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ひろゆき氏に質問「なんで自殺してはいけないのですか?」少年少女への回答は…

スポニチアネックス 3/23(日) 19:25 配信

https://news.yahoo.co.jp/articles/f7e5c034333aff28486e11c0870160af485b454f

 

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実業家の西村博之(ひろゆき)氏が、自身のYouTubeチャンネルで子供たちからの質問に答えた。

自殺についての質問に対し、本当に自殺してはいけない理由があるかどうかについて言及し、自殺を考えるときに周りの人が悲しむことを考える重要性を話していた。

(要約)

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「ひろゆき」こと、西村博之氏 

 

 実業家・西村博之(ひろゆき)氏(48)が23日までに自身のYouTubeチャンネルを更新し、少年少女からの質問に答えた。 

 

 子供からの質問に答える企画で「なんで自殺してはいけないのですか?」という投稿が寄せられた。これに、ひろゆき氏は「自殺してはいけない理由が本当にあるかというと、結構ないんですよ」としたが「友達から“自殺してもいい?”って聞かれたら“僕が嫌だから死んでほしくない”って言うと思います」と返す。 

 

 「例えば、前に僕が住んでたところの大家さんが亡くなっちゃって。それは僕にとっては結構悲しかったんですよ。でも大家さんは自分が死んだことで、僕が悲しむとはきっと思ってなかったと思うんですよ。誰かが悲しむのが嫌だから止めたいっていう、エゴの塊じゃないかなと思っていて」。 

 

 「なので、知り合いのコンビニ店員とか、友達とか周りの人に“自殺しようと思うんだけど、どう思う?”って聞いて回ると、多分1人か2人ぐらいは“悲しい気持ちになる”っていう人がいると思うので。その人のために、死なない方がいいんじゃないかなと思いますけど」と語っていた。 

 

 

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このテキストの全体的な傾向として、自殺についての考え方や経験に基づいた談話が多く含まれています。

ひろゆき氏の言葉や他の方の体験を通じて、自殺を考える人に対しての思いや留まる理由について述べられています。

自殺は他者に悲しみや迷惑をかける行為であり、その影響を考えることや生きる理由を見つけることの重要性が強調されています。

また、自殺に関する過去の体験や周囲の影響が強調され、人間関係や環境の大きな影響力が示唆されています。

最終的には、生きることの大切さや他者の気持ちを考慮することが重要であるとの考え方が示されています。

 

 

(まとめ)

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=+=+=+=+= 

 

「自殺を考える前に、ちょっとだけ立ち止まってほしい。」 

 

ひろゆき氏の「誰かが悲しむから生きてほしい」という考え方、すごくシンプルだけど大事なことだと思います。実際、自分のことを大切に思ってくれる人って、自分が気づいていないだけで意外といるんですよね。 

 

それに、今はつらくても「抜け出せる方法」がどんどん増えてきています。昔は「とにかく耐える」しかなかったけど、今は科学的に気持ちを軽くする方法も増えてきて、日本でも少しずつ広がり始めています。 

 

「こんなに苦しまなくてもよかったんだ」と思える日が来るかもしれないから、せめてもう少しだけ生きてみてもいいんじゃないでしょうか。 

 

▲4947 ▼320 

 

=+=+=+=+= 

 

いろいろ叩かれる事が多いですが、ひろゆきさんの言ってることって、常に優しさが底にあると思います。 

言葉が厳しかったりするけど、「嫌なヤツだと思われたくないから出る優しい言葉」は、実は言ってる人のうわべだけの自己肯定でしかなく、表向き嫌われても本当のことをストレートに言うのは優しさだと思います。 

 

自死は被害者が加害者になる、残された人にとって感情をどこにも持っていけない行為です。 

大切にしたい存在が周りに少しでもあるのなら、全てから逃げて、どこかで別の存在としてやり直すのも良いと思います。 

 

あなたひとり逃げたところで、社会は回り続けます。 

自死を選ぶと誰かが悲しみます。 

 

▲229 ▼67 

 

=+=+=+=+= 

 

あるイジメで自殺してしまったお子さんの遺書で、自殺を最後まで踏みとどまっていた理由が「自分の存在を無条件に受け入れて愛してくれる祖父母の存在」だった記憶がある 

 

壮絶なイジメを受けて、自分的には楽になりたくて死にたいけれど、死んでしまったら可愛がってくれてる祖父母が悲しむ 

 

どこにも相談出来なくて、結果自殺を選んでしまったのがとてもとても残念ではあったけれど、可愛がってもらった記憶がストッパーになることがある…、こういう事があるということは忘れないでいたいと思った出来事だった 

 

▲2234 ▼67 

 

=+=+=+=+= 

 

命の電話とかに相談しようとするとフリーダイヤルじゃなかったり夜はやってなかったり 24時間フリーダイヤルの所に相談しようとしてもいつも電話が込み合い繋がらない 去年は自死の数は減ったが10代は増えたそうだ 夜中に一人で考え込むと早まった事をしかねない、24時間フリーダイヤルで込み合う事なく色々な相談やカウンセリング等出来る体制を整えて欲しい 

 

▲279 ▼60 

 

=+=+=+=+= 

 

若い頃は、命の価値観が全く分からなかったけど、歳を重ねて死が近づいて来ると、 

ああいつかこの美しい景色を見ることも、 

好きな物を食べておいしいと思うことも、 

生き物や小さな子供を見てかわいいと思うことも、 

人間の作った数々の建物や美術品を見ることも、 

ただただ毎日のなんてないことが、全て出来なくなってしまうんだな、 

この地球を見ることが、永遠に出来なくなるんだ 

と思うようになり、日々の小さなことに感動するようになり、命がどれだけ価値あるものなのか感じるようになってきた 

辛いこともたくさんあるだろうけど、地球に産まれてきたことはとても素晴らしい一瞬なんだと思う 

こんなチャンスはもうない 

嫌なことに目を向けず、日々の小さな楽しみを感じて生きて欲しいと思う 

 

▲230 ▼20 

 

=+=+=+=+= 

 

ひろゆきさんの回答に凄く納得しています。 

ダメな理由なんて確かに特にないんですよね…選ぶ自由だってあるし。 

でも、家族や友人や職場の人、誰かを悲しませる必要はないですね。誰かのために生きようと思うのもありだし。 

誰とも繋がりがなく家族もいない人だとしたら、逆に説得力は薄れちゃうかな?もしそういう人は、してはいけないことではなくする必要がないことだと思って欲しいです。 

今は一人でも生きていれば悲しんでくれる誰かに出会うと思うから。 

ひろゆきさん、頭良いからシンプルでくだけた回答が刺さるものがあります。 

 

▲90 ▼20 

 

=+=+=+=+= 

 

自殺を身近な人がし、第一発見者になった経験があります。私の家で行われました。 

その人を助けるためにできる限りのことはしました。それでも、無理でした。 

そのあとはもう、家は引っ越さないといけない、借家でしたので、リフォーム、供養、かなり大変でした。 

 

悲しむ人がいても、いなくても、迷惑になってもならなくても、亡くなる方はなくなるのだなとしか思えなかったです。 

 

冷たく聞こえるでしょうけれど、その人はそのたきが天命だとかなり長い年月をかけて辿り着きました。 

 

▲1141 ▼75 

 

=+=+=+=+= 

 

私もひろゆきと同じように思う。 

私はママなんだけど、娘が自殺したいって真剣に相談してきたとすると、 

【自殺してはいけない理由】なんてどう考えても【無い】もん。 

ただ、私は悲しいし、ママなので、どのぐらい悲しいかと言うと、ご飯も食べられなくなって、未来も見れなくなって、気持ちも無くなって、後追いしちゃうぐらい悲しい。 

私の父が普通に病気で二年前に亡くなったんだけど、今でも悲しいし、真剣に考えると涙も流れてくる。 

きっと、死んじゃいけない理由はないんだけど、ものすごく悲しむ人は居て、 

それは沢山居る必要もないし、沢山なんかいる人も少ないんだろうけど、 

ちゃんとみんな1人、2人、三人4人とかちゃんといて、一人ぼっちに自分を感じてる人でさえ、ちゃんと居るんだと思います。 

 

