( 264063 ) 2025/02/12 05:47:28 2 00 大阪のおばちゃんが熱狂した「阪急ブレーブス」と近鉄電車限定の”理不尽なマナー”「こら、近鉄乗るときは○○の帽子かぶらんかい」《関西私鉄ものがたり》NEWSポストセブン 2/11(火) 15:51 配信 https://news.yahoo.co.jp/articles/5c52d8418ce10352c4511ff2a92d95ff8199b4fc |
( 264064 ) 2025/02/12 05:47:28 1 00 1924年8月1日に開業し、101年目となる甲子園球場。 | ( 264066 ) 2025/02/12 05:47:28 0 00 1924年8月1日に開業し、101年目となる甲子園
1936年から始まった日本プロ野球の歴史。その球団オーナー企業には現在、新聞や食品、ITなど、さまざまな業界の会社名が並ぶが、かつては鉄道会社が数多く名を連ねた。中でも存在感を放っていたのは「関西私鉄」だ。
関西五大私鉄の歴史を綴った『関西人はなぜ「○○電車」というのか─関西鉄道百年史─』(淡交社)著者の元全国紙新聞記者・松本泉氏は、「日本のプロ野球の基盤は、関西の私鉄が築き上げた」と指摘する。では、関西私鉄はプロ野球の創生期にどう貢献したのか。球団は関西の人々にとってどんな存在だったのか。同書より、プロ野球と関西私鉄の相関関係をお届けする。(同書より一部抜粋して再構成)【全5回の第2回。第1回を読む】
* * * 日本のプロ野球の始まりは、1936(昭和11)年の職業野球リーグ戦といわれている。
参加したのは東京巨人軍(現在の読売ジャイアンツ)、大阪タイガース(現在の阪神タイガース)、名古屋軍(現在の中日ドラゴンズ)、東京セネタース(後の東急フライヤーズ)、阪急軍(後の阪急ブレーブス)、大東京軍(後の松竹ロビンス)、名古屋金鯱軍の7チームだった。
リーグ戦といっても、春季、夏季、秋季の大会として開催され、試合数も10試合前後に過ぎない。優勝チームが確定しない大会もあった。
「野球を職業にするような男は単なるやくざ者だ」と思われていた時代である。参加するチームも、プロ野球リーグも、手探り状態が続いていた。
さまざまな企業が結成に関わっており、読売新聞社オーナーの正力松太郎が熱心に働きかけて誕生したチームが少なくなかった。
そんな中で異彩を放っていたのが、阪神電鉄が結成した「大阪タイガース」と、阪神急行電鉄が結成した「阪急軍」だった。
鉄道会社が母体となり経営基盤がしっかりとしていただけではなく、甲子園球場、西宮球場という本格的な大規模スタジアムをホームグラウンドとして所有し、イベント運営にも支障がなかったからだ。
東京巨人軍、大阪タイガース、阪急軍以外のチームは、オーナー会社が転々とし、ホームグラウンドも粗末で、不安定な経営を続けていた。
しかし、1938(昭和13)年に結成された「南海軍」と合わせて、関西の私鉄が所有した球団は、安定した経営と運営で創生期の日本のプロ野球をけん引した。甲子園球場や西宮球場が、初期のプロ野球の“夢舞台”となった。
日本のプロ野球の起源は、まさに関西の私鉄といってもいい。関西の私鉄が球団を持っていなければ、日本プロ野球の本格的な誕生は20年以上遅れていたに違いない。
昭和40~50年代の大阪のおばちゃんには、阪急ブレーブスの熱烈なファンが多かった。
パ・リーグ(パシフィック・リーグ)のペナントレースが大詰めを迎えると、
「今年も阪急は強いねえ」 「日本一は間違いないわ」
おばちゃんたちの会話が街を飛び交った。
それは阪神電車の中でも、南海電車の中でもお構いなしだった。おばちゃんたちはそれほど阪急ブレーブスを愛していた。
ところが会話が進んでいくと、決まって怪しくなった。
「山田久志というピッチャーが強いらしいわ、知らんけどな」 「速う走るのは福本豊やんな、よう知らんけど」
もうお気付きだろう。
おばちゃんたちのお目当ては、ブレーブスが優勝したときの「阪急百貨店の優勝記念バーゲン」だった。
リーグ優勝に続いて、日本シリーズでも優勝してくれたらバーゲンは2回もある。これはもうたまらない。ピッチャーは山田久志でも江夏豊(当時の阪神のエース)でもだれでも良かった。
それなら、阪神タイガースが優勝したら阪神百貨店でバーゲンがあるし、近鉄バファローズが優勝したら近鉄百貨店がある。
なんで阪急なのか。
「阪神も近鉄も弱いやん。優勝できんチーム応援してもしゃあないやろ。何いうてんの」
さすがだ。大阪のおばちゃんには勝てない。
