( 293509 ) 2025/05/24 04:41:46 2 00 【独自】教職課程の必要単位見直しへ 免許取得の負担軽減、文科省共同通信 5/23(金) 5:01 配信 https://news.yahoo.co.jp/articles/2752308b623d643f8e0268c848b454ae2379b3f7 |
( 293512 ) 2025/05/24 04:41:46 0 00 文部科学省などが入る庁舎
文部科学省は、大学で教員免許を取得するための教職課程の必要単位数を減らす方向で見直す方針を固めた。共通して学ぶ内容を精選する一方、教員養成の質を保証するために削減分はデジタル技術の活用で学習機会を確保し、学びの成果の確認も行う。関係者への取材で22日、分かった。今後、新たな制度の詳細を検討し、2027年の国会での教育職員免許法改正を目指す。
教員免許は教員養成系大学・学部だけでなく、他学部でも教職課程を履修すれば取得可能。ただ、他学部では通常の授業に加えて教職課程の授業を受ける必要があり、単位数の多さが負担となって敬遠される一因との指摘がある。教員不足の解消に向け、他学部でも目指しやすい環境を整備し、質を維持しつつ裾野の拡大を図る。
教育現場では探究的な学びを実践できる人材が求められており、文科省は単位数の縮減に併せて教員養成の課程を総合的に見直し、多様な人材を呼び込みたい考えだ。
教職課程には教科や教職に関する科目があり、59単位以上が必要で、1種免許状が取れる。
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( 293513 ) 2025/05/24 04:41:46 0 00 =+=+=+=+=
教育実習の指導をして学生の基本的学力の低下に驚きました。 質の高い学生もいますが、私たちが学生だった頃と比較すると実習に来られないレベルの学生も増えてきました。 大学での免許取得を容易にする方向では教員不足解消にはつながりません。教員の基本的学力低下にまで影響が及べば、困るのは子どもたちです。 教員不足は今免許を保持している方々にも教員は魅力的で就いてみたい職業だと認識されることで解消しないと未来はないように思います。給特法も改正されそうですが、多分根本的な解決にはならないと思います。私自身は業務内容の削減、小中高の教育課程の見直しによる教科の精選などを行わないと忙しさから離脱する教員は今後も減らないだろうと思っています。
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国の方針として教職員は給与は安くて良いというものです。当然、優秀な教職希望者は教職に就かず、待遇の良い企業に入社しています。地元の元国立大学教育学部の状況を教授にお聞きしましたが、教育学部に入学して教職資格を取得しても半数は教員採用試験を受けず、一般企業に入社しているという事でした。企業にとって教職の資格を持つ人材は人とのコミュニケーション能力に優れていて、企業内での人間関係を構築していく上で貴重な人材として重宝がられているようです。一昔前なら、優秀な教師として教職に就いていた人材です。給与面での格差に加えて、仕事量の膨大さも、相まって、教職に就く有能な人材が減少しているのは間違いない実態です。
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>単位数の多さが負担となって敬遠される一因
医師になろうとして医学部を目指す高校生は単位数を減らしてくれとは言わない。 教員のなり手不足を解消しようとして,免許取得や採用試験のハードルを下げるのは本末転倒だ。ここでいう多様な(今までなら不合格だった)人材が現場に入るようになって現場はさらに混迷を深めている。 職種としての魅力を削ぎ続けてきた結果だ。これ以上のレベル低下を招く政策は止めてくれ。ハードルが高くても就きたい待遇と労働環境にするのが本筋だ。
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文部科学省が教員免許取得に必要な単位数を見直し、削減を検討しているとのことですが、「質は落とさず、内容は精選」といった方針には少し疑問を感じます。現場では、知識以上に求められるのは、生徒一人ひとりに向き合う力や柔軟な対応力です。それらは短時間で身につくものではありません。デジタルの活用も大切ですが、それだけで教育の本質が補えるとは思えません。現場の声をしっかり拾い、制度設計に反映してほしいです。
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国立教育大学の教育実習生(中学校音楽)を指導したことあるのですが、「研究授業はどんなことがしたい?」と聞くと「歌唱がしたいです」と返ってきた。だったらと思い、当時中2の教科書に載っていた「翼をください」を研究教材にしたのですが、弾き歌いが全くできなくて呆れたことがありました。やりたいって言ったのは自分やのに、大した努力もせず「鑑賞に変えてもいいですか?」と言われた時は衝撃でした。ピアノ専攻の子なのに。 弾き歌いは音楽の授業では絶対といっていいほど必要なスキル。混声合唱の時は特に必要で、伴奏弾きながらの状態で、子どもたちの歌声を聞きつつ、音程が不安定なパートを補強で歌ってやる、そうしたら他のパートが不安定になるからそのパートを歌ってやる…みたいなことをずっとしながら指導するのです。加えて落ち着きのない生徒やいらんことする生徒に指導の声かけも。 こういうこと、今の実習生はできないと思います。
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警察官と同じく採用後に1年の研修期間とする。その間に教育実習を行う。受け入れ側の学校もペーパーティーチヤーのために無駄な時間を割かずに済むし、もし不適当な人物ならば研修打ち切りで解雇すれば良い。今でも試用任用期間はあるが、実際には形骸化しているところもある。大学も教育実習準備や実習先訪問などをやめ、教職課程を充実させられる。もちろんできない(しない)のは予算がないから。警察や消防でできて、教員でできないはずはない。いわゆる定数法を改正し、正採用を増やし、教育センターなどで研修させる方法を取らない限り、早期退職は減らない。昨日まで学生だった人に4月1日から担任させるような現状は、採用された警官にいきなり拳銃を下げて交番に立たせるようなもの。いい加減、文科省と財務省は金を惜しむな。
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教育課程に限らず、現在の大学生の平均的な学力はかなり低下してきていると感じます。特にここ10年ほどの学力低下は看過できないレベルになってきていると感じます。 もちろん中にはとても優秀な学生もいますが、このまま社会に出て大丈夫?というレベルの学生が増えてきた印象です。 色々な原因があるかと思いますが、日本の政策が間違った方向に行っているような気がしてなりません。 一例として、賛否あるのは承知の上ですが、働き方改革も働きたくない方のための都合の良い制度になっている気がします。働き方選択制度なだけであって、働き方に応じて報酬が変わるような努力が報われる制度であってほしいと思います。 現行よりも簡単に教育免許が取れるような制度は果たして将来の教育レベルに影響を与えないのか?今でさえ現場では学生のレベルが落ちてきていることを危惧しているのに。安易な結論にならないように議論を深めていただきたい。
