( 284776 ) 2025/04/21 05:48:27 0 00 八王子(画像:写真AC)
東京都心で桜が開花する少し前の2025年3月17日、マツコ・デラックスのひとつの発言が静かな波紋を広げた。
「東京出身っていって、「八王子」としてじゃなくて「東京」として語るのが納得いかないわ~」 「八王子を馬鹿にしているわけではないのよ」 「東京の多摩地区問題ってあるわよ。地方に行ったときに、どさくさにまぐれて“23区感”出すじゃない。多摩の人って。東京から来ましたって」(以上『スポニチアネックス』2025年3月17日付け記事)
TOKYO MX「5時に夢中!」の何気ないやり取りのなかで放たれたこの言葉は、ただのローカル自虐ジョークにとどまらない。そこには、現代の首都圏を覆う東京という虚像と、それにともなう移動の実態、社会的文脈、そして不均衡な利得の構造が透けて見える。この問題は、
・都民意識 ・地元愛
の話だけではない。モビリティの実態、都市のアクセス性、そして経済圏における主張できる地理的アイデンティティの問題にまで及ぶ。いい換えれば、それは名乗る資格と得られるメリットが一致しているか、という問いでもある。
日本のなかで東京と名乗ることが持つ価値は圧倒的だ。就職活動で東京出身ということ、観光地で「東京から来ました」と述べること、それらはたしかに
「何かしらの好印象」
を生む。だが、東京と一口にいっても、実際には23区とそれ以外で経済的、文化的、移動上の経験は大きく異なる。
八王子市は東京都に属してはいるが、新宿から特急で約40分、通勤時間帯には1時間以上を要することもある。鉄道の便はよいとはいえ、その移動負荷や生活圏は23区と決定的に違う。つまり、東京という表現が持つ都市的イメージ――利便性、即応性、文化資本の集中――と、実際に日常的に享受されているインフラとの間には乖離がある。
この乖離が、マツコの違和感の正体であり、「どさくさにまぎれて23区感を出す」という表現に凝縮されているだろう。
八王子市の位置(画像:OpenStreetMap)
八王子市は東京都多摩地域南部に位置し、東京23区に次いで1917(大正6)年に市制を施行した歴史ある都市である。戦国期には後北条氏や徳川氏の軍事拠点として城下町が形成され、江戸時代には甲州街道の宿場町「八王子宿」として栄えた。また、養蚕と絹織物の地場産業が発展し、桑都(そうと)の美称で知られた。
明治以降は生糸や織物の流通拠点として発展。甲信地方からの生糸が集まり、横浜港へ輸送されることで外貨獲得に貢献した。市は多摩地域の行政・商業の中心となり、戦後は都心から約40kmの立地を背景にベッドタウン化が進行。1970年代以降、多摩ニュータウンや八王子みなみ野の開発が進み、現在では人口約58万人と多摩地域最多を誇る。
市内には大学や短大、高専が23校所在し、約11万人の学生が集う学術都市でもある。高尾山など自然観光資源にも恵まれ、年間300万人超の登山者を集めるなど観光面でも存在感を発揮。2020年には日本遺産にも認定された。
交通の要衝としても古来より重要であり、現在も中央道・圏央道・国道20号が交差し、鉄道ではJR中央線・横浜線・京王線が接続する。東京都初の中核市・業務核都市に指定されるなど、周辺自治体との広域連携も進んでいる。
八王子(画像:写真AC)
しかし逆に問おう。なぜ八王子市民は
「東京出身」
というのか。これは偽りではなく、制度上の正しさだ。行政区分として八王子は東京都に属し、東京都民としての権利を有している。納税先も東京都、選挙区も東京都、住所にも東京都八王子市と明記される。制度上、東京であることに一切の嘘はない。
問題は、その制度上の正しさが、都市間競争や経済活動、移動環境のなかで過剰に用いられる瞬間だ。例えば、東京23区内の企業に面接に来る際、
「実家が東京です」
といって、実際は朝6時半に家を出て1時間半かけて通っている。このような事実が明らかになったとき、「話が違うじゃないか」となる。それは期待される東京性に対して、
