( 288633 ) 2025/05/05 06:56:03 2 00 ひめゆりの塔の展示は「ひどい。歴史の書き換えだ」自民・西田参院議員が発言 憤る平和祈念資料館長「沖縄戦体験者の思いを踏みにじる」沖縄タイムス 5/4(日) 6:52 配信 https://news.yahoo.co.jp/articles/9893dd3ec37bc555895cfeb24ad461cf3cec6701 |
( 288636 ) 2025/05/05 06:56:03 0 00 憲法改正を考えるシンポジウムで登壇した自民党の西田昌司参院議員=3日、那覇市の県男女共同参画センター「てぃるる」
神道政治連盟県本部と県神社庁、日本会議県本部でつくる実行委員会は憲法記念日の3日、那覇市内でシンポジウムを開いた。自民党の西田昌司参院議員が講演し、過去に見学した糸満市のひめゆりの塔の展示内容を挙げ「ひどい。歴史の書き換えだ」と述べた。
西田氏は戦後の教育は間違っており「でたらめだ」と主張。「何十年か前にひめゆりの塔を訪れ説明を読んだが、日本軍が入ってきてひめゆり(学徒)隊が死んだ。そして米国が入ってきて沖縄が解放されたとの文脈で書かれていた」と話した。
その上で、旧日本軍を念頭に「亡くなった方は救われない。歴史を書き換えられるとこういうことになってしまう」と発言した。
また、「沖縄の地上戦の解釈はかなりむちゃくちゃな教育になっている」とも言及。「自分たちが納得できる歴史をつくらないといけない」と訴えた。
シンポは党県連が共催。1部は故安倍晋三元首相の顕彰祭を開き、2部では西田氏と国場幸之助氏(自民)が講演した。(政経部・又吉俊充)
■西田議員が発言した記述、実際にはなし 自民党の西田昌司参院議員が過去に訪れたひめゆりの塔の展示を「歴史の書き換えだ」などと発言したことに、ひめゆり平和祈念資料館の普天間朝佳館長は「沖縄戦体験者の思いを踏みにじる発言だ」と憤った。
普天間さんによると、塔や資料館には西田議員が発言したような記述はないという。普天間さんは「資料館の展示は体験者の話がベース。沖縄戦を体験した県民や、ひめゆり学徒隊の過酷な体験を否定する発言だ」と語気を強めた。
戦後80年が近づき、沖縄戦体験者は減り、風化も叫ばれる。普天間さんは「私たちにとっては踏ん張りどころ。戦争は絶対に起こしてはならない。体験者から渡されたバトンをしっかりと次の世代につないでいきたい」と強調した。(社会部・滝口信之)
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( 288635 ) 2025/05/05 06:56:03 1 00 この記事では、沖縄戦やひめゆり学徒隊に関する議員の発言に対する議論や意見が寄せられています。
戦争体験者の証言や、沖縄戦の実情に基づいた歴史的な事実を大切にする声や、証言の重要性が強調されています。
(まとめ) | ( 288637 ) 2025/05/05 06:56:03 0 00 =+=+=+=+=
西田議員は、何十年も前の記憶を元に持論を公の場で展開するよりも、せっかく沖縄に行っているのだから、講演の前に時間を取って祈念資料館を訪れ、自分の記憶が正しかったかどうかを確認してから講演に臨むべきであっただろう。 「歴史の書き換え」という言葉を使う人をよく目にするが、この言葉を使うには周到な確認と学習が不可欠に思える。
▲21927 ▼2123
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両者の話は間違って無いんだろうと思います。 ただ、立場や受け取り方、思想によって表現の仕方が違うんだと思います。 日本軍が沖縄を本土防衛の要とした事により沖縄県民に多大な犠牲を強いた事は事実だと思います。 しかし、日本本土侵攻の拠点として沖縄侵攻をしたのは連合軍であり日本軍は沖縄防衛の為に命を懸けて戦ったのも事実だと思います。 そのお陰で今を生きられる日本人は犠牲になった沖縄県民に深い哀悼の意を示し、赤紙1枚で招集され日本の為に散った英霊の魂に敬意を示す事が大事なんだと思います。 最後にあの大戦で犠牲になったのは沖縄県民だけでは無く、東京大空襲や広島、長崎への原爆投下など日本各地で国際法で禁じられていた連合軍による民間人の大量虐殺が行われています。
▲817 ▼367
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「自分たちが納得できる解釈」 この発言は非常に危険と思う。 そもそも「自分たち」とは誰のことなのか。 戦争はその立場によって見方も違うし、もっといえば個人それぞれによって違う。 家族が赤紙で招集された家庭、将校として積極的に戦争に加担した家庭でも見方は違うと思う。
つまり、誰もが納得する解釈なんてのは存在しない。
だからこそ、事実を事実として受け継ぎ、そこから個々人が考え続けることが大切なのだと思う。 西田が「解釈が違う」というならば、西田の解釈と対極の解釈で論じ合うことが大切であり、展示内容を一方の解釈に合わせるべきではない。 ※但し根拠のない展示がされている場合、恣意的な文言が含まれている場合は展示内容を見直すことが重要
自分たちの解釈に展示内容を合わせる… これは隣国が積極的に行う歴史教育そのもの。 せめて日本は、そのような地に落ちた教育をすべきでは無いと感じる。
▲9394 ▼1061
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右派だという自己認識があってもなくても自民党内には、先の戦争に対する認識を自分たちの都合の良いように誘導したがる議員が少なからずいます。確かに自虐に満ちた認識や近隣国へのへりくだった対応というのは、日本の将来を危うくする可能性があります。しかし、戦前の日本が行ったことを客観的に見つめる勇気を失ってしまえば、日本人は戦争で失ったもの以上の大きなものを失うことになります。与党支持者であってもなくても、このことはしっかり認識しておきたいものです。
▲1733 ▼283
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何十年も前の記憶を元に発現する粗雑さにまず驚くわ。普通なら、まずは当時の感想が正しいか、もう一度見てから発言するだろ。 遠い本土にいて、沖縄戦のことをどれだけ分かっているのだろうか。 一方的な価値観から発言する前に、現地に行き体験者や地元の人から話を聞くなど、よく勉強するべきだ。
▲8514 ▼1030
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先月ここを訪れましたが、たしかに「日本軍の行動が原因で、ひめゆり学徒隊が命を落とした」といった文脈で説明されていました。彼女たちは無理やり救護班として戦争に動員され、役目が終わると「君たちの仕事は終わった。ご苦労だった」と言われ、壕から追い出されたと記されています。外にはアメリカ軍がいて、そこへ出れば命を落とすことは分かりきっていたはずです。
もしこの内容が事実でないのであれば「書き換えだ」と言われても仕方ないかもしれませんが、実際のところはどうなのでしょうか。ただ、事実として、アメリカ軍に捕らえられた人は命を長らえ、日本軍を信じて最後まで戦った人や自決した人、あるいは逃げ続けて殺された人は命を落としたということは否定できないと思います。
