( 284653 ) 2025/04/21 03:28:19 2 00 自分が「ひきこもり」とは思っていなかった――約40年間の自宅生活から就労した男性を変えた「縁」 #老いる社会Yahoo!ニュース オリジナル 特集 4/20(日) 18:00 配信 https://news.yahoo.co.jp/articles/46689b0201bb7e7622c0bc2c1d283510559663f9 |
( 284656 ) 2025/04/21 03:28:19 0 00 東京スカイツリーでの国近斉さん(提供:NPO法人ふらっとコミュニティ)
高齢の親が中高年ひきこもりを支える問題が「8050問題」と呼ばれて久しい。長期化に伴い、「9060問題」へと移行し、親の死に直面する人も増えてきた。山口県で暮らす国近斉さんは、高校中退後、約40年間の「ひきこもり」の後、55歳で社会との接点を取り戻した。62歳になった今、ハウスクリーニングの仕事をし、居住地の自治会で地域のための活動も行っている。国近さんはなぜ40年間ひきこもっていたのか。その間、何を感じ、考えて生きてきたのだろう。(取材・文:篠藤ゆり/Yahoo!ニュース オリジナル 特集編集部)
厚生労働省のひきこもり支援セミナーに元当事者として参加した際の国近斉さん(提供:NPO法人ふらっとコミュニティ)
Zoomの映像に映し出された国近さんの家は、部屋も台所もきれいに片づき、両親の遺骨のそばには花が生けられ、丁寧な暮らしぶりがうかがえる。インタビューに答える際は、ときどき穏やかな微笑を浮かべ、自分の気持ちを正確に伝えようとじっくり言葉を選ぶ。その様子はもしかしたら、一般的に「ひきこもり」という言葉から連想されるイメージとは違っているかもしれない。
国近さんを取り上げたドキュメンタリー「国近さんの日記 ひきこもり40年 それから…」(yab山口朝日放送)は大きな反響を呼び、YouTubeの動画は150万回以上、再生された。「勇気をもらった」という、ひきこもり当事者や家族の声も多い。
家にいるようになったのは、偏差値の高い高校に入ったのがきっかけだった。
「中学時代に仲がよかった友人から誘われて、なんとなくその学校を受けて。なんで僕なんかが、宇部で一番いい高校に入れたのか不思議だけど、友人は落ちたのに僕はたまたま受かっちゃった。でも、入ったら学業についていけなくなったんです。そのうち『どうしよう』と思いながら家を出てぐるぐる町を歩いて、学校に行かずに家に戻るようになって——。両親は外で働いていたから、しばらく気づかなかったみたいだけど、学校から言われて知ったんでしょうね。『どうして行かないのか』『家で何をしてるんだ』と言われましたよ」
高校2年のとき、学校からの勧告で中退することに。その後しばらく、アルバイトをした。
「父も学歴がないし、それほど学校が好きじゃなかったみたいだから、僕の学校のことは諦めたのかな。一緒に高校受験をした友だちが心配してくれたのか、新聞配達をやろうと誘ってくれて。約2年、がんばりました。でも、その友人が大学進学のために山口県を出ることになったら、新聞配達を続ける気力がなくなっちゃった。その後、親戚のおじさんが宇部の造船所で働くことになり、誘ってくれたので働いたんですけど、おじさんが親方とけんかしてやめるとき、僕もやめちゃった。ほんの数カ月でした。こんなキツイ仕事はいやだと思ったし」
それ以降、国近さんは仕事をせずに家にいるようになる。そんな国近さんのことを、両親は厳しく責めたりはしなかった。
「こう言ったら反発を買うかもしれないけれど、仕事を探そうという気はまったくなかったですね。家にいてテレビを見たり、掃除や片づけをしたりしていました。根っから、掃除が好きでしたから。僕は小さい頃から体が弱かったし、父も母も『3人仲よく普通に暮らせたらそれでいい』くらいに思っていたのかもしれません。だから、なにも言わなかった。それは、ありがたかったなぁ」
浅草寺での国近斉さん(提供:NPO法人ふらっとコミュニティ)
25歳ごろ、母親が軽い脳梗塞で入院。退院後、料理は引き続き母親が担当したが、買い物を含めてそれ以外の家事はほぼ国近さんが担当するようになった。
当時、未婚の女性が就労せずに親の家で暮らしている場合、「家事手伝い」と呼ばれることもあったが、男性の場合、肩身が狭かった。国近さんもまわりの目を気にし、精神的に追い詰められていった。
「家事はもともと好きだから、苦になりません。お金にはならないけれど、やりだしたらきりがない。もし女の子に生まれていたら、もっと堂々としていられただろうけれど、男の場合はそうはいかないから。若い男が家でごそごそやっているのを、近所の人たちはどう思うかな、なんてことを考えましたねぇ。他人の目が、すごく気になりました」
やがて母親は、高血圧や乳がんなど、次々と病気を繰り返すようになる。家事に加えて通院の付き添いやケアなども、国近さんが行った。
「自分の年齢が高くなるにつれてすごく焦るようになりましたし、不安でいっぱいでした。仕事もしていないし、父や母に養われているようなもんですからねぇ。父や母がいなくなったら、どうしたらいいのか。このままいくと、明日の生活にも困るようになるんじゃないかと、しょっちゅう思っていました」
(提供:NPO法人ふらっとコミュニティ)
国近さんが40代後半になったとき、母親が亡くなる。その3年後、今度は父親が血液のがんで急逝した。
「母親はずっと具合が悪くて、いつ亡くなってもおかしくないという感じだったから。悲しかったけれど、仕方がないな、なんて思っていました。でも、父が亡くなったときは、本当にショックでした。頼る親戚も友だちもほとんどいない。まさに天涯孤独になってしまったわけですから。不安もどんどん大きくなっていきました。少ないけれど、父はお金を残してくれたんで、それをちょこちょこ切り崩すみたいにして生きていくしかない。しばらくは生きていけるけど、それがなくなったらどうしたらいいのか。もう、どうでもいいや、と思ったり。日によっては、なんとかなるかなぁ、という気持ちになったり——」
不安を忘れていられるのは、本を読んだり、音楽を聴いたりしているとき。本は図書館で借り、CDは自分で買ったものが数枚ある。
「山口百恵や岩崎宏美、太田裕美など昔のアイドルが好きで、CDを持っています。年をとるにつれ、ポール・サイモンやビリー・ジョエルなど昔のアメリカ音楽が好きになり、引っ張り出しては聴くようになりました。たまにはシャンソンも聴きますし、チャイコフスキーのピアノ協奏曲を聴いたりもします」
本で印象的だったのは、井伏鱒二の短編小説『山椒魚』。成長しすぎて自分のすみかである岩穴から出られなくなった山椒魚の話だ。主人公の山椒魚は、一時は外で自由に動き回るミズスマシやカエルを感動の目で眺めるが、あるときから目をそむけ、まぶたを閉じて孤独に泣く。
やがて国近さんは、徐々に体調を崩していく。
「頭もくらくらするし、体がしびれるし……。どこか悪くなっちゃったのかなと思って、近所の脳神経の病院でMRIを撮ってもらったら、どっこも悪くないと言われて。それで思ったんです。誰とも接触せず一人でじっとしているのがいけないのかな、って。もしかしたら精神科に行ったほうがいいかなぁ、とか……」
(提供:NPO法人ふらっとコミュニティ)
ちょうどそのタイミングで、たまたま宇部市の広報誌で見つけたのが、NPO法人 ふらっとコミュニティの案内だった。
「ちょっと変わった生活はしているけれど、自分が『ひきこもり』だなんて、思ったことなかったし。最初はそういうところに行くのも不安でね。なかなか決心つかなかったけれど、まぁ行ってみるかと思って、重い足取りで出かけたんです」
