( 292979 )  2025/05/22 05:47:12  
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高級中華料理店を運営する聘珍樓など2社(神奈川)が破産

帝国データバンク 5/21(水) 12:08 配信

https://news.yahoo.co.jp/articles/106f92498f5d4c5fd23feeb6e705071a20142971

 

( 292980 )  2025/05/22 05:47:12  
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株式会社聘珍楼と関連会社の株式会社香港聘珍楼ジャパンは、破産手続き開始の決定を受けた。

破産管財人は三宅・今井・池田法律事務所の相羽利昭弁護士が選任された。

株式会社聘珍楼は中華街で知られる老舗中国料理店であり、経営難から再建を図っていたが新型コロナウイルスの影響で売上が低迷し、最終的に破産手続きに至った。

株式会社香港聘珍楼ジャパンは食品や調味料の販売を主力としており、同様に破産手続き開始の決定を受けた。

負債総額は合計で約32億3800万円だが、後に変動する可能性がある。

(要約)

( 292982 )  2025/05/22 05:47:12  
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(株)聘珍樓(TDB企業コード:238017861、資本金5000万円、横浜市港北区新横浜2-2-8、代表林衛氏ほか1名)と、関係会社の(株)香港聘珍樓ジャパン(TDB企業コード:232003278、資本金1000万円、横浜市港北区新羽町1828-1、代表林康弘氏)は、5月21日までに破産手続き開始決定を受けた。 

 

 破産管財人には、相羽利昭弁護士(三宅・今井・池田法律事務所、東京都新宿区新宿1-8-5、電話03-3356-5251)が選任されている。 

 

 (株)聘珍樓は、2016年(平成28年)4月の設立。1884年(明治17年)創業の旧・(株)聘珍樓(2016年6月に(株)平川物産に商号変更し、2017年3月特別清算開始命令)の事業を継承し設立された経緯がある。旧・聘珍樓は、横浜中華街で創業。現存する日本最古の中国料理店として知られ、2007年3月期は年売上高約107億9900万円を計上していたが、高コスト体質で収益性は低調に推移、景気悪化による法人需要の低迷から業績はジリ貧となり、2016年3月期の年売上高は約65億2000万円にとどまっていた。このため、リストラ等で立て直しを図っていたが改善に至らず、2016年(平成28年)4月に香港のファンドの出資を得て設立された当社に全事業を譲渡していた。事業を引き継いだ当社は、「聘珍樓」の店名で都内(日比谷店、吉祥寺店)、大阪市、北九州市に計4店舗を展開するほか、中華レストラン・ファーストフード形式の「SARIO」を横浜中華街などで2店舗展開、ブランド力を活かして百貨店内やインターネットを通じた食品販売も手がけていた。 

 

 再建に向けてスタートを切ったものの新型コロナウイルスの影響から客数の減少を余儀なくされ、2020年3月期は年売上高約57億7200万円に対し約6億2200万円の当期純損失を計上していた。その後、2022年6月には別法人(新設分割によって2018年4月設立)が運営していた「横濱本店」が債権者から破産を申し立てられ破産手続き開始決定を受けていたことで当社の動向も注目されていた。近時の売り上げは40億円台で推移、2024年3月期は年売上高約46億6600万円に対し約1億7700万円の当期純損失となるなど、5期連続の最終欠損から債務超過となり資金繰りは悪化、今回の措置となった。 

 

 (株)香港聘珍樓ジャパンは2011年(平成23年)5月の設立。「聘珍樓」ブランドのレトルト食品、調味料などの食料品・菓子類を扱い、百貨店向けを主力に、その他食品問屋、量販店、インターネット・カタログ通販業者などを販売先としていた。2024年3月期には年売上高約26億5800万円を計上していたが、(株)聘珍樓と実質一体であった当社も同様の措置となった。 

 

 2024年3月期末時点の負債は、(株)聘珍樓が約29億4900万円、(株)香港聘珍樓ジャパンが約2億8900万円、2社合計で約32億3800万円だが、その後変動している可能性がある。 

 

 

( 292981 )  2025/05/22 05:47:12  
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このテキストのコメントからは、聘珍楼が横浜中華街の代表的な老舗であり、高級中華料理を提供してきたことが窺えます。

多くのコメントには、昔からの思い出や感動、料理の美味しさに対する賞賛が表現されています。

一方で、飲食業界の変化や時代の流れによる影響が指摘され、高級料理店の経営が難しい状況を示唆する声も見られます。

横浜中華街全体の変化や老舗店舗の存続に対する懸念や願いが多く見受けられ、貴重な歴史や文化を守り続けたいという思いが表現されています。

(まとめ)

( 292983 )  2025/05/22 05:47:12  
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=+=+=+=+= 

 

中華街のお正月が好きでよく行っていました。聘珍楼は親戚も連れて行ったら、すごく喜ばれたな。未だに楽しかったって言ってくれる。広い部屋とテーブルで、専属の接客が付いてくれて料理も全部お皿に取り分けてくれる仕様だった。季節ごとに素敵なカードも送ってくれて楽しみだった。無くなってしまってとても寂しいです。 

 

▲8389 ▼655 

 

=+=+=+=+= 

 

詳しくは知らないが、横浜の中華街を代表するお店だったというのがわかります。宴会を主体にしていたようですが、わたしも高級というほどではありませんが、テーブルで食べる中華料理は好きです。会社での宴会とかそういうのがなくなってきて、高級料理でもあり原材料費が高くつくと利益がなくなってくるのは、いまの時代では当然の流れか。生活習慣や文化が、変わってきている時代。時代の変化に対応していく営業スタイルも必要とつくづく感じます。 

 

▲34 ▼8 

 

=+=+=+=+= 

 

あの漫画「美味しんぼ」にもモデルになったお店で、周富徳さんが修行したお店で、わたしもいまから30年くらい前はよく元カノや友達を食べに行きました。まだ一品千円くらいで食べられたので、三品頼んでも三千円から四千円で贅沢な気分になれました。横浜中華街は食べ歩きと、食べ放題をやる店が増えてからなんか全体的な質がさがったような気がします。 

 

▲5946 ▼397 

 

=+=+=+=+= 

 

とても美味しくいただきました。昔は周富徳さんがいた記憶があります。 

さらに平成フードサービスという子会社が濱町というレストランをやっていた記憶があります。とにかくバブル崩壊から今の時代まで良く頑張った会社だと思います 

 

▲367 ▼32 

 

=+=+=+=+= 

 

聘珍楼に限らず、個人客よりも団体客中心の営業していた、料理店や宿泊施設は、個人客対応に遅れた所は苦戦するなど、聘珍楼のように倒産してしまう状況と思います。 

聘珍楼と言えば、月餅などの中華菓子と高級食材の料理であったが、材料費の高騰により利益が厳しい状況と思います。 

横浜中華街を代表する店なので、この倒産は、横浜中華街にとって今後の状況が気になります。 

 

