( 266498 ) 2025/02/17 05:22:49 2 00 昔は路線バスに「女性乗務員」が乗っていた! 「バスガイド」とは違う「車掌」の役割とは?WEB CARTOP 2/16(日) 20:11 配信 https://news.yahoo.co.jp/articles/731465a1111e3b0cd2a4ff7dab7adba99cc72941 |
( 266501 ) 2025/02/17 05:22:49 0 00 その昔、路線バスにも女性乗務員が乗っていたころもあった。
観光バスに乗車したとき、運転手(交代運転手を含む)以外にバスガイドが乗務していることがある。彼女ら(一般的に女性が多い)は乗客に対して、誘導、点呼(乗車確認)といった業務を行う。ほかにも、観光案内、娯楽機器(カラオケ、マイク、ビデオデッキなど)操作などのサービスや、車内整頓、ドアの開閉、運転手の補助(ナビゲーション、後方誘導など)も行っている。
バスガイドは乗客にとっては頼もしい存在で、以前は観光バスだけではなく貸切バスでも乗務していたが、近年はあまり見かけなくなったようだ。これは、2000年に規制緩和が行われたことに一因があるといわれている。それまで貸切バスは、バス料金とバスガイド料金を合わせて見積り、請求を行う、いわゆる「コミコミ料金」だった。しかし、同年に道路運送法が改正されて、料金をわけて示さなければならなくなったのである。もっとも、規制緩和の狙いはバス事業に対する参入障壁を下げることにあったので、料金の問題は枝葉末節の部分であった。
このころはバブル経済が崩壊した影響で、ユーザーが貸切バス料金に対してシビアになっていた時期だ。近距離であったり観光目的ではなかったりした貸切バスを中心に、バスガイドの乗務は行われなくなっていったのである。これには、乗り合いバスのワンマン化が進んで、運転手がさまざまな業務をひとりで行うための装置、仕組みが、ハード、ソフトの両面で充実してきていたことも無関係ではない。
バスガイドの活躍場所は観光バスが中心だが、じつは路線バスにも運転手以外の乗務員がいた。それが、鉄道ではおなじみの車掌である。業務は鉄道と似ており、ドア扱い、出発の合図、安全確認に加えて、切符の販売、改札、車内放送といった乗客対応と、車両誘導などの運転補助が主なものだ。一概にはいえないが、出発の合図を出すことから運行のマネージメントをしていると考えられ、ここがバスガイドとの立場の違いになるという解釈もある。
路線バスの登場したころから車掌が乗務していたのは、停留所ごとに客の乗降があるためで、その対応の必要性からである。しかし、乗客が多いと業務のすべてに手がまわらなくなる。ドア扱いや狭い道での車両誘導は必須であるから、停留所間距離が短いと切符の販売もままならない。路線によっては、非常に多忙な業務であったといえよう。
料金収受、切符の販売を行うために、車掌には専用の首掛け鞄を持っていた。なかには、金銭(乗客が払った料金とつり銭)、切符、はさみ(切符入鋏用)、時刻表などが入っている。定位置は乗降ドアの後方のスペースで、マイク、合図用ブザーボタン、ドアスイッチ(手動ドアの場合はない)などが装備されていた。走行中は切符販売などのために、車内を巡回する。女性が多かったとされるが、男性も少なからず存在した。
車掌が廃止されたのは、ひとえに経費(人件費)の問題である。路線バスは収支状態がよくない事業者がほとんどで、公共交通であることから赤字路線であっても運行を余儀なくされることが多い。料金箱、自動ドア、安全確認可能な大型ミラー、自動音声案内、料金均一化、整理券発行装置などが投入され、車掌の乗務は多くの事業者で1970年ごろには、ほとんど行われなくなっていった。
いまでは、高性能料金箱・カメラなどによる安全確認装置・電子マネーなどといった、新たなシステムの開発、導入が進められており、バスの車掌は完全に過去のものになってしまった。この先、自動運転技術が進むことでいずれ運転手もいなくなるだろう。バスガイドも、ロボット化するかもしれない。バスが乗客だけを乗せた移動する箱になる日も、そう遠くないということだ。
