( 289163 ) 2025/05/07 07:46:51 2 00 西田氏のひめゆり発言、研究者ら批判 「証言や資料を無視」「歴史修正主義者だ」琉球新報 5/6(火) 8:31 配信 https://news.yahoo.co.jp/articles/fe37024183081f8267758484f935f083a006b11d |
( 289166 ) 2025/05/07 07:46:51 0 00 沖縄戦で沖縄陸軍病院第三外科壕だったひめゆりの塔=糸満市
自民党の西田昌司参院議員が那覇市内で開かれた「憲法シンポジウム」(主催・県神社庁など、共催・自民党県連)で、糸満市のひめゆりの塔の説明に「歴史の書き換えだ」などと発言したことについて、沖縄戦研究者からは「改憲世論をつくっていくための恣意的で乱暴な歴史の見方であり、発言だ」と批判が上がっている。
沖縄大学客員教授の新城俊昭氏は「沖縄戦の実相から何も学ぼうとしていない姿勢が見える」と指摘した。西田議員の発言だけでなく、2021年には「ひめゆり学徒隊」を「ひめゆり部隊」と記載する歴史教科書があったことにも触れ「沖縄の平和教育はたくさんの沖縄戦体験者の証言、沖縄県、日米とさまざまな資料による研究成果を基に行われている。ひめゆり資料館もリニューアルするなど新たな見せ方もしている。もし間違えていることがあるのなら、根拠を示しながら間違えを指摘してほしい」と語った。
「ひめゆり資料館の展示内容に、議員が言うようなものはない」と指摘するのは琉球大准教授の北上田源氏。沖縄戦と歴史教育に関する西田議員の発言について「体験者の語りと研究の蓄積を、現場で反映しようとしてきたことを無視した乱暴な発言だ」と断じた。「ずっと前から改憲と歴史修正主義を結びつける言説はあるが、今回は呼ばれて話をしており、国会議員としての発言が問われる。歴史と真摯(しんし)に向き合って発言することを求めたい」と語った。
沖縄国際大名誉教授の石原昌家氏は「沖縄戦での日本軍の絶対方針は、国体護持のため、米軍への徹底抗戦だった。それが住民や兵士に多大な戦死者を生じさせたことは客観的事実だ」とし、「『殉国美談』にするような沖縄戦捏造(ねつぞう)の『歴史修正主義者』による発言だ」と指摘した。
(中村万里子、屋嘉部長将)
The Ryukyu Shimpo Co., Ltd
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( 289167 ) 2025/05/07 07:46:51 0 00 =+=+=+=+=
研究者の先生のいうとおり、間違いがあるなら根拠を示して、ともに検証し新たな真実が出てきたなら修正すべき。 ひめゆり学徒隊と表現していいのか、それが正しい名称として呼んでいいかはかどうかは別として、ひめゆり平和記念資料館では、当時を知る方々がつらい記憶を呼び起こしながらホントは話したくないかもしれない辛い経験を記録動画として残しています。 誇張もなければ実際に体験した事実を話してくださっています。 戦争はこれだけの悲惨なことになるんだと。 戦争のない平和を願う平和に込めた気持ちをくみ取らなくてはと思います。 また、ひめゆり平和記念資料館にはひめゆりの塔の他にも慰霊碑の所在地が地図に掲示されていました。 どうか歴史を曲げることなく、ひめゆりの塔やその他に建立された平和資料館、施設に込められた思い、そして、平和への願いが途切れませんようにと想うばかりです。
▲11644 ▼1320
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ひめゆり部隊に限らずあらゆる歴史と言うのは真実の追求よりもその時代に求められる政治観や国の在り方によって大きく脚色されたり、解釈が違ってくるものだと思います。
ひめゆりの話は戦時中の悲劇を象徴するエピソードとして語り継がれてきたけど、それは戦後日本の厭戦気分の中で生み出されたイメージでもあると思う。
この先時代が変わればひめゆりの話もまた違った解釈で描かれるのでは無いでしょうか。
▲41 ▼116
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戦争体験者の中でも経験したことは人によって違います。ですから、人によって太平洋戦争に対する評価も異なって当然なことです。 しかし、だからといって戦争体験者の意見に対して、戦争を体験してもいない人が否定することは許されません。 自分の主義主張とは違っていたとしても、それを受け入れることが大切です。
▲6390 ▼957
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国民を再び戦争で悲惨な目に合わせないために、戦争放棄・平和主義で国を守ろうとか、最低限身を守れる軍備を整えようとか、そういう議論がされているはずでした。
それにも関わらず、戦争で悲惨なことが起こらなかったことにして、一体どうしたいのでしょうか? 適当な思いつきではなく、当然お考えがあっての発言でしょうから、意図や目的が知りたいです。 もちろん、意図があれば許されるわけではありませんが。
こうだったことにしたいなーという夢想ではなく、きちんと現実に立脚したうえで夢や理想を現実的に叶えていく普通の政党であってほしいです。 与党なのですから。
▲5 ▼0
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信用経済の解釈に疑義がある。無から有を生むというのは、局面的であって、ベースとしては、現実に発行された通貨供給量があって、リスク管理ができる範囲で、信用創造できるということでないか。だから、国債にしても、市場の信任があってこそ、信用創造できるのであり、無制限に信用創造できるものではないのではないか。彼は、過激な発言をして、注目を集め、世論を操縦する危険性すら感じる。その他の議論も似たような傾向がある。
▲77 ▼190
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米軍の侵攻に備えて、日本軍・警察は住民を北部に疎開をさせようとしましたが、住民は嫌がりました。それが住民の被害を大きくしました。 沖縄戦の時の島田叡知事は、今でも沖縄を含む全国の知事が尊敬している偉人です。
歴史を学ぶ理由は、過去の人々を叩くためではありません。 過去と似たような事が自分の身に降りかかった際に、自分はどう動くべきかを適切に判断できるようにするためです。
▲1260 ▼474
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単純に、責任ある立場の人が軽々に、何十年も前の記憶を頼りに発言しちゃいけないということじゃないかな。発言するならきちんと事実を確認して、事後でも誤りがあったなら早々に訂正をすべきだ。 自分も直に見たことはないけど、ネットの情報ではひめゆり学徒隊以外にも同じような運命をたどった少女たちも多く、ひめゆりの塔の周囲には、ひめゆりの塔ではない、彼女たちの慰霊碑も多いと聞く。ひめゆりの塔に関する文献も多いから、中には西田氏の言うようなストーリーで説明するものもあるのかもしれない。何十年も前の話なら、それを混同しているかもしれないわけで、少なくとも「ひめゆりの塔」という固有名詞を出すなら、きちんと確認は取るべきだろう。
だけど、現時点では批判に対して訂正も反論もない。それが一番まずいんじゃないかな。
▲3012 ▼336
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今年で98歳になる妻の祖母がひめゆりの生き残りです。その関係で、帰省の度に、ひ孫になる我が家の子供たちを、祖母が証言員をされていたひめゆりに連れていってきました。祖母も含めたひめゆりの生き残りが一貫して伝えようとしているのは、国と国の関係がどうこうではばく、戦争の悲惨さそのものと、平和への祈りという、普遍的なメッセージです。その意味では、今回の発言は非常に残念でなりません。なお、祖母の場合は解散命令後に逃げ回り、自決しようとした時に、一緒にいた日本軍の兵士に「学生さん、死んじゃいかん。アメリカ軍は民間人は殺さんと聞いとる」と諭され、自決を思いどど待ったそうです。その心ある日本兵がいなければ、僕の妻も産まれていません。本当に感謝しかありません。
