( 280021 )  2025/04/03 06:56:29  
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 米価の高騰を受け、政府備蓄米の店頭販売が始まった。これにより、流通の目詰まりが解消できるとともに、相場の下落を引き起こせる。そう政府も目論んでいたことだろう。だが実際には“備蓄米放出”という英断が、思ったような効果を見せていないようだ。経済誌プレジデントの元編集長で作家の小倉健一氏が、まだまだ終わる気配を見せない「令和のコメ騒動」を解説するーー。 

 

 政府は備蓄米の放出を開始した。全国の店舗に順次並び始めている。消費者はようやく価格が下がるかと期待した。しかし、政府が思ったような展開にはならなかったようだ。販売価格は5キロあたり3200〜3800円。スーパーで販売されているあきたこまちは4000円を超えだ。見かけ上、価格差は1〜2割とされるが、品種がまったく異なる以上、その差は当然であり、値下げの実感にはつながらない。 

 

 JAは備蓄米で利益を出さないと言い、農水省は入札価格を上げない努力をしたと言う。それらはすべて無意味である。売値は市場で決まり、誰が何円で買い取ったかは最終価格に影響しない。入札価格を抑えても、店頭価格が下がらなければ何の意味もない。まったく効果がない対策を「功績」として発表する農水省と自民党は、国民を愚弄しているのだろうか。 

 

 本当に価格が下がったと言えるのは、あきたこまち、ひとめぼれ、つや姫など、普段から食卓に並ぶ品種の価格が明確に下がったときだけである。品種も品質も異なるブレンド米を安く売っておきながら、「価格が下がった」と言い張る姿勢は詐欺的ですらある。消費者は何も救われていない。 

 

 市場価格が5キロ4000円なら、200円で仕入れようが1万円で仕入れようが、4000円でしか売れないのがマーケットである。中国系の転売屋を含む中小流通業者を悪者にする主張がすでに論理破綻していることに、なぜ気づけないのだろうか。 

 

 価格高騰の責任を一部の業者や流通に押し付ける行為は、責任転嫁でしかない。本当に非難されるべきは、農水省と自民党が何十年にもわたり繰り返してきた農政の誤りである。とくに減反政策という名の生産抑制策が、今日のコメ不足の最大の原因である。農家には作る自由があるという建前を振りかざしているが、実際にはJAを通じて「生産目安」が配られ、「転作指導」が続けられている。 

 

 

 農家はあくまで目安だと知りつつ、従わなければ不利益を受けるという恐怖感から、実質的に従わざるを得ない。これは自由ではなく、統制である。 

 

 多くの農家自身が語っていることだ。「自分はもっと作れるが、作ってはいけない雰囲気があった」と。農協からの書類には転作を促す項目があり、これを無視すると立場が悪くなる。こうした構造が「令和の米騒動」と呼ばれるほどの価格高騰を招いた。消費者の声は無視され、農家の声は押し潰されてきた。主犯は自民党であり、それを支えてきたのが農水省である。 

 

 減反政策は2018年に「廃止」されたことになっている。しかし、実態は何も変わっていない。農家のもとには今も毎年、農協から「主食用米の生産目安」が書かれた用紙が届く。平成の時代と同じく、「どれくらい作るか」「どれくらい転作するか」が明示され、農家はその数字に沿って動く。形式上は自由だとしても、目安を無視すれば不利益を受けるという空気が支配している。農家が自由に判断できる状態とは到底言えない。 

 

 転作を進めれば補助金が出る。この制度は、作らせないことで税金を配るという異常な構造をつくり出した。生産を抑えることに報酬が発生する農業など、経済として成立しない。消費者が高い金を払って米を買い、農家が作ることを制限され、国がその差を税金で埋めている。この構造に対して、農水省と自民党は何十年にもわたり一切の反省をしてこなかった。 

 

