( 293154 )  2025/05/23 04:01:47  
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「必ず通る道」。元刑務官が語る死刑執行の詳細な手順。今も浮かぶ死刑囚の顔

47NEWS 5/22(木) 9:02 配信

https://news.yahoo.co.jp/articles/85a631c3d59f119a983047f99f2d8e456452f3c6

 

( 293155 )  2025/05/23 04:01:47  
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元刑務官が執行担当の体験を語った。

「首掛け」を担当し、縄の結び目は首の後ろではなく横になるようにし、足を縛る役割もあった。

執行の手順は神聖なものであり、実際にやることは得がたいものだと述べた。

死刑制度には賛成するが、感情的には辛い面もあると語った。

また、死刑めぐる発言で大臣更迭があったり、新たな提言や議論が行われていることも触れられた。

(要約)

( 293157 )  2025/05/23 04:01:47  
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東京拘置所刑場の「執行室」。死刑囚が立つ踏み板(中央下)は開いた状態(法務省提供) 

 

 東日本の拘置所で長年勤務した元刑務官の70代男性は、1990年代に1度、複数人の死刑執行に携わった。担ったのは、執行の際に死刑囚の首に縄を巻く役割だ。男性はこう語る。「拘置所で勤務したら必ず通る道だと分かっていた。拒否権はない」 

 

報道機関に公開された、東京拘置所の刑場の「ボタン室」から見た「執行室」(右奥)=2010年8月、東京・小菅 

 

 執行の際は当日の朝に任務を伝えられ、男性を含む5人の刑務官のほか、複数の職員が補助のために付き添った。死刑囚の首に縄を巻く「首掛け」を任され、順に複数人を執行した。 

 

 「死刑もやむを得ない」と考える人は、内閣府の調査で8割以上となっている。ただ、2022年7月を最後に、死刑の執行はない。執行とは実際、どういうものなのか。元刑務官や、元法務省幹部が取材に証言した。(共同通信=今村未生) 

▽執行の詳細 

 

 執行に携わった男性は、現場での手順を次のように明かした。 

 

 縄の結び目は首の後ろではなく、必ず横に来るようにする。そうすると、苦しみが軽減するとされる。両足を縛る「足掛け」などの役割もある。 

 

 男性は「人の首に縄を掛けるより『足掛け』の方が気が楽だったかもしれない。恥をかかないよう気合を入れた。震えはしなかった」と振り返る。 

 一部の幹部らを除き、刑務官が執行そのものに関わるのは、職業人生の中で必ず1回だけという。男性はこれとは別に、死刑囚の「連行」も約40年前に経験した。対象の死刑囚を担当する刑務官が「処遇部長が呼んでいる」と告げて出房させ、そこから刑場に入るまでを見届けた。死刑囚が暴れた際の対処法を教えられたが「知る限り暴れた人は1人もいない」と明かした。 

 

死刑執行を検察官や拘置所長が見守る「立会室」から見た「執行室」。死刑囚が立つ踏み板(奥中央)は開いた状態=東京拘置所(法務省提供) 

 

▽浮かぶ死刑囚の顔 

 

 刑事訴訟法では、法相が命令した場合、5日以内に執行するとしているが、男性は「執行の順番がどうやって決まるか分からず、ブラックボックス化している」と指摘する。「拘置が長引いて事実上終身刑のようになっている死刑囚もいる。被害者のことを思えば、順番通りの執行をするのがいい」と話した。 

 

 自らの経験に関し「仕事だから割り切れる。死刑制度には賛成」という。 

 

 ただ、こうも語った。「実際やるといいものではないとも感じる」。そして、こんなエピソードも明かした。「毎朝、自宅の神棚と仏壇の水を取り換えて手を合わせる。その時に、関係した死刑囚の顔がだーっと出てくる」。理由は自分でもよく分からない。 

▽死刑めぐる発言で大臣更迭 

 

 2022年7月以降、執行はないが、死刑を巡る状況にはいくつか動きがあった。2022年11月、当時の葉梨康弘法相が、法相は死刑執行の命令を下すときだけニュースのトップになる「地味な役職」と失言して更迭された。2024年10月には、静岡県一家4人殺害事件で死刑判決を受けた袴田巌さんの再審無罪が確定した。 

 

 

東京・霞が関の法務省旧本館 

 

 2024年11月、法曹関係者や国会議員、学者らでつくる「日本の死刑制度について考える懇話会」が、制度について議論する公的な会議体を設置するよう国会と内閣に提言した。 

 

▽神聖な儀式のように 

 

 懇話会の提言を受けて、刑務所などの施設の管理や死刑囚の処遇を担う法務省矯正局の元幹部に聞いた。 

 

 大橋哲・元局長(64)。大橋氏は、執行担当の刑務官について「神聖な儀式のように執行の手順を進めることで、心にふたをしている」と述べた。 

 

 死刑そのものには「賛成・反対ではなく、制度としてある以上、忠実に行わなければいけない。判決を受けた人を確実に執行するのが一番の責務だ」と明言。一方で「どんな職員にとっても、積極的にやりたい仕事ではない」とも語った。 

 法務省は、民主党政権だった2010年に東京拘置所の刑場を報道機関に公開したことがある。これが最後の機会で、懇話会が視察を求めても応じなかった。大橋氏も、広く公開することにはなじまないとの立場で「職員は神聖で不可侵な場所と考えている。無遠慮に立ち入ってほしくないという心理的抵抗もある」とした。 

 

取材に応じる法務省矯正局の大橋哲元局長 

 

▽実質的に終身刑化 

 

 懇話会の報告書は、死刑の代替刑として仮釈放の可能性がない終身刑の導入について言及した。大橋氏は、死刑囚も無期懲役受刑者も一定数が施設内で亡くなる現状を指摘。「一部が実質的に終身刑化している。この現状をまず整理すべきだ」とした。有期刑よりも処遇面での配慮が求められるため「職員の負担がさらに増す」と見通す。 

 

 死刑囚が他人との接触を制限されている点についても、懇話会は検討課題だとした。死刑囚は、収容中の加害者に施設職員を介して遺族らが心情を伝える「心情等伝達制度」の対象外だ。 

 大橋氏は、直接の手紙のやりとりや面会に不安を覚える遺族もいるとして「両者をつなぐコーディネーターのような役割を創設するのはどうか」と提案した。 

 

 大橋氏は1984年、法務省採用。栃木刑務所長や法務省大臣官房審議官などを経て、2020年1月から21年7月まで矯正局長を務めた。 

 

 

( 293156 )  2025/05/23 04:01:47  
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このテキストでは、死刑制度に関する様々な意見が述べられています。

一方で、死刑執行に携わる刑務官の精神的負担や法務大臣の責任についても議論されています。

また、遺族や一般市民の視点からも、死刑執行の迅速さや方法に関する提案や疑問が示されています。

さまざまな立場からの意見が寄せられ、法と倫理、人間性について深く考察されています。

(まとめ)

( 293158 )  2025/05/23 04:01:47  
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=+=+=+=+= 

 

死刑になるには、それだけの罪を犯したということ。躊躇なく執行するべきだと思う。 

今みたいに判決を受けてから何年も執行されないと、毎日のように接する刑務官の方にも少なからず「情」のようなものが生まれてしまう気がする。 

そうなると執行に立ち会う場合の心理的な負担が増えたりしないんだろうか‥? 