トラック魂編集部
|
( 266502 ) 2025/02/17 05:22:49 0 00 =+=+=+=+=
テレビでも取り上げられたことがありますが、横浜市営バスは1996年(平成8年)まで一部の路線で車掌が乗っているツーマン運行をしていました。 京急の杉田駅周辺で狭隘区間があり、車掌がバスから降りて誘導していたからです。その後、小型バスによる運行に切り替え、横浜市営バスの全系統がワンマン運行となりました。
▲35 ▼1
=+=+=+=+=
車掌さんがいるツーマン運行の時代にバス乗ってました。 会社と、組合が、経費節減の為、安全運転を無視して、ツーマン運行に強制的に全国のツーマンバスをワンマンバスに変えて行った! 最初のワンマン運行の約束は、運転手は運転だけを専念して、安全に、テープの案内のボタンと、ドアの開閉だけで、後は何もしなく良いから安全運転に専念して下さい!車掌さんに変わるものは全て機械で賄います。 運転手には迷惑かけませんと言う約束でスタートしたワンマン運行でした。 ワンマン運行では先日も、長崎県トランク閉じ込め事件、 運転手の責任になれば、納得いきませ! 会社の責任でしょ! ワンマン運行になる時、会社は運転手安全運転だけしてたら、座席も立つことないから、どうしてまツーマン運行から、ワンマン運行に頼み込んでしたのだから! 今、ワンマン運行の主旨を間違っている。
▲2 ▼2
=+=+=+=+=
私が子供の頃は、車掌さんが居るのが普通でした。
ある時、バスで隣町の親戚に遊びに行くというミッション(子供にしてみれば大冒険)親からは運賃、そして降りるバス停のメモ渡され、いざ乗車、急に寂しくなり、泣きそうになった時、若い女性の車掌さんが来て、励ましてくれメモと運賃渡し、車掌さんの定位置の前に座らせられ、目的地まで行き、無事ミッションコンプリート(笑)
今でもあの時の事はっきりと覚えています。
▲63 ▼2
=+=+=+=+=
車掌さんがいたのは薄っすらしか覚えていないけど、1975年ぐらいまでは三方を金属棒に囲まれた40cm四方ぐらいの車掌さんのスペース(後部ドアのすぐ後ろ)が残っていて、そこに陣取るのが子供心に楽しかった。 たぶん動作しないのだろうけど、車掌さんが後部ドアを開け閉めするスイッチにちょっとだけ触れてドキドキしていた。
▲25 ▼0
=+=+=+=+=
私は大都市に住んでいるが、小学校低学年の頃まで車掌が乗っていた。今は大都市だけど、当時はまだ舗装されていない道もあったり、坂道も細くて、実際交差できず、車掌がバックさせたりしたこともある。それとターミナル駅が、バックで停車しなければいけなかったので、そこでも笛を吹いて案内していた。しかし通勤時間帯に料金の回収はどうしていたのだろう。当時も満員だったはずだが。
▲42 ▼2
=+=+=+=+=
都営バスでは男性の車掌も多かったような気がしますが。運転士と兼業だったようですね。小学生の頃、ツーマン専用車で運転士の左脇の最前部座席に座るのが楽しみでした。 当時よく利用した車掌が乗務している都営バスは17(現・東43)系統東京駅北口~西新井駅(1976年に荒川土手までに短縮)と116系統上野広小路~川口駅(国際興業バスと共同運行で1972年廃止)でしたね。
▲5 ▼0
=+=+=+=+=
田舎の狭路で行き違いができず、バスが後退する必要が生じたときには車掌が下車し、(現状バスガイドさんがやっている様に)後方へ回って笛を合図に誘導していた姿が懐かしい。 また警報機がある踏切に於いても、一旦停車後に車掌が踏切の向こう側へ渡り、安全確認の後やはり笛の合図で前方に誘導し、乗車後出発という実に面倒な方法を取っていたが。これ法令で決まってたのかねぇ・・ バスが線路を横切る際、当然乗降扉は開いたまま(苦笑)。
ちなみにバス停で下車客がいる際は運転士へ肉声で「次願います!」 いない場合は「次オーライ!」と合図を送っていた。 それに対する運転手からの了解!のアンサーは短いブザーを1回鳴らしていた。
ああ懐かしい!!