▲1900 ▼66
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まず西田昌司氏が、ひめゆりの塔の展示に、沖縄県民がアメリカに開放されてホッとした云々の記述があると主張しているのが、事実誤認(そのような記述は無い)ではないかと問題になっている。 その点は措くとしても、「自国が戦争に負けて悔しい」という気持ちと、「戦闘が終わって死なずに済んでホッとした」という気持ちは両立するのではないか。 更に言えば、西田氏が「愛国」勢力を喜ばせるためにこのような発言をしている、ひいてはこんな発言で喜ぶ勢力がいるというのが問題だ。
▲3565 ▼751
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沖縄が唯一地上戦に巻き込まれ、多くの民間人が亡くなり、 サンフランシスコ平和条約によって本土独立後も、 米軍占領管理下で厳しい生活を強いられたのも紛れもない事実かと思います。 本土は本土で米軍の無差別絨毯爆撃、核爆弾で何十何百万もの民間人が死傷し悲惨な生活を強いられました。 本土に米軍基地はあるものの沖縄のそれと比較すれば良い方かと思います。 沖縄のご苦労には頭を垂れますが、ただ一つお願いがあります。 沖縄のご苦労が、主張が、他国に利用されない様にだけお願いします。
▲1962 ▼547
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遠い昔、『戦争を知らない子どもたち』という歌が流行ったが、最近は、「戦争を知らない政治家たち」が増えてしまいました。実際の戦争は、戦争ドラマや戦争映画では表現できない残酷さがあります。西田氏は、政治的企みでそのような発言をするでしょうが、ひめゆりの塔や鹿児島の特攻祈念館では、素直な気持ちで、体験者の言葉に向き合ってほしいです。
▲236 ▼38
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子供の同級生の祖母さんが、ひめゆりの生き残りの一人として語り部をしておられました。 子供達が通う小学校にも来て下さりお話をして頂きました。彼女の話は凄惨で当初は負傷者におにぎりを配るから、排泄物の始末。そして傷口にわいたウジを箸で摘み取る事。負傷者は消毒すらされず次々と亡くなり、彼女達の仲間もも食事を運び爆撃され大勢が亡くなったそうです。そして彼女自身も怪我をして、米軍の捕虜となり自決しなくては、酷い目にあうと思ったそうですが…自身の傷に惜しげもなく消毒液を一本どっと掛けて清潔な包帯巻かれ、温か食べ物と甘い物まで供され、自分達は何をやっていたのか?こんな国と戦争をして勝つわけない!と思い知ったそうです。そして彼らは鬼畜ではなく紳士であったと。 その話を聞いて、この戦争の意味?誰が彼女達をこんな状況に置いた? もぅ、30年以上前の話です。
▲149 ▼16
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ひめゆりの塔だけでなく、大戦にて日本本土でもどれだけの国民が死んだのか、も含めて、戦争について日本人への説明がないまま今日に至っている。昔のことは忘れようという考えからだろうけど、自国の歴史を感傷や他国の立場からの情報をもとにする自虐でなく、正しく知るべき時が来たのではないかな。 誰が何故始めてどういう経緯で米国と戦ったのか、何故ロシアが出てきたのか、終戦までの経緯についても。天皇陛下の関わりについても。事実を知りその上で初めて個人の戦争被害について語れると思う。
▲101 ▼43
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軍隊が最優先に守るのは、彼らを律する指揮命令系統とそれを辿った先にある国家の指導体制。目先にいるか弱い民間人の命と財産を守るなどという美談は最下層に置かなければ軍隊という組織が維持できない。これは古今東西変わらぬ軍隊の常識だ。沖縄の旧日本軍はその類型を極端にしたに過ぎないのだが、それを無理矢理美化擁護しようとするからこういう話になる。彼らが守ろうとしたのは日本人の命ではない。エリート官僚たる高級軍人たちの地位を保証し守ってくれる国家体制。
▲491 ▼109
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ひめゆりに限らず、さきの戦争で悲惨な体験をされた一般国民にとっては、戦争の凄惨さと二度とこんなことは起こってはならないという平和の尊さであり、それは普遍的なものだと思う。悲惨な目に遭うのはいつも普通の人々。戦争体験者がどんどんいなくなる中で、体験したこともない人間がときの政策によって事実を捻じ曲げようとすることがもしあるならば、それは絶対に許されることではないし、まるで戦時中の日本のそれとやっていることは同じ。
余談ではあるが、戦時中に日本の軍部関係者が当時制作されたばかりのディズニーの「ファンタジア」を観る機会があり、この時代にこんな芸術的な作品を制作できる国と戦争をしても勝てるわけがないと思ったそうだ。日本が大きな過ちを犯したことは紛れもない事実であると思う。
▲45 ▼10
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この人は国会での質問でも非常に独善的な態度で臨んでいるという印象しかない。 沖縄戦の歴史的事実すらも満足に把握せず発言するこのような国会議員が多ければ世論がまたその嘘を鵜呑みにして改憲へと傾いていく。 戦争を他人事にしか感じられない人々が増えれば国の形も少しずつ変容していく。 特に政治家は偏見に基づかない歴史認識を持つ大きな義務がある。
▲595 ▼179
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同施設を訪れての個人的な想いです。 亡くなった、生き残った、それらの方々の数だけ真実があり、資料館はその中なからご協力くださった方々の体験が集積された場です。同じ戦中を生き抜いた方、戦後生まれの方の受け取り方、感じ方に違いがあるのは当然と言えば当然かと思います。ただ、だからといって自分が習ってきた歴史と違うから書き換えだ。と言うのは違うことかと思います。米兵により殺された方もいます。逆に救われた方もいます。日本兵にガマを追われ、結果的に命を落とした方もいる。物資を得るために家や物を、時に命を奪われた方もいます。一家全滅のご家系もあります。それが戦争です。ひめゆりの塔資料館はそれを写真と文字と語りで伝えてくれる場です。確たる思いや根拠、考えがあるのならばアカデミックな場でまずは議論・討論すべきです。
▲122 ▼9
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戦争資料館と名前を変えるべきである、とは思う。戦闘に巻き込まれた民間人が、どの様な惨禍を蒙るのか、と言うことに展示をしぼるべきなのだ。 資料館の問題は、民間人被害のみでなく、戦争の原因を単純化しすぎている点だと思う。 戦争に至る道は、大人でも簡単に説明できない、何なら、今だにこれと言う解答はない。その証拠に、いまだにこの世から戦争は無くならないし、現に今も露宇戦争が続行中ではないか。 戦争を惹起させない、強い意志と思考力を涵養する資料館てあって欲しいものだ。
▲24 ▼34
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地元選出でない議員だからこそできる発言でしょうね。百歩譲って本音でそう思ってたとしても公の場で発言してしまうあたり国会議員にしておくべき人なのか疑問に思います。 そういう私自身も沖縄出身ではありません。ただ、今から30年以上も前ではありますが高校の修学旅行で沖縄へ行った際、ひめゆりの生存者の方の証言を直接聞く機会や住民の方々が集団自決された穴(チビチリガマ)の中に入るという経験をさせていただいた。たった一度の機会ではあったが、そういった場で目の前にある光景や沖縄戦を経験した方々の話を聞いて、何か感じるものがあれば到底こんな発言をしようなどと思わない。時の政権与党の議員が公の場でこういった発言をして、言論誘導を図ろうとするような行動をとる事こそ、歴史を曲げることにつながっていくと思う。
