( 266496 )  2025/02/17 05:19:13  
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廃バス(画像:写真AC) 

 

「ビートたけしのお笑いウルトラクイズ」の名物企画「バス吊り下げアップダウンクイズ」を覚えているだろうか――。同クイズは、その名の通り、誤答した解答者が乗るバスが海に吊るされ、再びクイズに挑戦するが、間違えればそのまま水中へ沈められる。現代の価値観で振り返ると、この演出には倫理的な疑問が噴出する。 

 

 なぜ、これほど過激な演出が当時の社会でエンターテインメントとして許容され、笑いとして受け入れられたのか。その背景には、時代の空気やテレビ文化の構造、視聴者心理が深く関わっている。 

 

 本稿では、それらを掘り下げることで、この番組を単なる「懐かしのバラエティ」としてではなく、社会現象として読み解いていく。 

 

DVD「ビートたけしのお笑いウルトラクイズ」(画像:バップ) 

 

「お笑いウルトラクイズ」が放送されていた1989(昭和64)年から1996(平成8)年は、日本経済がバブル期から崩壊へと移り変わる激動の時代だった。この時期のバラエティ番組は、視聴者の「非日常」への欲求を最大限に満たすために過激化し、体を張った芸人たちが“消費”されることを前提とした構造を持っていた。 

 

 テレビは視聴率競争のなかで、いかに「ありえない」光景を作り出すかに心血を注いでいた。バスがクレーンで吊るされ、海に沈められる演出は、その極端な例だ。視覚的インパクトを追求したコンテンツの象徴であり、経済的余裕がある時代だからこそ、「これほどのことができる」という誇示が視聴者の快楽につながり、制作側もさらに過激な演出を競い合った。 

 

 バブル崩壊後、不景気が深刻化するにつれ、社会全体がストレスを抱え、それを発散する手段として「芸人がひどい目に遭う」ことが一種のカタルシスとなっていた。こうした時代の空気とテレビの消費文化が重なり、「バス吊り下げアップダウンクイズ」のような演出が受け入れられていった。 

 

平成時代のテレビイメージ(画像:写真AC) 

 

 当時のテレビ業界では、規制が緩かったこともあり、「どこまでやれば視聴者が驚くのか」という挑戦がエスカレートしていた。特に日本テレビのバラエティ番組は、放送倫理よりもインパクトを優先する傾向が強かった。 

 

 番組が「出演者の自主的なリアクション」を強調することで、視聴者の罪悪感を薄めていた点も重要だ。ボロボロのバスに乗るのが「恒例」となり、たけし軍団やダチョウ倶楽部のような常連出演者が自ら進んで体を張ることで、「彼らが望んでやっていること」という文脈が作られていた。これによって、視聴者も「笑っていい」という暗黙の了解を持ち、倫理的な問題を意識せずに楽しめる仕掛けになっていた。 

 

 当時の視聴者には、「ヤラセ」という概念もある程度共有されていた。 

 

「本当に危険なら放送しない」 

「実際は安全に配慮されているはず」 

 

という無意識の前提があったからこそ、安心して楽しめた部分もある。現代のようにSNSで個々の倫理観が即座に可視化される環境ではなく、あくまで「テレビの中の出来事」として受け止められていた。 

 

 

クレーンのイメージ(画像:写真AC) 

 

 人はなぜ、他人が酷い目に遭うのを見て笑うのか。この問いは古くから議論されてきたが、ひとつの答えは「制御された危険」にある。サーカスの綱渡りやジェットコースターと同じように、「危なそうに見えるが、本当は安全」という状況は観客に快楽を与える。 

 

「バス吊り下げアップダウンクイズ」の場合、視聴者は 

 

「これはテレビの演出であり、最悪の事態にはならない」 

 

と理解していた。しかし、海に落とされる瞬間のスリルはリアルであり、そのギャップが笑いを生んでいた。これは「予定調和の崩壊」ともいえる。正解すれば戻れるが、誤答すれば落ちるというルールがあるからこそ、芸人たちが“わざと”ボロバスに乗る状況がさらに面白くなる。視聴者は「彼らは落ちる運命にある」とわかっていながら、その瞬間に快感を得ていた。 

 

 また、笑いには「集団的合意」という側面もある。当時の視聴者は、「芸人が体を張る」というテレビ文化を共有していたため、それを笑うことに疑問を抱かなかった。現代ではSNSによって個々の価値観が可視化され、同じような企画が放送されれば即座に批判される。しかし、当時はテレビが「笑いの基準」を一方的に決定できたため、「笑っていいもの」としての地位が確立されていた。 

 

 現在、このような演出が許されなくなったのは、 

 

「笑いの前提」 

 

が変わったからだ。視聴者は、テレビの出来事を単なるフィクションとして割り切るのではなく、現実の延長として捉えるようになった。SNSの普及によって個々の倫理観が即座に共有され、「これは行き過ぎではないか?」という疑問が可視化されやすくなった結果、 

 

「過激 = 面白い」 

 

という価値観が崩れた。 

 

労働環境の変化も影響している。芸人が体を張ることが「職業上のリスク」として認識されるようになり、企業も出演者の安全を守る責任を強く問われるようになった。かつては「消費されるエンタメ」だったものが、 

 

「守られるべき権利」 

 

へと転換したのだ。 

 

テレビとリモコン(画像:写真AC) 

 

「バス吊り下げアップダウンクイズ」が許された理由は、単なる時代の空気ではなく、視聴者の価値観やメディアの構造、笑いの心理といった複数の要因が絡み合った結果だった。 

 

 そして、それが現代では許されなくなったのも、社会の変化に適応した結果だ。 

 

 テレビのエンタメは常に時代とともに変容していくものだ。 

 

 「何が許され、何が許されないのか」を考えること自体が、私たちの価値観の進化を映し出しているのかもしれない。 

 

山腰英二(カルチャー系ライター) 

 

 

 
 

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