( 266426 ) 2025/02/17 04:08:31 0 00 ※写真はイメージです - 写真=iStock.com/AntonioGuillem
人間関係は人生にどのように影響するのか。福厳寺住職でYouTuberの大愚元勝さんは「一人で生きることは必ずしも悪いことではないが、長引く孤独によって心身の健康に悪影響を及ぼしたり、後悔や悲観に暮れる末路をたどる可能性がある」という――。
■友人が減っていくのは自然の流れ
人生は移ろいゆくものであり、私たちの人間関係もまた、年齢やライフステージによって変化してゆく。
生まれてしばらくの間、私たちの人間関係は親や祖父母、兄弟に限られる。それが幼稚園や保育園に入ると、親から離れて家族以外の人を頼り、兄弟以外の仲間と戯れる喜びを知るようになる。
さらに中学、高校、大学と、学生期にはステージが変化する度に新しい友人との出会いがあり、共通の趣味や活動、バイトなどを通じて、多方面に関係が広がってゆく。
それが社会人になると、仕事に追われ、かつての友人たちとの関係が希薄になる。新しい出会いがあっても、学生期のような時間はない。さらに家庭を持つと、家族と過ごす時間が中心となり、子育てにも追われて、新たな友人を作る機会も限られてくる。
■人間関係もやはり「無常」である
やがて子どもが独立し、定年を迎えて仕事を離れ、活動や行動の範囲も狭まってくると、家族以外の人間関係がどんどん薄まってゆく。人によっては、家族との関係すら希薄になる。
さらに老い、病み、配偶者を失ったりすれば、強烈な孤独感に苛まれるようになる。
仏教では、このような人生変化を「無常」と呼ぶ。無常とは「あらゆる事象は変化し続ける」という、ブッダの教えたこの世の真理であり、人間関係にも当てはまる。
「生→老→病→死」と人生のステージが、死に近づけば近づくほど、友人が減少することや孤独を感じることは避けられない現象である。だからこそ、それを受け入れる心を育むことが大切なのだ。
■「ひとり」だからこそ成長する好機
しかしながら、一人で生きることは、時に孤独感を伴ったとしても必ずしも悪いことではない。むしろ、仏教では、孤独時間は自己を見つめ直し、内面的な成長を遂げる貴重時間だと説かれる。静寂の中でこそ、自己を見つめ、真理を見つめることができるからだ。
孤独を恐れるのではなく、それを活用することで心の平穏を得ることができる。
古代インドで記された『マヌ法典』には、バラモン教徒の男子は、学生期・家住期・林住期・遊行期と、人生を四つの段階に分けて生きることが理想的だと説かれている。
学生期は、師匠のもとでヴェーダを学ぶ学生の時期。ヴェーダとは「知識」を意味し、紀元前1000年ごろから紀元前500年ごろにかけてインドで編纂された一連の宗教文章の総称だ。
家住期は、家庭を持ち、子を育て、家長としての自覚をもって一家の祭式を主催する時期。
林住期は、仕事を離れ、家庭を離れ、森林に隠遁して修行する時期。
そして遊行期は、執着を離れ、ひと所に定住することなく、遊行しながら遍歴し、死を迎える時期だ。
■「友達に切られた、切った人」は要注意
この四住期を、現代の私たちの人生に応用してみると、学生期、家住期を過ぎて孤独な時間が増えた時こそがチャンス。孤独を憂うのではなく、孤独を活かすのだ。
ふと人生を振り返ってみると、それまで受験勉強や仕事、子育てに忙しくて、自分時間を持てなかった人もいるだろう。それが自分自身の時間を大切にして、本当にやりたいこと、趣味や興味を追求できる。仕事や家族、その他の人間関係に縛られることなく、自分の望むライフスタイルや価値観に従って、自由に余生を謳歌することができるのだ。
とはいえ、たった一人で生きることには課題もある。
特にその孤独が、自分勝手な振る舞いが過ぎて、他人が離れていってしまった結果である場合。あるいは他人との関わりが煩わしいからという理由で、自ら周囲との関係を断ち切った結果である場合は要注意だ。
長引く孤独によって心身の健康に悪影響を及ぼしたり、後悔や悲観に暮れる末路をたどる可能性もあるからだ。
■精神が病めば、肉体も病んでいく
「自分らしく生きる」「孤高に生きる」「人に迷惑をかけずに生きる」と聞くと、なんだか潔くてカッコいい印象を受ける。
けれども、人間は「人の間」と書く通り、人と人との関係の上にしか生きることができない。