 農家が減反政策に従ってきたせいで、生産能力そのものが低下している。使われなくなった農機は朽ち、整備されない田畑は荒れ、後継者不足も加速した。いまさら増産と言われても、準備する余力がない。田植えから収穫までには膨大な人手と資金がかかる。減反政策が生んだのは、農家から未来を奪い、農業全体の持続可能性を破壊したことである。 

 

 自民党の政治家は農村票を得るために農協と結託し、票田と補助金のバランスを保つことしか考えてこなかった。農水省の官僚は、現場を見ずにデータと制度設計ばかりをいじってきた。その結果が、いま目の前で起きている「米不足」であり「価格の異常高騰」である。消費者は高い金を払い、農家は作りたくても作れず、政府は備蓄米を出して「対応した」と言う。これほど滑稽な話はない。 

 

 

 農水省はこのようなすり替えを常習的に行ってきた。制度を変えず、数字をいじり、見かけだけ整える。その背後には、現場の困窮を見ようとしない行政の怠慢がある。問題の本質を捉えず、対症療法に終始する。過去の誤った政策が生んだ混乱の責任を棚に上げ、今なお農家を制限し、消費者を欺いている。 

 

 日本の農政が失敗の連続だったことは歴史が証明している。1971年から始まった減反政策は、米の過剰生産を抑えるために始まった。価格の維持を目的に、生産量を人為的に制限した。その後も「作らないことに補助金を出す」という異常な政策は半世紀にわたって続けられた。表向きには2018年に制度が廃止されたとされているが、実際には今も「生産目安」や「転作指導」という形で事実上の減反は続いている。農協からの通知は、減反時代とほぼ同じ構成であり、農家の作付け行動に強い影響を及ぼしている。 

 

 このような政策を長年にわたり推進してきたのが農水省であり、それを政治的に支えてきたのが自民党である。農家の自主性を奪い、競争を否定し、行政と農協による統制経済を築いてきた。農家が独立して市場で勝負する機会は奪われ、設備投資も進まず、技術革新も停滞した。その結果が、農業全体の衰退と米の供給能力の低下である。 

 

 価格を安定させることと、生産を抑えることは、まったく別の問題である。政府はこの2つを混同し、供給量を絞れば価格が上がるという単純な論理だけを信じ続けてきた。実際には、価格が上がれば消費が減る。消費が減れば需要が縮小する。結果として、市場そのものが小さくなり、農家が儲からない構造が固定化された。高価格政策は農業を豊かにするどころか、農家と消費者を同時に苦しめる結果となった。 

 

 海外では、農産物の輸出拡大が成長の鍵となっている。米国、オーストラリア、タイ、ベトナムは、世界市場で米を売ることで農業所得を確保している。日本だけが、国内での生産を抑え、輸出を拡大する努力を怠ってきた。ミニマムアクセス米として年間77万トンの外国米を輸入する一方で、輸出はたった1万数千トンにすぎない。内外の需給バランスを完全に無視した政策である。 

 

 高品質な日本米を世界に売るという発想を、本格的に取り入れたのはごく最近である。それまでは「作るな」「売るな」「備蓄しろ」の三拍子が揃った完全な内向き農政が続いていた。 

 

 

 輸出を制限し、国内市場で調整しようとする考え方は、グローバル経済の中では通用しない。自民党は農協の支持を得るために、改革よりも保身を選び、官僚組織は制度を維持することに執着してしまったのだ。 

 

 米は単なる商品ではない。日々の食を支える国民の主食である。その米が手に入らなくなるというのは、国家の機能が壊れていることを意味する。備蓄米を小出しにして騙すような政策では、未来はない。真に必要なのは、農業を再建するビジョンと、それを支える政策である。減反という名の愚策を捨て、作る自由、売る自由、選ぶ自由を取り戻さなければならない。 

 

 米不足と価格高騰の責任は、農家にも流通にもない。農水省と自民党にこそ、その全責任がある。国民はその責任を忘れてはならない。未来の食を守るために、農政の過去を直視しなければならない。 

 

小倉健一 

 

 

 
 

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