( 290469 ) 2025/05/12 07:24:57 2 00 JR脱線事故で生き残るも…ブログに記した罪悪感「わたしはただの形骸」25歳で自死した “犠牲者”MBSニュース 5/11(日) 17:00 配信 https://news.yahoo.co.jp/articles/62c3d5af602b9d1db2212adb34977dc0e491b7bb |
( 290470 ) 2025/05/12 07:24:57 1 00 20年前のJR福知山線脱線事故から20年が経った2025年4月25日、107人が乗車していた事故車両の乗客106人と運転士1人が亡くなった。 | ( 290472 ) 2025/05/12 07:24:57 0 00 MBSニュース
2025年4月25日で発生から20年が経った、JR福知山線脱線事故。直接死亡した人は乗客106人と運転士1人、計107人にのぼる。事故車両に乗っていた大学生の男性は、一命をとりとめたものの、あの日を境に人生が一変、自死に至った。107人に含まれない"犠牲者"は、生き残った者としての「罪悪感」に襲われていた。(松本陸)
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兵庫県宝塚市の実家に住んでいた岸本遼太さんは、2005年4月25日、通っていた京都の大学へ向かうため、JR福知山線に乗車。事故車両の4両目に乗っていた。その日が、22歳の誕生日だった。
この脱線事故では、7両編成の1~5両目が脱線。死亡者は、マンションに激突した1両目と2両目に集中した。事故調査委員会の報告書によると、死者107人の乗車車両は、1両目が43人(運転士含む)、2両目が57人、3両目が3人、車両不明が4人となっている。
一番手前が遼太さんが乗っていた4両目 マンションに巻きつくように変形しているのが2両目
遼太さんが乗っていた4両目では、警察の調べによれば102人が負傷。事故現場では、3両目を挟んで目と鼻の先に、大破・変形した2両目が位置していた。
遼太さんは転倒し、他の乗客数人の下敷きになったものの、けがは首の捻挫で済んだ。当時、ピアノを教えていた熊谷啓子さんは、事故当日も彼はレッスンに来たと話す。
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熊谷啓子さん 「事故の状況も訊いたんですけれども、『自分はすぐに外に出ることができたので、あまりよく見てない』と言って、多くは語らなかったです。その後も普通にレッスンをして帰ったので、違和感のないいつも通りの遼太くんで、さすが遼ちゃんやなと思って」
安心したあまり、“もし亡くなっていたら今頃、喪服を着て出かけなあかんかったやん”と、冗談めいた言葉を彼にかけたことを、熊谷さんはいまだに悔いている。
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一方で遼太さんは、一時的に経路を阪急電車に切りかえ大学に通っていたが、事故の数ヶ月後にはPTSD(心的外傷後ストレス障害)と診断された。電車に乗れなくなり、大学にも通えなくなったという。
遼太さんは、加害企業であるJR西日本への感情や、事故をめぐる自らの心境などを、ブログに詳しく記していた。2005年10月には、「夢」というタイトルで、以下の文章がある。
(2005年10月22日「夢」) 「わたしは、ちょっと離れた後ろから、呆然と、その男を見ていた。 一瞬。 いつの間に、後ろに回り込んだのだろうか、わたしの背中に、男が抱きついてきた。 とても強く締め付けられた。 振り返ると、その大きく見開かれ、血走った目は、こう言っていた。 『どうして、お前は生きているのか』と。 はっとして、目が覚めた。」
その後も、生き残った者としての罪悪感や、事故当日で人生が止まっているような感覚をうかがわせる言葉が並ぶ。
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(2006年4月20日) 「4月25日はわたしの誕生日 誕生日だから助かったのか (中略) 正直なところ、とても複雑 わたしはなんで、生き残ったんだろ」
(2007年4月25日) 「この2年、色々とありましたが、それでも、記憶の区切りともいうべき頭の中にあるしおりは、2005年の4月25日に挟まれています。 何か思い出す分岐点であり、記憶の節目です。 (中略) 今でも、この事故で亡くなった方に、『何で、お前が生きているのか』と、問いつめられています。」
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遼太さんは大学を特例措置で卒業したものの、仕事に就ける状態ではなく、ピアノのレッスンなど以外は実家に引きこもる生活が続いた。
事故から3年目になると、ブログからは虚無的な感情が一層強くにじみ出るようになった。
(2008年4月25日) 「4月25日は、わたしの誕生日でもある。 しかし、わたしの年齢は3年前から変わらず止まっている・・・ 今のわたしには、この日、黙祷しかできない。 それ自体も、何になるのかと自問自答する。 無力だ。 そして空虚だ。」
(2008年6月7日) 「わたしは、ただの形骸だ。」
自らを「形骸」と表現した4か月後の2008年10月、遼太さんは自ら命を絶った。25歳だった。
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「本当に脱線事故が、遼太さんの人生を変えてしまったというのは、彼のブログの一言一言からもよく読み取れるのではないかと思う」
トラウマのケアなどに詳しい専門家は、遼太さんが「生存者罪悪感=サバイバーズ・ギルト」を抱えていたと指摘したうえで、事故を経験した日が誕生日であったことが、彼の苦しみを一層強めたと分析する。
関西学院大学人間福祉学部 池埜聡教授 「生を祝福する、自分の命を祝う日と、何の落ち度もない多くの方々が命を奪われた、死を間近に感じる日が、同時に重なっている。生と死が一緒になり、否応なしに、自分の命って何なんだろうとか、生き残った意味って何なんだろうという問いを、すごく突きつけられたと思う。そこから答えを見出せなかったのかもしれない」
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甚大な災害や事故で、直接的に命を落としたわけではないが、その後の身体的・精神的負担などが原因で命を奪われるケースを「関連死」や「遠因死」という。
大災害の場合は、「災害関連死」が法的に定められている一方、大事故で生じた関連死や遠因死には明確な規定があるわけではなく、その悲劇が伝わることは少ない。
脱線事故で時間が止まり、虚無感と罪悪感に苦しみ最期を迎えた遼太さん。彼も、脱線事故の「犠牲者」ではないか___ 筆者は、池埜教授に難しい問いを投げかけてみた。
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「生きたくても生きられなかった乗客106人と、自分で人生に終止符を打った人はやっぱり違うという考え方は、おそらくあると思う。一方で筆者などは、遼太さんも脱線事故の犠牲者と言っても差し支えないと、個人的に思っているが、そのあたりは教授はどう考える…?」
池埜教授は40秒近く考え込んだあと、こう答えた。
「 “自ら死を選んだ” というふうによく言われるが、私は、“自ら死を選ばざるを得なかった” という表現の方が正しいのだろうと思う。“自分から命を絶つと選んだのだから、(直接的な死とは)違う” その心情もよく分かるが、その言葉で全てが語られるのは、彼の苦しみを、ある意味すごく誤解している所があるのではないか」
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遼太さんの唯一の肉親だった母親は、息子を偲び、宝塚市の自宅に遅咲きの八重桜を植えていたが、2021年に亡くなった。JR西日本に対し、“事故現場の追悼施設にも桜を植樹したい”と要望していたが、実現することはなかった。