▲681 ▼63 

 

=+=+=+=+= 

 

宗教的な信条がないのであれば、太宰治の『斜陽』にあったように親が悲しむからという理由で充分だと思う 

逆に言えば親が亡くなった後であれば自由意志で決めてよいということかもしれないが 

そもそも親との関係性が良くないということであれば生きる理由がなくなってしまうが、 

誰か大事な人がいればそれが生きる理由になるかもしれない 

だから社会的に孤立しない、させないということがそれを防止する為に大事なんだと思う 

 

▲439 ▼34 

 

=+=+=+=+= 

 

それって凄く大事な事だと思う、誰かの自殺を踏み止まらせる事って実はとても難しい事で、間違った事を言ってしまうと逆効果になる事もあると思う。 

そこで言える事は、アナタが亡くなると、私は悲しいと、少なくとも一人は悲しむ事を伝える事、この一言は実はギリギリの精神状態に最も響く事なのかも知れない。 

 

▲313 ▼17 

 

 

=+=+=+=+= 

 

自殺してもいいとかダメとかの問題ではなくて、死んでしまおうかと思った時に誰かが悲しむとか考えて踏みとどまってる人もたくさんいて、初めはそう思って踏みとどまったけどもうそういうことも考えられなくなっちゃった人とか、衝動的に行動してしまった人とかが「自殺してしまった人」になってるだけだと思います。 

後者になる前に、1度は考えてみて踏みとどまる理由になれたらいいですよね。 

踏みとどまれたなら、差し伸べてくれる手が必要ですよね。 

 

▲102 ▼6 

 

=+=+=+=+= 

 

いじめや心を病んで自殺を考える子供達は実際に孤独感、孤立感を感じていることがあって、中々自分から助けを求めないんだよね。電話相談窓口とかも、電話してくるのは稀なケース。それでも効果はあると思うけど、相談されるのを待つ前に誰か気付いてあげられる、見て見ぬ振りをしない環境づくりは必要なのかなと思うよ。 

 

▲159 ▼16 

 

=+=+=+=+= 

 

自分が死んだ夢を見たことがあります。母が私を発見して、発狂していました。泣き叫び、狂乱する母の姿は恐怖そのものでした。 

 

私が死ぬと、母の人生を狂わせてしまう、母を不幸のドン底に突き落としてしまう、ということに気付かされるリアルな夢でした。 

 

それ以来、とりあえず、母のために生きていよう、と思うようになりました。何があっても、上手くいかなくても、私は生きているだけで親孝行な娘なのだと自信を持てるようになりました。 

 

結局、母が旅立つまで元気に生きていたので、私の目標はとりあえず達成しました。まだ、父が生きているうちは死ねませんが、両親を見送った後は、死ぬまで子供達に迷惑をかけないように生きることが願いです。 

 

▲83 ▼5 

 

=+=+=+=+= 

 

自殺は精神の状態が非常に悪い状態でありヒューマンエラーだという考えもあります。 

本来自殺を考えることは珍しいことではなく日常よくある事ではありますがそこから先へ進むことは非常に強い抵抗感や恐怖や理性により救われ留まる。 

しかし思考停止状態や願望に負け衝動に押されて命を落としたり行動に移すのだと思いますし個人の性格によるものが大きいと思います。 

 

▲35 ▼7 

 

=+=+=+=+= 

 

私は今50代後半。 

今までの人生の中、自分自身いなくなりたいと思ったことは何編もあったし、周りの友人知人達が先立って行った経験も何度かして来ました。 

いなくなった人達を救えなかったのかなと落ち込んだりもしたけど、きっとそんな簡単なことじゃなくて、救えるなんておこがましいのかなと思ったりもしています。 

自ら死を選ぶことに賛成はしないけど、でもそれしか救いのない人もきっといるのだと思いますよ。 

微力ながらに一緒に話し合ったり泣いたりして救って上げたいとは思いますけどね。 

 

▲122 ▼10 

 

=+=+=+=+= 

 

死ぬ気があれば自殺したいほど辛い状況から抜け出せる方法が殆どの場合はあると思うのです(肉体的に病気で苦痛を回避する方法が無い場合を除く)が、そこに気付く余裕が無い、抜け出そうとする気力も無いというのはうつ病みたいな精神的に病気の状態なのだと思います。 

だから病気として認識、治療することが大切だと思います。 

 

▲7 ▼8 

 

=+=+=+=+= 

 

自殺をしてはいけない理由は、家族が悲しむ、家族の人生を壊すから、出来れば少しだけ、 

自殺を考える前に、 

家族以外から嫌がらせを受けているならその集団を一時的に抜ける。 

会社なら休職をする。精神科医に相談すると診断書を貰えるので、法律に守られながら休める。診断書を会社に送付して、診断書に書いてある期間休むことを書面でもいいから伝える。 

学校なら1ヶ月程休んでみる。学校は義務でないから「休む」という選択肢がある。 

今の日本は門戸が少しずつ開いているので、少しだけ留まってほしい。3日だけ、3週間だけ、3ヶ月だけ。 

家族が原因なら交番や市区町村の役所に助けを求める。家族が原因の場合の門戸がとても狭い。 

 

▲157 ▼41 

 

=+=+=+=+= 

 

自分の命は自分以外の人のもの。人のものだから大切にしなければならない。誰かの命が危うい時、基本的に皆助けようとする。色んなものを犠牲にしてまで助けようとする、場合によっては自分の命と引き換えに。亡くなった時、困るのは生きてるまわりの人。悲しかったり、葬式しなくちゃならなかったり、遺品生理に困ったり。だから出来るだけ迷惑が掛からない様に命を大切に生きて、寿命で静かに亡くなるのが大切。 

 

▲15 ▼28 

 

=+=+=+=+= 

 

私は、当事者本人でもない人が変な倫理観だけで止めるのは無責任だと思うんだ。 

でも個人的には、できることなら死なないでいて欲しいとは言うとおもう。ひょっとしたらまわりまわっていつか楽しい飲み仲間になってしまうかもしれないし。 

 

そんな接点がたとえできなかったとしても、死にたいと思うくらいの経験をしているのなら、その経験はいつかどこかの誰かに本当の意味で寄り添ってあげることができる人になり得る素質になると思うもの。 

 

▲48 ▼5 

 

=+=+=+=+= 

 

中学生の頃、いつも生きるのが辛くて苦しかった。 

でも、死にたいとは思っても、自殺はいけない、と思っていました。 

人を殺すことはいけないこと、だから自分の命であっても殺してはいけないんだと自分に言い聞かせていました。 

それに死ぬ勇気があるなら、死んだ気になって開き直ってもう少し頑張ってみよう、死ぬのはいつでも出来るんだから、という気持ちで何とか中学時代を乗り越えました。 

以前読んだ記事で、今の若者は、ゲームか何かのように死んでも人生をリセットできると思っている人が少なからずいると知って衝撃でした。 

私が高一の時、二十代前半で自殺した従姉妹がいて、自分の十代と重ね合わせて思うことは、もし一人でも自分の死を悲しんでくれるかもしれないと思う人がいるなら、その人のためにも生きる道を探してほしい。 

今の私のように、いつか生きていてよかったと思える日が来ると思うから。 

 

▲14 ▼7 

 

 

=+=+=+=+= 

 

何が正解かは分からない前提だけど。 

 

一時期、死ぬことを考えてたことがあるけど、他人どころか身近な人が悲しむことすらどうでも良かった。というか自分は無価値だと思ってたから『みんなちょっと悲しいくらいでしょ』と思ってたよ。なので、その時の自分にひろゆきの言葉は響かないかなと思う。 

 

