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25年前にさかのぼって調査指示、浦和高校の校歌指導に埼玉県教育長

朝日新聞 2/14(金) 17:40 配信

https://news.yahoo.co.jp/articles/7e260b38eaf461193595665290dd58450116cecd

 

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埼玉県立浦和高校で過去に起きた不適切な校歌指導問題について、埼玉県教育委員会の日吉亨教育長は25年前までさかのぼって調査するよう指示したことを明らかにしました。

同校だけでなく全県立高校にも暴言を伴う校歌指導などの学校行事がなかったか報告を求めています。

元生徒の男性が訴えた事件では、新入生向けの校歌指導で竹刀を持った応援団員から罵声を受け、不登校になったという指摘もあります。

浦和高校はこれについて、一部を否定しつつも改善を約束しています。

(要約)

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埼玉県教育委員会の日吉亨教育長 

 

 埼玉県立浦和高校で、過去に新入生に対する上級生による不適切な校歌指導があったと指摘されている問題で、県教育委員会の日吉亨教育長は14日の定例会見で、25年前までさかのぼって調査するよう同校に指示したことを明らかにした。137ある全県立高校にも、上級生から下級生に対して暴言をともなう校歌指導などの学校行事がなかったか報告を求めるという。 

 

 県は2024年5月、元生徒の男性の訴えを受けて同校に聞き取り調査をした。男性は、新入生向けオリエンテーションの校歌指導で、竹刀を持った応援団員に罵声を浴びせられたショックでうつ状態になり、不登校が続いて中退したという。 

 

 浦和高校側は、24年度の校歌指導を調査し、竹刀を持っていたことや罵声を浴びせたことを否定した。一方で、新入生を指名して一人で歌わせていたことは認めたほか、大勢の野球部員が周囲にいたことについて「多人数でプレッシャーを与えていた可能性」とし、「改善する」とした。 

 

 県は当初、同校が「改善する」としていることを理由に、さらなる調査をしない方針だと朝日新聞の取材に説明していた。だが、朝日新聞の報道を受けて、訴えの詳細を把握したとして、方針を改めたという。 

 

朝日新聞社 

 

 

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校歌や応援歌の指導といった伝統的な行事は、多くの伝統校や男子校で見られる光景のようです。

生徒たちは厳しい指導や伝統を通じて、学校への帰属意識やチームワークを培うことができる一方で、そのやり方や度合いには賛否があるようです。

 

 

近年の時代や価値観の変化により、厳しい指導や暴言が許容されないという意見が多く見られます。

ただ、過去の経験を通じて根気強さや団結力を養うことも大切であるとの意見もあります。

伝統を大切にしつつも、そのやり方や内容を見直す必要性も語られています。

 

 

また、現代社会の多様性や個人の尊重が求められる中で、どのような形で伝統を維持しつつ、生徒たちが健康的に成長できるか、学校側が考える必要があるとの声も挙がっています。

 

 

最終的には、伝統を尊重しつつも適切な配慮や指導方法を取り入れ、生徒たちが健康的に成長し、学校生活を豊かに過ごせるよう取り組んでいくことが重要であると言えるでしょう。

 

 

(まとめ)

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=+=+=+=+= 

 

伝統高って必ずこういうのありますね。私も神奈川県立横浜翠嵐高校というかつての旧制中学でしたが、入学式だったか直後だったか、応援団の先輩達が教室にやって来て校歌と応援歌を覚えるよう指導されました。中学卒業したての1年生にとって高校3年生とか恐怖でしかなかったですね。伝統高あるあるですが、時代が変わればこういう結末にもなるのかと驚きです。 

 

▲6527 ▼694 

 

=+=+=+=+= 

 

こういうの旧制中学を起源に持つ伝統校で多いよね。 

日川高校や盛岡一高とか。 

 

応援団の先輩が新入生に対して怒鳴ったとしても、 

そういうコスプレとかキャストが演じているという感じだと思うんですが、 

言葉通りに受け取るような人もおり、一生のトラウマになるのかもしれません。 

配慮が必要な生徒さんは参加しなくても良いとか、 

事前の調査も必要かもしれません。 

 

伝統は守って行って欲しいですが、現代に合わせて変えてゆく必要もあると思います。 

 

▲55 ▼39 

 

=+=+=+=+= 

 

埼玉県の男子校OBです。 

校歌・応援歌練習はイベントです。 

入学直後の上級生の応援団員による指導は恐いし厳しいですが、終われば一転、あんなに怖かった上級生の応援団員がニコニコしながら、新入生である自分達に応援団の勧誘を始めます(笑) 

つまり、いわゆる上級生から下級生に対するいじめではありません。 

意図的に理不尽な環境を作りだし、その状況に対応する練習とも言えると思います。 

学生は社会に出る準備期間でもあるので、そのような経験はある意味で貴重だと思います。 

ちなみに応援団の生徒は校内で人気者です。 

 

▲661 ▼199 

 

=+=+=+=+= 

 

埼玉県立大宮東高校卒業生です。 

今はやってるか分かりませんが、サッカー部では応援練習がありました。 

もちろん校歌も歌いますが、上級生が下級生にいじめと言っても過言ではない方法で指導していました。 

当時は訴える先も無く、こんなもんなんだろうと思ってましたが、普通に考えれば明らかにやりすぎた行為かと思います。 

具体的には1人ずつ大声で伴奏から歌って声が小さければ、両手を地面に付けて腕立て伏せのような格好で「大地を吸って」と言わせる感じです。 

それを見てみんなが笑います 

 

後は期末試験後に走り合宿と言って朝から晩まで走らされる指導を5日間続ける練習を通例として行なっていましたね。その練習について行けない人は辞めていく感じです。もちろん学校の先生が指導を行っていました。 

 

その他、合宿先では試合に負けたら走って宿舎まで帰らされる事や。 

罰としてスクワットを1000回やらされている生徒もいましたね。 

 

▲60 ▼68 

 

=+=+=+=+= 

 

長野県の高校でも、体験入学初日からひたすら大声と威圧で応援練習なるものが伝統という名のもとに行われていました。「伝統」とは便利な言葉ですが、自分も先輩からやられたから、疑問を持たずにやり続けるのは賢いとは思えませんでした。 

「竹刀を持っていたことや罵声を浴びせたことを否定した。」とありますが、間違いなくやっていたでしょうに。立場が悪くなったから大人の側が嘘をついて、生徒を悪者扱いするって本来のあるべき姿とは真逆の対応でしょう。そこは真摯に認めて謝罪しないと、潔さが示せないじゃないですか。 

 

▲54 ▼29 

 

=+=+=+=+= 

 

30年ほど前の卒業生です。入学前に校歌のテープが配られ覚えて入学するのが宿題だった気がします。 

入学後、暗い体育館での応援団による校歌指導。私もその怖さに震え上がりましたが、校歌指導の終了とともにカーテンが開き、明るくなった体育館で応援団の余興(コント)が始まります。その日からは応援団は頼もしいイベントの盛り上げ役となり、3年間の男子校生活の思い出作りに貢献してくれました。 

これも込みでの浦高生活。今も私の心の芯となって私を支えてくれています。 

 

▲5286 ▼1088 

 

=+=+=+=+= 

 

20年前の都立出身、そんなの一切なかったです。偏差値では都立トップ5以内に入る、愛校心の強い高校でしたが、竹刀とか怒鳴り声とは3年間無縁でした。特にトラブルは起きないし、先輩後輩で適度な上下関係は保たれていたし、高校入学の時点で地に足ついてる子が多く、人に上から指図したり主従を持ち込む人もなく、今もみな芯があり打たれ強く国内外で活躍しています。今思えば、当時は同学年8クラス全員名前と顔知ってましたが不登校はいなかったな…。 

怒鳴り声や過度な強制を普通と思っている感覚では、社会にでても「それくらい耐えられなきゃ。この程度なら平気でしょう」と考えると思うので危険な気がします。 

 

▲129 ▼115 

 

=+=+=+=+= 

 

なんかこういう話題になると、なんとなく「時代だから」という理由で反対する人がいるけど…。 

たしかに言われてみれば自分も高校入学したての時、竹刀を持った応援団に校歌の指導をされたわ。正直、言われなければ思い出さない程度の記憶だし、思い出してみればそれはそれで面白い思い出だと思う。 