自宅は取り壊されたものの、その八重桜だけは兵庫県三田市の山あいに移された。取材班が4月22日に訪れると、晴天の下、可憐な花が咲いていた。まるで、4月25日の訪れを告げているかのようだった。
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脱線事故に遭わなければ、遼太さんは京都の大学に通い続け、社会に羽ばたき、そして毎年自らの誕生日を素直に祝福することができていたはず…。やるせない想像が尽きません。未曾有の事故がどれだけ多くの人生を翻弄したのかを、まざまざと突きつけられる思いがします。
事故自体の風化が急速に進む中で、遼太さんのように間接的な形で亡くなった“犠牲者”は、より一層忘れ去られていくという残酷な現実があると思います。少しでもその現実に抗い、遼太さんのような “犠牲者” もいたことを社会の記憶に留めたい。そして、二度とこんな理不尽極まりない事故を起こさないという決意を新たにしたい___。取材を終え、その思いを改めて強くしました。
※この記事は、MBSニュースとYahoo!ニュースによる共同連携企画です。
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( 290471 ) 2025/05/12 07:24:57 1 00 この記事とコメントを通じて、大きな事故や災害で生き残った人たちが抱える罪悪感や心の傷、そしてその影響を感じさせる内容が多く見られました。
一方で、事故や災害を経験したことで、生き残った人たちが心理的な回復や困難を克服していく過程や、その支援の必要性についても述べられています。
総じて、事故や災害がもたらす影響や苦しみについて多角的な視点から考察されており、被災者や遺族への理解と支援の必要性が強調されていることが伝わってきます。
(まとめ) | ( 290473 ) 2025/05/12 07:24:57 0 00 =+=+=+=+=
友人にこの事故に遭った人がいます。一番後ろの車両に乗ってたため軽い傷で済んだんですが、やはりサバイバーズギルトに悩まされたみたいです。今ではほとんど出なくなったそうですが、当時は寝ているとふと「なんで生きているのか」という感情が湧いてきて起きてしまい、寝られなくなったそうです。「寝られなくなったら電話しろ、呼び出せ」と友人には伝えてたので、よく深夜にバイクなり散歩なりで友人とぶらぶらしたりしてました。今では元気に人生を送ってます。やはり人を助けられるのは人なのかなと思った次第です。
▲47504 ▼1091
=+=+=+=+=
こうした大きな事故や災害で、あり得ることなのだろうと思う。 沢山の人が亡くなってしまった中で、せめてもの想いで生き残ってくれた立場の人。 本来は手厚く扱わなければならない存在なのだと思う。 誰にも分からないところで苦しんでいる場合と、周りが認識している中で暮らしている事で起きる苦しみとあると思う。 前者なら治療が必要。後者なら、その事件に誰にも触れられる事なく、その後の人生を自分の幸せを追い求めて、生きて良いと思う。 これ以上苦しまないように。 周りが配慮してあげるべき問題とも言えるかもしれない。
▲241 ▼21
=+=+=+=+=
戦場から生還した後に自ら命を絶つ兵士がいる。今もウクライナを始め世界各地で増え続けているだろうし、所謂PTSDとして世間の認知度も高いことだろう。 しかし事故で大勢の死を目の当たりにした人もまた同じくらい深い傷を心に負っていることは見過ごされがちなのかもしれない。 「帰還兵」を追い詰めるのは「戦場」の記憶だが、最後の一押しをするのは周囲の無理解であり、そこから生じる孤立状態だろう。 巨大な事故や災害というのはけっして当事者だけの問題ではない。というか社会全体が当事者なのだという意識が求められるような気がする。
▲686 ▼41
=+=+=+=+=
私はスマトラ島沖地震の際に津波に遭いました。目の前で津波にさらわれた人もいました。何波目かはわかりませんが先の津波で転覆した船から飛び出した救命具を投げ、ボディボードを投げてリッシュコードを引っ張り、お父さんがいないと泣いている子供をとりあえず高台へ誘導しました。 その後逃げた私は高台のほぼ最後尾、足元には何度か津波と思われる波しぶきを受け落ち着くのを待ちました。 その時は「これ(救命)をしないと後悔する!」という一心だったと記憶しています。 おそらく、その行動をとっていなければこの方のように罪悪感に苛まれていたかもと記事を読んで思いました。 、たまたま、私は助かりましたがそれが正しいかは今冷静に考えると正しく無いんだろうと思います。本来はただひたすらに逃げるべきだろうと。 でもその時はそう出来なかった。3.11より前だし目の前で飲まれた人を目過ごす事は到底無理でした。
▲20 ▼1
=+=+=+=+=
感じる人は感じるし、感じない人は感じない。この事件は地震や水害などの災害ではなく人災。 社員を追い詰める日勤教育が起こした人災。 JR西日本の処分された幹部の一部は何故自分がこんな目にあうんだと嘆いている記事を読んだ。 これが感じない人。 人によって心の痛みの感じ方が全く違う。
▲8379 ▼355
=+=+=+=+=
東北の大震災で 唯一津波と原発の両方を経験した福島県相馬市をテーマにした シュリンクという精神科の漫画を思い出しました
事故や事件から時間がたつにつれ 「いつまで悩んでるんだよ」という言葉をかけられ 当事者は「そこから逃げた」という思いで自分を責める
この記事を読んで何かを感じ取った方に是非読んでほしい作品です。
▲2419 ▼218
=+=+=+=+=
脱線した車内は壮絶だったと言います。満員に近い電車が脱線し、マンションに突っ込んだのです。乗客が折り重なる中で、沢山の乗客に押しつぶされる形になった方もいらっしゃれば、偶然にも倒れ込んだ乗客達の上に乗る形になり、助かった方も居たと聞きます。
ただ、そういった状況で生存された方は、他の方を下敷きにして助かってしまったと、罪の意識を持つ事もあると聞きました。事故に会い、過酷な状況を経験したしか分からない感情があるのだと思います。
福知山線の脱線事故は、乗客とその家族の方々はもちろん、日勤教育に苦しんでいたとされる電車の運転手を含めて、多くの方々の運命を変えてしまいました。
このような事故が繰り返される事の無いよう、悲惨な事故の記憶とその教訓が語り継がれるように願っています。
▲5167 ▼177
=+=+=+=+=
遼太君の友人です。彼が事故に遭った後、友人と共に彼の家に行き一緒に遊んだり話をしたりしたにも関わらず、彼を助けられなかったことが今でも悔やまれます。本当に優しい人でした。だからこそ自分を責めてしまったのだと思います。 せめて天国でお父様、お母様、そして可愛がっていたワンちゃんと会えていることを願うばかりです。
▲4845 ▼137
=+=+=+=+=
罪悪感に加えて、記事に載っている「首の捻挫」も彼を精神的に追い詰めた原因の一つかも知れない。 というのも首を痛めてしまった場合(慢性的に痛みがある場合)、鬱の発生率が2倍〜3倍上がるというデータがある。 首はあらゆる神経が通っているため、そこを痛めると自律神経の不調や血行不良が起こり、鬱を引き起こす明確な理由になる。 精神的に追い詰められたときは、心療内科にかかるのはもちろん、身体的なアプローチも必要だと思う。
▲362 ▼4
=+=+=+=+=
私の知人も20年前にこの電車に乗っていました。宝塚駅から乗車、この時点で遅延していた、各駅に停車する時も急停車、急発進を繰り返し、伊丹駅を出て猛スピード、本来なら名神高速の高架付近で減速するはずがしない、不思議に思っていた所、前方から悲鳴、振動、爆音、衝撃、激痛そのあと記憶が無い、しばらくすると、怒鳴り声、大丈夫かぁ!しかし出れない。外からドアを開けてもらい、近くの工場の作業員さんに助けていただいた。この時点で前の車両がどうなっているかは、分からなかったと。あれから20年、彼の腕のあざは、消えていません。62歳おっさんより
▲3636 ▼158
=+=+=+=+=