話を聞いてくれたのが、NPO法人ふらっとコミュニティの理事長でもある山口大学大学院医学系研究科教授(現・山口大学名誉教授)の山根俊恵さんだった。それまでの生活について一通り話すと、翌週また来るようにと言われた。
「『木曜日のこの時間にまた来てくださいね』って言われたので、そうかと思って次の週から行くようになったんです。それから週に1回通うようになり、いろいろイベントがあると、他の曜日にも行ったりするようになりました」
ふらっとコミュニティでは、卓球などの軽い運動や、木工など、さまざまなプログラムがある。そうした経験を通して、徐々に人と接する時間が増えていった。
「通っている人のなかには、病気で生活が困難な人もいるし、ひきこもりの人もいるし、いろいろなんです。徐々に、その人たちががんばっているから、僕もがんばろうと思えるようになりました」
(提供:NPO法人ふらっとコミュニティ)
通い始めて2年目に、山根さんから「働いてみませんか」と勧められる。人とあまりかかわらない仕事を希望し、好きな掃除を生かせるという理由で、パートタイムでハウスクリーニングの仕事を始めることになった。
「ずっと仕事をしてこなかったので、大変なこともありますよ。やんなっちゃうときもあるし。でも、やっぱりお金をいただけるというのは大きいです。お給料と言われてもピンとこなかったけれど、毎月お金をいただけたら、やっぱり元気が出ます。おかげさまで、両親に供える花も前より頻繁に買えます」
国近さんはNPO法人と出会う1年ほど前から、その時々に感じたことや思ったことを書き留めている。最初は広告の裏などに書いていたが、日記帳を買ってそこに書くようになり、今もその習慣を続けている。
「もう8年くらい続いているから、生活の一部になっているのかなぁ。その日にあったことを、ちょこっと書いたり、気持ちを書いたり……。う~ん、書くと少しは、気持ちが落ち着くのかなぁ……」
目下の悩みは、仕事に追われ、読書の時間や音楽を聴く時間がないことだ。
「僕の場合、たまたま広報誌を見て、ふらっとコミュニティを知ることができたのは運がよかったと思います。家の近くにそういう施設があったことも、幸運かもしれないし。やっぱり誰かの助けがないと、なかなか一歩踏み出せないですから。もしここに来られなかったらどうなっちゃったかな、なんて、ふと思うことがあります。4月23日で63歳になりますが、体が動くうちは働いとかんとね。生活保護とかもあるけれど、やっぱり自分で働いてお金をいただくのがいい。働けるようになったのは本当に不思議だし、これも縁なのかなぁ」
国近斉(くにちか・ひとし) 1962年、山口県生まれ。約40年間、自宅の家事などをして過ごす。両親の死後、55歳のときにNPO法人ふらっとコミュニティに連絡して通うようになり、現在はハウスクリーニングの仕事をしている。
「
」はYahoo!ニュースがユーザーと考えたい社会課題「ホットイシュー」の一つです。2025年、国民の3人に1人が65歳以上、5人に1人が75歳以上となります。また、さまざまなインフラが老朽化し、仕組みが制度疲労を起こすなど、日本社会全体が「老い」に向かっています。生じる課題にどう立ち向かえばよいのか、解説や事例を通じ、ユーザーとともに考えます。
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( 284655 ) 2025/04/21 03:28:19 1 00 ・引きこもりには様々な背景や理由があり、家族の支えや環境が重要な要素となることが示唆されている。 ・社会復帰のきっかけや過程において、家族や他者の支援が重要であることが強調されている。 ・引きこもり状態からの復帰は個人によって異なり、生活のリズムや社会との接点が徐々に整っていくプロセスが示されている。 ・家事や介護を通じて家族や社会との関わりを持つことが、引きこもりからの脱却への一歩となる可能性があることが示唆されている。 ・家族や環境の影響、自立や社会とのつながりの重要性、個々の生き方や背景の多様性がテーマとして提示されている。 ・引きこもりに対する理解や支援、社会との連携の重要性が強調されており、早い段階での支援や対応が重要であることが示唆されている。
(まとめ) | ( 284657 ) 2025/04/21 03:28:19 0 00 =+=+=+=+=
引きこもれるって、実はすごく恵まれたことなんですよね。衣食住が確保されてて、誰かが自分を支えてくれてるからこそ、家の中にいられるわけで。本当に生活が立ち行かない人は、引きこもる余裕すらなくて、外に出て何かしら働かざるを得ないですから。もちろん精神的な苦しさはあるだろうけど、親が何も言わずに見守ってくれる環境って、それ自体がすごい愛情だし、本人にとっても心の支えになってたと思いますね。
▲6537 ▼701
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買い物や家事を担ったりしていたという事なので、完全に外界との関わりを絶っていた訳では無いようですね。それが行動に移してから早期に就労に至った理由かなと思います。 知人のお子さんで小学校から不登校気味になり、中学以降約10年引きこもりとなっている人がいます。一日中ゲーム等をしていて自室からほとんど出ないと聞きます。 こういった本当の意味での引きこもりの人達は、世話する親が先立ったらどうするのだろうと気になります。行政などが積極的に引きこもり対策に取り組む事が出来るといいのにと思います。
▲39 ▼5
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ご両親含め、家族3人が「なんとかなる」精神で生きてきたのかな、と感じた。 けれどもそれは捨て鉢じゃなくて、彼が今「人との関り」や「縁」を大切にしているところを見るに、ポジティブな「なんとかなるさ」精神だったのだろうと思う。 生活保護ではなくできる限り自分で働きたい、との言葉。ご両親も喜んでいるだろうな、と思う。
▲3213 ▼132
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今も続いてるのは素晴らしいです。ほんの少しのキッカケで一歩を踏み出せない人が物凄い人数居ると思います。その一歩踏み出せない為に生活保護でそのままずっと引き篭もって人生を終わらせてしまう方、生活保護の申請も出来ないまま孤独死してしまう方。一歩踏み出せて身体も慣れてしまえば仕事行くのも当たり前になり充実して心も満たされて行く。是非この方の様に一歩踏み出せる方が増えると良いです
▲39 ▼5
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この方は引きこもりと言っても、お母さんの代わりに、家事全般をかなり丁寧にされていた事は普通の引きこもりとは全く違うと思う。55歳以降、その努力されてきた掃除を仕事にした事も強みだと思うし、定年がない仕事だからもしかしたら普通の人と同じくらいの年数を働くかもしれませんね。誘われて受けてみた1番良い高校にも受かってしまうくらいの方だから、頭は良いんでしょう。
▲2355 ▼69
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自分の周りにも優秀な高校に進学、地元としてはエリートと言われるコース(地元県下一進学校、地元国立大)歩み突然引きこもる人が少なからずいた。
それから20年以上経って家を出たと聞いた。
人生遅すぎることはない気づいた時がスタートだと思えばできることはある。 こちらの記事の方もこれからまだ人生は続く。 生きてて楽しかったと思える人生を応援いたします!