 

今の若い子たちが社会に出てきて、最初にやることが「逃げてもいい理由探し」になってる気がする。まずは「クリアする喜び」とか「終わった時の安堵」ってのも、味わっといて損はないと思うんだけどね。 

 

▲5992 ▼1407 

 

=+=+=+=+= 

 

なんとなく共学化のために揺さぶりをかけてるようにも見える。男子校の文化の方が、女子校文化よりかは、一般的な現代社会の通念から逸脱するような内容も多いだろうから、そこを崩せば、女子校もやがて共学に切り替わるのかなと感じる。多様性の多様性を突きつけられている時代に、見直すべきところは必要なのは当然だとしても、これで尖った男子校文化が萎縮してしまうのは、果たしていいことなのか気になる。単なる暴走族みたいなことをやっているのとは本質がやや違うはずなのに。 

 

▲3384 ▼538 

 

=+=+=+=+= 

 

浦和高校には「校歌」「応援歌」「第二応援歌」「第三応援歌」「第四応援歌」があり、私の代(数十年前です)には、前者三つを歌えるようになることを求められました。なので歌の指導にはかなり力をいれていたと思います。 

竹刀を持った応援団員による指導は毎年ありましたが、「声が小さーい!!」などの大声で指摘を受けることはあっても、罵声は聞いたことがありません。 

すでにバンカラ文化がコミカルなネタとしてメディアに消費されるようになっていた時代でしたので、応援団のスタイルも新入生に圧をかけるというよりは、ちょっと笑いを含んだようなイメージで「へえ、浦高ってこういう学校なんだ」という意識付けにつながっていた印象があります。 

現在の応援団による校歌指導が当時と変わってしまったのか、それとも今もおなじ雰囲気なのかはわかりませんが、どちらにせよ時代に合った形で校風を継承していってもらいたいですね。 

 

▲1519 ▼177 

 

 

=+=+=+=+= 

 

前にも書きましたが、今の時代、浦和高校がそういう伝統を大事にしているのは受験前にリサーチできます。 

高校なのだから、合わない人は他の学校を受験すればいいのではないでしょうか。 

事前に宿題として音源を渡されているみたいですし、浦和高校レベルの頭のいい子なら覚えられるのでは? 

中にはナイーブな人もいるのかもしれない。 

でも、そういう人は全体の一部でしょう。 

そういうイベントなんだと、大半の生徒さんはそこまで深刻に受け止めてないと思います。 

男子校ならではの伝統もいいんじゃないかと思うのですが。 

現在の在校生の方々の思いも聞いてみたらどうなんでしょう。 

案外、こんなもんだろう、と受け止めている生徒さんも多いのではないでしょうか。 

 

▲1656 ▼344 

 

=+=+=+=+= 

 

これらの件が本当に不登校の原因なのでしょうか?因果関係はあるのでしょうか。 

今までの生徒のほとんどはこれらを受け入れることができたのでしょう。 

最近は自分がうまくいかないことを全て他人のせいにする人の意見をあまりにも大きく捉えすぎのように感じます。 

確かに時代的にやり過ぎ感はありますが、この校風が100%悪いのではなく、これらを受け入れられなかった個人にも責任はあると思う。 

 

▲1185 ▼190 

 

=+=+=+=+= 

 

校歌指導か、その名前を聞くと遠い昔を思い出しますね。野球部に所属していたので、校歌を歌うことは必須。先輩から運動場でも一人で歌わされたな。凄く恥ずかしかったけども良き青春の思い出。 

浦和高校の校歌指導ですが、このような伝統儀式のようなものがあることを知って入学している人がほとんどなんだと思います。厳しい応援指導も浦和高校生として当たり前だと。学校に通えなくなった人はお気の毒ですが、この伝統を一人のために絶やすことはないのかな、と思います。 

 

▲1552 ▼393 

 

=+=+=+=+= 

 

岩手の進学校でしたが、応援歌練習は入学後の第一関門で、私も必死に校歌、数ある応援歌を覚えました。応援団が教室に来て歌詞指導をする時は震え上がりましたが、竹刀を持ってはいるものの暴力は一切なく、母校の伝統としての誇りを持って後輩達に指導しよう。という思いが伝わり、結果全ての歌を覚えましたし、今でも歌えます。 

 

今の時代ではやり方が理不尽なのかもしれませんが、社会に出る前の若者にとってはそれもいい経験だと思います。 

現に私の中でもいい思い出だし、同級生が集まると最後は校歌、応援歌で締めます。笑 

 

伝統が世の中の流れで淘汰されない事を願います 

 

▲401 ▼70 

 

=+=+=+=+= 

 

浦和高校卒業生です。 

このタイミングでこの話が出たのは 

浦和高校はこのような閉鎖的な体質が蔓延しており現代にそぐわない面が見られる。 

ジェンダーレス社会という点も踏まえて共学にすべきと県の教育委員会が無理やりこじつけるために今このように大問題であるかのような報道がなされてます。政治的な圧力です。 

 

確かに私の時代(23年前)には校歌指導はありました。 

しかしながらそれは他校でも同じです。この時代の特に進学校と言われる学校はその分生徒のプライドも高く愛校心も高かった。 

校歌は学校の象徴であり愛校心の象徴的な意味もあって指導してたのは事実。 

 

しかしこれはある種の伝統です。 

政治的な圧力で今回のような報道がなされるのは違う気がします。 

 

▲785 ▼132 

 

=+=+=+=+= 

 

25年前って…。 

入学式までに校歌を覚えて歌えるようにするのは自分の母校も友人の進学した先でもあったように記憶しています。 

そうした校風や行事は入学前に知っているはず。程度のイメージが違ったとしても、辛かった人の体験だけを取り上げて批判して良いものでしょうか。「三兎を追う」浦高生です。入学してすぐの衝撃ではあったかもしれないけれど、校歌指導や強歩大会を通して、何事にも食らいつく、やり抜く心を養う学校なんだと思います。そういう経験を通して自信や誇りを持てること、とても大切ではないでしょうか。 

 

▲207 ▼24 

 

=+=+=+=+= 

 

私の出身校でもありました。卒業してもう24年経ちますが、今でもあるのかな。 

当時は3年生が新入生に対して校歌とか指導してました。流石に当時でも殴る蹴るはありませんでしたが、言葉でガンガン詰めてました。 

時代の流れなのかもしれませんが、こうやって伝統が失われるんでしょうね。 

ただこの時代の変化にも対応していけるものが、伝統として残るんでしょうね。 

 

▲370 ▼66 

 

=+=+=+=+= 

 

自分もそうでしたが、伝統校は同様の指導があります。 

将来降りかかるであろう難局を如何に克服したり避けたりするすべを学ぶ訓練でした。 

部活などで先輩との人間関係を事前に作ったり、 

同級生と事前練習したりしました。 

この生徒はこの校歌指導がなくとも、いずれ後年同様の症状を発していると十分予測できます。 

校歌指導が変わったり無くなったりしても、2-6-2の法則どおり、一定数ついていけない人間は発生します。 

育てられた環境(親)の影響大です。 

 

▲992 ▼301 

 

=+=+=+=+= 

 

埼玉県内の進学校出身者です。 

言われてみれば似たようなこともあったように思います。当時そこには伝統校に進学した重みに身の引き締まる思いを感じた記憶があります。 

その時は厳しいと思いながらも指導していた応援団員たちは、三年間通してその親しみやすさや愛校心により上下級生にかかわらず近しい存在でした。 

新しい社会の厳しさを教える中にもそこには大きな優しさがあったと私は思います。 

生徒総会などは「めんどくさい」と行きたがらないと各校では聞きますが「校歌を歌いたい」が為に全校生徒こぞって率先して参加し、肩を組んで熱唱したものです。 

大変な思いや受け取り方をした方には気の毒ですが、誤解を恐れずに言うならば一部の意見で大きな伝統を損なうことがないことを祈ります。 

 

▲104 ▼25 

 

=+=+=+=+= 

 

