( 267026 )  2025/02/18 06:08:16  
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※写真はイメージです - 写真=iStock.com/Lichtwolke 

 

考古学者と呼ばれる人たちは、普段どのような生活をしているのか。『考古学者だけど、発掘ができません。』(ポプラ社)より、駒澤大学の大城道則教授の海外の賓客へのおもてなしにまつわるエピソードを紹介する――。(第1回) 

 

■世界一有名な考古学者からの突然の連絡 

 

 プレッシャーに押しつぶされそうになるとは、まさにこのことだ。だいたいいつもそうなのだが、あの人は予想外・想定外の動きをする。あの人とは、そう世界一有名な考古学者であり、「古代エジプトの守護神」の異名を持つ元エジプト考古大臣ザヒ・ハワス博士だ。 

 

 「考古大臣」とはエジプトならではの役職であろうが、文化財や数々の考古学的発見を基盤とした観光が経済を支えているエジプトでは、かなり影響力を持つポストである。 

 

 学生の頃からテレビ番組にたびたび登場する彼と初めて直接会ったのは、エジプトのカイロのザマレク地区にある考古省の彼のオフィスを訪ねたときである。もうかれこれ今から20年近く前のことだ。 

 

 何のために行ったのかはあまり覚えていない。発掘調査前の挨拶か陳情に行ったような気がする。誰と行ったのかも記憶が定かではない。エジプトのギザで長年発掘調査を実施しているマーク・レーナー先生と一緒に行ったのが初めてだったような気もする。それ以来、ザヒ・ハワス博士には何度もお会いしている。彼が考古省を退職してからもだ。 

 

 昔は理由もなく怖かったが、最近はそうでもなくなった。温厚になった気がする。ただあと数年で齢(よわい)80になろうとしている今でも迫力は十分にある。 

 

 2023年のある日、そのハワス博士からエジプト大使館を通して連絡があった(彼からの連絡はいつも急だ)。2カ月後に来日するので講演会の会場を探しており、駒澤大学でも記念講演ができないかと言うのである。エジプト学者としてエジプトに行く機会も多いし、何よりも影響力の強いハワス博士からの依頼を極東に暮らす二流のエジプト学者である私が拒否できる可能性はゼロだ。 

 

 なにはともあれ「イエス」から始めた。その瞬間から嵐のような私の夏が始まったのである。 

 

 

■先方からの無理難題 

 

 頼まれていた講演会後に開催する懇親会の会場の用意は大変であった。エジプトは90パーセントがイスラーム教徒の国である。つまり豚肉は宗教上食べることができない。そのためお店の選択の幅が狭いのである。しかもザヒ・ハワス博士と一緒に来日した政府高官X氏が生魚を食べることができないという話も直前に入って来た。 

 

 ザヒ・ハワス博士自身は、1日3食お寿司でOKというほどのお寿司好きである。当然、私も美味しいお寿司屋さんを用意していた。しかし……。 

 

 エジプト人のコーディネーターからは、「X氏は寿司が無理なので、和牛の店でよいのではないか。テレビで日本人シェフがナイフを回しながら肉を焼くのを観たことがあるぞ」と電話が来た。おそらく日本を紹介する番組で鉄板焼きのお店のパフォーマンスでも観たのであろう。予算を訊くと「一人8000円以内で」ときたものだ。 

 

 ザヒ・ハワス博士は、赤ワインがお好きなので、その点を考慮し、世田谷区のど真ん中に位置する駒澤大学近くで、しかも和牛で個室のあるお店となると、完全に予算オーバーだ。このあたりをまったく理解していないエジプト人コーディネーターであったので、その後もさまざまな問題がことあるごとに浮上した。 

 

■そんな店ほんとうにあるのか 

 

 さて困った。ここは考え方を少し改めて、お店探しに当たらねばならないと頭を切り替えることにした。エジプト人が来日すると食の問題に必ずぶちあたる。私のところには毎年のようにエジプト人が訪れる。ほとんどが国内外の研究者仲間や日本在住のコーディネーターであるが、信仰する宗教はまずイスラーム教である。ハラールレストランを探したり、テイクアウトやデリバリーでハラール料理を頼んだりすることもある。 

 

 東京オリンピックの前後でかなり多くのハラール対応のお店が国内にできたが、まだまだ接待する側に立った場合は心配になる。今回のザヒ・ハワス博士の来日記念講演の際の懇親会の場所の設定でも熟慮を要した。 

 

 ザヒ・ハワス博士だけなら問題はない。お寿司屋さんに行けばいいのだ。お寿司と赤ワインが彼の定番であるからだ。しかしながら、今回はその他のエジプト人の要人からのリクエストも検討材料に入れなければならなかった。 

 

 そこで和牛を食べることができて、ザヒ・ハワス博士の好きなお寿司も食べることができ、その上にワインもあり、しかも完全個室で予算内に収められるお店。そんなところがあるのか? 

