( 269306 )  2025/02/24 04:31:50  
00

信号のない横断歩道(画像:写真AC) 

 

 信号機のない横断歩道で歩行者が渡る際、車のドライバーにお辞儀や会釈をするべきかどうかは、日本独特の交通文化に根ざした問題だ。このテーマは近年、SNSなどで何度も議論されてきた。 

 

「車が止まるのは義務だから、お礼は不要」という意見もあれば、「道を譲ってくれたのだから感謝を示すべきだ」という意見も根強い。実際、横断歩道でお辞儀をする歩行者を見かけることは珍しくなく、その行為を「マナーが良い」と肯定的に捉えるドライバーもいる。 

 

 だが、これは単なる礼儀の問題に過ぎないのだろうか。それとも、日本の交通文化やルールのあり方を映し出す現象なのか。本記事では、交通法規やドライバーと歩行者の心理、海外との比較、社会的背景など、さまざまな視点から「横断歩道でのお辞儀は本当に必要なのか?」を考察していく。 

 

信号のない横断歩道(画像:写真AC) 

 

 まず、法律上のルールを確認しよう。 

 

 道路交通法では、横断歩道を渡ろうとする歩行者がいる場合、車両は必ず一時停止しなければならないと定められている。これは義務であり、ドライバーの「好意」ではない。したがって、歩行者がお辞儀をしなくても、ドライバーは止まらなければならないし、歩行者も遠慮する必要はない。 

 

 しかし、現実にはこのルールが守られていないことが多い。日本自動車連盟(JAF)が2016年に実施した交通マナーに関するアンケート調査では、信号機のない横断歩道で歩行者が渡ろうとしているのに一時停止しない車が多いと感じる人が 

 

「86.2%」 

 

に達している(「とても思う」が43.7%、「やや思う」が42.5%)。この結果から、法規があっても現実の交通環境では必ずしも機能していないことがわかる。 

 

 また、JAFが毎年実施している「信号機のない横断歩道での歩行者横断時における車の一時停止状況全国調査」の最新データ(2024年11月発表)によると、全国平均で 

 

「53.0%」 

 

の車両が横断歩道で停止し、歩行者に道を譲っているという結果が得られた。この数字は2018年の8.6%から着実に改善してきたが、依然として約半数の車両が停止しないという現状がある。 

 

このような状況で、歩行者が「止まってくれてありがとう」とお辞儀をする文化が生まれたのは、ある意味で合理的だと言える。なぜなら、ドライバーに「止まってくれることが当然である」という認識が浸透していないため、歩行者は自衛のために「道を譲ってもらう」という態度を取らざるを得ないからだ。 

 

 

信号のない横断歩道(画像:写真AC) 

 

 歩行者のなかには、お辞儀や会釈を自然にする人もいれば、全くしない人もいる。この違いは、個人の性格によるものだけなのか、それとも社会的な背景が影響しているのだろうか。 

 

 お辞儀をする歩行者は、一般的に「相手に対する感謝を示すことが礼儀だ」と考える傾向が強い。日本社会では、相手の善意に対してお礼を述べるのが一般的であり、その価値観は交通の場面にも影響している可能性がある。 

 

 一方、お辞儀をしない歩行者は、「車が止まるのは当然のことだ」と考え、感謝を示す必要はないと思っていることが多い。歩行者優先の原則が確立されている国々では、お辞儀をする文化はほとんど存在しない。 

 

 実際、オランダやドイツでは、横断歩道に歩行者がいる場合、車が止まるのは当然とされており、歩行者がわざわざお辞儀をすることはない。むしろ、車が止まらない場合のほうが問題視され、ドライバーに対する罰則も厳格だ。 

 

 これらの海外の状況と比較すると、日本における「歩行者が感謝を示す」という文化は、単なるマナーの問題ではなく、むしろ 

 

「歩行者が本来の権利を主張できていない」 

 

現実の反映であるとも考えられる。 

 

信号のない横断歩道(画像:写真AC) 

 

 一方で、ドライバー側の意識も重要だ。「歩行者がお辞儀をすることで、ドライバーが嬉しく感じる」という意見も確かにある。特に、横断歩道での歩行者優先が十分に浸透していない現状では、「歩行者が丁寧にお礼をしてくれることで、ドライバーも気持ちよくなる」という心理が働くことがある。 

 

 だが、この心理には落とし穴もある。 

 

「お辞儀をされる = 自分が親切にしてあげた」 

 

という意識がドライバー側に生まれると、本来のルールである「歩行者優先」が軽視される危険がある。 

 

 さらに、ドライバーのなかには「お辞儀をされることで、自分が善意で止まったと認識し、それを期待するようになる」という傾向もあるだろう。この結果、 

 

「お辞儀をしない歩行者 = 礼儀がなっていない」 

 

と感じるドライバーが増え、交通ルールとは無関係な「お辞儀をするべきかどうか」という無用な議論が生まれることになる。 

 

 このような状況を踏まえると、日本における「横断歩道でのお辞儀」は、単なるマナーの問題ではなく、社会的な 

 

「同調圧力」 

 

として機能している面があることがわかる。例えば、ある地域ではほとんどの歩行者がドライバーに会釈をするため、新しくその地域に来た人も「周りに合わせて」お辞儀をするようになる。その結果、それが暗黙のルールとなり、「お辞儀をしない人はマナーが悪い」と見なされる可能性が出てくる。 

 

 しかし、本来、交通ルールは万人に平等であり、「お辞儀をするかしないか」で歩行者の行動が評価されるべきではない。 

 

信号のない横断歩道(画像:写真AC) 

 

 結局のところ、横断歩道でのお辞儀は「本来必要ない」といえる。車が止まるのは義務であり、歩行者がそれに対して遠慮する必要はないからだ。 

 

 しかし、現実の日本の交通環境では、歩行者が「ありがとう」の意を示すことで、ドライバーの協力を得やすくなる側面がある。そのため、実際にはお辞儀をすることで円滑な交通の流れが生まれることも事実だ。 

 

 とはいえ、最終的に目指すべきは 

 

「歩行者が気兼ねなく横断できる社会」 

 

であり、そのためには「歩行者が感謝しなくても当然のように車が止まる」という交通文化を醸成することが不可欠だ。お辞儀が不要な社会こそが、理想的な交通環境といえるかもしれない。 

 

小西マリア(フリーライター) 

 

 

 
 

IMAGE