( 291977 )  2025/05/18 06:25:48  
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「無印良品、その舞台裏」 

 

今回のテーマは、「無印良品、その舞台裏」。 

国内外1300店舗以上を展開する生活雑貨店「無印良品」。運営する「良品計画」は一時の業績低迷を切り抜け、急成長を遂げていた。 

独自の商品開発で次々とヒットを生み出し、「衣・食・住」のすべてで生活を支える総合ブランド「無印良品」。競合がひしめき合う市場において、「無印」の強みとは何なのか。 

その真髄に迫る、新たな商品開発の舞台裏を追った。 

 

世界最大店舗となる「無印良品 イオンモール橿原」 

 

2025年3月。奈良県橿原市に、世界最大となる「無印良品」が誕生した。広大な売り場には、無印が扱う7000以上の商品がほぼ全てそろっている。 

人気のレトルトカレーコーナーはもちろん、地元のお土産物、リメイクした古い家具や訳ありの食器までそろい、郊外型でありながら、オープン初日には約2万人が来店した。 

「無印良品」(国内651店舗・海外717店舗 ※2025年2月末時点)を運営する「良品計画」の売上高は約6617億円(2024年8月期)。10年前の約3倍に伸びている。 

 

「花見川団地フェスタ」 

 

3月上旬、千葉市にある花見川団地で「花見川団地フェスタ」が開催された。 

無印も一役買い、商店街の空き店舗を借りて店を開くと、多くの客が。陣頭指揮を執るのは、千葉事業部 共創担当の加藤麻子さんだ。 

「団地や商店街のイベントには、基本参加する。盛り上げて助けになればいいなと思ってやっている」。 

 

無印良品 千葉事業部 共創担当の加藤麻子さん 

 

首都圏の不動産価格が高騰する一方、深刻な問題となっているのが老朽マンションの急増だ。中でも高度経済成長の象徴ともいえる「団地」は深刻な状況に陥っている。 

 

1968年に完成した「花見川団地」は、当時、日本最大の規模を誇った。庶民が団地暮らしに憧れた時代…高い倍率を征して手に入れた最新の生活は活気にあふれていた。 

しかし60年近くたった今、建物は老朽化し、住民の4割が70歳以上に。 

 

リノベーション実績は全国78団地 約1400戸 

 

こうした課題は花見川だけに限らず、無印は2012年から都市再生機構と組み、全国的に団地のリノベーションに取り組んでいる。壁を取り除いた広い空間やシンプルで機能的な内装が人気で、花見川団地にもリノベーションした物件がある。 

1年前、都内から引っ越してきた女性は「子どもたちが巣立った後の夫婦には十分」と話す。 

 

 

「地域生活圏活性化プロジェクト」 

 

無印は今年1月から花見川団地で、団地を丸ごと活性化させる「地域生活圏活性化プロジェクト」に乗り出し、コーヒーショップなどを誘致。人が集まる拠点をつくっていた。 

さらに商店街の2階を無印のショールームに。団地の部屋に無印の家具を置き、新たな暮らしを提案するプロジェクトを立ち上げた。計画を進めるにあたり加藤さんが大切にしたのは、実際に暮らしている人々の声だ。 

 

花見川団地に1年半前に都心から移り住んできた若い夫婦 

 

こちらの30代夫婦は、1年半前に都心から移り住んできた。 

「この間取りは2人で使ったらぜいたく。寝る部屋とご飯を食べる部屋と、ゆっくりする部屋がある」、「家族でいても自分の場所があり、違う過ごし方をできることは安心につながる」。この日、加藤さんは“新たな団地暮らしに求められるのは便利さだけではない”というヒントをもらった。 

住人たちの声を聞き、無印の商品から家具や収納用品を厳選。団地の空間を生かした無印ならではのシンプルな暮らしを提案する「団地のくらし体感ルーム」が完成した。その全貌とは――。 

 

「こうしん われ椎茸」 

 

「無印良品」は、1980年に「西友」のプライベートブランドとして誕生。創業当時に発売し、業界を驚かせたのが「こうしん われ椎茸」だ。割れるなどして売り物にならない椎茸に“形が悪くてもいい出汁を出す”という新たな価値を見出し、社会環境への配慮をアピール。 

既存の商業主義におさまることなく、本質を捉えた商品づくりは“無印の原点”として、今も受け継がれている。 

 

無印良品 産地開発部 樋口直人さん 

 

そうした“無印らしさ”は、4割近い売り上げを誇る衣類の素材選定でも重要視されている。オーガニック・コットンなど天然素材にこだわったものが多く、そうした素材が持つ背景も無印の人気の理由の一つ。そんな無印はインドネシアを舞台に、生産者を支えながら環境にも配慮する「新たな素材開発」に挑んでいた。 

 

入社28年のベテラン、産地開発部・樋口直人さんの使命は、世界各地を回り、新たな素材を探し出すこと。これまでインドのオーガニック・コットンやペルーのアンデスウール、中国のへンプなどの天然素材を製品化してきた。 

 

