( 273628 ) 2025/03/10 06:26:02 2 00 海外で売れまくった船井電機テレビデオ 設計した技術者「寂しいな」朝日新聞 3/9(日) 7:00 配信 https://news.yahoo.co.jp/articles/3ce5b0613feb791c962df3da857f126e756705c9 |
( 273631 ) 2025/03/10 06:26:02 0 00 1990年代後半から2000年代前半にかけて人気だった船井電機のテレビデオ=同社の社史から
破産手続き中の船井電機はかつて「世界のFUNAI」と呼ばれた。一世を風靡(ふうび)したのが、テレビと一体型のテレビデオで、最盛期は北米で60%超のシェアを占めた。この設計に関わった技術者が、開発秘話や突然の解雇への思いを語った。
《船井の破産決定を受けて解雇された50代後半の男性技術者は、バブル終盤の1990年代前半、船井に入社した。同期は100人以上いたという》
工学部を卒業して技術者になろうとは思っていました。でも、超大手だと自分のやりたいことがどこまでできるかわかりません。船井くらいの規模であれば、融通が利くかも。そんな思いで入社を決めました。
あと、学生時代、家電量販店でアルバイトしていましたから、船井ブランドにはもともとなじみがあったんです。
当時の船井の印象としては国内メーカーにしては、他社よりはっきり安い。お金にゆとりがない若い層が、テレビやテレビデオを盛んに買い求めていました。
テレビデオで比べても、高級志向だった現在のパナソニック、安価を売りにした船井。売り場は二極化していました。
何で船井のテレビデオがこれだけ当たったのか。私は理由があると思っています。
それは置き場に困らないし、配線がいらないから。そこを狙った製品であり、うまく狙いがはまってロングセラーになったと思っています。
たとえば下宿している学生らは狭い部屋にいて、一体型のほうが良いでしょう。配線だってごちゃごちゃしないほうがうれしい。そういうニーズに応えた製品だったと評価しています。
《入社後、最初にテレビデオを含めたビデオデッキの設計を担当した》
ちょうど完全内製化に取り組んでいるころでした。内製化できればコストを下げられる。収益が上がるし、安価になって売り上げを伸ばせる。夢中でした。内製化は技術者にとってめちゃくちゃ達成感があります。
1年ごとにモデルチェンジし、できるだけマイナーチェンジにならないようにします。コストは少なくても前年より1割カット。期間もコストもノルマが厳しい。
スピード感があるし、若くても任せてくれて挑戦させてもらえる。お師匠さんとなる上司にもよりますが、そんな社風でした。
《テレビデオは、1990年代後半から2000年代前半にかけて北米を中心に売れまくった。男性は忙しかった1990年代後半、海外の工場に行き、滞在できる限度の3カ月ぎりぎりまで仕事をした。「世界のFUNAI」には神髄があったという》
海外の工場では、前のモデルから変更した点をチェックし、安定させていく作業を続けました。出国前、ローンを組んで300万円ほどの外国車を買ったこともあります。
帰国したらローンを全額返済できるほどお金がたまっていました。ボーナスもふんだんに出たし、今だったらあり得ない話ですが、残業は最大220時間にも及びました。
船井の勝負どころは「世界の最先端争い」ではないと思っています。他社製品の良いところを抽出し、いかにコストダウンして買い求めやすいものにして普及させるかです。この勝負にやりがいを感じていました。
わかりやすく言えば、どんどん部品の数を減らしていくんです。肉をそぎ落とすというか。
とくに思い入れの強いビデオ製品があります。一番残業した頃のモデルです。磁気ヘッド周りの心臓部分の部品を一体化し、部品の数を減らしたんです。それで大幅なコストダウンを達成しました。
船井が力をいれている北米市場と国内市場では、売れる製品が違います。
北米はケーブルテレビ(CATV)が普及しているから、録画より再生がメイン。機能もシンプルなほうが受けます。
言ってみれば付加価値はあまりいりません。リモコンもシンプルでボタンが大きいほうが良い。指の大きさも日本人とは違いますから。
日本では録画が中心ですし、機能が多いほうが当たります。たとえばCMをカットする機能とか。そういう違いも意識して設計していました。
毎年、年末商戦を意識して、11月ごろから量産に入れるようにしていました。今だとネットの口コミ評価ですし、昔なら家電量販店を通じたお客さんの声を気にしていました。
船井の製品について「やっぱり安かろう、悪かろうだな」と言われるのが嫌でした。それを聞くと燃えてきます。絶対に改良してやろうって。
ビデオデッキについても、お客さんの不満が聞こえてきたことがあります。ノイズがあるとか、テープが安定しないとか。そういう不満を一つずつ解消していくんです。それもコストダウンをしながら。しんどいですが、おもしろくもあるんです。
《入社から30年余りが過ぎた2024年7月1日。大阪にある船井本社の食堂に従業員が集まり、上田智一・前社長が会社の窮状を説明した。上田氏は「いかに物を作らないようにするかというのが今の局面では勝つ方法です」と語った。上田氏は看板のテレビ事業への依存体質を脱し、事業の多角化を図るとしていた》
経営が厳しいとは思っていたが、ここまできていたのかと。経営トップとしての「窮状の共有」なんでしょうけれど、設計や生産に関わる技術者に「あなたの技術は不要です」と言っているのと一緒。私もそうですが、多くの技術者が傷ついたでしょうね。
実際、現場の人間は辞めていきました。1人や2人とかじゃなく。やっていることを全否定されたわけだから。私の場合、怒りとかじゃなく、とにかく寂しいなあって。
上田前社長をはじめから否定していたわけじゃありません。でも、船井の製品とか歴史に興味があるようには見えませんでした。関心がありそうなのはM&A(企業合併・買収)。メーカーでなく、「商社」として経営していきたかったように見えました。
脱毛サロンチェーンの買収にしてもそう。看板の液晶テレビ事業への依存から脱却し、「事業の多角化」を打ち出していましたが、テレビ事業がもうからないから、経営者としては致し方ないのかなあ。そう思っていました。
ただ、「いかに物を作らないようにするか」という発言を聞いて、技術者のこだわりや船井の社風をわかっていないんだなあって。だから、寂しいなって思ったんです。
いきなりの解雇だから生活面の不安はありました。子どもは大学生でお金がかかりますし。10月末までに半期分、50万円以上の授業料を納める必要があって、預金を崩すしかありませんでした。
もし民事再生法の適用が認められ、船井電機という会社の看板が残ったとしても、私にとってはもうそこは別の会社です。私が好きだった船井電機ではないんです。戻るつもりがあるかと聞かれれば、ありません。
