( 273256 )  2025/03/09 04:58:52  
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井の頭通りに面した東京・吉祥寺南病院は昨年9月末で診療を休止した=米倉昭仁撮影 

 

 必要な医療を受けられない地域が首都圏で広がりつつある。病院が減っているからだ。経営が悪化の一途をたどり、老朽化した施設を建て替える余力はなく、診療を継続できない――。病院を失った住民たちは途方にくれていた。 

 

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■病院が消えていく 

 

 首都圏の「街の住みここち&住みたい街ランキング2024」(大東建託)で、6年連続で「住みたい街(駅)」トップに選ばれた吉祥寺(東京都武蔵野市)。都心に近く、公園や商店が充実しているのが人気の理由のようだ。 

 

 そんな吉祥寺で、10年ほど前から病院が次々に消えているという。 

 

 長年暮らす吉岡諒子さん(85)はこう話す。 

 

「高齢になると、地元に病院があることが気持ちの余裕につながるんです。今は電車やバスに乗って遠くの病院に行かなければならない。右往左往しています」 

 

 吉祥寺では2014年に「松井外科病院」(91床)が救急と入院機能を停止し、翌年に病床廃止した。17年には「水口病院」(43床)が廃院になった。24年3月には「森本病院」(74床)が閉院し、内科クリニックになった。 

 

■2次救急医療機関が診療を休止 

 

 吉岡さんが特にショックを受けたのは、吉祥寺地区で唯一残った2次救急医療機関の「吉祥寺南病院」(125床)が昨年10月から診療を休止し、再開の見通しが立っていないことだ。2次救急医療機関とは、24時間365日体制で救急患者を受け入れ、手術や入院にも対応できる設備や専用病床が整った病院を指す。 

 

「先生方とは顔見知りで、とても親切にしてくださった。夫が前立腺がんで亡くなる前、『おなかが痛い』と訴えた。病院に電話すると、『すぐに来てください』と。息子の車で行くと、病院の外で職員が車椅子を用意して待っていてくれました」(吉岡さん) 

 

 田中邦忠さん(75)は以前、心臓病を患い、2駅離れた武蔵野赤十字病院で手術を受けた。以後、自宅近くの吉祥寺南病院で定期的に診察を受けてきた。 

 

「地域の誰もが大なり小なり南病院のお世話になってきた。CTやMRIを含めてさまざまな設備がそろっていたので、たいがいの病気の治療はここで完結できていました。診療休止で、私は新しい病院を探さなくてはならなくなった。赤十字病院は3次救急ですから、一般診療でかかる病院ではないですし」(田中さん) 

 

 

■市も後押し、署名活動も 

 

 なぜ、吉祥寺南病院は診療を休止することになったのか。 

 

 吉祥寺のメインストリート、井の頭通りに面した吉祥寺南病院は築55年。10年ほど前に建て替え計画が持ち上がると、武蔵野市も後押しした。市は19年に「吉祥寺地域医療拠点地区まちづくり協議会」を設立。地域住民から賛同を得たうえで、建て替え予定地(現病院のとなり)の用途制限と建物容積率を変更し、新病院が建設されるはずだった。 

 

 前出の吉岡さんも賛同を得るために署名活動を行った。 

 

「『病院が新しくなればいいわね』って、地域の住民は希望を抱いたんです。たくさんの方が署名してくれました」(吉岡さん) 

 

 ところが、「新型コロナウイルスの流行を境にすっかり様子が変わってしまった」(同)。経営状態が厳しいらしいという話も漏れ聞こえてきた。 

 

 吉祥寺南病院の経営母体である医療法人「啓仁会」が昨年9月末で診療を休止することを発表したのは、その2カ月前の7月のことだ。 

 

■病院経営の悪化が背景に 

 

 武蔵野市議の川名ゆうじさんはこう説明する。 

 

「『建設費高騰から建て替えを断念する。建物の耐震化が現行基準に達していないことによる危険性を考え、診療休止を決断した』と、啓仁会から市に連絡がありました」 

 

 啓仁会は、同病院の許可病床数を継承する法人を探してきたという。 

 

「病院経営の悪化が背景にあると推測できます。継承先が見つからないと、医療機関と病床数が減るだけでなく、大災害時の緊急医療体制も大きな打撃を受けます」(川名市議) 

 

 啓仁会は、今年3月5日、吉祥寺南病院事業を社会医療法人「東京巨樹の会」が引き継ぐことを発表した。 

 

「建て替えについての具体的な計画はこれからで、どうなるか、まだわかりません」(同) 