インドネシア・ジャワ中部にあるジェパラ。至るところに生えているカポックの木は、水やりや肥料をほとんど必要とせず、環境負荷の少ない植物だ。しかもカポックは、1度植えると大木に育ち、何十年にもわたってCO2を吸収、優れた天然素材を生み続ける。 

 

 

カポックの綿毛 

 

この日、樋口さんはカポックの加工場を訪れた。カポックの実には綿毛がたくさん詰まっており、これを加工して繊維にする。 

加工場で働く多くの人は農家の女性で、黒い種の周りに付いている綿毛を、丁寧に手作業で取り出していく。無印がカポックを買うようになり、女性たちの収入も増えた。 

 

送風機で質の良い綿毛を遠くに飛ばす方法 

 

クッションの詰め物として使われることが多かったカポックの綿毛。これを糸にして服にするには、より品質を高める工夫が必要だ。 

そこでこの加工場で取り入れているのが、送風機で質の良い綿毛を遠くに飛ばすという方法。質が良く軽いカポックは、部屋の奥まで飛んでいく。手前で落ちた綿毛にはまだ種や皮などの異物がついているため、この工程を繰り返し、混じり物がない純度の高いカポックに仕上げていく。異物が付いていると加工しにくくなるのだ。 

 

グレードが最も高いカポックの綿毛は、繊維の中に空気を多く含み軽いのが特徴。重さはコットンの8分の1で、寒い時は湿気を吸って保温を助け、暑い時は湿気を放出する優れものだ。 

樋口さんはこのカポックで、豊かとはいえない村の収入を増やしたいと考えていた――。 

 

「プリンセスサリー」 

 

一方、千葉・鴨川市にある「里のMUJI みんなみの里」。ここは無印が全国に先駆けて展開する地域密着型の店舗で、ウリの一つは地元の農家が毎朝届ける野菜を売る直売所。その一角では、無印が手がけたコメも売っている。 

 

鴨川市で作った「プリンセスサリー」(2合=300グラム 540円)は、国産米の甘みとインディカ米の香りを併せ持つ品種で、特にスパイシーな料理と相性がいい。無印が旗振り役となり、2023年から地元の生産者に作ってもらっている。 

 

コメの相対取引価格(2023年) 

 

鴨川は昔から品質の良いコメがとれることで知られ、今も農地の8割が水田。 

しかし、魚沼産コシヒカリなど有名ブランドとの価格に大きな差があり、付加価値の高いコメを作ることが長年の課題だった。 

そこで、新しい米作りを提案したのが、佐藤一成さんを中心とするソーシャルグッド事業部。「プリンセスサリー」を全国の無印で販売し、地元に還元したいと考えた。 

 

 

無印良品 ソーシャルグッド事業部 佐藤一成さん 

 

無印はとれた品質に関係なく、高値の固定価格で全量を買い取る仕組みを実施し、生産者の所得向上を図ろうとしていたが、その新たな取り組みを襲ったのが、「令和の米騒動」だった。 

鴨川産コシヒカリの価格が急上昇し、「プリンセスサリー」の買取り価格を上回ってしまったのだ。 

無印が考えた仕組みそのものが揺らいでしまい、佐藤さんは「プリンセスサリー」を継続して栽培してもらえるように、生産者にお願いしに回っていた。 

 

無印の取り組みに最初から参加してくれている佐久間孝人さん 

 

佐久間孝人さんは最初から参加してくれた一人で、初めて扱う品種のため、試行錯誤を繰り返している。佐久間さんは引き続き栽培することを承諾してくれたが、一般的なコメの引き合いが多いため、「プリンセスサリー」を増やしたくないという。 

 

佐藤さんは、2025年の契約条件を「プリンセスサリー」の生産者たちに伝えることに。佐藤さんは市場の値上がりを考慮し、これまでより25パーセントアップした額を提示。有名ブランドに負けない買取価格だが、そこに重い沈黙が流れる。 

 

「正直、今年は痛い。大損失を出している。ただ始めたのが去年で、米価が低い時に高い値段で買ってくれるというのがあってチャレンジしている。今はコメの値段が変わってしまったので、今年は痛い」(生産者の川名一将さん)。佐藤さんはさらなる値上げを検討すると伝えたが、生産者たちの反応は鈍い。 

 

川名一将さん 

 

鴨川の中でも味の良いコメを作ることで知られる川名一将さんは、「プリンセスサリー」の生産者の中では最も広い面積を作付けしている。温暖化が進む中、危機感を抱いた川名さんは、暑さに強い「プリンセスサリー」作りに参加したのだ。 

しかし、栽培2年目にして突然、「プリンセスサリー」の収穫量が大幅に減少。そのため、約150万円もの損失が出たという。 

一方、コシヒカリの価格は一気に上昇。川名さんが30年近くやってきて、初めての経験だった。 

 

「これを望んでいた。今まで値段も安くて、どんどん人がやめていった。“こんな日が来ないか”とずっと思っていた」。 

一般的なコメの価格が高騰するなか、このまま「プリンセスサリー」を続けるかどうか決めかねていた川名さんに、佐藤さんが直談判する。そこで明かされた川名さんの本音とは――。 

 

※「ガイアの夜明け」より 

 

テレビ東京 

 

 

 
 

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