▲500 ▼49 

 

=+=+=+=+= 

 

以前こちらのお店でご馳走になったことがあるけれど、、、 

お値段ほどの価値があるのか私には分からなかったです。もっと美味しい、感動がある、また行きたい、と思えるお店が他に多くあると思うし、同じように思う人が多かったから、こういう結果になったのだと思います。 

どんどん新しいお店が新しい物を提供していく訳ですから、新しいお店に流れた分、淘汰されていくのも仕方のない事なのでしょう。 

人口減少が続きますし、ますます厳しくなるのでしょうね。 

 

▲40 ▼94 

 

=+=+=+=+= 

 

中華街自体はコロナ禍以前よりも人が多くなっている印象があります 

景気が悪くなり、観光客目当ての安かろう悪かろうな食べ放題の店と、食べ歩き客をターゲットにしたなんの特色もない店が増え、老舗は良いものを提供していても一見の客が値段だけ見て入らなくなったのではないだろうか 

小規模で穴場的な店は繁盛しているところもあるから、規模が大きかったが故小回りが効かず、ニーズの変化に対応しきれなかったということかな 

残念な社会の変化だと思います 

 

▲2438 ▼134 

 

=+=+=+=+= 

 

我が家は中華街と言えば聘珍楼。子供のころから、たまにだけど連れて行ってもらいました。縁があり聘珍楼さんと仕事する事があり、その時の総料理長が亡き周富徳さんで、よくお話もさせていただきましたが感じの良い人でした。 

本店が無くなって寂しいですが、聘珍大甘栗ももうなくなってしまうんですかね? 

現存する老舗には頑張ってもらいたいです。 

 

▲2044 ▼154 

 

=+=+=+=+= 

 

横浜中華街に限らず、老舗の中華料理店て立派な宴会場を備えていて、団体利用に対応していたイメージ。 

でも、今の日本はもはや企業の宴会なんて、忘年会くらい、それも下手すると近隣の居酒屋とかで簡単に済ませる時代だから。香港や中国は、今でも接待文化でしょ。コロナ前まで毎年のように香港に出かけていたけど、ランチに外資系と思しき企業のグループが食事会をしてたのが印象的だった。女子社員は皆、点心を箱に詰めたお土産を持って帰っていたっけ。中規模以上の会社ともなれば、何かにつけて社内外で宴会していそう。プライベートでも親戚一同で集まるとか、文化の違いだよね。 

今はホテルの営業担当が「宴会ないですか?」なんて、一度でも利用した企業に声掛け回る時代。株主総会も、飲食やお土産を廃止してるし。これからは、同じ高級中華でも、有名シェフが個人の為に作る、予約の取りづらい小規模店だけが生き残っていけるんだろーなー。 

 

▲1375 ▼151 

 

=+=+=+=+= 

 

横濱本店が閉店した時寂しかったなぁ。 

限りある土地を贅沢に使ったあの竹林をモチーフにした玄関アプローチ。 

中華街では唯一無二だったよね。 

広東料理が一番好きだから聘珍樓を贔屓にしてたけど閉店してからは萬珍樓かたまに北京飯店へ行くようになった。 

コース料理がやはり高級店は違うからね。 

コースを頼まないなら正直どこの店でも大差ないからわざわざ高い店で食う必要ないけどね。 

 

▲1079 ▼89 

 

 

=+=+=+=+= 

 

横浜中華街のメインストリート。 

華やかなお店が軒を連ねています。 

過去に何回か足を運びましたががダメでしたか。 

残念です。 

高コストな料理なのはわかりますが高級食材を使うだけでなく他にも諸々経費が掛かっていたと思います。 

最近、家族や友人たちと中華街に行く際メインストリートではなく細い路地店に自分好みのお店を探すのが楽しくなっています。 

 

▲447 ▼51 

 

=+=+=+=+= 

 

10年以上前から横浜中華街は食べ歩きに特化した店ばかりが目に付いた。単価も安く客引きが沢山いた。食べ放題を売りにしていた店が沢山あった。高級中華は団体客で持っていた部分もあり 

日本全国からの旅行客が減った今は経営も難しい。コロナを境に致命的になったのだろう。 

家庭でも本格中華を作れるものが出来、身近になった背景もある。立派な店構えでしつらえも雰囲気のある店でしたね。 

 

▲429 ▼58 

 

=+=+=+=+= 

 

来るときが来ましたね。中華街閉店のときの寂しさもさることながら,時代の流れを感じます。古き良き時代の中華街名店も残りしくなくなってきました。萬珍楼には残っていてもらいたいものです。 

 

▲692 ▼42 

 

=+=+=+=+= 

 

年に何回か家族揃って個室の回るテーブルでゆっくりと本格中華料理を堪能するというのが子供の頃から中華街に行く楽しみでしたが、今は店先で肉まんや揚げ饅頭を食べ歩いたり、店内の大部屋で飲茶食べ放題みたいなのが主流で自分には合わないのでいつの間にか中華街から足が遠のいています。 

昔ながらの老舗が次々と消えていくのは寂しい限りです。 

 

▲317 ▼18 

 

=+=+=+=+= 

 

バブル崩壊後の長いデフレ・消えた30年の間、苦しい環境だったと 

思います。その中を中華街の顔としていてくれたことを感謝したいです。 

汁そば系が美味しかった。本やネットで美味しいラーメン屋を特集しています 

が、聘珍楼の食べてくれよって思ってた。中華街の老舗系の汁そば、美味い。 

 

▲339 ▼25 

 

=+=+=+=+= 

 

接待文化やコロナ禍云々もありますが、それが無くても老舗の中華料理店が潰れるという事は起きたと思います。特に大きいのは、在日中国人の変質という要素。 

日本社会の中でごく少数の華僑が中華街を形成して、日本人の舌に合った料理を提供していたというのがこれまでの事業モデル。ところが来日・定住する中国人が急増して「そんな事はお構いなし」になり、「ガチ中華」と言われる中国人向けの店を出すようになったら…もはや中華街の存在理由すら無くなるかもしれません。 

 

▲436 ▼61 

 

=+=+=+=+= 

 

自分は若い40年ほど前実際に聘珍樓で料理人として働いていました。その当時は6店舗あり自分は浦和コルソ店でした。周富徳総料理長は料理メニューの考案や人材の面接などしていた記憶があります。当時は埼京線もなく京浜東北線だけでしたね。飲茶、点心は本場の香港人が担当していて色々学んだ記憶があります。寂しい限りです。 

 

▲200 ▼6 

 

=+=+=+=+= 

 

最近の中華街は学生などの若い人たちが、スマホを見ながら「あれがこれが」とネット情報に踊らされて、正直うまくもないだろうと思えるようなジャンクフードの立ち食いに舌鼓を打つ光景が目立ちます。 