東日本大震災でも会社や学校にいて一人だけ助かり、家族が亡くなった方が大勢います。 講演などを聴くと同じ境遇の人が多くいて、時には本音で語り合い慟哭したことである意味救われたという話がありました。 話をただ聴いてもらうだけで違ってくると。 今では心理カウンセラーへの相談や心療内科への通院は一般的になっていますが、当時はまだ少なかっただろうと想像します。 このような事故や災害に遭われて助かった方へのケアについて国や自治体がもっと積極的に動ける法整備や制度の拡充が必要に思います。 最近の学校への不審者侵入や高齢者運転の車の暴走事故の被害者児童などについても適切にその後のケアが行われているのかなと思うこともあります。 若い人ほど強烈に印象に残りがちですからね。 そういう事に税金を使ってほしいと思います。
▲2220 ▼106
=+=+=+=+=
父が特攻隊員でした。玉音放送のあとに出撃命令が出て、事故が起き同じ部隊の方が100人以上亡くなったそうです。終戦していたのにどんなに無念だった事か 亡くなった仲間のご遺体を生き残った何人かで無言で集めたそうです。 何十年もそのことを語る事なく、家族は居るのにいつも不愉快そうに1人で行動してました。 亡くなった仲間を思えば、自分だけ幸せにはなってはいけないと苦悩していたのかもしれないです。 父の人生は常にその事に支配されていたと思います。 80歳で亡くなる前には、戦友が会いにくるんだよ。と言ってました、10代の姿のままで会いにくると。 この方がブログに書いていた事と同じです。 生き延びて良かった。とは言えない、当事者にしかわからない壮絶な苦しみがあるのでしょう。 その苦しみの機嫌を取りながら生きるのは辛すぎる事なのかもしれません
▲1956 ▼53
=+=+=+=+=
大事故や震災により死亡する人、怪我をする人が残念ながらいる。 せっかく助かったのに自ら命を経ってしまう事は家族や友人はたまらないだろう。 本人は悩みに悩んでの行動なんだろう。医療の力を借りて精神的に病んでしまった人を助けられればいいと誰もが思うところだ。事故や震災に遭遇してしまう事は誰もが可能性がある。罪に感じるのではなく助かったことを喜べるようカウンセリングなど精神的な治療やサポートが必要だ。
▲1532 ▼120
=+=+=+=+=
記事を読む前は被害の大きかった1両目か2両目に乗車されていて、犠牲者の上になってしまったりという経験をされたのかなとも想像しましたが、死者の出なかった4両目だったのですね。優しい方だったのかな。その日にピアノのレッスンに行けたのは、私も経験ありますが大怪我をした直後は痛みを感じない現象の心理型だったのでしょうか。ご冥福を。
▲1426 ▼108
=+=+=+=+=
大変な経験をした人の気持ちは想像しても、そこには想像ともの凄い違いがあると思います。PTSDを発症することもあるでしょう。フラッシュバックのような現象も苦しいのでしょうね。想像でしかありませんが・・・やはり胸が痛くなり、涙が出ます。 そんなこと考えては居られないかもしれませんが、自分の死で新たなPTSDを発症する人が増えるかもしれませんよね。 この年齢まで、そういう現場に遭遇していないことに感謝すべきだと思いながら生きていきます。
▲1040 ▼72
=+=+=+=+=
その日は病院の待合室で速報で知りました。 そこに居合わせた全員が言葉を失い静まり返った院内を思い返します。 事故で亡くなった人は107人でも、そのご遺族や後遺症に苦しむ方々を含めたらもっと大きな数字になりますよね。他人の計り知れない悲しみと苦悩の中に、いまだ置かれている方々がたくさんいる事を思い知らされる記事です。 助かって良かったと素直に喜べない現実がある事を、あらためて知らされました。
▲999 ▼32
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苦しい事故ですね。お母様も 2021年になくなるような年齢ではなかったのではなかったでしょうか。息子さんが自ら死を選んだことで お母様も辛くて苦しい生活をされたのでしょう。 福知山線の事故はこうしてみると 106人の方だけではなくて周りの多くの人を苦しめてきた 決してあってはならない事故だと思っています。 それだけ 地域の人たち全員の命を運んでいるということをよく認識しながら一歩一歩償いの毎日を送ってほしいと思ってます 地元民 より
▲1103 ▼38
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この人のお母さんは息子が助かったことを心から喜んだだろう。とにかく喜んだはず。それなのにこんな形で息子さんを失うとは。どうしても親の目線で考えてしまうのでこの母親の気持ちを思うと居た堪れない。同じ電車に乗り合わせ亡くなった見知らぬ人たちではなくただ1人母親のことを思って生きて行って欲しかったな。しかし、それだけ悲惨な現場だったんだろう。ピアノレッスンも正気で行ったのではなく現実逃避のひとつとしていつもと同じ振る舞いとしてその日は行けたのだと思う。三年後自死に至るほどの衝撃を受けていたのだから。本当に多くの人の人生が不幸になった事故だったのだと改めて思う。
▲914 ▼15
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たしかに直接的に亡くなったのは107人かもしれないけど、それじゃああの事故に居合わせて死ななかった人はなんの問題もないのかと言えばそんなことはないわけで。 単純に亡くなった107人とそれ以外の人と分けてはいけないなと感じた。 記事にあるように自死を選んだ人もいれば、そこまでには至らなくても20年経った今でも精神的にも悩まされている人もいるでしょう。これは東日本大震災に関しても同様だと思う。
▲736 ▼40
=+=+=+=+=
うちの子はある災害の日が誕生日です。 ある日知人に「そんな大勢亡くなった悲しい日なんだから誕生日をお祝いするなんて」と言われたことがあり、子供の誕生日に「おめでとう」と言うのをためらっていたことがありました。 保育園の先生とそんな話をした時に「気にしないでいいから、お誕生日はお祝いしてあげて」と言って下さり踏ん切りがついたものでした。 災害の当事者ではない私でさえいろいろ悩んだものですから、おそらく心の優しい繊細なこの方はかなり苦しかったんだろうなと思います。
▲566 ▼33
=+=+=+=+=
従兄弟の子供の結婚相手のお母様もこの事故で亡くなられました。結婚式を楽しみにされていたそうでした。どんなであっても、生きているからこそ幸せを感じることができたのに。亡くなられた方々、遺族の方々、どんなにか辛い日々であったかと想像もできないほど。いろんな思いがあったかと思いますが、残念なことです。三田市は実家があります。帰省の折には、お参りをさせていただきたいと思います。
▲634 ▼107
=+=+=+=+=
アメリカのように精神科にかかることが普通のことになるべきだと思う。 こういう事故の生き残りは、気持ちを誰かに話しにくい。責められるのではと思って黙っていると、いずれ自責の念に潰されてしまう。 些細なことでも、何もなくても多少の憂鬱で専門家を頼るのが当たり前と思われる環境が必要だと思う。 未だに精神科やカウンセリングを忌避する人がいるけれど、心の安定を求めることは罪でもなんでもない。
▲427 ▼17
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身近な人が亡くなった時の「遺された者の後悔」と言われる心理は知っていたし経験もしたけど、この方は少し違う。こんなに不条理で良心的な後悔って、どうやって救ったら良いのか。すぐに脱出してその日の予定もこなせたということだから、乗客だったことを言わないで済ませることも可能だったかと思うけど、事故だから証言とか保障とかの話も出て来るだろうからね。ブログも責任感で記しておられたと思うけど、非難とかあったのかもしれない。勿体ないです。
▲363 ▼23