そのことを知らず、さも自分一人だけで生きられる、生きているように思い上がるならば、人がどんどん離れてゆく、家族さえも離れてゆく。
人はどんなに理性を発達させても、やはり感情の生き物だ。その感情を共有する相手が周囲からいなくなることの切なさは、実際にそのような状況になるまでは決して分からない。
誰かと関わりたいのに、あなたと関わりたい人が誰もいない。
そんな孤独が長引けば、精神的な健康に悪影響を及ぼす可能性がある。精神は肉体と繋がっているため、精神が病めば肉体も病む。
孤独は肥満や喫煙と同じように、私たちの心身の健康を着実に蝕んでゆくのだ。
■「慢性的な孤独感」は死亡率を高める
この事実を科学的に突き止めた研究がある。
米ハーバード大学には、1938年から85年以上続いている「成人発達研究」がある。人々の健康と幸福を維持する要因を解き明かすことを目的としており、史上最長規模の研究として知られている。
研究者たちは、富裕層から貧困層、子どもから大人まで、2600人以上の対象者から生活状況や健康データを継続的に集め、約10年ごとに、本人はもちろん、家族にも対面で面接し、幸福度や健康状態などをヒアリングしてきた。
そして、長期的な幸福感や健康に最も大きな影響を与える要因は良質な「人間関係」であると結論付けている。
現在この研究を担う精神科医、ロバート・ウォールディンガー教授は、信頼し、信頼される善き人間関係こそが、健康長寿の秘訣であると語っている。
具体的には、
・親愛なる友人との会話や交流は、ストレスを和らげる。 ・困難な時期において、信頼できる友人がいることで安心感を得られる。 ・良好な人間関係を持つ人は、心臓病や認知症のリスクが低い。また、心臓病や糖尿病、関節炎などの発症を抑制し、健康で幸福な老後に大きく影響する。
一方、「慢性的な孤独感」は、1年あたりの死亡率を26%高めるという。
■ブッダが「縁を大切にせよ」と説いた理由
人間関係に限らず、あらゆる命や物事は相互に関係しており、その関係の上に私たちの人生が成り立っている。
この「ありよう」を、仏教では「縁」と呼ぶ。私たちは他者とのつながりの中で生きており、その縁を大切にすることが幸福につながるのだ。
では「縁を大切にする」とは、何か。それは「慈悲心」を育てることだ。慈悲心とは、慈(じ)・悲(ひ)・喜(き)・捨(しゃ)の四つの心。
慈:出会う人を「友」として仲良くしようと務める心 悲:友の悲しみや困りごとに、自分ごとのように寄り添う心 喜:友の喜びを、自分ごとのように喜ぶ心 捨:友に対して、平等に、冷静に接する心
■いま、あなたの近くに誰がいるか
これら四つの心は、私たちが「愛」と呼び大切にしている、本能的感情ではない。
好きになった恋人や、血を分けた家族。これらの人を思いやるのに、努力はいらない。
けれども、出会う人、出会う命を平等に慈しみ、哀れみ、ともに喜ぶ心は、意図して、努力して育てなければ育たない。
年齢を重ねることによって、友人関係が減少するのは自然なことであるし、一人で生きることが必ずしも悪いわけではない。時には孤独を受け入れ、それを自己成長の糧とすることが大切である。
しかし何歳になっても、人生のどんなステージにおいても、他人に対して慈悲心をもって接しているならば、あなたの近くには必ず、信頼できる良好な人間関係が築かれているはずだ。
私たちは人生の中でさまざまな縁に恵まれている。縁に揉まれながら、縁の中で自分自身を見つめ直し、少しずつでも、少しでも、善き人間関係を築いていくことが、健康的で幸福な人生を歩む鍵となるのだ。
---------- 大愚 元勝(たいぐ・げんしょう) 佛心宗大叢山福厳寺住職、(株)慈光グループ代表 空手家、セラピスト、社長、作家など複数の顔を持ち「僧にあらず俗にあらず」を体現する異色の僧侶。僧名は大愚(大バカ者=何にもとらわれない自由な境地に達した者の意)。YouTube「大愚和尚の一問一答」はチャンネル登録者数57万人、1.3億回再生された超人気番組。著書に『苦しみの手放し方』(ダイヤモンド社)、『最後にあなたを救う禅語』(扶桑社)、『思いを手放すことば』(KADOKAWA)、『自分という壁』(アスコム)、『愚恋に説法: 恋の病に効く30の処方箋』(小学館)などがある。 ----------
佛心宗大叢山福厳寺住職、(株)慈光グループ代表 大愚 元勝
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