( 275011 ) 2025/03/15 07:25:50 0 00 (c) Adobe Stock
財務省解体デモが話題を呼んでいる。国民の給料が上がらない中で、物価や国民負担が増加していることに対する怒りなどが起因しているものなのかもしれない。しかし経済学者の竹中平蔵氏は「全く意味のないもの」と語る。「現状ただ騒いでいるだけ」「『この人が悪い』と単純化して思考停止するのではなく、制度の問題として捉える必要があります」。詳しく語るーー。
最近、「財務省解体デモ」が話題になっていますが、これについては疑問を感じています。これは、全く意味のないものです。
財務省を解体するとして、その後どうするのかという具体案が示されていないのです。これは小泉純一郎元首相の「自民党をぶっ壊す」やNHK党立花孝志氏の「NHKをぶっ壊す」とは全く異なります。小泉氏は「自民党の構造を変えるためにこういうことをします」と具体的な改革案を示しました。しかし、財務省解体デモでは「財務省の構造を変えるためにこういうことをします」という議論が何もありません。例えばですが、「国土交通省にライドシェアを認めさせる」のように、より直接的で具体的な改革を求めるデモの方が意味のあるものだと思います。
財務省解体デモの現状では、ただ騒いでいるだけのように見えます。もし財務省が陰謀を企てているのであれば、日本はこれほど財政赤字にはなっていないでしょう。たしかに財務省にも問題はありますが、他の省庁にも同様の問題はあります。財務の仕事は必要であり、どの国でも財務省と外務省は政府の中心に位置しています。そのため、必然的にどの国でも財務省は一定の力を持つのです。そして財務省には優秀な官僚が多いです。
問題は日本の公務員制度全体にあります。「この人が悪い」と単純化して思考停止するのではなく、制度の問題として捉える必要があります。政策は複雑な仕組みであり、単純に「悪者」を決めつけるのは思考の放棄です。
例えば、財務省が主導した改革の成功例もあります。コンセッション(公共施設の運営権を民間に売却する制度)は財務省が元々推進したものです。関西空港は赤字で困っていましたが、民間にやらせることで改善しました。このように、財務省が改革を進めた事例もあるのです。
たしかに、財務官僚がしたたかに動き、自分たちの省庁の利益を徐々に拡大してきたという側面はあるのかもしれません。仮にそんな現状を変える必要があるのだとすれば、デモを通じて、公務員制度の改革や内閣人事局の権限強化など、具体的な改革案を示すべきです。それがないと、政府として何をすればいいのかよくわかりませんし、最終的にはガス抜きのような政策をして終わってしまうのではないでしょうか。
さて日本の公務員制度には大きな問題があります。官僚は省庁別に採用されていますが、本来は「日本政府に雇われた」という意識で、省庁間をローテーションで異動すべきです。「省庁別採用ではなく、一括採用にすべきだ」という議論は20年前からありますが、実現していません。
個人的にはアメリカのように政権交代で人材が入れ替わる「リボルビングドア」の仕組みの方が良いと思います。しかし日本には終身雇用と年功序列の公務員制度の弊害があります。終身雇用や年功序列だと、省庁の権益のために行動するインセンティブが生まれます。それにより、国民のために良い政策よりも、省庁の権益を優先する傾向が出てしまいます。みんな将来の身分を確保するために、省庁の利益を優先してしまうのです。
小泉内閣の時には、各省庁の下にあった公庫(国民公庫や住宅金融公庫など)を政策金融公庫に一括したように、縦割りの弊害を打破する改革が行われました。しかし残念ながら、まだまだ縦割りの弊害は残っているのが現状です。
また国家公務員法では、官僚を不利益処分ができないという問題があります。つまり、不適任だからといって辞めてもらい、民間から人材を登用することができないのです。公務員全体が守られすぎています。これは、公務員に団結権がないことを保障するために、不利益処分を制限しているという背景があります。
こうしたややこしい仕組みを今の日本で解決するには、内閣人事局の権限を強化することです。「そんなことをしたら役人のやる気がなくなる」という意見がありますが、それは最適解をずらしています。可能な限り、政権交代ごとに優秀な人材を登用する仕組みの方が良いでしょう。