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この日、風邪による高熱で会社を休んでいた。阪急塚口という近隣に住んでいたが、事故当時凄い衝突音とけたたましいサイレンが鳴り響いていた。まさかこんな近くで…と。風邪どころではなかった。凄惨な事故現場を目にして風邪なんか何処かに吹っ飛んでしまったのを覚えている。 事故で亡くなられた方だけでなく、事故後に自死された方もいることに改めてその凄惨さを思い起こされると共に哀悼の意を表します
▲193 ▼8
=+=+=+=+=
声をかけることができれば違う結果になった可能性もあるのかな。会社の先輩の娘さんが亡くなられた。知っている人は奇跡的に空間ができて助かったとのことでした。娘さんを亡くされた先輩は普段と変わらないように振る舞われていた。気丈に。助かった知人は奇跡的に助かった幸運という気持ちと罪悪感の両方があるとのことでした。ただ、周りが気にかけていることを伝えることができた。そのことに喜んでいただけたとのこと。
▲284 ▼36
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事件を経験により、見た目は変わらず元で元気そうに見えても、心に背負った傷によりボロボロになって心理的な病も抱えて大変な思いをしているのを、周囲は配慮しなければ行けませんね。また、心のケアをして生きる支えになる、何らかの趣味や仕事、恋愛、友達など何でもいいので、そうした事で生きる術を見出すよう、周りがどうこう言った方に手を差し伸べられるかは、考えて行かなければいけない課題では無いかと思います。
▲218 ▼22
=+=+=+=+=
運なので、また人により違うので。 気の毒だしもったいないし でもそうせざるを得なかったことを理解しても それでよかったとは思えない。 だからといって救えなかったのは周囲の責任とは言えない。 亡くなるのも助かるのも生き続けるのも死に向かうのも 運としか言えない。 事故は繰り返してはいけない。 だがきっとまた似たようなことは起きるだろう。 彼のようなことを紹介する、伝えることで 生き続ける方向に心を引いてゆく力を起こすことが 本人にも周囲にもできますように。
▲243 ▼28
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知人がこの事故に遭いました。乗っていたのは先頭車両です。事故に遭った日、休ませてくれと職場に電話があったそうです。まさか事故に巻き込まれているとは信じられない普通の声だったと。後日、入院している病院に見舞いに伺いましたが、首から上しか動かない状態で、酷く申し訳なさそうに周囲を気遣っていた姿が印象に残っています。事故に関しては決して誰にも何も話さなかった。その沈黙が何より物語っていたように思います。想像を絶する悲惨な体験を。
▲60 ▼0
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事故以前の何年か前に福知山線に乗っていた。普段以上のかなりのスピードが出ていて、なんか変だ、怖い!と思った直後に急ブレーキがかかり、ぎゅうぎゅう詰めの乗客たちが遠心力で傾き、扉側にいた私は押しつぶされ息が出きなくなった。「死ぬかも」と思った。脱線事故のニュースを聞いた時に「あそこだ︎」とすぐに分かった。きっと以前から利用客から何か聞いていたはずだと思う。その時も運転士の時刻遅れで飛ばしていたのだと思う。私ですらしばらく心臓がバクバクしていたので目の前で事故に遭った人なら記憶に焼きつくと思う。この事故で精神的に治療が必要な人に補償してあげて欲しい。とても優しく繊細な方だったのだろうな。
▲255 ▼12
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あの事故は、亡くなった人数だけではなくそのご家族や知人達、また生き残った方やその家族にとっても苦しい被害をもたらしてしまったのだと思う。取り返しのつかない命を奪う事故、その当時も思ったけれど現在も尚苦しんでいる人がいるのだろうと思うと心苦しい。行き過ぎた規則や罰則でがんじがらめにされた若者の追い込まれた恐怖の結果だったと知り、企業組織の恐ろしさを痛感した。ご遺族や周りの方を含めた被害者の皆さんが穏やかな日々を過ごせますようにと祈ります。
▲53 ▼3
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>2008年10月、遼太さんは自ら命を絶った。25歳だった。 おそらく、とても真面目で思慮深い青年だったであろう遼太さん自身も気の毒だし、2021年に亡くなられたというお母さんが、息子さんが自死された以降、どんな気持ちで13年間暮らしておられたのかと思うと何とも... JR西日本もそうだが、関東のJRも一駅間の距離が自分が普段使っている私鉄沿線より長いのもあるんだろうが、たまに乗るとJRはスピードがすごいなと思う。 あのスピード感で、脱線してマンションに突っ込んだらたしかに大惨事にならざるをえないよなと...
▲201 ▼8
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太平洋戦争後にも同じように「なぜ自分だけ生き残ってしまったのだろう」となり、自死された方、生きる屍のようになってしまった方が多くいらしたという話をよく聞きます。方やA級戦犯でもいろいろ手をまわして釈放され総理大臣になられた方もいるのに。心ある人ほど繊細で自分を追い込んでしまうのでしょう。命をとりとめた方、遺族の方の心のケアをいつまでもお願いしたいです。遺族の方にとってはまだあの事故は終わっていないのですね。
▲384 ▼37
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様々な事件や事故も、毎日のニュースでたくさん報じられている しかし、その一方過去の事件事故は風化して行く 1人生き残り、その後電車にも乗れず就職すら出来ない彼の心情を思うと心が痛い 日本もカウンセラーや心療心理士などが頑張ってくれるが、収入がない中で心に痛手を負い自ら経つと言う現実 日本も心のケアに予算を付けて必要であれば生活補助する環境が今後も増えると思う 政府からの手厚い対策を願いたい
▲111 ▼13
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この時私も乗り合わせてました
事故が起きてから30分?60分ぐらいして、車内のあちこちから携帯の音が鳴り出しました
家族や会社から心配しての電話だったと思います
しかし、すでに主人を失った携帯なのか、ただただ鳴っては消えて、また鳴っての繰り返しでした
自分の携帯も電話が鳴るようになりましたが、意識が朦朧としてたのと、身体が動かなく電話を取るに取れない状況でした。
事故後、色々安全対策を行われたみたいで、一回乗車してみました
が、事故現場のカーブを曲がるときの、摩擦音があの時の恐怖を思い出させます
事故前から、あのカーブではキーンと甲高い音は元々鳴っていたのですが、事故を経験してより怖さを感じる音でした
あのカーブの線形を直さない限り、事故経験者として音が鳴る以上とても怖くて乗れません。以後阪急宝塚線を使うようになりました
▲79 ▼3
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私の知人で食堂を営んでいる方がいます。息子さんも調理師として東京のホテルに勤めていました。本来であれば、地下鉄サリン事件の起きた時間帯は、サリンが撒かれた車両に乗って通勤する筈でしたが、運良くその日は非番で自宅にいたそうです。 ですが、その後にPTSDを発症しました。 あの時、もしも地下鉄に乗っていたなら、自分は今ここで生きていただろうか?と、自問する日々が続き、地下鉄に乗れなくなり、外出すらする事が出来なくってしまったそうです。 その後、地元の愛知に戻り父が営む食堂を手伝い、今は後を継いで食堂を切り盛りしています。 今でも電車には乗れないそうです。
▲119 ▼2
