( 266005 )  2025/02/16 05:42:55  
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初代シビックに関するコメントを集めると、初代シビックのデザインやCVCCエンジン、製造技術などに対する称賛や感動が多く見られます。

また、初代シビックが日本の自動車産業において重要な位置を占めていたことや、ホンダの創業者である本田宗一郎氏の偉業についての意見も見られました。

他にも、シビックが「市民の車」であるというメッセージや、現在のシビックと初代シビックのサイズやスタイルの比較、さらには日本の自動車産業の歴史や競合メーカーとの関連性に触れたコメントもありました。

 

 

(まとめ)

( 266007 )  2025/02/16 05:42:55  
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初代シビック登場の2年前に登場した当時としては希少な存在である同じエンジン横置き式FF車の初代日産チェリーよりも視界と居住性が良かったのも大ヒットの要因だと改めて思えてくるものです。因みに、トヨタは1972年にホンダからCVCCのライセンス契約を取得し、TTC-Vとして登場したのは有名な話です。 

 

▲48 ▼1 

 

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初代シビック、映画「インナースペース」にもさえない主人公のポンコツ車として使われていました。 

初期の2ドアモデルは親戚のおばさんが乗ってました。ハッチバックではなく、リアウインドウが固定式のやつ。 

排ガス規制のマスキー法を骨抜きにしようとしていたアメリカのビッグ3を黙らせた功労者でもあります。 

 

▲64 ▼0 

 

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叔母が初代シビックに乗っていたけど、ダッシュボードが低く抑えられていた事から(メーター部分以外は棚状になっていて、物が置けるのが売りだった)、前面視界が異様に開けており、街中でもスピード「感」が半端なかった記憶が残っています。 

あと、当時の小型車としては珍しくAT比率が多かったのも特徴。 

発進時はLに切り替える必要があった2速セミオートマだったけど、その分安かった。 

 

▲20 ▼1 

 

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本田宗一郎さんの何昼夜にも渡るCVCCへの執念は他の社員も圧倒されたという。当時どこも思いつかなかった副燃焼室を設け見事成功。 

その後日本のメーカーでも真似をし三菱GDIエンジン等があるが、 

同僚が乗っていたが、加速が悪く、燃焼効率も悪く4000回転付近までしか 

まともに回らず、2万キロを超えたころから黒煙を吐くようになった。 

ホンダの技術力は当時から卓越したものがあったということ。 

 

▲18 ▼4 

 

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空冷の普通車が売れずに会社のピンチを救ったのが初代シビック。 

ワンルームのステューディオのようなシビルミニマムという言葉から拝借した車名だったと記憶しています。 

開発資金が足りず、軽のエンジンを二つくっ着けたとかなんとか言われていました。 

 

ちなみに葬儀屋を受け継いだ従兄弟が、その前の空冷クーペ9に乗っていた時期がありました。東名走ったら宙に浮きあがって、とても怖いクルマだったそうな。 

 

▲3 ▼0 

 

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初代シビックは小学校の3〜4年生の頃に突然路上に溢れ始めたことを良く覚えています。しばらくしてから「CVCC」のエンブレムを見て、これで「シビック」と読むんだと勘違いしていた愚か者が私を含めて多数いました。長じて4代目のSiと8代目相当の英国産Type–R Euroを所有、何れも速くて楽しいクルマでした。 

 

▲21 ▼2 

 

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CVCCは宗一郎さん引退の引金にもなったんだよね 

宗一郎さんは常々「技術は社会のために、人々を幸せにするものでなくてはならない」と言っていました 

ところがCVCCの技術に目処がたった時に「これでビッグ3と並ぶことが出来る!」 って開発チームに発破をかけたところ「自分たちは会社のためではなく社会のために、子供たちに青空を残すためにやっているんだ!社長はいつもそうしろと言っていたじゃないですか!」と言われて何も言い返せなかったそうです 

そして「いつの間にか私は企業本位の発想になってしまっていた。若いということはなんと素晴らしいことか。皆がどんどん育ってきている」と言って1972年にCVCCを搭載したCIVICとその技術を一般に公開することを発表した翌年に副社長の藤沢武夫氏と共に引退しました 