▲603 ▼21
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レアケースなのかな。大らかなご両親の支えが大きい。最初のくだりは根気がないなとは思ったが、ご両親から勘当されることなく、守られ、ご両親を介護し家事が出来たことは良かった。働くことでお仏前の花を頻繁に買えると思える心は、ご両親の温かさと大らかさをそっくりそのまま受け継いだような感じがする。仕事が続いて穏やかな老後を送れますように。
▲1318 ▼31
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引きこもってしまうかどうかは、本人の覚悟次第だと思いますよ。 私は、大卒で就職し同じ会社に36年勤めました。 今年の秋に還暦で定年再雇用ですが、今まで3回も、休職の経験があります。 でも、家族の為には、引きこもり続ける訳にはいかないと思い闘ってきました。 引きこもってる方には、なんとかして1ミリでも前に進んでほしいです。 カッコ悪くても、自分の素の姿を受け入れて、周りに謙虚に頼ってほしいです。世の中の人、みんな、一人では生きていけないんだから。 絶対に道は開けます。
▲172 ▼61
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19歳で結婚しましたが、不妊症で子供には恵まれず、それなら夫婦二人で穏やかに暮らしていこうと、中古マンションを購入しました。 10年でローンを完済しましたが、その頃から他人と関わるのが怖くなって、退職して引きこもり状態になってしまいました。
今は新聞配達で糊口をしのいでいます。趣味は電子書籍読み放題サービスで読書することなので、新聞配達と買い物するとき以外は外に出ることはないです。 こんな自分を見捨てないでくれている妻には感謝しています。
記事の方も新聞配達をしていたそうですが、新聞配達は誰とも話すことなく一人で仕事できるから、人と関わりを持ちたくない自分にはピッタリの仕事でした。
▲808 ▼41
=+=+=+=+=
この方の場合、仕事はしていないが、お母様がご病気だったので、家事や送迎など「やらなきゃいけない」という家の中の仕事があったから、家にいれたのではないだろうか? 天涯孤独になった後から、家の中のやるべき事がなくなってから不安定になってるように見える。 ただ、家事をしてる、家族とコミュニケーションが取れている、運転免許を持ってる、外出はしてるというのを考えると、少し一般的な引きこもりとは違う気はする。
▲491 ▼15
=+=+=+=+=
様々な紆余曲折を経験したとことは推察されるが、気になったのは「地元の進学校に行ったが勉強について行けず」というくだり。
こちらの家庭は両親がせき立てた訳ではないというのは分かったが、以前進学塾で教えたことのある身としては非常に考えさせられた。「子どもの幸せのため」というのはどの親も抱いている想いだろうが、気がつけば子どもの受験が親の受験になってしまい、結果が出ないことで子を追い詰め取り返しの利かない事例になったことも目にしてきた。
記事にあった家庭の唯一の救いは、中退してもそれほど咎めなかったことだろう。人生誰でも失敗はある。重要なのはその失敗を生かしてどの成功にたどり着けるかを親は考えられるかどうかだ。学歴だけでその子を測ると、最悪家庭内暴力という結果になってしまう。
▲568 ▼26
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親子関係が円満で、経済基盤が安定していて、家事能力が身についていたからこその社会復帰です。
もしも、お母様がずっとお元気で、さらに世話好きなカリスマ主婦だとしたら。家事全てをこなして殿様暮らしをさせていたら(食べて寝るだけの生活だったら)社会復帰は難しかったはずです。
男女問わず、家事能力を身につけさせることはとても重要な親の責任と思います。
▲313 ▼17
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この前ドキュメンタリーでテレビでやってた人かな?清掃の仕事、先輩から罵声を浴びて嫌になって別の職場に転職したとか。 住まいの団地も親名義になってるからそれの変更手続きに手間取ったり。親族はみんな疎遠だから身元保証人になれる人を見つけられなかったり。でも、すごく頑張ってるなと思いました。
▲380 ▼8
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凄い。 40年間の引きこもり生活からの就労するまでの段差の高さってどれくらいだろう。。 普通は少しずつ人生の階段を登るから、ひとつひとつの段差はどうにか上がれる。 そしてこれが継続は力なりと言われる所以だけども、一気に上がる人だって居たっていいし凄いこと。 または引きこもりでなくたって、時代の悪さを理由に一度の就職活動の失敗から、何十年も階段を上らない人達だって多い。 そういう人達の目の前の段差はとてつもなく高くなっていて、超える努力ももうしない。 そう思えば、この人は世界記録的な段差を超えたよ。 なかなか出来る事ではない。
▲327 ▼30
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コロナ禍を期に、引きこもりとなる小中高生がとても多いと感じています。明確な原因は不明なことも多いと聞きます。 いろんな生き方に寛容になってきた世の中で、逆に息苦しく感じる子供達も多いのだと思います。 記事の通り、家族だけでの対応では解決を見出だせなかったり、超長期な期間での取り組みとなるため、カウンセリングやフリースクールといった社会との接点を途切れさせないような対策や仕組み作り、運用を国や自治体で推進することを強く望みます。人手不足が顕著になる中、これからの大きな社会問題かと思います。
▲249 ▼36
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以前YouTubeで拝見しました。優しい方なんだな、と思いました。受験で自分だけ受かってしまったのが後ろめたく、勉強にもあまり力が入らなかったのかな、と。他の高校に通っていたら、引きこもる事にはならなかったのかな、と思いました。ただ介護もされ、お供えも欠かさず、コミュニケーションも出来、家の中も綺麗。他の引きこもりの人達とは全然違いますね。とても穏やかで、お仕事も丁寧にこなされていたので、お互いにとって良い就職になりましたね。
▲249 ▼12
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私も進学校の落ちこぼれだったので気持ちはよくわかります。私はこの方の2歳下になります。 友人関係も悪かったです。私は両親が異常なくらい厳しくて、学校に行かないとなると間違いなく殴られたと思います。三流の短大に行きましたが何とかがんばって就職して、この3月末で定年を迎えました。再雇用で行っています今も。この方も、赤点でいいから、スレスレで通って、三流の大学にでも行っていたら、違った人生があったのではないかと思います。
▲165 ▼16
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国近さんは、両親との関係か良好だったことと、お母さんの通院の付き添いなどで「外に出る機会」はあり、細々としたものだったかもしれませんが、社会との繋がりがあったことは、今に繋がる非常に大きな要素だと感じました。
問題となる引きこもりは家族との仲が破壊されてしまっているケースが多く、解決が難しく深刻ですよね。家族をありのまま受け止めてあげる、といった普段からの関係構築が、結果的には大きく家族の将来に影響を及ぼすのかなと考えさせられました。
▲103 ▼3
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引きこもり解消は、就労せずとも生活できる基盤がなくなることが大きなきっかけになりそうですね。そして根本的に、子供は将来的に親から独立する(=生活基盤を築く)必要があること、また親も子供が独立することがゴールであることの認識が欠落していることが問題なのではとも思いました。
昔は親の家業を普段から目の当たりにして、生活の中で自然と生きる術を身につけられたが、サラリーマンが当たり前の社会になると親がどうやって稼いでいるのか、正直わからない子供は多いと思います。
お金がないと生活はできないこと、お金を得るには収入が必要であること、収入を得るには仕事をすること、仕事をするには知識や技能を身に着ける必要があること、などの基本的なことを子供のころから教えることは勉強しろと言う以上に重要なのかもしれないです。
▲90 ▼12
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国近さんのドキュメンタリーを拝見したことがある。 国近さんを守っていたご両親が相次いで逝かれた。 50代後半でまともな仕事をしたことがない国近さんをNPO法人が救った。 国近さんはNPO法人を通じて社会との繋がることができ仕事もされている。 なので国近さんを救ったNPO法人はすごく優秀だ。
▲151 ▼6
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この方も、良かったです。 ウチも息子が約10年間引きこもりに近い状態でした。初めの頃に働いたお金でパソコンを購入し、毎日、ゲームばかり。 その間、本人に話を聞くと、将来の事は考えたことがない、自分自身の事も考えた事がない、やりたい事は考えた事がないというばかり。 事のきっかけは、姉のサポートと叱咤。それに加えて、本人の良い所を褒めました。 自分から1年の専門学校に行きたいと言い出して通い、一度はパワハラで離職したものの、今ではパソコン関係の職に就いて、毎日楽しそうです。 子育てに関してはうまく出来たと思いません。どこが悪かったとかもわかりません。ただ、仕事もあるので、それを優先していたのかもしれません。 息子が変わる数年前からは、親はただ信じて見守るだけだと思い始めました。そして、本人の話しを良く聞いて、少しでも前向きになったらほめる。それだけでした。