個人的には、当時の日本政府が欧米列強の考え方から目を背け、投降するという選択肢を国民に教えず、そうした教育を続けてきたことに、大きな罪があると感じる
▲7139 ▼700
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ひめゆりの塔で戦争の悲惨さを学んだ。地下壕に避難してる市民追い出して軍が避難。女学生を看護係として動員しながら戦地まっただ中で放り出す。そして衝撃の「県の解散」。行政が機能を失ったら国として終わり。知事も戦火を逃げて今もご遺体は見つかってない。 一般人に何が起こるかを伝えるのに、絶対に隠しちゃいけない出来事だと思う。実際には一般人が避難できる場所すらなかった。 広島長崎沖縄が体験したことは、お上が封じるべきじゃない。
▲4147 ▼396
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2023年まで戦争体験者の話を聞く会に参加してました。沖縄戦で何があったのか、離党で何があったのか、小さな女の子が描いた塗絵は家族が殺し合う悲惨な絵がありました。父も沖縄では日本軍に殺された一般市民は多くいたと50年前言ってました。私の持ってる米軍のモーパックと言う撮影部隊が記録したフィルムの解説にも同じような事があります。戦争の事実を知ることが一番大切な事です。
▲1072 ▼194
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アメリカ軍だけが正しいということはない。 日本軍だけが正しいということもない。 戦場になるということは、その場所を戦争に巻き込むということで、その場所の住民は、どちらの軍からも被害を受けることになる。
そもそも、戦争が無ければ、その場所が戦場になることもない。 とはいえ、戦争が無くても、軍人がその場所に駐留する限り、その場所の住民は被害を受けることがある。 かといって、軍人がいなくなったら、その場所が侵略される可能性は高まるため、軍人を無くせば済むという問題でもない。
要は、何が正解かは誰にも分からないということだ。 だからといって、問い続けることをやめて思考停止に陥れば、たちまち戦争は起きる。 力を持った者の中には弱肉強食を肯定する者が必ずいるからだ。
戦争の事実は、一方当事者の主観を交えてはならない。 当時、そこで何が起きたのかを主観を交えず伝えるだけでも、十分価値があると思う。
▲2910 ▼412
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沖縄戦で大量の民間人が犠牲になった原因は、住民が退避している南部に日本軍が撤退してきたから、否応なく戦闘に巻き込まれたのは事実だから、「日本軍が入ってきたから民間人が犠牲になった。」という表現そのものは間違いないし、沖縄県知事島田叡は軍との協議の際、「南部に撤退したら大惨事になるから、どうせ玉砕するなら軍は首里で玉砕しろ。」と主張している。 ただ日本軍も県庁も民間人の犠牲を少しでも減らそうと、住民を知念半島方面に避難させようとしているが、もう住民を統率するどこか指示を伝える術も失われていたのだけれど。
▲2116 ▼306
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子供の頃から戦争についての絵本やアニメ、ドラマをたくさん見ましたが、沖縄戦については「日本軍はとにかく国民に酷いことをして、最後は鬼畜と言われていたはずの米兵が優しく助けてくれた」というイメージが強かったです。 大人になり司令部の壕など色々な遺跡を回り、もっと色々な角度から戦争を知るべきだと思いました。
▲3204 ▼823
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ひめゆり平和祈念資料館は日本人であれば、絶対に行くべき場所の一つだと思います。 この場所より、戦争の悲惨さを感じられる場所はありませんでした。 広島や、長崎の原爆資料館、知覧の特攻平和会館では、人間としての展示がおこなわれています。 この場所で教えられたことは、人間は、極限状態に陥ると、倫理観や、道徳、感情をも無くしていくということです。 ヒトがヒトでなくなっていく姿が、示されています。 そして、それを引き起こしたのが戦争であるということがわかります。 日本軍が悪いとか、米軍が悪いとかそんな問題ではないです。 そういった責任論さえも失った世界が、沖縄であったんですよということを教えてくれます。
▲805 ▼59
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先日、公明党が西田議員等3名の推薦を決めた事で地方議員や支持者から不満が噴出しましたが今回の発言に対してのコメントが欲しいですね。平和の党として掲げられて来た公明党の看板に傷が付くのではないでしょうか?とりわけ沖縄は支持母体の創価学会にとっても平和を語る上で特別な地域だと思います。選挙区の会員のみならず発言の対象となった地域の学会員からの声にも耳を傾けないとまたまた大敗を喫する事になると思います。
▲1388 ▼225
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沖縄戦に関しての想いって、読んだ本、受けた教育の年代、その時の教師、などによって、受け入れ方は人それぞれで、どれが真実なのかは、当事者しかわからないくらい年数が経ってしまってます。 なので、当事者がほとんど亡くなってしまっている現状では、当事者が残した記述のみが伝えられていくのだろうけど、それも見方、読み方によっては偏った情報にもなり得ます。 先入観を持っていては、正しい歴史認識は出来ません。 今の日本が平和で、美しい国である事こそが真実であるならば、前後GHQが介入していたことも、敗戦国となった事も、今の日本を作る礎であったと解釈できます。 歴史を伝え続けるって、本当に難しい事だと思います。
▲539 ▼74
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残念な発言ですね 数十年前の経験で発言するのではなく、再訪して確認したうえで事実に基づいて発言すべきです 個人の歴史観を公の場で発言するなら責任を持って発言すべきであり、間違いであるなら現地に赴き謝罪してください 事実というなら証明する責任があります 今度の参議院選挙で改選対象だったと思いますので京都府民の有権者は賢明な判断をお願いします
▲418 ▼67
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この議員が考えていることがそうなんだとしっかりと覚えておくことが大事です。次の選挙の時に国民の判断を示せば良いことだと思います。 いくら言う事は間違いだと反論しても、所詮はひとりの人間である以上は、自論を展開し、考え方を曲げることは無いのでしょうから、真実を当人に伝える最適な方法は、選挙で落とすことしか今の社会では無いのです。
▲1310 ▼325
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「自分たちが納得できる歴史」ではなく、事実をありのままに記した歴史が必要なのでは?
