( 290337 ) 2025/05/12 04:50:02 0 00 備蓄米は放出されたが……
昨年夏にはスーパーの棚から一斉に姿を消し、今も価格が高止まりしたままのコメ。嘆いていても始まらないので、この国の「コメ政策」がどこへ向かおうとしているのかを知る、良い機会と捉えてはどうか。ノンフィクション作家・奥野修司氏による深層レポート。
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「昨年11月、財務省が出した建議には、今後、食料自給率の確保は求めないと書かれています。食料が足りなければアメリカやカナダなど同盟国から輸入するのだから安全保障上の問題はないという説明です。その元になるのが改正した食料・農業・農村基本法ですから、農林水産省も財務省もみなさんを守るために存在していないんですよ」
2月18日、日本の農と食を守ろうと開かれた「令和の百姓一揆」院内集会でこう語ったのは、衆議院議員で農業経済を知悉(ちしつ)した福島伸享氏である。発言中の「建議」とは、各省庁の予算編成にあたって財務省の考えをまとめた意見書で、翌年度の予算編成の指針になるといわれる。
昨年の米不足から高騰した米価がいまも収まっていないのは、この国の食料システムが極めて脆弱であることを示している。そんな状況の背後で、実は日本の農業や食料事情を大きく変えかねない法改正が行われていた。福島氏はそのことを述べたのである。
昨年6月、日本の農業政策の計画を示した食料・農業・農村基本法の改正法(以下、改正基本法)が施行された。この国が目指す農政の理念を掲げたものだ。そしてこれを政策として具体化させるのが食料・農業・農村基本計画(以下、基本計画)である。いわば政府のアクションプログラムだ。計画を実行するには予算が必要だが、この配分を決定するのが財務省の「建議」である。
「食」は基本的人権の基礎になるものだ。日本のように食料自給率(以下、自給率)が低い国は、自給率を高めることが重要だと思うのだが、どうも政府は自給率の向上に努力をするよりも、足りなければ輸入すればいいという方向にシフトしようとしている。なぜ自給率向上への努力をやめるのだろう。福島氏は言う。
「自給率を上げるためには全体の農地を守らなければいけないのです。そのためにEUやアメリカなどは補助金を出して農地を維持しています。逆に自給率向上を目指さないなら、効率の悪い農地は切り捨てて、作りやすい農地で作ればいいとなります。その場合、財務省は予算が減り、農水省は自給率向上という難しい政策目標がなくなる。双方の利害が一致したのです。今後は農地が減らされる方向になるでしょうね」
あらためて財務省の「建議」を読み直し、これまでの政策と違う箇所を要点にして抜き出してみた。
これまで食料自給率は重要な政策目標だったが〈食料自給率のみを過度に重視することは不適当と言わざるを得〉ない。なぜなら自給率を1%上げるのに〈畑地で400〜500億円程度、水田で800〜900億円程度の国費が必要〉で負担が大きい。食料が不足するなら〈政治経済的に良好な関係の国からのものであ〉れば問題はないから〈輸入可能なものは輸入〉すればいい。備蓄米も保管経費など(400〜600億円)が大きく、備蓄量を見直すべきである――。
これを要約すると、
(1)自給率は数ある目標の一つに過ぎない。
(2)食料が足りなければ友好国から輸入すればいい。
(3)財政負担が大きい備蓄は減らすべきである。
(1)と(2)は改正基本法にも似た記述はあるが、(3)に関しては〈備蓄の確保を図る〉とあるだけで「見直す」とは書かれていない。ともあれ、これらが政策として実行されれば日本の食料事情が変わるだろう。それが私たちの食生活にどんな影響を与えるだろうか。
日本の食料自給率(カロリーベース)が38%と低いのはよく知られているが、実はどこの国も自給率を発表しているわけではない。日本以外では韓国や台湾、スイス、ノルウェー、イギリスなどは発表しているが、必ずしも計算方法が日本と同じではない。カナダやアメリカのように食料自給能力に余裕がある国は発表していない。農水省のサイトで各国の自給率を比較しているが、これは同省が試算したものだ。もちろん自給率にこだわる必要はないという意見もあるが、「台湾有事」のような不測の事態を考えれば、国として食料供給力を把握しておくことは必要だろう。
1965年度に73%だった日本の自給率は、今世紀の入口に40%まで低下し、その後もゆるやかに低減してきた。農水省は、2030年度までに45%にする目標を設定したが、向上しないまま38%前後の低空飛行が続いている。今も目標は取り下げていないが、4月に閣議決定された基本計画では、自給率を農業政策の「目標の一つ」に格下げしたのだ。その理由について、昨年7月、改正基本法の説明会で農水省の経営局長はこんな解説をしている。
「自給率の低下で一番大きな原因は米の消費減少です。米は100%国内で生産しています。自給率の高い米のカロリー摂取が減れば減るほど自給率が下がるという構造なのです。毎年、米の消費が減っていますから、今後も自給率低下の傾向は変わりません」
国民の食生活が変化して米を食わなくなったから自給率が低下したのだという説明である。どんな検証をしたのか不明だが、国民の嗜好で数値が変わるなら、政策目標にはなり得ない。自給率が格下げされた理由を、農業経済学者で横浜国立大学名誉教授の田代洋一氏に解説してもらった。
「国民の食生活が変化して米を食べなくなったので自給率が落ちたとなれば、財務省は農水省に予算をくれないでしょう。日本の国家予算は膨らんでいるのに、農林水産予算の割合は25年前の4%から2%と半分に減っているんです。2%を切ったら省として存続する意味が問われかねません。官僚は予算が命ですから、自給率では予算が取れないと判断したのでしょう」
