( 265716 ) 2025/02/15 16:21:17 0 00 全国の交通系ICカード(写真:筆者撮影)
Suicaをはじめとする「交通系IC」が、鉄道・バスで一斉に使えなくなる――。そんな事態が昨年11月、熊本県で起きた。かわりにクレジットカードによる「タッチ決済」が導入される予定であるものの、これまでの交通系IC利用者は戸惑いを隠せない。
実は、こういった事態が今後とも各地で起きる可能性がある。なぜ地方で「交通系IC撤退」は起こるのか、都市圏では「Suica」が使えなくなる日が来るのか? 検証してみよう。
■「交通系IC全撤退、タッチ決済切り替え」なぜ熊本で起きた?
熊本県の鉄道・バス5社(産交バス・九州産交バス・熊本バス・熊本電鉄・熊本都市バス)は、2024年11月をもって全国共通の「交通系IC」対応を中止した。その代替手段として、クレジットカードによる「タッチ決済」が2025年2月24日から導入される。
2016年に約8億円をかけて全国共通の交通系ICを導入し、「我が街の鉄道・バスで、SuicaやICOCAが使えます!」と大々的に宣伝していたが、それから10年も経たないうちにあっさり使えなくなり、愛用していたカードで乗車できなくなってしまった。
クレジットカードをかざして乗車する「タッチ決済」は、首都圏だと東急電鉄・東京BRTなどが対応しており、キャッシュレス乗車の手段としてじわじわ普及している。ただ、これまで2億枚が発行されてきた交通系ICの知名度には遠く及ばず、「クレジットカードで電車・バスに乗れる」事実すら知らない人も多いだろう。
ましてや熊本県では、乗客の1/4(24%)が交通系ICを利用しており、使えなくなった旨を乗車の段階で知らされ、愕然とする人々も見受けられたという。
9年前に少なからぬ費用を負担して導入した交通系ICを、なぜわざわざ「全撤去」する必要があったのだろうか?
■交通系IC「維持or撤退」で7.7億円の差
熊本県で交通系ICの全撤退が起きた最大の理由は、「おおよそ7.7億円の差がつく」費用負担の問題だ。
☆交通系ICを維持(不採用)=更新費用12.1億円 (国の補助なし) ☆タッチ決済を含めたシステム(採用)=導入費用6.7億円 (負担割合:国1/3、鉄道・バス会社1/3 、県1/6、市1/6)
熊本県の鉄道・バス5社は、交通系ICの保守契約満了が、2025年3月に迫っていた。今後の更新には12.1億円を要するものの、導入時に政府から行われる補助(「地域交通キャッシュレス決済導入支援事業」など)はあくまでも「導入支援」であり、更新への補助はない。
国交省の資料にも「代替更新のみに要する経費は補助対象外」とご丁寧にも明記されており、鉄道・バス5社と熊本県・熊本市が12.1億円すべてを被らなければ、交通系ICを存続できない状況だった。
一方で、新しいシステムの導入費用は6.7億円。タッチ決済の対応機器は交通系ICのそれより導入費用・更新費用ともに安く、国交省が定めた「機能の明確な向上」(新しい決済手段の導入)という補助の条件を満たし、1/3の国庫補助が適用される。そのため、鉄道・バス5社と県・市の負担額を合わせた導入費用負担は、約4.4億円にとどまる。
交通系ICを更新する場合に比べ、約7.7億円も少ない費用で済む計算だ。これでは、タッチ決済への切り替えは致し方ないと言える。
さらに熊本県の鉄道・バス5社は「年間収入58億円、赤字36億円」(2023年度)ということもあり、交通系ICにかわってタッチ決済が導入されることとなったのだ。
これまで政府・国土交通省は「キャッシュレス決済の比率4割」を掲げ、鉄道・バス会社や自治体を相手には、交通系ICの導入を推し進めてきた。7年〜10年と言われる「交通系IC・機器更新の壁」が全国各地で迫る中、政府・国土交通省は「導入には補助、その後は知らぬ振り」という方針を見直す時が来ていないだろうか?