▲34 ▼1
=+=+=+=+=
今は何でもかんでも節約で、ワンマン運転なんて大変そのもの。人件費以上に昔バスガイドさんの存在感は大切だった。温かみのあるお仕事ぶりも利用客からしても好評でした。
▲43 ▼1
=+=+=+=+=
リオデジャネイロの路線バスに10年前に乗った時には女性車掌が乗っていた。前扉と中扉の間に机を前にして座っていて、均一のバス運賃を受け取るだけ。走っている最中は、学校の10分休みの女子中高生みたいな感じで、机に突っ伏して寝ていた。 運行時間外に別の仕事をやっているのかもしれないけれど、日本との文化の違いに頭がクラクラする思いがしたのを覚えている。
▲10 ▼0
=+=+=+=+=
昔はあちこちで働く場所があったのですね。 今は省力化でどんどん人員が削られ働く場所が無くなっていってます。 自動運転が実用化されるとますます働く場所が無くなるのでは無いですかね?
▲12 ▼1
=+=+=+=+=
小学校にバス通学していた。車掌さんが最後まで残ってた路線。主に3人日替わりだったが、やる気のある人、化粧が濃く運転手と話ばかりしてる人、おばさん、だ。懐かしい。他の路線を乗る機会があるたびに、車掌さんいらない時代になるんだなと漠然と思っていた。
▲28 ▼0
=+=+=+=+=
高速バスでも観光バス車両が増発便で運行される時はバスガイドさんが車掌として乗務しています。昔は大学生のアルバイト車掌が乗ることもあり、銀河鉄道バスの山本宏昭社長もその1人だったそうです
▲0 ▼0
=+=+=+=+=
>以前は観光バスだけではなく貸切バスでも乗務していた
観光バスは貸切バスの一部だと思うし、この表現はちょっとと思うのですが・・。 今ではバスガイドが乗務するのは顧客が希望する場合だけになりましたが、昔バックカメラなどがなかった時代だと保安要員が必要だったのかも知れません。 海外だと、定期観光バスで運転士が1人で運転とマイクでの観光案内をやることもあります。
路線バスの車掌は・・私が子供の頃は既にワンマンだらけでした。
▲7 ▼1
=+=+=+=+=
路線バスに車掌さんがいるのを見たことがない世代です。 子供の頃、ワンマンバスという表記の意味がわからなくて、親に、昔は車掌さんがいた、今は運転手さんひとりでやってるからワンマンなのだ、と教えてもらったような。
▲14 ▼0
=+=+=+=+=
子どもの頃は時々車掌の乗っているバスが来たっけ。車掌廃止後は鉄道の売店などに移ったが、給与はのそのままだったので相当な高給取りだったらしい。もうほとんどいなくなったようだが。最近大型二種をとったがその時に久々に車掌さんが教本の中に出てきたな。
▲13 ▼0
=+=+=+=+=
イナカのバスはオンボロ車、タイヤは傷だらけ、窓は閉まらない。。。 という女性バス車掌の歌をNHK ラジオで聴いたことある。聴いたのは40年以上前で、当時でも既にワンマンバスで子供の私にはどういう事か良く分からなかったけど、母親はムカシの地方バスはそんなもんだったと言っていたのを思い出しましたよ。
▲19 ▼0
=+=+=+=+=
確かに昭和40年代に、ほとんどがワンマン運転でしたが、一部路線に車掌さんが乗務されていたのを思い出しました。女性だけでなく、男性も乗務されていました(運転士が兼務?)。
▲15 ▼0
=+=+=+=+=
大変懐かしいですね~、、。 昔、昭和30年代は運転手の他に車掌が乗務していたのが当たり前でしたよ。コロンビアローズの「私は東京のバスガール」とか中村メイコの「イナカのバスはオンボロ車」なんて歌が流行っていましたからね!
