( 286318 ) 2025/04/27 02:59:30 2 00 子供に「はい、論破」と言われたら…「それってあなたの感想ですよね?」は小学生流行語ランク上位読売新聞オンライン 4/26(土) 13:40 配信 https://news.yahoo.co.jp/articles/e0a905abe24f190e0f1656287698ecbeaa243217 |
( 286321 ) 2025/04/27 02:59:30 0 00 子どもに言われたら
異なる意見の相手を否定し、自分の正しさを強調する「論破ブーム」が、子どもたちの世界にも広がっているという。相手より優位に立ちたいという気持ちが強く、「はい、論破」などの決めぜりふで会話を打ち切ってしまうこともある。背景を探ってみた。(野口季瑛)
「それってあなたの意見ですよね」。一般社団法人「アルバ・エデュ」(東京)代表の竹内明日香さんは昨年、ある小学校で、4年生の男児からこう言われた。竹内さんは普段、小中学校での出前授業で、議論やプレゼンテーション(発表)の方法を教えており、発声練習で「大きな声を出すには少し体を緩めて立ちましょう」と伝えたところ、食ってかかるような様子だったという。
このほか、相手の発言を遮ったり、言いよどんだ隙に「はい、論破」と言い放ったりする子も。2022年頃から目立つと感じており、「ロジックがないことも多く、言い負かすことが目的化している。深い意図や悪意はなく、本人たちはかっこいいと思ってやっているようです」。
こうした「はい、論破」などの決めぜりふはネットで広がり、子どもの世界でも使われ始めた。
「それってあなたの感想ですよね?」は論客として知られる「ひろゆき」こと実業家の西村博之さんが使う言葉として知られる。ベネッセコーポレーションが発表した22年の「小学生流行語ランキング」では首位、23年も4位にランクイン。同社によると「友達が言い訳をしたとき」「先生などに『テストの点数が悪いな』と言われたとき」に用いるという。
なぜ子どもはこうした「論破」に魅了されるのか。
青山学院大教授で小児精神科医の古荘純一さんによると、小学校低学年から思春期前までくらいの子どもはこれまで、「お前の母ちゃん、でべそ」など、友達や大人との言い合いを楽しみながら社会性を身につけてきたという。一方で、最近の「論破」は従来のような言い合いによるコミュニケーションではなく、やり取りを遮断する点が特徴だとする。
一因として、「自分の価値を認める『自己肯定感』の低さがあるのでは」と古荘さん。自信のなさが承認欲求に結びつき、攻撃的な言動につながることがあるという。
23年度のこども家庭庁の調査によると、「自分自身に満足している」の問いに「そう思う」と答えた日本の子ども(13~20代)は17%。36%だったアメリカやフランスなどと比べて低く、古荘さんは「他者を思いやるためにも、子どもの自尊感情を育む必要がある」と話す。
「子どもは社会の鏡。『論破』に夢中になっている大人をまねている」と指摘するのは、社会批評を中心に執筆する作家の物江潤さんだ。例えば、最近の選挙戦では、候補者が相手を論破するような様子が短い「切り抜き動画」となってネット上で拡散され、それが支持される。「短い言葉で分かりやすく、相手より優位に立ったように見せるパフォーマンス的な言動が好まれている」と分析する。
では、どうしていくべきなのか。大阪大教授(現象学)の村上靖彦さんは、対話の重要性を社会全体で見直す必要があるとする。「立場や意見の異なる相手の言葉を忍耐強く聞いて、個別の複雑な事情を寛容に受け止めることは手間がかかる。しかし、そうした時間をショートカットすると、意見の応酬に終始するだけとなり、社会の分断を生むだけだ」と警鐘をならす。
子どもとの接し方についても、村上さんは「例えば、大人はしゃべらず待つ。時間をかけ、子どもの話を聞く、議論する姿勢が求められるのではないか」と話している。
もし我が子から「はい、論破」と言われたとき、竹内さんがおすすめするのは「ラベリング」と呼ばれる手法だ。
ラベリングとは言動にあえて名前をつけ、可視化する手法。例えば「また『論破ゲーム』が始まったのね」と「ゲーム」というラベリングをすると、子どもは次第にやり取りをゲームだと受け取るようになる。冷めて「論破」と言わなくなることもあれば、本当にゲームのように楽しみ、けんか腰ではない良いコミュニケーションに変化することも。「『やめなさい』とは言わないこと。相手と同じ土俵に乗らないように」と竹内さんはアドバイスする。
一方、時間があるとき、真剣に話し合うのも一つの方法。「子どもの考えで尊重すべき点があれば、『その意見はいいね』と素直に認める。言い負かされるのは恥ではないという姿勢を見せることも重要です」
「論破」がテーマのスマホのゲームも登場している。AI(人工知能)と議論できるアプリ「論破少年まなぶくん」は、「子どものスマホ利用の是非」などのテーマで、「まなぶくん」というキャラクターとチャット形式で討論する。
アプリは24年1月に発表され、ユーザーの多くが10~20代の子どもや若者だという。開発した「トーキョースマートゲームス」代表の深野真人さんは「論理的な思考力を鍛えたい人から、単にストレス発散したい人まで、幅広く使われているようです」と話す。
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( 286322 ) 2025/04/27 02:59:30 0 00 =+=+=+=+=
以前、スーパーで買い物をしていたら、子供がひろゆき氏のモノマネをしていて、その子のお母さんがゲンコツした上で「次、ひろゆきのマネやったらウチの中入れねえからな」と叱っていました。やはり、駄目なものは駄目としっかり怒らないと捻くれた子供がどんどん増えると思います。
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割と大人でもそこまで露骨に言わないけど趣旨に合わないことを突然言い出したかと思うと、論点ずらしたりある。 そして詰めていくといきなり逆ギレするからなぁ。泣くまでやろうか?とかたまに思うけど気持ちのいい事じゃない。なので距離を置くのが1番だと思っています。
仕事や生活ともにしたりの継続した関係だと本当に辛いけどね…地味なダメージが蓄積される。
▲32 ▼3
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論破っていう子でも大人でも、言いっ放しで相手の話聞かないだけなんですよね。 言いたいこと言ったから、スッキリして相手気にせずどこかへ行く。
いや、ちゃんと会話しようよ!と思うけど、こういう相手に合わせるのもめんどくさいし時間の無駄だから放置してしまう… それを相手が負けたと思ってると勘違いしていい気になってるのも、見てわかってるけど、関わりたくなくて距離取るようになりましたね。
▲7434 ▼131
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こういう子供が出てくるのもこの時代の闇だなと思います。欧米諸国ではすでに子供のSNSやスマホの利用規制が始まっており、SNSやスマホの過度な利用が、子どもの心身の発達や脳に悪影響を及ぼす可能性があるという懸念から、各国で規制が活発化しています。いじめやサイバー犯罪など、様々なリスクにさらされる可能性は言わずもがなです。日本もそろそろ規制に乗り出さなければ、ひろゆきみたいな子供たちが次々に増殖してしまうだけです。ろくでもない。いち早くスマホ規制をしてしまうべきです。
▲405 ▼35
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部下でこういうのがいるけど、放っておく。 とはいえ、取引先にご迷惑がかかるといけないので、本人に気付かれないように徐々に業務内容をシフトしていって、どうでもいい業務内容しか任せないようにしつつある。