 

■「建て替え困難」は他の地域でも 

 

 資金不足により病院が建て替え困難に直面する事態は、他の地域でも起きている。 

 

 1977年に東京・多摩ニュータウンの基幹病院として開院した日本医科大学多摩永山病院も、建て替えに向けて多摩市と協議を重ねてきた。だが、昨年5月、建て替え計画の検討の終了が発表された。市によると、「建替え資金の調達のめどが全く立たないうえ、多摩永山病院単独の収支が厳しい状況にあった」ことが理由だという。 

 

 埼玉県のベッドタウンにある越谷市立病院(築49年)の経営も厳しい。2023年度は約6億7220万円の純損失を出した。松島孝夫・越谷市議は昨年12月の本会議で、老朽化が進む同病院の建て替えについて、「現在と同規模で建て替えた場合、500憶~600億円かかるという試算が担当部署から上がっている。市は負担できるのか」と質問した。 

 

 

「できないとは言わないが、相当厳しい」(福田晃・越谷市長) 

 

 こうした事態は対岸の火事ではない。独立行政法人「福祉医療機構」によると、23年度は全国の一般病院の半数が赤字だった。 

 

 医療機関が医業活動によって得た収益から費用を差し引いた利益の割合を示す「医業利益率」は、健全経営なら3%程度といわれているが、23年度は、統計を公表している07年度以降最低のマイナス2.3%だった。 

 

■診療報酬の仕組みに限界か 

 

 病院経営にいま何が起こっているのか。医療ガバナンス研究所の上昌広理事長に話を聞いた。上理事長は「診療報酬の仕組みに限界が来ている」と指摘する。 

 

 物価高や人件費高を背景に、ほかのさまざまな業界では「価格転嫁」が進んでいる。ところが、医療機関に支払われる診療報酬は公定価格として決まっており、医療機関の判断で物価や人件費などが上昇したぶんを上乗せできない。建て替えに必要な内部留保もたまらない。それが顕著に表れているのが首都圏の病院だという。 

 

「中小の病院は、都心部では経営を維持できず、すでに大半が撤退しました。その状態が周辺部に広がりつつあります」(上理事長) 

 

 いま、東京23区の医療を支えるのは、私立大学や赤十字などが経営する大病院、そして国公立病院だという。23区には資本力のある私立学校法人が経営する病院が27もある(22年10月1日時点)。都内の500床以上の病院の約3分の1を私立学校法人が開設している。 

 

 ところが、東京の市部には私立大学病院は5つしかない。この地域で医療を支えているのは、病床数100~199を中心とした中小の病院だ。そして、これらの病院は、すでに「原価割れ」した診療報酬にあえいでいる。診療報酬を引き上げようにも、国の財政にはその余力がない。 

 

■「混合診療」の可能性 

 

「医療の価格統制を緩和し、『混合診療』を認めるべきときに来ている」と上理事長は訴える。 

 

 混合診療とは、保険診療と保険外診療(自由診療)を併用する診療方法で、現在は厚生労働省令で原則禁止されている。仮に省令を改正して、混合診療が認められれば、病院は医療に対する価格を独自に決められるようになる。 

 

 日本医師会の松本吉郎会長は昨年5月の定例記者会見で、混合診療について、「所得や資産の多寡により受けられる医療に差をつけるもの」として、反対を表明している。 

 

 

■つぶれては元も子もない 

 

 だが、札幌大学や政策研究大学院大学など、複数の異なる研究機関による経済分析によると、「混合診療を容認することによって、受療機会の平等性は改善する」という。保険外診療を併用した場合、現在は全額自費になるが、混合診療が認められれば、保険適用のない部分だけの自費負担でよくなるからだ。 

 

 たとえば、歯科治療では保険診療と自由診療を組み合わせた治療が普通に行われている。虫歯で、歯を削る治療を保険診療で受けた後、医師から「かぶせる材料をどうしますか?」と聞かれる。ここで患者が銀歯ではなくセラミックや金歯を選ぶと自由診療になる。 

 

「混合診療が解禁されれば、多くの医療機関が患者の細かなニーズに応えたさまざまなサービスを打ち出して、収入アップを図ることでしょう」(上理事長) 

 

 病院に経営を改善できる手段を与えるとともに、国や自治体がある程度建て替え費用を負担するのが病院を存続させるための現実的な方法だと、上理事長は考える。 

 

「病院がなくなると困る人が大勢います。つぶれてしまっては、元も子もありません」 

 

(AERA dot.編集部・米倉昭仁) 

 

 

 
 

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