その経験を踏まえて、『なぜいけない』と考えた時に『いけないというよりは勿体無い』と思う。 

その時に自分を苦しめていたものは死を以て逃げなければいけないものではなく、他人の力や運や時間の流れで解決できるものだった。 

たぶん解決できない問題だとしても死以外に逃げる方法はいくらでもある。ほとんどの問題は。 

でも死んでしまったら全てが消える。もう戻らないし。 

だから生きた方がいいんじゃないかと思う。 

なんとか逃げられれば、やり直せるよ。だから死なないほうがいい。絶対に。 

 

▲17 ▼2 

 

=+=+=+=+= 

 

難病の方にその質問をされたら、「いけなくないです」としか言えません。 

しかし自分は幸い健康なので、何があろうと自分で命を絶つことは難病と向き合っている方に申し訳なく感じます。 

誰かにそんな相談をされたら、黙ってALSの方が書かれた本の中で特に心を打たれたものを勧めます。 

 

目が見え、音が聞こえ、言葉を発することができ、自分の足で歩める。どこへでも行ける。これといって痛いところが無い。それがどんなに贅沢なことか。 

体が健康であれば、あとは幸せを感じる心があるかないかだけだと思います。幸せは100%主観です。 

 

▲16 ▼1 

 

=+=+=+=+= 

 

私も中学生のとき、家庭環境に悩んで、命を絶ちたいと思ったことがあります。 

結果的に踏みとどまれたのは、当時すでに亡くなっていた父が夢に出てきて、「また会いに行くから、まだ来なくていい」と言ってくれたからでした。 

それから10年以上経って、酔った勢いで中学のときからの友達に、実はそういうことを考えたことがあると言ったら、泣かれてしまいました。「悲しいから、もう2度とそんなこと思わないで」と。 

あの頃は、どうせ誰も自分のことをわかってくれないと思っていて、友達に相談するという選択肢もなかったけれど、そう思っていたのは自分だけだったんだなあと大人になってから気付きました。 

「生きていたらいいことがある」という常套句は、なんだかんだの結果論で、悩んでいるそのときには全く響かなかったと思うけど、ひろゆきさんのこの話を当時の自分が聞いたら、どう思ったかな。 

 

▲32 ▼3 

 

=+=+=+=+= 

 

ここ10日間ほど熱が乱高下していて、初期の検査でコロナでもインフルでもないと判断されたためほったらかしていました 

3日前に中耳炎を発症してしまい、詳しく再検査したところ肺炎にかかっていたことが判明しました 

 

家族に感染させないため、家族は義実家に避難させ1人で療養しています 

 

今日の昼まで39.0台、中耳炎も激痛で解熱鎮痛剤も効かない状態でした 

頭もぼんやりしていて、寝たらそのまま冷たくなればなあと期待してました 

身体はしんどいけど、心は少し幸せでした 

 

夕方くらいに熱が引いて、いまがっかりしています 

子供がいる限りは、養育義務ありますよね 

無責任ですが、1人でそのまま冷たくなりたかった 

 

子供が成人して就職して生活が軌道に乗るところまでみとどけます 

そしたら弱火にしていって静かに消えたい 

 

▲27 ▼21 

 

=+=+=+=+= 

 

自殺の中でも復讐のために自死を選ぶ人もいますよね。そうなると止められない。 

 

SNSで知り合った方で自殺を選んだ方がいましたが、孤独で絶望しかなかったと思います。 

声を出すことができなくなり、半身が動かせなくなっても、自分の命が短いと知っていても辛いことがあり自殺をしてしまった。 

傲慢かもしれませんが悲しむ人がいても、やめる選択肢を作ってあげれなかったことが後悔です。 

 

▲18 ▼2 

 

=+=+=+=+= 

 

生きる欲を本人の「脳」発信で発生させるきっかけ等がある人は問題無い。だが、生まれ付き体調が悪い等体力が無い等の本人の生まれながらに明らかに標準的な機能を兼ね備えて居ない人はこの様な問題に差し当たると思う。だが、折角生まれた来た命なのでせっかくなら4ぬまで生きてみよう。と、前向きに出来る事から始めて生きたらよいと思う。例え1人だとしても群れずに良くやってるな自分と褒めながらでも生きていけば良いし小さな幸せを噛み締めて行けば楽しいと思う。 

 

▲7 ▼0 

 

=+=+=+=+= 

 

犯罪行為は悲しんだり、辛いなどネガティブな気持ちを人に与えること。自殺も同じだからダメだと考えはするけれど、自殺を考えてるいる人は「他人が悲しいから〜」などといっても全く響かないほどの精神状態になっている。逃げ出したくても逃げられず、助けを求めても自分と同じ気持ちでない人からの励ましなんて立ち上がる為の木の枝にも劣る。私は自分で考えて分析し、「人のせい」や「環境のせい」にすることで思いとどまった。辛い時は責任転嫁できると少しは楽になるかもですね。 

 

▲13 ▼1 

 

=+=+=+=+= 

 

友人が自殺したとき、なぜ一言相談してくれなかったのかと悔しく思ったし、自分は相談するに値しない人間だったのかと落ち込んだ。 

ただ、一番辛かったのは友人の彼女さんが泣きながら電話をかけてきた時で、言葉もないとか胸がつぶれるとか、まさにこの事かと思った。 

間違いなく言えるのは自分が思っているよりも自分を大切に感じている人は多い、ということだと思う 

 

▲50 ▼7 

 

=+=+=+=+= 

 

「多分1人か2人ぐらいは“悲しい気持ちになる”っていう人がいると思うので。その人のために、死なない方がいいんじゃないかなと思います」 

それを聞いて死ぬのをあきらめるような人はただのかまってちゃん。 

本当に死にたいと思っている人は人の気持ちなんて考える余裕ない、考える意味もない。 

どうして死にたい人の気持ちを認めてあげないのか、死にたいほど苦しんでいる人を否定してどうしたいの? 

学校でのいじめで息子を自死で失ったある父親は生前いじめにあってる息子に「大丈夫か!」といつも声をかけて鼓舞していたとのことです、 海外旅行に連れて行ったりといろいろと手を尽くされていました、その後息子さんは残念ながら自死するわけですが父親はあの時どうして「つらかったね...」と一声かけてあげられなかったのか..と泣きながら悔やんでいました。 

 

▲11 ▼2 

 

=+=+=+=+= 

 

人生は未知で不可解なことばかり起こるからね。人間は魂が本質であり体はその入れ物という考えがあるが、その魂には既に生まれた時から徳や過去世での業、カルマと呼ばれるものが刻み込まれているというSF的、宗教的視点を加味して人生を眺めてみると少しは楽になるというか、この混沌とした訳の分からない複雑怪奇な人生への説明が少しはできるような気がする。 

 

▲8 ▼8 

 

 

=+=+=+=+= 

 

こういうのは色んな考え方があって、聞いているだけでも感心したりしますね 

私の意見としては、せっかくこの世界に生を受けたんだから、今の感情だけで世界を閉じてしまうのは勿体ないと思います 

この世界には自分の知らないことが山ほどあり、それに邂逅したときの感情は言葉では言い表せないほど素晴らしいものもあります 

いじめやハラスメントなどで苦しければ、勇気を出して環境を変えてみるのがいいでしょう 

そもそもそういう加害行為をする人のせいで死ぬのもなんか悔しいですよね 

本当に死ぬほどきついときは逃げていい、生活保護や障害年金など色々制度があったり、施しをしてくれる人も必ずいます 

絶望の状態からなんとか環境を変えて、たった1つでも好きなことやりたいことがあればそれをするだけの人生でもいい 

人生は楽しんだもの勝ち、人に迷惑をかけない程度であれば好きに生きるのがいいですよ 

 

▲95 ▼38 

 

=+=+=+=+= 

 

