( 266706 )  2025/02/17 17:12:46  
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松本カタクラモールや昭和初期のカフラス旧事務所棟などが並ぶ現在のイオンモール周辺 

 

 食品や日用品を扱うスーパー、アパレルや雑貨の専門店に加え、家電量販店、書店、映画館、ゲームセンター、フードコートなどが並ぶ長野県松本市中央4のイオンモール松本。週末は市内外から家族連れや若者らが集まり、思い思いに時間を過ごす。 

 

 「当初はにぎやかになって良いと思ったけど…」。イオンモールの向かいで洋食店「キッチン南海」を営む南山登さんの表情はさえない。2017年秋のイオンモール開業後、地元住民の生活も便利になったが、日の出町では空き店舗や空き家が増え続けている。「大きい所がみんな吸い込んでいる感じがする」。巨大モールのにぎわいと対照的な街の現状を憂いた。 

 

 日の出町は100年以上にわたり片倉工業(東京)と歴史を共にしてきた。1890(明治23)年、現在のイオンモールの場所に松本片倉清水製糸場が開業。モールの一角に立つ「日ノ出町命名之碑」には、「町名の由来は、日の出の勢いで発展する片倉にあやかり、また松本市の東に位置し日の出を拝する町という意味を込めて日ノ出町と命名された」と記されている。 

 

 生糸の需要減などを受け、片倉工業の松本工場は1965(昭和40)年に製糸業から撤退。81年、製糸工場跡地に商業施設「松本カタクラモール」が開業した。 

 

 

 75年に松本市中央1で洋食店を開いた南山さんは、カタクラモールの開業に合わせ、中央4の現在地にある自宅を建て直し、店を移した。この頃、日の出町商店街には理髪店や八百屋、精肉店など21店舗が並び、多くの人でにぎわったという。松本駅前に大型店が相次いで進出し、84年には松本パルコ(中央1)が開業したが、「お客さんを分け合い、向こうもこっちも良かった。大型店と商店街が共存共栄していた」と振り返る。 

 

 しかし、競争の激化などでカタクラモールの売り上げは次第に減少。建物の老朽化も進み、片倉工業は2010年に一帯を再開発する方針を発表した。カタクラモールは15年に閉店。跡地一帯を再開発し、総賃貸面積約4万9千平方メートル、約170店が入るイオンモールが17年に開業した。 

 

 

 開業直後、週末には日の出町の通りに車の列ができ、松本駅からイオンモールまで歩く人も増えた。周囲の飲食店はにぎわい、キッチン南海にも多くの人が来店した。一方で、店主の高齢化もあり、食品や日用品などを扱う小売店は徐々に姿を消した。飲食店の開業はあるものの、商店街の店は13店に減った。 

 

 

 片倉工業の社宅が減った影響もあり、日の出町の住民は50戸ほどと従来から半減。空き家も目立つようになった。イオンモールを目指して通りを歩く人は今も多いものの、南山さんは「街全体としては繁栄していない」と感じる。 

 

 イオンモール開業から7年が過ぎた。当初の混雑は落ち着いてきたが、松本パルコや百貨店の井上(深志2)が相次いで閉店を発表し、市街地の大型施設でイオンモールの「1強」状態は続いている。 

 

 「周りに個人商店も増え、子どもや高齢者が住みよい町になってほしい」と願う南山さん。日の出町の現状に寂しさを感じつつ、自身はできる限り店を続ける覚悟だ。小麦粉やラードを練り、独特の香ばしさと苦みを出したカレーで、多種多様の飲食店が軒を連ねる巨大モールにもない個性を打ち出す。40年余にわたって地域に根ざしてきた誇りを胸に、店に立ち続ける。 

 

 

 
 

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