昼時などは、そのジャンクフードよりも安いくらいの金額で定食が食べられるし、3~4人いればランチメニューA~D各1品ずつ注文して大皿料理シェアみたいな食べ方したらいろんな味が楽しめるんですけどね。 

これもまた時代の変化なのかもしれないです。 

閉店したところにはまたレストランが入るのか、立ち食いになるのか、はたまた占いの館にでもなるのか… 

私が横浜に住み始めた頃に比べると、中華街の景色もずいぶん変わりました。 

 

▲104 ▼26 

 

=+=+=+=+= 

 

コロナによる外食産業の不振は大きな影響があるのでしょうが、ここまで有名な老舗が破産してしまうほど日本の庶民の懐事情が悪くなっているのも一因だと思います。 

何か特別な日にちょっと背伸びして老舗で食事をするという余裕すらない現状が垣間見えるような破産劇ではないでしょうか。 

もちろん、経営努力も足りなかったのだとは思いますが、それだけではない可処分所得の目減りと、氷河期世代の生活で手一杯な経済状態ではこのような老舗には足を向けられません。 

また、日本人の核家族化、少子化によって親族の集まりなども省力化し、予算も抑えて自宅でデリバリーなどで済ませている方々も増えているので、ますます老舗の高級な店での食事は減っていると思います。 

もはやそのような店は特殊層の接待でしか使えないようになってきているのかもしれませんね。 

 

▲292 ▼37 

 

=+=+=+=+= 

 

両家顔合わせの会食、子供の頃年に一度の親族での集まり、思い出がたくさんあります。広東の萬珍と聘珍の二巨頭、北京宮廷料理の華正楼、四川の重慶、老舗と呼ばれる憧れであったけれど、シンボルであり思い出であった場所。良いものに奮発してごちそうするという社会から安く手頃でという社会になった。企業も個人も貧しくなった。なくなって初めて分かる大切さ。そうならないように、決して高給ではないですが、自分が祖父や両親から見せてもらったものを子供にも伝えるため、たまには奮発してちゃんとした店に行くことは絶対にしようと思います。頑張って働くぞ! 

 

▲98 ▼7 

 

 

=+=+=+=+= 

 

子ども〜高校生くらいまで、よく親に連れられ行きました。改装前のロビーには大きな算盤のオブジェのようなものが置いてあり、小さい頃は動かしたりして遊びました。たまに周富徳さん自ら入り口に立ち、お客様に挨拶していました。父に「〇〇様、いつもありがとうございます」と声をかけて頂き、名前を覚えていてくださっていることに父は感激していました。鮑のオイスターソース煮、カニ爪のフライ、大きなエビチリ、美味しかった。中華街全体が異国のようで今と違う風情がありました。もう父も母も他界しました。車で都内から第三京浜に乗ってお出かけが懐かしい。 

 

▲75 ▼3 

 

=+=+=+=+= 

 

大好きそして何より尊敬していた祖父が、 

年一回会合の手土産に大きな肉饅を買って来てくれた事が今でもずっと忘れられません。その時は目黒住まいで中華街は凄い所と印象していました。 

祖父はグルメで、でもとても質素倹約家な私の大切な祖父の味です。 

中華街の大切な貴重な思い出が又々も消えてしまうのは文化としてどうでしょう。 

今が良ければ良い。。 

は文化、人の心までも無残にも握り潰し壊してしまう怖さをどうかどうか大切にして行きましょう。 

 

▲54 ▼4 

 

=+=+=+=+= 

 

時の流れとはいえ老舗の閉店は寂しいね。昔は中華と言えば横浜中華街だったが今は横浜もかつての活気はなく、中華もガチ中華ブームで上野や池袋、川口に客が分散している。とは言え横浜中華街の華僑の伝統文化は長く残って欲しい。 

 

▲154 ▼25 

 

=+=+=+=+= 

 

先日、久しぶりに中華街へ行きました。その時点で閉店とあったのでもしかしたらとは思っていました。重慶飯店、萬珍樓も好きでしたが、ここ数年はは◯◯チャンピオンのお店とかの食べ放題みたいなのが多くなり、味もサービスも残念な記憶があります。昔からある聘珍樓のような店舗が減って、変わりに出来たのは大量の占いのお店と、台湾グルメのお店などでした。昔の面影はなく、中華街と呼ぶには残念な感じになってしまった気がします。 

 

▲127 ▼5 

 

=+=+=+=+= 

 

最初の赤字に転落後経営を続けるにしてもせいぜい2年位、その間に赤字が消滅するか多少黒字にならなかったらもう見切りを付けた方が良いって事でしょうね。 

30億くらいの赤字を計上するまでの間は一生懸命に頑張ったのでしょうけど見切りが早ければこれほどの負債は負わなかったと思える。 

 

▲364 ▼66 

 

=+=+=+=+= 

 

聘珍楼と萬珍樓の創業者は兄弟です。20年前に厨房内を案内されたことがありますが、調味料は既製品は極力控え全て手作り。プロ意識、技術も目を見張るものがあり、当時は日本の中国料理店の中で、うちが総火力数が一番だと説明されました。周富徳、サンマーメンの元祖の一件、無添加中華の魁、国内外からも高い評価を得ていた謝料理長等、確実に日本の中華の歴史に足跡は残しました。残念です 

 

▲24 ▼1 

 

=+=+=+=+= 

 

私の父の両親と祖先は横浜に墓があり、その縁で横浜には何度も訪れ、帰りには決まって中華街でランチを食べて帰っていました。 

父の父が健在だったころには、聘珍楼はお得意さんみたいに我が家も大切にしていたのでしたが、私が大きくなってからは父に一度だけ連れて行ってくれた記憶があります。 

高級な内装、丁寧な接客、美味しい料理。 

私は十二分に感動させてもらったのですが、父曰く「昔より味が落ちている」とのこと、それがもう二十年以上前ですから当時から凋落傾向にあったのかもしれませんね。 

つい先日、友人と横浜中華街に寄り、別の伝統あるお店に入って軽く夕食を食べました。素晴らしいお味でした。 

戦前から根付いた華僑の方々は、独特の誇りと矜持をもって中華街という街を作ってきたということを私も感じておりましたが、このコメ欄で多くの方がそれを認めていることに改めて胸が熱くなります。残った名店を皆さまご愛顧ください。 

 

▲11 ▼2 

 

=+=+=+=+= 

 

31年前、大阪肥後橋にある大阪店で、児童福祉の仕事に就く前に、皿洗いのバイトをしていました。『中華料理ってお皿いっぱい使うんやぁ』と思いながら、1日中働いていました。当時は休憩室が無く、皆、ロッカー前で寝転がってたなぁ。4、5歳上の若いコックにチャーハンを、まかないでつくってもらい、あまりの美味しさに思わず、涙が出たのを覚えています。周富徳氏が来て調理された話を聞かせてもらった思い出もあります。ただ、ただ残念ですね。 