▲91 ▼12
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戦後から離れれば離れるほど、体験者は減り、信じられないようなデマ、歴史を歪めるような根拠のない発言をする人たちが増えました。SNSを簡単に信じてしまい、過去の歴史を資料としてきちんと読まずに判断しています。 本などを読み思考力を培い、何が正しいのか自分の頭で考えることの訓練が必要と思います
▲59 ▼10
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沖縄戦に関する日本の政府の一番の罪は沖縄を守りきれなかった事だと思っています。 日本の領土なのだったらそこを死守する事が国として、軍としての正義であり、それ以外の正義は無いと思います。 歴史的な解釈として抵抗があるのが、日本軍が沖縄を戦争に巻き込みアメリカ軍が解放してくれたという歴史観。 これは完全な戦後の戦勝国によるご都合主義の主観であり間違いです。 アメリカ軍が日本を攻めいる場合、沖縄から攻めるのは戦術的には王道であり北海道か沖縄という端から潰すのは当然です。 その時点で日本が沖縄をという解釈は誤りでありアメリカ軍が来るのは必然的だったと思います。 次に罪深いのは日本が民間人にも軍隊と同じ価値観を共有させていた事であり沖縄が戦場になろうが民間人は保護されなければならなかった。 これは日本軍が弱く混乱し自分達の事しか考えられなかった脆弱さと共に罪深い事だったと思います。
▲1105 ▼316
=+=+=+=+=
基本的に改憲は議論すべきで、もう少し改憲のハードルを下げても良いと考えている私でも、この発言は如何なものかと思います
ひめゆりの塔は政治や思想などを超越した、戦争そのものの悲惨さや愚かさを伝える施設であって、そこに党派性などを持ち込むものではないと考えます
政治性を持ってここを批判することも、ここの存在を自分たちの思想の拡大に都合よく利用することも、どちらも罪深いと思います。党派性を乗り越えてこのような悲劇を繰り返さないという誓いの場所とすべきだと考えます
▲30 ▼14
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証言も聞く側によって誘導されれば、それに沿った証言になると思う。 沖縄戦は日本国内唯一の地上戦があったところ、それも尋常一様の戦場では無かった、まさに両軍血みどろの戦いが行われた戦場だ、ある場面、場面によって当時者の受けた戦場感覚も変わるだろう。 自分の考えを批判されると腹立つのは分かるが、違う見方を述べれば修正主義なのか、複雑に入り組んだ沖縄戦は研究者だからと言ってこうだったと決めつける事ができるのだろうか?
▲4 ▼1
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端的に言うと西田氏はしっかりと発言の趣旨を説明して、自身の事実誤認があるならば謝罪した方が良い。
私は西田氏の過去の国会でにおける民主党政権の追求、発言については好意的に捉えているが、この発言は釈然としない。
沖縄は今もって中国の脅威に晒されており、状況を理解してもらい、国を挙げて沖縄を守る準備をしなければならない。
米軍基地がある本島はともかく、与那国、石垣島近辺は米軍をあてにはできない。自ら守る必要がある。
▲0 ▼0
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戦争末期だから倫理観とか指揮とかぶっとんでる無茶苦茶な状態だっただろうし、人によって全然体験したことも違ってるだろうし、戦争の歴史なんてどこでもねつ造や修正されまくってる 貴重な証言や資料なのは事実だから尊重はすべきだけど、戦争については全てが真実だとは思わず常に一歩ひいて考えてる、悲惨で悲しいだけの戦争が常におきないことを祈るばかり
▲1 ▼5
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戦争に負けたのに戦前の勢力が生き残って、戦前的価値観が絶えなかったことが、今の日本の困難に繋がっている。日本もドイツのように、国家の分断と再統一、共産化とその失敗といった試練を経るべきだったと強く思う。国民は鍛えられて、賢くなっただろう。
▲6 ▼4
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多様な価値観があることは承知している。 一つの史実も多くの声なき悲哀が横たわっている。客観的に俯瞰する見方でいろいろ考え合わせることは歴史の教訓という意味で大事なことと思う。
▲4 ▼5
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研究者達の言う通りで、決して沖縄戦、過去の戦いを風化させてはならない。長崎、沖縄、そして今年は広島に初めて足を運ぶ事が出来感謝です。海外で戦った人を含めて一体何人死んだのか。東京だって凄まじいものです。戦争が起こってしまった事が、悔やまれる。侵略された、アメリカが怒らない訳が無い。どうか日本は、悔い改めて、アメリカと協力して、平和第一主義者になって欲しい。
▲5 ▼4
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西田氏は自虐的な戦史感に不満があって、日本人の肯定感を高めておいた方が良いという考え方の人 一方は反戦が何よりも大切で日本兵を悪にしておいて戒めた方が都合の良い方々
極端になりやすい議論だけど、本質は民間人が被害に合っているという点が問題なのであって、双方自分達の思想を広める題材として使って欲しくないって気持ちが強いです。
▲63 ▼21
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西田議員の発言には多分、賛成できないと考えるものの、記事に発言内容が書かれていないので判断のしようがありません。ステレオタイプかも知れませんが、沖縄の2紙は左翼、石垣島のローカル紙は右翼と普段、受け止めています。反対意見を紹介して、読者に考えさせることすらしない新聞は、分断を煽るだけのネットニュースと同様で、社会の公器たるジャーナリズムではないと改めて感じました。
▲18 ▼39
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このような記事の場合正確な発言内容の記述(前後の部分を省かないことが重要)なしに批判や一方的な意見のものばかりでは意味がない。両論併記が新聞記事の鉄則だと思う。国を良くしたいとの思いは両者ともに同じ方向を向いているはずなのでこのような一方的な偏りは意図的な思想の誘導と捉えられるので是正してほしい。是正なき場合は意図的な思想の誘導で間違いないとも判断できる。
▲59 ▼78
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自民党西田参議院議員の、沖縄戦争に於ける、「軍の強制で県民集団自決」の悲劇が生じたは、大江健三郎氏が沖縄ノートで記し、最高裁が判決で糾弾した歴史的事実、それを虚構と発言した議員は、歴史に無知蒙昧な修正主義者として危険視されよう。
幸い今年夏全国の有権者は、無恥蒙昧な議員を国政から追放する機会を得る。貴重な1票を無恥蒙昧に投じないよう、次世代に平和な日本を贈るため心して投票して欲しい。
▲74 ▼27
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西田さんも杉田さんと同じ。自分がしっかり考えたのでなく、自民党の長老?ある勢力向けに「阿った」発言をしているのではないかと思いました。 歴史に対し、自分なりの解釈をすることは自由ですが、政治家として発言するならきちんと根拠を示すべき。予想される反対意見に対しても論理的に反論すべき。それができないなら政治家とは言えないのでは?