あと、ひめゆり以外にも、多くの学徒隊がありました。多くの洞窟(ガマ)やお墓の中にも避難したと聞いたし見てきました。 本島の戦闘の前の離島での戦いにも目を向けて欲しいですね。
▲177 ▼6
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昔、ひめゆりの塔の前でお花を売っているお婆さん達がいて、犠牲者のために献花してくれ、と言うので買いました。慰霊碑の前に献花して、しばらくしてから振り返ったら、お婆さん達がしっかりお花を回収していたのを見てビックリしたのも良い思い出。
▲502 ▼126
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高校の修学旅行が沖縄でした。 現地で、当時ひめゆり学徒隊に従事していた女性ご本人からのお話を聞きました。 生々しかった。 負傷した日本兵が「御嬢さん、傷が痒いから手当てしてくれ」と言われて見たら蛆が湧いていたこともあったと。 自分は運良く助かったが多くの仲間はやはり米軍に捕虜にされたら何をされるか分からないと崖から身を投げたとか。 本当に貴重なお話をしてくださった。
▲298 ▼10
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沖縄に1年半ほどですが、仕事の関係で住んだことがあるものです。
5年前に資料館に行っていますが、私は西田議員のような感想は持ちませんでした。 具体的にどのあたりが問題だと感じたのか示していただかないと何とも言えませんが。
歴史をどう解釈するかについては全員が納得する回答を得ることは難しいものの、その都度、対話を通じて合意する部分を見つけていくしかありません。何が事実かということ自体で齟齬が発生する場合も多いですが。
SNS等が発達した現在、対話の共通点を見つけるのは困難になりつつあることが気がかりですね。
▲142 ▼21
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自分が当事者でないとこうも軽い発言ができることに怖さを感じます。 日本兵の命令で命を落としたのはひめゆり学徒だけではない。赤ん坊が泣いたら米兵にバレるから泣き声を何とかしろと命じられ、父親が赤ちゃんの口を塞いだことで赤ちゃんが亡くなってしまったなど、米兵だけではなく日本兵によって命を落とした沖縄の人々のことを忘れてはいけない。
▲185 ▼15
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先月ひめゆりの平和祈念資料館を拝観し、じっくり時間をかけて見てきた者です。
まだ10代前半の子どもたちの壮絶な体験と、周りの先生や戦争の進行の記録が展示されていて、私にとっては貴重な体験でした。 戦争は悲惨な結果しか残さない。誰一人犠牲になって良いことはない!と、強く感じ自然に涙が流れてきました。
影響力のある人が、記憶違いのことをさも正しいような発言をするのはとても危険です。 再訪され隅々まで見ていただき、その上で自分の感じたことをコメントしてほしいです。
▲48 ▼2
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沖縄戦では日本兵が沖縄に住んでいる人に対し酷い扱いをしていた事は私も子供の頃から色々な媒体で聞いたり目にしたりしました。
それが嘘と言いたいのでしょうか。
沖縄には戦争の体験者がいらっしゃいますから、是非西田議員には真否を問いて回ってみて欲しいですね。
正直、当時は国民の命を命とも思っていない特攻隊を含め一億玉砕?なんて事を声高に掲げていた国でしたから、兵士が民間人の命を大切に扱わなかったとしてもあり得る話だと思います。
▲257 ▼45
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感情論は抜きにして、この人の言う歴史の書き換えは一体どこを指しているのか説明して欲しい。沖縄戦の悲劇は、ひめゆりの塔だけではなく、集団自決、対馬丸等悲惨な話は数多く存在する。戦争体験者が減っているのは事実だが、彼らが証言してくれた事実は今も色あせない。彼らの話が嘘だというだろうか。しっかり説明を果たすべきだと思う。政治家なら自分の発言に責任を持って欲しい。
▲115 ▼8
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海軍司令官の大田実海軍中将が自決前に送った電文がある。 要約すると、 「沖縄に敵の攻撃が始って以来、陸海軍とも防衛のための戦闘に専念し、県民に関しては、ほとんどかえりみる余裕もなかった。、県民は最初から最後まで勤労奉仕や物資の節約をしいられ、報われることもなく、この戦闘の最期を迎えてしまう。 県民に対し後世特別の御高配を 賜らんことを。」 司令官ですら沖縄県民の犠牲と献身に深い心痛を受け、わざわざ電文で沖縄県民に後世の配慮を求めている。
歴史の書き換えは西田議員のほうだ。
▲613 ▼135
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これは当時の沖縄の方でも、その方の置かれたそれぞれの状況により異なる事実や見方があるのだと思います。 ただ、私の親族は「日本軍のウチナーンチューに対する扱いは酷くて、当時はアメリカ(軍)に捕まる方がまだマシだ」と言われていた、なんて話をよくしていました。 実際に、米軍の呼びかけに応じて投降しようとすると日本軍に撃ち殺されたり、赤ちゃんが泣いて煩いから殺すように母親に強制する事もあったようですし、あの頃の沖縄の民間人は、日本軍が自分達を守ってくれるとは信じきれない現実があったのだと思います。
▲31 ▼4
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沖縄戦の証言や意見は、多様な方向性があると思います。 ただ、その言葉を利用して自らの思想を創り上げていく事は、いけないことだと思います。 当時の情報量や伝達を考えたら、間違った情報や個人の思い込みなど、統制は出来てなかったと思います。 感じ方は人其々で、統一した見解を作ろうとすることには無理があると思います。
▲4 ▼7
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戦争を起こしてはいけないというのはその通りだと思う。 ただ正しい歴史的な事実を後世に伝えていかなければならないというのもその通りである。 ややもすると歴史的な記述は書く側の主観で修正されたり、場合によっては改竄されて記述されることもありうるので、書く側も正しい歴史を伝えたいという真摯な気持ちがあるならば常に内容を検証していくという姿勢は必要と思う。
▲374 ▼163
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記事にあった西田氏の発言「自分たちが納得できる歴史をつくらないといけない」 過去の歴史は作るものなんですか?それこそ書き換えだと思うのですが。確かに歴史というものは年月が経つにつれ、関わる人が増えるにつれ、何処かで自然に変われてしまうものだと思います。今回の件はどうなのか分かりませんが、西田氏の言うように意図的に書き換えられているものもあるでしょう。しかし、すべてが意図的に書き換えられたものでもないし、そもそも人によって受け取り方が違うのだから、「これは書き換えだ」なんてことはよっぽどの確証がない限り、断言しないほうがいいのかなと思います。
▲84 ▼9
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今年見学しました。 日本軍により死に追いやられたと言う文脈は確かにありました。ちゃんと理由も書かれていて、だんだん拠点が南下していき、ある日軍から解散命令が出たこと、亡くなった方の多くが解散命令が出た直後に亡くなっていること、牛島満氏が捕まるよりも自決するべきと言い残して亡くなったこと、またそもそも本州への攻撃を遅らせるため沖縄を…ある意味、わかっていて犠牲にしたことなどが説明されていました。県民の四人に一人が亡くなっているのです。 古い話なので記憶違いなどもあると思うし、どちらかといえば沖縄の人々の思いが反映された内容にはなっていると思いますが、それこそが現地の資料館の価値ではないでしょうか? アメリカ軍によって解放されたと言う表現ではなく、アメリカ軍は県民が教えられていたような鬼畜な人々でなくて投降した人たちは驚いた、などの内容だったと思います。 戦争を二度と起こしてはいけないです。
▲32 ▼3