本人には寧ろやや気の毒なようだが、仕方がない。 いずれ痛い目を見てもらうしかなく、場合によっては払い切れない利子と共に代償を払ってもらうことにする。
▲423 ▼19
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小学生はまだ社会との交流が少なく、大人の社会で話題となったものがしばらく時間を置いてから降りてきます。使い古されたネタが降りてくる点では、今の時代、テレビのニュース番組を見てブームに飛びつく人と同じと言えるかもしれませんね。 良くも悪くも素直である彼らがこうした使い方をしてしまうのは、ひろゆき構文が流行った当時、我々が同じような使い方をしてしまったからではないかと思います。私は現役高校生ですが、周囲の友人を見ていると"何も考えず"ただただ好きな動画等をTikTok等動画アプリで観ているといった人がかなり多いように感じます。 グローバルな繋がりも増えてきた昨今、現代を生きる我々は尚のこと言葉の意味やあり方を見つめ直す必要があるのかもしれませんね。
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体罰を肯定するわけじゃないけど「生意気な事を言ったらぶん殴られる」と言うのを子供の内から教えておいた方が、子供の為になるような気がする。
まあ、許可したらそれを言い訳に体罰をする親が出てくるだろうから『体罰は許されない』とするのが正解なのだろうけど。
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子どもは大人の真似をするし、ダメな大人が多すぎるのでは。
大人が汚い言葉を使えば子どもも「使っていいんだ」と思うのは当然だし、周囲が綺麗な言葉を使っているなら汚い言葉を使う発想にもならないだろう。
日本の総理大臣を含めて政治家がまともに質問に答えない、「公約を守る必要はない」、「納税は義務ではなく判断」などと国会答弁で発言している訳だし。
子どもが生意気言うことよりも、まずは自分たちの普段の姿勢や発言を省みるべきだと思う。
▲2666 ▼280
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ただ、流行っているからという理由だけで、意味もよく分からず、単に言いたいだけなら、同じ土俵に立つことなく「うんそうだよ。それで?」とでも言って、軽くスルーすれば良いと思うけど、これが小学生高学年になって意味を理解したうえで、先生のような身内以外の目上の人にも見下すように言うようなら、親の躾として止める必要はあると思う。
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きちんと議論できない人、議論する相手に最低限の敬意を払えない人、どれだけ事実や理詰めで説明してもお気持ちで言い訳繰り返す人、意見と人格を分けて考えられない人、議論は合意やアウトプットでなく勝ち負けだと思っている人……。
最近はそういう人多いです。それを見ていると、子どもの頃からきちんと議論ができるよう教育することは重要なのだなと思います。
実際に、きちんと相手を尊重して議論のできる子どもは、よく考える子が多いように思います。社会のルールやマナーの意味、相手の気持ちを考えるので、結果として遵法意識も高く、本来の意味で賢い。
「それってあなたの感想ですよね」が流行る背景には、そのように子どもたちを指導ができるだけの思慮と論理的思考力を持ち合わせた大人が少ないことが、大きな要因の一つだと思います。
▲728 ▼44
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言われたらどうするかより、本当はそんな言葉に魅力を感じない子どもに育てられたらいいんだけどね。 子どもが何かに対し疑問をもったときに、身近な大人がしっかりと向き合ってくれていて、物事の道理にしっかり納得しながら生活できている子は「はい論破」とか言わないと思う。納得はいかないけど言い返せない、そんな経験を繰り返しているうちに口論で相手の上に立ってみたくなると言いたくなるんじゃないかな。要はちゃんと大人が向き合ってやることが重要だろう。
▲728 ▼71
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昔あった「それいつ言った?何時何分何秒地球が何回回った日?」みたいなのと同じようなもんでしょうね。この場合はひろゆきが好きだから同じようになりたいとかそういう気持ちもあるんでしょうけど。誰しもそうやって真似から入ってダメなのか合ってるのか学んでいくと思いますし、早いうちからひろゆきを反面教師にしてくれるなら小学生時点から流行してくれるのはありがたいです。
▲653 ▼24
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SNSだと大人のしかも社長クラスが似たような論調使ってるし、なんなら最近は企業も苦情を一方的に説明だけしてシャットダウンするよね。業者も顧客以外とはそんな感じだし、子どもの親でも見かける。 子供は世相に敏感だから、そのような社会に変化しつつある事を肌で感じているのだろう。
まあ、皮肉な事だが直接的な被害の無いネットや、日本の治安が良いからこそ成り立つやり方だと思う。相手へのリスペクトってのはお互いの身を守る為のやり方だけど、日本じゃ相手を怒らす事のリスクが少ないからね。
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親と子供の間柄ならゲンコツでいいと思います。そもそもがひろゆきのマネをしている時点で人間として恥ずかしいとの認識が必要です。 問題は、学校教育などの現場ではないでしょうか。親がひろゆきのマネをしているような家庭だとあてにはなりません。また、強く叱ったり、ましてやゲンコツを入れたりするのを体罰だと直ぐに社会問題にするのが情けない今の世の中です。これもまた教育の現場での難しいところです。
▲378 ▼40
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親が言葉遣いに気を遣っていても子供の言葉遣いが良いわけじゃない。子供によるんだよね。うちは親の言葉遣いが悪かったわけじゃないのに、私は悪かった。友達の親に陰で言われたくらいだから余程悪かったんでしょうね。それ以降人前での言葉遣いには気をつけました。でも結局大人になっても悪い部分はそのまま、ただ人前では隠されてるだけ。今の世代の子供達はYouTube等の動画から良くも悪くも多くを学習しますから仕方ないのかもしれません。私はすぐイラッとしやすいので、子供の言葉に冷静に対処できるようにしたいものです。
▲432 ▼67
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単に相手を打ち負かしたいという気持ちから使っていることも多いようだが、これが対話を遮断する態度につながってしまっているのは深刻な問題だと感じた。
大人が子どもを叱るときも、ただ感情的に否定するのではなく、順序だてて叱ることが大切だと思う。順序立てた説明や対話を通して初めて、子どもたちは相手の立場を考えたり、自分の意見を深めたりする力を育てられるのではないかと感じた。大人自身が、短い言葉で勝ち負けを決めるのではなく、時間をかけて相手の話を聞き、丁寧に対話を重ねる姿勢を見せることが、子どもたちへの何よりの手本になるはずだと感じる…
▲252 ▼24