朝日新聞社
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( 273632 ) 2025/03/10 06:26:02 0 00 =+=+=+=+=
高校2年生のときにファーストフード店のバイト代で買ったフナイのビデオデッキ。 遠い部屋から分波したアンテナ線を引っ張ってきて自室で録画もできる環境ができた。 予算の都合でハイファイは諦めたけど、横幅もコンパクトで自宅のお古の14インチのブラウン管カラーテレビと合わせて4畳半の部屋で活躍してくれたな。 テレビデオは憧れてました。
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今でも趣味でビデオデッキの修理をしています。 様々な機種を修理する中で、当時の開発・設計を担っていた技術者の方や、現場で修理を担当するサービスマンの方にはリスペクトしかありません。 VHSの規格の中で、いかに高画質を追い求めるか。 あるいはコスパを追求するか。 当時のプロとしての執念や、やりがい、もしくは、挑戦する楽しさなんかが今でも伝わってくる気がします。
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部品点数を減らす事でコストカットはもちろん、故障する可能性があるパーツ点数が減るのもメリット。 テレビデオの消費者目線では接続や設置スペースも減らす事ができ、明確なメリットがある。 モノづくりにおいて大切な引き算がちゃんとできる環境は素晴らしいですね。
足し算しかできない上司がいる職場だと、後から次々と余計な仕事を増やされるし、結果何を狙ってるか明確ではない物ができてしまう。
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FUNAIの商品化といえば、バブル期に流行っていて、今はそれなら当たるのはドンキホーテと思われるディスカウントショップに主力で販売されてたイメージですね。 その他としては、鈴木亜久里さんが日本のトップフォーミュラチームを結成した当時の初代メインスポンサーを務めた事を個人的には思い出します。
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標題のチェックも入らないとは、、、 回顧?記事内容からしても解雇でしょ。 ある意味、回顧で??と思わせた釣り記事だったら釣られてしまいました
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素晴らしい技術者、愛社精神をお持ちの方だったのですね!大手メーカーが潰れたり買収されたりする時代に、よくぞここまでがんばってきた「世界のFUNAI」だと思います。倒産はさみしい限りです。 我が家で愛用の、ハードディスク内蔵液晶テレビは、まだまだ使えそうです! またOEM製品も多かったので、実は皆様のご家庭にも隠れFUNAI製品が一つや二つあったりするかも!?うちにもFUNAIのOEMのビクターのDVDデッキが現役で稼働しております。
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船井電気製ではなかったけどSHARP製のテレビデオを使ってました。 セットアップの手間がかからずに即録画再生出来るので兎に角楽に楽しめるのは画期的と思ってた。 だけどテレビとビデオのどちらかが壊れた時に修理に出すと両方使えなくなるから結局テレビとビデオを別々に買う方が良いってなりましたね。 21インチテレビはファミコンとかのゲームするには最適でしたよね。
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船井電機本社さんや海外工場を長年担当させて頂きました。当時は本当にお世話になりました。テレビデオがヒットした時代は製パン器も生産が盛んでした。賀詞交換会では我々来賓者に寿司を用意したり毎年2回の船協会では当時の船井社長の奥様も参加され歌を披露されてました。船井社長はモーターに関わる商品を作り続けることを念頭に電子レンジ、エアコン、ラップトップ、CD ROM、FAX、ビデオ、ブルーレイなど生産されてました。他社からのODMも盛んでした。兎に角、開発スピードと原価意識は他社を圧倒しています。国内三拠点、海外三拠点の生産工場はフル稼働していました。ただタイに拠点を設けてから雲行きが怪しくなった気がします。船井電機の購買、設計、各拠点の責任者さまには公私共にお世話になっただけに心情お察しします。 最後に故船井会長なら弱電と何ら関わりの無い人間を社長に迎え入れることは無かったと思います。
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技術者としての矜持が伝わってきました。今の日本のものづくりで、一番足りない部分のような気がします。
工場の生産プラントの設計に長く携わって来たけど、昔の技術者は作り上げる物にいかに、自分のアイデアを盛り込んで良いものに出来るか、そこにやりがいをまさ感じている人が多かった。だから、それを実現するための残業は苦にならなかったし、出来たときの達成感もあったし、上手くいかなかったときの悔しさも自分の成長に出来た。
今は、残業制限は仕方がないけど、自分のアイデアなんてものより、卒なく仕事をこなすことを主眼にして仕事をする人が多くなった。進歩もない。そんな仕事って、つまんないと思うんだけどな。
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テレビデオに関しては、AIWAとFUNAIが双璧をなしていたと思います。
うちにも子供部屋にAIWAのテレビデオがありましたね。
14インチとかの小さなテレビデオだったので、迫力には欠けますが、普通にアニメなどを録画して観る分には十分でした。
今の時代は、テレビデオの需要はあまり無いのかな・・・と思います。代わりに、ハードディスクに録画するタイプが多いみたいですね。
AIWAもFUNAIも、今でこそ見かけませんが、できれば日本を代表する企業として復活して欲しいなと思います。
▲117 ▼22
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こういう結幕を迎える、あるいは転末を持つ企業は多いですよね。一般的に言えば環境変化についていけない経営陣、あるいは変化を認めない代表が要因でしょう。 とは言え、一時時代を担う活躍をしたという事実は素晴らしいことです。しっかりと日本経済史に業績と名前は刻まれています。未来日本の礎になりました。 それら組織に在籍された多くの方々も組織的かつ社会的責任を果たした上多くの自己達成を成し遂げたことでしょう。 過去を羨まず憎まず、未来の手助けをしたと考えこれからの企業を見守りたいものです。
