( 288856 )  2025/05/06 06:48:46  
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写真はイメージです(写真:Getty Images) 

 

 ゴールデンウィークのこの時期。実家に帰省する家族を取材するテレビ局のクルーに、幼い子どもが「じいじ、ばあばと遊ぶ」などと答える場面をよく目にする。祖父母を「じいじ ばあば」と呼ぶのは、「おじいちゃん おばあちゃん」よりもはや多数派、が多くの人の体感ではないか。しかし一方で、SNSなどでは「じいじ ばあば」という呼び方は「不愉快」「好きじゃない」などのネガティブな反応も散見される。なぜか。「じいじ ばあば」をめぐってあれこれと考えてみた。 

 

*  *  * 

 

「私は『じいじ ばあば』という呼び方、虫酸(むしず)が走るくらい嫌いです」 

 

 こう話すのは埼玉県の74歳の女性。2000年代に入った頃に初めて聞き、そのときのショックはよく覚えているという。 

 

「気持ち悪い、とまず思いました。『じじい ばばあ』の語順をちょっとかわいくアレンジして、ソフトにしてみました。はい、親しみやすいでしょ?みたいな、あざとさ。それがすごく嫌です。私は絶対に呼ぶことも呼ばせることもありません」 

 

 言葉のおぼつかない小さな子どもが言う分には、まだわからなくもない。女性がとくに嫌なのは、祖父母が自分で自分のことを「じいじ ばあば」と呼ぶケースだ。 

 

「孫に『さあ、ばあばのところにいらっしゃい』とか。関係性として、祖父母は孫との距離が両親より遠いですよね。少し距離を取って愛情を注ぐ関係がいいなと私は思うのですが、『じいじ ばあば』にはその適度な距離感がない。ベッタリした語感ともあいまって不快に感じるんだと思います」 

 

 この「じいじ ばあば」という呼び方、いつ頃から使われ始めたのか。国立国語研究所が2009年3月、無作為に選ばれた全国の803人を対象に行った調査がある。 

 

 調査をうけて書かれた同研究所のサイト「ことば研究館」のコラムでは、「こうした言葉が使われるようになったのは比較的最近」で、04年にNHKで放映された「ジイジ~孫といた夏~」というドラマ(西田敏行主演)に言及、「ドラマの題名に使われるくらいですから、当時もすでにある程度普及していたのでしょう」と記している。 

 

 

 調査では、「じいじ」「ばあば」と言うことがあると回答した人は約24%。コラムでは「国民の4人に1人はこの表現を使っていることが推測されます。多数派ではありませんが、現在一定の勢力を持っていることが分かります」としている。 

 

 16年前の調査で、すでに全体の4分の1。現在はどうか。「間違いなく、もっと多い」がほとんどの人の体感ではないか。同研究所教授の石黒圭さん(56)も、「何のエビデンスもなく、体感ですが」と前置きしたうえでこう話す。 

 

「おそらくお孫さんが低年齢、小学生くらいまでの家庭では『じいじ ばあば』が半数を超えているんじゃないかという気がします」 

 

 なぜ、この呼び方が広まったのか。石黒教授は「『じいじ ばあば』は『パパ ママ』の延長線上にあるもの」だと見る。 

 

「おじいちゃん おばあちゃん」は自分の祖父母に対して使う以外に、他人であっても上の年代に対して使うことがある言葉だ。たとえば近所の高齢者を「隣のおじいちゃんがさあ」と第三者的に語ることがあるように。同じく、町を歩いている中高年に「お父さん お母さん」と知らない人が呼びかけるシチュエーションも、なくはないだろう。 

 

「それに対して、『パパ ママ』は自分の家庭内でしか使えない言葉です。私が見知らぬ人に『パパ』『ママ』と話しかけることはまずない。同様に私が『隣のじいじがね』と語ることもない。そういった『家庭内だけで閉ざされた、第三者に転用されない言葉』が求められていて、それがおそらく、『じいじ ばあば』として定着したのでは」 

 

「おじいちゃん おばあちゃん」は、上の世代を指す名称として浸透し、「社会化」されている。ではなぜ、社会化された言葉よりも「閉ざされた言葉」が求められるのか。 

 

「『じいじ ばあば』は、『パパ ママ』同様、密な家庭のその関係の中だけで、特別に孫や子に呼んでもらえる名前。その点が大きいのではないでしょうか」 

 

 そして「じいじ ばあば」を嫌う人が一定数存在する理由もそこにあると、石黒教授は言う。 

 

「『パパ ママ』も『じいじ ばあば』も、『お父さん お母さん』や『おじいちゃん おばあちゃん』に比べると、より愛称に近い感じがしますよね。距離がとても近く、ご本人にとっては孫との一体感みたいなものを感じられて嬉しいんでしょうけど、それを聞かされる側は家庭内の『距離の近さ』をもろに見せられているようで恥ずかしいし、『そんなもの、社会的に見せるものじゃない』というような感覚をもってしまうのでは」 