▲33 ▼4
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沢山の引きこもり方へ、勇気をくれたと思います。いずれ親は、先に亡くなってしまいます、自立できないと、餓死してしまいます。私も辛いことがたくさんあり、死んでしまおうかと考えた時期がありました。でも死ぬ前に京都に旅してみようと、思いつきました。京都に癒され世界遺産を見てるうちに、もっと色んな場所を旅したいと、欲がでてきました。今は、また働いて頑張ってます。生きてりゃ何度でもやりなおせます。引きこもってないで、楽しい人生を送ってほしいです。
▲78 ▼5
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子どもの自宅生活は親がいなくなると立ち行かなくなる。 親亡き後の生活は健常な社会人であっても不安だと思うんです。 社会とのつながりが希薄な自宅生活者にとっては更に不安が増すと思います。 この記事の方のように、行政サービスに頼るのはひとつの手段だといえますね。 ただ、行政サービスですべてが賄えるということは無いので、自ら社会につながりを持つ勇気が必要になります。行政サービスへの相談も社会とのつながりの大きな一歩となりますから、ぜひ勇気をもって生活をしてほしいですね。
▲6 ▼0
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この方は引きこもり、と言っても両親におんぶに抱っこなわけでなくちゃんと病院の付き添いや家事をしていた そういう方だからこそ自分から行動できての今ではないかなと思う よくメディアに紹介される部屋から一歩も出ず世話してもらってるひきこもりとは違うなという印象 前向きに頑張ってほしい
▲79 ▼3
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この方を知ってひきこもりという印象が少し変わった。 家にいる息子を疎ましく思うどころか家族でいいバランスを取っていたようにも思えて、病気がちのお母さんを抱えて案外これで良かったのかもしれない。 ひきこもるきっかけは人それぞれだと思うが、一度家の中に落ち着いてしまうと外に出る勇気やタイミングがつかめずズルズルになってしまうのかな。 私より2つ上で、高校進学で挫折感を味わったのは同じなので何となく肩を持ちたくなる。 年齢関係なく、生きることや働くことに意味を見いだせたことは本当に良かったと思う。無理せず自分のペースでいいのです。
▲14 ▼0
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引きこもりになる原因は様々だが人間関係の疲弊や人付き合いが苦手、億劫といった原因が多いように思う。一昔前なら仕事もできず収入がないので詰んでしまうこともあったと思うが今の時代インターネットを使って誰とも会わずにお金を稼ぐことも可能だ。今は多様な生き方が可能になっている。引きこもりになったからといって絶望するのではなく諦めずに自分の生存戦略をじっくり練ってほしい。他の人よりも使える時間はたくさんあるのだから。
▲36 ▼3
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就職氷河期世代です。 地方の工業高校を出たのですが、同級生の友達の大半が今でも悲惨な状況です。人並みな生活が送れている友達は、それなり以上の大学を出た人か、私もそうでしたが、超絶ブラック企業になんとかしがみつき続けて、スキルや経験を得られた人達だけです。 高校や専門学校や大学を出ても、本当にまともな求人がなくて、フリーターや短期工の仕事で食い繋ぐしかなく、気がついたら30代も終わるような世代です。時代が悪かったのは間違いないです。 救済する方法は難しい気がしますが、何とかして欲しいと思います。
▲137 ▼19
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近所のお姉さんが、高卒後数ヶ月の就職のち引きこもりになり…20年が経った。父親が他界したことを機に仕事を始め3年が経過。 就職し、得た賃金は母に渡すことなく使っているそうで、彼女だけ身なりが変わっていくこと、働いているから1人家でいばっているようで怒鳴り声がたまに聞こえるのがなんとも言えません。 家族でも感謝をわすれたらいけませんね。
▲256 ▼40
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引きこもりのきっかけや背景って本当に三者三様、人それぞれなんだなとあらためて思いました。
頼れる人が誰もおらず貯金額がゼロの状態だと引きこもりたくても引きこもれないので、他の方がコメントしているようにある程度恵まれた環境下だからこそ出来ることなのかもしれません。
この方も、ご両親が亡くなり一人になり、貯金が徐々に減ってきたからこそ『なんとかしなければ』という危機感が生まれたのだと思います。
この方の場合は社会復帰できた好例だと思いますが、目には見えないけれど最終的に行き詰まってしまい最悪の選択をしてしまった方もいらっしゃると思います。
年齢を重ねれば重ねるほど選択肢は少なくなり社会復帰へのハードルが高くなってしまうので、早い段階で本人に危機感を持たせ社会復帰への道筋をつけてあげられるかが重要なポイントだと思います。
こういう記事がもっと増えて本人の目に止まってくれたらと思います。
▲25 ▼4
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お金と孤独感の問題さえクリアできれば引きこもり最高です。 25年必死で仕事をして貯金したのでお金の問題はクリア。昨年母親が亡くなったこともあり、孤独感から自分もまさに「頭もくらくらするし、体がしびれるし・・・」という症状が一時期ありましたが、徐々に落ち着いてきました。古い実家を建て替えて平屋を建築中ですが、そこに一生引きこもる予定です。 振り返ってみると自分の人生何だったんだとも感じますが、何しろ人間嫌いなので仕方ないと思っています。来世に期待します。。。
▲36 ▼9
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これだけしっかりお話出来る男性が引きこもりだったのが、非常に勿体無いと思いました。色々あって引きこもりが長期になったのは、致し方が無い所もありますが、両親の不幸もあって、遠回りもしました。でも、ご自分の居場所を見つけて、お仕事にも就けたのは何よりだと思います。仕事にも馴染んでいて充実されているのは、伝わって来ました。同じ様に引きこもりで悩んでいるご家族やご本人にとってはこうした方も居られる事で、希望になるかと思います。こうした、引きこもりの方が、公共の場に出るような所が社会にあったりするのが、引きこもりから抜け出すには第一歩になるのではないかと思います。
▲14 ▼3
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この方は引きこもりというよりは、家事や介護で結果的に働けなかっただけのような気がします。母親や父親の病院に付き添ったり、衣食の世話をしていた。
恐らくは毎日決まった時間に起き、家事をやり、両親とも話をしていたものと思います。
だから一人になった時に体調を崩した。
実際社会に出なければとなった時も生活のリズムも整っていたし、職探しとあとは自身がどう踏み出すかの一歩が出せるかというところ。
そして、きちんとプロセスを経て社会と徐々に関われる様になったところが繋がったのではないかと思います。
酷いのは部屋にひきこもり、部屋から出てこれない。昼夜逆転している。両親とも話が出来ない状況。
こうなってくると、本当に社会復帰する前に一度精神的なケアが必要になってくるが、本人が拒絶しなかなか支援に繋げられない。
▲22 ▼1
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無職だっただけで、家事手伝い、ご両親の面倒をみてきたわけですから引きこもりとは違うんじゃないのかな?と思いました。 ご両親がすごく寛容な方で、仲の良い家族で最後まで介護や面倒をみてもらえてとても幸せだったと思います。 平均寿命も延び人生100年時代、人生まだまだこれからです。 55歳が国近さんの人生の転機になって本当によかったですね。
▲27 ▼1
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国近さんのお話を最後まで読ませて頂きました。 ご両親と同居して、親の手伝い・付き添い・看病、 家事全般など実家を守り、両親に感謝して暮らされています。その後、社会と関わり就業しておられます。人には色んな生き方があり、ご自分の人生を歩まれ他人が何ら批判する事はないと思います。 孤独になると「自分だけが」と思い詰める感情が 湧き出るかもしれませんが、実は、他の方もい外と 同じ様な立場の人も居るものです。時には共感できます。 食べて、寝て、住める所があれば、それで上等です。
▲16 ▼3
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私の弟も引きこもりです。社会との接点なく今、30代後半。就労経験も0です。弟は統合失調症の症状もあり、母と私は弟の事で行政機関に何度か相談に行った事もありましたが、やはりまずは病院を受診させる様にとの事で、本人を病院へ連れて行くことが難しく、そこで止まっている状態です。 姉の私が弟の面倒もいずれは看るようになるんだろうといつも心の片隅にあります。
▲39 ▼7
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ご両親含め、家族3人が「なんとかなる」精神で生きてきたのかな、と感じた。 けれどもそれは捨て鉢じゃなくて、彼が今「人との関り」や「縁」を大切にしているところを見るに、ポジティブな「なんとかなるさ」精神だったのだろうと思う。 生活保護ではなくできる限り自分で働きたい、との言葉。ご両親も喜んでいるだろうな、と思う。