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テレビデオはすごい人気だった 今、ハードディスク内蔵で録画できるテレビも多いが、それらの原点だと思う 自身はサブデッキとフナイのレコーダーを持ってた 機能は少なかったがソニーやビクターとかよりずっと安かったしなにより安かったし しかも小さくてじゃまにならない あと、テープの早送り巻き戻しがとても速かった 凄まじい音がしてたけど(笑) フナイ、残念だな ツインバードも好きなので長く続いて欲しい
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テレビデオ流行りましたね。自分はテレビデオは使ってませんでしたが高校生の頃、FUNAIのビデオデッキをお年玉で買って使ってました。価格帯が高校生でもチョット貯めれば買えるぐらいだったので2台所有してダビングとかしてましたね。友人からテレビデオは片方が壊れたらマジ最悪だよと言われたのでテレビとビデオ別々に買った感じです。配線とかは男子高校生だったこともあり苦にはならなかったです。逆に色々覚えられて今でも配線関係は案外一人でもできます(笑)まぁ、なんでも一度はやってみないと覚えませんからね(笑) あと若い頃はブランド云々より実用性重視でした。それでも十分に使えたので一人暮らしする時まで使ったました。色々とFUNAIの製品にはお世話になったのでなくなるのは寂しい限りです。
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どんどん変化していくから、昔の物に囚われていると置いていかれるような気がして、、、 どんどん変化に対応したしていかないといけないんでしょうね。 昔は必需品だったTVもいつかは無くても構わない存在になっている。 大手のメーカーさんの看板商品かもしれないけど、違う新しい分野を開拓していってほしい。 誰もが持っているスマートフォンもApple、Samsung、HUAWEIのようなブランドの中に日本の企業が入って無いのも寂しいです。 新しい分野で日本のメーカーさんがもっと活躍していってほしいです。
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船井は最先端の部品を新規開発するのではなく、他社で開発した一昔前の枯れた部品をうまく使い設計していた。それは開発費の削減、大量に流通してコストの下がったと同時に品質の安定した故障の少ない部品を使うことで、結果的に安くて壊れにくい製品設計ができた。業務用ではないので過剰な耐久性は必要なかった。もちろんいかに安く作れるかも高度な設計技術とセンスが必要だ。
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技術者のモノづくりに対する熱いお気持ちが伝わってきますね。無茶な労働時間はかつての日本では当たり前の風潮でしたが、それでもご自分の会社の使命や立ち位置があって、いかに安くて悪かろうと言った消費者の思い込みを打破しようと奮起なさって、生き生きと取組んで、さぞお仕事が充実されていたのでしょう。しかし、時代の変化によって会社の破綻が明らかになり、社長の窮状の共有のこ発言がモノづくりの否定へと繋がり、こうした有能な方を失う事になったのは、とても残念な事だと思います。
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多くの日本の大手家電メーカーがビデオデッキの生産から撤退する中で 最後まで作り続けたのがFUNAIだったと記憶している。世界には規格外の VHSテープも存在していて、それらの粗悪品であっても使えるように 工夫されていたと聞いたことがある。今現在稼働しているビデオデッキは 大抵FUNAI製だと思う。海外でも有名でしたから無くなってしまうのは 寂しいですね。
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テレビデオという形態は、ブラウン管時代およびVHSビデオ時代は手軽な録画再生の視聴ツールとして便利なものでした。古くは1980年ごろから日本の大手メーカー(シャープだったかと思います)がVHSビデオをビルトインしたテレビを出しはじめましたが、本格的に認知されるのは90年代以降だったと思います。シャープやパナソニック、そして船井あたりが力入れていたように思います。ソニーは8mmビデオ一体型で小型化に振っていましたね(VHS参入してからVHSのテレビデオも作っていましたが)。船井は比較的安価でコストパフォーマンスが良かったと思います。
テレビ一体型化やVHSメカ部品の合理化の手法は、日本のお家芸と言えたでしょう。その後のデジタル化・薄型化などのトレンドでブラウン管・VHSは終焉し基幹部品もコモディティ化され、お家芸的な部分を発揮できなくなったのは時代の流れとは言え寂しい部分ではあります。
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船井のテレビは平成初期頃によく家電量販店で見かけ、我が家もテレビデオがあった他、自分の部屋のテレビも14型の普通のブラウン管の物使ってたな。平成中期からはコジマ電気とかはサムスンやLG、オリオンなど液晶で台頭してくる前の安いメーカーの方が見かける様になったけど、液晶時代になって三菱のREALのOEMやヤマダ電気販売で自社ブランドが盛り返しつつあった矢先な気がしたが残念。。。
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類似のビジネスモデルとしているオリオンとどうして差が出たのかと思う。ブラウン管時代から薄型へ 電波もアナログからデジタルへと変わる時代2005年だとアメリカでもデジタル移行期ではあった日本でも安物はアナログしか映らなかった。 シンプルがというのではいいが配線ごちゃごちゃもワイヤレスでどうにでもなるそれになればテレビもモニター部とチューナー部をとはパナソニックの戦略になる。親族など方向性を継承できる人が出てこなかった。時代の流れはあるがそれを加味しても。
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プロ経営者とか言う、技術のぎの字も分からないコミュ力だけの文系社長になった時点でお終い。
本当の立て直しってのは、人的資産をいかに活用できるか考えること。会社は結局人なんだから。
文系出身にフナイの技術の評価なんてできない。文系は売り上げでしか技術の潜在性が分からないんだから。
んで結局、上田智一元社長はフナイを潰したのに、人脈だけで秀和システムの取締役に残ってる。