確かに厳しい仕事だとは思うけど、刑務官を目指してその職に就いたのだから、刑務官の仕事として、その先にはあり得る業務なのだから、被害者遺族の為にもそこは割り切って欲しい、と感じる。 

 

▲4280 ▼431 

 

=+=+=+=+= 

 

実際に関わっている人は、とても重たい感情を抱えているんでしょうね。こういう人たちがいてくれるから、現行の制度は成立しています。死刑判決を受けるくらい、凶悪な事件を起こした当事者であると頭で分かってはいても、生きている人間の首に縄をかけるのは嫌でしょう。これは経験した人にしか語れないと思います。ただ、私は死刑制度のある国の国民として、こういう人たちに心から感謝しています。そして、同じような凶悪事件が起こらないことを祈るばかりです。 

 

▲267 ▼8 

 

=+=+=+=+= 

 

刑務官に任せるには荷が重い、というより職責が正反対過ぎると思います。普段は罪人を矯正する仕事に就く人が、一生に一回きりとはいえ死刑執行人となる。 

例えは悪いですが、鳥獣の保護活動をする人に駆除を任せるようなもの。人道的にどうなのか。先日のオーストラリアのコアラ大量駆除は軍のスナイパーに任せられたようですし。 

やはりできる限り機械化・自動化を進めて、なるべく刑務官の負担を減らすようにしないと、死刑賛成論者も反対論者も納得できないように思います。 

因みに反対論の中には、冤罪の可能性に加えて、何の罪もない執行人を職務として人殺しにするのは憲法違反だ、とする意見もあります。私は死刑には消極的賛成派ですが、この意見には同感です。 

 

▲2 ▼1 

 

=+=+=+=+= 

 

刑務官の負担が大きいから3年近くも執行が無いのか袴田氏の再審無罪によって死刑を躊躇する様になったのか、死刑制度について考える談話会の提言を受けて「停止」にしてるのか。国民には全く判らないね。死刑は極刑であり被告や被害者にとってもそれしか無いと下した三権分立の司法が行う判決なのだから勝手に終身刑にしてはいけないと思います。 

刑場は命を断つ現場ですから凄惨は当たり前であり実質的に引導を渡す高い職業意識の方々によって粛々と行われて来たと察します。 

 

▲66 ▼9 

 

=+=+=+=+= 

 

私見だが… 

刑務官の負担を減らすためには「執行室」と「ボタン室」を隣合わせの部屋から距離を設け、遠隔操作できるようにすれば良いのではないか? 

 

Wikipediaによると2025年5月2日時点で、国内に収監されている死刑囚は106人いるという 

 

そして「事実上終身刑」の彼らひとりあたりに費やす経費は、一般の受刑者よりも高く年間300万円程度とされている 

 

これは彼ら死刑囚には一般の受刑者のような労務がない=生産性がないためだそうだ 

 

死刑が確定した囚人たちの大多数は冤罪ではなく、刑罰に値する凶悪な事件を起こした犯罪者だろう 

 

彼らの衣食住や医療費などを賄うため、毎年3億1,800万円もの金額を我々の血税から支出する必要はあるのだろうか? 

 

▲2912 ▼117 

 

=+=+=+=+= 

 

番組名は忘れたけど昔次長課長の河本さんが司会してたアングラな職業裏話暴露?みたいな番組やってて、特に死刑執行に携わった元刑務官(顔出し、実名で出演)の話は本当に印象に残ってる。 

その方は大阪などの関西圏で、実際死刑執行に何度も立ち会い、ボタンも押したことある。退職してからその時点で10年以上経っている(今だと20~30年以上前?)の話という前提ではあったが、刑務官としての責任感と死刑囚であっても命の尊厳を最大限に尊重する姿勢が何より印象深かった。 

その後AbemaTVとかでも同じように特集で話していたが、刑務官という職業を選んだ以上死刑執行とは目を背けてはならない。もし死刑執行に携わりたくないのであれば刑務官にはなってはいけない。 

単に死刑執行へのプレッシャーだけでなく、命の尊厳を尊重できる姿勢持たなければただ死刑囚の命を奪ったという事実のみで感情を推測してはいけないと思う。 

 

▲93 ▼3 

 

=+=+=+=+= 

 

下士官というものは、それが法令で義務付けられているか、許されている場合には、上位者の指揮命令に従って粛々と任務を遂行する義務が課せられている。 

 

ナチス犯罪のように当時は義務ないし合法とされた行為でも後の国際的ないし政治的理念の変更によって裁かれるということが・・・実際には起こっている。 

 

そういう場合にも、個々人に対しては…普遍的原理によって、将来、それが変わってしまうリスクということについて、責任を問われる可能性があるとするならば、それを覚悟したうえで、そういう職種に就き任務を遂行するという…いわば未知の自己責任の負担があるのは避けられない。 

 

兵士や自衛官、幹部将校、警察官なども同様。 

・・・と、逐一細かいことを議論しても始まらない。 

 

その時の国法に従わなければ身分を失い、罰を受ける…まあ、下士官については期待可能性がないし、免責されるのが妥当だしそうあるべきと思う。 

 

▲1 ▼9 

 

=+=+=+=+= 

 

絞首刑でなくもっと執行する側が負担の小さい方法を考えたらどうでしょうかね。あと執行は原則死刑確定半年以内というのを粛々と行ったほうがいいと思います。被害にあったご遺族は毎日のように今日か明日かとの思いで区切りがつけられないのではないでしょうか。 

 

▲2175 ▼121 

 

=+=+=+=+= 

 

そもそも、死刑が確定しているにもかかわらず、長期間にわたって執行されない現状に疑問を感じる。 

法律で死刑が確定した以上、定められた期限内に速やかに執行されるべきではないだろうか? 

年間の死刑執行件数が少ないために、拘置所内で死刑囚と刑務官との間に人間関係が形成され、結果として執行への心理的な抵抗が生じている可能性も考えられる。 

 

▲1190 ▼30 

 

=+=+=+=+= 

 

刑務官も思うところがあるだろうが、その職に就いた時点で覚悟はしていたはず。 

むしろ刑務官の覚悟に泥を塗っているのは、死刑執行命令を出さない法務大臣だ。 

被害者遺族の事を考えず、自らの思想信条で執行命令を下さない職務放棄とも言える愚行。 

少なくとも現行犯逮捕された死刑囚に関しては冤罪の可能性はゼロだし、速やかに執行するという法改正を盛り込むべきだ。 

 

▲897 ▼40 

 

 

=+=+=+=+= 

 

なんだか無駄な負担に感じてしまいますね。 

これこそロボットか何かに機械的に執行させればいいのに。 

また被害者や被害者家族が望むのであれば彼らの手で執行するのが適切だと思う。 

 

▲1219 ▼73 

 

=+=+=+=+= 

 

極刑が出るには相応の罪を犯しているので 

罪を償うのに、必要な刑だと思う 

 

遺族は、この刑の執行をもって、一区切りというか 

心の整理の方向性が変わると思う 

「判決から半年以内」なら、それは守るべき 

獄中で病死や老衰は刑を受けずに寿命を迎えることになる 

 

正しい裁判で刑が執行されるのであれば、当然 

痛み、苦しみを和らげてあげる必要さえ疑問に思う 

 

▲584 ▼20 

 

=+=+=+=+= 

 

死刑判決が確定したにも関わらず執行されないのは、この国の政治が法律を軽視している証です。この様な事をいつまでも許していたら何のために裁判所があるのかわからなくなります。厳正かつ慎重な審理の元で確定した刑の執行が出来ないのであれば、制度そのものの存在が矛盾する事になります。これは私たちの国の安全を脅かす行為であり断じて容認出来ません。すぐにでも是正して執行するべきです。それに大臣ではなく裁判所が決める事だと思う。 

 

▲310 ▼16 

 

=+=+=+=+= 

 

死刑の話になると、必ず「刑務官も辛い」って論調に持って行くけど、 

むしろ凶悪犯の刑を執行できる立場でやりがい感じてる人も絶対居るはずだと思う。 

死刑囚の裁判なんてそれこそ何回も裁判を経て確定している訳だし。 

すぐに袴田事件のような例を持って来て「冤罪の可能性も」って言い始めるけど、平成以降の死刑囚なら冤罪の可能性は皆無でしょ。 

 