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根本的にこの問題についての本質を理解していない。 教員数の問題とあわせて現場の教員の質の低下は酷い。 人数が少ないことと、質の悪い教員が増えていることで一定のレベルの教員の負担が激増している。また、組織マネジメントなどの一般的な管理スキルの知識をおおよそ用いない管理職が、組織運営を行うため職場環境の質も併せて低下している。こんなことをしても教員不足の打開策にならない。 どこへいっても母数のばかり。場当たり的、数さえ合わせればというような施策ばかりで、こういう施策の裏に現場の負担軽減という思いが見えてこない。 単純に数が足りないのではなく、給与面、負担面など考慮し、圧倒的に割に合わない仕事であると認知されているのが原因。国や文科省が、金を使わずになんとか世論の意見に整合性を付けようとしているのが透けて見える。 国を変えないと、この問題は解決しません。
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私は就職氷河期世代ですが、私立文系に進学しました。せめて教職を取っとかないとなんにもとりえがないなぁと思いましたが、遊びたいめんどくさいというしょうもない理由で教職はとりませんでした。 大学全入の昨今、教職取得まで簡単にしたらますます不味い人材が教員になると思います。門戸を広げるではなく単にますます質を低下させるだけです。 質の低下は子供達に不利益をもたらすし、まともな同僚の先生の負担も増やします。
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国語と理科と情報の教員免許を取得している先生を知っています。 教科横断的な発展学習を展開したいからと、大学に入り直して単位を取得されたとのこと。 探求的な学びの指導も上手です。 単位数は関係ないのでは? 要はその方のやる気次第では? そして、やる気を待遇で引き出すのが先では? 自己研鑽というか、自分磨きというか、前向きにチャレンジを続ける先生に学びたいです。 楽に免許が取れるから、、、の人は嫌かな。
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こういう安直なやり方は、日本の教育水準低下などを招くだけで、むしろ教育現場をさらに疲弊させ、教員として働国ことへの矜持などを阻害することさえ考えられるだろう。 その場しのぎではないもっと根本的なところ、教員が教育に専念できる環境と、きちんとした時間外手当などの報酬制度の見直しなど、持続可能な施策が必要だと思う。
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クラスという集団を教える難しさ。それを1人ひとりに応じて教育を行うのはとても難しいことですよね。家庭でさえも自分の子ども数人にとても親は大変なところもあるでしょう。私たちが学生の頃は、先生対集団(1個性)みたいな感じでの指導で良かったと思いますが、今は先生はいろいろなことを求められすぎているような気もします。あと、うま味がないというか、昔は春休み、冬休み、夏休みは研修という形で自宅にいることができました。今は残業代は出ない上に休日出勤は部活動で当たり前。心身に影響が出ない方がびっくりです。先生はいつお休みをとられているんでしょう。
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私は、40年前頃に、理工学部在籍中に、教職課程を受講し、教員免許を取得しました。実験実習が多くて大変でした。結局、民間企業に就職し、教員にはなりませんでした。しかし、教員になるための科目は、これが最低限かなと思っていました。もう少し、充実した方が、良いくらいだと思います。これ以上の削減は、無理があるのでは。むしろ、教員採用試験のやり方が、複雑ではないかと思っています。第一、教育実習の模擬試験が、ここで、必要かどうかです。最低限、面接試験は必要ですが、もう少し採用試験の簡素化が必要でしょう。
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かつては教員を志し、教育実習も学校インターンも経験しましたが、残念ながら大学生が教育実習に行った際にロールモデルとして憧れられるほどの魅力を持つ教員は少なくなってると感じます。
長時間労働を前提としないと回らない業務量に対して、残業代が出ないことによる給与観点での魅力不足、後に一般企業に出ることとなった際には何の役にも立たない閉鎖的な環境下での定常業務、教員同士のコミュニケーションの取り方はきっとどの学校でも似たり寄ったりでしょう。
加えてプライベートを多分に犠牲にしないといけない働き方では若い担い手が不足するのは当たり前です。
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・学費無料の6年制教職課程も別に作る必要がある。 ・高校中学教諭は専門教科に長けた修士卒あるいは博士卒以上を増やす。 ・小学校教諭は心理学(対児童・対保護者)や初歩的な医学に長けた修士卒以上を増やす。 ・何よりも現場での負担軽減と魅力向上策が必要です。 ・公教育の正当性を高め、高度な教科教育にいざなえる教員を増やす事を同時にしないといけないと思います。 ・単純に軽減では、日本の未来に危惧を感じますね。
・氷河期世代には何度も行って減らしにかかった教員免許更新制度は何だったのか、本当にその場しのぎで近視眼的だなと思いますね。
▲378 ▼67
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教員免許も取得しましたが、個人的にはちょっと疑問に思います。質の低下も気になるので安易に減らすのではなく単位の互換性を高めるなどの工夫でなんとかならないものでしょうか。また成り手不足は本質的には資格の取得しにくさよりも現在の教師を取り巻く環境のほうの影響が大きいのではないかと感じています。単位を引き下げる議論の時間を使って、環境改善の方向の話を進めてみてはいかがでしょうか。
▲68 ▼1
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単位よりも実習が一番の問題。
学生なら問題ないが、 社会人が免許取得となると夕方に大学に通い単位を取得して、 実習で長期間休む必要もあるので教員を目指す時点で会社を辞める人も出てくる。
現場の受け入れる教員は今日になってくれるかもわからない人のために時間を割いて負担にもなっている。
現場の教員の負担軽減や 社会を経験した人を採用するためにも 採用試験を教育実習より前に行い、 内々定者のみが実習という形がいいと思う。
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所謂「教員不足」への対応だとは思いますが、どうにも方向性が違うと思います。 まるでトラック運転手不足に対応するために運転免許取得のハードルを下げているのと同じでしょう。 未熟で技術の劣るドライバーを公道に送り出すことが何を引き起こすのかは明らかです。
教員の待遇は決して悪くは有りません。 サラリーマンとして考えるならむしろ良い方に属します。 しかし、それでも不足したりレベルが落ちているなら既存教員はそのままでも新卒の待遇を上げるしか無いんですよ。 そうすれば本来は他所に行っていた優秀な人材が教員を目指します。 本当に優秀な人は教員になどなりませんからね。
10名の募集に対して15名の応募と100名の応募とではレベルの差は歴然です。 そして教員からよく文句が出る部活動や雑務は専門職を置いて教員から切り離す。 教員免許の要らない仕事ですからね。 それでこそ質の高い教育になるんですよ。
▲73 ▼9
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本来まずは、教員の負担を軽減しないといけませんよね。 教科担任制が小学校でも進んできてるのは良いことだと思います。発達障害の生徒とその保護者には専門のスタッフがメインで対応するようにして、イジメが酷い場合にはすぐに警察と連携してよいのでは。 あと、ある小学校の先生にお聞きしたのですが、昔はなかったような授業内容(例えば民間企業で働いている人を招いて仕事の話をしてもらうとか)が増えていて、そういう授業の準備などが大変とのことでした。良い授業だとは思いますが、先生方の負担になるのはよくないので何か良いやり方があればなあと思います。