自殺に限らず、心の準備もなしに知り合いが急に亡くなると結構ショックだよ。本当に。 

昨日まで一緒にご飯食べていた人がさ、朝、心筋梗塞で亡くなって…本当に突然で。その人は病気だったから仕方ない部分はあるんだけど、そういえば頭が痛いって言ってたな、早く病院行けって言えばよかったなって後悔したよ。 

これが自殺だったら何億倍も後悔するんだよ。悲しむ人なんていないって言う人いるけど、確実に産みの親は悲しむよ 

 

▲30 ▼6 

 

=+=+=+=+= 

 

私の祖父は自殺してます。それを知ったのは大人になってから。 

 

私は高校生の時に自殺しようと思い、マンションから飛び降りようと何度も何度も試しました。 

 

踏みとどまったのは、両親が悲しむからという理由のみ。その両親も、私に軽い虐待をしてて立派な親とは言えないけど、悲しむのは目に見えた。 

 

自殺を留まる理由に、誰かが深く悲しむかもしれないという理由は、すごく的を得てると思いました。 

 

当事者にしか分からないかもしれませんが、私はそう思いました。 

 

▲14 ▼1 

 

=+=+=+=+= 

 

社内で自殺者が出たときの皆の落ち込みようといったら、 

ご本人もそんなこと考える状況にはなかったとは思うんだけど、自分にこれだけの影響力があるとは思ってなかっただろうな、と思いました 

 

自殺の原因は正確にはわかりませんが、 

会社では人事異動があったばかりで確かにその人の周りでは引き継ぎがうまくいっていない状況でした 

 

あまり話したこともない人だったけど、落ち込んだ様子とかも特に感じなかったので本当にどうして死を選ぶことになってしまったのか、今でもたまに思い出しては考えてしまいます 

 

▲18 ▼0 

 

=+=+=+=+= 

 

私は今30代ですが、これまでに2人の同級生が自殺をしました。 

 

自殺は良くない、と言うのは分かります。 

悲しむ人がいるからして欲しくないのも分かります。 

 

ですが、友人達の自殺を経験してからは、それぞれ家族、奥さんや子供がいた状況であっても自殺を選んだ彼ら自身にとって、命を終えることが1番の平穏や日々の苦しさからの解放だったのかな、とも思うようになりました。 

 

時々、彼らのことを思い出します。(;ω;) 

 

▲4 ▼0 

 

=+=+=+=+= 

 

自殺は他人に許可されたり禁止されたり命令されたり裁かれたりするものじゃないよ。親兄弟とか友人とかがどれだけ悲しむか、悲しむどころじゃなくてどれだけ苦しむか、その辺りを調べた方がいい。あとは自殺を思いとどまった結果「自殺しなくて良かった」と思った人、失敗して後遺症を抱えてる人のことも。 

思い詰めてる人は身内が自分の死を悲しむと思えなかったり、逆に何らかの加害者が苦しんでくれるはずと過大な期待を持ったり、先々に希望があるとイメージできなかったり、死に損なうリスクを知らなかったりする。そんな知らないことが沢山ある状態で、そんな偏った認識では自殺しないほうがいい。 

 

▲4 ▼2 

 

=+=+=+=+= 

 

思ってくれてる人がいるかも、そんな気を巡らせる余裕すら無いんですよ、悩みにはまると。日頃からウワベやノリで生きてる人になんか相談はできない。日頃から傾聴して時間を取って話してくれて、そんな人に対してチラッと相談にすらならない相談や気持ちの陰りをみせる、この些細な兆候に気付けるかどうか、そんな刹那なのです。「まさか気付かなかった」にならないように、他人を良く見ること、必ず跳ね返って自分も見てくれるようになる、そんなギブアンドテイク社会が理想です。 

 

▲103 ▼50 

 

=+=+=+=+= 

 

自殺しても何の罪にも問われないですし、法律で禁止されていないです。他人に迷惑掛けたりいやな思いをさせるかもしれないけど、世間的には毎日たくさん人が死んでいる、その中の1人に名を連ねるだけ。 

報道すらされないことの方が多いから名を連ねる事も出来ないかも。 

世間にしてみれば重要では無いということ。 

自殺したい理由を取り除くほうが大事。 

 

▲6 ▼4 

 

=+=+=+=+= 

 

私は、人が自殺や他殺で死んだら、場合によっては周りの人にも生きていけなくなるような衝撃を与えるから、自殺はやめようという結論になりました。命って、自分の中にあるけれど、管理を任されているだけであって、周りの人や社会全体のものもの、というイメージです。人様のもの、全力を尽くして生きる方に管理しないといけない、と思ってます。 

 

▲16 ▼5 

 

=+=+=+=+= 

 

言われると確かに自殺をしてはいけない理由はない。 

問題は死を選びたくなる生き方であって、死にたくないと願うのは動物の本能だ。 

本能に逆らってまで死を望むには何通りかある。回復の見込みのない難病、事故等による重い後遺症、借金等による社会生活からの孤立感等々。要は生きる事が辛い時、死んで解放されたいと思う。 

それでも簡単には死ねないほど本能にというのは強い。正確にはいつでも死ねるんだから今じゃなくてもいいという先延ばしという逃げを選択してしまう心の弱さ的な自己防衛。 

それを乗り越えて選んだ本人の選択。不幸なようで本人にとっては苦しみから解放されたという幸福を感じるのかも。普通はたどり着けない場所なんだけど年間数万人がいくっていうんだから驚き。 

 

▲3 ▼0 

 

 

=+=+=+=+= 

 

15年くらい前かな。結婚を考えていた恋人の大きな裏切りと職場で大きなミスをして自主退社して欲しいと言われ実質クビになり、実家の母からは結婚を猛烈に追い詰められ(この時母は更年期障害で異常だった)、うつ状態で独り暮らしのマンションに籠り貯金を切り崩す生活をして、毎日死にたくて死にかたを考えていた。 

最後に父にお礼がしたくて何気なく物を取りにいくふりをして実家へ行き、父は察していたのかもしれませんが涙が止まらなくなる生きる価値があったんだと思わせてくれる言葉を私にかけてくれました。 

もう一度頑張ろうと生きる決意をし人生やり直す覚悟をしました。 

 

人って死にたいと思ってもなかなか死ねないし、つらいことだけでなく精神的に病んでるのがどんどんそうなっていく。精神が普通なら死にたいくらいの気持ちでも死のうとは思わないと思う。 

 

立ち直るのに自分の存在価値や居場所は絶対に必要。 

 

▲48 ▼3 

 

=+=+=+=+= 

 

私は死んだら、自分が思ってる以上に損することになるけど、それでもいいの?って思う。 

 

死んだら生まれ変わるとか言う人いるけど、死ぬって、本当にシンプルにこの世界から自分の存在が消えてなくなるってことだと思う。誰かが自分を思い出すことはあるかもだけど、それはあくまで思い出で、自分の存在や自分が感じる感覚や感情はなくなる。 

辛い思いばかりしている人でも、好きなもの食べておいしいと思ったり、テレビや本をみておもしろいと思うこと、もっと些細かもしれない、普段の景色をみて思うこと、とにかく全ての感覚や感情から、死んだ瞬間からなくなる。 

ほんとにいいの?毎日くだらないと思っていたことにも、生きてるからこそ感じる思いや感覚があった。それ全部なくしてしまうけどいいの?って私は思います。 

 

▲7 ▼13 

 

=+=+=+=+= 

 

この答えで少年少女は〔相手は〕わかってくれたのかな。 

本当のところ、なぜ自殺をしてはいけないか本当のところわからないのです。 

「自分の人生」を「自分の意思」で終了させて何が悪いのか…と思ったことがあります。 

悲しむ人がいるから、俺が悲しいからとか、 

そんなの幸せな人の理論というか。親がいるなら親を悲しませたくないというのは理解できます。 

私は親も二人死んでしまったし、一人だし借金とかも背負って追い込まれたら自殺があると思って辛い期間がありました。 

相手に死なれて自分が悲しいから自分のために死なないで、、というのは自殺を考えてる相手の胸に響くのでしょうか。 

あなたのため?でしょってなるような気がします。 

 

