( 278671 )  2025/03/29 05:50:07  
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女性専用車両のイメージ(画像:写真AC) 

 

「女尊男卑って本気で言ってる?」 

 

コントユニット「ダウ90000」の吉原怜那氏が、YouTube番組「NewsPicks」に出演し、女性専用車両など女性を巡る制度について語った際の言葉が、SNSを中心に議論を呼んでいる。 

 

吉原氏は、女性専用車両や男性禁止のプリクラ機について「これは女性を守るためのものであり、優遇ではない」と指摘し、 

 

「そこの背景をすっ飛ばして“男性差別だ”と主張するのは、お門違いも甚だしい」 

 

と断じた(『スポニチアネックス』3月27日付け記事)。 

 

 一方、ネット上では 

 

「男性が乗れないのは不公平だ」 

「女性ばかりが優遇されている」 

 

といった反発の声も根強い。しかし、これらの主張は女性専用車両の成り立ちや目的を無視したものであり、「女尊男卑」批判は的外れだ。以下、その理由を詳しく見ていく。 

 

女性専用車両のイメージ(画像:写真AC) 

 

 女尊男卑(男性差別)とは、男性に対する不当な性別差別を指す概念であり、対義語は男尊女卑や女性差別である。 

 

 これに対抗する運動として、 

 

・男性解放運動(メンズリブ) 

・マスキュリズム(フェミニズムに対して、男性の権利や立場を強化することを意識的に指向する運動や思想) 

 

が存在し、国際的には1999年から毎年11月19日が「国際男性デー」として定められている。この日は男性や少年の健康、ジェンダー平等、男性ロールモデルの形成などを促進する活動が行われている。 

 

 マスキュリストのワレン・ファレルは、性差別は一方向的ではなく双方向的で、男性と女性の両方が抑圧されていると論じている。しかし、社会学者(男性学)の田中俊之はこの見解に疑問を呈し、理論的な説得力に欠けると批判している。 

 

 女尊男卑の具体的な事例としては、 

 

・米国の選抜徴兵登録制度 

・男性が被害者となる事件に対する偏見 

・英国の自動車保険料の男女格差 

 

が挙げられる。韓国では女尊男卑が兵役などに関連していると考えられている。 

 

このように、女尊男卑に関する議論は多様で、性別に基づく差別の問題が双方に存在することを示唆している。用語自体は、今回のようにヒステリックに語られるものではない。 

 

 

女性専用車両のイメージ(画像:写真AC) 

 

 さて、今回の件だ。 

 

 まず押さえておくべきは、女性専用車両が設けられた背景である。日本の女性専用車両は、1912(明治45)年に東京府の中央線で始まった「婦人専用電車」が最初だ。この目的は痴漢などの犯罪を防ぐことで、特に女学生の安全を守るために導入されたといわれている(佐藤美知男『鉄道物語 はじめて鉄道に乗ったあの日』)。実に 

 

「113年前」 

 

から同じようなことが起きていたのだ。戦後、通勤ラッシュの混雑を解消するために、1947(昭和22)年に「婦人子供専用車」が登場したが、1950年代に廃止された。それでも、女性専用車両はその後も一部で運行されていた。2000年代に入ると、痴漢行為が 

 

「社会問題」 

 

となり、2000(平成12)年に京王電鉄で女性専用車両が試験的に導入された。2001年には本格的に導入が進み、国土交通省の推進により、2005年頃から各鉄道会社が導入を広げていった。 

 

 ということで設置の最大の理由は、痴漢被害の深刻さにある。どう見ても「女尊男卑」とは無関係だ。電車内で発生する痴漢の被害者の大半は女性であり、特に満員電車の時間帯に集中している。 

 

 鉄道各社にとっても、痴漢対策は避けて通れない課題だ。痴漢事件が発生すると被害者からの対応要請があり、駅員の業務負担が増すだけでなく、企業イメージの悪化にもつながる。女性専用車両は、こうしたリスクを低減する安全対策であり、鉄道会社にとっても合理的な施策なのだ。つまり、女性専用車両は女性を特別扱いするための優遇措置ではなく、 

 

「被害を減らすための実利的な対策」 

 

に過ぎない。これを女尊男卑と捉えるのは、制度の目的を履き違えているといわざるを得ない。「男性が乗れないのだから差別では」という声もあるが、日本の女性専用車両は法律で乗車を禁止しているわけではなく、あくまで 

 

「お願いベース」 

 

で運用されている。乗車しても罰則はなく、強制力がある制度ではない。 

 

