( 265661 ) 2025/02/15 15:16:14 0 00 記者会見で質問を受ける、フジテレビ社長辞任を発表した港浩一氏(中央)と会長辞任の嘉納修治氏(右)ら=1月27日午後、東京・台場のフジテレビ(写真:共同通信社)
(ジャーナリスト:横田増生)
■ 私の質問は「二次加害」だったのか
フジメディアホールディングスが1月27日に開いた記者会見で、私に質問の順番が回ってきたのは、午後9時前後のこと。記者会見が始まって5時間近くがたっていた。
私が問うたことで、ネット上の炎上につながるのは次の質問。
元タレントの中居正広氏とフジテレビの当該女性との間で、トラブルが起こったとされる2023年6月、2人の間に「認識の一致、あるいは不一致」があったのかという点だった。
私の質問内容や、その立ち居振る舞いをめぐって、炎上となった最大の争点は、その発言内容が「二次加害」にあたるのか否かということだった、と考える。
私の質問の真意を理解してもらうため、当日の大まかな流れをおさらいしたい。
午後4時に始まった記者会見の冒頭、港浩一社長は、「人権侵害が行われた可能性がある」とし、「人権の認識が不足していた。対応を誤り、放送業界の信頼の失墜にもつながりかねない事態を招いた」と謝罪。
同時に、港浩一社長と嘉納修治会長が、引責辞任すると発表した。
この日、400人以上の報道陣が参加したフルオープンでの記者会見が開かれたのは、それに先立つ記者会見が、テレビカメラさえ入れない閉鎖的なものであったため、批判が殺到し、スポンサー企業によるCM差し止めの動きが加速したという事実があったからだ。
■ 会見途中での発言撤回
当日の私の質問の前段には、フジテレビの遠藤龍之介副会長の発言と、その撤回があった。
まず、遠藤氏が7時過ぎに、全国紙の記者から、事件当日の中居正広氏と当該女性との間の「認識の違い」を問われた。
遠藤氏は、「認識の違いについて、ちょっと踏み込んで申し上げるとすれば、意思の一致か、不一致ということかと思います」と発言した。
同じ記者が「同意か、不同意という意味か」と尋ねると、「そうです」と返答した。
しかし、8時台に入って遠藤氏は、
「私と港が言った『認識の違い』については2人だけの事案であり、同意の有無という言葉を撤回し、その内容は『お答えできない』と訂正させていただきます」
と話した。
私に質問の機会が回ってきたのはその約30分後のこと。
この遠藤発言と撤回について訊いた。
私は、2人の間に意思の一致と不一致があったという前言を撤回するのは、意思の一致があったことも示唆することになり、論理的に破綻しているのではないか、と問うた。もしも、中居氏と当該女性の間に意思の一致があったのならば、「人権侵害」の恐れがある事案は起こらなかったはずだし、港氏と嘉納氏の辞任も必要ないのではないか、と繰り返し問うた。
しかし、遠藤氏や港氏は、2人の間のことであり、フジテレビは当事者ではないので答えられないので、先の発言は撤回するという説明に終始した。
私の質問に対し、素早く疑義を呈したのは、ニュースサイト〈The Headline〉編集長の石田健氏だった。
私の質問中に、X(旧ツイッター)に、「これは記者がありえない、同意か不同意を明らかにするのは女性の権利を侵害してる。記者による二次加害」と投稿した。
投稿のタイミングと内容からして、この「記者」とは私、あるいは私を含む複数の記者を指していると考えられる。
さらに、私の後に質問に立った石田健氏は、「同意があったか、不同意があったかに関しては、女性側の二次被害になる可能性があります。二次被害に配慮することが重要です」と語った(石田氏の発言は大意を要約)。
その途中、石田健氏からマイクを渡されたノンフィクションライターの石戸諭氏も、「僕もまったく同感です。これが二次加害にあたる可能性があることは慎重に対応しなければいけない事案だと思っています」と語った。
■ どこからどこまでが「二次加害」なのか
私の発言が二次加害にあたると指摘したのは、この2人だけではない。識者と呼ばれる人たちも二次加害の可能性を指摘している。少なくともネット空間では、二次加害の可能性があるという声が多数を占めていたように思えた。
記者会見において、トラブルが発生した男女間の「意思の一致、不一致」を問うことは、二次加害にあたるからやめるべきだ、というアジェンダ設定を主導したのは石田健氏だった。
しかし、二次加害とは、具体的に何を指すのか。
二次加害という言葉は、私の手元にある大きな辞書や百科事典にも載っていない。ウィキペディアの項目にもない。総務省や厚労省のサイトでも見つからない。定義の不在ということでは、二次加害という言葉を二次被害に広げてみても同じだ。
辞書や百科事典に載っていないから、二次加害がないと言っているのではない。報道による二次加害は確かにある。
しかし、二次加害という言葉を基にして取材を自制、あるいは制限すべきと主張するのならば、より明確な定義を提示すべきではないか、というのが私の主張だ。
■ なすべき取材活動が制限される恐れはないのか
記者会見の数日後、〈文藝春秋PLUS〉という動画番組に呼ばれ、石戸諭氏が司会となり、石田健氏と私がフジの記者会見について対談した。
私が石田健氏と石戸諭氏に最も訊きたかったのは、「二次加害」とは何か。どう定義するのか、という点だった。対談で、私は複数回尋ねたが、定義に関する明確な答えは得られなかった。
二次加害という言葉には、グラデーションがあって、何が二次加害にあたるのかはケースバイケースで判断するものであり、誰かがはっきりと線引きすることはできない事柄である、というのが、私が理解した両氏の発言の大枠だった。