▲7 ▼0
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国近さんの場合は稀な例だと思う。引きこもりと言っても、日々の生活はていねいにされていたと思う。 引きこもりというと、自室から一歩も出て来ないとか、部屋の中はゴミで溢れているとか、身内に当たり散らすとか・・・ということを想像する。 不登校の子が年々増えています。成人しても親の収入や年金を頼りに生活していくのだろうか?と思う時があります。 この方のように、どなたか手を差し伸べてくれる他人が近くにいると、立ち直れるきっかけになるのかなと思いました。
▲25 ▼6
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典型的な引きこもりの方だと思うのだけれど、55歳にして働くことに目覚めたのは良かったですね。 親の残してくれたお金もどんどん目減りしていき、漠然とした不安感が芽生えたのがきっかけだったとは思うのですが。 とにかく引きこもりのまま生活保護になってしまうのはまずいので早めに就労の方向になっていただきたい。 そのための社会との接点は大切です。
▲6 ▼14
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この記事を読む限り、ごく普通の方だと思うけれど?家事をこなして家族の生活の一角を担ってこられたんでしょ。それで無理なく生活をしてこれたなら、何か特別に考える必要があるんでしょうか。環境が変わって働きに出たというのなら、必要に応じて対処したということ。誰もが普通にやっている。ひきこもりという言葉の定義を見てみると、家族を含めた他人に大きな迷惑をかけていない限り、問題視されるような内容には見えない。安易にレッテルを貼ることによって、無意味あるいは有害な影響を社会に与えているんじゃないかなあ。
▲26 ▼6
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この方は家事をこなして親の手助けもしているので、私が思う引きこもりとは違う印象を受けた
働いて他者とつながることって困難も当然あるが、やはり生きているという実感がある
ストレスを溜めないように程々に頑張る、これが一番だなと思う
▲19 ▼1
=+=+=+=+=
この人は両親に恵まれてて、尚且つ穏やかな性格だったんだろう。 学歴や世間体を気にする親だったら、もっと酷い引きこもりになってて、家庭内が荒れていたかもしれない。 元々、家から出たくないと言うより、厄介な人間関係の付きまとう仕事に就けなかっただけだから、比較的社会復帰もスムーズだったように思える。
▲106 ▼5
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この方は引きこもりではなく、「きっかけは引きこもりだけど、長年、家事介護」だと思う。 ニートと違い、家内で働いている。 家族に貢献している。 友人や叔父さんがいるうちは働けてたんだから、誰かが一緒に働こうと勧めたら外でも働けたんじゃないかな。 両親に花を供えてあるようだし、葬儀などもきちんと行われたのだろう。
一人になっての体調不良は、両親からの「外に出てみなさい」エールかもしれないな。
▲180 ▼10
=+=+=+=+=
なんか、ものすごいスケールの大きな話のようにも感じられる。 人生100年時代。 それまでの生活がどんなものでも、60歳を過ぎてからだってリスタートできるし、それはその人にとってものすごく価値がある。
▲257 ▼26
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この方は、多くの場合のひきこもりとは違うと感じます。 家を家事で支えていた訳ですし、必要な外出もしてた訳ですから。 なのできっかけさえあれば、どうにでもなる人だと思います。 良くも悪くも、周りに流されやすいみたいですし。
問題は家事や外出すらしないひきこもりです。 自室から出もしない、親と会話もしない、それで歳だけ取ってしまった人が、結構な数いると思われる。 その人たちも近いうちに親がこの世を去る訳で、その時世の中は何かしらの対応をしなければならない。 難しい課題になりそうですね。
▲31 ▼5
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この番組視ました。 丁寧で穏やかに暮らして、健康に過ごされている印象です。住む場所もありご縁もあり、ご本人に働く意欲もあり長くこの生活が続けばいいなと思いました。 私の弟が大学卒業して30年以上ほとんど働かずいます。いつもイライラし、面倒臭そうです。今は高齢の母親と二人暮らし、母親はずーっと弟のこと働かないでとぼやいています。私は母にぼやいたところで何も変わらないよと言っています。 私も以前は弟のことをイライラしたりしましたが最近は見方をかえて幸せなやつと思っています。
▲11 ▼2
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引きこもりの20代後半のいとこがいました。 コミュ障なので、バイトをしても短期で辞める状況でした。 その親から相談されて、僕はその人に家でPCを使ってできる仕事を提案しました。 その人にはある能力があったので、そのスキルをマネタイズできるように考えて、集客するところまでを手伝いました。 初年度は年商5万、2年目は20万と徐々に増えていき、今では100万弱まで稼げるようになってます。 経費なんてほとんどかからないので、売上はほぼ全額利益です。 個人事業主なら分かると思いますが、どこかに雇われることなくゼロの状態から1人で稼ぐのは結構大変です。
自分の力で収入を得るようになってからは生活に変化が出てきたそうです。 身の回りの物は自分のお金で買うようになり、自室の掃除や洗濯もやるようになったそうです。 自分で稼ぐことで自立心が芽生えてきたんだと思います。 まだ道半ばですけど頑張ってほしいです。
▲80 ▼2
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この方は就労はしていなくても家をきちんと掃除し親の面倒をみ病院にも付き添ってます 基本的な生活は管理出来る方だと思います 若い頃の挫折 波に乗るコトが出来なかっただけ 引き込もっている方の多くはきっかけと出逢い次第の可能性を秘めています 人は皆家以外の居場所が必要なのではないでしょうか 1歩を踏み出す勇気がなければ現状は変わらない 運とも思えますが後は出逢い 1歩の勇気がなければ出逢う事も出来ません 世間体等自分にとって何の意味もない 周りの理解も必要になる事もあるかと思いますがこうゆう方々は社会にとっても社会貢献できる貴重な労働力に間違いないと思います 勇気ときっかけと出逢い 1歩が運命を変える
▲14 ▼4
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買い物を含めてとあるので引きこもりというべきなのでしょうかね。 どちらかというと恵まれた家で無職(家事手伝い)だったがきっかけを得て働くようになった印象。
何歳になってもチャンスがあって再スタートできる環境こそ大事なのかもしれませんね。
▲105 ▼8
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男女は関係無い年齢も関係無い、、 引きこもりの長さが問題あるかも知れない どんな理由かは分からないが、引きこもるきっかけが必ずあると思うし、引きこもるのも度々だったり、そうなったりならなかったりと様々な引きこもりのスタイルがあると思う。 真逆で外に出突っ張りの人もいる。 とても大変な問題だ。
▲37 ▼6
=+=+=+=+=
40年間の自宅生活って題名から家族もろとも巻き込まれての40年間なのかと思いましたが、なんとも優しく、人間らしい方だなと思いました。 頂いたお給料でご両親のお供えの花を少し豪華にだとか、優しさに満ち溢れているではなかと思います。文中にもあるように ご両親がこの方に掛けた愛情がこの方の振る舞いに出ていると思いました。ご両親の病気の看病と、生活などの身の回りのこともお世話したり、決して自分本位な生き方ではなかったと思うし、その後の人との出会いや色々なチャンスもこの方の人柄からめぐってきたものではないかなと思います。
▲18 ▼2
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恐らくですが、この方のようなケースは稀なのでは? この方は外部を拒絶しなかったようですが、そうでない方の方が多いような印象です。
近所にも60過ぎと思われる方が引きこもっておられましたが、外部との接触はほぼゼロでした。 ご両親が亡くなられた後も同様でした。 ごくたまに昼間から寝間着のような格好で自転車でふらっと出かけて帰ってくる。 たまたまきょうだいの方々がお見えになって庭の手入れなどされていましたが、天涯孤独だったら生きていけなかったのでは、と思います。
記事の方はたまたま外部と接触するだけの「素質」があったから良かったのでしょう。性格でしょうかね。 そうでない方のセーフティネットについては、本当に考えるべきだと思います。
▲4 ▼0
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行政による氷河期支援が出てますが、正直なところ困難を極めると思います。最大の問題は、単に貧困リスクが高いだけでなく、少なからずの割合で精神的な問題を抱えていること。 企業でも精神障害者の採用は積極的ではありませんし、公務員採用は社会保障ではない以上なおさら難しい。職業訓練といっても、何をさせるのか。社会需要からすればエッセンシャルワーカーなのでしょうが、猛烈なコミュニケーション力が求められるこの分野に対応できるこの世代は多くないと思います。 正直、刑務作業のようなものを国として大量発注をかけ、収容所で作業させるくらいしか手はないのでは?