また、公務員と政治家の接触も制限すべきです。公務員は中立であるべきですが、実際には与党の国会議員と密接に関わっています。キャリア官僚の多くは与党議員の事務所を回り、半分は政治家のような仕事をしています。これは政治家にとっても都合が良いため、改革が進みません。イギリスでは公務員と政治家の接触を制限する仕組みがありますが、日本では自民党が反対するため実現していません。自民党にとっては「手足がなくなる」からです。
日本の政治を取り巻く環境は、じゃんけんのような関係になっています。政治は官僚に対して強く、官僚は企業に対して強く、企業は政治に対して強いというトライアングルになっています。このトライアングルを取り持っているのが官僚です。そのため、このトライアングルが非常に強固になっています。
企業献金の問題も深刻です。「献金によって政策は歪められていない」と言う人もいますが、そんなことはありません。企業は何のために献金するのでしょうか。企業側からすれば、政策を自分たちに有利に歪めるために献金しているのです。
そのため、農業改革や労働市場改革が進まず、米価格の問題も市場改革が進まないために起きています。今の国会には改革の思考が極めて不十分。
このような構造的問題を解決するには、政治家が企業献金に頼らなくても済むような仕組みが必要です。国民一人一人が小さなお金を出し合う仕組みができれば、企業献金への依存度が下がり、より公正な政策決定が可能になるでしょう。
話は少し戻りますが、もし財務相解体デモの真の目的が「国民の手取りを増やしたい」ということなのでしたら、税金だけでなく社会保険料に注目すべきです。私たちが政府に払っているものは、圧倒的に社会保険料が多いのです。日本の税金は高額所得者にとっては重いですが、中間層以下は諸外国と比べると低い水準です。基礎控除についても、平均賃金との比率で見ると諸外国と比べて決して低くないのです。
ただし、税金はそれほど増えていませんが、社会保険料は増え続けています。その社会保険料を含めた国民負担は増加しています。社会保険料は国によっては「ソーシャルセキュリティ・タックス」と呼ばれ、実質的には税金の一部です。「増税していない」という言い分は適切ではありません。国民負担は確実に高まっています。社会保険料の改革こそ必要なのです。
例えば、103万円の壁の問題でも、財源の問題が最後まで残りました。しかし、歳出削減の議論をしないまま「財源がない」と言われるのは、国民からすれば納得できない部分もあるでしょう。歳出削減の議論をせずに財源の話をするのはおかしいのです。
民主主義の政治システムには、自動的に財政が赤字になっていく傾向があります。これは、ノーベル賞経済学者のブキャナンとワグナーが「デフィシット・イン・デモクラシー」と呼んだ現象です。一度増やした歳出を減らすのは非常に難しく、前年に補正予算があったのに今年はないと文句が出ます。また、霞が関も歳出を増やすことで影響力を確保しようとします。
歳出削減は確かに大変ですが、政治がリーダーシップを発揮し、批判されることを覚悟して取り組むべきです。国民に対して「これは必要なんだ」「痛みを伴ってもやるべきことがある」と説得的に訴えるリーダーがいれば、改革は可能です。
高齢者医療費の自己負担増加の議論も実質的に先延ばしになりそうでが、これは膨れ上がり続ける社会保険料の解決策として重要な議論だったと思います。これを先延ばししたことに対して反対デモをする、もしくは「国のリーダーに改革を求める」「税金と社会保障の一体改革を求める」というデモであれば意味のあるものになるでしょう。
政策は複雑で、単純な「解体」や「ぶっ壊す」という掛け声だけでは何も解決しません。具体的な改革案を示し、国民に説明して理解を得ることが、真の政治のリーダーシップです。残念ながら、政策は複雑だということを理解していない人たちの陰謀論が、この国では非常に強いと感じます。しかし、繰り返しますが、それでは何も解決しません。
日本の政治・行政改革には、公務員制度の改革、内閣人事局の権限強化、社会保険料の改革、国会改革など、多くの課題があります。これらの改革を一つ一つ進めていくことが、日本の社会を変える道筋となるでしょう。
竹中 平蔵
|
![]() |