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この記事もコメントも貴重な資料だと思う 何とかして残せないものだろうか
自分はこういう経験がなくて GODZILLA−1.0の様々なシーンから空想するしかないのだが 主人公が周囲の人達から理解されず苦しんでいたり、責められたりしていたことから、この方も周囲の無理解で苦しんだり傷ついたりしたのだと思う 被害者同士が集まって心の中に溜めた想いを話し、理解し合える様な 居場所 的な集いはあったのかな?もし定期的に行われていたら結果は違っていたかもしれない
この方とお母様のご冥福をお祈りします
▲209 ▼39
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東日本大震災で沿岸部を仕事で担当していたので知り合いがいっぱいいて、いっぱい亡くなりました。なぜ私が生き残ってしまったんだろう。怖くて悲しくて申し訳なくて。その場所には行けないし映像でも見れません。生き残ってしまった、という罪悪感は、人によっては心を蝕む病に。この方も苦しかったんだろうと悲しい気持ちになりました。
▲129 ▼3
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大きな事故、事件、震災の日付が誕生日の人は色々思うことがある方もいるようですが、素直に誕生日として祝って欲しい。 私も1日違いで大きな悲惨な事があった日が誕生日です。 この方は事故当日が自身の誕生日で被害者でもあり…選んだ結末がとても悲しくてやるせないです。 身体が無事だった人も心が傷ついている。 今では昔よりバックアップ体制が整っていて欲しいと思います。
▲27 ▼1
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苦しみから逃れるためには死を選ぶしか道がないという心境に陥った人が、再び生きる力を取り戻せるようになるためには、どうすればいいのだろうと考えはするけれど、結局のところ周りの人たちにできることは寄り添うことくらいしかないのかもしれない。
トラウマを感じさせている脳の領域は、意識的にアクセスできない脳幹(扁桃体)から発せられる危険信号で、トラウマを想起させるような状況や場面、特定の音や匂いや感情などの感覚を脳幹が感知した瞬間に、無意識のうちにトラウマとなった瞬間が脳内で鮮明に再現されてしまう。
そんなフラッシュバックの瞬間は、パニックを起こすし冷静になれはしないけど、「これは過去の出来事が再現されているだけで、今この瞬間に、命の危険を感じることは起こっていない」と意識することに努めれば、少しずつトラウマを制御できるようになるし、そのまま内受容感覚を鍛え続ければ克服できる瞬間が必ず訪れるよ。
▲55 ▼7
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福知山線で通勤していましたので、コンクリートの礎石にクモの巣状の亀裂が入った衝突現場は、毎日のように見ました。すると「いま同様の事故が起きたら」と考えざるを得ず、1~2両目には絶対に乗りませんでした。また、同じ客車の中でも最後尾に乗ると「ここなら、他の人がクッションになるな」と思うし、逆に最前部に乗ってしまうと「押しつぶされて到底助かるまい」と感じます。 事故に遭われた方は激烈な恐怖を味わい、かなりの時間苦痛にさらされた上、多くの重傷者の苦しみや悲鳴を見聞きしたわけで、トラウマになるのも不思議はありません。 せっかく生き延びたのに、あまりにも痛ましい話ですが、多くの事故や災害で、同じ苦しみを背負った人が大勢おられるものと思います。どうか心理的危機を脱出されますようお祈りします。苦しみを話せる親しい人を持つことも重要でしょう。
▲46 ▼6
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貴重な取材だと思います。 先日の記事は、この事故で 愛する人を失い、遺族扱いもされず、 悔しくて命を絶った女性のお話でした。 今回は生き残った罪の意識…だけなのかは分かりません、 他にもここまで思い詰めるあれこれがあったかもしれません。 感受性豊かであったろう青年のお話でした。
震災などで生き残った人にもこうしたお話があります。 生かされた、と考えられる人もいれば、 何かを取り戻せずに自死を選ぶ人もいる。 それを助けられなかったと、さらに苦しむ人もいるとおもいます。
正解は分かりません。 強引に忘れるのも、 感情的に引っ張られすぎるのも、おそらく あとを引きずる。 このような記事をきっかけに語り合う機会を得て それぞれのペースで心を保つ、それぐらいでしょうか
▲49 ▼4
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命は助かっても心自体には大けがを負ってることがあります。 誰かケアしてあげればと思いますが、 フラッシュバックするときと意外とそうでもない時の波があることもあります。 苦しいですよ、本当に・・・ 日常のふとしたことでフラッシュバックするから、 健康な人が何もないような事でも思い出して辛くなります。
俺は事故に巻き込まれた訳じゃないですが、 他のことでPTSDの症状があると診断されました、 意外とそうでもない時は普通に呑気に過ごしていると思われますが、 症状が出た時は本当につらいですし、ずっと悩みます。 服薬治療で何とかしていますが、 これは経験した人しかわからないと思います。
▲12 ▼1
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この事故をニュースで見ただけの者ですが、あまりにもショッキングで、しばらく電車に乗るのが怖くなりました。恐怖で身体が強張り、動悸息切れする状態。だって、どうしても電車は通勤で毎日利用しなきゃいけないし、運転手の操作ミスであんな大事故が起きちゃうなんて初めて知りました。1番前の車両は敢えて避けました。 事故車両に乗っていた方のトラウマは計り知れません。未だ記憶が薄れることなく、ずっと、ずーっと心に残る悲惨な大事故の一つです。
▲31 ▼5
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なんて辛い出来事でしょう。遼太さん、本当に苦しかったですね。自分の誕生日に大事故に巻き込まれ、多くの人が犠牲になった。自分は生きている。何も誰も責めることなんてしないのに、助かってよかったと思えるはずなのに、こんなに悲しい結果になるなんて。せっかく助かったのだから生きていてほしかったけど、彼にとっては苦しい数年だったんですよね。胸が痛いです。
▲137 ▼8
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この方と同じような感じで友人が苦しんでいたので 毎日のようにLINEをして、事あるごとに「大好き」「いてくれて良かった」「あなたがいないと困る」などと言葉にし続けていたら、ある日「もうわかったから」と苦笑いで言われましたが、それから少しずつ元のように笑うようになってくれました。 今は普通に連絡を取る程度ですが、しつこいかな、うっとうしいかなと思っても伝え続けて良かったです。 もちろん、私の方も心に余裕がある時期だったというのも幸いでした。 そして彼女の存在、笑顔に、私も救われ続けています。
▲30 ▼0
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これは福知山線の事故だからではなく、すべての災害や戦争でも起こり得ることなんだと思う
自分の命が助かって良かったと思う反面で当時周りにいて助からなかった人もいたわけだから事故のショックと自分は助かったが本当に良かったのか等考えてしまったのか
そんな中で罪悪感が生まれてしまうことはあるのだろうなと
もし自分が当事者で同じ状況だったらどう考えるのか、非常に難しいことだと思う
▲9 ▼2