私の母校も校歌応援歌指導がありました。これを経験した上で皆さんに誤解しないで欲しいことがあります。 

そもそも、校歌応援歌指導は学校行事の一環で行われており、上級生が勝手にやっていることではありません。 

そして、校歌応援歌指導の目的は、新入生と校歌を歌うことで高校への帰属意識を高めること、挨拶や返事含め、人としての礼儀を意識させることで、中学生から高校生になった自覚を芽生えさせるためであります。 

また、上級生が下級生に指導する期間は入学初期の数日間のみで、その後はごく普通の関係に戻ります。 

私の母校では、校歌応援歌指導中は教師の監視の目もありました。また、健康面で不安な人は事前に名前を控え共有し、当日は後方に配置するなどの配慮もしていました。 

ただ、行き過ぎた指導は良くないので、指導する側が下級生の表情をみつつ指導するなど、留意してより良い校歌応援歌指導をしたいですね。 

 

▲88 ▼10 

 

 

=+=+=+=+= 

 

調査することは大事ですが、粗探しで遊ぶ連中に惑わされないようにと願います。 

良き伝統まで萎縮させようとするマスコミやネットの心ない声に憤りさえ感じます。 

 

先生方は生徒さんたちの気持ちを第一に考えてくださいとエール送ります。 

生徒会に考えさせるのも大事な教育です。 

私の母校はかつて飲酒事件を起こし、 

長年、学校行事が開催されなかったことがありました。 

復活させてくれたのは当時の3年生たちでした。 

先生方の信頼を取り戻すやりかたを後輩の私たちに残してくれました。 

 

▲956 ▼297 

 

=+=+=+=+= 

 

埼玉県の県北にある男子校出身者です。25年以上前の卒業生です。浦高同様、入学式の後に体育館で、応援部の皆さんの熱意ある厳しい指導を受けましたが、そのおかげで校歌、応援歌は今でも覚えていますし、この学校に入学できた実感を感じた瞬間でした。これは思春期、青年期に至る成長の軌跡として、とても想いで深い出来事で、その後の3年間、大学受験、大学生活、社会人生活に至るまで、強く生きる原動力のきっかけのようにも感じています。そう捉えられるか否かは人それぞれでしょうが、私はこの学校に入れて良かったなあ、と感じた最初の瞬間でもありました。卒業後の同窓会でも、応援部だった方の音頭で校歌斉唱がありますが、懐かしいの一言に尽きます。何も悪いことだと思ったことはありませんでしたし、今でもその伝統を引き継いでいることに誇りすら感じます。 

 

▲33 ▼8 

 

=+=+=+=+= 

 

うちの母校でもあったよ。校歌以外に応援歌3曲を怒鳴るように歌って、腕を大きく振って。間違えたり、声が小さければパンチパーマやトサカ頭の応援団に怒鳴られ。怖かったよ。 

応援団に入っても上級生が下級生をイジメる事は日常茶飯事で嫌な思い出。 

でも、野球部が予選で勝ち上がって行くと、応援にも熱が入り、声が枯れるほど歌って声援を送った。試合後に選手が応援団に向かって、深くお礼をする姿に応援した甲斐があったと思う。準決勝で負けちゃったけど。 

甲子園常連校とかだともっと大変なんだろうな。 

 

▲176 ▼44 

 

=+=+=+=+= 

 

36年前に浦和高校を卒業したOBです。先日高校の集まりがありましたが、卒後これだけの時間を経過しても、みんなで校歌や応援歌を歌うことができて大変盛り上がりました。これは間違いなくこの時の指導のおかげです。この伝統的な指導も今では高校時代の貴重な思い出の一つです。当時とは時代が違うかもしれませんが、現代の価値観をふりかざし過去にさかのぼって当時の伝統を否定するのは正しいやり方ではありません。大部分の生徒はこの効果指導を良い思い出として認識していることを忘れないでください。 

 

▲95 ▼23 

 

=+=+=+=+= 

 

私の母校も昼休みにお決まりのバンカラ姿に竹刀を持った応援団が歌詞指導と称してありましたよ!反対の意見を持つ先生は昼休みの時間を押して授業をして、弁当食べる時間も無かった記憶もあります。言葉は確かに今ではハラスメントなんでしょうけど、物理的な暴力はありませんでした。入学前から先輩に聞いていましたが、さすがに実物にはびっくりしましたけど。応援団員のほとんどが成績優秀だというのも伝統だったと思います。時代は変わって今は団員のなりてもなく、周りの伝統校も同じ様子のようです。親にも怒られたことがない子供、大人になって心を病んで辞めていく人、あまりにも無菌状態だと感じます。 

そういえば私の母校歌詞指導の様子を全国にビデオで流されたことがあります。賛否両論だった記憶があります。 

 

▲88 ▼16 

 

=+=+=+=+= 

 

応援団等による校歌指導は伝統校、男子校などでよくある光景。浦和高校のそれも伝統行事と認識しており、それを経て目指し努力し入学した浦高生の一員になったのだと初めて思えた瞬間だった。昨今、何でもハラスメントと申し出れば、色々制限され身動きが取れなくなる窮屈な時代となったが、あの校歌指導は私を漢にしてくれ、人生で1番充実していた3年間の浦高生活の始まりであったことに誇りを持っている。 

 

▲48 ▼6 

 

=+=+=+=+= 

 

私の母校は、体育祭の応援合戦が名物でした。学年縦割りで各クラス伝統の型がありました。体育祭は5月だったので、入学するとまもなく6限が終わると先輩が教室になだれ込んできて、「今日から応援練習を始める、全員残るように!」と言われて、訳のわからないまま集められ、厳しい練習が始まりました。最初はひたすら声出しの練習、校庭の端に立たされ反対側にいる先輩に聞こえるまで何回もやらされました。全員必ず1回は声をからします。練習は毎日、日曜日も集合させられました。体育祭1週間前はなんと部活も中止になり、放課後は応援練習一色になります。はじめはみんな嫌々参加するのですが、だんだん一体感が生まれ、自分も応援練習が生活の一部となり、のめり込んでいきました。もう50年前の良き思い出です。今はどうなっているのでしょうか? 学生の考え方も変わってきて、保護者も昔とは違うので、もうこんなことできないでしょうね。 

 

▲97 ▼18 

 

=+=+=+=+= 

 

私の高校も応援歌の指導が朝からありました。 

罵声は伝統的な感じで、過度ではなかったけど、応援歌を歌い声が大きい人が順番に座ってく指導で、私に目をつけてた中学の先輩1名が周りを座らせて、私だけ歌わされて、周りにその人含め何人か先輩に声が小さい!ってずっと言われ続けました。 

その時変だな思ってたら先輩達が直後にわざとそんな事して大丈夫?って話してるの聞こえちゃってその時いじめだったんだなぁと感じました。20年前の今でも覚えてます。 

伝統は守るのも大事だけど、やり方次第でこんな事になるので…。きちんとやればいいと思います。 

 

▲49 ▼5 

 

=+=+=+=+= 

 

息子は去年卒業しましたが、入学前の宿題から入学式、オリエンテーション、遠泳、古河マラソン、部活、文化祭、体育祭、球技大会、卒業式等全てを全力で取り組み、この文化に参加出来た事に誇りを持っていますよ。周りの子も同じです。また、それは男子校だから可能な話だと思います。なんでも横並びではなく、伝統を貫いて欲しいものです。 

 

▲83 ▼12 

 

=+=+=+=+= 

 

自分も他のコメントの先輩方と同様、母校で竹刀を持った強面の応援団の指導を受けた経験がある。もちろん望んで入った高校だから郷に入っては郷に従えと、竹刀で机や床を叩かれ耳元で怒鳴られたり、中腰の姿勢を長時間とらされたりといった指導を甘んじて受けた。今にして思えば、そんなことをしなくても応援歌や校歌は覚えることは充分可能だったと思う。 

記事に「25年前まで遡って」というところが肝で、おそらくそうした理不尽に近い指導を受けた世代が40代になって実社会で発言力・影響力を持つようになり、今の子ども達に同じ思いをさせまいと具体的な行動に移したのではないか。 