こういった熱烈な阪急ファンのおばちゃんたちを除けば、関西のプロ野球のファンは私鉄ごとにくっきりと分かれた。
阪神、阪急、南海、近鉄と4つものプロ野球チームがひしめきあっていたが、電鉄沿線ごとにきれいに“仕分け”されていた。
阪急ブレーブスの帽子をかぶったまま、うっかり近鉄電車にでも乗ってしまうと大変だった。酔っ払ったおっさんは、たとえ幼い子どもでも容赦しなかった。
「こら、近鉄乗るときはバファローズの帽子かぶらんかい。昔から決められてるんや。学校で習わんかったんか」
周囲の乗客も子どもに同情するのではなく、心の中で秘かに酔っ払いのおっさんに拍手するのだから筋金入りだった。
(第3回に続く)
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( 264067 ) 2025/02/12 05:47:28 0 00 =+=+=+=+=
懐かしい思い出がよみがえってきました。初めて大阪で会社勤め始めた時、難波の大阪球場に野球見に行った時、みんなの後を付いていったらほとんどの人が難波の場外馬券場に行く列でした。大阪球場で野球を見る人はがらがらでしたね。そういえば、新入社員で住之江降りた時もみなの後を付いていったら、いつのまにか住之江競艇場でした。懐かしい思い出です。だいぶ変わったでしょうね。
▲40 ▼3
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阪神百貨店でお買い物して、試合が始まるから早く帰ろう、と阪神電車に乗って帰宅した。 電車のボックスシートの向かい側、今日の試合の対戦相手、日本ハムファイターズを応援すべく、おそらく北海道から空を飛んでやって来たと思われる女性のお二人。 梅田駅から張り切って電車に乗ったのにいつまで経っても甲子園に着かない。 そこで、間違って阪急電車に乗ってしまったことに気付いて、慌てて降りて梅田に戻ったら、トラの服を着た集団がいたので後にくっついて行って無事に阪神電車に乗れたらしい。 そうして彼女たちは無事に甲子園駅で降りて、トラの服を着た集団にくっついて行って無事に甲子園球場にたどり着いたものと思われる。 私はおうちに帰ってTVで見たが、ファイターズが勝ってタイガースは負けてしまった。 彼女たちは、苦労した分、喜びもひとしおであったと思われる。
▲12 ▼3
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「こら、近鉄乗るときはバファローズの帽子かぶらんかい。昔から決められてるんや。学校で習わんかったんか」 ...冗談とも本気とも取れるようなこの感覚、関西人以外には理解できひんやろなあ。 ものすごくヘンコな愛を感じるのだけど、最近はそういうコテコテな人も少なくなったよね。 それはそうと、阪急の帽子のぐるぐるBも近鉄の三色帽もめちゃくちゃカッコよくて、初めて帽子屋で帽子を買ってもらう時にとても悩んだ記憶があります(近鉄にしてそのまま近鉄ファンになりました)
▲65 ▼5
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俺は30代やけど、昔の関西は今以上に野球熱が熱かったことがようわかる記事ですね。今やプロ野球チームは全国に散り、関西の球団はセパ1チームずつとなり、阪神電車は巨人カラーで走るようになりました。なお、わては近鉄がなくなった後、東北に新しくできたチームのファンです。
▲24 ▼9
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大阪生まれ大阪育ちの阪神ファンです。 自分は阪急沿線やったから、阪急ファンの同級生も多かったよ。 阪急沿線にも阪神ファンは多かったけど、 近鉄や南海のファンはあんまりいてなかったと思う。 これは近鉄沿線、南海沿線でも同じ感じやったんとちがうかな。
▲39 ▼5
=+=+=+=+=
あの頃の近鉄ってとにかく阪急への対抗意識剥き出しだった。 宝塚への向こうを張る為OSK歌劇団を傘下に治め、あやめ池に専用の劇場も作った。 手放して大分経つが朝ドラの影響でクローズアップされる様になるとは…
▲100 ▼6
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うーん、南海沿線民が阪急でセールだからと梅田まで行くかね?それはそうと、1980年代ぐらいまでは権利関係が緩かったので、大阪のダイエーやイズミヤは阪神が優勝しても、阪急が優勝しても、近鉄が優勝しても便乗セールをやっていました。母や叔母が9-10月に盛り上がっていたのを覚えています。