▲22 ▼26
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仕事に関しては生活のリズムをローテーション化しちゃうと考え事が減る。仕事するのでやっぱ頭や身体は疲れるので眠れちゃう。家事育児の生活に追われて仕事してると疲弊するけど、お金の心配をさほどしない生活環境だと意外とね。まぁ現実は家賃や生活費となかなかそんな状況にはならないけど。この方は清掃の仕事でいけてるってことは親が自宅を残してて生活保護は貰ってないけど税金免除とかの可能性はある。こういう記事だと家賃や税金はまず考える。ここは減らしようがないから。
▲20 ▼15
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いろんな人がいる中でよく40年もひきこもれたなぁと思う
俺自身、学生時代はバイトやり22歳で社会人になり給料を得ているが、今までひきこもっていたら金はなく借金になって暮らせなくなっていたのは間違いない
40年もひきこもって生きていられることがすごい 家庭環境がよほど恵まれていたんだろうな
また40年ひきこもってから、よく就労する気になり、体が動くうちは働きたいとなったなぁと思う
40年も間を潰せたこともすごいと思う
いろいろ立派な方やな
▲253 ▼80
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私は壮絶なイジメでパニック障害、鬱、摂食障害過食嘔吐を患い18〜21まで引きこもり。なぜ外に出て働いたか、ある日突然家に誰も帰らなくなったから。母は彼氏のところ、妹も彼氏と同棲。光熱費家賃は支援してくれたけど餓死するかと思い一念発起でバイト開始。発作と戦いながらも、もう病院へも行けないから力直し。お金を貯めて免許を取り、正社員面接を受け合格。そこで旦那と知り合い結婚、28歳2児の母です。マツコ・デラックスも似たような境遇でした確か。最低限整えたら思い切って手を離すのも自立への支援、、かな、。もし衣食まで与えられていたら私は今もまだあの暗い部屋で自分の都合いい世界だけで現実逃避しながら今も生きていたかもしれないと思うとゾッとします。30でも40でも50でも、今が1番早いスタートです。全国の引きこもりの皆様、思い切って1歩踏み出すところからやってみてください。頑張れない、より、頑張る方が楽
▲59 ▼11
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引きこもれる環境があるとしても20代にそこだけで時間を過ごすのはあまりにももったいないように思える。けど、社会に出して取り返しのつかない状況になってしまっても怖いから取り敢えずの現状維持。 自分等の手元に置いておけば安心だろうけど逆に社会人としては復帰リスクが上がってしまうからな。 ただ何の目標、病気、怪我もなくダラダラ家にいたらその子の将来を考えて実家でも割高の家賃払わすとかして追い出してあげるべきだとは思う。 でも、あくまでも個人的な感想、難しい。
▲4 ▼1
=+=+=+=+=
これは、引きこもりではないのでは?。ご本人もおっしゃっている通り、家事手伝いの息子さん(もしくはニートか︎⁈)。親も何も言わなかったのは、追い詰めてポキっといかないように接していたのかな 総じて自分の意志がなく無気力な方。自分の部屋から出てこない訳でもなく、家の手伝いもし、家族と会話もできる。ある程度落ち着いたら、働かざるもの食うべからず。社会とつながらず生活できてしまうと、あっという間に時が過ぎてしまうだなと改めて実感した
▲4 ▼0
=+=+=+=+=
この方のようなすごさはないが、私も今引き籠もっている。きっかけは、転職先の会社で不正を強要され、アホらしくなったため。そして、その不正会社はその後、不正が世間にバレたが誰一人責任とらず、ノウノウと生きている。 ほんとうに馬鹿らしい。こんな奴らのために、ストレスで片耳の聞こえも悪くなって本当に腹が立ってる。ただ、いつまでも引き籠もってられない。何か再起を図りたい。いま、そのために勉強中。頑張ろう。
▲6 ▼0
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引きこもりとはいっても、家事をし、買い物や母親の病院に付き添い、介護等を長年していたのなら就労はしてなくても本当の引きこもりとはちょっと違うのかな? それでもちゃんと外で働き始めるってのは勇気が居るし怖いだろうなと思います。家事や介護で培ったものが役立っていて良かったです。
そういう自分も結婚はしてるもののパニック障害等々でほぼ1人では外に出られない状態が10年以上続いていてどうにかしないとという不安は募るばかりです。人ごとじゃない…
▲50 ▼4
=+=+=+=+=
引きこもりというかまさに家事手伝いですよね。親戚の引きこもりのおじさんは、高校辞めた直後からただただ子供部屋の中でずーっと過ごしてて、好きなタイミングで食事をとるときだけ1階に一瞬降りてくるみたいな生活らしい。 まぁ我が子なら顔合わせる度に働けって言ってしまうとは思うけど、家事全般に病院への送迎や介護とかをしてたのだからいわゆる引きこもりとは違うような。だから外に出ることもそこまでの怖さはなかったのかな。
▲6 ▼0
=+=+=+=+=
うちの子は引きこもりではない。働く気もあるが、何処も雇ってくれない。採用されても試用期間で切られてしまう。この方のように頭が良くて、ちょっとしたキッカケで引きこもってしまった人とは違う。自閉症スペクトラムグレーと小さい頃に診断された。覚えも悪く手先も不器用。でも見た目や会話からはわからない。障害手帳は貰えないと思うし、本人のプライドがあるので診断は出来ない。でも苦しんでいると思う。まともに働けないので日雇いしかない。私が亡き後が本当に心配だ。旦那は何事も知らんぷり。下に妹がいるが普通に出来る子で問題はないが、兄が将来負担にならないように考えなければならない。頭が痛い。
▲24 ▼7
=+=+=+=+=
人生の中でつまづくこともあるし、 すべてが上手くやっていけなくても、 家の中のことをこなし、 ご両親の事で自身ができることをして、見送って。。 それだけでも、すごい事だと思います。
その後、自分の道を模索して動き始めたこと。 素晴らしいです。
応援しています。
私も頑張ろうと思いました。
▲6 ▼0
=+=+=+=+=
この方は単なる引きこもりとは全く違うではありませんか。
家事も引き受け、 ご両親の介護も真摯にこなしていらしたわけですから。
私が認識する【重度の】引きこもりとは、自分の部屋からほとんど出ず、家族とのコミュニケーションさえろくに取らない状況です。
国近さんは確かに高校ドロップアウトや造船所勤務の短期退職など、うまくいかない経験はおありのようですが、全く努力せずにだらだら過ごしたわけではないと考えます。
むしろ自分なりの好きなことに一生懸命で、 ご両親へも敬意を持って接して来たなかなかの方に感じました。
▲54 ▼1
=+=+=+=+=
運がいいと言ったら語弊があるけど、ご両親ともにうるさく言わず、何より山口大学の山根教授が凄い。 2年、見守ったんだな。。で、ここぞというタイミングを待って声をかけた。
ご本人は常に人の目を気にされる繊細な方のようだけど、同時に素直でもあるんでしょう。 だから教授の就労の声かけにも耳を傾けられた。
自分の足で立ってる、って初めて感じたでしょうね
▲25 ▼3
=+=+=+=+=
生活保護に頼らず清掃の仕事をしているのは立派。若い人でも働けるのに生活保護に頼る人もいる。働いて賃金を得るということは大変なこと。ただ働いて賃金を得れば充実感がある。そして何より何らかの形で社会に貢献している。これからも体力が続く限り頑張ってほしい。
▲338 ▼21
=+=+=+=+=