▲54 ▼0
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大学生の子の友達が、1年生で教育課程を選びましたが…2年生からしんどすぎて諦めたと。 その子は高校も中3になって周りのみんなに無理と言われたが絶対に受けると頑張り受かり、大学も塾にも学校にも高望みと言われても頑張り受かった子で、やると決めたら突っ走って頑張れる子です。 取れるなら興味はあるし取ろう、という程度の情熱だったのだと思う。
問題は取りやすいからととりあえずの気持ちの人に取らせて人員確保が正解なのか? やりたいと思わせるようなやりがいを現役が感じていない人が多い現状が問題ではないのかと思う。 魅力あるならやりたい!と頑張って叶える人は増えると思うのだけど…
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何か根本的な部分で間違っている気がする 教育は国を支える基盤となるもので、教員はそれを担う重要な仕事 教員の質、レベルを上げるために必要単位を増やすなら解る 成り手を増やすために質を下げる行為ではなく、教員になりたいと思える魅力ある仕事にするべきである 医者や、議員なと他の先生と呼ばれる職と同等以上の収入と、仕事のやり甲斐を与えられる政策を構築するべきではないだろうか
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最近は教師という職業がモンペや学級崩壊などの影響もあり ずいぶん不人気職になったと思う
負担軽減もいいが、 学級内の問題を教師ひとりに負担させるのではなく、 授業風景をすべて録画することで この手の人間関係のトラブルは軽減できると思うけれどな たいてい教師を舐めた子どもの言いがかり それを証拠がないからと教師の問題にする親 証拠を突きつけてやればいいし、抑止効果になると思う
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真に教員を目指そうとする者は、現行の制度でも免許を取得して採用試験を受験する筈だ。 それを阻んでいるのは、教育現場の状況だ。教員が教員としての職務以外の諸々のものの積み重なりが教員を目指す意図を阻んでいるのだ。簡単に単位を取得させると言う事は、教員のレベルダウンに繋がらないかと危惧するばかりだ。学校現場の勤務状況の改善が先決問題ではないのかと強く思う。
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変えるべきはここではない。 教員が本来やるべき業務、授業、子どもとの関わり、を余裕を持ってできる状況にすべき。 やらなくてよい業務を少しずつ減らすこと、解決策はこれ以外にないのではないか。 まず、無駄な調査をなくし、必要なものは校務分掌を専門にやる人も必要。部活や行事も大幅な削減が必要。 または、授業少なめで生徒指導や行事を率先してやる教員がいてもいい。 現状を少し変えるだけでできることはたくさんあるはず。
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素人考えだが、教員の不足が問題になるなら、例えばある一定の大学を卒業していることや一定以上の学力を基準として、例えば他業種の退職組やリタイア組でも新たに資格取得できるようにシステム化してはどうなんだろう?? 比較的高齢化はすると思うけれど、人生経験もあるので意外と良い人材もいるのではないだろうか?
まぁ常勤でなく非常勤の割合が増える可能性も高いが、それで常勤教師の負担がなくなるならそれもアリかと思う。
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理工系大学院で教員免許高校1級(現専修)免許を取ったが、途中で制度変更で停止状態に。制度変更は、追加講習と教育実習の取得単位増加です。学部当時、単位取得のため他学部の単位も取得したが、実験で週二日とられるため、きつかつでした。受講内容的には、同じ様な単位取得をとることになり、その点で、取得単位の見直し、削減は可能だと思います。 学力面では、大学・大学院で基礎を取得していれば問題ないはずですが、学生の質の問題は、個別の中学・高校・大学の教育課程の影響もあるので、教職課程だけの問題とすることも言えない気がします。この点関しては、教育自習時の現場の声などの、採用面で対応できるのではないかと思います。
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実習がもう少ししやすくなるといいかもしれない。 希望する学校やエリアで、比較的いつでも受け入れられやすく、絶対にこの時期の1カ月!みたいではなく、何度かできるとか、2週間単位からでも良いとか… 学校と話し合って、学校にとっても良い時期と、いろんな時期での実習の方で実務を身近に知れるチャンスがあってもいいのかもしれない
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こういうことよりも、理不尽なモンスターペアレントに対して、教師ではなく、警察や弁護士などが直ちに対応し、厳しく当たる必要があり、学校の在り方を変えていく必要がある。いじめでもそうだ、いじめた生徒を強制的に隔離し、徹底的に矯正教育(更生ではない)する制度などをつくり、直ちに遂行すべき。学校は、本来、安心して学べる場でなければならないからだ。 小手先では解決しない。善良な生徒や真面目に頑張っている教師の人権を守ることが大切だ。誰だって、プライベートがあり生活がある。
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教職だけでなく、大学卒業が条件で取得できる資格は、すべて専門職大学院で取らせるように制度を変えたほうが良いと考えている。なぜならば、学部の目的は幅広い教養を身につけ、かつ自分が選択した専門分野で何か課題を見つけて解決する研究を行うことにあるからです。この目的に専念するために、資格取得は卒業後に必要な単位の取得と実習を重ねてもらい、早いものでは1年、どうしてもというものは2年の年限で専門職大学院に進んでもらう。教職課程以外には、医療職の国家資格(医師、看護師、臨床検査技師、放射線技師、臨床工学技士、など)もありますよね。弁護士、弁理士は実力制で大学卒が条件でないので微妙ですが、外国ではロースクール(専門職大学院)が一般的です。最も、本当は資格だけでなく実学、例えばビジネス系の訓練もビジネすスクール(専門職大学院)でやるべきなんでしょうね。大学は就職予備校ではないのですから。
▲5 ▼0
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私は学生の頃は教育に興味がなかったのですが、親になった今、学んでおけば良かったと思うことがあります。 英語教育系の仕事についているので、実地研修に近い経験もあります。社会経験をしたからこそ活かされる能力もあると思うので、社会人の採用も間口を少し広めてもらえたらなと思います。
▲6 ▼0
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そりゃもちろん無駄と思える単位なら削減してもいいと思う。 長年同じカリキュラムでやり続けてきた意味をもう一度問い直していい頃ではないか。 学校現場では、昭和平成期とは大きく違い、電子黒板やタブレット端末を活用し、保護者との連絡もICT化されている。まだまだペーパー物は多いが、新しい教育現場へと移行する過渡期でもある。 そうしたこれからの現場に合わせた育成システムを構築していくべきではないか、と思う。