▲27 ▼4
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その頃は近鉄はともかく、阪神は決して弱くはなかった。むしろ強かった。 でもほぼ毎年V9巨人と優勝争いして最後まで苦しめて、最後の最後は花を もたせるプロレスの名悪役的な役回り。
▲62 ▼26
=+=+=+=+=
南海電車で阪急の話題はないわ。 その当時南海電車を利用していたからよく知ってるけど、おばちゃんたちの話題に阪急なんかないよ。そもそも南海沿線の人達が梅田まで行くことないからね。なんばの高島屋か心斎橋の大丸、そごうで充分満たされてましたからね。
▲75 ▼4
=+=+=+=+=
日本のプロ野球の始まりは、1936年といわれている、と書いてるから、確かに断言はしてないが・・・何べんもいうが、日本のプロ野球の始まりは、東京都港区の芝浦の日本運動協会(のちに阪急電鉄が引き取るんやから、ある意味今のオリックス)が、スタート!!ほぼその周辺の発祥の地にモニュメントまで立てられてるんやから!
▲8 ▼1
=+=+=+=+=
阪急がおばちゃんに人気なんて初耳。 少なくとも私が知ってる範囲では そのような事は皆無。
ただ阪急ブレーブスのホームゲーム 見に行ける範囲に住んでた男児は 阪急ブレーブス子供会への入会率高め だったかも。学校終わってナイター 見に行ったらガラガラのスタンドで すぐに友達を見つける事ができました。
今から思えばパ・リーグの選手たちも 素晴らしい面々だったのに何故あんな にセ・リーグと人気の面で差があった のか不思議。
▲28 ▼3
=+=+=+=+=
地元の私鉄で地元の球団以外の帽子をかぶっていただけで理不尽な扱いを受ける。昭和や平成初期という時代だから通用した行為もインターネット・SNSが普及した現在ではたちまち〈差別だっ!人権侵害だ!〉と炎上間違い無し。昭和末期以降、異性の会話で男性が女性に対してうっかり口を滑らせただけで〈セクハラ!〉と罵られ犯罪者も同然に見なさなされるのと同じ様に…。
▲2 ▼9
=+=+=+=+=
ヨドバシの帽子売り場で、ヤンキース帽の横にホークスの帽子が売られてた。 なにがあったんや?!? 芸術は爆発だ!岡本太郎渾身のデザインのバファローズの帽子 今見てもかっこええよ! メジャーを意識したブレーブスの帽子。まさか一番見なくなるとは・・・・ しのぎを削りあった身(ファンとしてw)としてはサビシイなあ
▲24 ▼2
=+=+=+=+=
うーん。阪神沿線の大阪市内育ちやけど、阪急にも南海にも近鉄にも乗った事あるが、似たようなオッサンはいたんやろうけど、オバちゃんがこう言う事言うてるのは聞いた事無いなあ。とにかく阪急電車は静かなイメージしか無い。阪神電車は甲子園行く時にしか乗った事ないけど阪神のユニフォーム着たオッサンが、五月女って女みたいやなとか田淵のグリップをこうしてああしてとかカークランドの爪楊枝にボール当たったら死球になるんかなとか解説者みたいなオッサンが多くガヤガヤうるさかった。
▲18 ▼0
=+=+=+=+=
その阪急ブレーブスの後継球団が優勝したら近鉄百貨店が優勝セール。 阪神が優勝したら、阪急オアシスでも優勝セール。 時代は変わりましたね。
▲57 ▼3
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いまではタイガースをなぜか好きになって勝っても負けても応援してしまう。甲子園から遠い滋賀県、京都府、奈良県、和歌山県まで。 昔は南海は泉州や和歌山限定。近鉄は河内や奈良限定。阪急は北摂地域限定て感じやった。
▲29 ▼6
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昔のパ・リーグのヤジは相手チームの投手が打たれて交代すると「サヨナラサヨナラ◯◯南海電車ではよ帰れ」でした。電車は近鉄電車、阪急電車とありましたが千葉ロッテ戦となると京葉線になりました。当時のパ・リーグファンは相手チームはもちろんですが味方もしっかりヤジってました。
▲0 ▼0
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懐かしいです。 昔のパシフィックリーグは鉄道会社が半分以上を占めてましたね。 南海、近鉄、阪急、西武、そして西武の前身は西鉄でした。 一方、セリーグは半分が新聞社でしたね。中日、読売、サンケイ。 今は鉄道会社の球団は西武と阪神だけ、時代の流れを感じます。 それにしても、黒とオレンジの阪神電車には呆れましたね。当時株主総会でも質問が飛んだそうです。