 

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昭和47年水冷ライフに乗っていて、ふと白のシビックを目撃したときの衝動が忘れません。 

ライフにしては大きいし、後ろにトランクのない車は珍しい3ドアハッチバックの台形スタイルは新鮮でした。 

即買いました、GL3ドア新車車両価格64万円だったと思いますが、 

ツインキャブ仕様のRSが欲しかったのですが流石手が出ませんでしたね。 

 

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就職した昭和55年、同期が乗っていた初代シビックに乗せて貰った。ダッシュボードが低いから合わせてドアも低い。その効果でとても開放感と広々感があったのが印象的でした。今でも手に入れたい1台です。マスキー法をクリアした先駆者として、超有名な話ですね。 

 

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昭和40年代半ばの生まれですが産まれた時は家にライフがありました。数年後にモスグリーンのこのシビックに変わったのですが、広くなったし少し高級な感じがして嬉しかったなぁ…そして数年後にアコードが登場してもっと高級感あっていいなぁなんて思いましたね。 

 

▲12 ▼0 

 

 

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本田宗一郎さんの意気込みと気合いがこもった車ですね♪ 

ホンダは、こういう「信念」のある車だからこそ乗ってて楽しいと思います。 

これからのホンダも、レース魂や信念を忘れずに(できればエンジンを捨てないで!)頑張ってほしいです! 

 

▲19 ▼0 

 

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子供の時に見たCVCCのコマーシャルがメカを初めて意識させる物でした。 

エンジンってこんな風に動いている物なんだって。 

その後ホンダのバイクに乗って車に乗って、今還暦になろうかって歳になってリターンライダーやってます。勿論ホンダのバイクです! 

 

▲15 ▼0 

 

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シビックがアメリカのマスキー法を世界で最初にクリアーしてもデトロイトのビッグ3はクリアー出来ず当時フォードの社長アイアコッカが公聴会に呼ばれ排気量の小さい日本車だから可能で大型のアメ車では出来ないと言ったらマスキー法の生みの親マスキー上院議員が「フォード1世は名言を残した不可能には挑戦あるのみと」返した、この後ホンダはシボレーインパラのエンジンを改良し大排気量のアメ車でもCVCCが使える事を実証したのである。 

 

▲16 ▼0 

 

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中学生か高校生の頃だったかなあ、 

シビックのデビュー、 

そしてホンダを連呼するCM。 

しばらくしてマツダのサバンナRX7がデビューする。 

 

スニーカーやレコードなんかだと復刻版というのがあるけど、 

クルマでもやってみたらどうだろう。 

ああ、金型が残ってないからムリなのか? 

 

でも、濃い緑色のシビック、 

黄色のRX7や初代ワーゲンが新車で出たら、 

無性に買いたくなるだろうね。 

 

▲9 ▼3 

 

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CVCCのシビックは亡くなった親父が乗っていてかなり気に入っていた。車齢10年で壊れたけど・・(多分経年劣化によるフライホイールの破損)  あの当時のホンダは空冷のH1300が大コケし、二輪でもアメリカで在庫の山とかなり危なかった。  けど当時の河島喜好社長は水冷車での低公害かつ高回転、高出力エンジンの開発のメドが立っていたこと。水冷の計のライフでそれなりのヒットになったことからシビックに賭けたわけだ。 ただ「3ドア」と言う言葉は当時の日本ではなじみが無く「3ドアって左右のどっち後ろのドアがあるんですか?」なんて問い合わせがあったらしい 

 

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家にあった初代シビックを時々運転したが、私の初代カリーナとは真逆の車で、素晴らしいパッケージングだった。特に、チョークレバーを引いてからエンジンを掛ける方式がとても懐かしい。 

 

▲9 ▼0 

 

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日本自動車の最高傑作と言ってもいい1台です。日本の製造したものの中でも最高傑作といってもいいかな。これがなかったら今の日本の自動車の信頼はなかったかもしれませんね。それほどCVCCは凄い発明でしたね。 

 

▲45 ▼4 

 

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ホンダと言えばシビック。 

いつでもシビック。 

シビックに乗りたくて免許を取り、ワンダーシビックのSiに乗りました。 

 