 

 

「じいじ ばあば」という言葉を聞かされる気恥ずかしさ。こんな声もある。 

 

 神奈川県の43歳の女性は、現在11歳の長男を育てる過程で、祖父母のことは「おじいちゃん おばあちゃん」と呼ばせてきた。 

 

 周りの人が「じいじ ばあば」を使っていたとしても全然嫌な気はしない。ただ、自分が使う言葉としてはしっくりこない、と話す。理由は自身が地方(青森県)出身であることからくる「気恥ずかしさだ」と言う。 

 

「『じいじ ばあば』って都会の人が使うイメージがあるんです。それを田舎者が使う気恥ずかしさ、ですかね。『ベビ』『旦那くん』『息子くん』などの流行り言葉を無邪気に使う気になれないのと、私の中では根っこは一緒、な気がします。いずれにしても私の記憶にいるのは『じいじ』ではなく『おじいちゃん』だし、『のび太のばあば』ではなく『のび太のおばあちゃん』。要は、昭和でかつ変化を嫌う田舎者なのかも(笑)」 

 

 この女性の声をどうとらえるか。 

 

 実は先に紹介した国立国語研究所のコラムでも、「じいじ ばあば」の使用状況には地域差があり、「首都圏や東海地方を中心に使われている言葉のよう」で「そこから遠ざかるほど数値が下がる傾向」があり、とくに「首都圏の50代以下の女性の数値は突出」と記されている。石黒教授はこのことと、「じいじ ばあば」を使う人がよく言う「おじいちゃん おばあちゃんだと年寄りくさいから嫌」という感覚はつながっているのではと指摘する。 

 

「いま日本の社会全体に、年を取ることを極端に怖がる空気を感じます。とくに都会の人の中で『若さを保ちたい』という欲求が強く、それは服装やメイクなどにも表れますが、実は言葉遣いも『自分がどう見られたいか』という点で服装やファッションと同じなんです。都会の人たちが『年齢感覚があまり感じられない言葉』を好んで使う傾向は、たしかにあると思います」 

 

 それに対し、地域に根差してある種の「年代的な役割」が強く規定された社会の中で生きてきた人にとっては、自身のアイデンティティーに照らしても、「年寄りくささを出さないための『じいじ ばあば』という言葉」は感覚的に受け入れられないのかも、と石黒さんは言う。 

 

 

「自分は年を取ったわけだし、それに応じた社会的な役割があるわけだから、そこを尊重するような服を着たいし、言葉を使いたいと思うのは、ごく自然なことかなと思います」 

 

「じいじ ばあば」という言葉の背後にある、「年寄りくさくありたくない」という意識。哲学者で立命館大学大学院教授の千葉雅也さん(46)も、「『じいじ ばあば』は、『おじいちゃん おばあちゃん』という言い方が世代として『もう老年である』を意味することに対する拒否、否認であるということが、まず端的に言える」と指摘する。 

 

「『じいじ ばあば』という言葉が持つ、アルカイック(古風で素朴)かつ、ある意味でキャラクター化された響きが、現実の加齢を忘却させる装置として働くのでしょう。でもそれは、ファンタジーなんです」 

 

 祖父母になるということは本来、成熟すら超えて、決して若い人と同じように元気ではなくなるということ。そんな当たり前のことが、ある種の幻想によって覆い隠され、「みんながいつまでたっても同じように元気で若い」といったファンタズム(幻影)の中に生きる社会になってきているのではと、千葉さんは言う。 

 

 では、そのことは何をもたらすのか。 

 

「本来は『年長者であるだけで尊厳の対象になる』という、古今東西あったある種の『規範』の弱体化にもつながると思います」 

 

 もちろん、「規範」が強いほど良いわけではない。いわゆるロスジェネ世代の千葉さんは、たとえば上の世代が下の世代に威圧的に接したりする行きすぎた「縦の秩序」を脱構築していこうとする、自分たちはその急先鋒だったという思いがある。 

 

「でも、それは最低限の規範はあったうえで、縦の秩序に対する反抗や別のオルタナティブを並行して考えたうえでのこと。僕らロスジェネ世代が推し進めた人間関係の民主化が、思った以上に世の中を『何でもあり』にしてしまった。『じいじ ばあば』が広まってきた現状を見て、そんなアンビバレントな思いもあります」 

 

 子どもや孫というものに対して、老年となった祖父母が「人間関係における規範的な一線」を引くことができず、それを好まなくなってきている傾向を、千葉さんは「じいじ ばあば」から感じ取る。 

 

「全員が『巨大な脱規範化の運動』の中に巻き込まれている。でも、最低限守るべき一線はあるのでは、ということもあらためて考えさせられます。『じいじ ばあば』という呼び方が何の疑いもなく広まってく現状からは、さまざまな意味で世の中のたがが外れていく、非常に微かな一端がそこに見える。そんな気がしてならないんです」 

 

(小長光哲郎) 

 

小長光哲郎 

 

 

 
 

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