「実体が追いついていない」
ことへの落胆だ。
八王子(画像:写真AC)
都市ブランドとは、地理的な表示であると同時に、社会的なレッテルでもある。たとえば東京出身という言葉には、次のようなイメージがともなう。
・情報感度が高い ・洗練されている ・消費行動に積極的 ・カルチャーに精通している
この印象が、就職や婚活、SNSといった場面で有利に働くことがある。
都市を語ることは、単なる出身地の話にとどまらない。ときに戦略的な意味を持つ。たとえば東京23区に比べ、郊外の地価は安い。自然も多く、子育てにも適している。そうした地域に暮らしながら、東京のメリットだけを持ち運ぶように享受できるという構図がある。
通勤時間を我慢すれば、東京出身というラベルが手に入る。土地の現実とは異なる恩恵を、携帯的に享受できるというわけだ。不動産情報サイト「SUUMO」の調査によれば、八王子市の新築一戸建て(80~100平方メートル)の価格相場は次のとおりである(価格の安い順)。
1位:小宮駅(3499万円) 2位:北八王子駅(3780万円) 3位:めじろ台駅(3790万円) 4位:狭間駅(3815万円) 5位:長沼駅(3880万円)
東京都内でありながら、この価格帯でマイホームを持てる現実がある。
マツコが指摘した「八王子が東京を名乗ることへの違和感」は、こうした実態を突いた嗅覚の表れともいえる。上京して苦労した地方出身者には、努力して手に入れた東京という自負がある。都心に暮らす人々には、高コストのなかで維持する文化的資本への誇りがある。
だからこそ、東京というブランドが実体を超えて機能するとき、人々の感情が揺れ動く。都市名が、単なる地名ではなく資産として流通していることの証左でもある。
八王子(画像:写真AC)
八王子に限らず、
・立川 ・町田 ・青梅
など、東京西部に位置する都市は、都心と比べると都市基盤の密度が薄く、インフラの集中も少ない。だが、行政的には同じ東京都であり、政策の枠組みも共通で語られることが多い。
この政策の水平性と実態の垂直格差の間には、制度的な綻びがある。
・移動距離と所要時間 ・通勤圏としての実効性 ・生活利便性
の観点から見れば、埼玉県の浦和や千葉県の船橋の方が、八王子よりも東京駅に近い。にもかかわらず、東京都という看板は八王子にのみ付与されている。
この地理的ねじれは、不動産価値や人口流動にも影響を与える。東京都というだけで地価が一定の水準を維持し、企業の支社・研修所が置かれる理由にもなる。
八王子(画像:写真AC)
都市を名前だけで語る時代は終わりつつある。重要なのはどこに属しているかよりも
「どこに繋がっているか」
だ。通勤に何分かかるか、どの駅をハブとして使えるか、緊急時にどこまで迅速にアクセスできるか。そうした動的な都市との接続性こそが、現代の都市における本当の帰属を定義する時代になっている。
マツコの発言を深読みするならば、それは東京という語の安売りに対するアンチテーゼであり、都市が持つ価値の分配における隠れた不公平への問題提起でもある。名前よりも接続。名乗る前に、移動時間を語れ。それが、いまの首都圏における新しいリアリズムなのかもしれない。
都市とは、の地図上の点だけではない。人とモノと情報がどれだけ速く、正確に、そして快適に動くか――その全体の流れのなかで初めて定義される。そして、その流れに「ただ乗り」するような語りがあれば、それに違和感を覚える者も現れるだろう。
マツコの違和感は、その流れの正当性に対する市井の視点からのチェック機能として、今後の都市政策、移動戦略の議論に一石を投じたといえる。八王子を語ることは、東京を語ること以上に、東京とは何かを語ることなのである。
山腰英二(カルチャー系ライター)
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