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見直すのはいいですが内容を見直さないといけません。大学の授業など現場では何の役に立ちません。多くの教育学部の教授は自分で授業を学生の前でやってみせることもやりませんしできません。そんな教授たちにもらった単位はありがたい物ではありません。すべては子供が教えてくれる、と言いたいところですが、それではせっかく教育学部に行った意味がありませんので、とにかく教授の授業内容が役に立つようなものにすることが大切です。免許更新の講習は役に立たない講習のオンパレードでしたね。教育学部の教授は日本の教育に寄与していません。
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昔は、小学校の採用試験は、25m泳げること、ピアノが弾けることは必須でしたが、今は,全く泳げなくてもピアノが弾けなくても大丈夫だと聞き,驚きました。実際,教室からオルガンが消え、歌を歌う時はCDを使用しています。採用試験倍率も2倍以下に落ち込み、教師になる人の質の低下も免れません。教職課程の必要単位が減れば、一応教職を取る学生は増えるでしょうが、実際志望して教職に就く人は増えないと思います。今のような雑用が多く…定額働かせ放題では、本当に心身が疲労してしまいます。
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教員の方々に適正な対価(給与)、労働環境を提供しない限り問題解決には向かわないと思います。 具体的には ・学校と家庭の問題の切り分け(学外での出来事は家庭の責任) ・部活動は学外の活動とする 等々、 賛否両論であっても思い切ったことをしないといけないと思います。
塾/予備校”ビジネス”のうま味を上回れば、優秀な方々が教育の現場に戻ってくれると思います。
▲10 ▼0
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むしろ学校をなくして自宅でオンライン授業を導入した方がよいと思う。学校があることで授業についていける子とついていけない子、いじめっ子といじめられっ子が混在してしまうが、オンライン授業なら能力に応じてクラス替えが容易にできるし、いじめによる悲劇をなくして性格にあった仲間グループを形成することもできる。通学の時間をなくして時間を有効活用できる。
▲2 ▼12
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息子が昨年から教員になりました。学生時代はとくにコロナ元年もあり時間も足りないぐらいでしたが4年間でちゃんと取れる単位です。今は給料面で見直されていたり、部活は外部指導員を導入する方向で検討されたりしている。 必修単位まで見直すのは質の低下につながるだけ。 免許さえあれば、教員試験に受からなくても、講師として教員と同じように働ける。問題起こす人材も入ってくるかもしれません。必ず何らかの弊害が出ますよ。
▲11 ▼0
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単位は減らす必要はない。 逆に増やして、それでも乗り越えられた人が先生として教壇に立つべきでは? 楽して教師になった人が、現場で使い物になるとは思えません。 先生って、事務処理能力の他に、多岐にわたる知識と判断力とコミュニケーション能力と洞察力を必要とします。人間力が必要。 教えるだけなら、AIで良くて、人間にしかできないことをやって貰える人がなるべきです。
▲23 ▼0
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不必要な単位は削減してもいいと思います。 ただし、そこは解決策にはならないと思います。教職課程を取り教育実習に行っても採用試験を受けない学生が多数います。 逆に、教員になりたくても採用試験に合格せずなれない学生もいます。 採用試験を学力だけで判断せず、現場に負担をかけて実習をするなら、実習での学生の適正も採用に反映させて欲しいです。 採用試験の成績が振るわなくても実践が出来る学生、採用試験の成績はよくても実践が出来ない学生、どちらが現場で役立つでしょうか? これが出来ないなら学生の間の実習は短期間にして、採用してから研修期間をもうけて新人を教育した方が現場の負担も減ると思います。
▲3 ▼2
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管理や指導の仕事と、教える仕事は分けた方が良いと思います。負担軽減を確保しつつも質を維持しやすいと思います。質を確保しやすいだけでなく、現場では分担しやすいし、経営的にはコストのかけどころを調整しやすいと思います。
▲2 ▼0
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教師に必要なのは教職課程の単位以上に必要なのは人格でしょう。人格形成の教科を重視したほうが良い。兎に角普通の人間でいいんですよ。普通の常識を持った、教え子にわいせつ行為は絶対にしない、暴力行為を行わない、いじめがあったら隠ぺいせずにすぐいじめたれた児童・生徒に寄り添って解決する。これらが守れる教師の育成が大事なんですよ。教科の増減も良いけど、人間性重視を忘れないでほしい。教師は児童・生徒にとって最後の砦であることを理解できる教師の育成を願う。
▲22 ▼2
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教職課程でもっとも大切なことは統一された道徳観念だよ。
善悪の判断基準や他人に迷惑をかけないこと、正直で約束を守ること、社会的規範、個人差と文化差を理解すること等。
今の教職の方々は一部の教職員が不祥事を起こすたびに報道されて耳が痛いでしょう。
大切なことは時間をかけて教えるべきです。 そして日本人のアイデンティティを育てる場が日本の学校です。
▲15 ▼6
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「これができないと教師なんてできない。」という視点はいくつもあるのですが、それを求めれば求めるほど不人気になるのも目に見えています。
教員免許のハードルを下げること自体が悪いのではない。 必要な能力を明確にしないまま、曖昧な能力だけを示し、実際には人並外れた能力やオールマイティに平均以上を求める今の形が間違っているのです。
先生だからってできないこともある、これを現教師も親も子どもも理解していかなければ教師志望が増える事はありません。よくある、「公務員だろ」という視点も教師志望を減らす原因のひとつです。
単位数を減らせば教師志望が増えるなんて単純なものではありません。
▲31 ▼2
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人手不足を理由にハードル下げるのは場当たり的な対策でしかない。質が下がるし、一度下がるとなかなか元の水準に戻せない。きっと坂を転がるみたいに下がり続ける。階段みたいに一段下がった位置で保持するわけじゃないと思おう。質が下がると出来ないことも増える。そうすると出来る人に集中して負荷が掛かって辞めてしまい、全体の質がさらに下がる。負のスパイラルですね。
資格のハードルが高くて人手不足になったわけじゃないでしょ。根本は教員の負担が高すぎるし、責任も負わされるからだと思う。なりたいって思う職業で無くなって来てるだけ。負担軽減などしないと、資格のハードル下げたところで人手不足の解決にはならない。
▲4 ▼0
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教員免許の種類を加えたほうがいいと思います。 今まで通りの課程を修了した者と、必要単位見直した新しい課程のものを修了した者とを区別して。 一種と二種みたいな。甲種と乙種みたいな。 そうじゃないと、いままでの課程で修了した先生たち、不満だらけでしょう? 給与も変えないと。 どっちの課程で免許取るかは個人ごと自由でいいけど。
▲2 ▼1