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2月に平和祈念館に行きました。実体験を映像で見て、ビックリしました。日本兵の中にも、女性や子供を身代わりにして、米兵から逃げた人も言う発言に驚きでした。極限状態で自らの命を守るために必死であったことは感じれました。自害する女性学徒隊の方のお話しも、とても悲しくて涙が出ます。
▲61 ▼7
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西田議員の経歴を調べてきた。 京都生まれで、地元の京大ではなくお隣の滋賀大学の経済学部卒。 その後税理士として勤め、後に自身の事務所を開設といった経歴。
このことから、経済や税に関する知識は身についているようだが、歴史を学んだり研究してきた様子はない。 また、66歳であることからも、戦争を経験してきた世代でもなければ、沖縄で生まれ育った訳でもない。 つまりは、沖縄のことに限らず戦争のことは、全て、どこかから見聞きした記憶なだけであり、経験して自身の目で見てきたような内容ではないということになる。
沖縄現地の、しかも当時そこに生きていた人たちが後世に残す為に継がれてきたものと、この議員の根拠のない主張と、どちらが正しいかはもう分かると思います。 何より、沖縄の当時の人たちを踏み躙る発言だし、現地の資料を66歳になって初めて見たから出てくる感想な訳で、それまで無知だった方が恥ずべき事です。
▲72 ▼7
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まぁ実際は軍から解散命令が出てもかなりの数が壕に残り 軍と行動を共にしたのが真実だから よく軍が壕から住民をとかを見るが 元々、八原参謀が南部の壕を上陸前から拠点化する 計画で首里から撤退した部隊が壕に着いたら住民で埋まってて 軍事作戦に使える状態でないのが原因だから 八原プランでは住民は安全な北部山岳地帯に避難が前提で 南部はぺリリュー式に戦うプランだったのが基本で住民まで収容を 考えて無かったからでしょう
▲9 ▼19
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ひめゆりの塔って、そんな単純なモニュメントではないと思う。
当時の帝国陸軍は敗戦を目前にして「一億玉砕という極限状態」の中で「軍人と一般市民との区分けをすべきでない」という、つまり「全ての日本人が兵力となって立ち向かうべきとする」「非常時のコード」を「強いらざるを得なかったという事実」がそこにはあったのであり…つまり軍人訓、先陣訓にもあるように、「もしも敵軍に捕まることがあるのなら自決せよ」というルールを「一般国民にまで強制したという事実」…それが「ひめゆりの塔」であって、間違っているか、そうではないのか…というのは悩ましいけれども、みなさんどうですか?どう考えますか?という問題提起として重い意義があるモニュメントだと思っています。
そういう意味で、資料館館長殿の反発は、ごもっともなことだと思いますし、資料館が展示している内容やメッセージに誤りがあるとは感じません。
▲38 ▼5
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自分は左でも右でも無いけど、 白梅もひめゆりも日本軍に看護の為に従軍させられ それでも女学生達は必死に国の為に看護を行い南に南に追い詰められ最後は勝手に解散させられて、そこで東條英機の敵に投降するなとの教えが民間人にも行き渡っており女学生達は悲惨な最後を迎えた、 16から18歳の女学生達なんて最初に投降させればよかったのに、こんな戦術的になんの意味も無い沖縄戦で悲惨な目にあったのです、 そんなに大事な戦いだったなら参謀や軍令部が沖縄に来て作戦取り自分達の御子息を看護の為に沖縄に送ったら良かったのでは無いですかね? 軍上層部の人達の御子息は危ない工場での学徒勤労動員から外し赤紙が来ても安全な内地勤務か比較的安全な中国方面勤務で 自身は戦争が終わっても責任とらずで この議員は何を見て聞いてこんな事言ってるのですかね( ˘ω˘ )
▲292 ▼53
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物事を主観的に捉えるのと客観的に捉えるのとでは違って見えるから何とも言えないが、たまに大袈裟に脚色された表現であったり矮小化された表現があったりと真実相当性に合わない事もある。 戦後80年だったか?もうそれだけの歳月が経った今では、当時の事を事細かに覚えてる方も少なくなって来てる。 既に体験談を執筆したり語ったりした方も居るが、貴重な体験談を生で聞く事が出来る事が少なくなってるからこそ当時の文献も合わせて総括して歴史に起こして行く事も必要に思う。
▲18 ▼63
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全国から徴収されて沖縄戦に派遣された軍人とその家族は、沖縄を守るために命がけで戦ったのに悪者にされて良い気はしないという側面もあるでしょう。 ただ、実態は本土防衛を目的とした玉砕覚悟の軍事作戦で、島民は軍属扱いされたし、敗走する軍が民間人に混ざってゲリラ戦を繰り広げた事で民間人の被害拡大に繋がり、米軍の占領後の方がまだまともな生活ができた訳だから、島民からすれば日本軍に悪感情が残るのは当然だと思う。
▲62 ▼12
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参議院議員の数を大幅に減らすべきだ。 現状の議員定数245を80へ、比例枠については全面廃止で良い。 6年間も身分保証させて、大多数の議員がロクな仕事もせず、1人年間、約2200万円の給与を与えるなどもっての外である。良からぬ問題を起こすのは、殆どが参議院議員という事実をしっかり認識すべきだと考える。2012年の民主党野田総理時代に、自民党安倍総裁との間で、国会で約束された「議員定数の削減」を、国民に支持される規模で、両党主導でしっかり進めて頂きたい。
▲148 ▼32
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沖縄戦において、日本軍は統率力も低下していたし、追いやられて結局は民間人が多く居住する地域に逃げた結果、アメリカ軍は軍人、民間人の区別が出来ないから攻撃したに過ぎない。洞窟から出て来た人が軍人なのか民間人なのかなんて遠くからは判断出来ないし、万が一軍人で武器等を持っていたら当然危険だから攻撃はした。日本軍が民間人を先に逃げ出す機会を与えて軍として攻防戦を挑んでいたのであれば軍人としては素晴らしいが、実態は民間人を盾に使って、当時は捕虜となることを許さなかった日本軍の考え方と最後は民間人と言えども潔く?自決しろと手榴弾を手渡していた。本土し日本軍幹部も沖縄はその時は既に見捨てていた。敗戦濃厚な日本にとって沖縄は人柱でしかなかった。これは紛れもなく事実。今の自民党議員の多くは戦後生まれ。実体験でもないのに事実とは違うとか言うのは、南京虐殺等と同じ。日本が異常な国となっていたのは事実。
▲41 ▼1
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ひめゆりの塔へは50年前私が25才の時始めていきました それ以降少なくとも3回は行っていますが展示されている文章を読んだことは一度もありません 何故かと言うとその場所にはやたら献花する花を売りつける人がいてまともに合掌することもできないくらいなのです 立ち止まるとすぐに花を売りに来るんです 沖縄戦体験者の思いを未来につないでいこうとされるなら静かにお参りできるようにしてほしいものです 戦争体験者の思いを踏みにじっている沖縄の人もいると思います
▲4 ▼12
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うちの祖母は20歳の時に戦争経験しています。 米軍が沖縄に上陸して混迷を極める最中、夜間に壕から壕へ避難し続けたそうです。 隠れていた壕を日本の兵隊さんに追い出された話も聞きました。 あっちこっち死体が転がっているところに母親らしき遺体があり、その側で赤ちゃんが泣いているのを見かけたけど、助ける余裕すらなかった。親族と離れてしまって戦後再会することができなかった話も聞かせてくれました。軍人も民間人もみんな自分の命を守ることで精いっぱいだったそうです。 とにかく、戦争はもうだめなんだと強く繰り返していました。
そんな話を昨年の慰霊の日にたまたま聞かせてくれた祖母も、今年に入り逝去しました。 私は祖母の話したことを自分の子にも伝えていきたいと思います。