能力とか専門性じゃなくて、コミュ力と人脈だけが生き残るための才覚っていう文化が日本の衰退の核だよ。
技術者の軽視が日本衰退の原因ってのは前から言われてるけど、その縮図みたいな話がフナイの倒産。
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商売としてはペイしないのかも知れないが、VHSビデオデッキ、8ミリビデオ、Hi8等の映像を簡単にDVDもしくはブルレイディスクに取り込める機械があったら欲しい!ニッチな商品になるかも知れないが、フナイのOBの方々等で販売してもらえないものだろうか。最後までダビングマシンを作っていたフナイのOBの方にはそのノウハウがあると思うのだが。
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私が愛用していたのはShintomのHi-Fiビデオデッキだったが、レンタル店で映画のビデオとFUNAIのビデオデッキを借りてきて、映画を観てからダビングしていくというスタイルで、どんどん保存していった。 FUNAIもShintomもそれほど有名ではなかったが、四季報などでどんな会社かは把握していたので、品質への不安は感じなかった。
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船井さんではないけど、テレビデオを購入していたことありました。先日テレビで紹介されていて、たまたま30代の人がいたので「テレビデオ、実際に使っていたよ」と。もちろん知っているはずもなく、でも興味を持って聞いてくれました。独身のとき、実家の自分の部屋用にして楽しめたいい思い出です。
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この方、今どこで仕事をされているのだろう ビデオデッキって今製造できるメーカーは世界どこ見ても無い。船井さんが最後だった
こうなってしまった今、どこか製造能力のあるとこに行かれてグローバル仕様の再生専用機を作れないだろうか?少なく見積もって世界で400万台以上の需要があると思う(但しそれが最後の需要だが) 皆さんお家に昔録画したテープがあってダビングの為に再生機が必要な方は多いと思う
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自分の部屋ができた時に初めて買ったのはスペース的にもそんなに場所を取らないテレビデオ1択だった。買ったのはSONYでしたが当時は14型でも44800円と高額だった。でも買った初日にデッキが壊れ修理行き。 不具合品ということで新品のものと交換してもらった。 ステレオ端子付きに憧れたが、値段が跳ね上がるので買えなかったなあ。
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当時テレビデオを使用していました。VHSからDVDに移行した際ビデオ一体型DVDレコーダー船井DXR160Vを購入 現在でも使用していてVHS側が一年周期で不具合が出てカスタマーセンターでメンテナンスをしてもらいました どちらも設計された方たちの技術力は素晴らしいと感じます まだまだ使用したいので船井製品のメンテナンスできるところはあるだろうか!
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テレビデオは、単体のテレビとビデオデッキでは接続の手間がかかる事誰も設置方法や接続方法がわからなければ、ビデオは見ることもできない。持ち運びも出来て電源さえあればいつでもどこでもビデオライフが楽しめる。ダイバーシティ自動車内でテレビデオを楽しんでいた頃があったが走行中電波が不安定になりテレビ視聴中にブルーバック(青い画面)になりノイズも映像も見れないのが残念だった。ダブルデッカー、オリオン製品だったけど家の中でも車内でも使った機会がある。接続を毎回して持ち歩いて使う自分だったのでどちらっが良いかは分からないがテレビデオは簡易に使うのが良いでしょう。
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この人には家電メーカーのアイリスに再就職して、今までつちかった技術を新しい製品として再生して欲しいです、自分の考えですけど、今の日本の技術力はこうした柔軟な対応が出来る人が望まれお客様のニーズに対応して製品開発が出来る技術力はすごいた思います。
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フナイのテレビデオ、僕も大学時代に通販で買いました。DVD化されていない映画やVシネマやドラマを夜よく観てました。VHSはかさばるし場所をとるから処分に困ったけど、あのテレビデオは本当に重宝しました。フナイさんちゃんと理念みたいなものがあって色々と考えてるんですね。ラジカセが昔の形が再燃してるようなのでテレビデオも復活してほしいです。
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安価なので自分も非常に助かりました。 今でも船井電機の商品を愛用しています。 船井電機の祖業【ミシン製造】の同業社(ハッピージャパン)やスキーワックスの中堅メーカー(ハヤシワックス)、創業者の息子が勤務する医療法人等数社が船井電機への支援を検討していると言われています。
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セカンドテレビとして子供時代に録画した番組を見ていた記憶がある ブラウン管テレビやビデオが萎んでいったのと同時にいつの間にか見なくなったな
"他社製品の良いところを抽出し、いかにコストダウンして買い求めやすいものにして普及させるか"といった勝ち筋は今や完全に中韓に置き換えられているし、ゼロイチで開発してマネされる側もAppleのiPhoneのように顧客の囲いこみをうまくやるようになり通用しなくなっていった 会社が時代や勝ち筋の変化に対応ができなかったのは経営陣だけでなく、顧客の反応を見聞きしていたであろう技術者、従業員も同様だと思う
▲0 ▼5
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昔アメ車に乗りたいと思った時期があって、外車専門店にあったシボレーアストロのスタークラフトを見たら、天井に備え付けてあったテレビが船井製だったのを思い出した。 思わぬところで日本製が見れて驚いたなぁ。 海外で売れまくったのも納得。
▲25 ▼0