なお、一連の問題に対応してきた熊本市・大西一史市長も、「今後とも同様の理由(更新費用の問題)で、交通系ICの存続を断念する自治体が出るのでは?」「(費用面で)経営を圧迫するようなら、何のための決済システムなのか」と、愚痴のようにこぼしている(2024年5月28日・定例会見より)。
■「更新費用問題」だけでないモン? 熊本だけでない「地域のカード問題」
交通系IC・全撤退の理由は、コストだけではない。地域独自の「くまモンのIC CARD」の存在と、「インバウンド、海外からの出張客対応」といった問題もあった。
2015年に導入された「くまモンのIC CARD」は、翌年に利用可能となった交通系ICと違って、熊本県内でしか使用できない。しかし、高齢者へのカード配布(年齢に応じた割引を自動適用)もあって普及率が高く、熊本県の鉄道・バス5社では「利用者の51%が使用」と、ほかの地域カードと比べてもよく利用されているという。
地元の方にお話を伺っても、「バスをよく使う高齢者と子供はたいてい”くまモンIC”か現金だから、(交通系ICが使えなくなっても)地元民はそこまで困らない」と返ってきた。
またタッチ決済は、もはや海外の鉄道・バスへの乗車手段として当たり前の存在となっており、訪日客(インバウンド)は高確率で「タッチ決済」だ。また半導体工場「TSMC」熊本進出で海外からの出張客が増加する見込みもあり、利用客が増えるであろうタッチ決済の導入を急がざるを得ず、交通系ICが弾き出されてしまったかたちだ。
■「Suica使えなくなります」“第二の熊本”は広島県
熊本県と同様に「交通系ICが使えなくなる」事態が、間もなく広島県で起こる。交通系ICにも対応していた地域交通カード「PASPY(パスピー)」が2025年3月29日にサービスを終了するのにしたがって、交通系ICが使用できなくなる地域が出てくるのだ。
広島県でも存続は「更新費用」がネックとなったが、熊本と少しばかり事情が違う。こちらは独自の交通系ICカードを立ち上げたが故の「7〜8年ごとに約50億円」という更新費用がネックとなり、半分ほどを負担していた県内最大手・広島電鉄の脱退表明に他社が抗えず、最終的にカード自体のサービス終了を余儀なくされている。
後継サービスとして、QRコードで乗車できる「MOBIRY DAYS(モビリーデイズ)」が開発されたものの、アストラムライン・広島バスなどはモビリーデイズ対応と並行して交通系ICにも対応し、中国バス・トモテツバスなど数社はモビリーデイズを導入せずに交通系ICに対応した。
例えるなら“パスピー連合軍”が費用の問題で空中分解し、「モビリーデイズを格安運用したい派」「両にらみで交通系ICの対応を残したい派」「交通系ICだけ対応派」に分かれた、というところか。
また石川県(北陸鉄道グループ)、茨城県(茨城交通の路線バス部門)のように、要望の多かった交通系ICではなくタッチ決済の導入を優先するケースも出てきた(北陸鉄道は「城下まち金沢周遊バス」のみ交通系IC対応)。
両社とも地域カード(北陸鉄道「ICa(アイカ)」、茨城交通「いばっピ」)だけでなく観光客・インバウンド向けのキャッシュレス手段を検討しつつ、維持コストが高い交通系ICを避け、国や「外国人誘客事業」などの補助でタッチ決済を採用。事情はだいたい似通っている。
■どう推移する? 「交通系IC vs タッチ決済」
さて、今後の「交通系IC vs タッチ決済」は、どう推移するだろうか?
熊本県に限らず、地方では「更新費用の壁」を越えられず全撤退する鉄道・バス会社が出てくるだろう。そもそも地方では、東京の朝ラッシュを想定した「0.2秒で反応、改札を通過」という交通系ICの性能は必須でなく、処理速度0.5秒程度のタッチ決済でも、十分に役割を果たせる。
両者の導入を天秤にかけて検討する地域でも、インバウンド・海外からの出張客の多さや、予算の都合でタッチ決済を導入する地域が増えてくるだろう。ただし、「JRとの接続を考えて交通系IC導入」(長野県・ぐるっとまつもとバス。2026年春から導入予定)、「両方対応」(沖縄県・ゆいレールなど※3月28日から)、「利益が増える訳ではないからキャッシュレス自体導入予定なし」など、現状での対応はさまざまだ。
■東京では「まだまだSuicaが必要」ただし今後は?
東京をはじめとする都心部は、まだ交通系ICを必要とするだろう。先に述べた通り処理速度の問題もあり、Suicaなどで通過する利用者が多くないと、とてもラッシュを捌けない。
しかし、ICカードタイプの交通系ICはどうだろうか。一時期世間を賑わせた「長期のカード販売停止」の原因となった「半導体不足問題」が立ちはだかる。
FeliCa規格の交通系ICの普及は、日本国内と香港「八達通」などにとどまり、多量生産による生産コストの押し下げは期待できない。かつ、交通系IC向け半導体の製造からは富士通・東芝などが撤退済み。パナソニックも半導体事業を台湾大手「新唐科技」(ヌヴォトンテクノロジー)に譲渡しており、「世界への普及が望み薄、製造はほぼ1社、海外企業頼み」では、ICカード発行の先行きが明るいようには見えない。電子マネーとしての規格は残っても、カード発行はアプリなどに顧客を譲り、緩やかに縮小していくかもしれない。
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