▲10 ▼0
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昔ひめゆりの塔に行った際、入り口の花売りが声をかけてきたが、いらないと断ったところ、あからさまに大きな声で、「えー」と言ってきた。献花するもしないも個人の自由ではないのか。そういう花売りをのさばらせておくひめゆりの塔側には問題があると思う。だいたい、献花台を見ていると、その入り口の花売りが花を回収し、それをまた売っていた。若くして亡くなった方々への冒涜甚だしい。 それを体験した側としては正直どっちもどっちだと思う。
▲6 ▼16
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沖縄の主戦場は首里城(司令部壕)の北側です。嘉数高台公園は有名ですが公園には戦闘の詳細が説明されています。日本軍が米軍の戦車部隊を全滅させたこともあります。嘉数で勇戦奮闘した京都の兵隊の為に京都府の慰霊碑は嘉数高台にあります。西田議員は京都府の慰霊碑を参拝されたことがあるのでしょうか。現在の南部戦跡は日本軍の戦線崩壊後です。部隊によっては指揮官、将校、下士官が戦死し部隊の指揮を離れた兵隊たちが携行している武器で住民に対する犯罪行為を起こしたことは容易に想像できます。 沖縄県民は日本の為に戦場で日本軍に直接協力した唯一の県民であり米軍の軍司令官が戦死したのは県民の情報によるという説もあります。 昭和20年以降は国内はマッカーサーにより復興を遂げましたが沖縄県は昭和47年復帰まで米軍司令官を戦死させた県民として占領下で大変な苦労をしたことを忘れてはいけないと思います。
▲22 ▼4
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議員は政府側の人間だから、自国の軍が悪く書かれるのが嫌なのでしょうね。 記述は実際にはないとしても、現在の感覚としてはこのようなことは起こり得たと考える方が納得がいくように思っています。 実際はどうだったのかは当事者にしか分からないこともたくさんありますが、自分たちが納得できる歴史ではなく事実そのものから目を背けないことこそが歴史から学ぶ上で必要なことだと思います。
▲15 ▼6
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沖縄戦の日本陸軍には国民を守る国防軍的な感覚より、天皇の軍隊である皇軍という感覚が出てきてしまって部隊や指揮官によっては作戦第一で住民を放っておく極端な行動が目に余った。本土が戦場になったドイツ軍のように民間人の脱出を優先するような行動を取れば良かったのだが。
▲16 ▼5
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日本軍人が一般市民に酷い事をしたという話がいくつも伝聞では流れているが、その割に当事者の証言は非常に少ない。真実が幾らかは混じっていても全部が事実とは思えない。事実はどうで、風説を流しているのが誰なのか、もう少し突っ込んで取材してもらいたい。 沖縄が戦場になると分かっても非戦闘員を避難させなかった大本営の判断ミスについても、もっと報じてもらいたい。輸送船が足りないのは仕方ないが避難の手段がなかった訳ではない。 「沖縄戦の悲劇」でくくるだけで、真に反省すべきが何なのか分からないままにしてはいけない。
▲3 ▼14
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現実は日本軍自体に民間の非戦闘員を保護する規定もなく、無秩序な戦闘に追い込まれて民間人が戦場のただなかで大量に死んだのですし、そこはどうあるべきだったのかは反省があっても良いと思います。 沖縄戦自体が軍事目的のための捨て石ですらなく成り行きで将兵が送られ、亡くなった兵隊さんも決断できない政治の犠牲者であったと思いますが。
▲8 ▼1
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現地民が違うと言い出しているならわかるのだがそうでない。 また、世襲政治家で京都出身のこの方が沖縄に対して わざわざ書き換えなどという発言をする意味があるのか? どう書けばこの政治家が気にいるのか聞いて報道してほしかったところだ。 日本軍は助けてくれたバンザイとでも書いとけばいいということかい? そんな捏造よりも現地民がどのような扱いを受けたと言ったか。 こちらの方を大事にするべきでしょう。
▲220 ▼24
=+=+=+=+=
>戦後80年が近づき、沖縄戦体験者は減り、風化も叫ばれる。
戦争の体験を風化させないことが結果として戦争の回避につながるのか、もしくは逆に戦争による被害を大きくする方向で働くのかは難しいね。 戦争の体験を忘れてしまったために再び戦争になるということもあるだろうし。 第一次世界大戦での恐怖が平和主義を強化して、ヒトラーの行動を事なかれ主義的に黙認し、結局第二次世界大戦につながるというようなこともあるだろうし。 最近、チャーチルの第二次世界大戦を読んで難しい問題だなと思った次第。
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ひめゆり部隊は献身的に負傷した日本軍将兵の救護にあたった事実は変わらない。 それは祖国を信じる国民の一人としての素朴で純真な精神に基づくものだと思う。 祖国への献身が本土決戦への捨て石と戦後に教えられれば、裏切られたと感じるのも仕方無い。 双方の言い分は判る。 ただ、アメリカ軍の日本軍戦死者への冒涜はかなりの数が報告されていて、日本軍、日本人をアメリカ軍がどう見ているかは判るはず。 勝者であって決して解放者では無い。
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沖縄の歴史のことは詳しく知らないのですが 講演を依頼されてこのような発言をされたってことは、よっぽどひどいってこと? いずれにしても、何処の資料館でも、それは本当なのかさっぱりわからないう暴言を見事に発せられました。 ちなみに、私が訪れた他の資料館で、リニューアル後には、ずいぶんと様変わりをしてしまって、以前に見学に行った時に受けたショックを感じさせない様になった施設もありました。アレは残念でした。 ただそれはさておき、この発言は誰も得をしないと思うので、素直に陳謝するのが賢明ではないかと思いますけどね。 西田議員の発言は、切れの良い意表を突く発言が多かったのですが、最近は何やら、的がズレて、世間の調和を乱す発言が目立ってみた様に思います。もう少し周りを見ながら、慎重に考えてオブラートに包んだ表現をしないと、せっかくの感性が暴言と捉えられ。何のメリットも無くなることに気付くべきと思います。
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西田議員の発言は鵜呑みにできないが、中立の人々の中立の発言をまとめたものであっても、特定の考え方のものが選好され、それに反するものが選ばれないとすれば、それはれっきとしたプロパガンダ手法である。このようなことが行なわれていないかどうかは、しっかりと検証する必要がある。 またGHQ占領時に、日本人の洗脳政策が行なわれた事は、一次資料によって歴史的事実である事が証明されているので、これによって人々の意識や証言にバイアスがかけられている可能性も考えなければならない。
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30年前に修学旅行で行きました。戦争体験者の女性の方が丁寧に当時のことや展示品についても説明してくださり、ひめゆりの塔についても話して下さりました。説明を読んだとは?当時の方のお話を聞かなかったのでしょうか。 日本軍がというお話はなかったです。ただ自決しなければならない偏った責任感によって多くの若い命が犠牲になったことは事実です。 もう二度と戦争が起きないように自国を大切にする必要があるのに、 今の日本はそれが出来てない。民主国家のはずが、政治家の独断で今増税と物価高で困難になっている状況を軽減、改正することに重きを置いてほしい。
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八十年経って、国会議員がそういうことを言える言論状況になった。でも、沖縄を悲惨な地上戦の場にしたのは、やっぱり当時の国家であるのか、軍部であるのか、国体というものだろう。そして、こういうふうに考える人が力を持てば、戦争は繰り返される。絶対に戦争をしてはいけないという決意は、戦争をどう考えるかは別として、国民すべてが共有すべきものであると思う。そしてそれは可能なのだと思う。