では、経営局長が言う、国民が米を食べなくなったから自給率が下がったという説明は、果たして正しいのだろうか。
戦後の高度経済成長で国民の生活が豊かになり、米の消費が減って肉類の消費が増えた。そのために大量の飼料穀物を輸入したことが自給率低下を招いたのは事実だろう。ところが、現在の若い人は昔の人のように大食漢ではないし、日本の人口が減少して高齢化が進んでいて食料の消費量が減っているから、本来ならば自給率は上がるはずなのだ。では何が自給率低下の原因なのか。
農水省「食料・農業・農村政策審議会」で会長を務め、基本計画をまとめた一人である中嶋康博東京大学大学院農学生命科学研究科教授は、2000年以降の変化を次のように説明している。
〈(今世紀に入ると)1人当たりカロリーも人口も減少するようになり、消費面では自給率を引き下げる要因はなくなった。それでも自給率が向上しなかったのは、1980年代後半以降は産出額が低下し続けているからである。このように産出額が低下しているのは、労働や農地、投資が減少し続けたために、農業生産における総投入が大きく低下したからである〉(「月刊NOSAI」2023年8月号)
その原因として〈農業の収益率は低いまま〉だから、農業者や農地の減少が止まらなかったと指摘しているのだ。働いても働いても時給10円ともいわれるような米作りを放置してきたのがその典型だ。自給率が低下したのは、国民が米を食べなくなったからではなく、農業生産力が衰えたからだとなれば、政府の農業政策に問題があったとなる。なぜこれが基本法に反映されなかったのか。
農水省が基本法の見直しを始めたのは2022年、ロシアのウクライナ侵攻から約半年後である。〈食料安全保障への懸念〉(同前)があって審議が始まったそうだが、あの時期なら当然だろう。それなのに、なぜ自給率向上をあきらめるような法律にしたのか。
基本計画では、「食料安全保障」が〈「国民一人一人の食料安全保障」を確保〉という言葉に変わった。これは似て非なるものだと田代氏は言う。
「食料安全保障と国民一人一人の食料安全保障は、言葉は似ていますが、意味はまったく違うのです。一人一人の食料安全保障自体は大切ですが、語義からすればアメリカ産であろうとカナダ産であろうと、国民一人一人が食べられたらよしとなります。そうではなく、まず自給率向上で国内生産を確保した上での“一人一人”であるべきなのです」
基本計画が「国民一人一人の食料安全保障」の例に挙げたのは、移動手段を持たない高齢者などの買物困難者や経済的に困窮している人のフードバンク、それにこども食堂などだ。それはそれで重要だが、自給率とは直接の関係はない。どちらかといえば、平時における社会政策のようなものだ。農水省の仕事というより、厚生労働省の管轄ではないだろうか。
では、不測の事態が起きて、食料が足りなくなったときはどうするのか。有事でなくてもいきなり米不足になる国である。それなりの対策は必要のはずだ。これに対して改正基本法や基本計画が示したのは〈安定的な輸入の確保〉である。
「自給率は目標を掲げたにもかかわらず、一度も目標値を達成できなかったどころか、低下を招きました。今後も達成は難しいから、それに代わる安定的な輸入が不可欠だという認識ですね。では、輸入で本当に安定的な食料の確保ができるのでしょうか」(田代氏)
食料が足りなくなれば外国から輸入すればいい、と言うのは簡単だが、果たしていつまで持続できるだろうか。
基本計画は〈安定的な輸入の確保が必要〉としながら、その一方でこんな記述もある。
〈我が国の相対的な経済的地位は低下し、必要な食料や生産資材の安定的な輸入に懸念が生じている〉
かつて国内総生産(GDP)が世界第2位だった日本は、中国、ドイツに抜かれて現在は4位に転落、1人当たりのGDPともなると、01年に世界5位だったのが23年は韓国を下回りOECD加盟国で22位である。日本は貧乏になったと認めているのだ。さらに、ここ数年の貿易収支の赤字が続き、22年は20兆円という過去最大の赤字だった。それなのに、食料の安定供給を海外からの輸入に頼るのは矛盾しているし、あまりにもリスクが高過ぎないだろうか。
基本計画によれば、日本の農地は〈国内需要を賄うために必要な面積の1/3程度しかない〉そうで、輸入に頼るのも無理からぬこととはいえ、国内の食料生産を増やさず輸入を当てにするとはあまりにも無謀ではないか。長期の経済停滞とデフレの進行で、買いたくても日本の企業にとっては値段が高過ぎて買えない「買い負け」が、世界の各地で起こっているという。ながく海外でソバや大豆を買い付けてきた小島康弘氏は言う。
「昔は中国産ソバのほとんどを日本が買っていました。7〜8年前から健康に良いとかで、値段が上がって買うのも難しくなりましたね。安心して使えるのはアメリカ産ですが、値段が高くて買えません。最近はカザフスタンで買い付けていますが、われわれが手をつけたら中国も買いに来るようになりました。いずれ値段は上がるでしょう」
大豆もそうだ。ブラジルは世界最大の大豆輸出国だが、大豆栽培を始めたのは、73年にアメリカが大豆の輸出を禁止したため、田中角栄首相(当時)が資金援助をしたからである。今では中国が大量に買い付けるようになり、日本は簡単に買えなくなったと、ある商社マンがこぼしたことがある。それだけ日本が貧しくなったということだ。日本が欲しいものを自由に買えたのは昔の話なのである。
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