▲5 ▼2
=+=+=+=+=
この本、本屋で少し立ち読みしたのですが 肝心の「なぜ関西では○○電車と呼ぶのか」の考察が数ページで終わっていたので買わず仕舞いです。
批判するなら買って読んでからにした方がいいのでしょうがちょっと手が出ず。
▲4 ▼2
=+=+=+=+=
>こら、近鉄乗るときはバファローズの帽子かぶらんかい。 >昔から決められてるんや。学校で習わんかったんか
まぁ学校では習わなかったけど一般的な常識・マナーと親たち大人から習ったか。
パ・リーグの阪急・南海・近鉄も球団を有していたけどファンの数では阪神ファンが圧倒的でタイガース帽をかぶる子供たちが多い地域だけど、南海電車や近鉄電車に乗るときなんかは阪神の帽子はカバンにしまうこととか。特に阪急電車に乗るときは注意すること、とも。
▲6 ▼1
=+=+=+=+=
関西のパリーグは悲惨だった、 近鉄が消滅し、南海が福岡に行き今が市場規模からして 適性なんでしょうね
そんな状況の中阪神の一人勝ちになったのは 関西で唯一巨人と対戦できるから なにせ90年代中盤まで巨人戦以外はガラガラが日常だったんだから
▲17 ▼6
=+=+=+=+=
昭和の小学生は プロ野球の野球帽被ってたなぁ。 私も母親にねだって阪急のHマークの帽子を買って貰ったのが想い出にあります。
▲43 ▼0
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その風潮は今も甲子園帰りの阪神電車も変わりませんね。私は近鉄ファンだったけどもっぱら歩いて行ける地元・藤井寺専門でした。たまにナイターゲームとホームランを見に日生へ行きました…なんせ狭かったからねぇ
▲44 ▼2
=+=+=+=+=
生まれてから半世紀以上南海沿線に住んでるけど、近所や南海電車の車内でおばちゃんたちが阪急の応援する会話してたのは見たことがない。
ひょっとしてどこか並行宇宙の南海沿線の話なんだろうか(笑)
▲4 ▼0
=+=+=+=+=
当たらずとも遠からずやけど、これはどこまでホンマの話なんや? 「日本のプロ野球の基盤は、関西の私鉄が築き上げた」というのも関西人の贔屓の引き倒しっぽいし、おばちゃんらの会話も今時のおばちゃんと同じような会話がブレーブスやバファローズのあった時代もあったかのように語られてて嘘くさい。
▲29 ▼4
=+=+=+=+=
俺は普通に近鉄電車乗る時も普通に阪神ファンの格好して乗ってた、例えば甲子園の観戦の後に甲子園からなんば線経由近鉄線直通で鶴橋に行く途中に
▲2 ▼3
=+=+=+=+=
>東京セネタース(後の東急フライヤーズ)
まずこういう基本的なコトで間違う記者にプロ野球の記事書く資格がないのは言うまでもないが、昭和年代に大阪では「知らんけど」は一般化してないということもわかってないレベルの 浅さを感じる。
▲28 ▼2
=+=+=+=+=
創作ですね。そんなに関心を持ってくれる一般人がいたなら、阪急ブレーブスも南海ホークスも近鉄バファローズもなくなってません。現実には阪神以外は空気ですよ、残念ながら。
▲26 ▼13
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昔は、日雇いのおっちゃんが一升瓶持って乗ってる南海、商人が乗る近鉄、庶民的な阪神、化粧して正装して乗る阪急のイメージが有りました。
▲3 ▼0
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関西大手で唯一球団を持たなかった京阪沿線民としては他線がうらやましかったです
▲16 ▼0
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私は近鉄の球場があった南大阪線の藤井寺出身でしたが、電車の中でそんな光景見たことも聞いたこともないですよ。
▲25 ▼2
=+=+=+=+=
確かに1970~80頃の阪急百貨店の優勝セールは人が殺到してた。また阪急ブレーブスも強かったからね。
▲51 ▼2
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日生球場のうどんの味が忘れられない。あとコーラ買ったらこぼれないように銀紙でふたをしてくれた。
▲24 ▼0
=+=+=+=+=
阪急ファンのおばちゃんの記憶は無いな。米田、梶本、足立の灰色時代から福本、長池、山田、蓑田の黄金時代になったけど西宮球場で応援してる御婦人は多くなかった。ライターは関西人か?