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これって日本軍による一般人への自死の強要の事を言ってるんでしょうか? 連合軍が侵攻してきたら、女性は恥辱を被る事になるから全員死を以て身を守れとか何とかみたいな。 どういった資料館もありがちな事ですが、大なり小なり脚色はされています。 単なるデータの羅列では資料にならないし、読んでも理解しにくいから、小説の様な書き方が為されていると言うのはあります。 受取り手の理解力に依る部分が大きくなりますが、きっちりするなら一次資料から2次的な見解を導き出すのが正しい認識になると考えます。 一方的なものの言い方は良くないので、発言するならそれなりの根拠示してねと思います。 例えばアニメのアンパンマンだって正義の味方と言いますが、バイキンマンが登場しただけでいきなり悪い事してると決めつけるって、それって正義か?と思いません? 日頃の行いに依る部分が大きいのは間違いないんですけど。
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日本や沖縄を守るために戦った兵士が殆どだろうと思いたいけれども、自分らの保身とか面子の為に国民が飢えようが焼け死のうがお構いなし、沖縄なんて捨て石や防波堤ぐらいにしか考えていないような人間も当時の政府高官にはいただろうから、置かれていた立場によってアメリカが解放者に見えるのは仕方のない話ではあると思う。 砲弾の雨を降らせて穴ボコだらけにしたのもアメリカだけど、何だかんだ最終的な戦後復興の時に食糧やら何やらで沖縄の民衆を助けたのは日本じゃなくてアメリカだったのはまあ事実やしな。 負け犬根性が気に食わないんだか知らんが、悔いるべきは施政権をアメリカに奪われて自国民もまともに食わせられなかった当時の日本政府の無為無策だろ。 政治家なら80年前の話を掘り返す前にやることあるんちゃうか?こんなしょうもないことをやってるようじゃまた施政権奪われて占領されるのがオチ。
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「自分たちが納得できる歴史をつくらないといけない」 これも歴史を書き換えることになりませんか?都合悪い事が事実であっても納得出来ないなら認めないって事ですか?歴史を「つくる」って、、、。沖縄戦の事は何が事実であるのかは私も分かりませんが、これを言った方はしっかりと勉強した上での発言なのでしょうか?そうであれば良いのですが、ただただ日本軍が悪く書かれているというだけで自分の思想と違うから反論しているのであれば、こと歴史の認定においてはそれは大変危険だと思います。特に権力者は歴史認定には慎重であるべきです。どのような思想を持っていても構いませんが、自分の思想と事実が違った時、事実を認めることができない権力者は危険です。その表れが、「歴史をつくる」という発言になっていると思います。
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生粋の日本人で、歴史大好き人間ですが、日本軍が沖縄に来たから犠牲者が増え、アメリカに敗戦したから犠牲者量産が止まったと認識しています。 陸軍出身を中心とした大本営は、一億玉砕の思想をもってことに当たっていたのだから。 ひめゆりを含む沖縄の人たちを洗脳といってよい方法で、戦争に参加させた。 最後は鈴木貫太郎を中心とした一部の有志が命を賭けて、阿南惟幾なんかは文字通り命を落としてまで、ポツダム宣言の受諾(敗戦の受け入れ)を成し遂げた。
狂信的な軍の思想が犠牲者を増やしたことは間違いないことであり、敗戦で日本は再出発できたことも間違いない。
英傑とよべる軍人軍属が多く登場し、胸を打つ活躍を見せてくれた時代でもある。ミクロ視点では多くの正義もあった。しかし、大局的には国内外に多くの犠牲者をうんだ事実も直視し、ましてや降伏を断固拒否する姿勢が原爆被害を含めて犠牲を呼び寄せたことも認識すべき。
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沖縄戦は日本国内での地上戦が行われ、非戦闘員の尊い命が失われた事は慚愧の念を禁じ得ないですが、当時の日本国が沖縄を見捨てたり軍が民間人を見捨てたり自死を強要したとは思いません。 本土から何十万人の兵を送り、特攻機が出撃したり、戦艦大和は片道文の燃料しか積まず正に特攻作戦で出撃しました。 民間人を島から脱出させようにも、脱出船が攻撃を受けるのは必至でした。 戦争を決して肯定はしませんし、間違いだったとは思いますが、真実を歪めることには反対します。
▲5 ▼19
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ひめゆりの塔に行きましたが、展示品など皆さん静かに見てた事を覚えています。行った人しか分かりませんが、沖縄の本土決戦の映像がアメリカ軍から提供で流れています。これが地獄の様な光景です。海沿いには何十隻もの米海軍がミサイルを地上に何千何万発も発射してます。地形が変わる程の戦争だったと言われていますが、まさにその通りです。日本兵の死体も沢山ありました。白黒映像だったのでその当時の話では血の海だったと言う事も言ってました。あの後アメリカ軍が今も平然と沖縄にいる事がとても許さなくなった事を覚えています。入口で花を売る女性がいます。初めて来た事を伝えると、献花をお願いされました。仕方なくやりましたが、展示品を見た後は次も献花をします。ひめゆりの塔の展示は沖縄の真実が残されている歴史館です。
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私は大東亜戦争は間違った行為では無かったと思っています。 ただ、米国と開戦したことや、敗戦濃厚にもかかわらず、沖縄戦や神風特攻隊を行い、現場の兵士には玉砕を呼びかけ、国民を犠牲にした当時の軍部の責任は重大なものです。 現代の行政や官僚と何ら変わりは無いのかなぁと思います。判断すると責任問われることは現場の責任者任せにする。現場の責任者は自分の身内(部隊)を大事にして関係の無い(沖縄人)は見棄てる。 なんてことが起こっても何ら不思議ではありません。 現場責任者の個々の判断なので、ひめゆり学徒隊を護った人もいるかもしれませんが、多くの場合見棄てたのではないでしょうか? それは現在の警察組織や行政の対応をみても明らかではないでしょうか。
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沖縄の人達と話したらわかるけど、生き残った人達の娘さんや息子さんらは親から聞いてるんだよ『投降したら辱めを受けて無残に殺される』と。
なので日本軍からの教育が悪かったんだよ。集団自決にしても死にたくない人はたくさんいたのに日本兵が後ろから撃ったとか、手榴弾を渡されみんなで寄り添って頭近くで使ったとかね。今みたいな情報もないから軍の言うことしかわからんもんね。
本当は投降すれば助けてもらえたのに、それをさせないようにしたのは日本兵の教育もあり、沖縄の人達からしたら日本に殺されたと思うかもしれんし、アメリカに解放されたと思うかもしれん。とにかく沖縄の人が大勢が亡くなったわけでそれは悲しいことだ。
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ひめゆりの塔の展示を見に行ったけど、西田氏の主張は言いがかりだと思うよ。 といより、歴史に対する見方が根本的におかしい。 沖縄が、米軍の日本本土への上陸を遅らせるための「捨て石」にされたのは事実だろう。 いわば非戦闘員全員を特攻隊員にした。 女性も子どもも老人も、みんな玉砕しろというわけだ。 本土を守るために、天皇陛下を守るためにね。 すでに日本軍は組織的な抵抗をするだけの戦力などなかった。 その時点で降伏して入れば、一体どれだけの人名が救われたのだろうと思う。 少なくとも、非戦闘員の命の多くは救われた。 歴史を直視できない、人命を尊重できない人間が政治をつかさどることはあってはならないと思う。
▲385 ▼81
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アメリカも日本も戦争ということをして、国民を誘導し多くの民間人が犠牲になってること自体が問題で、言い回しがどうとか書き物がどうとかじゃなく現実犠牲になってる方々に対しての敬意が欠けてるのでは?今の日本はその方々が守っていただき犠牲になったことを忘れてはいけないのでは?
