( 263781 )  2025/02/11 17:29:44  
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ローカル線(画像:写真AC) 

 

 地方の鉄道路線は次々と存続の危機に直面している。特に乗客減少が顕著なローカル線では、鉄道会社が維持困難と判断し、バス転換や廃止を検討する動きが加速している。 

 

 そのたびに沿線自治体からは、「地域の足として残してほしい」という陳情が繰り返される。しかし、鉄道がなくなると通学や通院の不便さが増し、地域の衰退を招く恐れがあるのは確かだ。しかし、問題はその要望の内容にある。「とにかく残してほしい」という声ばかりで、実際に鉄道を維持するための負担や新たな活用策について考える地域は少ない。 

 

「赤字でも残してほしい」という一方で、なぜ地元はその維持に責任を持とうとしないのか。こうした姿勢が続けば、自治体は鉄道を失うだけでなく、地域交通全体が機能しなくなるだろう。今、求められているのは、 

 

「誰が責任を持って地域交通を支えるのか」 

 

という覚悟だ。 

 

ローカル線(画像:写真AC) 

 

 かつて日本の鉄道は、国鉄という公的組織によって全国的な網が維持されていた。しかし、1987(昭和62)年4月の分割民営化により、JR各社は独立採算制を基本とし、各社の経営判断で路線を運営することとなった。 

 

 これにより、地方の赤字路線も 

 

「収益が見込めるか」 

「経営上維持可能か」 

 

を基準に存廃が判断される時代となった。 

 

 それにもかかわらず、一部の自治体は 

 

「鉄道は公共インフラだから」 

 

という理由で、鉄道会社に赤字を背負わせることを当然視している。しかし、これは根本的に誤った考え方だ。 

 

 鉄道会社は民間企業であり、利益を確保することが求められる。地域にとって「必要だから」という理由だけで赤字運行を続けさせるのは、企業の経営を無視した要求に過ぎない。 

 

ローカル線(画像:写真AC) 

 

 ローカル線を本当に存続させたいのであれば、地元が主体的に維持の方法を考え、財政的な負担を引き受ける覚悟が求められる。 

 

 例えば、富山市では鉄道を次世代型路面電車(LRT)に転換し、利便性を向上させることで利用者を増加させた成功例がある。また、四国では線路を撤去せず、低コストのバスを運行することで、鉄道の維持費を削減しつつ地域交通を確保する取り組みも行われている。 

 

 このように、単に「残してほしい」と陳情するだけではなく、どのように持続可能な交通体系を作るかを考え、具体的な対策を講じることが求められる。 

 

 鉄道の存続を議論する際に注目されるのが「上下分離方式」だ。これは、線路や駅などのインフラ部分を自治体や第三セクターが所有し、鉄道会社が運行のみを担当する方式である。この手法を採用することで、鉄道会社は運行コストを軽減し、自治体も「自分たちの鉄道」という意識を持つことができる。 

 

 また、観光資源として鉄道を活用する方法も存在する。肥薩おれんじ鉄道のように観光列車を導入し、地域の魅力を発信することで収益を上げる取り組みも可能だ。 

 

 それでも維持が困難な場合、潔く「撤退」を考えるべきだ。 

 

 一方で、どれだけ工夫を凝らしても維持が困難な路線も存在する。特に、山間部を走る閑散路線のなかには、災害時の貨物輸送ルートとしても機能しないようなものもあり、その存続の意義が問われている。 

 

 こうした路線を 

 

「地域の足だから」 

 

といって無理に残し続けることは、限られた財源の適切な使い方とは言えない。鉄道にこだわらず、バスやオンデマンド交通など、より柔軟な交通手段に切り替える決断も必要だ。 

 

ローカル線(画像:写真AC) 

 

 結局、ローカル線の存廃問題は「JRが決めること」ではなく、「地域が決めること」である。 

 

 自治体は「地域の足をどうするか」という問題に対して、鉄道会社に頼るだけではなく、自ら責任を持って維持策を考えなければならない。その覚悟がなければ、鉄道のみならず地域全体の交通が崩壊する可能性がある。 

 

 地方交通のあり方は一律に決められるものではなく、各地域の実情に応じた対応が求められる。だからこそ、今こそ「地域主権」の視点で考え、地域自身の手で交通の未来を切り拓くべきときだ。 

 

 他者に任せて文句をいうのではなく、引き受けて共に考えることこそが真の民主主義である。 

 

清原研哉(考察ライター) 

 

 

 
 

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