昨今のハラスメント撲滅に代表されるようなコンプラ遵守の流れも、今の氷河期世代が受けた理不尽のひとつを断ち切ろうとした結果だとも思うし、それが教育の現場にもこういう形で現れたに過ぎないと思う。 

 

▲21 ▼9 

 

 

=+=+=+=+= 

 

もう昭和の時代です 私は浦和高校ではありませんが高校入学した時、応援団から1年生はクラス毎に校歌や応援歌の指導が放課後ありました  

威圧感は感じましたが、暴言はありませんでした  

母校の伝統なのだと理解してました 

時代が変わったのです 

まずは、「うつ状態」「退学」の真の原因を調べ、 

因果関係があるなら、その事案の対処と、今後どうするかを高校主体に考えたら良いと思います 

25年前にさかのぼる理由がわからないです 

あと、これから高校受験を控えてる受験生に、影響ない事を願います 

 

▲39 ▼4 

 

=+=+=+=+= 

 

私の通っていた学校にもありました。20年以上前ですし、男子校だったということもあり、「悪しき伝統」の塊みたいなものでした。 

ただ、私も含め私の友達たちはこの悪しき伝統(暴言暴力)を、イベントみたいな、後ろ向いてベロ出すみたいな、ちょっとバカにしながら楽しんでいました。 

こんなこと言ったら今の高校生からは時代錯誤だと思われるのでしょうが、こういった理不尽を軽く笑って受け流すみたいな「たくましさ」を身につけてもらいたいと願ってしまいます。 

命や人権に危険がないならば、理不尽を味わうのも人生のエッセンスではないでしょうか。 

 

▲88 ▼16 

 

=+=+=+=+= 

 

私もどちらかというとこの話と同じく、旧制中学の歴史を引き継ぐ高校卒だが、昔から応援団の指導が校庭に整列して、と言うか整列させられて、前にナラエ、右向けー右向け、回れー右とか。やったもんです。勉強になりましたよ。今でも身についています。そう思ってます。応援団の指導者たちが威張りくさって、肩を切ってる方々が多いと、嫌だと思うけど、私からすれば、良い2年3年生の先輩達でした。大学でも神宮でも応援歌を歌っていました。学徒出陣の先輩方も同じ歌を、何処か大陸とか硫黄島サイパンテニアンなど、或いは洋上の船で口ずさんでいた事もあったかも知れませんね。 

 

▲47 ▼19 

 

=+=+=+=+= 

 

私の出身高校は一風変わっていて、校歌を覚えている生徒は非常に少なかったです。 

 

その代わり、毎年、歌詞と楽曲が募集される「学生歌」はほぼ全員が覚えていました。まず歌詞の募集・全生徒による投票での選出の後、その歌詞に合う楽曲が募集され同じく全生徒の投票で決定しました。 

 

この学生歌は、毎年の文化祭での合唱コンクールの課題曲になるだけでなく、様々な学校行事で歌われました。 

 

校歌の存在感は非常に薄く、私はすっかり忘れてしまいました。一方で、学生歌の方は今でも覚えています。 

 

こんな状態でしたので、校歌指導で上級生からの異常な強圧的指導や体罰とは全く無縁でした。 

 

▲5 ▼13 

 

=+=+=+=+= 

 

伝統校あるあるかな。 

自分の母校のことを振り返ると、新入生向けの校歌特訓(応援指導部が指導)もあれば、体育祭の応援合戦にも校歌特訓(応援指導部も含む各ブロックの応援団)があった。校歌(3番まである)を暗記して歌えるのは当然で、別にある応援歌(1番だけ)も歌詞を見ながらでもいいので歌えることを強く推奨された。 

 

当時は「これが男子校か」ノリを楽しめたけど、よく考えると竹刀で叩いたり、一人を囲んで歌わせたりというレベルの特訓はやりすぎだったのかもしれない。応援指導部(応援団)も過去の伝統を途絶えさせたらいけないという強迫観念があったのかな。 

 

▲32 ▼6 

 

=+=+=+=+= 

 

何か共学化を推し進めたいが為のパフォーマンス見たいですね。 

私も30年前ですが旧制中学の男子校で校歌応援歌練習を「生徒会主催の行事」としてやりました。 

厳しい指導を1週間近く経験した後、最後に耐え抜いたみんなを一年生として認め、入学おめでとうと応援団長に言われた時にはうれしくて涙が出そうになった思い出です。その「行事」の後の応援団は、学校の象徴的な存在だった。応援団長は優しく、常に応援団は笑いの中心であり、全て伝統的なパフォーマンスだったと認識している。 

だからこの議論自体が本当に何にもわかってない奴らの「揺さぶり」に感じてしまって、とても腹が立ちます。高校を選ぶ時点で別学が嫌なら共学を選べばいいし、極端に別学が「不自然」とするのは選択肢を狭める事になりナンセンスではないかと思います。 

 

▲24 ▼6 

 

=+=+=+=+= 

 

埼玉県の男子校OBです。 

昔から「校内の常識は世間の非常識」と言い伝えられ、それを学生ひとりひとりがわかった上で高校の中ではいろんなヤンチャをしていたと思います。 

20年ほど前ですがうちの高校も新入生へ洗礼を浴びせるイベントとして校歌指導がありました。 

教師は一切関知しない、学生主催のイベントでしたが、やり過ぎと感じた行為(当時の価値観の中で、ですが)にはその場で真っ向批判するような学生もいて、学生自治がある程度機能していたし、そういった経験の場としても意味のあるものだったなぁと今となっては思います(新入生当時はこんな高校入るんじゃなかったと震えてましたが笑) 

20年前と今とでは世間はもっともっとコンプラに厳しくなっていることも考えると仕方ない部分はありますが、その分違った形で学生ひとりひとりが三年間で良い経験を積める環境は残していってほしいと願います。 

 

▲7 ▼1 

 

=+=+=+=+= 

 

伝統ですね。僕も定期戦のある伝統校を出ていますが、入学してすぐの日に放課後全員教室に残るように言われ待っていると遠くの一組側から怒鳴り声とともにみんな体育館の方に走り始めてびっくり。 

自分のクラスにも怒鳴り声と共に上級生が入ってきて体育館に向かった。、暗幕を通って中に入ると四方を椅子で囲まれてうっすら見えるのは上級生と怒鳴り声。めっちゃ恐かったけどそれが応援団への入団式。そこから地獄の校歌、応援歌の練習。地獄だったけど、伝統校ならではの思い出。 

今はダメなんでしょうね。伝統では片付けてはいけない時代。肝に銘じないと 

 

▲219 ▼76 

 

=+=+=+=+= 

 

時代に合わないということなのだろうけど、学校主導でなく生徒主導で続いてきた伝統を大人が規制するというのは何とも。 

地方の進学校出身でまさにそのような通過儀礼を受けましたが、振り返ると乱暴にふるまっているようでいても暴力はなく、高圧的でも屈辱を与えるようなものではなかったと思います。古い記憶なので多少美化されているかもしれませんが。 

今回の件で学校側が効果指導に干渉するとしても、生徒の自主性が保たれるようにしてほしい。 

 

▲18 ▼5 

 

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岩手の皆さんのコメントを読みながら卒然とある番組の記憶が蘇ってきた。 

今を遡ること三十年前、NHK教育でルー大柴司会の「ファイト」という番組を見た。 

高校応援団の対決コーナーに岩手の高校(校名を失念..)と熊本の高校二校、あわせて三校が登場。いずれも旧制中学由来の伝統校であった。 

岩手の応援団の学ランには目を疑った。弊衣破帽にもほどがある“ボロ”だったからだ。しかしその佇まいは他の二校を凌駕していたように思う。ただ演舞自体は「クマタカ」がもっともスマートだった記憶がある。 

 

ググったところ、YouTubeにあるようなので改めて見てみたい。 

 

▲2 ▼1 

 

 

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私の高校も入学式翌日のオリエンテーションで上級生からの校歌指導があった。兄姉がいる子や先輩に友達がいる子はそのことを知っていたみたいだったけど、私含めほとんどの人が「何が始まるの?」状態だった 

メロディも分からないままに上級生が「校歌斉唱!」と叫び、アカペラ?で皆歌詞を叫ぶ。上級生が1年生の列の間をウロウロ回り、大声でちゃんと歌えたと判断された人から肩を叩かれてその場へ座れた 