死刑囚になるということは人を何人も殺しているという事。 

その復讐をすることが出来る刑務官なんて、仕事に誇りを持ってほしいと思う。 

 

▲785 ▼156 

 

=+=+=+=+= 

 

執行される順番には様々な理由があるんだろうけど、いつ執行されるかの恐怖はあっていい 

執行準備も後片付けも死刑囚にやらせたらいい 

執行ボタンも各部屋に設置し彼らに押させればいい 

死刑囚だから刑務官が気を遣うなんておかしな話だし、死刑囚に対して出来ることなんか考える必要性も感じない 

えん罪を防ぐ為に即執行をしないだけで十分な配慮だ 

 

▲147 ▼10 

 

=+=+=+=+= 

 

もしそれが負担だというなら希望する遺族にボタンを押してもらえばよいのではないだろうか。当事者である遺族はそれだけの気持ちもあるだろうし、受刑者も最後に人の痛みや怒りが理解できるだろう。 

 

被害者が理不尽な死を遂げたからこそ死刑囚となったわけで、執行官は遺族の苦しみを終わらせるためにも大変だろうけど責務を果たしてもらいたい。 

第三者が執行や決断するという点では裁判員制度も同様の負担があると思う。 

同等物という観点でいえば命を奪った時点で原則極刑であるべきで、そこから過失や酌量など減刑する方式のほうが遺族感情に沿った公平な司法だと個人的に感じる。 

 

▲150 ▼19 

 

=+=+=+=+= 

 

実際、長い期間執行されずにいる死刑囚はかなりの数いるようだが、確定後は遅くとも数年以内に執行すべきではないだろうか。収監されている間の経費は税金で賄われているわけだし、長期間されないのはご遺族の感情を鑑みても疑問に思う。指示を出す法相が気後れしてるという理由があるかもしれないが、そこは与えられた義務を速やかに果たすべきでは。 

 

▲77 ▼3 

 

=+=+=+=+= 

 

死刑が存在することは賛成。 

残酷だと言う人もいるが、死刑もやむなしと判決を受ける位の重罪を犯して死刑囚と言う立場になっただけの事。 

 

執行に携わる刑務官に精神的負荷がかかるということであれば、刑務官には事前告知し、業務の一環として裁判記録に目を通してもらえばいい。 

 

また、その死刑囚の被害者遺族・親族・深いつながりがある関係者に、法的に死刑執行の権利を持たせ、執行の際に行使するかどうかの意思を聞いて、自ら執行したい人にボタンを押させても良いのではと思います。 

 

▲60 ▼5 

 

=+=+=+=+= 

 

時期の決定や執行の一部を、遺族が希望すれば担える制度というのは、やはり駄目なのだろうか。 

長期収監が常態化しているのなら執行を待ち望みながら先に亡くなった遺族も多くいるのでは。“6ヶ月以内に執行”という実効性のない訓示規定を廃して数年とか現実的な数字にして、代わりにその期限を経過したら遺族が執行を催促できるように出来ないものかと思う。 

遺族の心理は複雑で、葛藤の結果として犯人の速やかな死を願わない場合もあると思う。だから遺族に決定や実行をさせるのではなく、あくまでも遺族が切望する場合にだけその意向を少し取り入れるような形が出来ればいいのでは。今の死刑制度はあまりにも“全ては重罪を犯した犯人のため”という色が強すぎるように思う。 

 

▲10 ▼2 

 

=+=+=+=+= 

 

現行の法律で死刑制度がある限り、既に死刑が確定している囚人に関しては今後法律が変わろうが死刑の執行を回避してはならない。 

そもそも6ヵ月以内の執行が守られてきていない背景には冤罪や再審といったものがあるのだろうけど、それまでに長期間かけて行ってきた裁判で最終的に死刑が確定したのだからどんなことがあろうと死刑を執行すべきだと思う。 

現在残ってる100名以上の死刑囚を一度に執行するには無理があるだろうけど、技術的な観点からすれば十分可能なはずだ。 

死刑の執行を延ばすということは、死刑囚にとっても大きな負担になっていることは事実だと思う。 

首の皮一枚残して何年も放っておくほうが残酷に違いない!! 

諸外国では死刑は廃止されているという意見もあるが、ここは日本であり厳正に決められた法律である。 

死刑廃止は今後の課題としても、現在残ってる死刑囚に対する歯科医の執行は急がなければ法改定もできない!! 

 

▲31 ▼7 

 

 

=+=+=+=+= 

 

もちろん冤罪の可能性はゼロではなく、慎重な判断が必要なのは前提です。ただし、刑が確定し再審の動きもないまま何十年も収容し続けるのは、制度の空洞化ではないでしょうか。しかも死刑囚1人あたりにかかる拘置費用や人件費は年間数百万円以上とも言われ、税金の負担も無視できません。被害者や遺族の立場からすれば、「命で償う」と決まった以上、速やかな執行があるべきだと思います。現場職員の精神的負担を軽くするためにも、運用ルールを明確にし、ブラックボックスをなくす必要があるのでは。死刑制度がある以上、「執行しないまま抱える」ことが正義とは言えないと思います。 

 

▲35 ▼1 

 

=+=+=+=+= 

 

この男性は、思うところはあるがやりたくない仕事とは明言していません。 

刑務官になった以上、覚悟していたことだと思います。 

決して命を軽く考えてはいけない、しかし死刑判決が出るほどの罪なのだから仕方がない。 

色々な葛藤があると思いますが執行するわけです。 

当然ながら一度きりの大仕事を忘れることはないでしょう。 

次元は異なりますがどの仕事でも同じと考えます。 

 

これからは人が人に執行するのではなく、AIやロボットが活躍してくれることを期待します。 

 

▲15 ▼6 

 

=+=+=+=+= 

 

大変な職務だとは分かるけど、刑務官になった以上、そう言った死刑執行の職務もあるって事はわかってるはずだよね?私が思うのは、被害者家族が望むのならば、執行の立ち会い、又はボタンを押す位の事をやらせても良いとは思う。ただ執行に参加する以上、絶対的な守秘義務を課すとかのルールは必要だけど。そうゆう選択の自由があっても良いと思う。そうすれば刑務官の精神的負担も多少は楽になるのでは?と思う。 

 

▲5 ▼2 

 

=+=+=+=+= 

 

犯した罪を償うためとはいえ、死刑を執行する刑務官のつらさがよくわかりました。ただ、世の中には誰かが担わなければならないつらい仕事(役目)というのはほかにもあります。法の執行を行うものとして、刑務官には尊敬をささげますし、ぜひその任務の重さを誇りと思って行にあたって頂きたいと思います。 

死刑のぜひについては置いておきますが、執行官は命の最後に立ち会う事に、心労や葛藤があろうかと思いますが、これがその死刑囚の犯した罪の被害者家族などが執行を行うとなったらどうでしょう。恨み骨髄であれば、その執行に躊躇はないと思います。処罰感情が強いでしょうから。でもそうしたら、その行為は法に依る罰ではなくなります。被害者側の復讐になってしまいます。 

復讐感情ではなく、法の執行として執り行われ、刑が執行された後には、罪を償った個人があるということにならなければなりません。 

 

▲1 ▼1 

 

=+=+=+=+= 

 

刑務官の精神的負担が大きい一因に「執行までの時間」が長すぎるからと言うのもあると思う。 

死刑囚とは言え、普段から接している刑務官だって情が移ることもあるだろうと思う。 

事実はどうなのか分かりませんが、執行前に刑務官に対して 

「お世話になりました」と言うとか聞いたことがあります。 

刑務官自身が被害を受けたわけではないので、 

その精神的負担は大きいと思う。 

 