▲13 ▼0
=+=+=+=+=
平成の初め頃でも、茨城県の関鉄の中型の路線バスには中ドアのすぐ後ろに車掌が乗務するスペースとドア開閉のスイッチがついてました。
▲8 ▼0
=+=+=+=+=
バスの車掌は消えましたが、狭い道路などで誘導員が添乗している例は現在でも残っています。阪急バス・京都バスなどの一部区間で乗務しています。
▲23 ▼0
=+=+=+=+=
今ちょうど雪道自動運転試験車両で、試験走行をして見えます。 ちょうど今日から大雪と言われています。 まぁ無理でしょう。
「センサーに雪がついて動けなくなりました。誰かお客さん雪を落としてください。」ってバスが言うんですかね?
「雪で動けなくなりました。誰かお客さんチェーン巻いてください。」ってバスが言うんですかね。 将来的に。
▲0 ▼0
=+=+=+=+=
自分が子供の頃、1960年代 神奈川県内の神奈川中央交通の路線バスには、女性の車掌さんがいました
後部ドアの後ろ側のスペースに立っていた覚えがあります
▲0 ▼0
=+=+=+=+=
50中盤のオイラは、小学校低学年の時に経験しました!?(^^) どこまで行くのかを伝え、運賃を払い、目的の停留所に近づくと案内され、降ろしてくれました!!(^^) 9割はワンマンでしたが、数本が長距離を走るため!?これでした!?(^^) 今は自宅が鉄道駅近く、郊外でさえ自家用車で行くので、路線バスも乗らなくなりましたが!?(-_-)
▲7 ▼0
=+=+=+=+=
踏切に来たら小旗をもって降りて左右を確認して小走りに踏切を渡り過ぎたら乗車していた記憶があります。
▲9 ▼0
=+=+=+=+=
欧州のバスも車掌がいましたが、日本と違うのは車掌席は専用の椅子や机があって、座ったまま対応が出来ました。
▲3 ▼0
=+=+=+=+=
ウチはワンマン手当すらなくなったもんなぁ 他社だけどクリスマスの頃になるとサンタの格好させられる会社もあるくらいだし…そんなんじゃ運転士になろうと思う人いないよね
▲12 ▼0
=+=+=+=+=
路線バスの車掌は必ずしも女性とは限らない。 実際、昭和50年代でしたが鳥取駅から山間部へ行く路線バスで車掌に女性を見たことがなく100%男性でした。
▲8 ▼0
=+=+=+=+=
踏切では 車掌さんは 降りて 誘導するのが法律で決まっていました 今 業務の多様化で 車掌の復活 お願いしたい
▲2 ▼0
=+=+=+=+=
懐かしいなぁ。朧げながら記憶あります。 岩手の田舎のバスだったけど、行先を伝えてその料金の所に鋏を入れるやり方だったような憶えが。 「切符」に憧れたんですよねぇ。ただのペラッペラな紙なのに(笑)
▲0 ▼0
=+=+=+=+=
私が記憶してる限りでは…(乗った経験あり) ・新京成バスの「津田沼駅〜前原公団〜千葉病院前」(今は経路変更&中型車使用でワンマン化) ・西東京バスの「福生駅〜表草花〜菅生」(廃止) がツーマンでしたね。
▲5 ▼0
=+=+=+=+=
キャブオーバー型でも乗降口は手動の中扉しか無かったから車掌がドア開閉してた。女性が多かったけど、国鉄は男性だった。
▲7 ▼0
=+=+=+=+=
大阪市営バスでワンマン運行を始めた理由の一つに、当時は女性の深夜就業が禁じられていたから、という事もありました。
▲3 ▼0
=+=+=+=+=
中村メイコさんの冗談ヒットメロディー、「田舎のバス」。親から子守唄代わりに聞かされた曲だった。今となってはファンタジーの世界。
▲5 ▼0
=+=+=+=+=
車掌業務がなくなり、ワンマン手当てが支払われていたが、今では手当もなく1人二役 人件費削減しすぎですわ。
▲26 ▼2
=+=+=+=+=
60年代以前の人は知ってるがこの記事がしょうもない 日本最大の業界に長くいたので当然知ってるし倉庫に合ったのであのカバンめっちゃヤフオクで売れた
▲0 ▼0
=+=+=+=+=
車掌がいないバスは、ワンマン(バス)とフロントガラス端に大きくかがげてあったけど、このワンマンっていつ頃から無くなったのだろうか?