▲435 ▼91
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特別徴兵された少年兵がいる、爆撃で両親を失った孤児がいる、集団自決を強いられた女学生たちがいる、基地の造営に駆り出されその後密殺された青年たちがいる、片手を失ったままの死体、脳漿が溶け出した死体、疫病でやせ細った死体、山積みされた死体、その密林の中を逃げ惑う少年がいる、腐乱死体の横のミイラの嬰児、銃口に狩り出され追い立てられ洞窟の中で手榴弾の餌食になった人たち、飢えたまま熱射の海岸を彷徨していた少年たち、敵兵に救助され看護を受けた少年たちがいる、 これらはすべて清潔なテーブルの上の、政府決定の結果であった。
▲17 ▼1
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戦争の語り方は大雑把に分けてミクロとマクロ視点で大きく異なり、当事者の語りはミクロになり総じて自らの実体験に基づくものなので直接的で肉体的な経験となります。ましてや攻め込まれて負け戦の中、非戦闘員も巻き込まれた悲惨な戦場。この政治家の言うことはマクロ視点でのものでありいわゆる国家や歴史という物語でコーテーションされたものでありミクロとの語りの視点が大きく違います。この施設は主にミクロ視点で戦争の悲惨さを物語る施設であるため政治家の言い分はおおむねナンセンスであります。
▲15 ▼14
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沖縄は本来琉球王国であって日本ではない。それを幕末明治期に日本が併合したいきさつがある。つまりは沖縄の地元と日本では味方が違うということ。日本の沖縄を米軍が侵略した。しかし当時の日本軍が盾になれとしたから犠牲が増えたのも事実。ただこれをもって米軍が日本軍から地元を救ったとするのもおかしい。つまり米軍侵略と日本軍の間で沖縄地元が板挟みになったということ。米軍の侵略があったから解放されたというのは沖縄=日本という発想なら米軍の日本侵略なので間違っている。沖縄=琉球王国という発想なら確かに日本軍から解放したことにはなる。しかし現実には琉球王国の再建をしたわけではなく、1945年から1972年まではアメリカの植民地にされただけだったのだからその意味でも米軍が日本軍を解放したという言い方は正しくないと思う。沖縄=琉球という発想もナショナリズムなので日本国にとっては問題になるかもしれない。
▲7 ▼17
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西田議員の発言には強い違和感を覚えます。沖縄戦は、今も多くの県民の記憶と証言に支えられて語り継がれており、その重みを政治的な文脈で軽々しく扱うべきではありません。
太平洋戦争末期、沖縄戦の最中に太田実海軍中将が本土へ打電した言葉、「県民かく戦えり。後世、特別のご高配を賜らんことを」は、戦争で翻弄された民の存在を忘れてはならないという、重い教訓を残していますが、不勉強な西田議員はご存知ないのでしょうね。
ひめゆり学徒たちの体験もまた、その一端です。若い命が、医療従事という名目で戦場に送り出され、多くが命を落とした事実に、何の誇張も必要はありません。議員が何か誤りを見出したというのであれば、まずは資料と証言に真摯に向き合い、根拠を示して丁寧に問い直す姿勢が必要です。
歴史とは、まず知ることから始まります。そして、受け止めることから次の世代に繋げられるものだと思います。
▲77 ▼20
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ただ単に戦争はやってはいけないというのはあまりに無理がある。そして戦争体験がとんなにか悲惨だったかを伝えるだけで良いのかと思うし。西田氏が批判する日本軍がきてひめゆり部隊が犠牲になりアメリカ軍がきて解放されたなどというのは私でもどう考えても納得できない。明らかに単純な思考によるアメリカの勧善懲悪洗脳からきたものだ。だいたい研究というがアメリカの占領軍がどれだけアメリカに都合の悪い書物その他を焚書したことか?そうしたなかで研究せよというのは全くもって看過できない。
▲9 ▼13
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かつて昭和天皇は、沖縄県民の皆さんに対して最後の最後迄、気に掛けておられました。
御在位中(すなわちご存命中)はついに戦後の沖縄ご訪問かないませんでしたが、そのご遺志を継いだ上皇御夫妻は皇太子時代含め数度沖縄ご訪問をなさり、皇太子時代のご訪問の際にはまだまだ沖縄県民からの反発その他で様々なトラブルも発生。 ソレでもご訪問を重ねる内に沖縄県民への昭和天皇、上皇陛下の思いは伝わるようになりました。 そして、今は昭和天皇、上皇陛下の意志を引き継ぎ今上陛下は沖縄ご訪問をたびたび行われております。
今回の西田発言は、天皇陛下親子3代に渡る沖縄県民への思いを完全に踏みにじる形になってしまったな。
西田やっちまったな。
▲39 ▼14
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自衛隊を明記して改憲することと、歴史の修正を一緒くたにすべきでないと思います。 改憲派の政治家の中には、過去の戦争を正当化したい人が多いし、護憲派の政治家の中には、過去の加害ばかりで、現在や未来のことを考えなさすぎる人が多い。 過去の被害も加害も歴史として、その道の研究者が調べれば良いことで、政治家は歴史を評価する立場にない。 政治家は、現在と未来の脅威に対し、どのように自衛すべきかだけを考えるべきだと思います。
▲6 ▼4
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戦争経験者及び遺族の方々に寄り添う姿勢では無い政治家である事が国内外に知れ渡った瞬間でもあった。西田議員にとっては「絶妙な発言をした」という気持ちが強いのだろう。しかし戦争を経験もしていない方が研究者の方々をどうして避難できるの不思議でならない。門外漢である議員がこういう発言で歴史を捻じ曲げようとする行為がとても違和感しか覚えないものである。また西田議員を国政の場に送り込んでいる有権者の方々にとっても同議員の発言は信じがたいものであると推測する。沖縄の方々にとっても自民党議員の歴史認識はこの程度のものなのかという事と米軍基地問題対しての取り組みにも疑問が生じることだろう。
▲41 ▼5
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最近沖縄を防衛する態勢が進んでいる。台湾と中国の関係をもとに日本が危ないという雰囲気を作っての政策である。日本が危ないという意識を持つには歴史的な認識をやわらげ、沖縄の人に静かにしてもらう必要がある。西田氏もその一環としての発言をしたのだろう。事実と異なることを言い、沖縄の人に入り込もうとしているのだ。鹿児島県の島々も含め、戦闘態勢を築いている実情を国民は知らずにいる人が多い。第9条の戦争放棄を改め、自民党を軍隊化する案は根強い。日米安保でお互いの国の戦闘に参加すべきと訴えるのは、戦争を日本がするという認識に立っていることを国民は知らなければならない。
▲8 ▼13
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生存者が旧日本陸軍の行いを実際に見てきている。事実は事実として認めないといけない。当時の日本が沖縄を犠牲にしてきたのは事実です。当時の戦争はアメリカが正義と言うわけでも無いがだからと言って日本が正義と言うわけでもない 自分たちのエゴによる立場をそれぞれが正義と言っているにすぎない 事実陸軍と海軍を比べても海軍は紳士的であり特にパラオでの話は有名です。りく軍の中国での虐殺行為も元帝国陸軍兵だったお年寄りから聞いたこともあります。 現実を事実をねじ曲げないでいただきたい。反省すべきは反省し将来の糧とすべきです。