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教員免許を持っていますが、非常勤講師です。 教員の数を増やしたかったら、やるべきは必要単位数の削減ではなく、待遇改善です。 私の大学から教員になった友人は、聞いた限りいません。稼げないから、わざわざならない。私は夫の海外駐在で専業主婦を長くしていたため、主婦からでも復帰しやすいからパート代わりに勤めていますが、最初から教員を志望していたわけではないです。 教育は国の未来を支えるものなのに、人さえ集まれば質は問わない、という姿勢は危険だと思います。
▲17 ▼3
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教員のなり手不足で現場が回ってないのが現状でこのままいくと教員がいない学校が増える事態になるのは目に見えているから、単位時間を減らしてハードルを下げたことによる質の低下は目に見えるがこのまま放置して誰も教える教員がいないよりはましだという見解なんだろう。 どうすれば早急に教員が確保できなり手が増えるのか画期的な意見がある人がいるなら聞きたいところだ。
▲124 ▼45
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そういう問題ではないと思います。教員が働きやすい環境と授業以外の負担の軽減、保護者対応の軽減、行事の軽減、特別支援が必要な生徒の対応の改善とかすれば魅力的なやりがいのある職業になっていき、こういう先生になりたいという人達が増えていくと思います。
▲6 ▼2
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そもそもこの10年くらいで、小学校の免許を取れる大学はかなり増えている。しかし、教員になれる人数は増えているのに、それでもなりたい人が増えていない。そこに大きな問題がある。 教員になりたい人がかなりいるのに教員免許を取るハードルが高いのなら免許取得の軽減をはかる方法は良いかもしれないが、そうではないのでもっと違う方法を考えるべき。
▲0 ▼0
=+=+=+=+=
教員のなり手不足のためなんだろうけど 取得単位が減ったからといってなり手が増える訳では無いと思う。
昨今の現場事情、これもあれもと授業以外にさせられる現状(講師を呼んでアンガーマネジメントの授業などがある)を変えたり、大半は普通の保護者だが、たまにいるモンスターの対応など、そこが1番ネックです。
例えば、講師呼んでアンガーマネジメントしたとしてもその減った分の授業時数を他で確保しないといけないですし、空いた時間や放課後に提出物点検したり採点したりする時にモンペ対応で時間を取られてしまう現状をどうにかした方がいいと思います。
▲6 ▼1
=+=+=+=+=
教員不足の解決に、免許取得を安易にするだけでは根本解決しません。働き続けられる環境にないと若者達に「NO」を突きつけられています。 宮崎県の採用試験ではとうとう「出願」倍率が1倍を切りました。採用倍率ではなく、とうとう来たかと。名前を書けば受かる、下手なアルバイトより人気がない証拠です。多くの学校現場では臨時的採用試験で登録即採用が続いており、一度採用されたら犯罪等の失職のない限り雇用され続けます。
クビになってもほとぼり冷めたらまた働けてしまう環境に今あるということです。
アルバイト感覚で安全管理知識のないまま危険な水泳指導や跳び箱、変な思想や偏った歴史感を植え付けられたらたまったものではないと思います。
▲158 ▼7
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現職です。教員不足の解消に向けたものなのかと思いますが、「教員の業務内容の削減」の話がどうして出てこないのかなと思っています。 免許の取得のハードルとか勤務時間とか手当とかは議論にあがってるようですが、我々からすれば「そこじゃないんだよ」という気持ちでいっぱいです。
▲244 ▼5
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30年前、理系の教職課程を履修したが、確かに2年次の忙しさたるや壮絶だった、文系の友人なんか(相当有名な関西の大学)だったが、二年からはバイト三昧。増員したいのはわかるが根本的に間違ってると思うのは自分だけか?それに、いい教員になるかならないかなんて、単位取得の多い少ないでもないし、どの大学卒業するかでもない、持って生まれた素養もあるでしょう。「教職」を「飯を食うため」だけに目指す人間もいるだろうし。
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教職課程の単位を減らすことは本当に子供たちのためになるのでしょうか?私は大学で現在、教員になるために教職課程を受けていますが、「減らして欲しい・負担を軽減してほしい」と思ったことは一度もありません。将来、教壇に立つ者として、生徒に質の高い教育を行いたいと考えています。子どもたちが、自分たちと同じくらいの学力の大人に教えられる...なんてことはあってはならないと思います。このような方策は一時的な効果はあったとしても根本的に教員不足を解消するわけでもなく、むしろ質の低い教員を生み、教職の魅力を低下させる一因になるのではないでしょうか?大学の教授が「最近のニュースでは労働時間が多いことやクレーム対応、仕事量の増加などといったマイナス面ばかりが強調されているが、これでは教職の魅力はどんどん失われていく。むしろ教職の良い部分ややりがいの部分を強調してほしい。」というような話をしていました。
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教育学部以外の他学部で教職免許を取得しようとすると、教職免許取得に必要な単位は卒業単位に含まれないとなっている。これが一番のネックだと思うので、教職免許に必要な単位を他学部の教養単位の一部に振替させれることを義務付ければ良いと思う。
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単位数を見直して負担を軽減しても、教員は増えないと思います。 実際の現場を目の当たりにし、実習に行って断念する人や、 せっかく免許を取得したのにもかかわらず 民間に就職する人材を減らす策を講じるべきです。 教師よりやりがいがあり、責任もなく、稼げる職業がたくさんあることにみんな気付いています。 問題はそこです。 ましてや単位数を減らせば減らすだけ、人材の質は低下し現状は悪化すると思います。
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以前も書いたことがありますが、免許のハードルが高いから教員不足になっているなのではなく、心を病んでしまうかもしれないほど過酷かつ理不尽な仕事につきたくないのだと思います。
未来を担う子供たちのために知識と教養を供与したいと考える人、そしてそのスキルを身につける努力を惜しまない人はたくさんいるはずです。 そういう志を持った人をその仕事に専念させるためのルール作りが急務だと思います。
今は学校行事、部活、やる気のない生徒への対応、親への対応、それに伴う事務作業や接客応対、それら全てを卒なくこなす人材が求められていますが、それをクリアした上で性格にもなんら問題がない聖人のような人はほとんどいませんよ。
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教員免許取得がしやすくなるからと言って、教員希望者が増えるとは限らない。 大事なのは、教員になりたいと学生たちが思うような学校現場に変えていからければならない。 また、教員免許取得が簡単になると、もしかしたら教員志望も増えるかもしれないが、とんでもない学生が応募してくるかもしれないから、採用試験は厳格に行って、資質を見極めなければならないだろう。