この記事はすごい「美談」のように描かれてるが、違和感がある。日本人は勤労は美徳という哲学がしみついている。が、本人が望むなら生涯働かないという選択肢もアリだと思う。べつに地域社会とつながる必要などないのです。ただ62年生まれとあるから男は大学でたら就業って価値観に疑問をていすることすら許されなかった時代で非常に困難だったでしょう。いっぽうで記事によると40代後半で母と父が相次いで死去したとある。就労するまでまだ10年あるわけで、要は親の貯金をとりくずして、ついに進退これきわまる状況になったので外に出て来たと推察されます
▲21 ▼2
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社会に出なくても生きていけるような恵まれた環境にいる人は稀で、普通は世間に出ないと単独餓死して身体が腐敗する。働くことをしないのに金を得ようと無理すると刑務所に行き着いてしまう。世間に出なければ、怖がることはないかもしれないけれども、辛さと背合わせになった喜びや、感動も、愛され愛する喜びも、生きることで得られる生命の充実感も知ることはできない。危ないので、不安ならば無理に出てこいとは言わないけれども、閉じこもっている人に自覚して欲しいのは、自然が自分に与えた生命のエネルギーを自分だけが浪費する自由はないということだ。それでも出てこられなければ諦めて静かに死ぬしかない。
▲3 ▼10
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ウチは家庭環境が悪かったから、家にいるのがいちばんのストレスだったよ。早く家を出たくて出たくて、さっさと結婚して出て行ったよ。結婚して何が良かったって、家から出られたのが良かったって、姉もいってる。 夫と揉めても、実家にだけは絶対に気持ちよく帰れる状況じゃなかったから、なんとか乗り越えた。まぁそこは結果的には良かったのかもだけど、 家にこもっていられた状況であったことは、正直羨ましいです。 ご両親に感謝してください。
▲13 ▼5
=+=+=+=+=
この方が女の子だったら、近所のお節介さんが宇部興産とかの独身者をあてがって専業主婦に、とかっていう当時の一般ルートだったんでしょうね。やってることは本当に、所謂家事手伝いですからね。
親御さんとの相性も良かったんだろうし、この方自身が親御さんを大切にしていたから、ご両親も一緒にいて安心だったんじゃないかな。穏やかでなんだかいいですよね。
▲24 ▼2
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弟は引きこもりのまま60歳を過ぎました。10年前に母、昨年は父が亡くなり家を売却して小さなマンションにひとり暮らしさせています。二人姉弟のため姉である私が相続の手続き、家の売却、弟の住居などすべて手配してやりました。弟は相変わらず仕事はしていません。最近は認知症気味です。両親が生きている間に弟が自立できるようにしておいてほしかった。父母のやるべき事を私が背負わされて今でも腹が立ちます。
▲170 ▼8
=+=+=+=+=
引きこもれるって恵まれた事って、 それは本当にそう思います。
普通は引きこもれたくても出来ない。 いやでも辛くても、食べていくためには外に出ないと。 親もそれを許さない。 普通はそうじゃないですか!
自分でもまずいなって気持ちはずっと心のどこかにあったと思いますよ。
ご両親が存命ならいまだに引きこもってたと思いますよ、この方は。
親は順番から言うと子より先に逝くもの。 心を鬼にして、自立させるべきだったと思います。 まあ、でもなんとかギリギリ間に合ってよかったのかな。
▲11 ▼7
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私は両親が亡くなるまで研究だけをしていた。引きこもりのようなものだ。母は24歳の時に乳癌からの転移癌で亡くなり、父は私が43歳の時に29年前の腎臓癌の転移癌で亡くなった。研究ばかりしていた私は、父の癌の再発を機に研究から退き、父の看病に専念した。父は医者だったが私は農学者だったので後継者を探すこととなった。父の死の直前に見計るように現れた医者にさんざん騙された挙げ句安値で乗っ取られ、土地建物も実質乗っ取りに近い形で占拠されている状態で、裁判で争っている。自分はやはり農学をやっていたので農家になるべく修行中だが、人の死に際には必ずあらゆる詐欺師が現れるので、親が財産をもっているからと言って油断してはならない。引きこもりの人はどうしたって世間知らずなのは否めない。優しい振りをした詐欺師は必ず現れます。くれぐれもご注意ください。
▲17 ▼3
=+=+=+=+=
まったく同じ年齢です。 私も人と交流することが苦手で今は社会の中に何とか住処を見つけていますが、立場が変わればこの方と同じような人生になっていたかも知れません。 なにはともあれ受け入れていただけるコミュニティが見つかって本当に良かったですね。
▲38 ▼1
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個人的には引きこもり問題よりも中高年の天涯孤独問題の方が問題としては大きいし、これから増加するのではないかと思った 天涯孤独だと住居が持ち家でない限り保証人を用意する場面に出くわすケースがどこかで発生するのではないだろうか 怪しげな保証人ビジネスに取り込まれない為にも、社会でセーフティーネットを構築するべきだと思うが、それにはリスクもる 致し方なく天涯孤独となってしまった方がいる一方で、なるべくして天涯孤独となった人間的に何らかの問題のある方々も多数いるというリスク 自由と民主主義が高度に発展した現在の日本には、その果てに生まれた様々な社会問題が山積していると感じた
▲9 ▼2
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私の地元の地方都市で不可解な現象が数々起きています。 中学生の時にもの凄く悪かった少年院経験の不良だったA君は建設会社を立ち上げ成功していたり、暴走族だったB君は市議会議員になったり、おとなしい同級生の男子をイジメてばかりしていたC子は宅建の資格を取ってたり、その子分みたいなD子は化粧品会社経営の子沢山で今はPTA会長などを活躍しています。 逆に中高時代に人を決して馬鹿にしなかった優しくてスポーツも万能だったE君は国立大学を卒業した後に何があったのか今は引きこもりになって変質者扱いをされています。 他にも同級生で名門私立大を出て頭が良かったF君は教師をしていましたが、PTA会長のD子さんに会議でもの凄いけなされたりして鬱になり教師を退職して今は非正規労働者で職を転々としているとか。 凄く優しくて、頭が良くていい人達だった人達が今や世間では馬鹿にされた扱いを受けてるみたいでとても悲しいです。
▲39 ▼6
=+=+=+=+=
良かったです。励みになります。 自分も今引きこもっています。 こういった社会で安心して暮らせる事が本当に大事な事だと思います。 それぞれがいろんな役割を果たし、共存出来る社会がいい社会だと思います。
▲4 ▼0
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当方、53才男性です。 丁度、10年前20年間引きこもっていた高校時代の同級生が自死でこの世を去りました。 私も彼も愛知から東京の大学に行ったので大学時代の東京での思い出も多くあります。 葬儀の日に会った彼のお母さんは、死んでホッとしたというような表情でした。 20年、親子で辛かったんだろうなと推察しました。答えなんかない、死だって時には解になることだってある、当時そう思いました。誰が死は何時でも悪だと決めつけられるのことができようか。それは生きている側からの奢った考えに過ぎないのでは?と。 私は今、確かに生きているが、それは生きていることからの惰性に過ぎないと考えています。積極的にいるか?と自問自答する毎日です。
▲24 ▼3