 

▲60 ▼6 

 

=+=+=+=+= 

 

もう30年ほど前ですが、社員旅行で横浜に行った父が「すごく美味しいお店で食事をした。夏休みに家族で横浜旅行に行こう!」と連れて行ってくれたのが、聘珍樓でした。当時小学生の私でも、初めて食べる味、食材、料理に感動し、心が踊ったのを鮮明に覚えています。あの感動が忘れられず、社会人になってからも、横浜へ行った折りには必ず聘珍樓に足を運びました。 

父は早くに他界しましたが、今は私も結婚して子供を持つ母親となりました。あの時「同じものを娘たちにも食べさせたい」と思ってくれた父の気持ちがどれほど尊いものか、今では心からよく分かります。 

閉店してしまうのは悲しく、寂しい限りです。家族の思い出を、ありがとうございました。 

 

▲50 ▼0 

 

=+=+=+=+= 

 

子供の頃から横浜中華街で美味しい中華を食べようとなると、聘珍樓か萬珍樓でしたが、萬珍樓よりも若干価格が安い聘珍樓に行くことが多かったです。 

 

トイレに行くのに、幼い頃は迷路のようだと毎回思っていたあの不便な建物が懐かしく、いつかまた復活してお土産のレトルト店ではなく、お食事が楽しめる日がいつか来ると願っていたので残念です。 

 

そして最近では、横浜中華街がいつも混んでいるので景気が良いんだなと思い込んでいたので驚いています。 

(地方からの人は、食べ放題のようなお店を好むからなのかな??) 

 

▲15 ▼2 

 

 

=+=+=+=+= 

 

最近は、インバウンドの陰で、定住型の新華僑の流入があふれ、ガチ中華の出店ラッシュだから、戦前の華僑ビジネスはもたないのではないか。それにしても、中華系って、集団で地域に定住し自分たちの町にしてしまうから、被災地域が元の文化を失ってしまう。横浜の中華街も初号案件でしょう。今後、中華街みたいのが、あちこちに展開されそう。 

 

▲33 ▼5 

 

=+=+=+=+= 

 

つい先日横浜そごうのデパ地下で買って食べたけど、価格は安いのだけど、味はその辺の町中華と変わらなかったので売れては無かったな。 

聘珍楼とか華正樓とか萬珍楼とか昔は法事の度によく行ったけど聘珍楼は一番立派で美味しかった記憶がある。 

 

▲374 ▼43 

 

=+=+=+=+= 

 

明治17年創業、現存最古の(本格的)中華料理店。 

明治17年は、大日本帝国憲法制定より5年も前です。 

昭和の日支事変(日中戦争)の頃には、女学校教師だった作家中島敦が聘珍樓で宴席に臨み、料理の美味に感動して「国つ仇と懲らし討つとふ敵なれど……」をはじめ数十首の短歌を詠んだ。 

中華街だけでなく、横浜、日本のレガシーと言って良い。 

バブル期だったか、中国の「食の都」広州に店舗進出した時は「日本の華僑の料理店がついに『故郷に錦を飾った』」と称賛されたが、そうした急速な事業拡大が経営破綻を招いたのだろうか。 

再建されることを強く願っています。仮に経営が移譲されるにしてもこの由緒ある聘珍樓の名が存続されてほしいですね。 

 

▲34 ▼4 

 

=+=+=+=+= 

 

中華街のお正月が好きでよく行っていました。聘珍楼は親戚も連れて行ったら、すごく喜ばれたな。未だに楽しかったって言ってくれる。広い部屋とテーブルで、専属の接客が付いてくれて料理も全部お皿に取り分けてくれる仕様だった。季節ごとに素敵なカードも送ってくれて楽しみだった。無くなってしまってとても寂しいです。 

 

▲13 ▼3 

 

=+=+=+=+= 

 

コロナ禍が終わり街の賑わいは完全に元に戻りましたが、不景気や物価高で消費者の財布の紐は堅く、高級料理を食べる余裕のある人が少なくなったのかも知れないですね。 

私は横浜に旅行に行くと、必ず聘珍樓の2万円コースを主人と一緒に頼むのですが、ここの料理は本当に美味しくて明らかに一線を画している。 

もう3年行ってないですが、また美味しい中華を食べたいので、出来る事なら他の会社が店舗を引き継いで欲しい。 

切に願っています。 

 

▲20 ▼24 

 

=+=+=+=+= 

 

10年ほど前にお祝い事で利用したことがあります。豪華な店構えにも関わらずお値段が手頃で味も素晴らしかったけれど広い店内が結構空いていてお店維持できるのかな、もう少しお金を取ってもいいのにと素人ながら心配しながら店を後にしたのを憶えています。良心的なお店がこうやって消えていくのは本当に残念。商売って本当に難しいですね。 

 

▲23 ▼2 

 

=+=+=+=+= 

 

中華の鉄人、周富徳さんが総料理長を務めていたこともあり、関東の人間でなくても名前を聞いたことがあるほどの有名店 

歴代のオーナーは「横浜中華街」という一大名所を作った人の1人でもある 

名店でも永遠に続くなんてことは無いんだろうけど、不祥事を起こしたわけでもなく、「中国人」と聞いて悪いイメージが付きまとう食の安全にも率先して取り組んでいた 

 

▲29 ▼6 

 

=+=+=+=+= 

 

聘珍樓は『美味しんぼ』という漫画の中で、海原雄山が「本格的な飲茶は本場に行かないと味わえないと思ってた」と言ってたのに対し、周大人が「最近は中華街の、聘珍樓という店は本格的な飲茶を出すようになった」と答えるシーンに描かれてたほど、横浜中華街の中では有名な店だった。 

 

今の横浜中華街はほとんど新華僑が営む店になってて、華僑が営む本格的な中華街の店が減って行ってる中で、聘珍樓は昔ながらの華僑が営業する数少ない店の1つだったのに、そこが無くなってしまうのは残念だし、横浜中華街にとっても大きな損失なのではと思う。 

 

▲71 ▼10 

 

=+=+=+=+= 

 

20数年前、本店で数か月ですがバイトしてました。 

ちょっと特別な家族の会食とかデートのお客様が多くて、テーブル前で北京ダックを切り分けたりおこげに餡をジャーッ!とかけると喜んでもらえて、接客する側も楽しかったです。 

スペアリブや車海老のマヨ炒めが常連さんに人気だったとか、その日の担当さんの出身地によってザーサイの味が日々微妙に違うとか、思い出が色々。 

 

レシピの権利を正式に受け継いだ料理人さんが小規模のお店で復活させるとかできないかな・・。 

 

▲44 ▼4 

 

=+=+=+=+= 

 