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私は、ひめゆりの塔を、6年ほど前、SFC修行のために沖縄を何度か訪れた際に行き、平和祈念資料館も、2時間かけて見学した
1月の終わりか2月の初めだったと思うが、初夏のような陽気で、たいへん快適でした
沖縄戦についても詳細に記述されていた
展示の詳細についてまでは記憶していないが、ざっと以下の通り
旧日本軍の目的は沖縄県民の生命及び財産を守ることではなく(どのみち、勝ち目がないことは旧日本軍も承知)、命をはってでも米軍に抵抗し、米軍の本土上陸を遅らせる、つまり時間を稼ぐことでした また旧日本軍についての情報が米軍に漏れることも防ぎたかった
だから、勝ち目がなかったにもかかわらず、旧日本軍の兵士も沖縄県在住の善良な市民も、米軍への投降を許さず、米軍につかまれば、男性は皆殺し、女性はレイプされるなどといったデマを流し、自殺用の手りゅう弾まで行き沖縄県の文民にまで配り最後は自決を要求した
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日本軍が悪で、アメリカによって解放された。 これはなにも沖縄に限ったことではなく、あの戦争に対する総括として戦後一貫して日本人が教えられてきた神話だと思います。それがWGIPというGHQの政策に基づくものだということは既に明らかにされていて、あの戦争を理解するうえでの大きな枷となっていることは間違いありません。 歴史の書き換えと言いますが、既に書き換えられている歴史に疑問を投げかけるだけで、ここまでの社会的圧力がかかること自体が異常なことです。 戦争はよくないとか、侵略した側が絶対悪だとか、それぞれ理屈は正しいと思います。それでも戦争は絶えず起こっている。 日本の平和教育は本当に幼稚で、平和、平和と叫ぶだけでそれ以上のことを考えさせない。まるで洗脳だ。 もう少し真面目に戦争や世界情勢について考えないと、本当に戦争に巻き込まれてしまうと思います。
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地政学的な合理性で沖縄は日本に編入したという流れの中で、様々な場面で不公平な扱い見られ方、歴史認識のギャップが埋まらないという事はずっと存在し続けていて、この対立は相当に根深いものがあります。日本の政治家というのは不公平な倫理観で沖縄県と戦争観を語り日米安保を肯定解釈するわけで、共産圏資本に靡いた反戦論が、またそこで沖縄問題絡め語られていくという構造図式がある。国際感覚を持たない政治家が、慎重さの欠片もないような発言をすると、反感を買い問題化する、そういう話ではないでしょうか。根本的な問題背景と本質から逸れたポジションでいちいち議論しても、無駄なので発言を撤回するか、謝るか無視するかどうかのものだと思います。
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過去起こった事を口頭で伝承していく大切さが解りますね。テキストなりに変換した読み物になると歴史背景から違う可能性を脳内で構築し有り得ても不思議ではなく現代社会通念上起こるであろう事を真実だと思い込んでしまい、自分だけが知る特別な真実と勘違いするのでしょう
▲4 ▼5
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語り継がれることは大切。だけど、何を見ても聞いても、それを鵜呑みにしないことだと思う。体験者の話を聞いても、居た場所、人によって体験したことは違うのだから。そういう人も居たんだくらいに受け止めないと。
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沖縄戦の犠牲者は、多くが日本軍に自決を迫られたり、機密情報保護や食糧略奪を言い訳に殺されされたり、日本軍の自決に巻き込まれたり。 『本土を守るため』を建前に、沖縄は切り捨てられたんですよ。これを歴史の教訓としてしっかりと受け継いでいかなければ、この国の政府は何度でも同じことをします。
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ひめゆりの塔の展示には違和感を覚える人も多いと思います。 何故なら後から付け加えられた解釈でストーリーが作られているから。 当時の学生の思い、行動を伝えるべきであり、評価は見学者自身が行えば良いからです。 そもそも国難に殉じて犠牲のなられた方を追悼する意味もあるのに、国旗掲揚もされてません。 「歴史の書き換え」との指摘は今回致し方ないでしょう。 戦争の記憶が薄れる昨今、冷静な議論が必要ではないでしょうか?
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2022年2月10日、自民党京都府連が国政選挙の前に候補者から集めた現金を地元の地方議員に配っていたことが文芸春秋により報じられた。
2014年に作成したとみられる内部文書には、「候補者がダイレクトに議員に交付すれば、公職選挙法上は買収と言うことになりますので、京都府連から交付することとし、いわばマネーロンダリングをするのです」と記されていた。
2024年1月31日、自民党派閥の政治資金パーティー収入の裏金問題で、西田は、自身が所属する安倍派(清和政策研究会)から過去に411万円の還流を受けていたと明らかにした。西田は「秘書の独自の判断だが、監督不行き届きであったことを痛感している」と述べた。
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1945年から7年間GHQによって日本の歴史を書き換えられてきた事実、更には、7769冊の著書を焚書とされてきたことで、学校教育でも事実と異なることが事実と異なるのです。 その当時のGHQに力を貸した日本人は高学歴で英語の堪能な東京大学の教授とか外務省などの英語堪能者が、食い扶持を求めて志願し、日本歴史改ざんの手伝いをしたのです。 (食べる物がないに等しい時代、時代が時代なだけに良いことか悪いことかと即答できるものではないが、事実を伝える努力を惜しみなくすべきだと思う。) だから、GHQに騙されることなく、平和記念資料館長、沖縄タイムズも怒らず、冷静に真実・事実確認をする努力をお願いしたいと思うが。
歴史に学ばないい間違った政治によって、自民党と公明党、農水省、財務省、JAの「減反政策」をしてきた政策を改め、コメ生産者を保護し、消費者に、余った米ならば販売等政策変更すべきと思う。
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「自分達が納得のいく歴史をつくらないといけない」この言葉が気になる。未来の事を言っているのなら良いが、過去に起きた出来事は正しく検証する事が大切で都合良く作り替えるものでは無い。時には自分達に不都合な真実も受け入れて、過ちを繰り返さぬ様前に進むべきだと思う。
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西田さんは今度改選議員のはずなんだが京都選挙区民は支持するのかどうかに関心がある。京都府民はこれを「歴史の書き換え」と思っているのかどうかだ。(京都に保守系論客が多いのは事実だけどこれはさすがにひどいだろう) 西田さんは自民党北陸新幹線の整備委員長だから自分の仕事をしっかりやってもらいたいものだ。
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沖縄戦は、米軍が上陸して日本軍と地上戦を交えた場所なのであり、その戦闘の最中で多くの民間人も巻き添えに遭い掛替えのない民間人の犠牲を出した悲惨な戦闘だったのです。
戦後80年ともなると戦争の悲惨さを身を持って体験した世代が居なくなり、体験者は口を揃えて『絶対に戦争をしてはならない』と言う事も政治家達から薄れてきてしまっている事に危惧を感じます。
ウクライナ戦争、パレスチナ戦争をみると軍事力&経済力を持つと『力による現状変更(侵略戦争)』が起きることに『戦争は避けられない世界情勢の現実』を踏まえて日本国も侵略されない為の準備(外交努力&防衛力)をしなければならないと思います。
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国を守ろうとして生命を遂げられた当時の軍人に敬意を表する気持ちは私もあります。ただ、細かく何が行われていたのかは当時を生きてる方でないとわかりません。それを間違ってるだ正しいだと、我々が判断するのは難しい話です。そんなデリケートな話を確かな情報もなく発する方が国民に選ばれて議員になっているのかと、大変残念な話です。
