( 268891 )  2025/02/23 03:13:59  
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取材に応じる鈴木莉子さん(仮名) 

 

 首都圏の大学に通う20歳の鈴木莉子さん(仮名)は、幼い頃から妹の凜さん(19歳、仮名)だけを特別扱いする父の態度が疑問だった。男子の兄弟には平手打ちもするのに、凜さんには怒らない。一方で、妹を束縛しているとも感じた。父は、目の届かないところで凜さんと莉子さんが話すことすら嫌がった。  

 やがて、妹から打ち明けられた。「パパから性暴力を受けている」。妹は12歳、中1だった。「そんなことあり得ない」。一方で、苦しむ妹を逃がしたいとも思った。しかし、もし父に知られたらどんな目に遭うか、家族の生活はどうなるのか…。苦悩の末、勇気を振り絞り警察に通報。シェルターに避難したのは、被害の告白から6年後。妹は18歳になっていた。「なぜもっと早く逃がせなかったのか」。莉子さんは今も自分を責め続ける。(共同通信=宮本寛) 

 

鈴木凜さん(左)と姉の莉子さん 

 

 莉子さんら関係者の証言や父親の裁判記録などを総合すると、次のようになる。 

父は母と約10年前に結婚しており、莉子さん姉妹の実父ではない。姉妹の下にはさらに5人の弟妹がいる。暮らしは生活保護でまかなっており、家計はすべて父が管理。支出の決定権も握っていた。 

 子どもたちに対する父の暴力は「日常的だった」と莉子さんは言う。態度が気に入らないといっては腹を殴られた。ビンで頭を殴られ、出血したことも。母は「やめなよ」というだけで助けてはくれない。いつしか逆らうことを諦めていた。一方で父は、凜さんに対してだけは、夜更かししても怒らない。欲しいものも買い与えていた。 

 莉子さんと凜さんが2人でいると、すぐに父はどちらかを呼びつけ、用事を言いつけて引き離す。家族の中で凜さんの携帯電話番号もLINEも知らなかった。オンラインゲームの中で「フレンド登録」することさえ禁じられた。 

 凜さんが中1の時、同級生の男子の家に遊びに行った。すると父は激怒。学校に乗り込んだという。これがきっかけとなり、やがて凜さんは不登校になった。 

 

 

 莉子さんには当時、こんな記憶がある。寝室でもない部屋に父と凜さんが二人きりでいた。扉から中をのぞくと、布団が敷かれていたという。 

 凜さんから性暴力被害を告白されたのはそれから間もなく。これまでの不審点が一気に解消された一方で、信じ切れない自分もいた。 

 「まさか。そんなことあり得るの?」。自分1人で受け止めきれず、母に相談した。すると、伝え聞いた父は即座に否定し、母も、父の言葉を信じてしまったようだった。 

凜さんからは後でこう言われた。 

 「姉に話したんじゃないかとお父さんから怒られた。お母さんに話すと伝わるから相談しないで」 

 ただ、その後も断続的に被害に遭ったことを凜さんから聞かされた。その言葉を信じて、疑っての繰り返しだった。 

 

公衆電話のイメージ 

 

 莉子さんは当時、こんな思いを抱えていたという。 

 「私自身、考えるだけでつらかったが、妹を早くどこか安全な場所に逃がしたかった」。ただ、凜さん自身に通報してもらうことは難しい。父が凜さんのスマホを頻繁に盗み見していたからだ。 

 最初に被害を聞いてから4年後の2022年、莉子さんは初めて児童相談所に電話した。自分のスマホではなく、公衆電話を使った。いきなり家に訪ねてこられたり、保護者である父に連絡されたりすることを恐れたからだ。もし凜さんを一時的に保護してくれたとしても、また家に戻されたら、もっとひどい目に遭うかもしれない。 

 意を決してダイヤルしたが、相手が電話に出ると何も言わずにすぐ切ってしまった。鼓動が止まらない。「精神的に無理だと思った」。受話器を置く手は震えていた。 

 この時の莉子さんの様子を、凜さんは覚えている。「姉が『やっぱりできない』と言って、泣きながら帰ってきたことがありました」 

 