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どうして自分だけ助かったのかと思い悩む人も居れば、亡くなった人の分まで精一杯生きようと思う人も居るわけで。光と闇と言うか、表と裏と言うか。難しい話ではあります。
ただ、もし自死を考えてる人がいるなら、残される人のことも、少しだけ考えて欲しいですね。
この話の岸本さんは相当苦しんだ上での決断だったと思いますけど、残されたお母さんも苦しい思いをされたはずです。ピアノの先生も。他にも、せめて相談して欲しかったと思ってる人がきっと居るはず。
▲22 ▼3
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この事故ではありませんが、私も同じ経験があります。泣きながら読みました。 同じ経験といっていいか分かりませんが、とにかくあの時逃げたからケガもなく助かった人間です。社会人になり、仕事が続かずうつ病から双極性障害になり3年。新たな仕事も見つけられず死にたいとか死のうとか思うこともありますが、あの日のことが頭を過ぎり、生きているのにはなにか理由があるのではないかといつも考えます。私は生きているんだから、ここで命を終わらせていいのか?ずっと考えます。 周りに理解を求めることは難しいです。生きているし、ケガをしたわけでもないので深刻には捉えられないと思います。周りは風化させてゆきますが、自分の中ではたびたびフラッシュバックします。けれどだからどうともできず、大げさに言っていると思われるのも嫌で。 私もいつどうなるかは分かりませんが、結局他人にはあまり期待せず自分と向き合うことが必要かなと思います。
▲14 ▼0
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生きていると幸せなこと以外も多く経験する。この時、ほぼ全ての人は初めて体験することで、戸惑ううちに悩みや苦しみに飲み込まれていく。その時のために、事前に自分の周りに助けてくれる人はいるのか、また、人に助けを求める以前に困難が襲ってきた時に、自分はどう対処するのか、について想像しておくことが大切。特に、苦しみの原因を把握して、それが自らの問題なのか、他人の問題なのか、解決できる方法はあるのか、などロジカルに考える癖をつけておかないと、感情に流されて抜け出せなくなる。普通に暮らせていると言うことは、今は大きな問題を抱えていないだけで、いつ苦しい生活に転落するかはわからない。その時に、流れに身を任せるだけでは危険な状態になるってことなんやろう。
▲33 ▼7
=+=+=+=+=
確かに居た堪れない事故でしたが、生存した方が責任なんて負わなくて良いはず… でも、もし私がその電車事故で生き残ったら、何も無い人とは違う考えになると思う。 この方は凄く心が繊細で、良かった、無事だったよりも犠牲に遭われた方に心が寄ってしまったんですね…。心根が優しいから。切ないですね、ご家族も、その事故で亡くなられたご遺族も切ないです。 誰か少しでも心の奥にある気持ちをたった一人でも聞いてあげたら…とは思います。
▲10 ▼0
=+=+=+=+=
20年前、鉄道員であった私はこの事故に大きな衝撃を受けた。この事故を知らない30代、20代の若い社員は少なくないと思う。この痛ましい悲惨な事故を絶対に風化させてはならない。その使命を担うのは鉄道会社の経営陣であることを肝に銘じて、業務執行、運営をしてほしいと願う。
▲38 ▼1
=+=+=+=+=
多くの人々がJRに殺されてしまったのに自分は助かって良かった。なんて心から思えるわけないですよね。 自分でも他の人が犠牲になったから自分は助かったんだ。とか考えてしまいそうです。 事件当初はあまりにも非現実的過ぎて脳が理解できず、受け入れられなかったのでしょう。でもその悲惨な景色はしっかりと目に焼き付いてしまう。 超長期的に、精神的に補助されないと、なかなか普通の生活を送る事は出来ない。 身体のダメージより心のダメージの方が難しいから、JR含め周りがもっとサポートしなきゃ!
▲1 ▼0
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PTSDは同病者でさえ理解できないことが多い。 私も違う件でPTSDだけど、毎日毎日毎日苦しんでいる。 でも理解者は周りには誰もいない。 昔のことをいつまでも引きずってメンタル弱いな…と思われてる。 自分でもそうだと思う。 でも何をしてもどうしようもできないのがPTSDなんだよ。 闇に引きずり込まれそうな時も多々ある。 きっとこの男性はそのタイミングでどうしようもできなかったんだろう。 もう事故は起こらないでと願うしかない。
▲126 ▼4
=+=+=+=+=
多分大きなショックでうつ病になられていたんだと思います。 そうすると周りの励ましが負担に感じるようになるので辛かったと思います。 こういう事故の場合、身体的なケガだけでなく、メンタルケアにも手厚く補償してほしいと思います。
▲128 ▼8
=+=+=+=+=
いまだに詳しくは書けないのですが、阪神大震災で被害に遭った時、眠れず寝れたとしても、現実かと思うくらいリアルに震災の被害地に立っている夢をずっと見ていました。なので起きているんだか寝ているんだかわからないようで、頭がおかしくなりそうでした。実際なってたと思います。
けど夢は頭の中を、整理している状態のようなのです。
夢は見るに任せた方が、こころの為にはいいのかもしれない。
私もサバイバーズギルドです。本当に人の死が自分が原因かもしれない。
けど毎日生きてます。人生が楽しい。
何で生きているかに答えはない。 記事の方ももう少し生きてみれば、違う結論を出したかもしれない。
▲7 ▼0
=+=+=+=+=
彼が優しい心の持ち主だったが為に自責の念に苦しめられ続けたんでしょうか。 事故当日より日が経つ程に、どんどん苦しみに変わっていったんでしょうね。 なんて不幸な事。彼は何にも悪くないのに、こんな人生になるなんて夢にも思わなかったでしょう。 今は自責から解放されて穏やかに過ごしていて欲しい️そう願うばかりです。 御冥福をお祈り致します。
▲13 ▼1
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この事故はよく覚えています。JR西日本が運転手に対してあまりに酷い日勤教育を行い、追い詰められたことが原因とされました。 現在、JR各社はどうなっているのだろうか?時間も経過し、当時のような日勤教育が形を変えて継続されたりしてはいないか? 今一度マスコミもこの辺りの状況を取材してもらいたいですね。
▲166 ▼12
=+=+=+=+=
大変痛ましい事故でした。 当時、夫が単身赴任していた時で事故が起きた時刻をみて、もしかしたらこの電車に乗ったかも知れない、と思うと身体が固まったのを覚えています。
それぞれのご遺族様にとっては命日が来るたびに、あの電車に乗らなければとかJRを恨んだりしながら今日を迎えられたと思います。 こちらの息子さんは優しく思いやりがあって、自分は悪くないのに生き残ってしまった事に自責してしまった。
もう何を話しても時間は取り戻せないけど、九死に一生を得たのだから、亡くなった方々の分も生きて、せっかく助かった命を捨てて大切なお母さんを悲しませないであげて欲しかった
自責の念に耐えきれず、結果的に自死した後の親の気持ちは考えられなかったのかと… 残念に思います
▲8 ▼11
=+=+=+=+=
自死をしたとしても亡くなった方が戻ってくるわけではない。けれど心の深く強いダメージが、そうは思わせてくれず苦しまれていたんでしょうか 他の方が書いているけど、人と話したりして傷を癒せるといいのですが。今では心のケアがよく言われてるけど、当時どこまで、どの範囲までしっかりとケアがされたのか 「よく見てない、とあまり多くを語らなかった」とされているが、軽々しく口にするべきじゃないという思いだったのかもしれない。 それで余計に自分の中で溜め込んでしまったのかもと思う 専門的なケアなら、おしゃべりでなく医療のケアを受けるという感情で話すことができて、もしかしたら傷が少しでも癒やされたのかもしれない
▲0 ▼2
=+=+=+=+=