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どちらの言葉も相手の意見を聞いて議論する気が無い時に使われているように思います 会話の基本と思うけど、人の話を聞かない人は議論が成り立たないので、自分の話は聞いてもらえない 会話のキャッチボールという言葉なら、自分が投げたボールを相手が受けないのと同じ状態になっている もはやルールが成立していない 論破しているのかは不明だが、そういう話し方をしている時点で勝負なら負けているように思う
▲334 ▼17
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時として、力よりも言葉の暴力は人を傷付ける。 仮にそれが正しいとして、それは言葉で捻じ伏せてはいないか? 弁が立つのは素晴らしい事だが、一番大事な事は相手の立場に立って如何に納得させれるかだと思います。 ひろゆき氏も話は面白いと思いますが、その矛先が自分に向いたらと思うと友達にはなりたいと思わないですね。 自分の子供が真似をしていたら、相手への思い遣りの大事さを教えたいですね。
▲240 ▼13
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今の対話ができない子達が多い気がします。いかに短くインパクトのあるフレーズで相手を貶められるかというように空気を吐くように暴言を言います。 コロナ禍の影響もあるのか、相手を尊重しつつ自分自身を守るための対話の素地ができてない子達もいます。自分自身の主張さえ通ればいいこも多いです。 小さい頃から家庭で対話や議論や話し合いに対する教育や慣れがないと、見たまま聞いたまま、最悪は暴言となって論破で相手を貶めて痛めつけてしまう気がします。 対話はお互いを保護するために必要ですが、そもそも大人にスキルも対話する環境でなかったりすると…こどもそうなりますね。 大人が先んじてやるのは重要です。
▲206 ▼19
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日本でもディベートの訓練をやったら良い。ただしディベートのゴールは相手を言い負かす事ではない。立場を入れ替えながら議論する事で互いの考え方を理解し、相手の想いを正しくくみ取ることができるようになるための訓練としてだ。
▲156 ▼4
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親が論破を外でするなと注意ぐらいでいいと思う。単純に子どものときは何でも面白い言葉を使いたいだけと思うので。他者を小馬鹿にする話し方をしない教育を普段からしていれば問題ないのでは。 子どもより、大人がひろゆきのような話し方をしていたり、論破など言う方がよほど問題である。 子どもにはネットだけの知識でなく親が本を読む機会を作ったり子どもの視野を広げることが必要だと思う。
▲9 ▼0
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自分の意思が出来る前は ある程度の体罰は必要だと思いますが それも程度の問題で 出血したり、腫れたりするほど叩いたり蹴ったりは やはりダメだと思います。 叱られたという事実がわかればそれで良いと思います。
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優位に立つ気持ちよさに目覚める年齢ですね。昔と形は違えどこれも成長過程のひとつのような気が。 大人の鼻をあかした(と思ってる)事で自分はもう子供ではないんだ、とアイデンティティを確立していってる。 その様子を見てる大人は生暖かい目で見てるわけだけど、この子が今の大人と同じ年齢になって、その時に現小学生のイキッたセリフを聞くと昔の自分を殴りたい気恥ずかしい気持ちがわかる受け継がれる羞恥プレイのひとつですね。
▲2 ▼1
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「はい論破」なんて人を否定して敵を作って自分を不幸にする愚かな行為でしかない。以前は娯楽や情報取集のために2ちゃんねるとか見てたけど、悪口や人のネガティブな所が多くて悪影響がある事に気が付いてだんだん見なくなったな。今はネットで幸せに生きるために良き学びがいくらでも見つかるしAIも進化していい時代になったと思います。
▲73 ▼3
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言葉遊びで気軽に使うのだろうね。使ってみたいだけみたいな。 余程の深い思考と知識量が無いと危険なんだけどね。 対話での防御や攻撃には沢山のバリエーション有るので、世の中に必要有れば?今後も似たような風潮増えそうですね。 感情昂ぶり対話を越えちゃうと単なるケンカ。ギリギリをネットの環境有りつつで行うのは知恵が要りそう。遊びの範疇で鍛え合うスタンス大事かもですね。
▲4 ▼0
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私は何かを伝えるときは、情報伝達、断定、強調、指示、意見、感想を分けて、後者以外は何かの根拠を持っていたり、情報源や発信元を確定させて話をします。聞かれても答えられるようにです。 仕事でもプライベートでも、子供たちと話す時もそうしています。 中学生の我が子もある時出してきました「感想ですよね?」と。ですが淡々と根拠を説明したら静かになり、二度と言わなくなりました。 世の中いろいろなコミュニケーションがあって良いのだと思います。しかし、事実と客観情報、そこに意見等が混ざり合って、よく分からない情報のやり取りをしている方々を職場等で見かけますが、そういった方々は「感想ですよね?」とか言われると脆いのかもしれません。
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小学生に関わる仕事をしていて、相談された事がある。 何か話してると話の途中で度々「それってあなたの感想ですよね?」とバカにしたような言い方をされると、 その子にネットで見たおじさんの真似事しか出来ないの?人の気持ち考えれない?って言って離れてごらんって言ったら実行したらしく、マズイと思ったのか言ってた子に謝られたそう。 ネットで色んな事を見聞きする機会が増え流行ってるからと何でもかんでも口にしていいわけじゃないと、駄目なことはきちんと説明して教えるべきだと思う。
▲8 ▼1
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あれって会話自体は手段。会話の中で相手より自分が上だと証明することで優越感を得ているだけな気がする。 下手に話を合わせても内にも外にも今後の成長にはマイナス。
対処法の1つとしては趣味かな。 出来れば他人と比べたり迷惑かけたりしなくても楽しめる事で。 普段の生活以外にも大事にしたい軸ができれば良い方向に変わりそうな気がする。
子ども自身がひろゆきをロールモデルにしても格好悪い事を自覚してくれるのが一番だけれど。
▲37 ▼5
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子供は特に勝ち負けにこだわりますね 論破と言われても根拠やデータを示せばいいと思いますし、大人が間違っていたらしっかり謝罪すべきだと思います それを見せてあげるだけで、0か1ビット脳の将来謝れない大人になるのを防げます
答えを出しづらい、勝ち負けをつけづらいトピックもあると思います 「それはパパも一理あると思った、でもこういう考えはどう?」「いろんな考えの人もいるね」「ここは子供くんの意見に近いけど、ママの意見を足すと…」「一緒に考えようか」 等と柔軟に対応すればいいと思います
▲631 ▼219
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実際のところ、自分が子供だった頃思い出してもらえればわかると思うけど、子供って想像以上に気を遣えるしちゃんと考えてる。 「屁理屈いうな!」と嗜めるのではなくて、しっかりと論理的なことを言っているのだと思って、子供だからといって舐めてかからずに対話することは大事だと思う。