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なぜ、必要課程単位が減ると質が上がると思うのでしょうか。なぜ、教員になりにくいからなり手がいないと思うのでしょうか。なぜ、楽して取った教員免許で、激務な教育現場に身を置こうと思うのでしょう。
もう教育業界が崩壊するのは時間の問題だと思います。その時やっと本当の意味で働き方改革がなされると思うので、学生の皆さん、今じゃないです。しばしお待ちを。
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教職過程必要単位見直し。今の教員不足には、まったく影響はない。教員免許を持っている人が、採用試験を受けなくなってしまったのです。教員という職業に魅力がなくなってしまったのです。 文科省がすることは、学校現場を魅力的なものに変える努力をすることです。文科省が導入してきた、必要のない仕事をなくすことです。
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大学で教員免許を取得するための教職課程の必要単位数を減らす
免許更新制度は何のためにやってたのか。 しかも、仕事量は変えないまま。 学生時代はゆるく、入ったら労働時間の搾取。
果たしてこのギャップで学生がついていけるか? 謎の政策。 迷走する日本の公立学校。 文科省と教育委員会はよほど公立学校を衰退させたいのだろう。
学生は教員になるべきでなく、教員免許などを取るべきではない。 将来役に立つ、政策に左右されない、ほかの有意義な学習に習熟するべき。
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宗教家です。私のような民間のプロに任せておけばすぐ解決するのに。 教員不足の解消のために教職課程の単位数を減らすという方針には、目的は理解できますが少々安易な印象も受けます。教育とは単なる技術の習得ではなく、人の心を育て導く営みです。そこには時間と深い対話、経験が不可欠です。単位数の削減が、教員としての本質的な資質を育てる妨げにならないよう、慎重に制度設計していただきたい。デジタル学習の導入も一つの手段ですが、教壇に立つ者としての人格形成までは画面越しには伝えきれないと思います。教える者に求められるのは、知識よりも人としての在り方です。そこにもっと光を当ててほしいと感じました。
▲9 ▼45
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20年ほど前は枠が無く教員免許を取得出来ても学校に入職出来ない人が沢山いたと若い現職の先生から聞いた事があります。 新卒に拘らず氷河期世代の教員免許を持つ方を積極的に募集するのもありではないでしょうか
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昔、文学部にて教員免許を取りました。別段授業数が多いだの大変だのと思ったことはありません。単位数少なくしたからって教員は増えないと思います。 少なくとも私は、文学部必修科目+教養科目+教員免許取得のための科目とったところで、高校までの六時間授業に比べれば空き時間があるなんて楽!って感じでしたけど…。 そもそも大学は勉強しにいくところで、本末転倒のような。 教員免許取るの大変って聞くけど別に大変ではないです。教員採用試験に通るのが難しかっただけで。単位取るだけなら他の教科と変わりません。免許だけなら教職課程があればFラン大だって取れます。
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免許を取りやすくするのはいいと思いますが現場が大変すぎますから、なり手は増えないと思います まず小学校は全科(全教科)をやめたらどうでしょう? 体育、家庭科や音楽、図工など本来は専科がやる方が良いものも地域によっては受け持たないといけないですし、主要5教科も専門性が高い教員が受け持ったほうが断然良いです
教育実習や講師として行きましたが、全教科やる上に給食指導、トラブル対応、保護者に電話とかで、朝早くから帰るまで休める時間がないですし休みも取りづらい
中高はとにかく部活と進路指導の負担が大きいです、公立中学校や底辺高は生徒指導の困難さもあります それらをやる教員とやらない教員の不公平感も半端ないです 結構皮肉を言ったり、ギスギスしてましたね 民間の部活指導や、塾との連携も導入してもいいと思います
制度設計や予算が課題にはなるとは思います
▲11 ▼0
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個々に集まってるコメだけから見ても、教科的知識・学力以外に、 「対・親も含めたコミュニケーション力」「子ども集団に対する指導力」 「児童虐待やネグレクトなども含めた福祉領域の知識」「情報管理能力」「道徳観・倫理観」など、ものすごく多様な能力(つまり職務内容)が要求されている。 単位数を削減して、能力不足のまま現場に放り込むのは逆で、 むしろ求められる職務に対応できるように学ぶ内容を増やすか、 もしくは、教員に要求される職務自体を精選して負担を減らすかだと思う。
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今よりも厳しい条件で免許を取得した人たちで、2009年の制度改革で失効した人も多いのではないですか?自分の親は教育現場にいなかったから、制度変更を知らずに失効扱いになったと聞いている。 その後また改正されて更新制度は廃止され、その後に取得された免許は一生ものとなり不公平感は拭えない。 今度は必要単位の軽減ですか?教科専門知識に加えて、教育心理学、児童心理学など、教員課程は必要単位数がかなり多かった印象で、自分は教員免許を取らなかった。単位軽減は教員不足解消への安易な改正ではないかと疑ってしまう。 そもそも年代によって大量採用と少数採用を繰り返して、年齢構成のバランスを取らなかったからこうなったのではないですか?背景をマスコミは追求して欲しい。
▲9 ▼0
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現在教職課程を取っています。教職論や教育実習は必要だと思うのですが、教育史など教員として必須でないだろうというものまで必修になっていると感じます。そのため、本当に教員として必要な授業内容かの見直しはしていただきたいです。
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論点がズレてる 免許持ってても教員になれず、民間に就職した人達の事をよく考えてほしい。 民間企業での経験を踏まえて、民間企業から派遣できるシステムを作ると、民間企業と学校とのシナジーが発揮させる。また学校の先生になってみて、自分には向いてないと思って民間企業に転職する機会があると、教職にチャレンジしやすくなる
▲26 ▼6
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真のゆとり教育とは、基礎学力をしっかりと身につけたうえでの「プラスアルファ」、つまり授業では扱われないような内容を、生徒が自発的に学ぶところにあります。
ところが、授業内容を凝縮したことで生まれた時間を、本来は探究や自主学習に充てるべき「学びの余白」としてではなく、単なる「余暇」としてとらえる子どもが増えたことが、結果的に学力低下へとつながってしまったのではないでしょうか。
そして、学力が追いつかない子どもたちに本当に必要なのは、単なる学習支援ではなく、保育士のように子どもの心に寄り添い、全体を包み込むような教育だと感じます。そう考えると、「勉強ができること」と「教職に向いていること」とは、必ずしも一致しないのだなあと、しみじみ思います。
▲3 ▼0
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確かに教員不足で困っている訳だが、同時に学校や教員への不満を持つ保護者も少なくないのが現実では?