▲85 ▼28 

 

=+=+=+=+= 

 

自殺に失敗すると自殺を試みる前よりも悲惨な状況になる可能性がある。 

例えば飛び降りに失敗して全身不随になると、意識だけあって苦しむけど身体は動かなくなり、自殺しようにもできず苦しみだけ多くなる。 

1%未満であっても失敗する確率があるから、それが怖くて自分は自殺ができないというのはある。 

 

▲5 ▼0 

 

=+=+=+=+= 

 

自殺を止める手段かはわかりませんが、自分は常々子どもたちに対していかに君たちが望まれて生まれてきたのかということを話しています。生まれた日のこと、初めて言葉を話した日のこと、初めて寝返りをした日のこと…そのどれもが自分たちにとってかけがえのないものであり、君たちは生まれて生きているだけで宝物なんだよってことを伝えています。今は携帯ですぐ記録を撮れますからその記録を見せながら色々話しています。どんなにこれから辛い日々があったとしても自分たちの存在が生きていいんだという理由になってくれれば…なんて少し思ったりします。 

 

▲13 ▼5 

 

=+=+=+=+= 

 

そこで終わっても良いと思うなら選択肢の一つ。 

でも事を起こすと後始末に色々な人に迷惑をかけます。 

それが親や家族であったり、赤の他人の公務員であったり、掃除の業者だったり。 

この世に生物として生まれ落ちた以上、どう足掻いても致死率100%なんです。 

死にたくなくても絶対死ぬんです。 

全ての生物は死んじゃうのです。 

だったら別に今じゃなくても良いんじゃない? 

って思います。 

死んではいけない義務はありません。 

死ぬ権利は今の日本では認められていません。 

不可抗力で事故とか不治の病とか、なんだか納得出来ない事で死んでしまう人だっていますけど、少なくともそういったものがなく、平均寿命まで生きれる見込みがあるなら、わざわざ自分から死を選ぶ必要は無いんじゃないかと思います。 

 

▲3 ▼0 

 

=+=+=+=+= 

 

本当に自殺する人って、他に回避する手段があることとか、もう少し生きようとかいう思考すら出ないほどの精神状態だから、止めるの難しいんだよね。 

よく「死ぬくらいなら他に出来ることたくさんやってから」とか聞くけど、それどころじゃない。 

周りが察知してやらないとヤバいときもあると思う。そうしたときに、「死んでほしくないから死ぬな」というお願いとか命令でいいから声かけてやれば、救える場合もあると思う。 

 

▲1 ▼0 

 

=+=+=+=+= 

 

生きる事が辛くて、最後 

自分の母と、当時の彼と親しい友人に遺書というのでしょうか 

共通して言えることは「ごめんなさい」といった内容のメモを書いて 

 

ありったけのお酒と 

そのつもりで用意していた海外の睡眠薬を飲めるだけ飲んだ事がありました。 

 

だんだん虚ろになっていく意識の後 

 

目覚めたのは2日後の朝でした。 

ですが、その時「生きてて良かった」と思いました。 

 

若い時ほど思いつめる時は、きっと誰にもあるかと思います。でも、私その時死ななくて今、良かったと思っているので、ちょっと生きてみてみるのも悪くもないかもしれないですよ。 

 

▲4 ▼2 

 

=+=+=+=+= 

 

命は大切にして欲しい。生きて欲しい。生きられない人の分まで生き抜いて欲しい。イジメなどの小さくて単純な理由では死なないで欲しい。生きるからには、幸せでいて欲しい。誰をも恨まず、また自己実現して、他者の役に立って欲しい。悪魔の声は聞かずして、愛を持ってただ自己研鑽に励んで欲しい。健康でいてくれさえいたら、他者は何もあなたに望んでなどいない。ただ生きていて存在してくれるだけでいい。 

 

▲3 ▼22 

 

=+=+=+=+= 

 

話した事は無いけど存在は知っているくらいの間柄でも、今まで存在していた人がいなくなった時の喪失感って結構つらいんだよな 

その人の生い立ちや、自分が会った事の無いその人の家族の事など勝手に想像してはさらに気持ちが落ちる 

人間は生まれた時に確定しているものは死だけであるというが、心のどこかでまだ自分には無関係だと思っているところがある 

死とは無関係なはずの自分が、他人とは言えやはり人は死ぬのだなとその現実を突きつけられるとやはりつらい 

ましてやその家族や知り合いとなると悲しみは計り知れない 

 

▲44 ▼3 

 

 

=+=+=+=+= 

 

人生色々あるから辛かったり、キツかったり。 

逃げ出したいこともある。 

でもだから自殺とは考えない。 

多分自殺を考える人と考えない人の違いは性格の違いがあると思う。 

自分のキャパを超えて追い込んだり、 

何事も悲観的だったりすると自殺の方に進む。 

性格でなく想像もある。 

例えば自分の家族や友人が自殺したら、相当苦しむ。だからその逆も当然あるから、自分が自殺したら家族や友人を苦しめたくないと思う。 

幼少期、親や周囲がどう接して来たかも、 

自殺するしないにかなり影響すると思う。 

 

▲61 ▼26 

 

=+=+=+=+= 

 

生物には生存本能があり、本質的に自殺しません。人は自殺を選ぶ人がいますが、それは生存本能よりも自殺願望が勝る時があるからです。 

故に自殺願望を持つ人を思い止まらせる為には、その人の生存本能に訴える必要があります。 

ひろゆき氏が言うように自分が死ぬと悲しむ人がいると思わせるだけでも思い止まったりします。 

人は希望を失う事で自殺願望が生まれます。 

故に私は日頃から他人に対して希望の持てる前向きな話をするようにしています。 

 

▲131 ▼22 

 

=+=+=+=+= 

 

これだけ情報に溢れてて、気になったことがすぐにスマホでわかってしまう若者にとったら未来が見えたり想像できたりしますよね。 

だから未来に期待ができなくなったり、変に悟ってしまうのかな⁇ 

 

誰かに嫌なことされたり、言われたりという以外でも、自殺したいと思う人が増えてくると思います。 

それでも若者たちに生きる理由を、生きる楽しみを教えていくのが大人の役目ではないでしょうか? 

 

▲64 ▼17 

 

=+=+=+=+= 

 

私は学生時代イジメられてました。ツラくて自殺直前までいったのを覚えてます。しかし今振り返ればたしかに相手も許せなかったのですがなによりも自分自身が許せなかったのかなと思います。 

大丈夫!今では立派なダメ人間になりましたがなんとか生きてますのでどうか死以外の道を見つけてください!必ずあります! 

 

▲8 ▼1 

 

=+=+=+=+= 

 

人が死のうと考えた時、その障壁となるのは親などの近親者が悲しむ事と死への恐怖しか無い。 

誰かを巻き込んで、迷惑をかけて死ぬのなら社会的な影響も有るだろうが、何処かでひっそりと死ぬなら全く問題は無いと感じます。 

生まれることが自然なことと同じく、死ぬ事もまた自然な事。 

他の動物は自殺しない、自殺は不自然な事だという意見も有るだろうが、人間は寿命以上に生存しているという点で、そもそも不自然なものなので、自身の意思で死ぬのもあり得ると考えます。 

そもそも、少なくとも今の日本においてはお金がなければ生きてはいけず、経済的に行き詰まり、生活保護も借金もできなければ、立ち所に行きてはいけなくなってしまう。 

私は過度に自殺を否定はしません。 

悲しむ人と死への恐怖を考えて尚、死ぬ意思が固ければ、ひっそりと自殺すれば良いと感じます。 

 

▲1 ▼0 

 

=+=+=+=+= 

 