▲570 ▼195
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そないに真面目に考えるべきことかな? 子どもは純粋に言葉の韻を楽しむし、それが流行りの媒体から受けたものならすぐ真似するよ。 そのまま大人になってしまった残念な人たちも沢山いるだろうけれど、それもまた子どものような大人で楽しい人生の一つなのかも知れない。 コミュニケーションの能力なんて、沢山の経験から身につけるしかない。 記事の中で語ってる人たちも、どれほどコミュ力があることやら。 こんなものに答えはないと思うので、各家庭で保護者が子どもに伝えたいことを伝えていけばいいと思う。
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ネット黎明期の頃はネチケットなどと言って、他人を不快にさせない様なマナーを守る文化がありました。ネットを使う層も経済的に余裕があり、自分でPCやネットについて勉強できるインテリ層やオタク層が多く平和な世界だった。
暴言や誹謗中傷紛いの言動は2chなどのアングラなごく一部のサイトでのみ見かけるものでした。当時たまたま覗いてしまったけど、こんな異常者にはなりたくないと距離をとったものです。
しかし00年代後半あたりからまとめサイトが2chのノリを外部に持ち出し、10年代にかけてスマホが普及し、それまでネットと無縁だった低所得層やヤンキー層などがネットの世界に流入し、まとめサイト全盛期だったこともあって全体的に治安の悪い雰囲気が蔓延してしまいました。
今の子供たちは幼少期からそういったネットの治安の悪さに触れてしまっており、暴言へのハードルが低くなってしまっているのでは無いでしょうか。
▲37 ▼5
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大人が子どもに勝とうとしなくていい。 ただ、ディスカッションには早い年齢なので、断定や思い込みだけは避けたい。 理屈っぽくてあまり好きな絵本ではない(笑)が、「りんごかもしれない」みたいに、こうかもしれない、ああかもしれないと考えるきっかけ、答えは1つではない、いろんな考え方があるんだと思わせるきっかけになればいいなと思う。
▲16 ▼5
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自分の亡くなった母親は論理的思考が苦手な人でした。結論が直観的に受け入れられないと、それまでの理屈を一切無視して、「やはりお母さんは納得できないのよね」と言い、ただ、そういう直感的な結論に周囲が合意してくれることが多かった気がします。理屈は合意形成のための有効な手段ではありますが、倫理観とのバランスが大事な気がしています。
▲0 ▼0
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竜馬がゆくで竜馬は議論に参加しないんですよ。隅でニコニコ聞いているだけ。理由は相手を議論で論破しても自分の味方にはなってくれない、むしろ敵を作るだけだからと。論破しても気持ちの良いのは自分だけですからね。子どもには論破された相手のことも考えてやるそういう人間を目指してほしいです。
▲6 ▼1
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「論理」っていう言葉を聞くと、筋の通った矛盾の無い、因果関係を完璧に抑えた前提と結論の関係のような印象を受けますが、実は脆いものだと感じることがあります。
この世で最も論理的な学問と言われる「数学」でさえ、ゲーデルの不完全性理論によれば、公理体系は無矛盾であっても不完全であると証明されてしまったと聞きます。(←内容を学習していないので、意味はよく分かっていません。ごめんなさい。)
論理なんて人間の作ったものです。完璧なものではないこともまた、自覚する必要があるのかもしれません。
▲10 ▼1
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うちの子にも言われた事あるけど、これってうちらが子供の頃に言い負かされそうになった時、そんな事誰が言った?いつ言った?何時何分何秒?と一緒だよね。 だから私が子供が論破って言ってきた時は、いつどこで誰が論破されたの?何時何分何秒、地球が何回回った時?って言い返しておいた。子供の言うことって、いつの時代もそんなに変わんないなあ、って思いながら。 そんなに深刻に考える様な話ではないと思うのだけど。子供が生意気なのはそんなものじゃない。
▲105 ▼14
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煽るだけ煽った後自分がどうなるかの予測がなく、対処も想定していない 私には子がおりますが、わが子ならば、ロンパできたか、アナタノカンソーなのかも話し合いますが、まず煽るという行いのリスクを話します 回避できなかった場合の処理も、子ども自身が知っておくべきです
▲12 ▼1
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最初、甥っ子(当時小学高学年、今24)に言われた時は『は怒?』てなった。 けど、スグに「なぜそうなった?」と問いかける様になった。 そしたら何故かしどろもどろ。笑
「はい、論破〜!」で勝ち誇りたいのだと思うけど、下手したらイジメへと発展しそうで怖い。 そこに至る経緯を質問する勇気があれば、なかなかと面白い結果が待ち受けてるに違いない。笑 子供の世界は面白い。
▲6 ▼1
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うちの小学生のこどもも言った。 「ママは論破って言われるのは嫌いだから。話があるならちゃんと言って」って真顔で話したら言わなくなった。 多分、これはパパやママに使ったらヤバい言葉だと思ったんだと思う。 冷たいかもしれないけど、言われたら不快なことはきちんと伝えるのは大事だと思う。
▲92 ▼0
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僕は昔から弁が立つ部類で「論破」はかなり得意だったりする。言い争いになっても負ける事はまず無いのだが、その経験上思うことがいくつかある。
・いくら言い負かしても相手が納得する事はまずない。 ・言い負かすのが目的の議論には全く生産性がない。 ・論理的でない相手に論理的な話をしても何も解決しない。 ・言い負かすことで相手との関係は確実に破綻する。 ・言い負かすことに快感を感じると自分がどんどん攻撃的になっていく。 ・気がつけば自分自身も平和的な解決を望まなくなっていく
論破の気持ち良さって確かにあるのだが、上記のような点を本当に注意しておかないと自分がおかしな状態になってしまう怖さがある。持論を主張するだけなら良いが相手を攻撃し始めるときわめて危険なゾーンに入っていくのだ。ここも含めてネットの書き込みなどでも基本的に「止める人」が居ないから、本当に気をつける必要があると思う。
▲8 ▼0
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子どもだけでなく、大人も論破することがブームになっているように思う。論破出来るのは頭の回転が早いと思われるから、カッコよく見えるのだろう。しかし、なぜ論じるかの本質を見失っているように思う。相手を言いくるめることが目的ではなく議論、コミュニケーションを取ることで最適解を求め行くのが論じることの本質。その本質を見失って、言い負かすことが目的になっているのはほとんど生産性はないと思っている。