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買い物や病院など、外にはたまには出てたのは大きいかもな。 本気の引きこもりは家からほぼ出ないか、夜中にこっそりくらいらしい。 彼もだが、人と関わる事って大事。 関わったから変われたんだし。 もちろんわずらわしい事や面倒な事もあるけどさ。 合わない人だったら距離を置いて、自分に合う人をまた探したらいい。 でも、結局は自分から少し勇気だして外に出る事が一番大事かな。 それが一番難しく大変だろうけど、自分のペースでいいかさ。
▲54 ▼6
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親が死んだら自分はどうなってしまうのか不安と考えるように親だって「自分が死んだら子供はどうなる」と苦しみ悩むものです。 ずっと家にいて仕事もしてない、収入も無い、結婚相手もいない我が子を養って一生を終える親ほど切ないものはない。 誰だって好き好んで仕事して生きてるわけではない。ラクして好きなことだけして生きていけるなら皆誰だってそうしてる。 でも現実は、金を稼がないと生きていけないから仕事を頑張っているんです。 家族を養うため、親のため、自分のために仕事をしているんです。
▲24 ▼26
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自分の価値と居場所を見つけるのが難しい人は多くいる、自分の勤めてる会社でもパワハラにより精神を病んで退職した人、休職してる人がいます辛さを話せる理解してくれる人がいればいいのですけど、ラジオでいい番組を聞いたりするのもいいですよ。
▲55 ▼9
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高校でのプレッシャーが引き金で引きこもりになったとのこと。一方、40年間にわたり本人は「引きこもりとは思っていなかった」とのこと。
様々な心理的要因などにより引きこもりが起こったと思われるが引きこもりが発現する理由は分かっていない。
個人的な意見として、この方の40年間が運が良かった、とは全く思わない。可能なタイミングでもっと前に然るべき対応を自発的に、或いは支援などを通じて取った方が良かったのではないか。
この方は恐らく40年間、納税してこなかったことを気にしていないのだろう。本人が幸せなら誰が何を言っても意味はない。勿論、私の意見もである。
▲6 ▼26
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引きこもっていた事自体をご本人やご家族が問題に思ってなかったのなら良いのではと思いました。今は今で必要になったから働きそれが苦痛でないのだし、ある意味自分らしく生きられているのでは?趣味も素敵ですよね。人の生き方、本当に自由で良いと思えた。
▲19 ▼1
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他の方もコメントされているが、とても恵まれている環境で過ごされて来たのだなと感じた。
近所の目は気になったかも知れないが、ご両親がその状況を含めて、この方を丸ごとごくごく自然に受け入れて生活をしていたのだろうと想像する。 金銭的にだけで無く、そういう事を含めてとても恵まれていたのだろうと思う。 だから、40年自分が引きこもりと思わず過ごして来れた。
そういう部分もあって比較的早く就労する事が出来たりしたのかなと。
▲6 ▼3
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なんとなく豊かな感性をお持ちの方かなと思った。 他人と比較したり無駄な情報に翻弄されるから幸や不幸を過剰に感じて良くも悪くも自尊心を暴走させるんだと思う。 他人とのかかわりを最小限にして自分に集中して生きればこんなに豊かで楽しい人生はないよ。
▲13 ▼3
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この問題はさまざまなところで影を落としてますね。
私の周りで言えば、不動産賃貸物件でのこと。 老夫婦と中高年子供というケースは少ないですが、中高年で生活保護の独居世帯は結構います。
50代は就職氷河期世代で、就職環境も良くなく、本当に苦労してきました。そういう中で孤立し、鬱になってしまったり、外とのコミュニケーションが取れなくなってしまうということもあります。一人が精一杯で結婚や家庭を持つことの諦めもあったでしょう。
不動産現場ではこのような方達が孤独死になるということが多々ある現状です。
政府や国はもっと真剣に就職氷河期世代に目を向けた政策をしなければならないと感じます。
そして、超高齢化社会を支えるための政策も必至です。
若者減税を政策に謳う党もありますが、まずこういった観点からの政策が重要ではないですか?
▲13 ▼0
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昨年やっと再就職出来た私も役10年間引きこもりになっていました。 再就職が決まらない中、コロナが始まりますますブランクが長くなるので更に就職が決まらない悪循環。 20代、30代ならまだ就職口があるのでしょうが中年となると。。。引きこもりにならざるを得なくなります。 感覚的に言うと地面に足を付けて立っていたつもりが気が付くと地上からかなり上のまるで飛び込み台の一番上に立っていて一歩踏み出すのが恐ろしくなり何もできなくなる感じです。あまりにも世間と溝があり過ぎて家から出るのが怖くなります。 誰かに頼れる人が居ない私はとりあえず出来る事から、と思い「ボランティア」から始めました。外部との接点を作る事により一歩踏み出せば地面に足がついているんだ。と確認でき安心する事も出来ました。リハビリも兼ねボランティア活動から始める事を私はお勧めします。
▲7 ▼5
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仕事もしないで引きこもってても生きていける環境だったんですね。 大分恵まれてますね。 40年間も養って貰えるって凄く恵まれてる。 普通は働きたくなくても生きていくためにはやりたくない仕事でもやらないといけない。 色んな人がいて色んな状況があるのは分かるけど、こんなに恵まれた環境で生きてきた人に何を言われても全然響かない。 批判承知で言いますけど、楽な人生でとてもよろしいですね。
▲14 ▼22
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引きこもりといっても子供部屋おじさんみたいに 部屋から出ないとかお風呂も入らないとかゲームしかしないとかの人とは全く違うし、いわゆる家事手伝いで更にお母さんの介護までしてるからちゃんと生きれる人だったんだと思う。 だからこのままではいけないと気付き自ら動けた。 確かに時間はかかったけど御両親も天国で安心してると思う。
▲13 ▼0
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どんな生き方でも、前を向いて生きていけるなら良いことだと思う こんなに「世間で思われる普通の幸せ」の実現が難しい社会なのだから どんな形でも社会とつながり、その人なりの幸せが、見つかる世の中 それがあれば悲惨な事件はそんなに起きないと思う
▲6 ▼2
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自分も元引きこもりで、部屋からの明かりを外部に漏らさないためにカーテンレールからのすき間を布で覆ってた。かと言って家族と全く会話無い訳でなかった。夜遅い時間に近所が寝静まった頃、コンビニとか行って弁当買って人目がないところで食ってた時がなんか楽しいと言うか。本当に今思えば異常だったあの頃。自分が引きこもりになるなんて一ミリも思わなかった。 現在は、めっちゃ外出てます。バイト?ながら少し稼いでます。
▲71 ▼3
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