自殺っていうと強い言葉ですが、安楽死と言えば途端に引き寄せられる人達が多くなると思っています。 

ひろゆき氏が言っているように、悲しむ人がいるからという理由はもっともだと思います。ただ、誤解を恐れずに言えば、鬱とかそういう状態でなくとも、死に惹かれる人というのはいるのではないかと。 

私は動物愛が人間愛よりも強いので、動物を犠牲にしてまで私は生きるに値する人間か、みたいな、エアポケットのような時間が訪れる時はあります。 

 

記事からは飛躍し過ぎですが、死のタブーが強い日本だから、そういう部分は哲学的思考が進んで、もっと個人の人生観が尊重されていって良いのではと、正直思います。特にこれから先の時代です。 

気候変動が大変な今の時代に生きるのは、これまでよりも困難になり、生きていくのがただ辛いという人は増えるのでは。何が何でも死んではいけない、というのも、キツいものがあると思うのです。 

 

▲3 ▼0 

 

=+=+=+=+= 

 

前に精神科医の先生の講演で言ってたんだけど、「自殺したい時に自殺しちゃいけません。何故かというとその時の思考回路は死ぬか死なないか、イチかゼロかの『イチゼロ思考』に陥ってるからです。これは過度のストレスを回避しようとして途中をすっ飛ばす心理システムに依るものです。もし死ぬ以外に解決方法があっても、脳と心がそれを選ばせてくれない状態に陥ってるんですよ。だから自殺したい時は一旦止めて、また複数から選択できる状態に戻ってから再度考えるべきなんです。」と言ってた。 

例えば少年少女だったら、「いじめで死にたい=死ぬしかない」を「とりあえず遠くに逃げ出す=それから復讐を考える」みたいに、複数選択肢が増える段階まで先送りするってことだろうな。 

 

▲5 ▼3 

 

=+=+=+=+= 

 

自殺したい人の多くは苦しい環境から逃げられなくなってしまった人が多い気がする 

環境が大きく変われば生きてもいいなと思える人って沢山いると思う 

現世ににいたくないから死にたい 

そんなふうに追い詰められた人がちゃんと逃げられるきっかけが多くある社会になって欲しい 

 

▲11 ▼0 

 

=+=+=+=+= 

 

なかなか本質をついていると思う。 

外国で事故が起きるとまず日本人はいないという。 

遠い外国で戦争で沢山殺されているが、どこまで思いを共有できるか。 

毎日誰かが亡くなっているが、身内とか友人とか時間を共有していないとあまり感情は動かない。 

赤の他人が亡くなってもあまり関係がないが、思いを馳せる人になりたいという希望はある。 

みんながそういう思いになれば戦争などはなくなる。 

自分が嫌だからやめてくれというのはエゴではあるが、そういう気持ちがないのに生きてほしいなどというよりは正直だ。それは相手にも伝わる。 

本当にやめてほしいと思うのは親だ。 

自分は楽になるかもしれないが、それはエゴでもある。 

親や周りの人が悲しんだり苦しむからやめようというのは利他の行動だ。 

釈尊は利他の行動は自分を救うと説いている。 

遠慮なく周りに相談して助けてもらえば自他ともに幸福になる。 

 

▲0 ▼1 

 

=+=+=+=+= 

 

もう20年、そういう最期について考えてきた。それについて考えない日がなかったくらいだし、いつかそれを選ぶものだと思っていたし今でも思ってる。けど、5年前に子供ができて、初めて気持ちに変化が起こった。離婚して離れて暮らしてるが、時々話すたびに「これは死ねないな」と思う自分がいる。最期の期限は決めているのだが、その日が来た時に、本当にそれを実行できるかわからない。諦めてストレス死を覚悟で生き続ける気もする 

 

▲8 ▼5 

 

 

=+=+=+=+= 

 

思いやりに尽きると思う 

誰にだって好きな人、大切な人は必ずいる 

家族、恋人ほかにも誰かしら必ず居る 

その中の一人でも自殺したいっていう人がいいたらどう思います? 

自ら命を絶つ前にどうか悲しむ側の人、思いやりを思い出してほしい 

誰にでも悲しむ人は必ずいます 

命は尊いものです 

やっぱり悲しい思いをさせてはいけないと思います 

 

▲0 ▼5 

 

=+=+=+=+= 

 

自分を思ってくれる人がいる、ということは、ある程度の自殺抑止力として有効だと思います。 

 

しかしそれが有効な相手は「特になんとなく自殺してみよっかな〜って言ったらどうする?」って聞いて回るような「なんとなく死んだら派」がメインかと。 

 

自殺抑止力よりも、生きることの苦痛の方が上回ったらどうするか…… いや、もう少し正確に言うと、この先まで生き続けた場合の自分の人生の幸せの期待値と抑止力の合計よりも、いま生きることの苦痛の感覚のほうが勝ってしまったら、人はどうしても死にたくなってしまうかもしれない。 

 

私の場合で考えると、私は世界と相思相愛の関係にある、という尊厳のプライドを持っており、それよりも生きる苦痛が上回ろうとしたとき、世界に対して「裏切られたのか?」と疑う。そのとき感じる世界に対する恨みはおそるべきものだが、怒りは世界ではなく自分に向く。自分で自分を許せなくなる。 

 

なんたるマゾ 

 

▲1 ▼0 

 

=+=+=+=+= 

 

私は自殺には反対の立場です。 

せっかく奇跡的な確率で生まれてきたのに、簡単に死ぬのはもったいないとの考えからです。 

併せて、どうしても自殺したい人間を止めるのは、不可能に近いほど難しいとも考えています。 

 

『死』は元に戻すことが出来ない究極の事柄です。 

人間は回復できない間違いを怖れますので、普通は自殺を選択肢に入れること自体ないでしょう。 

従って、自殺を選択するほどの理由が当人にあるのならば、その選択を覆すことは、私には不可能だと思うのです。 

 

そして、それほどの強い思いで自殺を選択した人間は、誰にも相談せず、実行に移すだろうとも考えています。 

逆に、家族であれ、他人に相談する段階であれば、自殺を思いとどまらせることは出来るのではないのかなあと考えています。 

何故ならば、相談すると言うことは、自殺は選択肢の一つであり、まだ当人の中で結論が出ていないという事でしょうから。 

 

▲4 ▼2 

 

=+=+=+=+= 

 

休職期間中に2回自殺未遂してしまいました。 メンタルの主治医に打ち明けましたが止めることが出来ず、一回目よりも二回目の方が思いとどまる力が弱かったです。三回目はどうなるか自分でも分からない。 

自殺をしてしまう人は回りに相談しようとかそう言うのはとっくに過ぎてしまっている人も居ると思う。 回りが悲しむから止めようと思い止まれるのは良いことだと思うけど、してしまった人はそれはそれで悪くないと思う。 

結局は回りがどう言おうがその人が耐えられなかったらそうなってしまうわけで。  

それならば死に方ではなく生き方として回りを認めさせる事が重要なのではないかと思う。 

もしこの先日本でも自殺補助も含めた安楽死が施行されるのならばそこで回りの人に自分の生き方をキチンと伝えられたか問う場面を必ず設けて欲しい。 そこで思い止まれるならそれにこしたことはないから。 

 

▲7 ▼0 

 

=+=+=+=+= 

 

この回答は、とても優しい気持ちになりました。 

 

自殺=とても悩んだすえ 

と、思われがちですが、突発的に思い付いて、その行動をしたら、死んじゃうんですよ。 

よく精神的に悩んでいない人が「死ぬ死ぬ言う人は、結局、死なない」ってネットで見かけた事があるんですが、 

悩みを聞いてくれた友達が陰でこんな事をいっていたら、自分だったら、殺してしまうかも。 

毎日がどれほど焦げ臭いとか、生活の画面に色がないとか、いつも洗濯機の中で振り回されてる重圧とかさ。自分は介抱に向かう過程で話した事があるけれど、誰もまともに聞かなかった。他人の痛みはわからない。そんなもんだよ。 

 

▲1 ▼0 

 