執行までの時間が短ければ、死刑囚が起こしたこと「相当残虐なこと」犯したことに対する憎しみの感情が刑務官にもあるでしょう。 

そういう感情があるほうが精神的負担は軽いと思う。 

 

執行を告げたときの死刑囚の態度と言うか行動は嘔吐、失禁、脱糞などや暴れることもあるでしょう。 

 

そういう事が起きるのも執行まで長すぎるからだと思う。 

 

当方にはできない仕事です。 

 

▲5 ▼2 

 

=+=+=+=+= 

 

死刑執行の職務があるならばその職務は確実に実行しなければなりません。ストレスがあるのは仕方ないと思います。そして法務大臣の職務も実行しなければなりません。法律で決まっている死刑囚の刑の執行期間を無視し続ける根拠を国民に説明する責任があります。法治国家で法務大臣が法を破る事などあってはなりません。死刑囚の生存に対する費用も生活保者に対するものより高額です。一考が必要です。執行されていない死刑囚が106人も存在するのも大問題です。死刑の判決までいかに時間 経費がかかったか これも鑑みて迅速な刑の執行を行いましょう。 

 

▲3 ▼4 

 

=+=+=+=+= 

 

火葬場の人は人を焼かねばならないし、医者は人の死を多く見ることになる。 

職業によってその心理的負担は大きいが、志した以上はその職務を全うせねばなるまい。 

負担を減らすという意味では、やはり刑が確定したのなら適正に執行し長期間にならないようにしないと。長ければそのぶん情がわくのが人間というもの。速やかな執行は被害者遺族を多少なりとも救うことにもつながるかもしれない。そこを心のよりどころにしてもらえれば。 

 

▲2 ▼0 

 

=+=+=+=+= 

 

死刑制度そのものが形骸化し、終身刑という形が常態化している。 

死刑囚は労働の義務なく、ただ毎日執行の日を迎えるまで無為に過ごしているだけ、いつ執行されるのかという恐怖と戦う毎日だったとしても、そこは自業自得であり、ただただ国民の税金で生かされている。 

無期懲役犯は労働の義務があり、何かしら社会に対して貢献している部分がある。 

言い換えれば今の死刑囚は仮釈放が認められない無期懲役犯とほぼ同じ立ち位置に居ると考えても決して間違ってはいないと思える。 

死刑執行が形骸化して久しいのなら全員ワンランク降格恩赦で仮釈放が認められない無期懲役に変更させたらよかろう。 

労働はさせる、その労働で発生した金額は全額被害者救済組織に自動的に振り込まれる。 

同時に元死刑囚達は永らえる事が可能となった故に労働を嫌がる事はない。 

そんな形が理想ではないか、ただ一つだけ、被害者遺族は納得できないでしょうけどね。 

 

▲78 ▼23 

 

=+=+=+=+= 

 

法務大臣を頭として法務省関係者の順法意識の欠如が現在の大量の死刑確定囚が存在し、中には刑の執行無くして天寿を全うして行く者も少なくない、さっさと死刑確定囚に対し死刑執行を粛々と実行して行く中で、最も死刑執行官に対するストレスの少ない方法も、体験値としてより合理的且つストレスの少ない死刑執行の方法も、現在の絞首刑が良いのか・薬殺死刑執行が良いのか・電気椅子執行が良いのか等も死刑執行方法も含め改善すると共に現状の違憲状態を早急に解消を急ぐべきであろう。 

 

▲2 ▼1 

 

=+=+=+=+= 

 

執行官の精神的負担を減らせるのであれば、 

別の方法での執行を考えても良いのかもね  

 

あとは執行するのは死刑囚とは全く面識のないものから選ぶ 

執行は複数の死刑囚を同日に行い、 

覆面等をさせることで自分が誰の執行をしたかわからなくする 

 

それでも負担に感じる人は居ると思いますが、 

少しでも軽減できないかなぁ? 

 

▲90 ▼9 

 

 

=+=+=+=+= 

 

死刑囚が実質的に終身刑のようであるとの事だが、死刑囚は死を持って刑に服すものであり、生きている間は罪を償っていない。 

なので刑務所ではなく拘置所で刑に処されるのを待つのみで、懲役囚のように刑務作業もない。  

執行されないだけの死刑囚は終身刑とは大きな違いがある。 

それだけに 冤罪は あってはならないと思う。 

 

▲23 ▼0 

 

=+=+=+=+= 

 

勿論袴田さんのように冤罪の可能性がある人は慎重に対応すべきだと思いますが、中には何度も無駄に再審請求し、悪戯に法に抗い執行逃れを行う死刑囚がいたり、自分が犯した罪の重さや反省と後悔の日々を送っているとまるで改心した手記を綴る方もいますが、死刑囚の心境は被害者の方が知りたければ個別に対応すべきだし、個人的には必要ないし知りたくもない。それより速やかに執行して欲しいし国民の税金を死刑囚や犯罪者の為に使うのは反対です。できる限り本人や親族から徴収すべきであり、困窮してても真面目に働き税金を納めてる人からすれば納得できるものではないです。 

 

▲10 ▼0 

 

=+=+=+=+= 

 

死刑執行は判決後何ヶ月以内とかという決まりがあったと思うが、そんなに短期間で刑を執行される事はないと思う。執行されるまでの食費とかそういったものは全部税金でまかなわれていると思うのだがこれこそ税金の無駄遣いの1つだと思う。法で決められた期限を過ぎてから、死刑が執行されるまでの間の食費等の費用は罪人の家族に請求すれば良いと思う。 

 

▲5 ▼0 

 

=+=+=+=+= 

 

気分の良い職務ではない事は想像は出来るが、それを分かった上で自らくぐった狭き門なのは事実だし、そこらの庶民サラリーマンより高給。 

日本は犯罪者に甘いが、その中でもこの場で執行される刑を受けるって事は同情の余地も無く、人として終わっている者だけ。 

刑が確定して執行まで何故か日本は無駄な税金を使って生かすが、確定した以上は何らかの被害者の為にもスムーズに執り行って頂きたい。 

 

▲46 ▼7 

 

=+=+=+=+= 

 

賛否があるのは承知していますが、法律で定められている以上、刑が確定した人は全員速やかに執行されるべきだと思います。 

業務上の理由で少々遅れることはあっても、長期間執行されないという状況は 

そもそも法治国家としての体をなしていません。 

死刑を廃止を訴えておられる方は、それはそれできちんとした手段で廃止を目指してください。 

アムネスティなどからの圧力がかかっていますが 

国民性や死生観に関わることなので、必ずしも国際的な流れに沿う必要はないと思います。 

日本国民の判断がありならあり、なしならなしです。 

非人道的なルールや国家は山ほどあります。外国から死刑廃止の圧力かけてくる人たちは、なぜイスラム法の中身を改めるように圧力をかけないのか、独裁国家での人民の弾圧になぜ抗議しないのかがはなはだ疑問です。 

 

▲40 ▼4 

 

=+=+=+=+= 

 

死刑制度がいいのか悪いのかについては、ちょっと別の論議になると思うので、それは置いて、別な観点について考えたい。 

死刑執行における一種の「矛盾」は、執行する人と死刑囚の間には、直接的な関係性が無いこと。つまり執行人は、家族を殺されたわけでもなければ、単に「国家の行為」として執行または様子の観察を任されているだけな訳だ。だから長い間接していると、心が乱されることになる。これが直接的な「憎い相手」なら、また別なのかもしれない。 