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P社の関係会社でテレビデオ設計してました。主に北部向けでしたので船井さんはガチライバルでした。私達も記事中にあることを毎年繰り返してましたので、何処も同じだなぁって改めて思い、また、懐かしくもあります。私自身は機構部の担当だったので、テープメディアが第一線から無くなると共に仕事が無くなり、ズームレンズの機構部を担当したりしました。 元の会社は退職し、還暦を越えた今も設計を生業とするも、今は家電とは違う物の設計。 設計者を40年してますが、時代の流れってのはこういうことだなぁとつくづく思います。
▲5 ▼0
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フナイはビデオデッキは買った記憶あるけど、地デジ化してからは何も買ってないな。最近はメジャーリーグを見てたらフナイのサインをよく見てたから海外で頑張ってるのかと思ったら昨年の突然の倒産にはビックリしたな。どんなに赤字でも技術や生産力があれば生き残る道はありそうなのに、経営者が何も分かってないと会社はおかしな方に向かってしまうみたいだな。
▲9 ▼0
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私の中でFUNAIは初めて買ったHi-FiステレオVHSデッキだった。大手からも発売は始まっていたが20万円超と高く手が出ない。そんな中、船井電機は10万円を切る価格で購入できた。モノラルからの変化は素晴らしいものがあった。
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フナイのテレビデオを持っていました。 単身赴任の地で重宝しましたが、使用1年ほどでビデオ部分が壊れました。 コストダウンし過ぎたのでは?と、この記事を読んでおもいました。 数年経ってから買った、東芝のブルーレイレコーダーはフナイのOEM製品でした。 こちらは、今なお現役で活躍するしています。
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今はセーブ機能が当たり前ですが、いわゆる「ふっかつのじゅもん」が、他のゲームでも当たり前の時代に、録画すれば良いじゃんって思ったのがテレビデオでした。 外付けVHSでも、配線を考えればできたんでしょうが、テレビデオが楽でした。
▲45 ▼4
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まあファブレスも珍しくなくなったし(NVIDIAとかキーエンスとか)、モノ作るにしても1990年代とはだいぶやり方変わってるしな 前社長の伝え方も悪かったんだろうが、船井のモノづくり力というか、そういうのが最早強みではなくなっていたというのも事実なんだろう そういう意味では、この人も船井電機と同様に、時代の流れに取り残された立場と言える気はするな
▲33 ▼12
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一番最後に買ったVHSデッキがフナイのでした。自室用に録画できて再生できれば十分でしたし、元々ブランドにはこだわらなかったので、他社より多少安価であったので決めました。日本のメーカーが倒産、買収されるのはやはり寂しいですね。
▲24 ▼1
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「テレビと一体型のテレビデオで…」 結局「テレビデオ」なるものがこの説明では分からなかったので調べたらビデオデッキがテレビと一緒になった物を指すんですね。 色々とデメリットが多いとは思いますが、異なる製品を一体にしようという先駆け商品の発想がこの時代から既にあったのが興味深いです。
▲0 ▼0
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懐かしいなぁ、テレビデオ。 初めての一人暮らしの時に買った。 ただ、1チューナーだったため、その番組を見続けなければならないのは辛いので、ビデオデッキを買い増したけど。 故障して、テレビすら見れなくなって、別にテレビ買ったけど。 修理して、寿命を全うしました。 船井電機、是非復活して欲しいものだ。 国産テレビの火は消してはならない。
▲5 ▼4
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フナイの10インチのテレビデオは、車にも対応していたから、昔ワンボックス車に乗っていた時に車載してたな。 セカンドシートを取っ払ってフロントシートのすぐ後ろに台を置いてってやつ。
意味もなく1人で夜の港に行って、停泊しているフェリーを横目にビデオを見ながら缶コーヒー飲んで、眠くなったら家に帰って寝る。んで次の日の仕事を頑張ると。
そんな事をしてたな。たまにゲーム機を繋いだりしたな。
▲7 ▼2
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一体型という発想の原点は,電蓄(電気蓄音機)かもしれない。アナログ・レコードを回すターンテーブルと,ラジオ,アンプ,スピーカが合体したもの。レコードから音を拾うピックアップは出力電圧が高いロシェル塩を使っているから,ラジオで受信した音声信号と容易に切り替えられる。のちに中学生にも普及したのはラジカセ。
一体型の利点は,相互に配線する必要がないこと。電源も1つですむ。個別で裏の配線の左右を間違えると,ステレオが左右逆になり,「なんか変だな」と思いつつ何年も聴くはめになる。接触不良も発生する。
欠点は,老朽化しやすいメカニック部分(典型的にはテープレコーダ)が動かなくなると,全体を買い換える必要があること。テレビデオという製品も私は買わなかった。
私の趣味は電子工作だが,仕事にしようとは考えなかった。記事中にあるようにコストの制約があるから。天然板材や産業規格部品などは使えない。
▲43 ▼73
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こういう製品 特にワンルームアパートなどで重宝してた時代だった気がします ファミコン(スーファミ)装備TVやLD機器にMDやPCエンジンの機器と合体するとか様々なメーカーが販売してたのを覚えてます 所謂ピコ太郎的発想な製品画期的な発想で当時は良かった シャープペンシルとボールペンでシャーボと言った製品この頃から合体、合理的な商品が世に出始めたと思います ただ前回答者も記載された通り一つ何か不具合が発生すると全部が機能に影響するのも確かです なので当方はセパレート式としてTV、VTR機器等違うメーカーで別個で購入してました
▲3 ▼0
