( 280691 )  2025/04/06 04:26:41  
00

大学入学共通テストの会場に向かう受験生=2025年1月18日、東京都文京区【時事通信社】 

 

 与党と日本維新の会の3党合意によって、来年4月からは私立高校について所得制限なく上限45万7000円の支援金が支給される見通しとなった。事実上の私立高校の運営を公的資金で行うとの決定である。今後の私学運営はもとより、後期中等教育全体に劇的な変化をもたらす可能性がある決定がかくも短期間に決定されたことに驚きを禁じ得ない。その勢いをかってか、元教育無償化を実現する会代表で日本維新の会共同代表の前原誠司氏は次は大学無償化と意気込んでいる。 

 

 しかし,全国的な高校無償化は合理的な政策とは言いがたい.大学無償化はなおさら日本の高等教育・研究そのものの基礎を損なう愚策である. 

 

 以下、大学無償化の問題点を中心に説明していこう。 

 

◆競争の焦点が「登録者数」に… 

 

 論点は大学進学の私的負担がなくなること自体にある。これは盛大な「制度ハック」を可能にする。 

 

 費用負担や大学に通うことによる機会損失(4年間フルタイムで働くことが困難)があるからこそ、学生・家計は大学教育がその費用に見合うものであるかを真剣に検討する。大学側も、学生の興味・関心を集め、将来のキャリアに有益なカリキュラムを提供しようと努力する。そうでないと学生が集まらず、大学は存続できない。 

 

 しかし、大学進学に費用がかからないとしたら何が起きるだろう。学生として「登録するだけ」者を集めさえすれば大学経営が成り立ってしまう。 

 

 入学書類に記入しさえすれば最新のPCや各種テーマパークの年間パスをプレゼントすると謳い、講義のほとんどをオンライン受講可能とすることでフルタイムで就労しながらの修学を可能にする。単位認定はごくごく甘いものとし、事実上何もしなくても卒業できるようにする。自己負担がある状態ではこのようなふざけた大学が学生を集めることは出来ない。しかし、何の負担もないならばこのような「形だけの学生」の数を集めることが可能になる。頭数さえそろえれば経営が成立してしまうのだ。 

 

 あまりに性悪説的な予想であると思われるかも知れない。しかし、これまでも就労目的の留学生をあつめて補助金を獲得していたなどの類似の制度ハックが行われてきた。これまでの補助金とは桁違いのビジネスチャンスを利用する者がいないと考える方が不自然だろう。大学の講義内容や単位認定基準どのようなルールを設定しても、その悪用の方法を思いつくのはそう難しいものではない。 

 

◆生き残るのは「正しい大学」だけ 

 

 制度悪用の懸念に対しては、無償化と同時にこのような不正がなきよう十分な監視を行えば良いとの意見がある。しかし、これこそが大学無償化の最大の問題点なのだ。高校無償化にならって仮に年間90万円までの年間学費を実質無償化したとしよう。各大学がカリキュラム内容を薄めることで利益を獲得することを防ぐためには「その大学のカリキュラムが90万円に値するか」を審査する必要がある。 

 

 どのような講義内容であれば学費90万円に値するのか。筆者は20年以上専任教員として大学に勤務し、労働組合執行部や学長室専門室委員を経験してきたがまるで想像がつかない。審査のシステムは裁量的にならざるをえない。その結果、各大学はこぞって監督官庁や自治体担当部局からの天下りを受け入れることで審査に備えるようになるだろう。 

 

 仮に明確な基準を決定することができるとしても、問題は根深い。これは「正しい大学の教学内容」を定めることにつながるからだ。筆者の専門は経済学であるが、経済学部や経済学科のカリキュラムは大学によって様々だ。主流派経済学(同年配の読者には「近代経済学」「近経」といった方がなじみ深いかも知れない)による理論・計量分析が中心の大学、マルクス経済学や哲学・歴史を重視する大学、フィールドワークを通じた定性的な研究を得意とする大学と同じ経済学部でもその特徴はそれぞれに異なる。 

 

 また、弊学では米国のウォルト・ディズニー・ワールド社と提携してコンテンツビジネスやイベント・テーマパーク運営を学ぶカリキュラムがある。これまでもフロリダでのインターンシップ参加を通じて国際ビジネス人材を輩出してきたプログラムであるが――これが前述の名目上の人数集めのための利益供与と全く異なることを監督官庁に示すためにどれだけの書類と審査が必要になるかを考えると頭が痛い。 

 

 

熊本大学工学部のクリーンルームでウエーハーを洗浄する大学院生=2023年10月18日、熊本市【時事通信社】 

 

◆「理工系人材の育成」という要請に逆行も 

 

 大学における学び、研究の多様性と大学無償化は強く対立している。公費による学校運営が教育の多様性を損なうという点は私立高校無償化にも共有される論点だろう。実際に大学無償化事例としてとりあげられる国においても、国立大学に限定しての無償化である国もある。また、中世以来の伝統ある大学システムであることから上記のような政府介入の心配が少ないという国もある。 

 

 さらに、派生的な論点として限られた金額までの無償化は日本の高等教育の構成をゆがませる恐れがある。先ほどと同様に年間学費90万円まで無償とのルールができたとしよう。この金額の範囲で経営が成り立つのは基本的には文系学部だけであろう。もともと日本は大学卒業者に占める理系学位取得者の割合が低い。さらに、主要国の多くで理系比率が上昇する中で日本では横ばいか若干の低下傾向にある(科学技術・学術政策研究所「科学技術指標2020」など)。筆者は文系専攻の文系学部教員であるが、現下の状況で事実上の文系学部拡大を指向する政策を推し進める理由は希薄なように感じる。 

 

◆(逆)再配分の制度設計は正しいのか 

 

 この他、大学進学家計はそうではない家計よりも相対的に所得が高い傾向がある。これは学費が無償化されても変わらない。学費だけが進路を決める要因ではないためだ。そのため、大学無償化は低所得家計から高所得への(逆)再分配となる。 

 

 確かに経済的な理由によって進学を断念する学生がいることは残念でならない。しかし、その改善手段として大学無償化はあまりにも非効率的な手段である。国公立大学の学費引き下げ、公的奨学金の充実、各学校独自奨学生制度の創設など、より効率的な手段はいくらでもある。それにもかかわらず、日本の政治が、有権者の一部の関心が学費無償化に集まる状況は何か別の意図があるのではないかと勘ぐってしまうのである。 

 

◇  ◇  ◇ 

 

飯田 泰之(いいだ・やすゆき)1975年生まれ。東京大学経済学部卒業。同大学大学院単位取得退学。財務省財務総合政策研究所上席客員研究員、内閣府規制改革推進会議委員などを歴任。専門は経済政策・マクロ経済学、地域政策。近著は、『これからの地域再生』(編著、晶文社)、『財政・金融政策の転換点-日本経済の再生プラン』(中公新書)など。 

 

 

 
 

IMAGE