 そもそも、異なる待遇が即差別であるとする考え方自体が誤りだ。例えば、障がい者用トイレや高齢者向けの優先席は、特定の人々がより快適に社会を利用できるようにする配慮であり、健常者差別や若者差別ではない。女性専用車両も同様に、痴漢被害という具体的な問題に対応したものであり、男性排除のための施策ではないのだ。 

 

 

女性専用車両のイメージ(画像:写真AC) 

 

 現代社会でしばしば取り上げられる「女尊男卑」という問題は、単なる感情的な反発から生じているわけではない。むしろ、そこには社会の深層に潜む構造的な課題があることが見えてくる。そのひとつが、いわゆる 

 

「弱者男性問題」 

 

であり、この問題が複雑に絡み合っていることを理解することが、解決への第一歩となる。 

 

 近年、社会においてうまく適応できず、孤立しがちな「弱者男性」が増加している。これらの男性は、経済的にも社会的にも苦しい状況にあり、自己肯定感が低く、社会とのつながりを感じにくい。 

 

 そんななかで彼らが抱える不安や不満は、社会全体の構造的な不平等に対する反発や、個々の問題に対する行き場のない感情に変わることが多い。このような感情が、特定の事例に集中して顕在化することがあるのだ。女性専用車両への視座はその一例だ。女尊男卑という観点から反発する声が上がる背景には、男性が社会でうまく位置づけられずに感じる 

 

・疎外感 

・不公平感 

 

が大きく影響している。女性専用車両が「女尊男卑」だとする主張は、表面的には正当性を持つように見えるかもしれない。しかし、これを単純に差別として扱うことは、問題の本質を見誤ってしまう危険がある。 

 

 それでは、どうすればこのような感情的な反発を乗り越え、より実効性のある解決策を見つけることができるだろうか。それには、まず冷静に 

 

「問題の本質」 

 

を見極めることが求められる。感情に流されることなく、個別の問題を総合的に捉える視点が必要だ。具体的には、社会全体の安全を確保するためには、どのような制度や仕組みが必要なのか、またそれによってどのように全ての人々が公平に守られるのかを考えることが大切である。 

 

 また、社会が直面している問題には、必ずしも単一の答えがあるわけではない。複雑な問題に対しては、多角的に分析を行い、最も有効な解決策を見出すための発想力が必要だ。例えば、女性専用車両という対策を超えて、社会全体で犯罪を減らすための教育や環境整備を進めることが求められる。社会的な不満を解消するためには、ただ感情的に反発するのではなく、問題を正確に理解し、冷静に解決策を模索することが重要だ。 

 

 これに加えて、社会全体で認識すべきは、女性専用車両の設置が男性を排除するためではなく、むしろ 

 

「全ての人々が安全に、安心して移動できる社会」 

 

を作るための手段であるということだ。この点を広く共有し、理解を深めていくことが、今後の社会の進むべき道を照らすことになるだろう。 

 

 

女性専用車両のイメージ(画像:写真AC) 

 

 前述の吉原氏の発言が示すように、「女性専用車両 = 女尊男卑」という批判は、問題の本質を理解していない。痴漢対策という現実的な課題に対応するための施策を、単純に女性優遇と捉えるのは、「議論のすり替え」といえる。本来議論すべきは、 

 

・女性専用車両が痴漢対策として実際に有効なのか 

・それに代わるより効果的な策があるのか 

 

という点であり、公共交通の安全をどう確保するかが重要な課題だ。社会全体の構造改革として、どのように解決していくかを考えることが必要だろう。 

 

 公共交通は、全ての人が安全かつ快適に利用できるものでなければならない。「女尊男卑だ」といった表面的な対立ではなく、現実的で持続可能な解決策を模索し、女性専用車両はその目的を果たすための一手段に過ぎないことを認識し、男女を問わず全ての人が安全で快適に利用できる公共交通を実現するために、社会全体で協力していくことが重要だ。その上で、弱者男性を単なる 

 

「憐れむべき存在」 

 

として捉えたり、他人事のように扱うことは避けるべきだ。彼らは「敵」ではない。彼らの苦しみは、私たちと同じ社会でともに生きる「仲間」として感じるべきものであり、その苦境を理解し、解決に向けて手を差し伸べることが求められる。 

 

 彼らは“負け組”でもなんでもなく「仲間」であり、私たちが直面している問題の一部として真摯に向き合い、ともによりよい社会を作り上げていくことが肝要だ。 

 

伊綾英生(ライター) 

 

 

 
 

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