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議論をしている当事者本人が、自ら「はい、論破」と発するのは、いささか公平性に欠けるし、早計な判断を生むとともに、独りよがりな発想の仕方を増長させるのではないか。
相撲の立行司のように中立の立場の人間を別に立てて、公正公平に判断して、その根拠を示すとともに、更に議論が発展するように、将棋や囲碁の対戦後の検討会の如く、生産的・建設的に話し合えるように仕向けるのが、良いと思う。
▲9 ▼2
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古代ギリシアで弁論が活発に行われていたように相手を言い負かしたいという感覚はかなり原始的な欲求だと言えるので、子供が論破に惹かれること自体は妥当なことのように感じます。 一方で、昨今では「相手との合意形成を図る」という意味での議論と、先述したような「相手を言い負かして屈服させる」という討論や「意思疎通を一方的に切断する」というもはや討論ですらない何かをごちゃ混ぜにしている方が多いように思えてモヤモヤしています。 原始的な欲求に身を任せるのではなく他者とコミュニケーションを取り合意形成を経ることで社会の一員になっていけるよう導いていくことは、子育てにおいて非常に重要な要素だと思います。
▲1 ▼1
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子どもたちに広がる論破文化は、勝ち負けを重視し対話を断つ傾向がある。本来議論は、勝つためでなく理解を深めるために行うべきであり、その「なぜ議論をするのか」という枠組みを教える教育が必要だと思うんだよねぇ。 子ども時代は失敗も含めて自由に発言し、アウトプットとインプットを繰り返す経験が重要。正論の性質として基本的に人を傷つけてしまうため、丁寧な対話の姿勢を育むことが社会全体の健全さにつながる。 だから正論を正義と勘違いして、暴力のごとく相手に浴びせ黙らせるのは文字通り言葉の暴力であるからその理解を促す教育が大事だよね。
▲24 ▼5
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子供を甘やかす風潮、なんとかしないと将来ヘンテコな大人が増えます。屁理屈言ったらしっかり目を見てダメなものはダメなんだと厳しく伝える。それでも直らなければゲンコツ(もちろん程度は弁えましょう)。子供は子供、半人前です。人権も半分しかないと言っても差し支えないと思います。甘やかしと慈しみは違います。子供が可愛ければ正面から向き合い、時には厳しく接することが大切だと思います。
▲32 ▼0
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昔は悪いことをしたら先生に怒られ叩かれ、それが家にバレようもんなら何倍にも両親に叩かれた。 隣近所が目を光らせ、知らないおじさんおばさんにも怒られた。
体罰は良くない、威圧は子供の心をダメにする。
そういって親は怒らない、叩かない。 先生は叩けない。 隣近所は我関せず。
これでは悪いことをしても怒られる機会がなく、子は自分が一番偉いと勘違いをし、こうして図に乗るようになる。
果たしていまの教育と世の流れは正しいのか? 国をダメにしているのは政治家と世の風潮だと思うばかり。
▲59 ▼10
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子どものうちは、こういうものにハマっておくのもいい経験になると思いますよ。こういうものは早いうちにハマって、早いうちに「卒業」しておくことが大事です。歳を食ってからハマると碌な人間になりません。
子どものうちならいずれこういう言動を「ダサい」と感じるようになって、自然と卒業出来ます。周りの大人は一種の通過儀礼のようなものだと捉えて、それとなく正しい方に導いてあげましょう。
▲14 ▼4
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どの時代でも、子どもが大人を言い負かしたいとか、自分を認めさせたいといった生意気な態度を取るのはよくあることだし、ある意味成長の証でもある。 大人はそんな子に対して焦ったり、子供と同じ土俵で組み合うのではなく、子どもの発言を注意深く聞いてやり、「そこまで考えられるようになったんだね」「どうしてそう感じたの?」と余裕を持って成長を楽しんだらいいのでは。 確かに腹が立つほど生意気だと感じることはあるだろうけど、今の大人も子ども時代は似たようなものだったと思う。
▲0 ▼0
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「何故論破したと言えるのか、論理的に説明しなさい」と言った場合子供はどう答えるのだろうか?単に話を打ち切る目的で使ってるなら、それは「逃げてるだけだよね?」と事実を指摘すれば良いし、言い分があるなら聞いた上で間違いを指摘するべき。論理的な思考を鍛えるのにも良い習慣になる。時間がなく煩わしいなら暴力と言う時短ツールを使う手もある。
基本的に子供に拙い論破されて困るのは親自身が論理的な考え方が出来ないからだと思う。理由は能力かストレスの多い環境かは人それぞれだと思うけれど、本来は子供が論理を持ち出して来たなら屁理屈はきちんと潰しつつ正しい方向に導くべきじゃないかな。そうしないで適当に叱ると悪化する一方だと思う。
▲12 ▼0
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親がなぜなのか、どうしてなのかをめんどぐさがって説明しないことがこういうことにつながるんじゃないのか?少なくともこんな感じで大人になってしまえば人との関係を構築するのに大きな足かせになりかねない。難しいかもしれないが子供との会話を大人が切ってしまわないように、柔軟に対応していく姿勢を見せることって大事なんだと思う。
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昔、クレヨンしんちゃんの影響で、大人をおちょくる子供が増えて、悪影響と言われた時代があった。いつの間にやら、路線変更してるけど。 何が言いたいかというと、性格にもよるけど、そういう年齢ってあると思う。 ムキになっても、お互い得るものはないので、良くない発言や行いには反応しないことが最善。 愛情の対義語は無関心なので、段々とおさまってきます。
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うちの子は、こういうのは絶対に親に向かっては言わないんですよね。 友達同士では言っていると思いますが、親には言わない。 本人が親に言うべきではないと判断できているんだと思います。 それはなぜなのかと考えると、普段から人として言ってはいけない言葉という話しをしているのと、 家の雰囲気でしょうかね。 主に私が、そういうのは嫌いだ、というのをおそらく肌で感じているというか… うまくは言えないけれど、そんな気がします。
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うーん。。。 我が子がこれを言った時、普通に 『みっともないからやめなさい』と一回言っただけでやめたけどなぁ。 結局は日頃の親の常識的な言動とか,親子の関係性とか、子どもの側の成長の度合いや理解力の成熟度、場合によっては遺伝的な特性次第で向き合い方は変わるもので、こう言う記事を書く記者や評論家の個人的な経験や知識はあくまでその人の範囲での話。 参考にはなるだろうが、正解として読むべきものではないと思う。 だか だから、記事のようなことをできなかったと悔やむ方がいたり,あるいはそうしなきゃとやってみたのにうまくいかなくて自分が悪いと感じている親がいたら、こんな記事気にすんな!と言いたい。
