( 263756 )  2025/02/11 17:02:43  
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テレビ局は視聴率競争での勝利に執着するばかりでいいのか(写真:Sergey Nivens/Shutterstock.com) 

 

 中居正広氏の女性トラブルが大きな社会問題に発展した。これは渦中にあるフジテレビだけの問題だろうか。視聴率を稼ぐ貴重なタレントをテレビ各局が崇め奉り、その積み重ねが創り出した結果ではないか。背景にあるのは、視聴率競争での勝利に執着するマッチョイズムだ。それは現場に犠牲を強いたり、人材を道具のように扱ったりする弊害を生む。そして、その末路は人権侵害である。 

 

 (岡部 隆明:ジャーナリスト) 

 

■ トラブル後も特番「中居正広のプロ野球珍プレー好プレー大賞」を放送 

 

 人権意識が不足していた—— 

 

 フジテレビが開いた2度目の記者会見で、嘉納修治会長(当時、1月27日辞任)と港浩一社長(同)が、それぞれ口にした言葉です。社会の公器であり、人権尊重を担うべきテレビ局のトップが、そのように謝罪しなければならない光景は異様でした。 

 

 現在、フジテレビの番組のCMの大半が、公益社団法人ACジャパンの公共広告に差し替わっています。スポンサーは、CMをキャンセルした理由として、フジテレビの「対応の悪さ」とともに、「人権侵害に関わる問題」を挙げています。 

 

 トラブルを覚知した後も、中居氏の番組出演をなぜ続けたのか?  

 

 これは、記者会見でも問われた人権意識にも関わる論点です。フジテレビは、「番組終了によって、憶測を呼ぶことを憂慮した」と回答しています。被害にあった女性の心身の状態を最優先して、社内での問題の情報共有を最小限にしたことから、中居氏の起用が続いたと。しかし、苦しい釈明に聞こえます。 

 

 トラブル後に、レギュラー番組ではない、「中居正広のプロ野球珍プレー好プレー大賞」という特番を4回も放送しています。このことだけからも、説得力が乏しいと感じます。 

 

 結局、優先したのは「女性のプライバシーや心身の回復」ではなく、人気タレントである「中居氏の起用」ではないか。釈明を聞いた人がそう勘繰るのも無理はありません。 

 

 「示談で解決済み」なのだから、何事もなかったように中居氏の起用を続けられるのだ…そんな理屈を自分たちで言い聞かせて正当化したようにも見えます。 

 

 中居氏は旧ジャニーズ事務所のSMAPのリーダーでした。SMAPは日本の芸能史上に燦然と輝くグループであり、フジテレビのみならず、テレビ局各社にとって多大な功労がありました。SMAP解散後も、中居氏は司会として活躍し、各社は重宝して起用していました。視聴率至上主義に不可欠な存在だったと言えます。 

 

 

■ 「死人が出ないと変わらないと思います」 

 

 民放のビジネスの根幹を成すのは視聴率なので、テレビ局が、それに執着するのは自然なことです。しかし、視聴率至上主義に傾き過ぎると、規範やモラルが軽視されて、不適切なことが起きる土壌や空気を生み出してしまいます。 

 

 私は、今回のフジテレビのトラブルの背景には、視聴率至上主義が潜んでいると考えています。高視聴率に貢献するタレントや番組制作者が崇められる一方、それ以外の人たちは軽く扱われる構造上の問題があるように思います。 

 

 長らく中居氏を「特別なオンリーワン」な存在としてもてはやし、必要以上に忖度してきたことがトラブルにつながったのではないでしょうか。 

 

 「人権」を辞書的な意味として捉えれば、人種・性別・身分に関係なく、幸せを追求する権利です。しかし、それだけ重い「人権」を、テレビはこれまで十分に背負ってこなかったのではないか——。そんなことを考えると、テレビ各局の立派な社屋がとても冷たく、あまりにも無機質に映ります。 

 

 視聴者として、また、テレビ朝日に勤務した放送人の端くれとして振り返ってみると、テレビの世界は、男性優位、軍隊のような自己犠牲的精神など、いわゆる「マッチョイズム」に侵されていて、それが人権意識の培養を妨げてきたのではないかと考えています。 

 

 最近、話をした後輩の報道記者A氏は、「時給換算したらマック以下ですよ」と嘆いていました。給料を時給に直すとファストフードの学生アルバイトより安いというのです。早朝・深夜勤務や休日出勤により、超・長時間勤務になっていますが、会社に報告する勤務時間は、問題にならないように実際よりも相当削減しているとのことでした。 

 

 自己犠牲的な長時間勤務は、テレビの世界では常識のようになっています。これは報道などの番組制作現場だけでなく、営業など一部のビジネスの職場でも同様です。 

 