子供のころ、横浜の親戚のところに遊びに行ったときは中華街を散歩して食事するお決まりの流れがあったのですが、姉が「聘珍樓」の看板を指さして「あれって何て読むの?」と大人たちに聞いた時に、親族内で最も威厳ある立場の伯父さんが若山弦蔵張りの重厚な美声で「あれはね、とんちんかんって読むのだよ」と答えた、その直後の他の大人たちが見せた明らかな動揺が今でも忘れられません。そのとき母は「お義兄さんともあろう人がやっちゃったな」と思ったものの、とてもそれを指摘できる空気ではなかったそうです。 

 

▲251 ▼65 

 

 

=+=+=+=+= 

 

食べ放題のお店が乱立しだしてから何年くらいになるかなあ。時々 散歩がてら行きますが 相変わらずごちゃごちゃしてる。その中でも老舗のお店は格が違うと 安心感があったんだけど。。食べ歩きも増えたしね。そういう自分も一人でフラリと入る時は 食べ放題じゃなくて 古い小さなお店を選んで入ってますが。 ホントに惜しいです。残念です。長い間ありがとうございました。 

 

▲18 ▼1 

 

=+=+=+=+= 

 

去年吉祥寺で利用しました。内装の傷みがひどかったので経営は苦しいのだろうなと感じていました。いよいよその時が来たのかという感じです。中華は和食やフレンチと比較すると原価率が低いので利益が出しやすいと聞いたことがありますが、宴会需要が減っている世の中ですので、あれだけの施設を維持することが難しかったのでしょうね。 

 

▲58 ▼7 

 

=+=+=+=+= 

 

大好きだったから閉店してから中華街に全く興味がなくなってしまった。今の中華街は好きではないので。 

両親や後に夫となった彼とよく飲茶したなぁ。飲茶が大好きなので香港やシンガポールも行ったけど、本場となんら劣らないむしろもっともっと素敵な時間を過ごした場所。 

寂しいけれど素敵な思い出を大切にします。 

 

▲19 ▼1 

 

=+=+=+=+= 

 

昔はこういう本物の中華が食べられるのが中華街だったけど…今は食べ飲み放題…もう中華街は無くなってしまった…聘珍楼はホントに最高でしたよ。まだ数件中華街には本物の中華が食べられるお店があります。みんなで応援してあげましょう。 

 

▲29 ▼0 

 

=+=+=+=+= 

 

数年前に閉店した大好きな華勝楼に続いて、 

あの聘珍楼が。。。これはショックだ。 

これも食べ放題の安売り店が増えたから。 

商売だから仕方ないかもしれませんが。 

 

昔は中華街にも「プライド」がありました。 

自分にとって中華街といえば若い頃は「金を貯めて中華街」という、敷居の高さがありました。 

稼いで中華街で本格中華を食べるぞ!と。 

 

横浜中華街の大御所・聘珍楼の閉店は本当に寂しい限りです。 

 

▲21 ▼1 

 

=+=+=+=+= 

 

中華街自体、テイクアウトの食べ歩きとかが増えたから人が多いように見えて、店内飲食自体はガラガラなのが殆どですからね。老舗どころだと同發とかもランチタイムで並ばなくなったし。 

食べ放題系はちょっと高めで品揃えも多い数店舗を除いて同じようなものばっかりだし(そしてみんなクーポン配ってる)。 

あとは路地や路地裏とかの店舗が有名になって混んでいる。 

SARIOは休憩がてら良かったんだけどね。 

 

▲5 ▼0 

 

=+=+=+=+= 

 

私も何度も利用したことあります、周りのお店より一回りお値段高かったですが料理だけでなくスタッフの気配りも良いお店でした。 

 

横浜中華街では最古参のお店だったと思うので、そのブランドイメージで何とか再建してほしいと思います。 

 

▲4 ▼0 

 

=+=+=+=+= 

 

子供のころ、聘珍樓と言えばちょっと特別な日に家族で行くお店でした。店内は落ち着いた雰囲気で子供心に緊張する空間でしたが料理は品良くとても美味しかったし、行くと必ずお土産で自宅で作れる杏仁豆腐の素を購入し、自宅で余韻に浸ったものです。中華街を代表するお店の1つだったので寂しいです。 

 

▲10 ▼1 

 

=+=+=+=+= 

 

あの聘珍樓が経営としては無くなるのか。 

清算だから完全だね。聘珍樓ブランドなら継承先有りそうな気もする。例えばチルド中華まんや月餅なんて類似商品いっぱいあるから、買収して使いたい所はあるだろうね。 

レストラン部門の継承は難しいかなぁ。横浜中華街ですら食べ放題店ブームなんで驚いた。 

味まあ…それなりなんだけど、高級路線は廃れた感じで継承難易度高いものな。 

いずれにせよ、名前やお菓子だけでも残ってると嬉しいよ。応援にチャーシューマンとか買うから。 

 

▲191 ▼28 

 

=+=+=+=+= 

 

中華街が好きな方はごめんなさい。バーミヤンが美味しすぎる、高級中華もホテルニューオータニ等はじめホテル内で食べに行けてしまう、中華街にいく動機付けがなくなってきてしまった事が要因かと思われます。地方のショッピングセンターでさえ、リンタイフォンあるし美味しいお店が手軽に行ける便利な世の中が差別化が難しいのかと思います。 

 

▲2 ▼6 

 

 

=+=+=+=+= 

 

中華街は近年、客層が変わってきましたね、 

店外で食べ歩きをしている若い人たちが増えました。それと特色のある路地の小さな店をテレビ等で紹介されて評判になってたりしてます。食べ放題の店も増えました、中華街も新旧の店の競争も激しくなってますから大変だと思います。 

 

▲6 ▼0 

 

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今から約10年前、遠方から来た両親に少しいい思いをさせたくて横浜本店に連れて行きました。 

 

あえて混雑するランチタイムを避け、帰りの新幹線の予約時間から相当の余裕を持って行ったにもかかわらず、なかなか料理は出てこないし、事情を話してもそれがどうしたという具合で、さんざん待たされた割には高いばっかりで内容も乏しく、食後、両親は新横浜駅までダッシュ、、 

ここは近々破綻するなと思いました。 

 

しかし、あれから10年もよく持ったな、というのが正直な感想です。 

 

▲6 ▼0 

 

=+=+=+=+= 

 

非常に残念です。飲食店は本当に大変だと思う。 

他の方も言ってますが、時代のせいなんでしょうね… そうなると近隣の高級中華店も経営事情は同じなのかもしれませんね。 

料理だけでなく、店の構えなど含め聘珍楼の豪華さは、今も記憶に残ります。 

なんらかの形で再起してほしいとも思いますが、 

中華街も散歩してるだけの人も多くなったし、 

このまま縮小していくなら、寂しい限りです。 

 

▲5 ▼0 

 

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聘珍楼は生まれて初めて食べた高級中華だった。横浜中華街と吉祥寺の店舗で食べたことがあるが、やはり横浜のほうが美味しかった。 