▲13 ▼2
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現代文の読解の際に自分自身に対して「それってあなたの感想ですよね?」とか、少し言い換えて「それってあなたの解釈ですよね?」とツッコミを入れると、特に大学入試の現代文で必要とされる客観的な読み方につながるように思う。事実と解釈とを区別することに繋がるのであれば、そして事実をどのように解釈するのが、より適切なのかにつながるのであれば、教室で、家庭で使ってもよいと思う。
▲2 ▼1
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昔から屁理屈こねるガキはいたけど、SNSでそういった姿が賢いや正しいとかかっこいいとかポジティブに見えるのだろうけど、普通に家庭での会話は討論やディベートではなく、話し合いなので、打ち負かしたり、言いっぱなしで聞く耳を持たない事よりも、聞く耳と理解する能力のほうが大事だと思う。
▲10 ▼0
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遊びでやってる間は許す。 でも遊びで済まない状況でそれを言ったら「叱る」。
「褒めて伸ばせ」と「叱らない」は全く違う。 叱らないってのは「逃げ」です。 叱って恨まれ、嫌われるのは誰だって嫌です。それでも問題だと思ったら「叱らなければなりません」。 叱るのってエネルギー要りますし、疲れますし、怒っている側だってストレス満載です。怒る、叱る事でストレス解消なんて出来るはずもない。
逃げるための方便として「褒めて伸ばす」を「叱らない」と勘違いする大人や親が居る。
何度でも言う。「叱る事から逃げるな」。それは責任放棄に過ぎない。甘えです。
▲4 ▼0
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何も困らない、むしろ、問答になるのは好ましいのでは? しっかりとした理論で、それこそ教えてあげれば良い、 言い返すのなんて簡単だろ?子供だもん
むしろ、言い返せないと言うことは、 子供よりも知識・理論において 劣っていることを認めてしまうようなことだと思うが。
個人的には、自分の思い通りにならないとパワハラとか そう言う人に育つよりも、 是々非々で考えられる子供になってもらった方が良いと思うので、 言い合いはむしろ歓迎すべき事だと思う。
▲13 ▼33
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このフレーズを聞くとフジテレビの人気番組 『痛快TV スカッとジャパン』(2014年10月 〜 2022年3月)の「スカッとした体験談」を再現ドラマにした作品の木下ほうか扮する馬場智明課長の「イヤミ課長シリーズ」を思い出す。 愛用の「肩たたき付き孫の手」を使いながら上司や取引先の重役などの目上の人間に逆撫でしながら媚びや部下に尊大に接する、嫌みを言い放つ、面倒事を押し付け手柄を横取りするパワハラ上司の役で 一時期は流行語50の中に選ばれてミニコーナーが作られたりファンレターが来るくらいブレイクしたんだよね。ただ、面白くて観ていたけどこのシリーズの回数が激減して毎回「本当にこれでスカッとしたのか」、「本当にこの体験談は事実?」と思うような体験談が出て来て、迷惑行為を働く、相手を罵倒するなどの悪行をしている人悪役が天罰のような痛い目に遭う流れがほとんど同じ展開で飽きてしまったんだよな。
▲2 ▼3
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論破されない様に物事の本質を伝えるしか無いと思うけどね。物事には様々な見方があり答えは一つでは無いと思うから、人の意見も真摯に聞く必要は有るのだと思う。 世の中には理不尽な事や不正がまかり通る事もあり、何が正解かは最終的に自分で決めて責任を取るしかなく、間違ったら刑務所に行くか犯罪に巻き込まれるか自分の選択だろうから、自由意志に任せて自立して貰えば良いのだと思う。都合の良い時だけ親に助けて貰う事も無いなら、それで自立していて十分だろうから。
▲8 ▼9
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親の立場なら一度受け止めるという考え方でいい。 でも小学生でも子供に対して甘くない対応をする大人は少なくないです。 そこに学校と家庭で許容されているノリで突っ込んでいくと怒鳴られるくらいにはすぐになりますよ。 そして客観的にはどっちも悪いという状態。 相手が不快に感じるということは苦い経験として刻み込む方が短期的にはいいと思いますね。
沸点の低い大人に遭遇したら終わるのだし。
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小学生というまだ10年あるかないかの短い人生の中で培ったなけなしの知識と思考力が大人に勝てるとでも思っているのかと、一つ一つ議論のポイントを整理して正面切って論破してやりたいけど、自分の子ならともかく他所の子ならめんどくさいからハイハイで終わらせるね。
親は、よその人にこういうことを言ってはいけないとしつける必要がある。
▲3 ▼2
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裏を返せば、他者肯定をしない社会になったと言えます。 自己否定は必ずしも悪い面だけではなく、自己を省みる事にも繋がりますが、自己肯定をしてもらうために、他者を否定するやり取りばかりのやり方は昨今では枚挙に暇がないでしょう。 自己を肯定する為に他者を攻撃的に否定するの行き先はオウム真理教の様な団体の暴挙が最たる例かもしれません。 子どもさんには他者から肯定される喜びを知ってもらいたいですね。
▲8 ▼1
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子供は悪くない。親がyoutubeとかヒロユキ観てる世代だからそういう子に育ってしまうのだと思う。本を読む家庭とネットスマホで育った家庭では子供の思考も全く別になるのは自然な事だし、逆に親が子供を論破できずに体罰して分からせるよう事をすれば、子供だってそういう人間に育つ。子供は親の鏡だってことを今の子育て世代が自覚する必要がある。
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話し合いや議論の際には、根底に倫理観や人間性、相手や自分とは境遇の異なる人への思いやりが必要です。それがなければどれだけ正しいことを言っていても何も生まれないし、時にはただの攻撃になってしまう。 人を傷つけてもなんとも思わない人がインフルエンサーになることの弊害が出てきているように思う。
▲4 ▼0
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蓋をする、ではなく コントロールする、方へ導かないとダメでしょうね。 子供は蓋をしても、なんとかしてかいくぐってきますからね。 それよりも「それを使うのはこういう時」や「それをされたらすごく悲しい」という事を伝えていくことが大事かなと思う
ちなみにウチは妻に 泣き真似をしてもらい、それがダメな事、悲しい事というのを態度で教えました。 子供は怒られた時、相手が泣いた時に初めてそれが悪い事と気付きます。子供じゃなくてもそうでしょう。 騙すのは悪い事と言われそうですが、これもコントロールの1つと捉えてます。 時には正論よりも感情で訴える事も必要かと思います。暴力よりは良いかと。
▲1 ▼0
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SNSが盛んになったことはいいが、投稿や、配信者の言葉遣いなので一部悪影響を与えていることも事実。 未就学児の姪や甥がYouTubeで覚えたこ悪い言葉を使っていて衝撃だった。 親も共働きが主流で育児に専念することは限られるので仕方ないがある程度監視やフィルター機能の活用は必要。