▲35 ▼12
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歴史は研究者が過去にあった史実を丹念に掘り起こし整理したものである。研究者は事実でないものを捏造することは許されない。これは自然科学の分野に限らず人文科学の分野にも当てはまる。西田議員は安倍派の議員でしかも側近である。学術会議に異議を唱えた安倍さんに近い。学術はあったことはあったと正直に調べて発表し、後世の参考にすることに価値がある。たとえそれが今の政治に不都合であったとしても改竄や隠ぺいは許されない。昨今の政治が信用されないのは事実に向き合うとしないからではないだろうか。
▲50 ▼22
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歴史的史実はその時の価値観や国家観などでいろいろと書き換えられるものであり、それを評価するのも発言者の生きてきた背景などで変わるものだと思います。西田氏が言うことも一部の研究者が言うのも同じ内容になるはずはないと思います。例えば、沖縄県民が選んだ沖縄県知事が親中的活動をしていますが、もし、中国人民軍が尖閣に上陸してきたら、どのような評価を受けるでしょうか。個人主義を重視した意見を言ってますが、国家的危機になった場合、家族、市町、国といったところを重視した考えに変わるのだろうと思います。いまの社会状態はいろいろな価値観があって良いと思います。だから、他者の意見を非難せず、自らの意見を述べれば良いと思うのです。
▲14 ▼48
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優しい日本の軍人さんもいれば、嫌な軍人さんもいたでしょう、また米兵も然り、一般市民を保護してくれる者もいれば、人間扱いせず人権を踏み躙る者もいたでしょう。 ただ展示する側の思想に偏りがあるのは否めません。 そして何故か昔は資料館に隣接するお店が米軍の払い下げ品のミリタリーショップでした。反米なのか、反日なのか反戦なのか全く良くわからない所です。 私のひめゆりの塔の思い出エピソードは 献花の花の使い回しです。販売員に聞いたところ、まだ使える、もったいないから!だそうです。
▲24 ▼53
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歴史認識については議論を重ねれば良いと思うが、純粋な歴史観の相違でなく改憲を目的とした世論形成を目的とした発言ならば別の問題が生じる、自民党の手段を選ばないやり方ならば充分に疑いを持って見守る必要がある
▲616 ▼189
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当時と比べれば圧倒的に平和な時代に暮らす人間が、戦時中の人たちの気持ちを正確に知ったり表現したりすることなんてできません。だから、当時の人々の証言が貴重な資料として研究され語り継がれるのです。
以前、沖縄県営平和祈念公園からひめゆりの塔から喜屋武岬を回りました。様々な展示資料や証言ビデオなどがありましたが、そこに政治的な主張は、少なくとも私には感じられませんでした。
▲33 ▼1
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事実としてあったことは認めなければならない それだけ戦争というのは悲惨なものだ 事実からは目を背けてはいけない ただし 改憲や自衛隊違憲問題とは 別に切り離して考えないと 物事は本質を捉えられない 戦争は反対 絶対に反対 子どもたちが不幸になるのは嫌だ だからこそ 自衛隊はきちんと軍隊として 国や国民を守る軍隊にすべき それだけで近隣諸国からの圧力を和らげるし、初めて対等に外交できる 改憲派も絶対死守派も 両極端すぎて きちんと現代の事情にあった建設的な議論が出来ていない 少なくとも90年も憲法が改正されないのは異常
▲2 ▼2
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靖国神社に眠るとされる英霊約三百万兵の6割は餓死。疫病死だ。靖国は捕虜は祀らない、なぜか?捕虜になることは恥だとする思想、米国アーリントン墓地の最上段には捕虜となり戦死した兵士が祀られている、最前線で闘った証として讃えている、ベトナム戦争時ホーチミンは兵士に死ぬな、死んでは戦争に勝てない、生きて勝利を勝ち取ろう、と兵士を鼓舞した。死に場所を求めて闘った帝国日本軍兵士への扱いはどうだったのか?日本人は考えるべきではないでしょうか?負けるべくして負ける侵略戦争だった。アジアの民衆からの称賛も無い。単なる強盗軍隊であっただけだ。
▲40 ▼15
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まぁ日本の戦争教育や戦争博物館は「何があったかを淡々と教える」ではなくて、悲惨さばかりを訴えて感情論的な反戦主義一辺倒でうんざりするってのはある。 戦争は始まれば悲惨だし、負ければもっと悲惨。悲惨なのは当然。 単に戦争反対を唱えるのは簡単だが、始まったからには絶対に負けてはいけないし、負けそうになった時いかに被害を抑えるかってのに考えを巡らせるべき。
▲39 ▼58
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1945年、沖縄戦で動員された沖縄県立第一高等女学校と師範学校女子部の生徒222人と教師18人は、「ひめゆり学徒隊」として野戦病院で看護などに従事し、解散命令後に多くが死亡。学徒123人、教師13人が犠牲となった。戦後、慰霊のため「ひめゆりの塔」が建立され、1989年には証言と資料をもとに「ひめゆり平和祈念資料館」が開館した。 以上がわかっている事実です。 この悲劇は、命の尊さと戦争の現実を静かに語るものであり、政治的な立場や主張の道具として利用されるべきではないと思います。西田議員を含むすべての人に、事実を尊重し、犠牲者の記憶に誠実であってほしいと願います。
▲11 ▼0
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あの戦争で命を落した方々が、果たして「戦争犠牲者」として記録される ことを望んでいるのか、あるいは国を守るために闘った「殉国者」とし て記録されることを望んでいるのか?それは我々には分かりませんし、その 立場によっても違いはあるでしょう。
ただ、自分だったら悲劇の象徴よりも「殉国者」としての名誉を望むかも。
▲11 ▼43
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この記事だけだと何のことかさっぱり分からなかったので他の記事も読んでみたら、要するにひめゆりの塔資料館の展示に関して、以前は日本軍に学徒隊が殺され米軍の上陸によって沖縄が解放されたという文脈だったと。 資料館側はそんな展示はしていないと反論してる感じですね。 恐らくそんな展示は無かったと思いますが、推測するに集団自決の捉え方が日本軍による強制だったのか否かという部分に集約されているのだろうと思います。 これは学徒隊に限らず他の集団自決に関しても論争になってますけど、戦後の補償問題も併せて考えると「そういう事にしておいた方が犠牲者/遺族の為になる」という配慮が拡大解釈され定着し、左派メディアや学者に悪用された戦後日本の宿痾の一つだろうなと。 西田議員が問題視してる部分も理解はできますが、ただそれは資料館がやった事ではないでしょうし、誤認があったなら訂正しましょうよ。