豚バラ肉と五目チャーハンが好きだった。まあ1人5000円くらい掛けないとお腹が満たされない量だから2、3回ずつ行った。 

閉店は寂しいけど時代の流れだろうね。 

 

▲22 ▼4 

 

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何度も利用した思い出深いお店 

閉店を聞いた時は寂しかったなぁ 

リーズナブルな気安いお店も好きだけど、しっかり王道中華を堪能したい時に雰囲気も込みで良いお店だった 

確かに高級ではあったけど、見合うだけの満足感を得られたし、デリとかレトルトに手を出さず本店一本勝負してれば今も続いてたんじゃ無かろうかと素人考えでは思う 

 

▲5 ▼2 

 

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大阪のヒルトンと阪急百貨店も閉店か。残念。 

ヒルトンは高級すぎてなかなか普通では行くような所ではなく、 

逆に阪急百貨店は中華お惣菜や弁当などで敷居は高くなかった。 

ある意味ブランドではあったが、そのブランドに高級イメージ 

付かず、どっち付かずになったのも影響してたように思う。 

 

▲4 ▼1 

 

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90年代西新宿の三井ビルで開催された料理コンテストで当時国内最大級の7000kcalのドラゴンを全開で一気に調理したシャ•カケン総料理長の神業に憧れました。 

生碼麺発祥の老舗が無くなるのは寂しい。 

わけぎの風味の広州炒飯も定番の八珍炒麺も大好きだったので残念です。 

 

▲4 ▼2 

 

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FMヨコハマでスポットあったのか「聘珍樓チャイナガーデン」ってよく聴いていた気がします。 

横浜市民にしてはよく中華街に行く。昔は大手の有名老舗に通ったけど、最近は小さめでも美味しくて名物に特色あるお店に行くようになった。 

それでも他の大手には踏ん張って欲しいなぁ。 

 

▲3 ▼0 

 

=+=+=+=+= 

 

サービスも味も良かったし、本格的な中華料理が地元で食べられて個室も気軽に利用できたから、誕生日とか祝い事で利用してたのに残念。 

聘珍楼がなくなったとなると、あとはあの雰囲気を味わえる老舗は横浜中華街の萬珍楼か原宿の南国酒家だなぁ。 

 

▲6 ▼2 

 

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横浜中華街は最近は行かなくなった 

もっと美味しい店や金額的にリーズルナブルの店も増えているし昔と違って有難がって行く感じではなくなっていた 

 

中華街の規模の小さな店も食べ放題の店もあるが最近は近くでもこの手の店が増えてきて横浜まで行く必要もない 

それに総体的に店員の態度が余りにも悪く今は2世や3世、4世などもいるのだろうが接客で問題のある店が多すぎる 

食べ終わって少しゆっくりしているとすぐに追い立てる店が多い 

 

人は多いが最近は多くの人が饅頭やなどの食べ歩きばかりで人が入っているのも昼だけみたいに感じる 

どちらにしても今の時代中華街と言っても其処迄行って食べたいという気がしない。 

 

▲5 ▼12 

 

 

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百貨店事業の方は今年入ってから大量閉店していて、大宮そごうや博多阪急も最近閉店しました。 

最近は給料の振込が遅れたり、食材取引の滞納とやらで自転車操業の状態だったようです。 

整理して経営を立て直そうとしたけど、間に合わなかった感じですね。 

 

▲7 ▼0 

 

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招福門も聘珍樓もか・・・老舗は料理人確保と育成が大変。 

高級中華を作れる職人、下ごしらえから料理まで。食材仕入れまで。 

確保が大変。昔ながらの高級中華料理はどんどん貴重になるんですね。 

大皿料理を人数分サーブしてくれるフロアも貴重。 

北京ダック1羽、目の前で出来上がるの見るの好き。 

 

▲6 ▼1 

 

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長く京都に、今は横浜に住んでいますが、 

京都はホテルの中華がとても美味しいのですが 

神戸の街と中華街の雰囲気が好きで態々神戸に食べに出かけるくらいでした。 

 

横浜に来て何度か中華街に食事に出かけて思うのは、 

神戸の中華に軍配が上がると 

つい先日家族と話したところでした。 

 

横浜の中華街では、 

間違いがないという意味で 

支配人のいらっしゃるお店を選ぶようになりました。 

 

聘珍楼の破産は羽田空港の肉まんもとても美味しくてお土産にするととても喜ばれていたので 

残念です。 

 

▲6 ▼2 

 

=+=+=+=+= 

 

親や祖父母が、横浜の出身で、転居により横浜を離れてからも、親戚が横浜に住んでおり、小さい頃から何度も横浜に行きました。横浜といえば聘珍樓。たまに連れて行ってもらった豪華なお店でしたが、今でも街の賑わいや活気のある店の中を思い出します。世の流れでしょうが、横浜を代表するお店が姿を消すのは寂しいですね。 

 

▲3 ▼0 

 

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販売修理設備変電設備の事業で飲食店の顧客も相当数あった、のれんだし2年で消える、まずいがお手頃価格清潔なので50年営業している、いきよいよく出店店舗満員経営者は質素な方でしたが家族に営業を委託盛業本人は生活が派手になり金を使い始めた店舗の清掃は出来ていない。20M先に同業店が出来た客「の取り合いに成るが後発若手にはかなわない、2年で閉店、橋のたもとで瀬戸内海から出てきた25歳前後の兄さんが屋台うどん夕方開店朝7時まで営業15年間で3KM離れた国道筋駅ちかに4階建てビルうどん店を新築転居営業しだした 

味価格は周辺では一番良い・無くなる店、はやるうどんでビルが建つ店主は先祖の供養をよくするので発展先祖が客集めをしてくれるのか。美味しいのではやるのか真意はわからない。どうすれば盛業するのかはこの目でしっかり見て掴んでいる。困っている商店はお尋ねください。 

 

▲2 ▼10 

 

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久しぶりに中華街で食べた。 

知らないお店ばかり、食べ歩きと占いが目立つ。調べて萬珍樓点心舗に行った。点心や飲茶のイメージ通りだと思った。 

点心というと冷凍を揚げたり蒸したりしたリーズナブルなどこも同じようなお店ばかりだけど、まだ頑張っている感があるし、雰囲気が良い。 

ヌン活という言葉があるしホテルの英国風アフタヌーンティーが流行ってるみたいだけど、たまには点心も良いと思う。 

王道スイーツしか無いし、スイーツの品揃えはかなり残念かも。頑張って欲しい。お土産の中華菓子はあんなにあるんだから、工夫の余地はある。 

 

▲3 ▼0 

 

=+=+=+=+= 

 

横浜中華街には行きつけの店が他にあって、こちらで食事をしたことはなかったけれど、天津甘栗は何度か買って帰ったことがあります。 

山吹色の地に紫色の文字で、聘珍樓と。巾着タイプの袋で、他店よりお洒落なデザインでした。 

 