▲13 ▼3
=+=+=+=+=
私も子どもに言われたことがあります。驚いたので笑って受け止めた上で 「『論破』なんて難しい言葉よく知ってるね。世の中には人によって色々な考え方があって、何が正しいのか間違っているかそれを決めるのは大人でも難しいんだよ。それに、答えは一つじゃなくて沢山ある場合もあるんだから。はいパパの論破!」
と返してます。面白いのか悔しいのか、幼いながらに色々言い返してきますけど、「それは◯◯の考えだよね。自分の意見があるなんて凄いじゃん。パパはこう思うよ。ママにも聞いてみたら?」
と声をかけたら、素直に聞きに行ってました。個人的には、子どもの成長を感じて嬉しかったですね。
▲110 ▼45
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ゲンコツで教育という手法があります。子供の頭部を握り拳で打撃する事で、子供に痛みと恐怖を覚えさせる一方、脳内に伝わる衝撃で前頭葉を活性化させる事で、感情抑制や認知機能などイヌネコにも備わっている社会性が発達して豊かな社会性を身につける事が期待できます。
▲181 ▼108
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まあ否定的な意見がほとんどなんだけど、 あえて言えば「本当に親の感想でしかない」こともある。 情報社会で、親が全て正しくないとわかってしまうこの時代に、「あなたの感想」や「論破」にイラついて、ゲンコツなどの暴力に頼る親は毒親かもしれない。
子供に「論破」されないように ちゃんと親はマナーや正しい知識を学んでいかないといけないと思う。
▲2 ▼4
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ひろゆきの発言は、理屈に合っていることが多くあると思いますが、社会は理屈だけで過ごせるわけではありません。 ひろゆきの真似をし始めたのをきっかけに理屈の大切さを教え、同時に感情の大切さを教えてはどうでしょうか? 例えば、野菜嫌いな子に野菜は体に必要ということは、それはそれで論破だと思います。しかし、嫌いという感情も大事だよねということを両立して理解してもらえれば実感できるかなと思います。
▲4 ▼1
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人生で一回このセリフを言われたことがありますが非常に不快でした。論破っていわゆる相手を理論で屈服させるのが目的なんですよね、相手に有無を言わせないように理論武装する。 相手に言われるのが怖いから「論破」と言うことによって話し合いを強制終了する、要するに弱い人のやることです。
この言葉を使う人は、内面が打たれ弱いからこそ攻撃に振る舞っている人だと私は思っています。言われた側は非常に不快ですが、大人になっても建設的な話し合いができない、人とまともに向き合えない可哀想な人だと思っています。そんな偏屈な大人になったら孤独なだけですし、冗談で済む子どものうちに直した方がいいと思います。
相手の間違いを認めさせ自分が正しいと主張すること自体を否定はしませんが、論破なんてしたら関係悪化して恨みを買うだけなので、炎上目的じゃければ極めて非合理的だなと思います。
▲30 ▼1
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こういう世代に近しい子供たちが最近社会人になり、ミスをしてもふてくされて謝罪することもできない言い訳ばかりする。 注意をすればパワハラ扱いされ、あきれてものも言えない。 しっかりと社会を生きていける新卒は本当に一握り。 自分がミスをしているのに人のせいにして自分にはこの仕事は合わないと言い逃げ出す。そのようなことばかりしていたら今後の人生生きていくのは困難だろう。
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相手を論破するということ自体はそれほど難しいことではない。説こうとする相手の気持ちを読み取って、こちらの言わんとすることを相手に合わせることができるかどうかに論説の難しさがある。石◯構文のように勝てないまでも負けない論法はたとえ相手を論破したとしても相手の理解までは得られない。論破してくる相手にはそういうことを伝えるのが大切だと思う。
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勝ち負けで言ったら、『論破』と言い放った時点で、負け、だと思います。議論する場から逃げるための手段で、遮断している。これを繰り返すことで、人の話を聞かない・聞けない、自分の意見を相手に伝えよう、相手のことを理解しようという歩み寄りができないのは、自己都合で自分勝手なだと思います。自己肯定感の低さと関係があるとのことで、先の日本に危機感を抱きました。
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人間は感情の動物という一面はあるけども、それでもやっぱり こっちも理論武装して言い負かすくらいでないとダメじゃないのかな。
そこで子供が「理屈じゃないんだ」となって暴力に出るようなら こっちも(手加減して)はたいてやるべきだろうし。 近年はここのさじ加減が大人も子供もわからず、 お互いいきなり必殺攻撃を繰り出してすぐ事件化するのは憂うべきこと。 はたいた上で「暴を以て暴に易う」はバカバカしいと諭すのも必要だろう。
今どき何でもスマホで攻撃しようという安易な人が増えているが、 「ペンは剣よりも強し」ということは「ペンは剣以上の暴力だと自覚しろ」 みたいな諭し方もあるかもしれない。
この記事では子供をどう諭すかだけど、大人を諭すのも難しいものだよね。 大人の方は「親の言うことが聞けないのか」「この若造が」とか、 絶対逆転できないことを根拠に使ってくるから。
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一時期は両方とも耳にしたけど、今じゃ全然聞かない。まだいるんですか?(小学生相手の仕事してます)その時も「はい、そうですねー」で流してた。大人に対して使う言葉じゃないとわかったのか、相手にしてくれないからつまらないのか、飽きたのか理由はわからないけど、そこまでましっこく言ってくる子はいなかった。子ども同士では好きにしてくれって思う。
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数年前に子供達がグリコしているのをみたけれど、ジャンケンして進める文字がグリコやパイナップルではなく「あなたの感想ですよね」「はい論破」なひろゆき語録でやっているのを見た。 流行りの言葉として言っているんだろうなぁと思った。30年前の小学生がおぼっちゃまくん語とか使っていたのとあまり変わらない。
ただ、完全に意味が無意味なギャグと言うよりは、背伸びして見たカッコイイ大人の言葉として使っているようなシーンも見れるので(ギャグとして使っているシーンもあるけれど)、大人としてその正論・論破のかっこよさを理解したうえで、濁すのではなく明確に答えるカッコよさに乗った上で、他の可能性もないか考えを向けてあげるくらいがいいとおもう。
