( 276051 ) 2025/03/19 05:24:25 0 00 (c) Adobe Stock
首相公邸で石破首相は、自民党衆院議員1期生15人を集めて会食した際に、首相の事務所が土産名目で1人当たり10万円分の商品券を配っていた。この問題を一報受けて開いた記者会見で石破首相は違法ではないむね強調し、その態度は逆ギレしているようにみえた。が日を改めてから、石破首相は「その金額が一般の常識とかけ離れているとのご指摘は、それは大変申し訳ございません、私の足らざるところでございました」と反省の弁を述べた。また「高額なお土産というよりも、本当に苦労した方々に私は食事を差し上げることもできませんので、もしもできたらば、ハンカチでも買ってねと、お菓子でも買ってねという思い」と配布意図を説明した。石破首相の退陣を求める声は日に日に強くなっている。経済誌プレジデントの元編集長で作家の小倉健一氏が解説するーー。
国会内で行われた自民党の参議院議員総会で、旧安倍派の西田昌司参院議員が「今のままでは参院選を戦えない」として、石破茂首相の退陣を求めた。しかし、賛同をほとんど得られず、同僚議員からは失笑を買う結果となったという。
西田議員は、今年改選を迎える立場であり、危機感を抱いているのだろう。しかし、「選挙が戦えない」という論点は、国民にとっては重要ではない。とはいえ、石破首相は「年収の壁」にさらなる「壁」をつくり、ガソリン税の減税には手をつけない一方で、少子化を加速させると有識者から指摘される「こども家庭庁」や「高校教育費の税負担」など、不要な政策ばかりを推し進めている。かつてなら、そうした「やってます感」は、テレビや新聞を通して、伝わったのかもしれないが、これほどSNSが発達した現在では、すぐにそのウソはばれてしまった。
石破首相は「国家のためには、受けないことでもやらなければならない。受けることばかりやっていると国は滅びる」と語る。しかし、それならば今やるべきは、歳出削減ではないのか。
自民党と業界団体の意見交換会や要望を伝える会合に出席したことがある人なら誰もが知っていることだが、業界団体は決まって「自民党、頑張ってください。ずっと応援したいです。そのためにも公益を考慮し、ぜひこの政策を実現してください」と政府の保護や補助金を求める。一方、政治家は「私は皆さんのために、これを実現しました」「あれもやりました」「次はこれをやります」と応じる。こうした場は、もはや利害調整の儀式のようなものとなっている。
業界団体の要望の多くは、「あの業界には補助が出ているのに、我々にはない」という公平性の問題を訴えるものだ。こうした要望に対し、与党政治家が取りうる選択肢は二つしかない。要望通り新たに補助金をつけるか、公平を期すために、現在補助金を受けている事業そのものを廃止するか、である。
国民の多くは、効果の薄い補助金を削り、その分減税を実施することを望んでいる。しかし、選挙を控えた自民党の政治家が取る行動は一つ。補助金を出させるために、あらゆる手を尽くすことだ。実際、補助金に依存した事業者は、経済合理性を失い、中長期的な成長が難しくなることが各種の研究で示されている。補助金漬けの経済は、結局誰の利益にもならないバラマキに過ぎない。自民党の政治家たちも、そのことを薄々理解しているはずだが、既存のビジネスモデルを変えることができず、結局、補助金拡大の流れを止めることができないのである。
石破首相は「楽しい日本」を掲げている。しかし、どうやって「楽しい日本」が生まれるのか、まったく想像がつかない。それだけでなく、石破首相の「楽しい日本」という言葉の使い方は、本来の意味とは大きくかけ離れている。作家・堺屋太一が提唱した「楽しい日本」の概念を大きく誤読しているように思えるし、何より、戦後の日本の歴史を俯瞰したうえで導き出された堺屋の構想とは比べ物にならないほど、石破首相のそれは場当たり的で、とってつけたようなものに過ぎない。
堺屋は著書『三度目の日本』の中で、「楽しい日本」を次代の社会像として提示した。彼の歴史観では、日本は三度にわたる価値転換を経験してきた。一度目は幕末・明治維新であり、それまでの江戸時代における安定志向から、富国強兵へと舵を切った時代である。二度目は戦後の高度経済成長期で、国家の強さよりも物質的な豊かさを重視する社会へと転換した。そして三度目が21世紀に訪れる価値観の大転換であり、創造性と多様性が重視される時代になると堺屋は見通した。
この「楽しい日本」は、これまでの「強い日本」「豊かな日本」とは異なる価値観を持つものである。堺屋は、バブル崩壊後の低成長や少子高齢化、さらには第四次産業革命の進展を背景に、経済成長だけを豊かさの基準とする時代の終焉を指摘した。そして、今後は個人が創造性を発揮し、主体的に生きる社会が求められると主張し、官主導の体制から個人と地域の自律へと移行すべきだと説いたのである。
堺屋は、産経新聞(2018年8月14日)にこんな言葉を寄せている。