▲16 ▼20
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昨今のデマ宣伝は、言ったもの勝ち、と言わんばかりの風潮が有ります。特にSNSを通したものが目立ちますが、この発言もそれに乗っかっての発言なのか、出鱈目でハレンチな発言だと思います。こうした風潮が次第に強くなってきていることに、危機感を感じます。
▲12 ▼3
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沖縄の平和記念館にも行ったことがあります。 私は広島育ちで祖母は被爆者だったし、祖母以外の被爆体験も聞いて学びました。 原爆の怖さは知っています。 でも本当の戦争の怖さや悲惨さは沖縄だなと思いました。 地上からも上空からも爆撃され逃げ場はなくなる。 食料も水の確保も難しくなり、飢餓状態になる。 絶望しか見出せなくなり、精神状態もおかしくなるのは当然です。 こんな事は二度としてほしくないし、あってはならないです。
▲8 ▼0
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ひめゆりは海洋博の年に初めて訪問しました。沖縄の車が右側通行の時です。時代が変わって解釈が変わったのかとも思いましたがそんなことはありません。広島でも長崎でも知覧でもそうですが記録にそう言った主観的なものは見たことがありません。もちろん場外では責任を追求する方がおられますがそれは構いません。 責任追及をしだすと日本が悪いアメリカが悪いと主張の水掛け論になるだけです。だからオバマは広島に来ることができ岸田さんはG7を広島で行うことができました。首脳は心には思うところあるでしょうがおくびにもそのようなことは発せられません。 私たちが歴史を知る上で一番大切なのは史実を知り不幸は繰り返さないことです。国会議員が煽ってどうするのですか。
▲40 ▼5
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保守思想は緊縮財政を推進したい反日勢力に利用されてきた。エセ保守はなぜか根拠もない緊縮財政を主張する(一例を挙げると債務対GDPや日銀のYCCでコストプッシュインフレをした事実はない)。西田昌司といえば、安倍政権の頃から積極財政を訴えてきた保守にしてはめずらしいまともな保守の積極財政派なので、こういう取り上げには注意しなければならない。
▲2 ▼8
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勉強不足の一言に尽きるんでしょう。
こういった、戦争や命に関わること、人権・差別などのデリケートな話をする時は、例えかじっていたとしても「不勉強で申し訳ないんですが」ってスタンスを前提に出しておかないと失言のダメージが大きいと思う。
どんなにうまく話をまとめても、笑い話にはならないんだから、「専門家の領域には及ばない」って周囲に留意してもらわないと。
▲11 ▼3
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ひめゆりの塔の記と言う資料と平和祈念館の資料を読んだが、西田氏の言う「歴史の書き換え」がどこを指すのか読み取れなかった。 別に記事に引用されていた、米軍による解放に当たるような表現も見えなかったが、探し方が悪かったのか? それより不明を恥じるが、軍によって編成され看護等にあたっていた生徒への「解散命令」には驚いた。 玉砕の道連れにしない配慮?ともとれるが、最前線で後は自分で身を守りなさい!解散!は、切羽詰まったとは言え大人のすることではない。 やむを得ないはわかるが、生徒にそういう対応したことを知っていて「歴史の書き換え」云々を発言したなら、県民としては怒るだろう。 まぁ本土決戦を遅らせるべく、沖縄県民を挙げて抵抗と言う戦法をとったのは事実だし、そういう過去への反省がないなら、県民の政府への不信は拭えまい。 単純に読解力不足の議員の妄言?発見前に資料確認すれば良いのに。
▲12 ▼1
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展示物の方向性が「戦争の悲惨さ」「平和」というより「日本兵の蛮行」「罪悪感の強化」に偏り気味だから見物すると贖罪意識や日本兵への嫌悪感やらが強くなるから それは本当の「平和」に繋がるの?とは思う。 (高校の頃、修学旅行で韓国のなんかの資料館か展示施設を訪問した時も似たような感覚になった。友達は向こうの高校生に謝ってたし) 再現演出の仕方も含めて「ストーリー」として訴えるんじゃなくてもっと違う展示の仕方があるんじゃないかなぁとは思うけど。
▲3 ▼5
=+=+=+=+=
西田さんも、所々で茶々を入れ炎上させるよな。国会議員が根拠なきに発言をしたらどんなことになるかぐらいは理解しているはず。国民の味方だと思っていたが、生存者や歴史が語って間違いないことを資料館では展示されているにも関わらず、批判するには根拠が必要だ。私も何度もこの資料館に行きひめゆりの生存者とも話をしたが、史実で間違いないと理解している。
▲47 ▼10
=+=+=+=+=
西田議員が歴史修正主義者かどうかは別として、間違いがあるのならば修正するべく検証はしたらいいと思います。歴史は後世の見方によって修正されるものだと思っています。例えば鎌倉幕府の成立などは昔と今では解釈が違いますし、西田議員も根拠があるならそれを説明するべきだと思います。
▲4 ▼5
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このような間違った歴史観を持つものが国会議員の座にいること自体が残念としか言いようがない。国会での恫喝的発言を見ると、西田氏は国会議員として相応しくないと考える。 夏の参院選でどのような判断をされるのか、選挙民の投票が楽しみである。
▲771 ▼244
=+=+=+=+=
松代象山地下壕の看板を思い出しました。 昔よく行ってたのでよく覚えてる看板がいつの間にか一部書き換えられたのを思い出しました。 書換えられたのは朝鮮からの強制労働が無かった認められないと話題になった時です。 こうやって、自分たちの都合のいいように塗り替えられて行くことに恐怖を感じます。
▲3 ▼1
=+=+=+=+=
日米にかかわらず、戦争は個人の思いとは別に、国家や政治家などの思惑などで多くの兵士が命を落としたこと、さらに、様々な事実や諸説があれど、どちらにも絶対的な正義はないことを忘れてはならないだろう。戦争を始めるということは、多くの自国民の犠牲を伴うことは不可避である。 ひめゆり学徒の悲劇は、国家と政治家の判断が間接的にもたらしたことを考えると、記事の通り、西田氏が声高に主張した内容は政治家として的外れと言わざる得ない。歴史の検証は重要であることは当然だが、戦争という悲劇で失われた命は戻らないし、浮かばれることはない。今さら、日本も連合国も、自らの国家的な過失を一方的に認めることはないだろたう。 それより、今後そのような悲劇を日本にもたらさないために、今の政治家はどう振る舞うべきか、国民は何を考えるべきか、論理的に語るべきではないだろうか。
▲3 ▼0
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どちらっもしっかりした根拠を示し主張すればよい、よいが・・・近年日本周辺の平和的行動をとらない国が数国存在します、これに対しては「絶対攻撃されない国」を目指し日本は体制を整える事が喫緊の課題だと思います。 パンダ貸与の交渉なんかしている場合ではない。