=+=+=+=+= 

 

いじめや人生の絶望を味わいましたが、自分の場合はその原因が明らかだったので、そいつと相打ちで死のうというギリギリまで行った事があります。ほんとに相手の出方次第の一歩間違ったらのギリギリの所でした。覚えてるのはその時に一瞬親の顔が浮かんだことですかね。でも一瞬ですよ。その一瞬の間に相手が逃げたとかで物理的に行えなくなっただけです。 

先日のYouTuber刺殺の事件は凄く自分の中では自分の事のように響いてます。 

その後その病んだ気持ちから一発で抜け出せたのは、凄くシンプルでした。そこから離れる選択肢をそれをストップしていた人から提示してもらった事だけでした。(あくまで私の場合です) 

でも、とにかく逃げる。場所を変える。誰も知らない場所へ行き1からやり直せるという選択肢が出てくるだけで踏みとどまれる人は多いと思う。 

どうか自殺したつもりで誰も知らない新たな場所に行ってやり直してみて下さい。 

 

▲6 ▼0 

 

=+=+=+=+= 

 

借金から逃げ回るよりかは楽になるのかもしれない。でもブラック企業とかで飼い殺しされているのなら、最悪の選択よりかは、飛ぶ方が楽だと思う。 

離職証明とかややこしいこと言う会社はあるけれども、今の時代、理由を言えば何とかなることも多い。出さない会社もあるくらいだからね。 

私もブラック企業経験者ですけれども、辞めることで世界が広くなりました。井の中の蛙大海を知ることが出来ないのがブラック企業。勇気を出して最悪の選択をするよりも、辞める勇気の方が簡単だよ。 

退職願ではなく退職届を書く。小さなことだけれども会社の処理の仕方は大きく変わるから。 

 

▲13 ▼0 

 

=+=+=+=+= 

 

悲しむ人がいたり、自殺することで迷惑を被る人がいるからしない方がいいと思う 

 

ただ、生きてても周りを悲しませたり迷惑をかける人もいるので、結局は自殺しない方がいい人と自殺しても別にいいんじゃないと言う人に分かれるんだと思う 

 

家族がいる人は自殺したらダメだよね 

 

自殺について義務教育でしっかり取り組むべきと思う 

 

▲38 ▼22 

 

=+=+=+=+= 

 

悲しむということも重要なのですが、残された家族、友人知人などが悲惨な思いをし、特に親族は世間に顔向けもできないような状況になる可能性が高いと思い、それが非常に問題であると思います。 

しかし、根本的なことを言えば自殺を止める根拠というのはないですね。 

個々の人が「何故私は生きているのか」を徹底的に考えるしか生きる意味を見つける方法は無いです。 

私は子供の頃にそれを考えて、生きる意味を見つけたのです。 

 

▲2 ▼1 

 

=+=+=+=+= 

 

自分だったら、富士山で日の出(御来光)を見ようと。 

 

登山口の五号目で見たとき、理屈でなく「あ〜、生かされているんだ」と感じました。 

 

後は、海️船に乗って、360度の星空を見る️時化で荒れて死にそうになっても、陸で揺れないだけでどんなに幸せか痛感出来ます。 

 

▲1 ▼0 

 

 

=+=+=+=+= 

 

本当に自殺したい人は相談せず死ぬ。 

こうやって相談してくる人は、心のどこかで止めて欲しいから相談をする。 

 

だから無理に自殺を止めようとか、良いことを言おうとか、諭そうみたいなことを考えず、「どうしたの?死んで欲しくないから話してみて?」って聞いてあげるのが正解だと思う。 

 

少なくとも、自分だったらそれが1番救われる。 

 

▲8 ▼1 

 

=+=+=+=+= 

 

自殺してはいけない、なんてことはないと思いますよ。 

例えば今から80年ほど前の日本では、敵に捕まるくらいなら自殺しろ、という価値観がありました。国家がある場面では、生きるより自殺を選べとする時代もあったのです。 

恐らく、我が国も官許の自殺ともいうべき尊厳死が認められるのではと思います。時期としては、いわゆる氷河期世代が年金受給者となる10年後程度を予想しています。 

人の生き死になんて、そんなもんです。他人が悲しむかなぁ、なんて気にする人は、恐らく死なないです。 

生きたいという思いが容認されるのと同様、逆も容認されることもあるはずです。 

 

▲7 ▼0 

 

=+=+=+=+= 

 

家族や親しい人などが悲しむ、それはあると思います。 

しかし、その軛が無くなってしまったとしたらどうでしょうか? 

生を諦める程の苦痛を赤の他人の為に耐えるというのはとても難しい事の様に思えます。 

まず他人に迷惑を可能な限り掛けない、これが重要だと思います。 

 

▲0 ▼2 

 

=+=+=+=+= 

 

正常な精神状態では自死はしないから、死んでしまうのは心の病気で死に至るということで、体の病気と同じで仕方ないことなのかなと思うようになりました。 

死に至る病気になったから死んでしまった、と考える。 

したがって死によって抗議するとか誰かに報復するとかはできない。 

病になるには原因はあるものだけど 

、同じ条件下でも病気にならないひと、助かる人もいる。ただそれも運命。自死はあくまでも病のせい。 

病で亡くなるのは仕方ない。 

死にたい気持ちになったとしても、実行しない人の方が多い。本当に亡くなってしまうのは病がどうしようもないくらい進行してしまったから。仕方ないのだと思います。 

どうして死んではいけないのですかという質問自体ナンセンス。 

正常な人は実際に自死することはないので。 

 

▲9 ▼3 

 

=+=+=+=+= 

 

その人が健康体だったら間違いなく自殺を止める。 

もし治らない(もしくは治らないと思われる)病気で苦しんでいるとしたら、悲しいからと言って止めることは出来ないかもしれない。 

イジメとかの問題なら逃げることも出来るけど、病気からは逃げられない。 

もしかしたら治療方法が見つかる未来もあるかもだけど、希望を絶やさずに苦しみながら待つのはかなりしんどい。 

自分も治るかどうかわからない原因不明の症状に悩まされた時は、苦しみから逃れたい一心で自殺を試みるしかなかった。 

今は取り敢えず寛解状態だけど、次にまた同じ症状になったら再度耐えられる自信はない。 

 

▲5 ▼0 

 

=+=+=+=+= 

 

難しいテーマ。 

したければすればいいし、自殺をしたらいけないと旧約聖書のように縛るつもりはないけど、一歩立ち止まって考えるのも大切だと思う。 

私も死にたい時期があったし、成功しているとは言えないけど、楽しいこともあるよ。 

極論言えば、一人でも生きていける。 

生き抜くかどうかは、他人に言われて決めるのではなく、自分で生き抜かないと。 

 

▲1 ▼0 

 

=+=+=+=+= 

 

自殺だって人殺しだからね 

自分に非がないのであれば、自分を殺すようなことがあってはならない 

 

また、生きたくても生きられない人が大勢いる 

命を簡単に考えちゃならない 

 

他人のことなんかどうでもいい、そんな考えでは勿体なく、他人を想いやれる、他人の立場で考えられる、他人を尊重出来る、それはいつか自分の財産となる 

 

▲0 ▼4 

 

=+=+=+=+= 

 

うちの妻は弟が中学生で自死している自死遺族です 

結婚してから、ずっと精神が不安定でしたが、こどもが生まれて成長過程で友達と諍いを起こしたりすると、こどもに何してくれるのかと相手の親にくってかかり、まさにモンスターペアレントでした。こどもがいじめられるのが余程怖かったんだと思います。 

結果仲の良かったママ友と疎遠になり、みたいな繰り返しで孤独感を味わうことでより精神が不安定になり、精神科に入院したこともあります。 

死んでしまえば自分の一生は終わりですが、家族はその後も死ぬまで苦しみを背負います。 

それが分からないようになってしまうから死を選ぶのだとわかってはいますが、残念です。 

 