なので、遺族やそれに準ずる人が手を下すほうが制度としては良いのではとは感じる。すなわち「仇討ち」である。 

現状のままだと、執行する人が利害関係人でも無いのに、いろいろ精神的に苦しむことになり、合法的とは言え「人を殺した」という感情にさいなまれるのは、理不尽では無いのだろうか。 

死刑制度をどうするか、という議論をするのに、そこにも着目するべきでは。 

 

▲1 ▼1 

 

=+=+=+=+= 

 

死刑執行のボタンを他の死刑囚に押させればいいんじゃないかな。死刑反対派とかが「非人道的な扱い。死刑囚にも人権はある!」、「死刑執行ボタンを押すことに死刑囚が精神的苦痛を感じる」とか抗議するだろうけど、被害者遺族の人たちからしたら「自分が殺される可能性があるからって、過去に殺人を犯した人が『死刑執行ボタンを押すことに精神的苦痛を感じる』だって?うちの家族の命を奪っておいて何を言ってるんだ」って思うんじゃないかな。 

 

▲9 ▼5 

 

=+=+=+=+= 

 

日本の場合は圧倒的多数の国民が死刑存続を支持しているので死刑が廃止される可能性は殆どゼロですが、だとしても刑務官の負担軽減のために死刑の執行方法に関する議論は有ってしかるべきだと思います。 

今の絞首刑は事前の縄の準備や体重を考慮したシミュレーションに始まり、当日も縄を掛ける係、ボタンを押す係、下で痙攣する死刑囚を抑える係と人手が掛かりすぎです。 

例えば米国の一部州で実施されている窒素注入による処刑で有れば特殊な薬剤等も必要なく執行が楽ですし、純窒素を吸入すると即座に意識を失うとされている(よく酸欠で事故が起きるのがこのパターン)ので絞首刑より苦しむという可能性も低いと思います。 

 

▲6 ▼2 

 

=+=+=+=+= 

 

いつも世話をしている刑務官ではなく、普段面識がない刑務官か、刑務所長クラスが執行ボタンを押した方がいいと思う。それと被害者親族にもボタンを押すことが許可されるといいと思う。いつも世話をしている刑務官が執行ボタンを押すのが一番辛いことは容易に推察できるのに。 

 

▲0 ▼1 

 

=+=+=+=+= 

 

被害者感情からしたら速やかな執行を…と言った気持ちも分からなくもないですが【一生をかけて償わせる】というのもひとつの手段かなとも思うので日本も【終身刑】の制度を作ってみたら良いと考える。 

また、横暴な取り調べなどで自白を強要されるような冤罪の可能性も否定できないため、執行は慎重にならざるを得ないとも考える。 

難しいですね。 

 

▲1 ▼1 

 

 

=+=+=+=+= 

 

極論で言えば法治国家日本の法律で死刑判決を受けたものはその時点で人権がはく奪されたようなものであとは半年以内の執行を待つのみなんだろうけど 

実際はそう簡単にはいきませんよね 

ただいままでの経緯を見ると死刑囚の望みがあれば早い執行もあったりでなんともね 

個人的には死刑制度は賛成です それと死刑囚に人権は無いと思います生きて待つ死人で良いと思います 

殺された被害者たちの気持ちを上にして考えて欲しいです 

 

▲4 ▼1 

 

=+=+=+=+= 

 

実際の刑事裁判では、金のない被告人は国選弁護人をつけられる事になるが、その弁護人が酷くて、担当検察官が被告人に対して、弁護人を交代した方がよいのでは?と忠告するケースもある。 

この様な場合、当然裁判で事実はすべてが明らかになる事なく死刑になる訳だが、この際、被害者側もどうしても死刑を望む人と、そうでない人に分かれる。 

私見ではあり、多くの方の批判を承知で述べるが、死刑方法の改変も必要だが、現行のやり方を続けるのであれば、刑務官の精神的負担を幾分かでも軽減する為に、せめて死刑のボタンを押すのは刑務官ではなく、被害者側でどうしても死刑を望むという方にやらせたらどうかと思う。 

事実上終身刑化しているなら尚更の事の様に感じる。 

 

▲1 ▼3 

 

=+=+=+=+= 

 

今の時代に、死刑と言う法制度に論点があって当たり前だろう。直接的に人を死に追いやる刑務官の心の問題もそうだろうし、彼等が事務的でなく儀式的に刑を執行する感情は良く理解できるが、その場合、現代的な情報公開制度とは馴染まない葛藤がある。個人的には、社会から永久に抹殺されるべき罪人はいると思うが、それが死である必要はあるのかと言う思いはある。でも、日本人の死の精神文化からすれば、復讐ではなく究極の贖罪として相応しくも思える。死刑の人道上の問題を問えば、厳格な終身刑も同じ様な非人道性を持つ。 

 

▲4 ▼8 

 

=+=+=+=+= 

 

死刑というもののリアリティを伝えるのは、切り口のひとつではあるでしょうが、もちろんそれは死刑制度の是非論とは別ものであるべきです。 

 

なぜ死刑になったのか/被害者家族の思い/どうしたらその犯罪が抑止できるのか にその都度思いを馳せたいものです。 

 

とはいえ実際に執行する方の 

 

>「賛成・反対ではなく、制度としてある以上、忠実に行わなければいけない。 

 

この言葉に、本当に敬意を表します。 

 

▲1 ▼2 

 

=+=+=+=+= 

 

実際に執行する人もストレスは大変なものだと思うけど、死刑自体はあって然るべきだと思う。 

日本で死刑になるには少なくとも2人以上殺してるわけだ。 

被害者のことを考えれば犯人が反省してようが命乞いしようが関係ないと思う。 

執行官はあくまで業務としてやっている、判決出したのは裁判官、執行命令出したのは大臣だという心持ちで割り切ってもらえれば少しはストレスも減るんじゃないかな。 

 

▲8 ▼1 

 

=+=+=+=+= 

 

刑務官のほか、実は担当した検察官も立ち会う、というのはあまり知られていないように思う。 

 

元検察官の方に聞いたが、「求刑した責任もあるけれど、実際にその場に立ち会うのは結構きついものがある。世の中に出てはいないこと(ここでは書かないが)も刑場ではあって、その対応をする刑務官の方の心情を考えると、いたたまれない気持ちになる」と。 

「死刑に関する評価はそれぞれあって、自分は法理論から肯定派だが、現場のことを思うと考えることは多々ある」とも言っていたな。 

 

うまく言えないが、表もあれば裏もある、誰かがその裏をやらないといけないとはいえ、そのことは慮らないといけないなと。 

 

▲22 ▼3 

 

=+=+=+=+= 

 

執行官の負担を考慮して執行されないというのは、法治国家で、適切な裁判の結果下された判決に対して「少し論点が違うのでは?」と思います。 

それなら、極端なことを言えば被害者遺族に執行の意思を聞いて参加させるとか、同じ死刑囚に執行させるとか、執行する方法は幾らでもあると思う。 

 

要するに、死刑反対派に叩かれるのが嫌な法相が、自分の任期中に執行させていないということが常態化しているだけだと思う。 

 

▲1 ▼0 

 

=+=+=+=+= 

 

必ず通る道。 

その仕事に就くのであれば覚悟していて当然です。 

執行を理由なく遅延するなら法務大臣の怠慢だし、執行担当者がグズグズ言うのは甘えだと思います。 

 

内部的に執行担当する可能性のある人物に手当を支給し続ける、又は拒否する人間には報酬減でもいい。 

大臣も職員も制度として存在するのであればソレを含めた報酬を得ているのですよ。 

 

▲2 ▼0 

 

=+=+=+=+= 

 

死刑事案には、理不尽にも奪われた命があります。 

当日の朝に執行の通告を受ける死刑囚がいます。 

死刑囚の首に縄をかける刑務官がいます。 

執行のボタンを押す刑務官がいます。 

悶え苦しみながら絶命する死刑囚がいます。 

死刑囚の遺体を処理する方々がいます。 

全て、現実に、この国で起きていることです。 

外国の法制は参考にはなるかもしれませんが、飽くまでも一事情に過ぎない。 

 

