( 286786 )  2025/04/28 06:51:40  
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新幹線(画像:写真AC) 

 

「だから2席分買ってますからね」。 

 

 タレントのマツコ・デラックスが、満席新幹線において自らの快適性を保つために取っている対策を明かしたのは、TOKYO MXの情報番組『5時に夢中!』でのことだ。 

 

「嫌じゃない、こんな(体格)のが隣に座ってると」 

 

としたうえで、2席分のきっぷを購入して隣を空けるという。スタジオの共演者は驚きと笑いをもって応じたが、マツコ氏自身は 

 

「ズルい…みたいな。お金払ってますっていう顔をするんだけど。すごい目でにらみ付けてくるババアがいる」 

 

と、周囲の視線に苦笑しつつ語った(『日刊スポーツ』2025年4月17日付け記事)。 

 

 この発言が示しているのは、芸能人の贅沢や特権意識ではない。むしろ、私たち全員が、新幹線という公共の空間をどう使うべきかで、曖昧なルールと経済的な考え方の間で迷っていることを反映しているのではないか。 

 

 新幹線の座席は、基本的に料金を払えば誰でも使える。しかし、だからこそ 

 

「ひとりで2席を使う」 

 

という選択が、強い違和感を生む。その違和感はどこから来るのか。この行動に経済的な価値はあるのか。そして、これが今後の移動のあり方にどう影響するのか。 

 

 本稿では、所有と共有のバランスをテーマに、新幹線の座席をめぐる感情や市場の考え方を深く掘り下げていく。 

 

新幹線(画像:写真AC) 

 

 ひとりで2席を買うことは、はっきりとサービスの対価が発生している。つまり、JR側から見れば、2席分の座席を売って、ふたり分の収益が得られることになる。販売者にとっては、むしろ歓迎すべきことだ。しかし、周りの乗客にとっては、混んでいる中で 

 

「空いているのに座れない席」 

 

があることに、モラル的な矛盾を感じるだろう。 

 

 問題は、座席の購入が空間の独占を意味するかどうかだ。公共交通の基本は、多くの人が公平に利用できることだ。しかし、料金を払った分だけ使えるという仕組みがある以上、経済的に余裕のある人がより多くの空間を手に入れるのも、制度上は正当だ。 

 

 このように、公共性と市場性の間で、利用者の間に納得と反感が生まれる。狭い車内空間のなかに、この緊張関係が集約されているといえる。 

 

 

新幹線(画像:写真AC) 

 

 新幹線で2席を買うのは、単にスペースを買うことではない。長時間の移動を快適に過ごすための選択であり、ひとつのライフスタイルだ。 

 

 飛行機のビジネスクラスやグリーン車のように、快適さに対する対価が決まっているサービスはすでにある。そのなかで、一般席で2席を買うのは、最適な形で自分に合った方法を選ぶことだ。また、 

 

・体格が大きい 

・パーソナルスペースに敏感 

・障害や体調に問題がある 

 

など、体の事情によって1席では不便な場合もある。そうした需要を考えれば、2席購入は必ずしも贅沢ではない。 

 

 問題は、混んでいるときにどう見えるかだ。満席で他の乗客が座れないなか、空いているのに座れない席がある。この“見え方”が、感情的な反発を呼ぶ原因となっている。 

 

新幹線(画像:写真AC) 

 

 この議論を広い視野で考えると、新幹線の座席は時間と空間の組み合わせに過ぎないことがわかる。座席そのものではなく、座っていられる時間を買っているという考え方が重要だ。この考え方に立つと、座席を複数買うことは物理的な所有を超えて、時間と空間のサービスを買うことになる。つまり、それを複数購入することは、自分の選択として許されることだ。 

 

 ここで注目すべきは、座席は「ひとりひとつまで」といった社会的な慣習と、買える座席数の違いだ。この対立が重要なのは、社会的期待と市場メカニズムがぶつかって、感情的な反発を生むからだ。市場での選択肢が広がることで、多くの人が公平さについて違和感を抱くのはそのためだ。 

 

 この問題は、2席買ってよいか、悪いかという問いにとどまらず、公共交通が空間設計と利用方法をどう見直すかという大きな課題につながる。新幹線の座席購入の仕組みを変えることで、移動の質や効率が大きく変わるかもしれない。たとえば、1.5席の広さを持つオプション席や、パーソナルスペースを重視した車両を作ることが考えられる。これが実現できれば、混雑を減らし、利用者と鉄道会社の双方にとって良い結果を生むだろう。 

 

 ただし、重要なのは、金銭的に余裕がある人が座席を独占することが広がりすぎると、公共交通の根本的な目的が失われる危険があることだ。誰もが平等に使える公共サービスとしての本質が危うくなるからだ。金銭的な優位性がすべてを支配するような状況が広がると、公共交通はその社会的責任を果たせなくなるだろう。 

 

 このバランスをどう取るかが、今後の移動空間における重要な課題だ。市場の原理を取り入れながらも、公共性を守るような仕組み作りが求められる。これは単に技術的な問題ではなく、社会全体の意識や価値観にも関わることなので、広い議論が必要だ。 

 

新幹線(画像:写真AC) 

 

 ひとりで2席を使うという選択は、制度上は可能であり、ニーズ次第では非常に理にかなっている。だが、それをありとするかなしとするかは、結局のところ、ひとりひとりの価値観と移動体験に委ねられている。 

 

 混雑と快適性、経済と感情、自由と共存。そのせめぎあいの中で、私たちはどんなモビリティ空間をよしとするのか――。移動そのものが問われる時代に、答えは常に、車内に乗り合わせたひとりひとりのなかにある。 

 

山腰英二(カルチャー系ライター) 

 

 

 
 

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