 視聴率や売り上げを伸ばすために異常な働き方をしていて、毎月のように問題視されながら、いっこうに改善が進まないようです。数年前ですが、営業の若手社員B氏が「死人が出ないと変わらないと思います」と自嘲的に語っていました。 

 

 視聴者の半分は女性なのに、男性本位・男性目線の番組が多いことに違和感を覚える人が多いのではないでしょうか。その代表例が、『女だらけの水泳大会』です。1980年代から90年代にかけて、フジテレビが放送していました。 

 

 

■ 「く・ノ・一(いち)」で攻めるんだ 

 

 水泳大会の番組はフジテレビだけではありませんが、『女だらけ〜』は羽目を外していて、水中騎馬戦で、水着が取れて胸が露出する「ポロリ」が定番でした。「騎馬戦だから、ハプニングはあるよね」という企画なのかもしれませんが、いかにも「男だらけ」の目線で作っているのがわかります。 

 

 『女だらけ〜』は、(番組制作者にとっては)古き良き時代の産物で、コンプライアンスの厳しい昨今、そういう番組はありえないだろうというのが、大方の見解だと思います。 

 

 しかし、女性を道具にするような考え方は、テレビの制作現場に残存しているのではないでしょうか。 

 

 「く・ノ・一(いち)」で攻めるんだ—— 

 

 10年ほど前に報道の幹部から聞いた言葉です。「く・ノ・一(いち)」とは女忍者を指します。事件・事故などを扱う社会部に女性記者を多く配置する意図を私に解説しました。警察や検察など司法は男社会だから、女性記者のほうが情報を取りやすいとのことでした。 

 

 同じ頃、別の幹部からも似たような話を聞きました。 

 

 「結局、政治家も警察も、おっさんだから、政治部や社会部では女性記者が必要なんだよね」 

 

 昭和の政治史を語る際、池田勇人首相や田中角栄首相が記者たちとやりとりしている映像が出てきますが、そこに女性の姿はほとんどありません。その時代から比べれば、女性記者が増えて、有力政治家と担当記者の風景は変わりました。 

 

 政治部記者だけでなく、社会部記者も女性が多くなっています。警視庁記者クラブ経験者のC氏に現状を聞いてみたところ、警視庁記者クラブの民放の女性記者の割合は3〜4割だということです。 

 

 C氏によれば、捜査員と普通にやりとりができる関係を構築することが記者に求められますが、女性記者のほうが有利に働くことがあるとして、次のようなエピソードを話してくれました。 

 

■ 旧ジャニーズ事務所の性加害問題と同質 

 

 (1)記者歴3年の男性記者が1年間かけて、3人の捜査員と携帯番号を交換できたのに対して、記者歴半年の女性記者が1か月で、8人と交換できた。 

(2)捜査員幹部との会食の設定ができず、案じていた男性記者が、「女性記者も同席したい」と言った途端に承諾を得られた。 

(3)人事異動で女性記者から男性記者に替わり、捜査員に挨拶に行ったところ、「なんだ男になったのか。捜査のことは話さないから」と言われた。 

 

 取材相手との信頼関係の構築において、本来、性別は関係ないはずです。女性記者も、一人の人間として取材活動をしていることに違いありません。ただ、「取材対象が男社会だから、女性らしさを武器にする」という考え方をなおも上司が持っている可能性は否定できないでしょう。 

 

 取材相手が記者の性別によって対応を変えるという現実があるとはいえ、取材で他社に差をつけ、目の前の勝負に勝つために、使える武器は何でも使う——。そんな発想は職業倫理上も問題があると言えます。 

 

 今回の中居氏を巡る事案は、中居氏やフジテレビだけの特殊な問題だと限定的に捉えてはなりません。実際、視聴者もスポンサーも、テレビ業界全体の体質に対して懐疑的な視線を注いでいます。 

 

 視聴率至上主義と、それを支えるマッチョイズムによって大事なことが置き去りになるテレビ業界の構造は、2023年に急拡大した旧ジャニーズ事務所の性加害問題と同類だと思います。このときもテレビ局は人権よりも視聴率を優先し、その姿勢について不作為、黙認、看過といった言葉で批判されました。 

 

 今回の中居氏の問題は、まだ明らかになっていない点が多く残っていますが、フジテレビの対応が厳しく問われているほか、当初、各局の報道姿勢が及び腰だったことも疑問視されていました。 

 

 旧来の悪しき体質を刷新し、非常識な思考回路を断ち切る。そうしないと媒体価値の低下を食い止められません。それはフジテレビだけの話ではないのです。 

 

岡部 隆明 

 

 

 
 

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