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質問のため挙手する東京新聞の望月衣塑子記者(左端)。右端は菅官房長官=2019年3月13日、首相官邸 - 写真=共同通信社 

 

新聞はもうその役目を終えたのか。『東京新聞はなぜ、空気を読まないのか』(東京新聞)を書いた東京新聞元編集局長の菅沼堅吾さんは「決してそんなことはない。逆に今の日本においては、その価値はより高まっていると考える」という――。 

 

■私たちは批判には真摯に耳を傾ける 

 

 連想ゲームではありませんが、「東京新聞」「空気を読まない」と言えば、世の中では編集局社会部の望月衣塑子記者の名前が浮かぶ人が多いのかもしれません。映画『新聞記者』の原案や菅義偉官房長官に質問で食い下がる姿などで知られ、最近ではフジテレビの記者会見での質問をめぐり、SNS上で批判も受けています。 

 

 誰もが情報を発信する力を持ち、今や選挙の結果にも大きな影響を与える「SNS時代」では、新聞と記者の振る舞いは常に人々の目にさらされています。『オールドメディア』と呼ばれるなど、その目線は得てして批判的で、時には『オワコン』(終わったコンテンツ)扱いです。 

 

 東京新聞も昨年9月に創刊140周年を迎えており、歳月ではオールドメディアです。批判にも真摯に耳を傾ける必要がありますが、オワコンではありません。 

 

 『東京新聞はなぜ、空気を読まないのか』(東京新聞)では私が編集局長だった時代(2011年6月〜17年6月)を中心に、新聞の使命を、仕事ぶりを紙面も使って明示することに注力しました。新聞の価値を体系的に説明できていないことが、新聞批判やオワコン扱いにつながっていると感じているからです。 

 

■新聞の使命とは 

 

 そもそも新聞の使命とは何でしょうか。人々の代弁者として権力を監視し、「本当のこと」を伝えて世に警鐘を鳴らすことです。究極の目的は「かけがえのない命」を守ることであり、ひいては国に二度と戦争をさせないことです。東京新聞が空気を読まない相手は権力であり、空気を読まない理由、読んではいけない理由は、使命を遂行するためです。 

 

 記者会見で記者が質問するのも同じことです。読者の代わりに質問し、「本当のこと」を明らかにすることが目的です。質問のやり方は様々ですが、お願い調では相手が隠していることや不都合な情報を引き出すことはできません。質問相手が国家権力である時に、新聞はその使命を最大限発揮したことになります。記者が批判を恐れて権力に質問することをやめたら、その先には暗闇が広がるだけだと思っています。 

 

 集団的自衛権の行使を容認した安保法制によって日本は「戦える国」となり、「新しい戦前」と言われる状況下にあります。SNSの負の側面として、憶測に基づく不確かな情報やウソがまかり通っています。時には熱狂も作り出しています。今こそ、信頼できる新聞と記者の出番です。 

 

 

■空気を読まないのは望月記者だけではない 

 

 新聞の使命は自分たちだけで決めたわけではありません。本書にも書きましたが、最高裁は1969年11月、報道機関による事実の報道は国民の「知る権利」に奉仕するものとして、憲法21条の保障のもとにあると認定しました。 

 

 自由人権協会の代表理事である弁護士の喜田村洋一さんの解説によれば、「報道機関の果たす役割が、権力の恣意的行使を防ぎ、国民の基本的人権を保障するという憲法の理念を実現するために不可欠であると憲法が認めたため」であり、報道機関は「国家機関の状況を報じる場合において、最も高い憲法的価値を持つ」のです。まさに権力監視のことです。 

 

 2011年3月11日から、災害担当の局次長として東日本大震災と東京電力福島第一原発事故に向き合い、3カ月後に局長になりました。6年間の局長時代には、第二次安倍政権下でこの国の「かたち」が「戦えない国」から「戦える国」に変質しました。新聞の使命とは何か。どういう紙面を作るのか。読者から日々、問われている感覚でした。 

 

 その時間が記者一人一人を、編集局という組織を、権力と対峙してもぶれることなく、監視を続けることができるように鍛えたのです。東京新聞の編集局を見渡すと、私が局長時代も今も、権力の空気を読まないのは望月記者一人ではなく、編集局という「組織」が権力の空気を読んでいません。 

 

■「3・11」で忘れられないこと 

 

 本書は5つの章の構成です。第1章は「歴史に裁かれる新聞と権力」、第2章は「『3・11世代』の記者の使命」、第3章は「『戦える国』の権力監視」、第4章は「東京新聞流のジャーナリズム」第5章は「新しい戦前の中で」です。 

 

 私を含む編集幹部が、記者が何を思い、どう動いたのか。全容を明かしていますが、本稿では権力の監視に絞って内容を紹介していきます。 

 

 第1章と第2章は東電福島第一原発事故をめぐる動きが中心です。原発事故から今年で14年の月日が流れます。あの日々を経験した「3・11世代」としては、まだ「災中」だと認識していますが、忘れられないのは、いや忘れていけないのは、「大本営発表を再び垂れ流すのか」という読者からの批判の声です。 

 

 大本営とは天皇に直属するかつての日本軍の最高司令部のことです。架空の戦禍の発表や損害の隠ぺい、「撤退」を「転進」とするなど言葉のごまかしにより、日本軍が勝ったと宣伝しました。東京新聞も含めて戦時中の新聞は発表を垂れ流し、軍部との一体化により熱狂を作ることにも邁進しました。 

 

 