初代もスバラシイですし、エンジンが元気なホンダハッチバック車の代名詞でしたね。 

 

▲38 ▼2 

 

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幼少期、シビックの運転席を前に倒して、後部座席から「ヨイショ」って外に出るっていうのは、当たり前のことだった。 

座席の後ろ側、後部座席からシート倒しが出来る用のレバーがついていたと思う。 

後ろの席の窓は開かないので、前の席の窓からの風を感じていた。 

 

いま、そんな車を買おうとしたら、嫁に怒られる。 

だから、ジムニーノマドの受注が凄かったんだろうけどね。 

 

▲13 ▼2 

 

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シビック 

そう、市民の車という意味で、ドイツのフォルクスワーゲンという会社名も大衆の車だから 

でも、ワーゲンは外車だから高いけど、シビックも高くなったなーと感じる今日このごろ 

まぁ見てんのはタイプRだけど、シビックの名を冠してるからねー 

昔はほんとにみんな手が届いたんだよ 

日本の市民はある程度の金を持った昔のヨーロッパの市民階級で、シビックも高くて買えないとなった人は。。。と考えてしまうほどに日本人は貧乏になったと嘆いてしまいそうです 

 

▲27 ▼4 

 

 

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初代シビックは父親が乗っていました。CVCCでしたね。いつも、助手席を倒して、乗り込んでいました。自然と自分もホンダファンになり、最初のクルマは、ワンダーシビックでした。 

 

▲14 ▼0 

 

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初代シビックは、CVCC以前のエンジンが最高に良く回るエンジン TSのヤマトシビックがサニーを追いかける姿が最高にカッコいい 

 

▲2 ▼0 

 

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エンジンも車体も装備も、信じられぬくらい 凄い ですね。 

作る人の精神というか覚悟が桁違いですね。 

俺たちはこの車を作る一世一代のチャンスを得た!! みたいな凄いものを 

自動車から感じられます。 

 

▲9 ▼0 

 

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初代のシビックは本当に小さいクルマだったけど、助手席の足元が広いのには驚いた。 

今のシビックが当時のクラウンやセド/グロより大きいのは、ユーザーが求めたものなのだろうか? 

 

▲3 ▼0 

 

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シビックは好きな車ではあるのだが、最近のシビックはコンセプトに疑問。 

妙に格好にこだわったのが逆効果の気がする。 

初代のような無骨で実用っぽい庶民的なデザインがいいな 

 

▲46 ▼7 

 

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マスキー法をパスしたCVCCはテレビCMで内部構造を見せる方法だった 

今の軽四くらいのサイズなのに狭く感じなかった 

装備が少ないので軽く1200でも十分に走れた 

オレンジのRSに憧れた 

 

▲16 ▼0 

 

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CVCCの衝撃。この偉大な発明はサンプル・リターンを成功させた人工衛星レベルかも。ハイブリッド車よりも凄い事だと思う。 

 

▲9 ▼2 

 

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現行シビックもいい車だと思う。 

シビックという車はかくあるべきというのがなければ、もっと評価されているかも。 

 

▲18 ▼5 

 

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>その他のモデルも芳しい販売台数に至っておらず、生産ラインもポツンポツンと流れる程度。 

Sシリーズはともかく、N360シリーズとライフはヒットしていましたよ。ライフ打ち切りは「初代シビックの世界的なヒットにより乗用車工場をシビックの生産に傾注させるため、ライフの生産を打ち切る決断がなされたためであった」 

コタツ記事ですね。 

 

▲15 ▼1 

 

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確かにシビックの前に出した1300は上手くいかなかったが 

4輪参入してずっと鳴かず飛ばずは言い過ぎ 

N360は軽のトップシェアを奪ってた 

 

▲3 ▼0 

 

 

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今は亡き火野正平さんが若いころ乗っていたのをテレビで見たことある。 

同じころ私もRSに乗っていたがエンジンが熱い時のかかりが悪かったのを覚えている。 

 

▲3 ▼1 

 

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世界で初めてマスキー法をクリアしたのは知っていたが、3年連続カーオブザイヤーとは知らなかった。 

凄いなホンダ! 

