( 287471 )  2025/05/01 05:23:00  
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個性あふれるファッションを楽しむトチョニカペペさん。実は、創業80年の老舗料理屋の女将だ(写真:トチョニカぺぺさん提供) 

 

 刺身包丁が滑らかに動き、柵のマグロが切り分けられていく。そのサイズはひと口大と呼ぶにはかなり大きく、見るからに食べ応えがありそうだ。マグロに続いてブリ、サーモン、タイなどにも包丁が入り、丼の酢飯に盛り付けられていく。 

 

 調理しているのはトチョニカペペさん(25歳・以下、ペペさん)。金髪と黒髪のツートンカラー、首や手の甲や指先まで入ったタトゥー、耳や口に光るピアス。一見すると和食の料理人とは思えない風貌だが、栃木県足利市にある海鮮料理や「まぐろ 加一」のれっきとした女将である。 

 

■クラスでは孤立することも多かった 

 

 ペペさんの本名は、塚越永湖(つかごしとうこ)さんという。あるとき、初対面の人に自己紹介をしたところ、「え、トチョニカペペ?」と聞き間違えられ、それから愛称として定着した。 

 

 彼女を有名にしたのはSNSだ。厨房で調理をする様子や、個性的なファッションを身にまとったプライベートを発信し、TikTokとInstagramのフォロワーはそれぞれ15万人超にもなる。 

 

 そんなペペさんの生い立ちや女将としての日々、大好きだという家族への思いなどを取材した。 

 

 「まぐろ加一」は約80年前、ペペさんの曽祖父が創業した。戦後でお店もろくにない時代、リヤカーで野菜や魚の販売をしたのが始まりだった。その後、魚屋として店舗を構え、2000年に飲食店に業態変更。店名に「まぐろ」と掲げ、海鮮に特化した店として、昼はランチ、夜は通常営業をしている。 

 

【写真を見る】「包丁さばきがすごい!」いつもの“ギャル姿”からギャップがありすぎる《女将のトチョニカぺぺさん》(19枚) 

 

 そんな加一を営む塚越家の長女として、ペペさんは生まれた。子どものころはもちろんタトゥーもピアスもなく、髪も黒色。見た目はごく普通の少女だったが、周囲にあまり馴染めなかったと振り返る。 

 

 「空気を読めない子でした。覚えているのが小学生のころ、『クラスのイメージカラーを決めましょう。赤と青どっちがいいか手を挙げて』と先生が言ったんです。ほとんどの子が赤に手を挙げるのに、私は青。周りの子たちには『お前のせいですんなり決まらないじゃん、赤にしろよ……』って言われました。私は青がいいと思っただけなんですけどね」 

 

 嫌われるようなことをしていたわけでは決してない。けれど、自分に正直であり続けた結果、疎まれてしまうこともしばしば。クラスでは孤立することも多く、イジメにあった時期も。あるとき、学校に行きたくないと母親に相談すると、あっさり突き放された。 

 

 

 「『周りを悪者にするな。イジメられるほうにもきっと原因がある。悲劇のヒロインぶらないでくれる』って怒られました(笑)。これから大人になるんだから、(周囲のことも意識して考え方を)切り替えられるようになるといいね。がんばってくださいね、って」 

 

■中学生の頃から始めたクラブ通い 

 

 それでも、性分は急に変えられない。行きたいわけではないのに学校に通わされ、定められた校則に従わないといけない。そんな当たり前に思えることも、当時のペペさんにとってはたまらなく窮屈だった。 

 

 早く自由になりたい、と悶々としていた中学3年生のころ、初めて足利市内のクラブに行った。昼間に開催されていたイベントで、子どもでも入店可能という機会に1人で足を運んだのだった。 

 

 「足利のキラキラした人たちが集まっていると聞き、気になるから行ってみたんです。そこで4つや5つ年上のお姉ちゃんやお兄ちゃんたちと仲良くなり、今度遊ぼうよって誘われて。夜の時間にも連れていってもらってから、クラブに通うようになりました」 

 

 足利のほかに同県の小山、茨城県・水戸、埼玉県・熊谷、東京都・渋谷など、あちこちのクラブに顔を出すようになった。中学生でクラブ通いとは驚くが、現在のペペさんの風貌からすると、失礼ながら「やっぱり」という気もする。 

 

 だが、クラブ通いはしていたものの、いわゆる不良ではなく、法律に反することも一切していなかったと断言する。 

 

 「お酒も飲まないし、タバコも吸っていませんでした。むしろ、意地でもそういうことはやらないって決めていました。先生に怒られたいとか、イキりたいからクラブに行っていたわけではなく、ただ行きたかったんです。自分が好きなことが、周囲とちょっとずれてるぐらいの感じでした」 

 

 クラブで年上の友人たちと交流するのは楽しかったが、そのことが学校で噂になり、同級生との溝はますます深くなってしまった。だがそれをきっかけに、万人に好かれようとするより、自分を理解してくれる人とだけ仲良くできればいい、という考えが強くなっていった。 

 

■高校卒業の直前、教師に呼び出され… 

 