■「物分かりの悪い記者」として食い下がる 

 

 過ちを繰り返してはいけないと頭では分かっていましたが、常日頃から意識していたかと問われると、「はい」とは言えません。政府や東電を大本営ととらえ、発表を載せるだけの新聞に向けられた読者からの怒りの矛先は、心に突き刺さりました。 

 

 自分たちの命や暮らしに直結するだけに、事故について「本当のこと」を知りたいという読者の欲求は強く、このままでは新聞は信頼を失ってオワコンになると、心の底から思いました。 

 

 新聞は事実に基づく報道が生命線であり、憶測に基づく記事は載せません。ウソなど論外です。だから事実関係の裏付けは綿密に行い、結果として報じるタイミングが遅れることは仕方ありません。それでも読者からは「大本営発表の垂れ流し」と見られたのです。権力側の発表に頼らず、自分たちの力で「本当のこと」を伝える使命に忠実であろう。「3・11」を経験した世代として、腹を決めて新聞を作ってきました。 

 

 政府や東電の記者会見でも、相手に嫌がられても粘り強く質問しました。「津波は想定外」「現時点で、放射能の影響は認められない」など、通り一遍の発言を繰り返し、原発絡みの専門用語も乱発したからです。「本当のこと」を知るためには、相手からは「物分かりの悪い記者」と思われても、食い下がるしかありません。記者が気にすべきは、その場にはいない読者の思いです。「相手の土俵に乗らない」が、記者たちの合言葉でした。 

 

■私たちは右でも左でもない 

 

 「本当のこと」を伝えると同時に、新聞の「顔」である1面トップの「主役」を権力の側から民の側に切り替えました。大本営と思われている権力が発信する情報を、問題意識もないまま1面に置くことができないからです。これを機に憲法の3原則の一つである「国民主権」を体現する新聞を目指しました。 

 

 新聞各社の報道姿勢、言論を比較する時に「右か左か」でよく論じられますが、私は権力の側に立つか、人々の側に立つかの違いだと思っています。 

 

 第3章は安倍晋三首相の下でこの国の「かたち」が変質した時代の権力監視がテーマです。タレントのタモリさんが22年12月末のテレビ番組に出演した時、来年はどんな年になるかと問われて、「新しい戦前」と答えています。番組出演の2週間ほど前に、「敵基地攻撃能力」の保有などを明記した「安保関連3文書」が閣議決定されており、関連性を感じますが、私は安保法制が成立した15年9月19日から「新しい戦前」は始まったと本書に記しました。 

 

 

■戦争の最初の犠牲者は真実 

 

 自分たちの命や暮らしに直結する意味では原発事故と同様、いやそれ以上に読者は「新しい戦前」の中で何が起きているのか、国がどこに向かっているのか、「本当のこと」を知りたいはずです。 

 

 ところが政権は安保法制に先立ち、特定秘密保護法を13年12月6日に成立させました。新聞記者が国民の「知る権利」に奉仕するため、権力側の秘密やウソを暴くことを妨害するための「装置」です。なぜならば、何が秘密かは政権の意のままなのです。 

 

 成立した翌日の朝刊1面には「権力監視ひるまず」との見出しを付けた社説の責任者である論戦主幹の論説を掲載しました。ジャーナリズムの世界では「戦争の最初の犠牲者は真実」という「至言」があります。もはや、犠牲者がいつ出るか分かりません。国の秘密を暴いた記者と編集局に捜査の手が入ることも想定できますが、ひるむことなく権力の監視を続けることを、論説を通じて読者に誓ったのです。 

 

 「言いたい事」ではなく、「言わねばならない事」を書くことに徹することも、特定秘密保護法や安保法制などをめぐる報道では心掛けました。 

 

 明治から戦前にかけて軍部と権力者を痛烈に批判し続けた新聞記者、桐生悠々の教えに基づいています。悠々は信濃毎日新聞の主筆時代の「関東防空大演習を嗤(わら)ふ」の見出しを付けた社説で知られています。その悠々が個人誌『他山の石』に、「言いたい事」は権利の行使であり、「言わねばならない事」は義務の履行だと記しています。 

 

■「大本営発表」の垂れ流しではない 

 

 「戦える国」を監視する中で、東京新聞は自分たち流のジャーナリズムを確立しました。これが第4章のテーマです。 

 

 一例を挙げると14年8月に日本ジャーナリスト会議(JCJ)大賞を受けた『論点明示報道』です。受賞理由には「憲法、安保、原発―ずばり核心を突く1面の『論点明示報道』」とありました。 

 

 東京新聞は「3・11」以降、権力が発信する情報を垂れ流すのではなく、論点や問題点を明示すること、記事の本質、核心を見出しで端的に伝えることに力を入れてきました。安保法制の成立を伝える朝刊1面トップの見出し「戦後70年『戦える国』に変質」は、論点明示報道の典型例です。 

 

 本書では他にも東京新聞のこだわりの紙面をふんだんに載せました。記事と見出しと写真が一つになって、読者の頭と心に情報を伝える新聞ならではの世界が広がっています。 

 

 最終章である第5章のタイトルは「『新しい戦前』の中で」としました。東京新聞が読者と一緒に取り組んできた「軽やかな平和運動」である「平和の俳句」の紙面展開や、先の大戦の記憶の風化に抗うための「新聞記者が受け継ぐ戦争」と題したロングラン企画などを紹介しています。後者の企画は私が社会部長だった03年に、戦争の「本当のこと」を伝えたいと思って始めたものです。 

 

 

 
 

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