覚えの悪い子や声の小さい子は最後まで立たされて残った数人だけでokが出るまで繰り返すという地獄のような時間だった。 

最後までokが出ない4〜5人はステージに上げられ見せしめのように校歌を歌わせられた。それが校歌だけでなく、高校の応援歌?のようなものも合わせて全部で5曲あって、休憩挟んでみっちり150分やった。 

今だにあの時の恐怖心というか戦慄感というか、ずっと覚えてる。10年前の話だけど今もこんなんやってんのかなぁ。 

 

▲9 ▼3 

 

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広島県の伝統と歴史の長い公立高校ですが、30年前に同じ経験があります。 

校歌に数種類の応援歌を覚えてないと、応援団に罵倒され1人で立って全校生徒の前で歌わされる。 

声が小さい人が同じように、立って歌わされる。 

 

男子は特に厳しく、部活が運動部だと比較的軽く済むんですが、文化部や帰宅部はかなり厳しくやられてましたね。 

 

今は無くなってると信じたいですね。 

 

▲422 ▼129 

 

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高校に入って直ぐの頃、体育館で先輩達が大きな声で堂々と校歌を歌っている姿に大人を感じました。最初は、なかなか大きな声で歌えなかったですね。 

来年は、先輩として新入生に同じ様に歌って見せられるか不安でした。 

高校を出て50年以上経ちますが、同窓会で一番盛り上がるのは校歌斉唱です。私達が在学中に一部校歌が変わったのも良い思い出です。 

 

▲8 ▼2 

 

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確かに一年のときこういうイベントがあるのを知らなくてびっくりしたし、嫌な気持ちになったのもある。 

でもすぐにこういう伝統があるって知って、翌年には今年もやってんなくらいの感じだった。 

間違えないで欲しいのは、応援団って校内では人気だし、今の時代に合わない練習とかも乗り越えてて尊敬されてるのよ。 

まぁ辞めてしまった子は可哀想ではあるが、最近の子って守られすぎててストレス耐性なさすぎる気もする。 

個人的には共学化問題も含めて伝統を守って欲しい気持ちのほうが強い。 

この考えが時代に合ってないのは理解してるけど、関係者は同意な部分が多いと思ってます。 

 

▲82 ▼21 

 

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自分が高校に入った時は1年全員が校庭に集められ校歌や応援歌などを歌わされた。 

応援団が見回りながら、声が小さいとお前、前に出ろ、と言われたり、背中を押されたり、それはもう怖かったことを思い出す。 

しかし何度も歌わされているうちに校歌も応援歌も覚えた。 

ちなみに学校では校歌も応援歌もどんな曲か教えてくれたわけではなく、手帳に歌詞が書いてあるだけだった。 

遠い昔の話だが今でも覚えている、たかが校歌や応援歌と言えばそうなのだがその厳しい指導の陰と思っている。 

 

▲47 ▼19 

 

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30年以上前のOBです。体育館の壇上からパンチパーマやらリーゼントやら茶髪やらヒゲを生やしたエンダンの奴らが竹刀を手にドカドカ降りてきてやられた校歌指導は震えが止まらなかった恐怖として今でも鮮明に覚えています。 

でもそれが終わったあとにそのエンダンの奴らが、「浦高へようこそー!」と一発芸やらコントやら余興をして新入生を大歓迎してくれた嬉しさはそれ以上に忘れられない楽しかった思い出です。 

浦高ではエンダンは尊敬される存在でした。今は人数も減ってしまって他の生徒たちが手伝ってくれているのかな。その伝統はいつまでも受け継いでいって欲しいなと願っています。 

 

▲5 ▼4 

 

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日々厳しい鍛錬を重ねて、大声を張り上げて学生達を鼓舞してくれる応援団は浦高生の誇りである。校歌指導は新入生歓迎イベントの出し物の1つであって、かわいい新入生を本気でいじめてやろうと思っている団員は絶対にいない。秋田のなまはげとか、仮面ライダーショーで悪役に連れていかれて泣きじゃくる子供みたいなもので、心が成長すれば普通に乗り越えられる。受験シーズン真っ最中にこんなことを突っつく前に、社会全体にはびこる陰湿なイジメや差別を真剣に無くしてもらいたい。 

 

▲394 ▼125 

 

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私がいた高校でも応援団の厳しい指導がありました。中退した子の気持ちはよく分かります。 

いい思い出だったか?と言われると正直不快な気持ちしかありませんでした。 

ガンつけられたり、大声で怒鳴られたり、机蹴り飛ばされたりと、それで貴重な時間を奪われ、得たものは校歌・応援歌を歌えるようになったぐらいで、おっさんになった今、辛い思いでだったなと思うところです。実際に自分の一つ下の後輩の世代から、親御さんからかなりのクレームが入り、応援団の指導が大分易しくなったそうです。 

ただ、皆様のコメントを見ていると応援団の指導を肯定的に見ている方もいるし、応援団の指導は自主的に受ける生徒達だけでいいと思う。 

 

▲68 ▼23 

 

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地方の高校だけど俺らもあったよ、入学後一週間の校歌指導。学ランの応援団が竹刀持って「早く並べ!」「あちこち触るな!」とか言って。だけど最終日には「お前らよく頑張った」って。すると女子たちが「きゃ〜〇〇さ〜ん、素敵〜」で男子は「ち、なんだよあいつらカッコつけやがって」までがワンセット。 

 

伝統行事だったし、今思えば楽しかったけどなー。今は地元を離れて暮らしてるけど、時々甲子園に出て流れる校歌を聞くと懐かしく思い出します。 

 

▲16 ▼2 

 

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20数年前、福岡の自分の高校はありましたよ。各部活の主将が係で新入生に校歌と応援歌を新入生に覚えさせましたね。放課後体育館で1時間くらい、生徒手帳の校歌、応援歌のページひらかせて腕まっすぐあげて。 

私3年生になった時は部活で主将してたので、新入生に怒鳴って覚えさせましたねぇ。運動部の男女の主将はみんな嫌でもその係でしたよ。 

先生は表向きノータッチの立場とるんですが、これが我が校の伝統って事で黙認のスタンスで学校行事として当たり前にありましたよ。体育教官室入ったらホワイトボードに一年生校歌練習ってちゃんと書いてありましたよ。 

昔は良くて今はダメって事は皆理解しているのでそれで良いんじゃないですかね。 

その時代を否定する事になりませんかね。 

帯刀して切腹する時代もあれば、おはぐろが既婚者は当たり前の時代もあるし、特攻、天皇万歳の時代もある。 

わざわざ否定しなくても暗黙でわかってますよ。 

 

▲5 ▼2 

 

 

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自動車教習所の教官も昔はおっかなかった。早く発進させようと交差する交通の信号機をキョロキョロ見ていたら「おめえ、どこ見てるんだ!前方の信号機だろ!見るのは。肝心な人、クルマの動きを見逃すぞ、ったくよ」。悔しかったが、日々の運転に生きている。現在教習所に通う息子に訊くと、教官は皆温厚で褒めてくれるとのこと。過去の風潮や粗野な言葉を美化するつもりはないが、時代が変わった。 

 

▲34 ▼2 

 

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私の高校もそうでしたよ。30数年前の話ですが…お昼の時間に3年生が突然戸を開けて「弁当しまえーー」って大声で入ってくるんです。やっぱり竹刀を持って笑 

そして応援歌だったか校歌だったか歌わされました。それが伝統行事でした。当時は怖かったですけど、誰も何も言わず従ってたし、上下関係厳しかったからなぁ( ̄▽ ̄;)しかも先輩たちがかっこよくて。。美人で。。短ランボンタン、ポニーテールにロンスカ 

今となっては忘れられない思い出です 

 

▲23 ▼8 

 

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昔母校で応援歌練習やりました。 

入学から応援歌練習まで約1ヶ月あり、覚える時間が設けられていました。そのため練習の時覚えていないと『この期間何をしてきたんだ』的な感じで怒られます。 

緊張でど忘れもするから許してよ…と思ったこともありますが、振り返ると時間はあったのに何故やってこなかった?と言われてもしょうがなかった気もします。伝統に毒されているかもしれませんが。 