▲7 ▼0
=+=+=+=+=
古いバスとかでは車掌のスペースが残ってるね。 今じゃバケツとか掃除用具置き場みたいになってるけど。
▲13 ▼0
=+=+=+=+=
となりのトトロでバスの車掌が出てきてたが、あれ、後世に時代を 伝えるのに非常に役立っている。
▲23 ▼0
=+=+=+=+=
1扉で中扉の後ろの、現代のバスで言う、ICタッチ機があったところに居た記憶がある さあ、半世紀前だね 懐かしい
▲0 ▼0
=+=+=+=+=
岩手県沿岸部では昭和50年代後半まで、国鉄バスに車掌が乗務していました。
▲17 ▼0
=+=+=+=+=
昭和の御代にバイトで某バス会社の車掌を していました 偶に貸切バスの添乗員としても乗務しました
あの頃が一番もてましたねェ~
▲3 ▼0
=+=+=+=+=
男の車掌も乗っていました 深く帽子をかぶり下向て 顔は解らず 鼻声で次の停車バス停紹介してました。
▲15 ▼1
=+=+=+=+=
1950年生まれの男です。俺も神奈川中央交通の路線バスで車掌のアルバイトをした事があります
▲2 ▼0
=+=+=+=+=
発車オーライ!と言って、バスが発車する。 皮のカバンを首からさげて、切符を切って売ってました。都バスで…
▲13 ▼1
=+=+=+=+=
生まれる前の時の事だから実際に見た事は無いけど、となりのトトロで見た事ある。
▲10 ▼0
=+=+=+=+=
某事件のせいで、切符を切らせていただきます、と言いにくくなってしまったという逸話がありましたね。
▲0 ▼0
=+=+=+=+=
田舎はそうでもないけど都会の均一200円とか安過ぎ。
▲7 ▼0
=+=+=+=+=
車掌さんは、子どもたちのあこがれの職業だったこともあります。
▲14 ▼0
=+=+=+=+=
ドア開けて、ドア閉めて、「願います、ビィビィ!」 懐かしいね。
▲7 ▼0
=+=+=+=+=
鉄道でも車掌廃止でワンマン化が進められてる
▲4 ▼0
=+=+=+=+=
昔の映画を観ると、バスの車掌さんいますね
▲12 ▼0
=+=+=+=+=
良い時代でしたね 運転手さんの負担も少なかったし
▲14 ▼0
=+=+=+=+=
いまだにバスの法律には車掌が出てくる。 どこに車掌がいるんだ。
▲11 ▼1
=+=+=+=+=
男性も珍しくはなかった(普通にボンネットバス走ってた時代)
▲11 ▼0
=+=+=+=+=
♪私は東京のバス〜カ゚〜ル 発車オーライ 明るく明るく走るの〜よ〜
▲7 ▼0
=+=+=+=+=
田舎のバスはおんぼろ車♪タイヤはつぎだらけ窓は閉まらない♪それでもお客さん我慢をしているよ♪それは私が美人だから♪ 中村メイコさんの「田舎のバス」
▲6 ▼0
=+=+=+=+=
車掌 「次は◯◯でございま〜す。」 乗客 「降りま〜す。」 車掌 「次停まりま〜す。」
▲10 ▼0
=+=+=+=+=
♪私は東京の Bath Girl~ 発射オ~ライ~・・ ‥スマヌ‥
▲0 ▼3
|
![]() |