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戦争を起こしてはならない。 その理念には深く強く共感をいたします。 然しながら、その平和を祈り不戦を誓う方々からそこから先について論じる方を常にお見受けすることが無い。 どのようにして戦争を起こさないようにして平和を保つのか どのようにして私たちの国家・社会・国民の生命を護るのか 誰だって争いはない方がいい、誰だって生命を危ぶまれるような状況を好んだりはしません。 なのに肝心な具体的な方策が平和を語る方々には完全に抜け落ちてしまっています。 ましてや今現在その平和を脅かしている国家への批判すらもせずに、自国民を護るための訓練を批判し妨害までする始末です。 戦争を起こさない。という人類の崇高なる理想実現のために、本気でより具体的に思案を繰り返し大いに論じあうべきだと思います。 西田氏については完全に勇み足でしたね。想いは理解はできますが、やはり事実確認をして適切な表現でお話しするべきでした。
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日本敗戦という終戦が告げられても、沖縄の小島に居る日本軍はそれを住民に伝えず、いつまでも戦争ごっこをしていた。そのため、実際には戦争は終わっているにも関わらず、無駄死にをした住民が大勢いることを知った。 あの時代の日本は中央上層部の異常性や暴走は勿論よく知られるところだが、現場の指揮官にも洗脳された狂信的な戦争好きがいたようだ。 現地の展示で知ることは多い。丁寧な読み取りが必要であり、反論したいのであればきちんとした反証が必要だろう。
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日本軍が来た為に沖縄で犠牲者が倍増したのです。これは歴史的事実です。
しかも日本軍は、己の命の守る為に住民を犠牲にさえしたのです。 満州でもそうでしたが、イザという時に住民を見捨てるのが日本軍だったのです。
復古主義が蔓延る自衛隊には、旧日本軍のその精神がしっかりと受け継がれています。
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個人的には、沖縄戦における米軍の侵攻を「解放」と位置づける考え方は、戦後の沖縄人達にとって、正しいのか間違いなのかは知りたいね。少なくとも、戦後に旧軍の蛮行が盛んに喧伝されてるのは事実だから、その排除は「解放」とされる事には正当性はあると思えるし、もっと大きな視点でみれば、琉球併合の歴史から、米軍の侵攻は、朝鮮半島の光復節やアウシュビッツの解放と堂々に扱う気持ちもあるのではないか。だとしても、地方自治体の施設の展示表現を、沖縄県民の歴史教育であるとするのは行き過ぎかな。
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歴史とは、勝者の思惑が反映されやすいというのは頭に入れておくべき。 その上で両者の相対する意見も聞き、冷静に判断すること。 情報量でまくし立て、肝心な情報精度は無視し、都合よく既成事実化する国が近くにある事も念頭に置いておくべき。 平和記念資料館を見て勉強しろ、とか言う人は片方の意見だけを受け入れろ、と言っているのと同じ。 当然、平和記念資料館も見て勉強する価値はある。
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昭和天皇が最後まで沖縄に行けなかった事が沖縄戦の本質を物語っている。「国体護持」の捨て石とされ、集団自決を強要され、15歳から70歳まで「根こそぎ動員」された。その一例がひめゆり部隊。 日本軍に食糧を奪われたり、ガマから追い出されたり、泣き叫ぶ乳児を殺されたり、米軍のスパイ扱いされて殺害されたり、琉球語を喋っただけで斬首されたりした話は枚挙に暇がない。 司令部を含め中国から転戦した粗暴な部隊が多く軍人と民間人を区別しない日本軍と軍律の厳しい米軍とでは、市民への扱いが違っていたのは事実で、米軍が人道的というより日本軍が酷すぎた。
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たくさんのコメントにあるけど、もっと翌調べてとか体験者がとか過去の資料を確認してからとかいう人達に、なぜ西田さんが公の場でそう言うのか。戦後から日本を思うように動かしてる今も、WGIP、3S政策、なぜ日本に米軍基地があるか、なぜ日本の上空を日本機が自由にとべないのか CFRなる機関やアメリカに突き付けられる年次要望など、その根源を調べてからもう一度西田さんの言葉を聞いて欲しい。ただしそういう目で見ないと見えなく出来てますから。
▲4 ▼28
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過去から現在までの展示内容がどうだったのか? きちんと確認、検証しておく必要があったと思う。
それなくして沖縄の一部の偏った思想を持った人を念頭に思い込みで話したなら問題だなあ。
歴史と現状、その違いを認識出来ない残念な方々が沖縄で活動しているのは事実だから。
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沖縄戦という非常に凄惨な地上戦での出来事を一つ一つ追い求めることはとても大変なこと。ひめゆり学徒隊に動員された人たちにとっても語りたくない事がたくさんあったのに違いない。なのでひめゆりの塔の展示にすべてが書かれているわけではないのだ。数少ない貴重な証言に難癖をつけ「歴史の書き換え」などと安易に攻撃するのは政治家としてどうかと思う。 そもそも沖縄戦は本土決戦のための「防波堤」で沖縄県民は「捨て鉢」にされ、絶望的な状況下で、本来は非戦闘員であったはずの子どもまで動員された。ひめゆり学徒隊も銃をもって戦ったわけではないが、従軍看護婦として凄惨極まりない戦場に放り出された人たちなのだ。西田の取っている態度はその体験を後世に伝えようとしてきた人々に対する冒とくであり絶対に許せない!!
▲24 ▼5
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訪問して展示資料読むと西田氏のコメントは半分当たっている。対馬丸記念館も行くと良く分かるが、同じような傾向。 日本軍が最前線で取らざるを得なかったことが当時の県民や遺族に反軍感情があるのはやむを得ない。 必要なのは誰かしらの望むような記述や展示にすることではなく、彼の地で被害に遭われた方々や遺族に対する寄り添い、であり、それが無かったからこそ当時の反軍感情が残ったわけで西田氏はその点で当時の日本軍が取った行動背景に近いことを行なっている。 レッドチームの目に見えない侵攻が沖縄に進んでることもあり、余計な感情が湧き起こらないような慎重さも求められるのだが。。
▲3 ▼11
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語り部 って人が入ってくると 答えた人の感情もあるだろうが それをそのまま伝えるのではなく それを 語り部なる人の感情も入れての発言になる。 何倍にも誇張される事もあれば 逆に過小される事もある。
ただ言える事は 沖縄は捨て石ではなかったって事である。沖縄戦にも本土からの兵が多数派遣されている。 当然のことながら 九州南部からの特攻作戦も 沖縄の為の作戦です。
▲22 ▼52
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日本は敗戦したんだよね。その後、平和になったなんて嘘だと思う。ヘンゼルとグレーテル状態。金も食べ物も最低限与えられて、平和ボケさせられている。いつか魔女に食われることに気づいてないっていうか。
日本人が国歌を歌うことや靖国参拝することを気まずくする風潮は他所の国民の影響としか思えないし。外国人が性犯罪を犯しても罪に問われないのは日本人の血を薄めるのには効果的だし。さらに外国人が土地の買収をしやすい、占領しやすい国になっている。さらに、外国人の生活を保護するために血税を払う国民も出来上がってる。
▲5 ▼10
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当時は鬼畜米英一色だったにも関わらず今は嫌中一色。
私は叔父の乗った船をレイテ沖で米軍に沈められ、まだ小学生だった母は実家を東京大空襲で焼かれ、疎開先の仙台では叔母の家が焼かれ、母が畦道を歩いていた時に米軍戦闘機から機銃掃射を受け、田んぼの泥にまみれながらも運良く助かったとか。戦争を盾に1人で歩いている子供まで遊びで撃ってくる、そんな米国が戦後ここまで日本人を洗脳出来たのは見えない大きな力があったのだろうな…とは思いますね。因みに、徴兵される年齢ギリギリで徴用工として工場で働かされていた父には僅かな年金がおりて、小学生で勤労奉仕で働かされていた母はボランティア扱いなのか年金が下りないそう。
個人的にはここまで極端な嫌中は米国の戦後計画によるところが大きいと考えているけれど、それでも特攻含め、この国と憲兵、日本兵が国民に対して行った事実も中立の立場で歴史には刻んでほしいと思いますね。
▲40 ▼16
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