きっとご家族友人知人は亡くなった方々の分まで生きようと思って欲しかったと思う。 遺された人は後悔とたらればの自問自答を繰り返しながら生きて行くしかない。辛いしんどいって言ってもらえなかったことでそれだけの存在でしかなかったのかという虚しさも続く。本人は楽になったろうけど、周りに辛さが移っただけ。 今悩んでいる人がいたら、自死はやめてほしい。その判断ができない状態なのだとしても、そのまま周りに伝えてほしい。あなたを大切に思う人はそれを迷惑だなんて思わないのだから。頼られたいし助けたいと思うもの。 遺された側になって20年以上経っていても、そう強く思う。
▲11 ▼1
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太平洋戦争に従軍して生存した元兵士たちも、PTSDやサバイバーズギルトなんて概念すらなかった時代、実は癒しの機能としてあったのが戦友会だったという指摘がある。戦場体験は家族には話せず、唯一それを話すことができたのが戦友会だった。事故の場合も医学的見地からそういったものを組織するとか工夫すべきかも
▲2 ▼0
=+=+=+=+=
生き残ってしまった苦しみがあることをはじめて知りました。つぶれた車両に挟まり動けずガラス片が口に入ったまま救助までの時間ずっと口に加え続けていた結果トラウマで物を噛むことが恐ろしくなったかたの話も聞いたことがあります。若い頃後ろから追いかけられたことで何十年も背後が怖い私なので救助されたかたがたの心の傷は相当なのだと思いました。でも。それでも助けられた命を自らという断は悲しすぎます
▲22 ▼3
=+=+=+=+=
この事故で残された人達への支援が大切なこと、いつなんどき、自分の身に家族の身に、そして、知り合いの身に何が起こるのかわからないという事てもあると感じさせられました。あの時の事故ですぐに救助協力してくれた会社の一人一人も何かしら影響しているのかも知れないと思うとこの事故での影響はもっと計り知れないものなのかもしれません。
▲0 ▼0
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戦争、災害、事故、様々な体験でサバイバーギルトを感じてしまうかもしれない。けれど、亡くなった方々は、生き残った人々にどうしても私の分まで生きて欲しいと思うだろう。自分の無念さを後世まで語り継いで、同じ思いをする人を1人でも減らして欲しいだろう。どんなに辛くても、絶対に生きて欲しいと思う。
▲24 ▼5
=+=+=+=+=
この頃の鉄道は自動車会社の工場でいう生産性ありき、つまり速達性ありきだったんですよね。 その証拠がJR東海ではありますが、名古屋〜豊橋間の特快で当時(福知山線脱線事故があった20年前)は47分だったのが現在は55分となってます。特に朝夕の通勤ラッシュ時はより秒単位での運転技術が求められるから事故リスクは当然高くなりますし、これこそ安全軽視と言われても仕方ありません。 昨今の自動車会社のイカサマ不祥事もリーマンショック時の無理が祟ったと言わんばかりでしたからね。職種は違えど構造や原因は似たようなものです。
▲63 ▼8
=+=+=+=+=
これに関わる全員が被害者だ。運転手を悪として生きるもよし、運命だと思って生きるもよし、だが、自死は更に被害者を増やす。どれが正解とも言えないが、辛くとも、もがいても、いきるべきだと私は思う。みんな頑張らなくていいから、おいしいものをたくさん食べて、好きなことをして、幸せになることだけを考えて生きてほしい。
▲8 ▼9
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この事故以外にも、事故で多数の犠牲者が出た中で生存者がPTSD、鬱病、など精神疾患、精神障害で悩んでいる人が多くいるはず。事故の加害者は精神疾患、精神障害の治療費やカウンセリング費用の負担。障害年金の取得の支援、障害者雇用での支援、就労不能、障害者雇用や短時間勤務になった時のもらえたらはずの収入の補償も明確にすべき。
▲3 ▼4
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同じ惨状の現場に居て目の前の多くの人達の命が犠牲になった現実を受け止められず、精神的な重圧で心が押しつぶされてしまう、いわゆるPTSDはあらゆる事故や災害現場で起きている。太平洋戦争生還者の今は高齢者の方もそういう辛い記憶に悩まされている人がいる。アメリカのベトナム戦争後にPTSDで悩まされた兵士たちは同じ悩みを持つ人達と会話や交流を深めて心の傷を癒していったらしい。とにかく話を聞いてあげて自責の念から放っていくしか方法はない。
▲3 ▼2
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自分が亡くなることで周りの人間に同じ思いをさせてしまう、他の生存者に更なる罪悪感を植え付けてしまう、生存者は犠牲者の分まで生きる責務がある、と思って生きてはくれないだろうか? 犠牲者が更なる犠牲を引き寄せるようなことは余りにも悲しいし命を大切にしてほしい。
▲9 ▼8
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ピアノを習ってたぐらいだから 元々 繊細な方だったんだと思います。私は全く違う状況ですが、日常を一生懸命に生きていても嫌な事柄は夢で出てくるんです、ものすごくリアルに。朝起きるたびに死にたくなり仕事に行けなくなりました。そのうち 悪夢を見るのが怖いので寝るのが怖くなりました。未だに睡眠薬は手放せないです。良くなったと思って睡眠薬を飲まずに入れると必ず悪夢でうなされてしまいます
▲9 ▼6
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SOSサインを見抜けるように我々が学ばないといけない。おそらく普段は誰も異変を感じないのでちょっとした弱気を見せても、まあ落ち込む事もあるさで済ませてしまう。冷たく突き放す人も多いがそういう人はそもそも助けになりたいと思わないので放置でいい。でも自分の身の回りにいる人達が少し弱気を見せる時、実は真面目に話を聞いてくれる人を必死で求めてる可能性がある。自分も気付けなかった事があり後悔がある。
▲4 ▼3
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実際の犠牲者の数は、そのご家族や親しい友人等も含めれば何倍にもなると思います。あの事故から20年も経っていたなんて…悲惨な事故を忘れかけていた自分を恥ずかしく思いました。改めて心よりご冥福をお祈りします。そしてこんな事が二度と起こらないことを願います。
▲35 ▼5
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会社の休憩室でこのニュースを見てびっくりした記憶があります。 なんてことが起こってしまったのかと… 大阪に住んでいましたがたまに外回りで福知山線になるぐらいでしたがショックでした。 同じ大阪でこんな惨事が起こったこと、沢山の人がどんな苦しい思いで亡くなられたかを思うといたたまれない気持ちになりました。 そう思うと、同じ列車に車両違いとはいえ乗られていた方は事故を目の当たりにして、でも自分は生きていると責めてしまうのも分かる気がします。 私は全く違いますが母が末期癌で亡くなった時私が亡くなればよかった、なぜ私が生き残ったのかと言う思いから鬱病になりました。 だからこういった大惨事に遭われた方が、生きてて良かったじゃなくて自分を責めてしまう気持ちが少なからず分かる気がします。
▲8 ▼4
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この事故はニュースで見て衝撃だった。被害者達の事故直後の痛みや苦しみの声等が傍で聞いてる様な感覚になって見てられずに直ぐにチャンネルを変えたけどずっと脳裏に映像と耳鳴りの様に聞いてる訳じゃないのに耳に残ってる様な感覚が有る。被害者や遺族に対して出来る限りのケアをして来たのかな?