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テレビデオ持ってました。録画中は裏番組が観られないし、ビデオのイジェクトが故障しただけでテレビも映らないなどデメリットが多かったです。 船井電機は他社に先駆けてホームベーカリーを開発したり、先見の明はあったと思います。独立した経営にこだわらず、どこかの傘下で開発に特化していれば未来も変わったかなと思ったり思わなかったり。
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テレビデオ、この狂ったコンセプトは、同時に品質への絶対的自信の表れではなかったか、と。
思うにテレビは当時すでに「壊れない家電」の一つだったと思うんですよ、経年劣化で使えなくなる頃にはとっくに減価償却済み、みたいな。 でもビデオデッキは噛み込むテープを傷めるヘッドが摩耗する、と可動部が多いだけに壊れやすい家電ではなかったかと。 しかしフナイのテレビデオは壊れなかった動き続けた、だからこそ合体させても顧客が不満を抱かずよく売れた、のではないかと。
そんな壊れない家電を作れたフナイが経営破綻、安かろう悪かろうの中国製品の追い上げに当たったかなあと思いきや、経営陣の滅茶苦茶経営で脱毛サロンの負債を食わされたりなど、ロクでもない顛末だった、と。
これでは往時を支えた技術者さん達も悔しかろう。
▲21 ▼1
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大学のとき、学生の共用スペースになぜかこれが置いてありました。恐らく卒業する先輩が処分に困り置きっぱなしにしていったのでしょう。
多くの学生がこれで休憩時間にテレビを観ていました。ビデオを見る人はいなかったですが、のちにテレビゲームを置いていった人もいて、このテレビにつないで遊んでいました。いつのまにか順番待ちになったりして・・・
▲14 ▼0
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キャンパーに常設して使ってましたよ。 テレビとビデオをそれぞれ揃えるとコストも設置場所も大変なので、重宝しました。 VHSからDVDに変わっていく時代でしたから、見なくなりましたが、ニッチなアイデアは感服しました。
▲1 ▼0
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パナソニックは、テレビとビデオは事業部が違うし、セクショナリズム強いから、テレビデオなんかの製品開発は、とげとげしい。だから、新しい斬新な製品が生まれない。真似下電機って揶揄されていたし。それに比べて船井は、ある種、我が道行っていた。今でいうアイリスオーヤマ。船井もアイリス風に行ってほしかった。
▲0 ▼1
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複数の機能をくっつけてしまうというアイデアが革命 今のスマホがまさにそれ テレビラジオビデオカセットステレオレコードプレイヤー 写真機ビデオカメラ電話機 うちにあった全てのメディア家電がこの小さい板に全て入ってしまった 日本の家電がやられてしまったのはこの点なんですが そもそものアイデア自体は日本にもあったんですよね
惜しい実に惜しい
▲1 ▼0
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小学生の時に誕生日にテレビデオを買ってもらいました。 それはそれは夢のような製品でした。 高校生の頃はテレビの縁をラインストーンでデコってました笑 大人になって地デジになるまで大切に使いました。 懐かしいな。
▲7 ▼0
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未だにビデオは使える、俺のソニー製のテレビデオ。 全世界全人類史上最強にして最高の1980年代から1990年代初頭の日本。 その頃に子供時代を過ごせた自分は人類史上最上級に幸せだったのかもしれない。 もしかしたら、自分の頭の中の夢の世界だったのか?!と疑う程に。 今を思えば最高の時代だったなあ。
▲9 ▼1
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個人的には、一体型には興味無かったなぁ・・・ デッキが壊れて修理に出したら、テレビも見れなくなっちゃうし。 テレビよりデッキが先に壊れるだろうし、 先にデッキの方が高性能化の買い替えを考えるだろうしで、 それぞれ単体の方が良かったですね。
▲38 ▼9
=+=+=+=+=
一流メーカーは高くて買えなかったので、少し不安であったが安かったのでFUNAIのテレビやビデオを買いました。 使っていくうちに故障知らずで操作性も良く、いつの間にか一流メーカーよりも信頼できるという認識に変わったことを覚えています。 あの頃、楽しかったなあ。
▲27 ▼1
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二刀流。欠点は片方(ほとんどビデオ)が壊れると結局ビデオデッキを買う事になる。これはシステムコンポや複合機も同じで、それも踏まえて買うように賢くなった。規格外という意味では大谷翔平と同じで魅力がある製品だった。
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似た年代ですね。 同業他社で夫婦別々の会社の デザイナーでした。 当時はとにかく平行して新機種が 次々出るので、記事中のように かなり忙しかったです。 企業がコスト削減のため海外生産に 移り始めた時期ですね。 図面と言ってもやっと2Dcadが出てきた 頃で、設計さんといかに擦り合わせ するのか喧々諤々でした。
自分が若い頃に危機感を持ったのが MacのiPhone登場です。 これはかなりマズイ、、と思いました。 案の定、携帯電話は淘汰され、 他の様々な機能がアプリ化され集約した ため、以降、モノの数が激減して 行きました。
同じように企業内でモノ作りを していましたからその寂しさは 痛いほど分かります。 時代と言えど、量販店の家電売り場を 見ると色々と考えますね。
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フナイは安いから受けたブランド。 テレビデオ的な発想は昔から(ラジカセやラテカセ等更にはレコードプレーヤーまで付いていたものまで…)あったから。 価格で太刀打ちできなければ突き抜けた技術力やあっと言わせる発想力がなければ存続は難しいよね。
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残業は最大220時間。 これ、嘘じゃないから。 他の企業も同じだったと思うぞ。 ただ、全従業員がそうだったわけではないけどな。
