし。荒井由実のおしゃれさが極まった楽曲。 以降松任谷名義になってからどんどんダサくなった。
▲7 ▼0
=+=+=+=+=
松本に単身赴任していたころ、金曜日の夜に逆方向に走りながら聴いてました。都心の灯りが見えてくるのが嬉しかった。
▲6 ▼0
=+=+=+=+=
横に長い東京
首都高速は八王子インターまで伸ばして 中央高速は八王子から先でいいのでは
▲14 ▼1
=+=+=+=+=
向正面に中央道が並走、3コーナーから4コーナーの間の大欅。府中コースのランドマーク。
▲3 ▼3
=+=+=+=+=
元歌よりも、ボキャ天のネタの「中央ブリーフ連盟」の方が鮮烈に頭にこびりついている私ですが、同じことを思った方はいらっしゃいますか。
▲20 ▼2
=+=+=+=+=
名神の大山崎付近。東京方面へ向かうとして、右に淀競馬場、左にサントリー(ウィスキー)。 名神にもそーゆーとこあるじゃん。 名神フリーウェイ♪
▲7 ▼1
=+=+=+=+=
名曲だしユーミンの曲では一番好きですが、なぜかボキャ天の「中央ブリーフ連盟(中ブ練)」を思い出してしまう…。
▲4 ▼0
=+=+=+=+=
船橋にも競馬場とビール工場があるけど全然ユーミン的ではない。
▲52 ▼1
=+=+=+=+=
ユーミンの曲を聴くと、私の昭和が蘇ってくる。令和となった現在でも。
▲12 ▼0
=+=+=+=+=
聴くたびにリーランドスカラーのベースに耳が奪われてしまう。
▲0 ▼0
=+=+=+=+=
修学旅行で始めて東京に行った時にバスガイドさんが説明してくれたな〜
▲1 ▼0
=+=+=+=+=
タモリ倶楽部のソラミミのネタで、「中央ブリーフ連盟」というのがあったような。
▲9 ▼5
=+=+=+=+=
多摩美大から帰路の 高井戸インターから八王子インターまでの短い距離
▲0 ▼0
=+=+=+=+=
永遠にフリー(無料)にはならなそうだね
▲34 ▼2
=+=+=+=+=
画像の写真ぐらいライター自身で撮ってきなさいよ 情けないみっともない恥ずかしい
▲1 ▼0
=+=+=+=+=
「中央ブリーフ連盟」が強烈で今尚思い出す。。
▲22 ▼2
=+=+=+=+=
乗っていた車は何かしら。アルファロメオかしら。
▲4 ▼0
=+=+=+=+=
中央ブリーフ連盟♫
▲18 ▼2
=+=+=+=+=
中央フリーウェイと言ったら、ボキャ天の「中央ブリーフ連盟」(中ブ連)
▲2 ▼0
=+=+=+=+=
中央高速〜♪
▲1 ▼0
=+=+=+=+=
安倍総理夫妻と仲がよかった、というだけでステキ
▲0 ▼1
=+=+=+=+=
ビル、工場と思っていたなあ 返納前に1度は走ってみたいな。
▲5 ▼18
=+=+=+=+=
カネ払わなあかん高速道路にフリーウェイ(タダで通れる道)ってどういうこと?ひょっとして高速道路のタダ乗り?
▲1 ▼28
=+=+=+=+=
片手で持つハンドル♪ 片手で肩を抱いて♪ 危険な運転してるよなw
▲4 ▼1
=+=+=+=+=
右に見えるディ○ニーランド 左はら○ぽーと 肩を抱けば君の瞳に牛が鳴いてた
▲1 ▼0
=+=+=+=+=
歌詞の一解釈としてここまで能書き垂れられるのも笑えるわ
▲0 ▼1
=+=+=+=+=
♪中央ブリーフ連盟〜w
▲3 ▼0
=+=+=+=+=
♪中央ブリーフ連盟
▲1 ▼0
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