私は、それでも死刑は絶対に堅持すべきであると考えます。 

その上で、この国の刑事法制としてどうあるべきか、全ての事実に、人に、目を逸らすことなく、引き続き真摯な社会的議論が続けられることを望みます。 

 

▲3 ▼0 

 

=+=+=+=+= 

 

死刑だけじゃないけれど、『刑罰の見せしめの部分が伝わってないな』とは感じる。 

そんなことをすれば長期の実刑になるとか、死刑になる可能性があるとか、そういうことが上手く伝わってない気がする。 

 

法務省はそのあたりの広報活動に力を入れたほうがいいと思う。 

 

▲3 ▼0 

 

 

=+=+=+=+= 

 

現状で死刑判決が出るのは「2人以上の殺人」というのが判例情報として積み上がっているが、これが適切かどうか議論される日も来るのかもしれない。(スプリー・キラーなどは問答無用で死刑でいいと思うが) 

一方で、日本で法的に「終身刑」を導入するのも、受刑者を収容しておく設備の整備などを考えても難しいかもしれないな、と。 

 

▲12 ▼3 

 

=+=+=+=+= 

 

記事内容とは少しずれるけれど、大昔は「市中引き回しの上、打ち首獄門」なんて言葉もあるように、国内外問わず、惨たらしい死刑の様子は大衆の眼前に晒されてきた。それが凶悪犯罪の抑止力になってたのかどうかはわからないけれど、少なくとも、犯罪を犯せばこうなるんだというのは、生々しくインプットはされてたはず。 

本当に理不尽極まりない事件が後を絶たない昨今において、多少でもこうした死刑執行当日のことがわかることは、社会全体においては悪いことばかりではないと思う。ただ「死刑」と言われて、漠然としたイメージしかないよりは、そこへの思慮が働いて一線を越えてしまうのを踏みとどまらせることもあるかもしれない。 

 

▲3 ▼0 

 

=+=+=+=+= 

 

死刑が執行されて完結するのだから、実質的に終身刑化しているのは問題だと思う。 

 

有期刑は不自由な管理下に置かれることが刑罰だが、拘置所にいる死刑囚は刑の執行に怯えながらその時を待っている。 

実質終身刑化してしまえば なんの罰も受けずに拘置所生活を送る事になる。 

 

▲16 ▼2 

 

=+=+=+=+= 

 

若い頃は死刑は反対の立場でしたが、だんだんと考えが変わってきて、死刑もやむなしと思っています。 

 

しかし、ヤフコメの多くにあるような「被害者の遺族がボタンを押せるようになればいい」「第三者がボタンを押せるようになればいい」は安易な考えだと思いますよ。 

 

遺族が押して死刑執行され、その時は遺族の気が多少晴れても、半年後、2年後、5年後に「何という事をしてしまったんだろう」と罪悪感が募り後悔し、精神的な異常をきたすかもしれない。 

 

死刑執行後にえん罪と判明したら、ボタンを押した遺族や第三者は安穏とした人生を過ごすことはできないでしょう。 

 

▲12 ▼31 

 

=+=+=+=+= 

 

死刑執行も行政手続きであるから、人手を介さずには行えない業務。それを選ばれた刑務官が遂行するのだが執行のボタンを押す刑務官の数を五人から三人に減らしたことで刑務官の心理的負担は大きくなったはずだ。逆に増やして然るべきと考える。 

 

▲0 ▼0 

 

=+=+=+=+= 

 

死刑制度が存在する意味を考えますと、執行任務を担う方々の心情は大変なものと思いますが、法を犯して他の人を殺した人間に裁きは必要不可欠なので、刑罰として法に従い、冤罪と疑わしき罪人以外の執行は早い方が死刑囚にも、要らぬ不安を与える事なくと思います。 

現在の日本は法律の中身を正確に庶民が分かるように伝え、死刑に値する犯罪を明確化しなければ、飲酒や薬物による殺人やストーカーなどで被害に遭われた被害者と家族は、生きてる限り苦しみます。 

死刑制度より死刑になる犯罪が無くなる事を考えた、厳罰の対策・対応を早急にと思います。 

そして執行は家族や関係者のみで、ニュースなど発信は必要が無しと思います。 

事件・事故のニュース内容もですが、日本のメディアは発信内容を考える時期にと、そのようにも思っております。 

 

▲0 ▼0 

 

=+=+=+=+= 

 

死刑囚に殺害された被害者の方々は、加害者の都合で、予告など一切なく、場合によっては無惨に殺されてしまったはずだ。 

日々を大切に過ごしていた方、目標を持っていた方、そうではない方、色んな生き方があるが、少なくとも今すぐ死にたかった方などいないはずだ。 

冤罪は別だが、罪なき人を殺し、この甘すぎる日本の法律で、死に相応する程の罪なのだと、判定された者が死刑囚だ。彼らの死刑執行に関して情けなどを考える必要も、向き合う必要も無いと思う。こういう記事を読むと刑務官の仕事は酷だと思うが、彼らが自分の人生に影を落とす必要などないと感じる。 

 

▲5 ▼0 

 

=+=+=+=+= 

 

刑務官は「反省した死刑囚」と少なからず交流があるため人情も出て負担が大きいように思う。一方の被害者遺族は「殺せるものなら殺したい」と思っているはずで、希望に合わせて執行ボタンを押す選択肢があっても良いように思う(法規改正要として)。 

希望者不足の場合は、関係の薄い刑務官から選べば良いし、多い場合は多少ダミーボタンを増やしても良いのでは? 

少なくても私が遺族ならどんな理由が出ようとも押したい。 

 

▲25 ▼7 

 

=+=+=+=+= 

 

被害者遺族にやってもらったらダメなのかな。法律上出来ないですけど、 

多分やらせろって遺族はいると思います。 

刑務官の心労を心配してこの3年位執行してないのですかね。 

100人以上いて1年に1人執行しても100年かかるのにどうするつもりなのでしょうか、昨今の物騒な事件が多発してるのでどんどん増えますよ、執行する気が無いなら、死刑廃止にして無期懲役(仮釈なし)にしたら良いのでは。未執行扱いなので懲役はしてなくただ閉じ込めてるだけで、無駄に税金もかかるわけで、少しでも働かせる懲役に変更するべきではと思います。 

 

▲58 ▼12 

 

=+=+=+=+= 

 

死刑が確定した人がいるのに、ここ数年執行が無いのは何故だろう?死刑囚に年間数百万の税金が掛かっている現状は、明らかにおかしい。 

懲役〇年って確定したら、その日から起算して数えるくらい迅速なんだから、死刑って確定したら、その日から〇ヶ月の間に執行するって決めたら良い。 

実際に執行する方の辛さも分かります。人を殺すことになるんですからね。 

被害者側の気持ちとしては、直ぐに自分の手で執行したいくらいでしょう。 

 

▲1 ▼0 

 

 

=+=+=+=+= 

 

被害者や被害者遺族の苦しみ、悲しみ、苦しさは考えられないものでしょう。 

死刑が確定したということはそれなりの犯罪を犯したということです。 

死刑制度がある以上、確定したら速やかに、できれば3日以内に執行してもらいたい。 

被害者遺族の中には自身が執行したいという人がいるかもしれません。 

それだけ残忍な犯行を犯したということです。 

 

▲2 ▼0 

 

=+=+=+=+= 

 

裁判員制度と同じように抽選で執行官を任命する制度にすれば良い。個人的には死刑廃止論に与するものではないが、国民全員が、自分が執行する立場になるかもしれない、というリアリティを持った上で死刑制度の是非を論じるべきだと思う。 