応援歌練習より入学後すぐの上級生を前にしての自己紹介の方が大変でした。出番がくるまで何度も大声で自己紹介の練習をします。 

やり方は一回だけ見せてくれますが、後はランダムで『お前、(練習として)やってみろ』と当てられて練習→ダメ出しを何回か繰り返します。応援歌練習は期間があるからまだ良かったですが、こっちはぶっつけ本番。前情報はありましたが訳も分からない中始まるのに色々言われ、正直こっちの方が指導内容含め理不尽さを感じましたねぇ… 

 

▲0 ▼1 

 

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浦和高校だけやり玉に上がってるけど、古くからの進学校で運動会の応援合戦などが盛んな高校は同じようなことしてるはず。 

私もこのような活動に耐えて卒業時には成長できた・いい思い出だったと感じた口ですが、一部の生徒にとっては耐え難い経験だったんだろうなと、大人になって改めて思ったことがあります。 

自分にとってはいい経験だったので残せと言うのは完全に生存バイアスで、その下には病気になったり退学を選んだ生徒が隠れている可能性があることはちゃんと認識する必要があります。(耐えられない生徒は問題があったなんて切り捨てるコメントもありますが言語道断だと思います。)教育機関の在り方としては、生徒「全員」が健やかに教育を受ける権利があるはずなのでね。 

かといって、たまたま話題になったから浦和高校だけ処分を受けるのは在校生徒も納得できないはず。皆が納得できるような形でアップデートしてほしいですね。 

 

▲35 ▼4 

 

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名門校ですね。作家の佐藤優さんがここのOBです。前身の旧制浦和中学は戦前、佐藤紅緑の熱血学園小説「あゝ玉杯に花うけて」の舞台になりました。 

 伝統ある進学校には、生徒を信じて自主性に任せる自由な校風と、「蛮カラ」(ハイカラの逆。質実剛健や野趣を気取る精神)が同居しているところが結構あり、ここもそうなのかなとお見受けします。 

 「応援団員による校歌指導」とはまた、かなり硬派な伝統ですね。男子校らしい文化とも言えますが、高校生はまだまだガキなので、さじ加減を間違うとハラスメントにもなり得る。どの程度のシゴキだったのでしょう。 

 有名な学校ですから、今さら調査指示と言っても教育長だって校風はよく承知していたはずで、単に体裁を繕っている感じもします。一方、朝日はどちらかと言うと「これは封建的・非民主的な悪」とレッテルを貼り、鬼の首を取ったような顔をする一面もあります。今回はどうだったのかな。 

 

▲6 ▼0 

 

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群馬の浦高と同じような男子校出身ですが、ここ数年の卒業生である自分でもこういう校歌指導は当たり前にありましたし、教員は目を瞑ってました。通過儀礼としての伝統は確かに尊重されるべきだけど、下級生を思いやらない厳しい校歌指導で傷ついてた生徒も沢山いました。伝統と生徒の心をどちらも尊重していくべきだと感じます。 

 

▲38 ▼9 

 

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特に問題とは思わない。 

中学までの皆んなでお手手繋いで、仲良くから 

高校からは自分の人生を自ら求め、切り拓いていく時期であり、中学までの安穏とした環境を切り替えるキッカケだと考える。 

自分は旧制中学から続く公立高校出身だが、 

あくまで私見だが、入学式の校長訓示、式後の在校生対面式での洗礼(浦高とは異なるが)を通じて、今までの甘い思考から、自ら考え・求め・得るという基本的行動規範の必要性を、私自身の納得と緊張共に実感した機会となった。 

 

▲60 ▼22 

 

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私立の高校に入学して最初の行事が体育館に集合しての応援歌の練習だった。野球部が地区大会の決勝戦の常連だったせいも有るのだろうが、入学したての1年生が応援歌など知る由もなく、皆で口を動かして歌ってる振りをしたもんです。応援団がやかましかったけど、市内の中学の喧嘩の強い輩の集まりが入学出来る程度の学校だけに怖くは無かったけどね。運動会で騎馬戦が有り上級生を負かした時はスカッとしたもんです。 

 

▲10 ▼2 

 

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社会通念上行き過ぎた指導なら問題だし、今の時代にそぐわない面も無いとは言えないが、旧制中学からある高校なんて程度の差こそあれ、だいたいそんなものだろうと思う。 

数年前だったか、旧制中学からある伝統高校を卒業した男性からの「応援歌練習が辛くて酷かったから改善するべきだ」旨内容の投書意見が地元紙に掲載されたが、それが伝統であると県民からも認知されており、問題視もされなかった。 

中学校で順風満帆だった秀才がぶつかる最初の試練なのかも知れない。 

それでさらに鍛えられて東大に何人も行ったり、各界で活躍しているんだからね。 

ちなみに自分はその高校に入れなかったよ。 

 

▲396 ▼153 

 

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今の御時世これもハラスメントになるのか。 

私は男子校、入学式翌日から朝、授業開始までの1時間は応援練習(校歌、校訓、応援歌)の練習で、長ラン、下駄を履いた竹刀を持った応援団の特訓を受けた。1種のセレモニーなのだが、当時は必死に覚えたな。おかげで30年をとうに越えた今でも校訓、代表応援歌は歌えるよ。当時はきつい思いをしたはずだが、今はかけがえのない思い出になったかな。時間とは芸術品だ。 

 

▲4 ▼8 

 

 

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うちも式の前に上級生からの校歌指導があったな。歌会と呼ばれていた。 

声出して歌うことを徹底された。 

別に特段嫌とは思わなかった。 

声出して歌うのが普通だし。 

中には声出したくない人もいるとは思うが仕方ないよね。こういう学校を選んだのだから。 

上級生の指導で礼儀作法、特に声を出して挨拶することを学べた。今もそれが行きている。 

 

▲19 ▼8 

 

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私がこれまでの人生、辛い時、どうしようもなく情けない時、悲しい時、悔しい時、四面楚歌で途方に暮れた時、日本を飛び出して海外で外国人になった時、ピンチの時、泣きたい時、人生に絶望した時、大きな権力と対峙した時、勝負の時、自分を信じなくてはいけない時。その全てを乗り越えられたのは、高校時代にこのような経験をしたからです。イジメ?ハラスメント?ナンセンスである。男子がこの先の人生、人生の荒波を乗り越え、困難を克服し、世界で活躍するための一つの訓練の形です。 

 

▲5 ▼12 

 

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良いか悪いかで判断すればよくないことなんだろう。だけど社会に出ればいくらコンプラが厳しくなったとはいえ、やはり理不尽なことはあるし「私は間違っていないから」で済むことばかりではない。難しい問題だけど、どこかでそういう体験をしておかないと、結局世の中で生き残ることはできないと思う。皆が皆優しくて他者への愛に溢れる世の中ではないのが現実だから。 

 

▲4 ▼4 

 

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40年ほど前、荒川区の中高一貫に入学したら、まず始まったのが中1への応援指導。 

4月、5月にライバル校とのボートレースとか校内運動会があって、高3が中1の周りを囲んで、「声が小さい」とか怒鳴って、机を蹴飛ばしていました。 

中1と高3は大人と子供くらい体格が違うのでちょっと怖かったです。 

なのに、私は体が小さいのに、何故か盛り上がってしまい、「返事は『オー』だ!」と言われて喜んで「オー!」と叫んでいました(笑) 

でも、後から考えてみると、そういう雰囲気があわない人もいるのかも知れませんね。 

 

▲10 ▼2 

 

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地元紙の埼玉新聞が「日輪の下に」という公立6校応援団に好意的な記事を書いてる裏で、現時点でおそらく朝日新聞のみ?が教育長様の発言を取り上げて、批判的なことを記事にして大事に騒ぎたてる。なんだかなあという印象。 

現場の教師が今まで許してきたことを騒ぐ必要があるのだろうか? 