▲38 ▼6
=+=+=+=+=
さすがに近鉄の話は(笑) 近鉄沿線(奈良線、大阪線)でも一番ファンが多いのは阪神で二番目は巨人、そして近鉄、南海こんな感じかな。ああ南大阪線は知らんけど!
▲3 ▼0
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「山田久志というピッチャーが強いらしいわ、知らんけどな」 「速う走るのは福本豊やんな、よう知らんけど」 ☞この時代から、よう知らんけど は使われてた?
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=+=+=+=+=
>「こら、近鉄乗るときはバファローズの帽子かぶらんかい。昔から決められてるんや。学校で習わんかったんか」
> 周囲の乗客も子どもに同情するのではなく、心の中で秘かに酔っ払いのおっさんに拍手するのだから筋金入りだった。
こういうノリ、嫌いじゃないよ。w
▲6 ▼1
=+=+=+=+=
昔は、プロ野球チームは鉄道会社がオーナーが多かったですね、巨人も、実は京成が所有していた
▲6 ▼1
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数少ない南海優勝時は髙島屋でバーゲンしたのだろうか? 南海沿線のおばちゃんたちは期待もしてなかったと思うけど。
▲4 ▼0
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帽子の話は聞いたことありませんが、 >「昔から決められてるんや。学校で習わんかったんか」 のフレーズはいろんなところでよく耳にしました。
▲18 ▼0
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こんな物語聞いたことないねんけどな… ましてや阪急ファンのおばちゃんが多いとは… 百貨店優勝セールの時だけちゃうんかい? この記事ガセやな。
▲35 ▼3
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今や車両だけなら阪神にも近鉄が姿を見せるのだし時代は変わりました
▲27 ▼1
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適当なこと書いてる。タイガースやジャイアンツの帽子かぶっててもそんなこと言われませんでした。大げさに言ってますね。
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=+=+=+=+=
ほとんどフィクションや! 万が一事実としても、そこまで無茶する奴は一人くらいや。 河内も実態は他府県からの移住者が大半。 ディスるのも、ええ加減にせえや!
▲36 ▼10
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阪神線に乗った時、運悪く阪神が勝った夜で車内は六甲おろしの大合唱。
▲13 ▼4
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阪急と南海が身売りしたときはメチャメチャショックやったわー。
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=+=+=+=+=
阪急や近鉄が優勝しても大して安うならんわ。イズミヤがセールしてたけど。
▲3 ▼3
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電鉄会社がオーナーのプロ野球の話なのに、「国鉄」が全く出て来てなくてワロタ。
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京都・橿原線で良かったよ。
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戦前のセネタースと東急フライヤーズは無関係。
▲6 ▼0
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初代ファミスタのレールウェイズ。 南海も入れてや。
▲15 ▼7
=+=+=+=+=
ヤジネタが理不尽で扱われるんだね
▲2 ▼0
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これフィクションだよ、記者の頭の中で作ったストーリーだから。ところどころ本と混ぜてるからタチ悪いよね。 この記者の言う関西のおばちゃんは週刊誌の「某OB」「さる関係者」と全く同じ存在、同じ地平の人達だからね。 いうなれば、頭に何かキメてるのか?!っていう記事だから
▲19 ▼2
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