 

▲0 ▼1 

 

=+=+=+=+= 

 

元絞首台です。若い頃は進んで死刑執行に臨み、スイッチも「自分一人でいい」とすら思っていました。何の罪もない人の命を奪ったのだから、命をもって償うべきだと信じていた。しかし何人もの死刑囚と接していく中で、彼らが異常者ではなく、教育や愛情を受けずに育った「ただの人間」だとわかってきました。字が書けず、本すら読んだことがない者が、学びを通じて驚き、変化する姿も見ました。犠牲者がいるのだという強固な論理によって私の中での考えは最後まで変わることはありませんでしたが、絞首台の前でスイッチを押す手はやはり重くなっていたことは明らかでした。ただただ、よりよい社会を望んでいます。 

 

▲20 ▼20 

 

=+=+=+=+= 

 

死刑制度に何故ここまで賛否が割れるのか。 

もちろん、死刑判決が出るほどの犯罪者なんだから同情の余地はないという人もいるだろう。 

しかし、仮に死刑執行後に冤罪が判明した場合はどうか。 

職務上やむなしとは言え、死刑執行人と死刑判決を下した裁判長は一生涯「無実の人を殺した」と十字架を背負って生きていくことになる。 

職務、執行、などと言い換えてはいるが殺すという事実は変わらない。 

裁判官はあくまで状況証拠と過去の判例を基に客観的に判断を求められるだけの立場であり、聖人君主ではなく判断を誤ることだってあるし、判断を誤ったと判明すればそれ相当の責任を感じ精神にダメージを負う事になる。 

第三者が感情論だけで無神経に殺せ殺せと騒ぐのは簡単。直接手を下す側の身にもなってみろという話。 

 

▲1 ▼3 

 

=+=+=+=+= 

 

死刑に変えて終身刑を設けた場合、受刑者の普段の生活はどうなるのだろう。行刑施設は受刑者の更生を主たる目的とするのだろうが、出所することがない受刑者に更生を求める必要などない訳で、そうなると死すまでの間、処遇はどうするのだろうか。おそらくだが、「受刑者も人間である。人間としての尊厳を守らなければならない。」という声が出てくるだろうが、その意見に従った処遇を行うと、行刑施設ならぬ福祉施設と化するだろう。国家が私的制裁の権利を民衆から奪うことで、法による支配・政治をしたことになるが、犯罪者にしでかした行為の責任を確実にとらせないと、法そして法に依る政治への不信感が高まるだろう。 

 

▲1 ▼1 

 

=+=+=+=+= 

 

「必ず通る道」 

精神的負担は大きいかもしれないが、まあその役目を担うことも理解して就いた職だ。公務員であるから、自らの意思で採用試験を受験したわけだ。仕方がないだろう。 

 

なお、自分は基本的には死刑制度存続賛成だが、現在はその気持ちは揺らいでいる。 

それはもちろん袴田事件がきっかけだ。 

再審申請審判では「捜査機関に依る証拠捏造の可能性」が指摘された。 

 

「有罪判決を得るためには、捜査機関は証拠捏造までする可能性があること」、そしてこれも重要だが「裁判所もそれを見抜くとはできないこと」を示したわけだ。 

 

このような状況では、「死刑制度を存続すべき」という気持ちは相当に揺らいでしまっている。 

 

▲4 ▼7 

 

=+=+=+=+= 

 

手順が現代とは思えませんね。 

刑務官に負担が掛からないよう複数人で進める、機械化する、ボタンは自動にする。 

死刑囚の首と足首にロープを巻く作業はキツイと思いますから、そこから改正が必要かも知れません。 

 

中国は判決後、即執行されますが、日本はほぼ終身刑になっています。 

家族の命を奪われた被害者遺族には長く耐えきれないと思います。 

 

▲51 ▼7 

 

=+=+=+=+= 

 

執行する側の手順を知ると生々しく想像できて死刑は廃止しようという意見も理解できる気がする。それでもやっぱり凶悪な犯罪者は厳しく裁くしかないし抑止力も無視できないしなにより犯罪者の人権より被害者のことが最優先に考えられるべきだと思う。 

 

▲0 ▼2 

 

=+=+=+=+= 

 

死刑執行には様々な意見があると思う。 

ただ刑が確定したのに執行しないのはどうかと思う。 

どなたかも言ってましたが確定後半年以内に執行すべきだと思うな。 

もしくは、死刑制度自体を無くすのであれば、模範囚であっても刑期の短縮はなくすべき。 

刑期も懲役100年とか作れば良いのに。 

 

▲2 ▼1 

 

=+=+=+=+= 

 

死刑廃止論者の人々は一定数いますが、その代案が無いので賛同出来ない。 

恐らく終身刑という形を最高刑としたいのだろうが、そうなれば現在の無期懲役相当の犯罪者との差は保釈の有無だけになるが実質的に無期懲役の場合は保釈迄の期間が相当長くなるので終身刑と殆ど変わらない。 

死刑判決を受ける場合は複数名の殺人、または残虐性のある殺人など単に刑務所から出さないだけでは到底遺族は納得出来ないようなケースになるが、それでも最高刑をあくまで拘束刑で良しとするのだろうか? 

同じ拘束刑でも例えば死んだ方がマシだと思えるような命だけは獲らないがそれに相応する苦痛を味わう中での拘束刑等があれば理解出来るが現状のような内容では被害者や遺族の無念は消化出来ないのでは? 

死刑廃止を訴える人々には、殺人は一人であろうが大量殺人であろうが同じ刑罰でいいと思う根拠をわかりやすく説明してもらいたい。 

 

▲1 ▼1 

 

 

=+=+=+=+= 

 

死刑執行日を誰にも知らせずこっそり実施するのは日本の官僚政治。公表すると騒ぎになるからの理由らしいが死刑反対派の集会を封じる為なんだろう。国民が反対を唱える権利を認めない法務省の独断は民主主義に反している。全ては国民が決める原則を官僚に決定権があると主張しているのだ。ならば死刑は法務省課長以上が見分すべきではないか?机上の空論で昇進を望むべきではない。 

 

▲0 ▼2 

 

=+=+=+=+= 

 

被害者やその遺族の方々が一番つらいということを忘れてはいけない。たとえ刑が執行されても傷は癒えないが、多少の救いにはなるかも知らないので胸を張って執行すべき。それが無理なら自動化してください 

 

▲36 ▼2 

 

=+=+=+=+= 

 

定期的にこのネタが記事として出てくるけど、報道する側に対してあらためて 

記事におこして報道に載せるその狙いはどこにあるのかそこをもっと掘り下げて聞いて 

みたい。どういう狙いがあって記事にするのか、いちど取材される側になって取材を受けていただきたいとすら思う。 

死刑という刑罰の存在の有無をあらためて問いたいのか、確定者の中から執行決定に至るプロセスの 

不透明さを問いたいのか現場職員各個人の思想信条と制度の存在とのズレを 

刑務官という公務に任たる労働者の精神的負担という労働環境問題として 

捉えて掘り下げたかったのか、とうとう様々な問題は山積してると思うが今回も 

多分に漏れずなにを世間に問いたかったのかまったくもってわからずいつもの上辺だけ浚うようなぼやけたままの内容だった。 

人の死に対するのぞき見的な興味本位な記事は結局同じことの繰り返しは 

もはや野次馬根性的な下品さすら感じてしまう。 

 

▲1 ▼1 

 

=+=+=+=+= 

 

刑務官の心の負担は理解できる。 

ただ、死刑はやはり必要だと思う。 

そこで死刑執行の方法を変えたらどうだろう? 