暴力、暴言など明らかにダメなことにはストップがかかるでしょう。 

時代の潮流に合わせつつも、伝統校の応援文化を守ることも同じく大事なことだと思います。 

 

▲11 ▼14 

 

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嫌な世の中になったもんだ。 

自分の学校の校歌を覚えるくらい当たり前だと思う。応援団による威圧的な指導が問題というが、他の方も書いているが、指導後には応援団を中心とした新入生歓迎会が行われていい雰囲気だった。その後も学校全体の盛り上げ役として文化祭を中心とした学校行事はこの上なく楽しめた。 

ごく一部の少数意見を拾い上げて、全体の雰囲気を壊すようなことが昨今、非常に多い気がする。このような意見を本当に拾い上げる必要があるのかをしっかり考えて上は行動を起こさないと社会全体がおかしな方向にいってしまうだろう。 

個を尊重するあまり集団を腐らせてしまっている。そうではなくて人は集団の中で個を輝かす術を今一度、身につける必要がある。人は個では生きていけません。 

 

▲280 ▼93 

 

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これねえ、自分も高校で体験しています。 

ただ、一週間の期間限定だし2年・3年生になると昼休みに1年校舎に冷やかしで見に行くのも慣習になってました。 

礼儀に厳しい学校でしたが、職業高校だったので「卒業後すぐ就職」が多いし、採用する会社側も「あそこの卒業生なら大丈夫」といわれるところが多かったので、ある程度の厳しさはあってもいいと思うんですが? 

 

▲128 ▼41 

 

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可哀想だが、この指導で耐えられなかったと言うことは駅のホームで知らない酔っ払いに罵倒されたり、繁華街で喧嘩売られたりした時にもっとつらい想いをするんだろうな。 

社会に出たらそういうこともあるだろうに、大多数の人が耐えられるものを耐えられないのだと教えられたと思うことはできないだろうか。 

という正直最初に感じたこの意見も無理筋かもですね。 

きっと校歌指導がなくなって終わりか。それを分かっていながら放置した学校側の責任が問われるなら、この人だけでなく嫌な想いをした全員に何かしらの償いをして欲しい。 

大多数の人が耐えたことを耐えられなかった人の言ったもの勝ちにせず平等に償いをし、言い出したこの人が感謝されるよう願います。 

それが弱い人が社会に貢献できる仕組みだと思うから。 

 

▲2 ▼4 

 

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あったなあ、高校時代に。 

応援団長とか指導の先輩とかそれこそ竹刀持ったり怖い感じで入ってくるんだけど、後々に、先輩たちも怒鳴る演技とか練習してて、本人達も緊張しながらやってたと分かったり、本当に具合悪くなっちゃった子には物凄く優しく対応したりだった。なんだかんだと応援団の先輩達は1年生に凄くモテてましたね。 

今の時代にそぐわないと言われればそうだけど…一種の社会勉強になったなと個人的には思う。 

ただ、今の時代の流れ的にはこれから先はこういったパフォーマンス行事もどんどん淘汰されていくんだろうな… 

 

▲14 ▼3 

 

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こんな話題、昔はどこの高校でもあった話ではないでしょうか?部活に関わらず帰宅部の生徒も体育祭で歌わないといけないからと先輩の指導は慣例でしたよ。 

竹刀や暴言は当たり前。声出さない奴は何回も歌わされ、それこそスパルタでしたよ。 

私は帰宅部でしたが、卒業して四半世紀超えて、野球部の甲子園出場で校歌が流れた時は、勝手に口ずさんでましたし歌詞もしっかり覚えていました。 

アレがあったからこそ、身に付いていると懐かしく思いましたけどね。 

 

▲11 ▼6 

 

 

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祖父が浦和の卒業生です。 

年齢もあってか帰省の度に物忘れが酷くなっていますが、高校のことと私や従兄弟が小さかったときの話だけは毎回してくれます。高校の白黒写真の卒業アルバムを持ってきてはどのページを見てもどんなことがあったか嬉しそうに話します。 

進学する高校が決まって不安だった春休みの帰省で高校はどんなところ?と祖父母に聞くと、祖父はおとなしくて目立たない学生だったそうですが、高校生活でつらかったことはなかったと言っていました。とぼけたところのある人なので、厳しい指導があってもそんなに気にしていなかったのかなとこの記事を見て思いました。 

私は校歌指導のある関東の公立伝統校に入学しましたが、上下関係や部活で心は折れました。耐えられる人は本当に尊敬しますし、耐えられなくても生きていけると今なら思いますが、望んで入った学校との相性が壊滅的に悪いことに気づいたときのあのつらさは忘れられません。 

 

▲19 ▼2 

 

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30年位前に旧制中学の伝統校に入学しましたが、同じですね。高校合格してテープの校歌を覚えるという宿題が最初の課題でした。入学式翌日から延々と放課後に応援団指導という名の校歌指導があって、完全に怯えた状態で参加していたのを覚えてます。今は良い思い出ですが、当時は結構ギリギリの精神状態だったなと思い出します。私は耐性がある方ですが、無理な人は絶対無理でしょうね。辞めてもおかしくないと思います。 

 

▲27 ▼4 

 

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30年以上の川越女子高校では、入試の面接で面接官に「デビルマンの主題歌、歌える?」と聞かれ、入学後に上級生の前でデビルマンの主題歌を歌わされました。 

入学式の翌日から上級生が教室にやってきて、9月の文化祭で踊る「ハッチ」というダンスを特訓されました。 

楽しい思い出です。 

 

▲74 ▼38 

 

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伝統校とか進学校とか関係なく、昔は多くの高校で、応援歌練習という一年生に上級生が気合を入れる、威張る機会があったのではないでしょうか。昔は○○ハラスメントなんて無いし、スポーツでも水を飲んではダメ、我慢して気持ちで乗り切る時代だったし、今とは随分違う時代だった訳で、コロナもあって応援歌練習も変わったんだろうと思います。 

 

▲5 ▼1 

 

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校歌指導と聞いて、自分の高専時代の事を思い出しました 

記事を読んでみると単なるいじめなので全然中身は違いますが。 

 

学校は県の中でも田舎の方にあったので半数以上は寮に入るのですが、その寮の規則がとても厳しいのです。例えば寮内で先輩とすれ違う時は必ず大きな声で「挨拶」が必要で、もしそれを怠るとあとで「正座」の罰がまっています。人数が多いと全体責任として寮の1年生全員が廊下で1時間の正座をさせられます。 

 

そのような掟の中の一つが「寮よう歌」斉唱というのがありました。 

5月頃に、寮近くの花見の名所の広場で「大声で」寮よう歌を全員で歌うのです。「大声で」というのがミソです。 

 

入寮してから1か月間くらい毎日練習があるのですが、重視されるのは声量の大きさで、何度も物凄い大声で「声が小さい」と怒鳴られました。 

おかげでガラガラ声が収まる5月頃には、以前の3倍くらい大きい声が出せるようになりました。笑 

 

▲20 ▼25 

 

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私も藩校から旧制中学の流れをくむ県立校出身です。入学後の応援指導はありましたね。精神的負担からか応援指導が終わるまで学校を休んだ女子がいたのを覚えています。 

平成初期は普通に、あるある、でしたが今の時代には受け入れられないのかもしれません。旧制中学からの歴史ある高校はどこも似たような印象があります。応援指導も時代の変化に対応しないとこのような問題提起がされるのでしょう。 

 

▲34 ▼6 

 

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親父世代ですが… 

自分が学生時代は締め付けてくる大人、逆らえない大人が疎ましく感じられてました。押し付けの脅迫的な教育はいけないと思いますが、一方で子供が完全に大人をなめている。 

言うことを聞かなくても痛い思いをしない、なんかあれば大袈裟に騒げば裁かれるのは大人だから… 

いわゆるゆとり教育を受けたお子様たちがすでに社会に出られてます。その子達もまともに叱ることすら憚れる今の世の中ですが、それでも本当にゆとり教育って必要なのか?を真剣に考えるべきだと思います 

 

▲14 ▼3 

 

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これ応援団の校歌指導は名物になっていたかと思います。学校行事になっていて新入生の行事として時間割に入っていて応援団が一年生のところに来てビビらせて校歌練習する。まわりに教員もいて今年はどんな感じだろうと見ているような。学校公認の行事ですよね。 

 

▲4 ▼1 

 