バブルの時の若い技術屋は、80時間以上の残業が時々欲しかった。のだ。 この頃の残業は、残業するくらい製品が売れた。陽の時代。 バブル崩壊後の残業は、残業しないと製品が売れないの陰の時代。 そして、残業するな!!仕事しろ!!の変な時代になった。 船井はいいほうだったと思うぞ。
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今の若い人は知らないと思いますが、テレビデオは画期的だったし持っていました。大手ではやらない事ニッチなところを攻めてくるのはいいですよね。このベンチャー精神を後世に受け継いでほしい。
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我が家でも1998〜2000年ごろにテレビデオ使ってた。 まだ25年前はアナログ放送でVHSのビデオテープの時代だったね。 ちょうどDVDが出始めた頃だったと思う。 DVDプレーヤーとか専用デッキがまだまだ高くて、ゲーム機のプレステでDVDを見てたような記憶… 懐かしい…
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フナイにはいい思い出がありません。 子供の頃、家のビデオデッキ(ナショナル)が壊れて 父と量販店に買いに行きました。 ソニーやパナソニックのハイファイは10万近くしてましたが、自分としてはそれが希望でした。 しかしこだわりのない父(大人のビデオが見られればいい)は最安のフナイのデッキを3万円で買いましたが最悪でした。 リモコンボタンが同じ形状で操作性が悪く反応も悪い、録画時の音声のレベルが低く常ビーとノイズが入っており完全な粗悪品でした。 2年後には突然テープが詰まってしまい、量販店に修理不能と返され、懲りもせず安いサンヨーのデッキを買うという安物買いのなんたらでした。
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テレビデオ懐かしい!初めて一人暮らしする際、友達に家電一式譲ってもらった中の1つがテレビデオでした。ビデオ録画も便利でしたが、プレステでバイオハザードをワイワイプレイしたり、凄く楽しかった一人暮らしの思い出の一部です。
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いかに物を作らないようにするか
コレは30年〜20年前あたりから(今でも一流大学の学生の憧れの就職先である)アメリカの某戦略コンサルティングファームが日本中の製造業の経営者に仕切りに訴えていた事。ワイの今の職場の同僚(10歳年上だが)も「『日本から製造業をなくしたい』って昔は休日返上で早朝から深夜までいろんな会社の社長のところを駆けずり回ったてたなぁ。時間なさすぎて飯はマック(笑)ばかりだったよ」等とよく回顧しておる。
彼らの夢は着実に実現に向かっておるな。
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実は昔テレビデオは持ってました。 結構長持ちしましたよ。 発想はとても良かったが時代が早すぎたのかもしれない。 テレビでもHDD内蔵と一緒の意味だし 配線がなくすっきりできて、とてもよかった。
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私は三菱電機のテレビブルーデッキ一体型の最終モデルを買い、自分の部屋に置いています。HDDとブルーレイ内臓ですから、便利です。 その三菱はテレビの生産を止めてしまいました。 日立もテレビの生産から撤退し、日立の家電店はソニー製を売るようになったそうです。 サンヨーが旧松下電器に吸収され、一世を風靡したシャープの液晶も風前の灯火。 最もアメリカでは国産のテレビ、ビデオは早い時期に市場から消えて、日本、韓国などからの輸入にとってかわったそうですね。 今、わが国も韓国製や中華製のテレビが席巻するようになってしまいました。 これも時代の流れでしょうか。
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安くて品質のいいテレビ。家族と共有のテレビやビデオじゃなく自分専用の。一家に1セットから、個人に1セット普及し始めた時代。買ったときはテンションあがりまくった。一方今は、個人所有が行き渡ったスマホでアプリのダウンロード1つでそのほとんどが代替えされる。便利になったがワクワクとドキドキは失われた。かつての小さい喜びは今ではたやすく、消化されるかの如くアプリでさらっと叶う。豊かになった物質文化が、心豊かに生きることと比例していないと思ってしまう。文明から距離をおいて田舎で自然に生きることを選ぶ人を以前より見かけることと関係しているように思う。テレビの話からずいぶん横道にそれたが時代の流れと言う意味で根っ子にあるものは一緒な気がします。
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北米地域を意識したテレビデオ 洋画を見るときに 聴覚障害者用の英語字幕を見ることができました 話してる英語を聞き 字幕の日本語、英語を見て 英語の勉強をしておりました
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テレビやラジカセなど、他の国産メーカーよりも明らかに安いのがフナイの製品で、良くも悪くも「お求めやすい2流メーカー」という感じだったな。使ったことはないので品質はわからないけど、今失礼ながら当時は「フナイを買うなら、もう少しお金を出してサンヨーかシャープあたりを買おう」と思っていた。
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フナイのテレビは フナイのロゴではなく、プレシャスと エンブレムが付いていた時期が90年代 の初頭にありました。 ビデオは一部を除き2ベットで三倍モードでないまと一時停止の静止画が見られないなど 極限までコストカットが進んでいました。
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ケーブルの配線が無く端子規格に左右されず長く使える機器。DVDやBDとの一体型テレビがあったらと思う。無線視聴の設定って面倒だし、接続に時間がかかり直ぐに見れない。
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まさに昨日、ヤマダでフナイの地デジテレビ買いました。サイズの割には値段お手頃で。ネトフリなんかも入ってるし機能的には問題なく。 潰れた会社という説明は受けましたが、視聴できればメーカーのこだわりないですしヤマダ保証あるし。 でも家族に「なんでフナイのなんか買うんだよ、まだチャイナの方がいいだろが」と怒られました。実際やめといた方が良かったのかどうなんでしょう?