▲23 ▼12
=+=+=+=+=
西田さんはディープステートの存在をYouTubeで熱心に語る方ですからね。 沖縄まで出向いて、現地を訪問して確認することなく何十年も前の「記憶」だけで語るのも、さもありなんと感じます。 客観的事実とは関係なく、ご自分の脳内ですべてが完結しておられるのでしょう。 ご自身は自民党の為に戦っておられるつもりでしょうが、党の印象は悪化する一方、自民党にとって参院選はますます厳しいことでしょう。
▲33 ▼4
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沖縄戦と沖縄住民の関わりを時間軸の中で日本軍の動きと沖縄住民の軍への組織化と動きを見れば一目瞭然である。 西田氏の発言は沖縄戦で亡くなった方たちを国に殉職したと美化したがっている。 しかし実態は、沖縄住民を戦場から避難させ守ることなく軍に従軍させ戦闘に巻き込んだ最も悲惨な地上戦だった。 そこで起きた日々も多くの悲惨な体験談と何より多くの住民を戦場に巻き込み亡くならせたことが数値としても明らかだ。 太平洋戦争の各地の戦場を歪曲して美化する方が国政に関わっていることに怖さを感じる。またこの方たちが憲法改正を叫んでいることに尚のこと怖い。 先の太平洋戦争では兵隊以外の住民が非常にたくさん亡くなられた。沖縄戦はアメリカ軍の本土進出を遅らせる為に捨て石となった。軍は住民を守ることなく徹底抗戦と自死を強要し不必要な犠牲を生み出した。国民を守る目的ではなく本土を守る為に犠牲となった沖縄住民と兵士だった。
▲30 ▼8
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この記事を見れば見るほど一生懸命日々、戦争の悲惨さやこのような事をしたらアカンよという事を教えてくれとる方々に対して失礼かつ、無知で根拠がない発言で腹立つんやけこの人戦争について学校等でちゃんとしたことを学んで来たんかな?とか今まで公務などで触れて来たり見てきたと思う戦争についての資料などを見て何を思って来たんだろうか?こんな考えの人が政治家で大丈夫だろうかと疑問に感じる…… 政治家って色々話し合って世界情勢をしていく役割の人間でもあるから、核などを保有したりしないと憲法でも定められとるのにこんな無知で無茶苦なことを平気で言ってしまう奴が政治家でおると、大丈夫か?って思ってまうよな…
▲23 ▼3
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こういう戦争の悲惨さも知らない想像も働かない西田のような、戦争を知らない子供たちが政治家に占める割合が多くなるとその国は戦争をしやすくなるそうだ。戦後戦争体験者の政治家たちがいる間は戦争の悲惨さを良く知るだけに何としても戦争回避するよう外交努力につとめる。しかし戦争の恐ろしさを知らない政治家たちは外交努力よりも楽な方へと流れやすい。軍備増強は自分の国だけでできる、相手国との難しい交渉はしなくてもよい。今の日本がまさにそれだ。難しい相手国とうまく駆け引きを行うことでいかに戦争を回避するか、その努力を怠り戦争の準備をする今の日本は外交交渉を無視して太平洋戦争に突入した当時の大日本帝国とよく似ている。いつの時代も愚かな政治家により犠牲になるのはその国の国民である。
▲24 ▼4
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西田議員の発言は絶対に許してはならない発言だと思う。実際にその場所で悲惨な戦争を体験し、家族を奪われた方々の証言を無視したものだ。 為政者側の都合の良いように歴史を修正する意図が明らかで、こういう政治家を野放しにすることで庶民がまた戦争の惨禍に巻き込まれていくのだと思う。 沖縄県民のみならず、日本国民は断固として抗議すべきだと思う。
▲39 ▼11
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ひめゆり学徒隊で最も死者が多かった第三外科壕では、米軍によって白リン弾などの攻撃を受けたとされるが、白リン弾は毒ガスというより煙幕であり、殺傷能力はほぼないものなので、ほとんどがパニックによる自決だったはず。 死者が少なかった壕では、その理由が「自決しなかった」ことが生存者からの証言でわかっている。 自決を促したのは、当時の軍国教育や自決する道具を渡した日本軍なので、そこは反省すべきだろう。
▲2 ▼1
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広島や長崎の原爆被害、東京大空襲の被害同様沖縄戦の被害も全て日本が悪いという論調で語られているのは事実。全ては米軍の攻撃に依る被害なのだが被害を米軍の責めにする論調は殆ど見られない。西田氏の発言はそれに一石を投じるだけで大騒ぎして批判される発言ではなかろう。太平洋戦争の原因を全て日本の責めにするという欧米の歴史観を修正しようという言動は欧米が作った歴史観を修正しようとするもので、歴史の修正ではない。欧米の歴史観を批判する事をタブーとする時代は終えても良いと思う。
▲6 ▼9
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今年96歳になる祖母は沖縄で地上戦を経験しています。裸足で逃げ回り米軍に捕まれば殺さられる、そう教え込まれていたそうです。しかし実際には缶詰やコーヒー、チョコレートと豊富な食料を提供され驚いたと話しています。圧倒的な力の差があるなか、それを知らずに巻き込まれた民間人。 その方達の証言を否定する、尊厳を踏み躙るような発言はあってはならないと思います。
▲14 ▼4
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母方の祖母が戦争で亡くなってます。 詳しくは当時母も5〜6歳だったのもあり祖父の苦労や姉たちが母親代わりになってたくらいの事しか私も聞いてません。 辛い記憶を話してくれた方には感謝しかない。当事者でない人が批判するのはよくない。
▲5 ▼0
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戦争においては、自国と敵国でも主張などが分かれることがある。 自国内であっても、「首脳陣の方針」と「現場の捉え方」に食い違いもあるだろうし、軍部と民間で見方が異なる場合もあるだろう。
つまり、一つの出来事でもいろいろな見方があるわけだ。 そういったことを、お互いに資料を出し合って、それに基づいて議論して、「真実にたどり着く」「より高い議論に発展させる」というのは有益だ。
しかし、一方的な見解や資料だけに基づいて、それと異なる見解を「でたらめ」「歴史の書き換え」「ねつぞう」などと批判するのはおかしな話だ。 「議論」をすればよく、自説と異なる見解を「誤り」と断言するのはよくない。
どちらも冷静になって議論すべきだ。
▲1 ▼2
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>「ひめゆり資料館の展示内容に、議員が言うようなものはない」と指摘するのは琉球大准教授の北上田源氏
これが全てだよね。 国会議員でも主張は自由ですよ。ただ、事実として書かれていないものを、でっちあげて政敵を攻撃するのはアンフェアですよ。もちろん、沖縄戦をめぐる様々な証言には、被災された人々によるかなりの誇張などが入ってる部分も有りますがそれは、論理的に過去の証拠をもとに検証すべきことです。
例えば戦艦大和の元乗組員の人が「生存した大和の乗組員を救助していた駆逐艦の乗組員が、これ以上載せられないからと日本刀で腕を切り落として見殺しにした」なんて主張して日教組あたりに噂が蔓延したことがありましたが他の生存者が全否定し、のちに主張した人も話題作りのための嘘だったと認めています。