わがままな保護者が増えたということもあるが、我が子を預ける側の要求水準が高いのも理解はできる。
とすると、教員になりやすい施策が正しいと言えるのか?これまでの養成課程でも批判されているのに、なりやすいから教員を選んだ人が現場に出た時に耐えられるのか?
文科省はそこのところも良く検討した方が良いと思うのだが。
明らかに理不尽な保護者の排除と人とのつきあい方を良く教えてあげて方が、教員増に繋がると思う。後は給与でしょう。
▲54 ▼13
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クラス担任を持つ教員の手当をもっと手厚くすべきです。両方を経験しましたが、クラス担任は事務作業10倍、授業も全教科、クラス内トラブル対応、連絡、通信表の所見等、クラスを持たない先生の10倍くらいやることあります。年度途中で休むのもほぼ担任の先生です。給料に差をつけてあげないと可哀想です。
▲57 ▼8
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なんかズレてるんだよね。 なりやすい環境ではなくて、なりたい環境を整えるべきでは? 最近はワークライフバランスが重視される中で教師の勤務体制は時代に逆行してるようにしか今の若者には見えないでしょうね。 運動会等のイベント対応専門の事務員を配置して教師の残業を無くす事や、 時短勤務や週4勤務を子供の有無関係なく自由に選べるといいのでは?
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いや、方向性が違うだろ。 教員の質を落としてはダメ。必要なのは教員として働く環境の充実だと思う。 校務が多く残業が当たり前なのに残業代が出ないなど、労働環境として劣悪。 未来の社会を作る人材を育てる重要な仕事なんだから、もっとお金をかけるべき。 それこそ優秀な人が教員を目指したくなるような環境を整えれば、それだけで自然と解決する。
▲9 ▼0
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教職をとるためには,学部の卒業と関係ないところで30単位くらいはとらなければならず,それらは卒業に必要な単位としてはカウントされない。 学生にとってかなり重荷であることは確か。
この改革だけで満足してはいけないことは確かで,苦情対応,問題児対応などは専門職を用意すべきところまで来ており,そういう対策も必要。
▲1 ▼3
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どうなんだろうか?教師の成り手がないから教育課程を少なくして免許を取りやすくして成り手を増やす考えは無茶苦茶だ。 医者や看護師にそれしたらどうだろう。教育を教師を馬鹿にしてるように感じます。教育は国の要だと思います。教員免許を取りやすいハードルを下げ、教員を増やすのではなく、待遇改善がだいじだと思います。やりがいをもてる教育、教員の待遇改善を考えてほしい。こんな安直なら考えしかできないこと自体ちょっと日本の先行きに危機感を感じます。
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私の息子は市立小学校の先生しとるんだが昨年子供が産まれたので嫁は1年育休中。息子は4月から担任を外してもらい8月末まで育休中。普段でも帰宅は平均7〜8時ぐらいで土日は完全休業。年収は約600万強とのこと。唯一の悩みはモンスターペアレンツと。昔と違って一般の中小企業と比べてもそんなに悪い条件とは思えないんだよね。本人も天職と思ってる。中学校は全く別物だろうけど。昔はいざ知らず今は小学校の先生は楽しいらしい。(あくまで個人の感想)そんな面の報道もあってもいいのでは。マイナスだけなら志望するひと減るだけ。
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教員のなり手不足解消として簡単に免許が取れるようにするというのはどうかと思うね。 取って教員になったらもう免許の更新はしなくて済んでいるという制度もどうかと思うよね。 だから教員の質が低下しているわけだよね。 免許の更新には研修を受けて試験に合格する必要があるという制度を導入してほしいよね。 その代わりに給与を引き上げるということだよね。
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教員免許とりましたが、単位取得の大変さに教職課程を受ける人は最終的に4分の1まで減っていました。不真面目な学生さんたちは振り落とされた気がします。あとは真面目な子で辞めた子たちは、教員採用試験が合格できる気がしないから、一般企業に就職した方が安泰だから 就活との両立ができるきがしないから等の理由でした。
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経験者ですが、正直20年以上前でも教職課程の単位数はそれほど多いと思いませんでした。教員養成課程なら普通に通学し、テストにパスすれば単位は取れます。他の学部と変わりません。 それよりも採用されてからの給料の低さ、能力に関係ない年功序列の昇給に嫌気がさしました。 特給法により残業手当は一律給与の4%。どんなに残業しても、定時で帰ってもです。 だから親から評判が悪く、会議中でも定時に帰り、適当な授業しかできなくても、鋼のメンタルと致命的な問題行動を起こさない教員だけが残っていく。 一方で一生懸命取り組んでいる教員は、比べられるのが嫌なダメ教員の妨害やできない教員の仕事を代わりに行い、疲弊して身体を壊す。 いい加減やりがい搾取をやめないと教員なんか増えません。 残業手当がまともに出ないなんて今時ブラック企業でも少ないのではないでしょうか。
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教員免許は持っていますが、心身共にタフじゃないと務まらないなと他の仕事(子ども相手ですが)を選びました。 我が子達がもう少し手がかからなくなり、仕事量や拘束時間も見直されるようなら、先生として働くのもいいなと子育てをしながら思っているところです。子どもは可愛いので。 そのような家庭(我が子育て)を優先してきた免許を持て余した中年も多いと思いますよ。
▲3 ▼0
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なぜ政府の政策はここまでズレているのか。毎回唖然とさせられる。