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テレビデオは秀作だったと思います。そもそも有名メーカーの単体VHSビデオレコーダーもそこそこ高額。船井って安っぽいと少しバカにしていたけれど、今となってはありがたいと思います。
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数年前にテレビを買い替えようと、いつもは行かないヤマダ電機へ行ってみたら、フナイ製品がたくさん安く売られていて、初めてフナイというメーカーの存在を知った。安かったけど、知らない名前だったので、別の有名メーカーのテレビを買った。
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日本の家電は現在総崩れの様相を呈しています。 昔はナショナル・東芝・日立・サンヨー・シャープ・等々世界の家電の相当数を占めていた。 それがコストとのバランスを考えると海外に工場を作り、またライセンス契約で日本の技術を開放した結果中国や東南アジアの企業にその座を奪われた。 時代の流れとは言えテレビは今や日本での製品はない。 船井電機も特長ある製品で隙間を狙ったがその後はヤマダ電機の配下に入った しかし日本でのテレビ製作は今は昔で現在に至っている。 シャープ・サンヨー・東芝などの技術者は中国や韓国に再就職して活躍していると聞く。しかし、話しでは使い捨ての採用とも聞く。 家電王国の日本は終焉を迎えたと思う。
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今の若い方達はビデオというメディア自体がオワコンだし、商品自体も「こんなのテレビかビデオかどちらか壊れたらお終いじゃん 90年代の人ってアホなの?」って思うのだろうな 当時はデジタルとアナログを一体化させた腕時計とか、CDラジカセwith MDとか、今となっては訳わからん商品が家電量販店で燦然と輝きを放っていた 昭和生まれの男子は、より多くの技術を一つの個体に詰め込む事に浪漫を感じていたのだよ
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船井、シャープ、サンヨーと他の大手が作らぬような製品は大好きだった。ありがとう。 そこで活躍して人々は次にはどこで活躍するのだろう。生活が懸かっているとはいえ、少なくとも日本をよく思わぬところは避けていただきたいものではある。
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テレビデオがアメリカでヒットしている頃にアメリカ留学をしていました。 日本はバブル絶頂期でしたがアメリカは大不況。バイトは労働法でキャンパスの芝刈りくらいしか許可され無くて超貧乏学生。K-Martで売っていたFUNAIのテレビデオは、そんな私のプチ贅沢な買い物の思い出です。
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テレビデオを使ってFF8のムービーを録画編集したっけなぁ...素人だから、録画タイミングをみながら。テレビデオは私を楽しませてくれた素敵なアイテムでした。ありがとう
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どこかの記事で見ましたが、ビル・ゲイツさんのコメントで「やる気の無い人や仕事が好きじゃない人は、向上心も無いしアイディアも出さない」と激怒したそうです。 私も分かります。
①時間に来て時間で帰る。(間に合わなければ翌日手伝ってもらう前提) ②お金目的で入社した?(就業時間が過ぎても帰らずに、時間稼ぎしてからタイムカードを押す) ③道具も手入れしないし掃除もしない。 ④必要な物や道具が無くなっても手配しないしメモも残さない。 ⑤計算しても証拠を残さない。 ⑥お客様からのクレームがあっても、自分は間違っていないの一点張り。(証拠が無いから) ⑦作業時間がトータルではなく、1個やった時間×○個だから、やたら作業時間が早い。
自分が以前勤めていた会社がこの様な感じでした。 会社側は従業員の定着率が悪い理由が分からなかったらしいが、真面目な人程辞めました。 人を大事にしない会社は人を失います。
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学生時分に船井かアイワの価格帯しか選択肢が無かった14インチのテレビデオ ミスターマックスという量販店が九州にあり買いに行った記憶があります ウチにビデオが無かったのでホント助かりました 野球の延長戦で撮りたかった番組が観れなかった時は落胆しましたが今思えば「そんな事もあったなー」という笑える思い出 寂しいと回顧する技術者ですが消費者の思い出は消えませんよ
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昔はおもろいガジェットが沢山あったよなぁ。 ファミコン内蔵テレビとか、ラジカセでも液晶テレビ搭載とかあった気がする。ラジカセでいうとカセットプレーヤー部が取り外せてウォークマン的に使えるやつとかもあった。
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フナイのテレビデオは、よく店舗での販促ビデオ再生機などでもよく使われていた。意外と頑丈で重宝した。さすがアメリカで売れているだけのことはあると感心していた。
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何も知らない業界の、しかも自社より遥かに規模の小さい会社の社長を後継に据えたのに違和感を感じましたがやはり失敗でしたね。それだけでなく資産を吸い取られた感もあり今後調査が必要ですね。
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アナログ時代のフナイのテレビは感度が良かった。 砂嵐混じりの隣県の局が他のテレビよりよく映った。 記事にも出てくる部品を一体化する効果が出ていたのだと思う。
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アナログ時代はレコード、カセットテープ、ビデオデッキなど今はほとんど廃れたけど売れまくっていた。今ではテレビ録画なんてハードディスクをつなげて番組表で予約するだけになった。 音楽もダウンロードやサブスクで聴くだけになったし。便利すぎる。
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余計なお世話で申し訳ないがこの技術者さんは船井電機を去ったとして今後仕事はどうするのやろか?
若者なら外資系企業に転職出来るかもやけど50代ではかなり厳しいでしょうな…今までの高給取りは厳しいが再就職出来るといいですね。
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なにかでフナイのウォークマン?をもらえたので使ってた テープノイズのしゃーって音が目立ったけど普通に使えてた ところで、まだまだVHSを再生する必要があるのです。データ化しきってないところでビデオデッキが壊れてしまった。ビデオデッキなんとかして新品作ってください・・・
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一体型は省スペースで一利あるが どちらかが先に必ず壊れるから厄介なのよな ビデオが先ならまだいいが テレビが壊れるとガラクタとなる 一体型トイレもやめた方が良い ウォシュレットが壊れるとタンク含め 全取っ替えとなる
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倒産の憂き目にあったものとしてよくわかります。結局私は、正式な定年を迎えず、今日に至っています。逆に定年がなことは、働いていることに対してこだわりもなくなりました。同級生は、期限通りの定年を迎え、就労してない方も多数です。どちらがよいかわかりませんが、特に後悔もしていません。
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