▲18 ▼0 

 

=+=+=+=+= 

 

自殺したければすればいい、そうする権利は誰にでもあると思うが。ただし、やるなら誰にも質問なんかしないで、最初から最後まで一人でやるべきだ。 

「どうして自殺してはいけないのか?」と他人へ問いかけること自体、誰か他人に「やってはいけない」と言ってほしいと思っている証拠なのだから、そんなことを聞くくらいなら、自分で思い止まっても同じこと。 

少なくとも、「自殺してはいけないか?」と他人に問いかけすることによって、その相手に重荷を背負わせて不幸にしていることは間違いない。そんな権利は貴方にはないのですよ。 

もし聞きたければ人間以外のAIにでも聞けばいい。 

 

▲17 ▼9 

 

=+=+=+=+= 

 

自殺まで行き着いてしまうのはもう行き場がなかったり八方塞がりで現状から逃げようがない状況だったりすると思うけど、実際は意外な程やりようや逃げようがあったりすることもある。自分がまだ10代だった頃は地元と限られた人脈の世界しか知らなかったから、そこで失敗すると全てが終わった気になったけど、東京へ出たり海外に住んでみると本当に世界が広くてその分価値観や生き方にも多様性を知れて地元の頃なんて世界のほんの一部にしか過ぎなかったとその時分かった。 

 

今目の前のことが世の中の全てじゃないと思えると、自分の事も世の中の事もそれぞれの価値観として受けとめられるようになる。その景色を見るまでは自分を終わらせずにまずは外に目を向けてみたらいい。 

 

▲118 ▼9 

 

 

=+=+=+=+= 

 

友達や知り合いに相談する人は、大抵、思い留まるそうです! 

独りにしない事が最も重要だと思います! 

自殺すると天国に行けないそうですが、試した事も自殺なんて考えた事無いから、分かりませんが! 

どんな事があっても、明日は必ず来るから! 

生きられる間は生きてないと、全て捨ててリセットする勇気を持とう! 

絶対出来るから! 

出来ないと言うことは、世界で一番難しい事なんです! 

何故なら、出来ると言う可能性を全て打ち消さないと、出来ないとは言えないから! 

これは、白洲次郎のことばです! 

大丈夫ですよ!絶対出来るから! 

死ぬ事は、生まれた瞬間に決まって居るんです、人類全て!焦ることは在りません、精一杯生きる事で幸せは訪れますよ! 

諦めずに 

 

▲1 ▼5 

 

=+=+=+=+= 

 

普通に生きることすら辛い世の中。それに加えて、連日の暗いニュースやSNS、さらにイジメ等があれば希望が見れず気持ちは分かるよ。俺も毎日必ず4にたいと思ってる。家族がいるのに。そう思ってる時って、大切な家族のことも思えなくなるよね。命の電話も全然繋がらないし、相談する人に暗い気持ちになって欲しくないから、相談すら出来ない。産まれてすぐ両親がなくさらに障害も持ち、何しても中途半端な自分が凄く嫌い。そんな自分の背中を子供たちに見せてると思うと、やるせなくなる。早く寿命が来ないかと毎日思ってます。そして、2度と人間なんかに生まれ変わりたくないと強く思ってます。生きるって大変ですよね。 

そんな気持ちになってる人はあなただけではないと思って、少しでも気を楽に出来たらと思います。そして、あと1日だけと思って毎日楽しくなることを見つけてみて下さい。 

 

▲0 ▼0 

 

=+=+=+=+= 

 

自殺を考える時って全てを1人で抱え込んでいるときで孤独な時なんだよね。 

その時に誰か一人でも良いから「死んだら悲しい」と言ってくれたら思い止まるには十分なんだよ。 

私自身、10代の頃にそういう気持ちになったことがあって毎日毎日どう逝くかを考えてた。 

だけど、その時にたった1人で育ててくれた親が悲しむだろうなって思いが必ず最後に浮かんできて思い止まったよ。 

あれから数十年経って、自分が親になってからは子供たちのために生きなきゃなって考えしかなくなった。 

家族でも友達でもペットでも良い。 

生きる理由なんてたった一つあれば十分なんだよね。 

 

▲2 ▼0 

 

=+=+=+=+= 

 

死なない方が良いと思う。死ねば終わり、苦しい事も楽しい事も。 生きていたら苦しい事しかないかもしれない、でも生きていないと生きていて良かったと思える瞬間に出会えない。 期待が出来る保証は無いけど・・そんな事しか言えない自分は、生きている必要があるのか微妙。 自分に訪れる幸せを待つよりも、自分から幸せを与えた方が幸せに出会うチャンスは、早く訪れると思うなぁ。 

 

▲17 ▼30 

 

=+=+=+=+= 

 

自殺したり、相手を殺してはいけない理由をきちんと説明するのは難しい。 

 

ただ、自分の近い親族を失った経験のある人なら、亡くなった時のこれ以上ない悲しみや喪失感、絶望感などから感覚的に理解できると思う。 

これは実体験としてでないと理解しにくく、非常に言語化しにくい話だと思う。「生きてるだけで素晴らしい」って、そういうこと。 

 

▲0 ▼1 

 

=+=+=+=+= 

 

ひろゆき氏の答え方では「自分には悲しんでくれる友達も知り合いもいない」と思い込んでいる人を踏みとどまらせることはできないと思います。踏みとどまらせる必要はないと言われればそれまでですが。 

私は、生きたくても病気や怪我で生きられない人もいるのに、自ら命を断つのは、そうした人たちに対してあまりに失礼だから、と考えています。これにも賛否はあると思いますけどね。 

生きていれば必ず良いことがあると私は思います。 

 

▲1 ▼2 

 

=+=+=+=+= 

 

自分も似たような事で答えてたな 

死ぬなとは言えないし辛さも分からない 

けど、何かの縁で知り合った人が居なくなったら寂しい気持ちにはなる 

そういう意味で死んだりすると寂しいなと 

何かあれば話を聞くよ 

みたいな答え方 

 

深く踏み込み過ぎても逆効果、踏み込まなくても逆効果 

となると当たり障りのないことしか言えなくなってしまうってのはあるんだけども、気にする人が1人はいるよというのに気づいて欲しいと 

 

▲0 ▼1 

 

=+=+=+=+= 

 

私の友人は20代で事故で亡くなりました。その人には恋人がいて、まだまだ人生でやりたいこともあっただろうにな。 

私は生きてて辛いことやしんどいことがあっても、あの友人が生きたくても生きられなかった分、しっかり生きなきゃなと思うようしてます。 

 

▲4 ▼0 

 

=+=+=+=+= 

 

子供なら親や祖父母などが守ってくれる所は多いでしょう。 

よりどころがあるなら、それを支えに出来るかもしれない。 

 

しかし。成人ならどうなの? 

自分で稼ぎ、暮らしで行きづまった場合、どこかよりどころが無い人は? 

会社が個人の事まで考える訳もない。社員は駒なのだよね。 

自殺を選択する人は、人付き合いも苦手で孤立ぎみ。 

そういう方に、誰かが悲しむからと言うのは、通じる事だろうか。 

 

ただ、孤立している方と「無関係の人」へ悩みなどを話してスッキリする場合もあるのは事実なので、そこで生きる力を取り戻す事が出来るのであれば、とは思うので、命の電話などの存在は大事なのでしょうが、名称が重すぎるかもしれないとも思っている。 

 

▲11 ▼0 

 

=+=+=+=+= 

 

人生は生きる道のうえでの経験なんだよね。 

死にたいくらい、つらい。っていう人はけっこういると思う。それが一過性なのか、長く辛いおもいなのか、人それぞれだと思う。 

つらい経験があったから、今生きていて色々感じられるし、人に教えてあげたりできる人間になるんだよ。 

死んだらおしまい。せっかく生まれてきたんだから、生きてみてもいいかもよ? 

 

▲4 ▼5 

 

 

 
 

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