( 282881 )  2025/04/14 05:53:00  
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「トラック野郎」のヒットをきっかけに愛されてきたデコトラだが、現在はデコトラに対して否定的な声も少なくない。 

 

 古くから日本独自の文化として根付いてきたデコトラ。1975年から1979年にかけて公開された映画「トラック野郎」の大ヒットにより広まったデコトラは、現在でも変わることなく発展し続けている。 

 

 巷ではデコトラが減ったという声が聞こえるが、それはデコトラのことをわかっていない人の意見。実際、昭和の時代から比較しても、デコトラの数そのものは間違いなく増えている。全国では毎月のようにデコトラのイベントが開催されているのだが、500台以上のデコトラが集まる例も少なくない。昭和の時代では200台も集まればイベントが大盛況だったとされたことを考えると、増えていると断言できるだろう。 

 

 では、なぜデコトラが減ったといわれるのだろうか。 

 

 それは単に、派手な装飾を施したトラックが少なくなったということにほかならない。派手なデコトラはプライベート車として活躍するようになり、仕事をするデコトラはシンプルで美しさを求めるようになった。プライベートなデコトラは走行エリアが限られており、その大半がセカンドカーであるため、見かけることが少ないのは道理である。そして、シンプルなデコトラのことを一般の人たちはデコトラだと認識していないため、デコトラが減ったと感じてしまうのだ。 

 

 昭和や平成初期の時代では、飾ったトラックで仕事をすることが世間的にも認められていた。むしろデコトラで駆けつけると荷主や顧客にも喜ばれ、「もっと飾れ」とハッパをかけられることも多かった。それが、なぜ現代では敬遠されるようになったのだろうか。その明確な理由は不明だが、やはりエンドユーザーの声を気にしすぎているという感は否めない。 

 

 景気のよかった昭和や平成初期の時代では、日本国民にも余裕があった。懐はもちろん、心にもゆとりがあったのである。そのような余裕が遊び心にもつながるのだが、景気が悪くなるとともにゆとりもなくなった。そしてクレーマー気質の人が台頭するようになり、荷主や顧客もエンドユーザーの声に左右されるようになったのである。 

 

 

 それは、テレビ番組にもいえること。なにかにつけてクレームをつけたがる一部のクレーマーの声を気にし、誰がどう見ても理不尽な要求にも応えるようになった。そして、庶民の娯楽であったはずのテレビ番組がつまらないものへと成り下がっていき、現代のテレビ離れへとつながっている。つまり一部の人間の言葉をその他大勢の言葉と勘違いする風潮が、いまの面白みに欠ける日本に仕立て上げたといっても過言ではないだろう。 

 

 多少の遊び心は、ゆとりに直結する。そう考えると、景気が悪いのもクレーマーの声を気にしすぎる姿勢が導き出した結果なのかもしれない。近年では、テレビ番組ではできないような企画をYouTubeなどで公開しているが、そちらの景気を悪いと感じることはない。そんなYouTubeにクレーマーが文句をつけないのが不思議であるが、クレーマーとはもともと心が小さい人がやる行為。そのため、文句をいっても素直に従ってくれる対象しか相手にしないのだ。それがスポンサーのおかげで成り立っているテレビ局であり、お客さまでなりたっている企業なのだろう。 

 

 先進国であるアメリカは、遊び心に満ちている。ジェット機のエンジンをトラックに載せてみたり、とても馬鹿げた行為に真正面から向き合っているのだ。アクション映画を撮影する際にでも、アメリカでは街をあげて協力する。日本では信号無視や速度超過なども許されず、道路の使用許可や爆発物の認可も取りにくい。その違いが、映画の完成度にも表れているといえるだろう。 

 

 真面目な国民性で知られる日本は、世界イチ安全な国であるといえる。しかし、真面目すぎるのもどうだろうか。景気が良いことでも知られるアメリカとの違いは、やはり遊び心や心のゆとりではないだろうか。アメリカと同じようになって欲しいとは思わないが、臭い物に蓋をするだけではなく、不真面目なものを排除するだけではなく、もっと寛大な心をもちたいものである。 

 

トラック魂編集部 

 

 

 
 

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