▲5 ▼1 

 

=+=+=+=+= 

 

中華街って劇的に変わるからな。バブルの前はお手頃中華の店が多くて聘珍楼もそれほど高くなく背伸びせずに入れる店だった。それがバブル後には中華街に鮑やフカヒレ等を使う高級中華や点心の店が増えていった。2000年代に入ると食べ放題店が一気に増えて味が落ちた店も多くなった。2015年頃になるとお手軽に食べる店や食べ歩きの露店も増えた。その頃になるとわざわざ中華街まで行って食べる意味合いもない程までに価値が薄れてきた。今はどうなっているのかも分からない。少しの背伸びで入れる中華なら東京で十分なんだよな。 

 

▲4 ▼2 

 

=+=+=+=+= 

 

昔、横浜営業所に行った時に、よく行ったね。 

夜も大勢の人が飲み食いしていた時代だから、まさか倒産するとはね。 

明治創業の老舗も、30年以上もマイナス成長の経済環境には勝てなかったね。 

これから、こんな老舗や高級店が、どんどん潰れていくんだろうね。 

 

▲252 ▼15 

 

=+=+=+=+= 

 

大阪在住ですが関東に遊びに行った時は、妻と何度か横浜中華街の店に寄らせて頂きました。 

想い出の場所でもあるので悲しい限りです。 

 

大阪にもあったけど横浜ほど美味しくなかったので一度きりw 

百貨店では搾菜を買っていましたね。 

他のも最初は食べたけど、これじゃない感が凄かったので最終的には搾菜しか買わなかったな。 

まぁ悲しいが倒産するには理由があるんだよね。 

 

▲21 ▼6 

 

 

=+=+=+=+= 

 

安楽園がなくなり、華勝楼がなくなり、チャーシューの有昌がなくなり、中華街もすっかり変わってしまった。聘珍樓も数年前に中華街のお店を閉めていたし、資本が変わってブランドが残っていたようだが、これで聘珍樓の名前は消えてしまうのだろうか。ひところ随分と手を広げて経営していたが、一時代を劃したお店だけに、寂しさを感じる。 

 

気心の知れた仲間と中華の円卓を囲むのは楽しいし、その店の名物料理を軸にマダムとコースを組み立てて行くのも楽しい。そういう店には残っていって欲しいね。よく、中華街は有名な割にはおいしくない、とか言う人がいるけど、決してそんなことはないと思う。食べ放題ばかりになってはさみしいしね。 

 

▲7 ▼2 

 

=+=+=+=+= 

 

横浜中華街は、聘珍樓のような高級店から聚英さんのような小さな老舗に至るまで、以前からの店はどんどんなくなっていき、あるのは怪しげな大陸系店舗や、若い歩き食い客目当ての安売り店ばかり。「ガチ中華」などという意味不明な新語が流行っているが、日中関係40年、中国赴任通算6年半の自分には、化学調味料でそれなりに仕上げているようにしか感じられない。中華街は食を楽しむ場所ではなく、テーマパークと化してしまった。自分は数少ない華僑系の老舗にごく稀に行く以外、もうここには行かないことにしている。ちなみに、自分は神戸にも住んでいたが、本当に旨い店は南京町にはない。とある住宅街の中にひっそりと佇んでいたりするのだが、場所も名前もヒミツ。その店のご主人もご存じだった、東京は山手線圏内にある、2年予約待ちと言われた小さな絶品中華の店も、ついに閉店されてしまった。かくして食の世界においても悪貨は良貨を駆逐していく。 

 

▲8 ▼0 

 

=+=+=+=+= 

 

老舗がまたひとつ落ちた。悲しい。 

今の中華街は安っぽい食い歩きモノばかり。 

路面の北京ダックとうたう商品を買って食べてみたら、地面に叩きつけたくなるほどありえない食べ物だった。 

安かろう悪かろう。 

問題は、安かろう悪かろうがわからず、こんなものか、とそこで思考停止になる消費者が増えていること。 

だからそれなりのお店がそれなりの値段で提供しても、もっと安く食えるし。そんなものいらないし。 

日々の中華、ハレの日の中華。 

程よく混雑して秩序があった中華街(店員の態度は悪かったがw)はどこに行ったのだろうか。 

ちなみに聘珍楼が出しているマンゴープリンの素と杏仁豆腐の素は我が家の常備品。 

美味しい。 

我が家ではマンゴープリンと杏仁豆腐が食いたくなったら聘珍楼の素を買ってきて牛乳ぶちこんで冷蔵庫につっこむ。 

あれが無くなるのは勘弁してほしい。 

 

▲4 ▼0 

 

=+=+=+=+= 

 

接待や団体客が多かった老舗は、コロナ以降経営が苦しいのかと思います。 

私は同發に通っていますが、最近駐車場がなくなってしまいました。なんとマンションが建つらしいです。あんなに人が並んでいて混んでいるのに厳しいのかな? それにしても、中華街は人が多すぎです。みんな食べ歩きしててゴミゴミしているので最近は行く頻度が下がっています。 

 

▲5 ▼0 

 

=+=+=+=+= 

 

今の中華街はガチ中華がなくなって、食べ放題や食べ歩き、インスタ映えメインの新しい店ばかり。 

昔は聘珍樓はじめとした高級中華と、路地には激ウマな個人ガチ中華があって、それで育った世代には、今は違和感しかない。 

そこにきて高級中華も終わりとは。 

 

時代の移り変わりなのはわかっているけど、文化に近いものがなくなるって寂しいです。 

 

▲5 ▼1 

 

=+=+=+=+= 

 

中華街は老舗の高級中華と安売りの新中華が群雄割拠している。日本もだんだんデフレから脱却しているが、中華街も安売りには敵わなかった。法人は破産しても歴史と文化はどこかの企業が継承して残してほしい。 

 

▲0 ▼2 

 

=+=+=+=+= 

 

中華街を代表する名店がこういう形で姿を消すのは残念です。ただ聘珍楼のような高級店が破産するということで、こうした料理にもサービスにもコストを惜しまず最高の物を提供するというスタイルを維持するのが難しくなっている時代ということのようにも思います。 

 

ただ、一方で大衆に愛された手ごろなアイテムとしては、肉まんに代表される飲茶も愛されましたね。飲茶は聘珍楼、杏仁豆腐は萬珍楼なんて言われたこともありました。 

 

現在の法人としての聘珍楼は消滅しますが、「聘珍楼」のブランド価値は高いと思うので、その屋号とレシピを引き継ぐ「新・聘珍楼」がいずれ立ち上がることを期待したいと思います。 

 

▲17 ▼5 

 

=+=+=+=+= 

 

周富徳さんがお店の顔となり、弟さんと共にメディアにも沢山出られていた頃に横浜と渋谷のお店に通いました。お料理教室もあり、家では絶対に作らないようなメニューでしたが、楽しいクラスでした。 