 

 

■ネクタイを締めて向かったあるチェーン店 

 

 ここはもう駒澤大学コネクションに頼るしかなかった。駒澤大学は日本有数の古い歴史を持つ大学である。そのため有名企業の経営者も多数輩出している。以前からある企業の代表取締役社長が駒澤大学出身であることを知っていた。しかも彼が歴史学科のある文学部出身であることも。そのある企業とは、「木曽路」だ。あのしゃぶしゃぶで有名な大手チェーン店である。 

 

 もちろん私は社長の直接の連絡先を知らなかったので、大学の事務方に連絡し大学のOB会のリストに当たってもらった。すると確かに本学出身ではあるが、連絡先までは書かれていないという返事が返って来た。当てが外れた感があったが、気を取り直し、次の策を練った。何と言っても私には時間がないのだ。いくら机上で考えていても埒が明かないので、実際に「木曽路」に行ってみることにした。 

 

 駒澤大学の会場からタクシーですぐに行ける支店としては、用賀店と碑文谷店があったが、その日のうちに、自分でも自転車で行ったことがある用賀店の方に向かった。ネクタイを締めて。 

 

 お昼のランチの時間帯だったことから、かなりお客さんが多くて混み合っていたが、受付で名刺を出し店長を呼んでもらった。いささか強引ではあったが、背に腹は替えられない。とにかく忙しかったのだ。時間がないのだ。運よく店長が応じてくれた。 

 

■「木曽路」を選んで正解だった 

 

 最初に私が怪しい人物ではないこと。大臣クラス、大使クラスをはじめとした国内外の要人が集まる会を開きたいということ。イスラーム教徒が何人かいて、宗教上豚肉が食べられないこと。15名ほどが入る個室が必要なこと。予算が8000円以内と決まってること。和牛とお寿司を用意して欲しいこと。などなど諸事情を正直にお話しした。 

 

 そして最後に可能であれば社長の方に連絡を入れておいて欲しいと付け加えておいた(店長はお願い通り社長に連絡を取ってくれ、結果的に私は社長と繫がることができた)。 

 

 結果としてすべて了承していただき、当日の会は成功に終わったのである。「木曽路」を選んで正解だった。 

 

 スタッフがさまざまな対応に慣れていたことが幸いした。支払いも予算内に収まったし。 

 

 

■VIPの機嫌が悪くなった理由 

 

 夜の懇親会は先述の通り、めでたしめでたしであったが、講演会当日のお昼ご飯は私の知っているところ、知らないところで大変ことになっていた。 

 

 エジプト人コーディネーターが予約もせずにザヒ・ハワス博士一行を焼肉の有名店「JJ苑」に連れて行ったのである。駒澤大学の深沢キャンパスが会場だったことから、そのすぐ近くにお昼ご飯の場所として「JJ苑」を見つけたまではよかったのであるが、日曜日のお昼に飛び込みで入って上手くいくはずもなく、1時間以上ロビーで待たされた挙句、諦めて会場に来てしまったのだ。 

 

 会場に到着した際のお腹の空いた博士は機嫌が悪く大変であった。当たり前だと思うが……。少なくとも前日までに私に知らせてくれていれば、そんなことにならなかったのにとコーディネーターに小言を言ったが、後の祭りであった。エジプト人らしく両手を上げて困った顔をするだけであった。 

 

 しかし、私はそんなこともあろうかと思って手を打っていた。嫌な予感がしていたのだ。会場の手伝いをお願いしていた駒澤大学古代エジプト研究会のメンバーの何人かに、会場に来る前に渋谷の「K寿司」に寄って寿司を桶折でテイクアウトして来て欲しいと伝えていた。保険を掛けていたのである。 

 

■どんなときでもBプランは大事 

 

 渋谷から田園都市線に乗って、駒沢大学駅までたどり着き、その後歩いて大きな桶に入ったお寿司を学生たちが会場まで届けてくれたのである。お昼ご飯を食べ損ねたという顚末を電話で聞き、こちらで用意しているからすぐに会場に博士を連れて来るようにと伝えた。コーディネーターがパニックになっているのが、電話越しにもわかるほどであった。そして先ほど述べたように会場にたどり着いた博士は不機嫌であった。 

 

 しかし、私がお昼ご飯にお寿司を用意していると伝えると、途端に博士は元気を取り戻した。学生も使用する広い控え室に案内し、丸くて大きな桶折を見せると喜んで次々とお寿司を口に運んでくれた。どんなときでもBプランは用意しておくものだと再認識した。 

 

 最大の心配事は、銀座の高級鮨店や高級ホテルのお寿司屋さんで接待を受けることがしばしばであろうザヒ・ハワス博士の口に、我々がよく行く有名回転寿司チェーンの「K寿司」の味が合うのかどうかであった。がしかし、博士が満足してくれているのは明らかだった。ツナサラダやコーンを載せて巻いたお寿司はおそらく初めて食べたであろうが、それらも結構気に入ってくれたようだった。 

 

 美味しいものを食べていれば、大方の人は気分がよいものだ。もちろんザヒ・ハワス博士も例外ではなかったのである。 

 

 

 

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大城 道則(おおしろ・みちのり) 

考古学者、駒澤大学文学部歴史学科教授 

1968年兵庫県生まれ。駒澤大学文学部歴史学科教授。博士(文学)。関西大学大学院博士課程修了。バーミンガム大学大学院エジプト学専攻修了。ラジオ番組で菊池桃子さんが「エジプトが好き!」と言ったのでエジプト学者を目指す。古代エジプト研究を主軸に、シリアのパルミラ遺跡とイタリアのポンペイ遺跡の発掘調査にも参加。著書に『神々と人間のエジプト神話─魔法・冒険・復讐の物語』(吉川弘文館)、『異民族ファラオたちの古代エジプト─第三中間期と末期王朝時代』(ミネルヴァ書房)、『古代エジプト人は何を描いたのか─サハラ砂漠の原始絵画と文明の記憶』(教育評論社)など多数。 

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考古学者、駒澤大学文学部歴史学科教授 大城 道則 

 

 

 
 

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