 

具体的には執行が決まったら食事も水も与えないとか。 

手を下すのではなく、何もしない。 

3〜4日経ったら遺体を搬出する。 

これなら刑務官の負担は減るんじゃないかね。 

 

▲1 ▼0 

 

=+=+=+=+= 

 

刑務官の心的負担が問題ならば、被害者遺族が死刑執行のボタンを押すことができるようにすればよい。被害者遺族の立場に立ったならば、大切な親族をあやめた奴がのうのうと生きているのは許せないし、死刑執行できないという気持ちにはなれない。他方で、死刑執行しても、親族は戻ってこない、という虚しさは残るとは思うが。 

 

▲2 ▼0 

 

=+=+=+=+= 

 

死刑に関しては相当な罪に対する罰だと思っています。 

そして、その加害者を速やかに刑に処することで、ご遺族の思いも多少軽減されるかも知れませんし、執行官と加害者の関係性も情も伴わなくなるのではとも思います。 

ただ、「3人の刑務官が、同時にボタンを押して執行する。」って言うのは聞いたことがあるけれど、それこそ、刑務官ではなく法務大臣が遠隔でボタンを押せば、少しは刑務官の心理的負担も減るのではとも思うし、可能ならば、執行される人間が、ある位置に着いたら、時間差で自動的に執行されるようなかたちでも良いのではとすら思う。 

 平時の今、仕事とは言え、他人を殺める行為は相当な心的ストレスを与えるので、もう少し何とか出来ないものか? 

誰しも「殺める行為」には違和感を覚えるし、ましてやご遺族が望んだとしてもそれは後々ご遺族を苦しめることとなるので、あくまでも国が執行すべき。 

 

▲1 ▼0 

 

=+=+=+=+= 

 

死刑執行については、それだけのことに手を下したのだから仕方ないと思います。死刑確定後速やかに行ってほしい。生かしておくことの無意味税金を投与していることを忘れてはいけない。被害者家族の心情をくみ取ることも大事と思う 

 

▲8 ▼0 

 

=+=+=+=+= 

 

裁判もせずに現場で死刑を執行しない、数少ない国の一つ。というべき。 

海外のニュースでは、「犯人はその場で射殺されました」が普通ですね。 

そして正当防衛が認められるなら、死刑制度はあるべきです。 

本人の代わりに、遅ればせながら正当防衛の権利を執行するのが死刑制度と考えます。殺されたのは自分の身を守れなかったのが悪いとなると、護身用に刃物やけん銃の所持を認めないといけなくなるという意見が出てくる。それでは今の日本の治安が脅かされる。今の日本が好きです。 

 

▲21 ▼2 

 

=+=+=+=+= 

 

刑務官の心情を思うと、絞首刑ではなく薬物などの負担の少ないものにしても良いのでは無いか。 

判決が出て何年も執行されないで、その間の経費がかけられていることを思えば、仮に薬物としてその費用が絞首刑よりかかるとしても、全体的に見たら費用は削減されると思うが。 

 

▲13 ▼3 

 

=+=+=+=+= 

 

冤罪の可能性がゼロの通り魔等で現行犯逮捕された様な死刑囚であれば躊躇なく規定通りに執行すべき。 

袴田さんのケースの様に冤罪の可能性があるものは執行を急がず、慎重に判断しなければならないと思う。 

 

あと、死刑囚にも刑務所内での経費の足しになるくらいの仕事はさせた方が良いのかも。 

例えば、刑務所内の清掃とか。 

 

▲1 ▼0 

 

 

=+=+=+=+= 

 

死刑は凶悪犯罪を抑止するために絶対必要だと思うが、 

執行する人はとても辛いと思う。 

 

どれだけの重罪を犯そうと本人とは全く関係のない相手の命を奪うんだから。 

それまで犯した罪の償い、奪った相手の無念、ご遺族の無念を晴らすために何かもっと良いやり方はないものか…。 

一番は同じ思いをさせることなんだが。 

 

▲1 ▼1 

 

=+=+=+=+= 

 

常々思う。 

刑務官の手を煩わせずに済むよう、極力機械化して自動で執行できる様にすればいいのに、と。 

でないと刑務官の心理的負担が重すぎると感じる。 

死刑になるような重罪を犯した者が、最期の最期まで人に無駄な世話を掛けさせないで済むように欲しい。 

 

▲2 ▼0 

 

=+=+=+=+= 

 

まあ、基本的には刑務官は塀の中での受刑者しか知らないわけで、どんな凶悪犯罪を起こした人間でも、例えば刑務所の中で模範囚みたいな振る舞いをしていたなら、刑務官からしたら、普通の人よい人間を死刑にしているって感じになっちゃいますかね。なかなか犯罪者だからと割り切るのは難しいと思います。 

 

▲8 ▼8 

 

=+=+=+=+= 

 

かつて大阪拘置所では、死刑囚同士の交流を認めていて、執行前の「お別れ会」の様子や執行時の音や読経の声まで録音テープに残されていたと記憶します、 

また、加賀乙彦の小説『宣告』に、執行の詳細が当時の拘置所法務医官の視点から描写されています。 

 

▲0 ▼0 

 

=+=+=+=+= 

 

自分が被害関係者になった時、目の前で神聖な儀式として割り切ってるとか言ってる人を見て、何を思うでしょうかね。 

今後の日本はそんなことに税金を使う余裕もなくなっていき、犯罪も凶悪化し、再犯率も上がっていくわけですよ。 

今から死刑執行の在り方を見直すべきではないかな。 

正常な刑務官が死を引き摺る一方で、相対しているのはその死を軽く相手に与えた者達なのだから、話にならんのではなかろうか。 

私刑だったり、行き過ぎた正義感を振りかざす人達はその一線に近いとこにいるんだから、そういう人にやらせたら良いのではないですかね。 

管理できなくなった時にどうするか、人口が多い団塊jr世代が主軸にいる間に根幹を改めないと崩壊しますよ。 

 

▲1 ▼0 

 

=+=+=+=+= 

 

そんなに精神的な苦痛があるなら民間からバイトとか雇えないのかな? 

それだけ凶悪な犯罪を犯した人間だから死刑の判決が下っているって事ですから被害者、遺族の無念を晴らす大切な仕事ですよね。 

私が遺族だったらボタン押させてもらいたいくらいです。 

 

▲2 ▼1 

 

=+=+=+=+= 

 

残忍な犯罪を犯しておきながら人権だの残酷だの冤罪を意見する人はいるけれど、加害者より被害者の心情を軽視していると思いませんか?刑は判決後ただちに執行するように法律でも明文かされているのに、しないのなら逆にそういう人にも刑罰を与えるべきです。法律が変わらない以上心情は邪魔でしかありません。 

 

▲4 ▼1 

 

=+=+=+=+= 

 

現在も100人超の死刑囚が居ますが、冤罪の可能性がない人は半年以内に 

執行するべきだと思います。 

人権団体なるものの過剰な差し入れや獄中結婚、中には執筆活動をする輩も居ます。法治国家であれば法を遵守するべきであり、老衰で獄中死であれば無期懲役より軽い。。 

生涯引きこもりのニートみたいな刑罰であってはならない。 

 

▲16 ▼2 

 

=+=+=+=+= 

 

絞首刑ではなくスイスが何処かで行なってる安楽死のドキュメンタリーを見たことがあるけど点滴に投薬して眠るように に変更すれば良くないですか 

現在の方法だと執行前も気が重いし執行後はさらに回収が大変ですよね 

 

▲2 ▼4 

 

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当然のことながら日本では仇討ちは認められていない。 

肉親の命を奪われた遺族の方々にとって処罰感情を多少でも鎮め、また、残された人生を歩きはじめなければならない。遺族も立ち直らなければいけないのです。 

執行はそのための一助でもあるのだ思います。 

 

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