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昔ですが、校歌のクラス対抗合戦とかが入学したてのときにありました。芸術が音楽選択ばかりではなく書道や芸術があるので校歌を覚えるならそのタイミングしかなかった。 

学校によると思いますが、コロナを期にそういった伝統がなくなり校歌の歌えない高校生が増えたことは少し寂しく思います。 

 

▲6 ▼5 

 

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新入生向けオリエンテーションの校歌指導で、竹刀を持った応援団員に罵声を浴びせられたショックでうつ状態になり、不登校が続いて中退したということですが、20数年前の話ですよね。何か被害を受けて訴えたいことがあればその時に声を上げるべきですよね。今、同校に対して訴えを起こしたとのことですが、20数年もの間ずっと悶々と抱え続けて今日に至ったということですかね。これは何か個人的な問題のような気がして、そっとしてやってほっといてやったほうがいいのかもしれませんね。 

 

▲51 ▼20 

 

 

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浦和高校さんほど文武両道ではありませんが(笑)私学の男子校でスポーツも盛んな学校で、やはり入学後校歌と応援歌の練習はさせられました。ただし応援団が弱いので(笑)先生主導のもと練習だったと記憶してます。 

ラジオでリスナーの投稿でどこの学校とは言わなかったけど、「1年〇組△番 校歌1番歌え!」と一人で歌わされたという話は耳にします。男子校ではよくあるとか。 

公私学問わず質実剛健な校風な高校はこのような練習指導は結構あるようですね!「應援團」という組織がものをいうのではないでしょうか? 

 

▲2 ▼0 

 

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岩手県の伝統進学校を卒業しました。それは入学式当日にいきなり新入生への洗礼として起きます。クラス分けが済んで担任先生の挨拶が終わると、どういう訳か担任が何も言わずに教室を出て行き、暫しの沈黙が教室を支配します。すると突然、教室の引き戸をバーン!と乱暴に開けて、学校の応援団が乱入して来るのです。そして、新入生ひとりひとりに渡されたばかりの生徒手帳の校歌そして何種類もある応援歌の頁を開かせて、「明日までに歌詞を全部暗記して来い!」と一喝して、校歌全コーラス、応援歌全コーラス、そして大会で負けた時に歌う「逍遥歌」全コーラスを一通り一度だけ歌ってみせます。「これで節は覚えたな!明日の放課後に新入生全員参加で校歌と応援歌の合同練習をやる。皆、全部ちゃんと歌えるはずだな!」と凄んで、教室を後にします。そんなの無理ですよね。 

その放課後の応援歌練習の過酷さというのが、この岩手のバンカラ校の伝統なのです。 

 

▲47 ▼11 

 

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入学したからには、校歌を覚えるのは当然でしょ。勿論、そんな竹刀を持っていたり一人で歌わせるというのは論外ですが。ちなみに自分の高校では音楽の授業でしかやらなかったので、美術と書道選択のクラスは校歌を知らないで卒業してしまったわけですね。 

甲子園の応援では勿論初戦に両校の校歌を流すようにしていますが、歌っている学校と歌っていない学校が見受けられます。指導方法に問題があるにしても、自分の学校の校歌ぐらい歌えるようになってもらいたいです。7回表裏のエール交歓で誰も校歌を歌ってなかったらしらけますよね。 

まあ、余談ですが、阪神タイガースの「六甲颪」がずっと歌われ続けていたのも、それほどまでに名曲として位置づけられてきたからなのでしょうね。本物のファンならイントロからフルコーラスで歌えとか。 

 

▲2 ▼2 

 

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暴言はいけませんね、個人を否定するような怒声も。 

私もいわゆる伝統校に通いましたが、当時もありました~そういう行事、笑。 

校歌と応援歌2つ、入学してすぐ上級生の指導がありました。進学校だったためか、あまり他者に興味がなかったのか、女子比率が高かったからなのか、穏やかで真面目な校風だったので、暴言などは一切無かったです。 

まぁ、入学前に皆自主的に覚えていくので、上級生は覚えているか確認しに来たみたいな感じだったと思います。さすがに、うろ覚えでゴニョゴニョしてると「声小さい、大きな声で~!」と注意される子も居ましたけどね。 

別に伝統自体は悪くないと思いますけど。 

繰り返しになりますが、暴言がいけないのです。そこは注意しなくては! 

 

▲11 ▼4 

 

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私の行っていた高校は 

体育科であったため 

校歌と応援歌の2つの歌詞の筆記試験がありました 

覚える為の試験なので担任からは落ちても咎められることはなかったですけど 

部活の先輩たちにはプレッシャーかけられた記憶があります 

共に3番まで歌詞があり 

間違えた分だけグランドを一周づつ増やされて 

私は10周走ったと思います。 

昭和の時代はそれが当たり前でしたね 

 

▲9 ▼3 

 

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遠い昔の卒業ですが、生まれも育ちも浦高の 

すぐ近く。父親も同じ。入学前から色々聞かされていたし楽しかったよ。サッカー部で全国を目指したが市立、西、南が強すぎて太刀打ち出来なかった。校歌の件もいい思い出です。 

 

▲14 ▼4 

 

=+=+=+=+= 

 

どこの県も伝統校はこういうのあるし、そもそも入学前にあるの分かってるはず こういった伝統をわざわざ消してしまうのも勿体ない だったら最初からこういう伝統がない進学校に行けばいい話 

自分も当時は若干怖かったけど、それがあるから10年以上経った今でも応援歌はだいたい歌えるし懐かしい思い出のひとつになってる 

 

▲16 ▼10 

 

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埼玉県立浦和高校には共学化問題があり、校歌指導に関する25年前までの異例な調査指示には、政治的な意図がある可能性が疑われます。 

 

埼玉県教育委員会は浦和高校の共学化を進める方針を示していますが、浦和高校の同窓会や伝統を重んじる勢力は強く反対しています。県教委は校歌指導問題を公にすることで、共学化反対派の立場を弱めようとしている可能性があります。 

 

伝統男子校の厳しい指導文化を「時代遅れ」とする世論を形成し、共学化を後押しする狙いも考えられます。教育長である日吉亨氏が2023年まで浦和高校の校長を務めていたことも含め、何らかの政治的な駆け引きが背景にある可能性は十分にあります。今後の共学化議論の流れを注視する必要があるでしょう。 

 

しかも日吉氏は自らがかつて率いていた学校を貶めるような形で問題を掘り起こすことに、彼は何も感じないのでしょうか。 

 

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加減がわからないから、なんとも。 

 

自分は伝統校で進学校だったけど、緩かったし、ジョークでしかこんなイベントは起こらないから、なんか想像がつかない。ほんとうに泣くほどの酷いことなら責められるべきだけど、受け取り方が過敏だったりする人もいる。 

 

英語の授業でいきない前に出されて原書を音読させられる授業があったけど、その先生はものすごい怖くて、前に出されて読めないとなじられるし、恥ずかしいし、すごい恐怖で自分は泣くほど嫌だった。とにかく当てられるのが怖くてずっと下を向いてた。 

でも、それを暴力的だとかと訴えようとか思わない。 

 

書き方、取材の仕方、などは本当に事実に則っているんだろうか? 

あまりにもなんでもハラスメント認定すると、社会は萎縮するし良い部分も無くなってしまう。AIの個別でのオンライン授業でいいじゃんって話になる。クラスメイトとの議論もAIでのバーチャルでいいじゃんって。 

 

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罵声くらいで、うつ状態になるのであれば、社会に出ても同じことが起きるでしょう。実社会に出れば、竹刀を持って罵声を浴びせる以上に悪意を持ったクレーマーは沢山います。先輩の激しい指導に泣きながら学び習得する、ということは社会人1年生でも当たり前の事です。 

 高校1年生という時期は、心を生育させる大切な時期です。この時期に、適度なストレスを与え、仲間と共にそれを乗り越えることは、非常に重要な心の生育に繋がります。人間は千差万別です。全ての人間が、ドロップアウトしないような環境では成長が得られません。適度なストレス環境を構築し、心の成長を促すことは必要な事です。さもなければ、社会に出てから、ストレスに対して全くの対抗できない人間ばかりを作ってしまうような、欠陥だらけの教育機関になってしまうことでしょう。 

 

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