 

▲32 ▼0 

 

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前作の1300が散々だったからね 

DDACとかいう変態エンジンは機構としては面白いけどそこまでして空冷にする意味があるかといえば… 

 

▲4 ▼0 

 

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国内でそのシビックを駆逐してしまったのが初代フィット、そのフィットを駆逐したのがN-BOX。 

 

いろいろ思うことはありますなぁ…。 

 

▲13 ▼0 

 

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シビックに関わらずSiグレードが国内モデルで復活しないかなぁ 

 

やっぱ50代半ばの自分世代にはホンダのSiってのにグッと来るモノがある 

 

▲0 ▼0 

 

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>1972年にまず発売となった2ドアモデルの初代シビック(撮影:松田義人)。 

  

 

『2ドア』というのはリアハッチがないってことですか? 

ガラス部分は車体に固定されていてガラス下だけが開くのでしょうか? 

 

▲4 ▼1 

 

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ホンダあまり好きじゃないけど車名を大事にしていることは素晴らしいと思う。「シビックはモデルチェンジしません」と本田宗一郎氏が言ったのは御愛嬌(笑) 

 

▲3 ▼0 

 

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ホンダは危なくなると救世主(シビック、オデッセイ、フィット等々)が現れる。 

まぁ、シビックに限らないけど初代と今のとは全く違うクルマですね。 

 

▲2 ▼0 

 

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これ、嫌いじゃ無かったけど 車体剛性が低すぎる、 1輪だけ歩道に乗り上げたら ドアの締りが 悪く成る位い酷かった。 

 

▲3 ▼0 

 

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>当時すでに5ドアハッチバックのライフを発売 

 

当時のライフはハッチバックではなく2ドアか4ドア、バンも3ドア 

ライフステップバンは5ドアだが、あれをハッチバックと言うのも無理がありそう 

 

▲4 ▼0 

 

 

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映画「ポリスアカデミー」でハイタワー巡査がフロントシートを外してリヤシートに座って運転するシーンを思い出します。 

 

▲1 ▼0 

 

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今のシビックは随分と大きくなりましたね! 

時代の流れとはいえ、かけ離れた姿になってしまいました! 

 

▲20 ▼2 

 

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なんでcivicなのにCVCCなんやろ?エンブレム間違ってるやん 

と思った当時のキッズは自分だけでは無いと信じたひ 

 

▲12 ▼0 

 

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初代シビックが一番好き。ジャッキー・チェンが、映画".ポリスストーリー 香港国際警察"で乗ってたなぁ。 

 

▲5 ▼1 

 

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シビックは「市民」の車です。今でもまだ時々見かける意見だけど「庶民」の車ではありません。 

 

▲13 ▼7 

 

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ホンダ・シビックCVCCエンジン。 

口にすると今でも実に響きがいい。 

 

▲19 ▼0 

 

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少なくとも今の日本人にはこのデカくて高い車はとっくの昔に「市民の」車では無くなってるわな。 

 

▲2 ▼0 

 

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過去60年で経営のピンチが無いのはトヨタとダイハツとスズキぐらいじゃないのかな。 

 

▲0 ▼3 

 

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VWがゴルフを開発した時にシビックを分解して調べまくったと言わましたね。 

 

▲3 ▼0 

 

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お気づき?赤いHはタイプR だけのものではない。ホイールのセンターキャップにも赤いH。 

 

▲1 ▼0 

 

 

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シビック、初代が一番カッコいい。 

 

▲27 ▼1 

 

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ジャッキーチェンのポリスストーリーにも出てくる初代シビック 

 

▲2 ▼0 

 

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> 「お父さん(本田宗一郎)」の考えをベースに開発されており 

 

お父さん?だれだそりゃ? 

宗一郎ならオヤジだろ。 

 

▲38 ▼4 

 

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これが新車販売しているなら、すぐディーラーで契約しますw 

 

▲7 ▼1 

 

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桜井淑敏さんのおかげです。 

 

▲9 ▼2 

 

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そろそろ、四輪は身売りして撤退の時期では? 

 

▲0 ▼0 

 

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RS 

 

▲5 ▼1 

 

 

 
 

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