 数か月後。大学に進学した莉子さんは意を決して再び児童相談所に電話。今度は話すことはできた。ただ、「妹は18歳です」と伝えると、あっさりこう言われた。 

 「では警察に電話して下さい」 

 児童相談所が担当できるのは17歳までだからだ。 

 それでも莉子さんは諦めない。翌日、ある社会福祉法人に電話した。ここは性暴力などを受けた被害者を一時的に匿うシェルターを運営している 。ようやくきちんと話すことができた。妹を連れてきてほしいとも言われた。やっと救い出すことができる。しかし、希望を胸に凜さんに相談すると、「無理」と断られた。「父にばれたら…」という恐怖に縛られていた。 

 

 

警視庁 

 

 ただ、莉子さんの行動は無駄ではなかった。しばらくたって、凜さんがこう言ったのだ。 

 「シェルターに逃げたい…」 

 シェルターという具体的な言葉が初めて出てきた。「この言葉は重かった」。莉子さんは突き動かされるように警察に通報。すると捜査車両で自宅近くまで来てくれた。車内で、これまで凜さんから聞いた被害の状況を説明した。 

 「ずっと誰にも言えなくて我慢していたようです」「父が怖くて、訴え出ることもできなかったようです」 

 話を聞いた警察官は「妹さんから事情を聴きたい」「避難させたい」と言ってくれた。 

 でも恐怖に縛られている凜さんは、車どころか家の外にも出られない。というのも、事前に凜さんに警察への通報を伝えると、おびえた表情を見せていたためだ。 

 莉子さんは警察官にこう告げて自宅に戻った。 

 「私が妹を説得して警察に連れて行きます」 

 

 凜さんが警察官にやっと事情を話すことができたのは数日後。そのまま被害者支援センターで保護された。警察に呼び出された父は、莉子さんに「あとは頼むね」と言い残して家を出た。強がっているように見えた。 

 すると、すぐに警察から電話が。 

 「お父さんを逮捕しました」 

 このとき莉子さんが感じたのは「安心」ではなく「不安」だった。 

 「この先どうなるのだろう」 

 「下の5人の弟妹はどうやって生きていけばいいのだろう」 

 

事件後、初めて姉妹で出かけた国立新美術館 

 

 シェルターに入った凜さんからは「お姉ちゃんも一緒に来てほしい」と言われた。警察や支援団体からも避難を勧められたため、同じシェルターに入った。 

 凜さんは「ありがとう」と感謝してくれたが、莉子さんにうれしさはない。泣きながら「早く助けてあげられなくて、ごめんね」というのが精いっぱいだった。もっと早ければ「傷は浅かったはず」としか思えなかった。 

 それでも、凜さんは検察の事情聴取でこんな供述をしている。 

 「家族の中で姉が一番信頼できると思っていたので、姉には相談していました。姉が私のために勇気を出し、警察に相談してくれたことで、私も勇気を出して被害届を提出しました」 

 

 支援団体のスタッフや弁護士らはみな、莉子さんの勇気をたたえてくれた。責める人は誰もいない。でもだからこそ「あのとき児童相談所に言えたのではないか」と自分を責めてしまう。責められた方がましだと思う理由は、ほかにもある。 

 妹は小さい頃から欲しいものを買い与えられ、怒られもしなかった。「そんな妹が少なからず、うらやましい気持ちがありました」 

 凜さんが悪くないことは分かっている。それなのにうらやんでしまった自分が許せない。凜さんが不登校になった時も、不登校から立ち直ろうとした時も何もできなかった。 

 「大人は私も被害者だと言うけれど、私は加害者側の人間だったんじゃないか。きっとこの先、妹のどんな笑顔を見ても、この罪悪感は消えないと思います」 

 

 

共同通信・宮本寛 

 

 法務省が公表した2024年の犯罪白書によれば、性犯罪の認知件数の増加が特に目立っている。不同意性交は前年と比べて63・8%も増えて2711件、不同意わいせつも29・5%増の6096件だった。 

 白書には、被害者と容疑者の関係性を分析したデータもある。2023年に不同意性交で摘発された2038事件のうち、「面識あり」が59・9%と最多で、「親族」も12・2%を占めた。 

 莉子さんは妹に相談されてから6年にわたって悩み、苦しんだ末に警察に通報した。何年前の出来事であろうと、多くの被害者や、その周囲の人たちが今も苦しみから抜け出せずにいることは想像に難くない。 

 莉子さんは私の取材を受けた理由をこう語ってくれた。 

 「被害者が勇気を持って一歩を踏み出せるきっかけになってくれたら」 

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※この記事は、共同通信とYahoo!ニュースによる共同連携企画です 

 

 

 
 

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