 このようなペペさんの人格を形成していくのに、両親の存在も大きかった。父親の匡洋(まさひろ)さんは、ペペさんのクラブ通いを「行ってくれば」とあっさり容認。 

 

 

 高校3年生、18歳になったペペさんがタトゥーを入れようと決めたとき、母親は止めるどころか「やるならがっつり入れなさい」とげきを飛ばしたほどだった。 

 

 両親以外に、一部の理解者の存在もペペさんを後押しした。 

 

 高校を卒業する直前、生徒指導の教師に呼び出され、タトゥーが入っているのか問いただされた。ペペさんを疎ましく思う生徒が、こっそりタトゥーの写真を撮り、退学に追い込もうと先生に送っていたのだ。最悪の事態に追い込まれるのかと覚悟すると、教師は笑顔で言った。 

 

 「永湖にはこんなくだらないことで負けてほしくない。だから、タトゥーのこともわかってたけど黙っていたよ、卒業おめでとう!」 

 

 ぺぺさんは「なんて格好いい人なんだ!」と感激したという。 

 

 こうして無事に高校を卒業。就職や進学はせず、かといって実家で働くことも考えず、スナックやバー、タピオカ屋などでアルバイトをした。だが面白いと感じられず、お金もあまり稼げなかった。 

 

 たまらず母親にグチを言ったところ、返ってきたのは「周りのせいにするな」という、かつてと同じ説教。結局、実家に戻って加一で働くことになった。ペペさんが21歳のときである。 

 

 実は小さいころからずっと店で過ごし、手伝いもしてきたため、ごく自然な流れだったという。 

 

 だが当初、ペペさんが加一で働くことに、母親は猛反対した。なぜなら休みは週1日、GWや夏休みもなし。しかも当時はコロナ禍の真っ只中で、飲食業は大打撃を受け、先も見えない。母親は「永湖に辛い思いをさせたくない。自由にしてほしいから、できれば家を出てほしい」と懇願した。 

 

■「てめえ、そんなの見せてんじゃねえよ」 

 

 だが、加一で働くというペペさんの思いは変わらなかった。 

 

 「(労働環境や停滞する状況など)お店をこれから変えていこうよ、って伝えたんです。昔と同じじゃなく、よいふうにみんなで変えていって、加一を盛り上げよう。『だから決めたよママ、うちは大丈夫だから気にしないで』と言って働くことになりました」 

 

 とはいえ、足利というのどかな町で、タトゥーだらけのペペさんの風貌は目を引く。ホール業務をしていると、客から冷たい目で見られたことも。ぶりかまを食べていた老人からは、いきなり罵詈雑言を浴びせられたという。 

 

 

 「『てめえ、そんなの見せてんじゃねえよ、この恥が!  お前の親の代わりに俺が怒ってんだよ、感謝しろ』って怒鳴られました。そのおじさん、来るたびにチクチク言ってきたんですけど、威勢がいい接客をずっとしていたら、『やるじゃねえか、気に入った。頑張れよ』って(笑)。それからはものすごく愛想よくしてくれます」 

 

 加一を誇らしく思った出来事もある。 

 

 あるとき、マグロが苦手な友人が店に来た。その友人は、回転寿司で美味しくないマグロを食べてしまってから、一切口にしていないという。その友人に、ペペさんは「騙されたと思って」とマグロの握りを出した。おそるおそる口にした友人は驚いた表情。 

 

 「『全然味が違う、美味しい!』って言ってくれたんです。好き嫌いを克服しただけでなく、それからマグロにハマってくれて。すごくうれしかったですね。バイトでも、そこまで好きではなかったけど、まかないのマグロ丼を食べて好きになった、という人もいました」 

 

 ペペさんの提案で、お店で流す音楽も変更した。以前は旅館で流れているような和のBGMだったが、ペペさんにとってあまり心地よくない。ヒップホップを流したい、という提案は却下されたものの、家族は「R&Bだったらいいよ」と寛容な返事。 

 

 それからは店内に流れるR&Bを聴いて、「うわ、これ新曲じゃん!」「超いい!」とノリノリになって働くようになったのだった。 

 

■包丁を握るようになった「事件」 

 

 そんな加一で2023年、事件が起きた。2代目である祖父が、心筋梗塞や脳梗塞を相次いで発症したのだ。無事に退院はしたものの、車いすでの生活を余儀なくされることに。失語症にもなってしまった。それまでは祖父と父親が厨房を切り盛りしていたが、また包丁を握ることは難しい。父親が3代目となり、ペペさんも一緒に調理を担うようになったのだった。 

 

 祖父は根っからの職人気質で、人に技術を教えるのも、包丁を握らせるのも嫌がる性分。ところが、ペペさんが料理人として修業を始めるのを見て、とてもうれしそうにしていたのが印象的だったとペペさんは目を細める。 

 

 「私がお刺身を切る練習していたとき、じいはニコニコして見守ってくれていました。言葉は出てこないけど、喜んでくれていたと思います。家族みんなで加一で働いて、みんなから『じい、じい』って話しかけられて、じいは幸せだと思うんですよね」 

 

 

 
 

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