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相手の意見がどうであれ自分が気に入らないからという一方的な理由で論破という形で相手の意見をないものにしてしまいたいという感情からくるものです。 なのでそれは正式な論破ではありません。 論破はしっかりと相手の価値観と自分の価値観の違いを見極め、物事の理論をしっかりと理解した上でするものです。 そもそも会話とは勝ち負けではありません。 けれど自分の都合が悪いと、こういう言葉を軽々しく使って逃げようとするというのはその人の弱さの表れです。 子供だけてなく本気で物事や現実、自分の非と向き合えない人ほどこういう言葉を乱用しがちです。 まず、なぜ論破をしたかったのか、論破を成功させたら何に満足するのかという事を具体的に聞いて見るといいかもしれません。
▲21 ▼3
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居酒屋のおかみさんが、酔って議論を仕掛けて「どう?おかみ反論できる?」と得意げな酔客に対して「あらかわいいこと」と返していなしてるのを見たことがあります。
ひろゆきさんも奥様には例の論法は通じないと認めていますし、要は議論の埒外のマウンティングであることさえわかっていれば対処が可能なコミュニケーションです。
一時期はやった「だから?」や「カラスの勝手でしょ」と同じく、あくまでも話者が大人の土俵を出なければいい話で、大人の議論にも拘らずそれを使う論者には「議論をする気があるなら誠実であることを心がけてください。それができないのであればお話はここまでです」と返答するのが穏当なのだと思います。
▲8 ▼0
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ママ友の息子が言うのが好きになった時、理論的に考えるのが好きなママ友は、「いま、ママをどのように論破したのか、その証拠はどこかな。ちゃんとそこを説明できたら、はぁ~い論破されましたあ〜って言ってあげるから言ってごらん」と、その都度、今、この話はこれこれこうだから論破したのだ、と1から説明させてました。 彼女によると、これをちゃんとできれば読解力つくよ〜、なのでそう言ってくるのを待ってる、と言ってましたが、2回でギブアップしたそうで、勉強につなげるのはムリだったと。
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4-5年前にドラマで「浦安鉄筋家族」が放映されたとき、佐藤二朗と水野美紀夫婦(子供が岸井ゆきの、本多力だったかな)といさかいをおこす大阪人の夫婦でMEGUMIとバッファロー吾郎Aの回の時、スーパーのレジの順をめぐって横入りしてきたMEGUMIに対し、注意を声掛けした水野美紀だったが、言い合いになり、水野美紀が言葉に詰まった際に、MEGUMIが「はい!論破!」と言って、こういう使われ方をするのかと感心したことがありましたねね。 ちなみにMEGUMIさんの関西弁の早口には感心しました。
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こういうの真似するのは大人でもそうだったりするが、良くも悪くも子供って影響されやすい+勢いとノリが強い質だから中身が伴ってないものです。 ゲームやアニメとかのキャラが4neとか言えば子供もそれ言って親とか先生に怒られるって普通にあるし中身を教える教育は大事。
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TVで切り取られた発言を子供が真似する傾向は昔からあったので、それがどこまで現代特有の問題なのかはよく分からない。 ただ、切抜き動画・ショート動画が色んな意味で本当によくない。アレをずっと観ていると読書の気力どころか、長い動画すら観る気がなくなる。 そしてアルゴリズムで自分が見たい安直なものばかり見せられ、それが個人の思想を形成するから恐ろしい。
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私は子供を3人産みいずれも成人していますが、もし子供が小さい時にこんな生意気な事を言って来たら迷わずに平手打ちをしていたと思います。 最近は体罰はダメと言う風潮になり、子供は大人を舐めるようになっています。
もちろん理不尽な体罰はダメだけど、明らかに子供が間違った事をした時はきちんと体罰で教え込むべきです。 最近の親は子供に対して甘すぎると思います。
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この現象に関してはひろゆき氏自身も発言していて、 「はい、論破」とは自身ほとんど言っていない 「それってあなたの感想ですよね?」と言われたら、 データがあるなら、きちんと根拠を上げて説明する データがないなら、「はい、私の感想です。」と答える(で、お終い) などと説明しています。幼稚なほど勝ち負けに執拗にこだわる傾向にあるので、相手の土俵に乗らないことが大切ですね。
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そういうところに親の躾がなっているかどうかが出るところです。
すべての大人がそういう子供に理解があるという訳でなく、真に受けた大人から反撃を受けて傷付くのは子供です。
怒鳴られて泣かされるだけならまだマシですが、殴られる、殺されるとなってしまった時に親の躾がちゃんとなっていれば、悪意の無いおふざけだったのに簡単に命を失うことも無かったのになと思う。
大人であれば絶対に悪いことはしないだろうとする性善説が既に通用しない世の中です。
子供を愛しているなら、子供の命を守る躾をして欲しい。命を失ったらもう二度と帰ってこない。犯人を捕まえて反省を促しても、仇討ちをしても、高額の賠償金を貰っても、その子の命は帰ってこない。
そうならないための躾をしないということは、初めから子供を見殺しにしているのと同じである。
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小さい頃からそんなんでは大人になってから損するだろうなぁ アドバイスしても、受け止めないならだれもしてくれなくなるし、壁に当たってもだれも助けてくれなくなる
言い負かすことよりも意見をいくという事の方が重要だという事を何かで経験されるのが一番だとは思う
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論理のプロです。日本人は議論ができないので子供が言う「はい論破」はあながち間違っていません。 本来、議論とは互いの意見をぶつけ合い、理解し合うプロセスのはずですが、日本では「空気を読む」ことが優先され、意見の対立は避けられがちです。そんな中で育った大人たちが、相手を論破してスカッとした気分になる「切り抜き文化」に熱狂するのは当然で、子供たちがそれを模倣するのもまた必然。問題は「論破」が目的化し、対話の本質を見失っていること。言葉は武器にも橋にもなる。子供の「はい論破」を笑って済ませず、大人こそまず対話の姿勢を見直すべきではないでしょうか。
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人間って子供の時から、自分では言えないやれないことをやる人間、それも良い方ではなくアウトロー寄りなほうに惹かれる傾向があるんだよね。攻撃的な思考や言葉のほうがより引きつけがち。アメリカ人がファ〇クやデェ〇ット連呼するのと同じ感覚なんだろう。とかくその人に憧れているというより、その人が言っていた言葉の受け売りをしているだけという免罪符を作っておけば、いつ如何なる場面で何回使っても自分発祥じゃないから許されるみたいな心理が働いて、本人よりも乱用してるパターンが多い気がする。子供なら子供のうちにきちんと親が教育して修正しないと言いたいこと言う、やりことをやるという本能で生きる動物に近い人間になってしまうので、付いていけないからとただ呆れてスルーするなどしないようにしましょう。それは教育でも子供のためにもならないのだから。
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