懐かしい良い時代が消えていくようで少し寂しいです。 

 

▲34 ▼4 

 

=+=+=+=+= 

 

中華街に食べ放題と食べ歩きが増えて、訪問客は増えたかも知れませんが、高い品質の店が苦しくなってしまったんですね。料理と共に高レベルな接客をしてくれる店は、今の時代はどうしても客単価が高くなり高収益は難しくなりますよね。 

 

▲3 ▼0 

 

=+=+=+=+= 

 

その昔「いつか接待でなしに来れるようになりたい」、と青雲の志を胸にしながら店を後にして以来、結局接待以外で来ることはなかった一人です。 

 

そもそも生活圏が首都圏から遠いので、プライベートではご縁がない店でしたが。 

 

高級老舗と持て囃された料理屋が1店また1店と閉まったり、三大料亭の主が薬に手を出して捕まったり、最近の食文化にはどこか寂しさを感じます。 

 

社用族が料理屋を潤す時代が単純に終わっただけ、と考えればそれまでなんですけどね。 

 

思えば、社用族が高級老舗支えていた昭和の昔から、日本の食文化は貧しかったのかもしれない。 

令和の日本は、単に社会全体が貧しくなったことによって、高級老舗の社会での居場所がますます限られるようになった、ということなのかもしれません。 

 

▲38 ▼5 

 

 

=+=+=+=+= 

 

昔々妻の両親とともに横浜に行って、どこの店がいいかも分からずに偶然入ったのが聘珍樓でした。立派な店構えで、これは相当高いかも、と思いましたが適正な価格設定と思えるおいしい料理でした。 

 時が経ち、赤ん坊を抱えて仙台に遊びに行き、夕飯に仙台駅近くのビルにある中華料理店を選びましたが、そこも聘珍樓でした。 

 赤ん坊を連れていたらほかのお客さんに嫌がられるかなと思いましたが、追加料金で個室が使えると言われ個室に。まるでお店が私たちだけに給仕してくれているかのような豪華な錯覚を覚えました。仙台のお店は窓が大きく、仙台の夜景が眼下に見えて子供も喜び、大変幸せでした。 

偶然にも幸せな時間を過ごした聘珍樓、閉店が悲しく思います。 

 

▲5 ▼0 

 

=+=+=+=+= 

 

中華街は何度も行ったけれど、結局聘珍楼は一度も入らずじまい。「どの店に入ろうか」と迷っている客に見向きせず、予約して来る宴会客だけしか歓迎しない雰囲気が漂っていたから。 

安くするだけが能では無いし、自分も料理とサービスの質が伴っていればそれなりの料金は出すが、「オマエの来る店では無い」的な雰囲気で足が向かなかった。そう感じて素通りした人は他にも多いのではないか。 

 

▲4 ▼1 

 

=+=+=+=+= 

 

高額な支払いが可能な顧客層は限られているので、社会的要因(コロナ等新型感染症大流行・円安で材料費高騰+人件費上昇等営業経費高騰・経費節減で接待や宴会需要激減・記念日祝い需要減少など)で売り上げが大きく影響されてしまうのでしょう。 

 日本有数の歴史と伝統と人材を誇る中華の名店であるがゆえに、時代の流れを克服することはできなかったのでしょう。 

 

▲1 ▼0 

 

=+=+=+=+= 

 

三十年近くにわたり社用や宴会で支店を含めて聘珍樓で食事をしたが、 

個人的には食事や接客そのものに真の感銘を受けたことはなかった。 

聘珍樓で接待したり食事をした、という記号性しかなかった。 

私が知る聘珍樓の価値は、それだけだった。 

 

私が知らない大昔の、本来の聘珍樓で、感動する食事をしたかった。 

 

どんな会社も、事業は儲けや規模の拡張・拡大を追求するものでなく、 

永続することを主目的に置くべき。 

 

拡張・拡大自体を目的化するほど、程度の差はあれ破綻に向かう。 

 

永続を主目的に置けば、経営環境の変化への適応を含めて 

何をすべきか、何がいけない事なのか、自ずと解るはず。 

 

否が応でも利益の追求が求められて、中にはアクティビストに操られて 

株主利益のために事業目的や創業の精神・真髄を奪われる事があるから、 

株の上場が企業終焉の始まりになる会社が現れるのだろう。 

 

▲5 ▼4 

 

=+=+=+=+= 

 

ここ十数年の横浜中華街。 

看板は昔のままだが中身はどこも同じ金太郎飴の食べ放題だらけになった。 

食べ放題とは言いながら、どうせ最後は唐揚げとチャーハン押し込まれて終わり・・ 

最近あの街を歩いてる客の大半が、雰囲気良ければ良い人ばかりなんだろうな。 

 

▲26 ▼5 

 

=+=+=+=+= 

 

横浜の中華街は2度ほどしか行ったことがないけど、この聘珍楼はじめ華正樓や廣東飯店、重慶飯店などなど店構えからして自分のカネじゃ入れなさそうなところは一度も入ったことがないなぁ。 

結局裏通りの町中華みたいなところがサイフに優しくてで美味かった。 

 

▲3 ▼0 

 

=+=+=+=+= 

 

近年の横浜中華街は修学旅行の中高校生の 

定番観光地と化していて、大多数の店は 

テイクアウトと2000円以下の食べ放題 

専門店になり、ゆっくりと中華を楽しめる 

街ではありません。 

コロナ前はインバウンド客も見られました 

が、今ではまばらになってます。 

占い店が流行った時期も有りましたが、 

今では極少数の店が細々と営業している 

だけです。 

 

▲4 ▼2 

 

=+=+=+=+= 

 

ちょっと贅沢したいときや、両親にご馳走するときに行った思い出の店。 

低価格でも美味しいお店は沢山ありますし、時代の流れですかね。 

店内の造りとかも、ホテルの様な高級感ないと厳しいとは思ってました。 

関係者の皆様、長らくお疲れ様でした。 

沢山の思い出をありがとうございました。 

 

▲9 ▼4 

 

=+=+=+=+= 

 

美味しくても破産する時代になってしまいました。中華街まで行かなくても近場で美味しい中華料理店が何処の都市にもある。中華に為に横浜まで出向いて電車賃や時間をかける時代ではなくなった。でも仙台や吉祥寺で食べて美味しかった思い出がある。本店は1回しか行ったことがないけど高かったけど美味しかった。何とか復活して欲しいけど無理だろうか? 

 

▲1 ▼0 

 

=+=+=+=+= 

 

3年前に、中華街の本店が閉店し東京では吉祥寺と日比谷が残っていたが、ついに 

中華街の歴史と伝統を守る為にも 

華正楼、萬珍楼、菜香新館、重慶飯店には 

頑張ってもらいたいと思います。 

 

▲3 ▼0 

 

 

 
 

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