▲0 ▼0
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宮崎駿のアニメ紅の豚でも、戦争という地獄で生き残った自分をいつまでも責め続けたことが描かれている。どれだけ自分は悪くない、神様がまだ来るなと言ってくれたと言われようと、本人は根強い罪の意識を抱えてしまう。 人はいたわり合い生きていくものだからこそ、事故という偶然の一日の中にもそんな感情が生まれてしまうのだろうか。 事故そのものがなきよう、辛い思いをする人がでないよう、祈るしかできない。
▲10 ▼3
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先頭車両に近い車輌に乗っていた方達は、戦場の様な状況だったと思われます。老いも若いも、男女の区別無く大勢の方が無惨に死んだ状態を見れば、兵士でさえ心を壊されるのに、一般人が精神を保つのは難しいのでしょう。こういった不幸が減る事を祈ります。
▲9 ▼1
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当日NHKお昼のニュースを見ていたらまず、映像が飛び込んできて、あの冷静な武田アナも最初は何のことか分からないので、「電車が完全にひしゃげているのが分かります」と繰り返していた時はまさか、それが2両目とは思わなかった。てっきり先頭車両が脱線転覆して衝突した映像だとばかり思っていたらその後、1両目はマンションの中に入り込んでいたことが判明して絶句。あれもし、マンションの柱を直撃していたら、建物ごと倒壊の危険性もあったんだよね。それを想像したらマンションの住人さんにしたって平常心ではいられなかったと思う。その方たちも犠牲者だし、この方もそうだし。周囲の人に与えた影響は計り知れない事故だったと思う。
▲10 ▼0
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凄惨な現場を見てトラウマ、PTSDを抱えてしまったのか…誰かに助けを求めて欲しかったけどそれも出来なっかのでしょう。JRもカウンセリングを行ったのか?日本はこういった事に対して無頓着。なにか悲惨な現場に遭遇した時に手を差し伸べないと。命の電話も自分から発信しないといけない。でも本当にそう思っている人は電話も出来ないし期待もしない。悲しいことですが…出来れば亡くなった方々の分も精一杯生きていて欲しかった…こんな悲しい事が繰り返されてはいけない。
▲11 ▼3
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大事故、無差別殺人、災害等で死者が出た場合、生存者が強い罪悪感を抱くことが多いようですね。その人には全くどうしようもなかったとしても、そういう理屈は抜きにして感じるものらしいので、「貴方に責任はない」とか「仕方がないでしょう?」というような説得は意味がなく、ただそういう気持ちになることを打ち消すのではなく受け止めてあげることが大事だ、と聞きます。 もし知人や家族が大惨事から生き残ったら、間違いなく「良かった」と思うし声も掛けたくなると思います。ただ、当人が全く良かったと思えていない可能性があることは気を付けたいなと思います。浮かない反応でも無理に生還の喜びを表現させようとするのではなく、“あなたが助かって嬉しい”という気持ちは表しつつ寄り添ってあげたいな…と。
▲1 ▼2
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正直大変残念な決断をされたと思います 事故当時沿線を利用していましたがそれだけでショックを受けた事を思い出します 壮絶な現場であったと聞きました その場に居た彼の心が崩壊してしまったのは無理はない状況だったのかもしれません 何故生き残ったのか?生きているのか? これは自身で罪の意識を背負うべきものではないと思います 亡くなられた方々は誰も生き残った方々を責めたり恨んだりはしません 逆に生きていて欲しいと願っていたのではないでしょうか 彼の選択が事故の影響だけのものなのかは正確には分かりませんがとても残念です ご冥福を祈ります
▲9 ▼7
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ブログを検索するとまだ残っているのですね 最終更新が「生きています」というタイトルでした 内容はとても辛いものでしたが…
事故直後は「助かって良かった」と思えたものの 事故について様々な事がわかってくるとだんだんと 「生き残ってしまった」というような苦しさに苛まれて行かれたのがわかります 文章はとても丁寧で聡明でお人柄が現れています 真面目で感受性が繊細であられてどんなに心を締め付けられておられたのかと思うととても辛い気持ちになります
希死念慮に取りつかれながらも お母様と事故後に迎えたわんちゃんのために必死で生きておられたのですね 空の上で再会なされて心安らかでいらっしゃるでしょうか ご冥福をお祈りいたします
▲20 ▼2
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当時事故直後の映像が放送された際、2chでは車両が1両足りないと鉄オタの間で話題になっていました。実際はビルに衝突して潰れた車両が2両目で先頭車両はビルの下に潜り込んでいたようです。その事実を知った時に事故の悲惨さを改めて感じました。
▲54 ▼3
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遼太さんの様に品格のある美しい思考を持った人間だと時にそれが仇となる 魚は綺麗な水では生きられないというが当にそれなのかなぁ
お母様も八重桜を植えたりと本当に 品格のある家庭なんだと思いました
頭もよく心が綺麗な方は一般では到達出来ない世界を生きているんだろうなぁって。正しいとか間違ってるとかではなく日本人の心として遼太くんの事をドラマ化してほしい
▲1 ▼9
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痛ましい事件だった。 しかし良い記事だ。心の美しさが滲み出ている。 自ら死を選んだ方も、記事中でコメントする識者も、記者の方も、優しく美しい御心の方。
そんな方の命を突然奪ってしまう事故や天災は本当に恐ろしい。平等に、理不尽に、突然にやってくる。だがこの事故はやや人災ですよね。
しかしながら、ダイヤを守る為に安全性を犠牲にするような職場環境があったのは事実のはず。 それを教訓として、現在の私たち一人一人が、己の職場環境に関しては職場の上にも横にも負けず堂々と安全最優先を示したいものです
▲2 ▼4
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事故の約一ヶ月前、神戸に行くつもりで乗った電車 尼崎で乗り換えする予定が寝てしまっていた とあるカーブで私の体は振り落とされる様に 座席から放り出されたが運良く前屈みで立っていた ふと外を見ると工場の壁が続いて見えた 確か三田という秋で降り引き返し 尼崎で乗り換え神戸に向かった 当時、両親の店に着き来るのが遅く心配していた 母親に経緯を話した あれから20年、記事を見て思い出した
▲0 ▼4
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福知山線の事故は本当に忘れられない悲惨な事故だったが、なんの罪もない遼太さんが負ってしまった傷は本当に大きく、気の毒としか言いようが無い。ただただご冥福を祈りたい。 それと、悪いけど、関西学院大学人間福祉学部 池埜聡教授が色々書いている様だが、専門的な用語で定義づけることに、やや苛立ちを感じる。今後遼太さんと同じ様な被害事故に遭遇した後に自死を選ばずに精神的苦痛を取り除くにはどうしたら良いかという話こそもっとすべきではないのか、と思う、
▲3 ▼5
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何年か前にこの方のお母さんのインタビューを拝見した。仏壇の写真に一緒にうつっている柴犬を残し、その犬も天寿を全うして亡くなり。本当に悲しくなった。繊細な人だったとか優しい人だったとか言いたくない。抜け殻なんかじゃなく、人間だからしんでしまう。ただ、犬は理由もわからず大好きな人が居なくなってしまうわけだから、ともに生きてほしかったと思う。
▲20 ▼5
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あの事故のせいで人知れず苦しみ自死を選択した人、そうじゃなくても心に小さくはない傷を抱えたまま今も生きている人は、少なくとも犠牲者の数はいるのだと思います。この人のようにあの日あの電車に乗っていて助かった人、犠牲になった人の家族や親しい人たち、この人たちは誰も悪くないのに何故苦しまなければいけないのか自死を選ぶほどに追い込まれなければいけないのか。 JRの人たちはせめて彼らのことを思い二度とあんな事故を繰り返さないよう思いを新たにしてほしい。
▲10 ▼4
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ほぼ無傷だったのに、同じ電車の人々が107人も亡くなった当日が、誕生日だったなんて。 気の毒すぎて、言葉が出ません。 忘れたくても深く記憶に刻まれ、毎年お祝いされても、生きている幸せを素直に受け止めることができなかったのでしょう。
宝塚は、阪神大震災の被災地。小学6年生で被災したこの方の傷心を、福知山線の脱線事故がえぐったのでしょうか。 今、生きていたなら42歳。 お母様も、おそらく70歳前後と、早くに亡くなられたのでしょう。
この電車の運転手も犠牲になりました。 当時23歳。 今でいうパワハラの被害者であるにも関わらず、当時はパワハラなんて概念も言葉も無く、自己責任論が横行していた就職氷河期。 若くして亡くなった運転手は、大事故を起こした張本人として世間から大いに叩かれ、遺族の方は報道陣にひたすら詫びつつ、隠れるように運転手を見送ったと覚えています。
若人達のご冥福をお祈りします。
▲37 ▼8
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車と違いレール軌道を走る電車でこの様な事故。やはり亡くなられた運転手の責任とJRの組織としての責任が問われますね。産んで技能だけでなく、仕事に対する責任感とか、鉄道会社というインフラを支える企業に勤めているという意識。大変だけど一人前の社会人として育てていく責任が大切です。
▲40 ▼53
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