こういう事は思い付きと決めつけでいう事ではない。
▲95 ▼14
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アメリカは降伏を催促するビラを配っていたようだが、軍部より拾うな破棄せよ騙されるなと圧力があったと本で読んだ。私は西田さんに同意するところがあります。砲撃の凄まじさに機銃で対抗できるはずもなく、かと言って逃げたせば自国の軍に撃たれる恐怖もあり、本当に地獄を思わせます。
▲0 ▼7
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昔読んだひめゆりの塔という本の中に内地から来た日本兵が洞窟に隠れている民間人に赤ちゃんがいて泣き止まないから親に怒鳴りつけ親が口を塞いだら窒息してしまったという記述があった気がします。悲惨な事です。今ガザやウクライナでも戦争により命が奪われています。歴史を知り戦争をしてはならないと誓ったはずの人間はまた悲劇を繰り返しています。個人的に人類は自ら滅びると思います…なぜ暴力から逃れられないのだろうか
▲4 ▼1
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アメリカが開放したと言う表現は議論を呼ぶところであるが、沖縄県民が日本軍に束縛されていたと言えばそうともとれるが、吉村昭さんの殉国という本は沖縄戦の生き残りのひとりに当時の事を聞きいた陸軍二等兵比嘉真一(召集を受けた中学生)さんよりの聞き物語だが日本軍と住民との関わりが良く書かれています、民間人が南に逃げるのに軍も南に撤退したのだが作戦上あまりにも民間人を無視した状況がわかります、それを開放と言うと言えば開放かな、軍人も民間人も、女子挺身隊も皆狂気の状況がよくわかります。
▲108 ▼73
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西田氏は神道派の代表的な国会議員なのだろうか?西田氏は過去の戦争をどの様な歴史認識なのだろう。氏の家系は代々「神道」なので戦争正当論の認識発言になるのか?批判をするなら歴史的証言や資料に対する明確な事実となる実証資料等を示すのが政治家では無いだろうか!非常に違和感を感じる。
▲85 ▼15
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西田って、これ何十年も前に資料館を訪れた時の記憶をもとに発言してるんですよね。改憲けっこう、自分なりの史観を持つのも大いにけっこう。けど、仮にも国会議員ともあろうものが公の場で発言をするなら、もうちょっとまともな根拠を持ってほしい。 再度資料館に出向き内容を精査したのか、資料館の責任者に直接聞き取りを行ったのか、当時の学徒隊の生き残りの方からの話に直接耳を傾けたのか。 してないですよね? 自分の意見にほころびが生じるのが目に見えてるからじゃないですか?
▲108 ▼16
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戦争状態だったからね。あと本土でも空襲で民間人が被害を受けている。東京大空襲がどれほど地獄だったかもっと言うべき。なぜ沖縄だけ声だかに言うのか?歴史を後世に伝えるのは大事だけど。
▲3 ▼5
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ひめゆり館に展示されている文章です。
「日本軍は、沖縄を本土防衛の防波堤と位置づけ、米軍の本土上陸を1日でも遅らせるために、壕に潜んで長期戦にもちこむ持久作戦をとりました。この作戦が沖縄戦を長引かせ、日米の戦死者は20万人以上にのぼりました。」
「日本軍は兵力不足を補うため、沖縄県民を「根こそぎ動員」し、中等学校や師範学校などの10代の生徒まで戦場に動員しました。那覇市安里にあった「沖縄師範学校女子部」と「沖縄県立第一高等女学校」からも、生徒・教師240名が看護要員として動員され、そのうち136名が死亡しました。」
英霊に感謝の誠を捧げます。
▲63 ▼14
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西田氏の発言は議論する対象にする必要もないと思う。そんなレベルのものではない。
西田氏が発言したのは、極めて最右翼に近い政治団体の会合であり、おそらくは会場内で目の前にいる列席者を喜ばせることしか考えていない安易な発言だ。要するにかつての森喜朗氏の失言問題と同根。森氏が数々の問題発言の後、自説をエビデンスを示しながら論理的に説明したことなどあっただろうか? この西田氏も同じようなもので、マスコミから追求されても黙秘して逃げ出すか、「私の信念だ!」とひと言怒鳴るくらいが関の山だろう。
この種の人物は批判して考えを改めさせようなんて考えても無駄。次の選挙で落選させるのみ。自説を主張したいなら隠居してから家族相手に言ってもらおう。
▲129 ▼21
=+=+=+=+=
戦時中の日本では女性だけの軍の部隊というのは存在しない。あくまで動員された一般人という扱いだ。どうも自民党の人たちは戦後生まればかりになって、都合のいいように解釈してるようだ。
鎌倉幕府が、開かれたのが1192年ではなく、1185年に変更されているが、はるか昔のことである。
しかし、沖縄戦のことについて、まだ生きてる人間がいるうちに変更しようとしているのは、政治的動機でしかないと思う。
▲4 ▼1
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昔からひめゆり学徒隊が異様にクローズアップされていた感じがありました。仕事の関係である歩兵連隊を調べていくと同じように女子学徒隊(白梅学徒隊)が出て来ました。何年か前映画?された記憶があります。この連隊は最後まで米軍と戦い続け自決、突撃を許さず白梅隊に解散命令出さず全滅しないで生き残った。この様な議論が出てきてる今考えなければならない時期なのかもしれません。
▲94 ▼111
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まず琉球新報の記事である事を考慮したら、殺戮をする戦争そのものは良いことではない、しかしウクライナを見ても分かる様に今の世界はどちらに正義があるかはそれぞれの言い分を聞いても、侵略する方と侵略される側が其々大義をかざしている、先の日本の戦争も戦勝国は侵略戦争といい、敗戦後欧米間の戦争ではやらない戦犯裁判まで行った。しかし、欧米諸国からすべての資源を絶たれた状況や、アジアを植民地化支配で従わそうとする欧米思想の中でその頃の日本には外交でかわす力量も軍部への文民統制も無かったから戦争へと突入してしまった。今、実際に領海領土への侵略や戦闘行為があった場合、今の一国平和主義の理想では日本や日本国民の存続は出来ないだろう。赤紙で戦争に駆り出されて恩給の対象にもならなかった亡父に戦争の悲惨さはよく聞いたが、戦争の原因や太平洋戦争の大義を否定することは聞かなかった。
▲29 ▼28
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西田みたいに、自虐史観を主張する自民シンパを刺激して、それを突破口に強引に世論を誘導しようという手法が多い気がする。こういう人たちに歴史と真摯に向き合えと言っても確信犯なんだから無意味。国民は安易に騙されないようなインテリジェンスを身につける必要がある。
▲105 ▼27
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