けれども、そうした漠然とした定義が幅を利かせるのなら、今後の類似する記者会見において、記者やジャーナリストの中には、二次加害の意味を最大限にとらえなくてはならないと考える人も出てきて、取材自体が自縄自縛に陥るのではないか、と危惧する。
「二次加害を防ぐ」という聞き心地のいい言説を錦の御旗のように振りかざすのならば、今後、記者やジャーナリストが、取材において二の足を踏む悪しき前例となることを憂慮する。
ならば、私が考える二次加害とは何か。先述した〈文藝春秋PLUS〉の対談で前半は説明したが、全部は説明しきれなかったので、ここに書く。
今回のフジの事案を、小学校で起きた架空のイジメ事件に置き換えて説明したい。
最初の狙いは、一次加害とは何かを明らかにすること。次いで二次加害と考えられる2つの事例を挙げる。
最後は、会見における私の質問は、二次加害にあたるのかという問いを投げかけたい。
やや冗長なたとえ話となることをお許しいただきたい。
■ 一次加害の有無を訊ねることが本当に二次加害になるのか
小学校の同じクラスに、A君とB君という男子生徒がいた。
昼休み、校庭の隅っこでA君はB君を殴打した。そのことで、B君は傷を負った。午後の授業が始まると、担任の教諭がB君の異変に気付き、教頭と校長に報告した。
A君がB君を殴ったことが一次加害。ここに議論の余地はない。
では、二次加害とは何か。
A君が加害者であるにもかかわわらず、クラスメイトが「B君がヘタレだから」、あるいは「キモいから」殴られたんだと囃し立てたとする。これは二次加害にあたる。なぜなら、A君が悪いのは明らかなのに、論点をずらしてB君を責めているからだ。
さらに、クラスメイトが、B君が殴打された詳細を繰り返し言いまわること。これも二次加害にあたると考える。それによって、B君の精神に不要な負荷がかかるからだ。
ここで大切なのは次の点。
その殴打事件が原因で、B君が不登校となり、さらには引きこもりになった。マスコミがその事実を知り、記事を書いて、学校側を追及した。学校は、多くのテレビカメラを入れた記者会見を開き、A君とB君の間にトラブルがあったことを認め、校長と教頭が辞任すると発表した。
会見で、ある記者が「A君はB君を殴打したのか?」と問うた。教頭は、いったんはA君がB君を殴打したことを認めた。
しかし、その後、それは2人の間のことなので答えられない、と発言を撤回。さらに、殴打の事実を認めることは、B君のプライバシーを侵害し、二次加害にあたる恐れがある、とも主張した。
別の記者が、その発言の撤回に納得できないといいだした。なぜなら、A君がB君を殴打したという事実がなければ、記者会見を開く意味も、2人が辞任する意味もないのではないか、と詰め寄る。
ここまでがフジの事件を、小学校のイジメに置き換えた話である。
私の見解では、最後の殴打の有無を追及する部分は二次加害にはあたらない、と思っている。もしも、その部分を曖昧にするのなら、記者会見自体の意味がなくなり、成り立たない、と考えるからだ。
さらに、二次加害を防ぐということを盾にし、殴打の有無に関する質問を遮るのなら、一次加害があったのか、なかったのかも分からなくなる。
よって、この定義に沿えば、私の質問は二次加害にあたらない、というのが見解だ。
フジの記者会見後に発表された論考で、二次加害の定義の問題を正面から論じていたのは、〈PRESIDENT Online〉に掲載された「中尾ミエ◎、キムタク○、さんま×…中居正広引退で見えた『示談金返せ』並みにひどい二次加害コメント なぜ加害者側をかばった発言を公の場でしてしまうのか」だった。
この論考で、著者は〈女性のためのアジア平和国民基金〉が作った『レイプの二次被害を防ぐために』というガイドラインに則り、二次加害の複数の事例を挙げる。
ここで論じている点に最も当てはまるのは、「『真相はわからない』→事実の否認、歴史修正」という部分だ。
そこにはこう書いてある。
「中居氏の『トラブルがあったことは事実』『相手様に対しても心より謝罪申し上げます』という発表、彼の代理人弁護士のコメント、フジテレビやカンテレの会見、いずれを見ても、何らかの落ち度が中居氏とフジテレビにあったことは明らかだ。それでもなお『真相はわからない』と、繰り返すのは、あたかも『真実は別にある』かのように暗示し、事実を曲げようとする態度である」
フジが真相は分からないとするのは、真実は別にあると間接的に示すこととなり、そうした言説が二次加害にあたる可能性がある、という記述は、私が記者会見で感じたことと極めて近い。
■ 事件の被害者の実名を報じることは二次加害にならないのか
この点については、多様な意見があると思う。
異論や反論はうかがうつもりだ。
ただ、もし二次加害に配慮して取材の制限が必要だ、と主張するのなら、この問題の解像度を高めるためにも、自らの定義を示してもらいたい。
報道と二次加害ということの延長線上で私がさらに石田健氏と石戸諭氏に問いたかったことは、果たして誰も傷つけない報道はありうるのか、という問いである。
たとえば、日本では、毎年1000件前後の殺人事件が起こる。火災で亡くなる人も、1000人前後いる。その際、メディアは被害者を実名で報道することもある。
その実名報道は、被害者の遺族や関係者への二次加害とはならないのか。
フジの記者会見の当日、“京アニ放火事件”で、京都地裁から死刑判決を言い渡されていた青葉真司が、高裁への控訴を取り下げたことで、死刑判決が確定した。
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