教員として学ぶべきことを減らした結果、何が起こるのか?教員の質がよりバラつく。つまり「相対的に教員の質が下がる」=「子どもたちの受けられる教育の質が相対的に下がる」。子どもたちに迷惑をかけ、かつ現場が疲弊していく一方です。
もし教員養成課程が実践的でないということが問題なのであれば、様々な形の実習を充実させるための予算をしっかり確保して、即戦力になる教員を確実に育成すること、彼らが疲弊しないような学校の仕組みを作ること、そういう方向に改革の舵を切るべき。
▲3 ▼1
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単位を減らすのではなく、教職課程の単位の内容の見直しが必要です。
テクノロジーは指数関数で向上します。 ※多くの人には指数関数のインパクトが理解できないと言われています。
AIの進歩により、今後の教育では教科教育は不要ですから。 むしろ、人間教師の一斉授業は生徒の勉強の邪魔。 生徒が30人いれば、最適な難易度・速度・教え方が違うのは当たり前なので。 AIは教科の質疑応答のみならず、主体性や素行など人間には不可能な次元から学校システムを改善します。
このようなAI時代の教育を担う人材を育成する教育課程にしなければなりません。
私は現教員、元半導体技術者(国家プロジェクトを担った世界初の開発で特許を取得)。 全国規模のプレゼンや大学での講義、YouTube等で教員教育でも実施。
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教員ですが、この措置はおかしい。質を落とす行為であり、志望者増にはつながらない小手先だけの政策である。ただでさえ、近年教員の質の低下が進み、現場は混乱しているのが実情です。これ以上は学校が崩壊します。もっと根本的な職場環境整備や、労働環境整備、待遇改善などが求められているのです。国、教育委員会のやることなすこと現場の邪魔にしかなっていないのが実情なので、考え直すべきです。
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東京都の小学校の新規採用者は1年で100人近く辞めてるから、サポート体制が必要。
未経験でもベテランと同じ業務量を同じペースでこなさなければならないのは負担が重い。 単学級なら、なおさらキツい。
メンター制度があっても、話を聞くだけなら要らないし、メンターも仕事が増えて面倒なだけ。
定年退職した校長が新規採用者の指導者になっても、ガイドブック渡して終わりだから、必要ないし、未経験で何をすべきか分からないのに、聞かないと教えてもらえない環境なら、辞めて当然。
現職の担任を持たない教科専門の教員が新規採用者が担任するクラスの副担任になって、指導するのがいい。
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私は免許取得のハードルを下げるのは賛成です。単位取得で免許が与えられるものなので、免許が教員の質を表しているものではないと考えています。 もちろん最低限の学んだ証は必要ですが。免許取得者を増やし、教員の世界に行こうとする人を増やせば採用試験の競争率も上がって、少しでも質の高い人を採用できるチャンスがあるのではないでしょうか? その上で、皆様が仰っている採用後の研修・教育を充実することではないかと思います。卒業してすぐに教員として児童・生徒の指導にあたるなど、民間企業では考えられません。 そもそも、根本問題として教員働かせ放題に実態を解決しなければ、ものすごい情熱を持った人と他で就職の無かった人しか教員にならないのは避けられません。そして、情熱の高い人ほど現場で壊れていくというのが実情じゃないでしょうか?
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自分の学生時代よりもいまの教職は必要単位が多すぎ、夏休みは集中講義だらけになる。 さらに中高教育免許とろうとしたら中学と高校とそれぞれに教育実習にいかなくてはならない。就職活動も、となると卒業研究に取り組める時間はかなり少なくなる。 入学時は教職とりたいといっていた学生さんが途中でやめてしまう率、非常に高いです。
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多くのコメの通り、教育の質の低下リスクしかない。粗悪な教師を増やしても、優秀な国民は育たない。政府や文科省の連中がどれだけ愚かな人材がそろっているのか、よくわかる政策です。やるべき事は、増やす事より、質の高い教育を行う事。IT設備が発達した時代です。優秀な教師と内容のわかりやすい教材、教育システムを構築し、無駄のない新しい教育を実施すべきです。一般社会で役立つ知識を主軸に置く事も重要。軍事訓練基礎、近代日本史、軍事国防、政治、経済、金融、法律、実用IT、DIYです。日本の教育に最も欠けている部分です。美術、音楽、漢文や微分積分代数幾何は全く必要ない。
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これ以上教員の質を落としてどうする。
教員が少なくなるので、問題のある教師を弾く免許更新制度を止めちゃうし。 学生からだけでなく、教師になれる多様なルートをつくるとか、教員OBを活用するとか、抜本的な改善をした方がいいと思う。
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教職課程の必要単位の見直しは徹底して進めるべきです。大学全体が定員削減を進めているのに、教育学部の教員数はほぼ聖域です。教職課程のため必要な教員定数が法定されているからです。他の学部よりも圧倒的に恵まれています。教科なんて文学部や法学部の教員と研究内容がかぶっていたりする。それらの学部では定員ががんがん削られているのに、日本国憲法(試験に絶対必要)など教育学部生のために提供させられるものもある。
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息子が大学3年ですがまさにこの問題で苦慮しているようです。 「他学部では通常の授業に加えて教職課程の授業を受ける必要があり」 文学部の息子は文学部の単位取得以外に教職課程の単位取得とダブルで課されており他の生徒の1,6倍くらいの単位数を取らないといけないそうです。 かなり忙しいと言っております。 例えば商学部や経済学部に所属している学生も同じ問題を抱えています。 教育学部の生徒ならもっと楽だったんだろうけど。
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