<日本では明治からの富豪など全くいない。いや、昭和の富豪さえ平成の30年間でほとんど消えてしまった。/日本で継承されるのはむしろ人脈、えたいの知れぬ人間関係で、息子や娘に権力や人気を引き継がせる方法である。/要するにこの国は、奇妙な人間関係の谷間で、資本主義体制になり切れなかったようだ。それがこの国の短期志向となり、官僚主導を産んだ>
堺屋太一は、官僚主導による規制を嫌い、減税を積極的に推進した。彼の考える「楽しい日本」とは、規制緩和と減税を進めることで個人の自由を最大限に尊重し、多様性を生み出すことにあった。その結果、創造的な活力が生まれ、日本がよりダイナミックで魅力的な国になるという理屈である。堺屋にとって、経済発展とは国家が主導するものではなく、民間の創意工夫と自由な競争によって生まれるものであり、そのためには政府の介入を極力減らすべきだというのが一貫した主張だった。
それに対して、石破首相の掲げる「楽しい日本」とは、一体何なのだろうか。彼のこれまでの政策を見れば、それが堺屋の理念とは正反対であることは明らかである。次々と増税を決定し、国民民主党が提案した大型減税案を潰してしまった。財源がないから減税はできないと言うのなら、せめて規制緩和を進めるべきだろう。しかし、それすらも一向に進展が見られない。むしろ、規制強化や補助金頼みの政策ばかりが目立ち、民間の活力を奪う方向に進んでいる。
私は先週、台湾の台北市を訪れたが、日本との経済環境の違いに愕然とした。特に物価の高さには驚かされた。飲食店の価格は日本と同等か、それ以上の水準だった。しかし、唯一安かったのは、移動に使ったライドシェアの費用である。日本のタクシー料金と比べると、格段に安かった。さらに驚いたのは、その利便性とサービスの質の高さだ。運転手と会話を交わす必要もなく、アプリで簡単に配車ができる上、運転技術も日本のタクシー運転手と比べても遜色なく、むしろスムーズで快適だった。
要するに、日本のタクシー業界は厳しい規制に守られることで競争原理が働かず、結果としてサービスの質も価格競争力も台湾に大きく劣る状況に陥っている。積極的に規制緩和を行い、新規参入を促せば、もっと安くて快適な移動手段が提供されるはずだ。しかし、石破茂内閣でデジタル大臣に就任した平将明氏は、10月2日の就任会見で、ライドシェアの全面解禁について「基本的な方針が固まっているので、そのスケジュールに沿って対応したい」と慎重な姿勢を示した。これは事実上、何もしないという宣言に等しい。
一方、台湾は半導体製造メーカーをはじめ、Googleにセキュリティ技術を提供する企業など、最先端分野で日本の企業よりもはるかに先行している分野がある。すでに台湾の産業は、国際的な競争力を確立し、世界市場での優位性を持っている。その台湾よりも貧しく、しかも規制にがんじがらめにされている日本が、今後どうやって競争に勝ち残るというのか。その舵取りを石破首相に任せていいわけがない。
石破首相がこれまでに行った目立った政策といえば、地方創生に莫大な税金を投入したことくらいである。しかし、地方創生を掲げたところで、テクノロジー分野や製造業の競争力が高まるわけではない。むしろ、補助金頼みの経済構造を強化するだけであり、地域経済の自立とは程遠い。地方経済の活性化には、規制緩和や税制改革など、より根本的な政策が必要である。それをせずに、ただ税金を投入し続けるだけでは、いつまで経っても自立した成長など望めない。
結局のところ、石破首相の「楽しい日本」は、堺屋太一が構想したような自由と創造性に満ちた社会とはかけ離れたものだ。現実には、増税と規制強化によって民間の活力を奪い、政府の関与を強める方向に進んでいる。このままでは、日本はますます停滞し、世界の競争から取り残されていくだけである。
何を言ってもムダだろう。筆者は、取材なども含めて、もっとSNSで噴出する意見をきちんと分析し、民意の一つとして受け止めるよう、石破政権に助言してきたつもりだ。しかし、石破首相が変わることはないと確信した。そればかりかSNS規制に踏み込んだところをみても、石破政権は民主主義の仮面をかぶった権威主義体制に他ならない。SNS規制を推進し、国民の言論の自由を制限しようとする姿勢は、独裁政権が情報統制を強める手法と何ら変わらない。表向きは「誹謗中傷対策」や「社会の健全化」を掲げるが、実態は政権批判を封じ込め、異論を排除するための口実に過ぎない。自由な言論空間を政府の管理下に置こうとする発想自体が、許されるべきではない。
増税政策もまた、国民に負担を押し付け、経済成長を阻害する悪政である。財政健全化の名のもとに、国民の可処分所得を奪い、消費を冷え込ませ、経済全体を衰退させる道を突き進んでいる。税収の確保を口実にするが、政府支出の無駄を省く努力を怠り、国民の生活を犠牲にする選択肢しか提示しない。その姿勢は、民間の努力や創意工夫を軽視し、国家による統制経済へと突き進むものにほかならない。
小倉健一
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