( 294022 ) 2025/05/26 04:25:58 0 00 ※写真はイメージです - 写真=iStock.com/Alla Tsyganova
5月18日、19日の2日間、天皇、皇后両陛下の長女、愛子さまが、能登半島地震の被災地、石川県を初めて訪問された。神道学者で皇室研究家の高森明勅さんは「敬宮殿下はここでも『世界平和』というキーワードを自然に口にされている。昭和天皇、上皇陛下、天皇陛下のお気持ちを誰よりもまっすぐに受け継ぎ、その重みを深く心に刻んでおられることが表れている」という――。
■初めての被災地訪問
5月18・19日にかけて、天皇皇后両陛下のご長女、敬宮(としのみや)(愛子内親王)殿下が、昨年元日の能登半島地震で大きな被害を受けた石川県にお出ましになった。目的地は深刻な被害がありながら、まだ天皇皇后両陛下がお入りになれていない七尾市と志賀町だった。
両陛下は昨年、1年のうちに石川県を3度も訪れておられる。3月22日に輪島市と珠洲市、4月12日に穴水町・能登町、12月17日に輪島市というご日程だった。
限られた期間に同じ被災地域に繰り返し入られることは、平成時代にもなかったことだ。両陛下の強いお気持ちが伝わる。
敬宮殿下が被災地を訪問されるのは、今回が初めてだ。
よく知られているように、もともと昨年9月に同県を訪れるのが、敬宮殿下の地方での初めての単独のご公務になるはずだった。しかし、直前に豪雨災害があったために、お出ましは中止せざるを得なくなった。この時のご訪問は、殿下ご自身の強いご希望によるものと伝えられていた。それだけに、現地の人々はもちろん、敬宮殿下にとっても残念だったに違いない。
■「被災地に心を寄せ続ける」
敬宮殿下はご成年を迎えられた時の記者会見(令和4年[2022年]3月17日)で、次のようにおっしゃっていた。
---------- 「皇室は、国民の幸福を常に願い、国民と苦楽を共にしながら務めを果たす、ということが基本であり、最も大切にすべき精神であると、私は認識しております。『国民と苦楽を共にする』ということの一つには、皇室の皆様のご活動を拝見しておりますと、『被災地に心を寄せ続ける』ということであるように思われます」 ----------
敬宮殿下はかねて、「被災地に心を寄せ続ける」ことが皇室の大切な役目の一つである、と自覚しておられた。だから殿下は、昨年はいったん中止を余儀なくされたものの、「またいつかチャンスがあれば」と願っておられたという(敬宮殿下とテニスを通じて交流がある元プロテニスプレーヤーの佐藤直子氏の談話)。
このたび、いよいよ石川県へのお出ましが決まった。そのご心中は、拝察するにあまりある。
しかし18日は日曜日で、日本赤十字社に常勤で勤務される敬宮殿下にとって、この日は貴重なお休みのはずだ。それでも休日返上で、被災地にお入り下さった。
■愛子さまフィーバー再び
18日当日、金沢駅の周辺では、敬宮殿下のご到着を待つ多くの人たちが、早くから詰めかけていた。昨年のお出ましが中止された事情もあり、「待ちに待っていた」という声も聞かれた。
敬宮殿下はご訪問のスタート時点から大歓迎を受けられた。
現地の実情について説明を受けられるために県庁に移動された時も、県庁前には大勢の人が集まった。殿下が到着してお車から降りられると、一斉に「愛子さまー」という声が上がった。この後も、現地では大阪・関西万博へのお出ましに続いて、「愛子さまフィーバー」が起きた。
市内の沿道には約1000人もの人たちが集まって出迎えたという。
七尾市は、能登半島地震で震度6強を観測し、これまで災害関連死を含めて53人が亡くなり、34人が重傷を負い、3人がケガをした。住宅の全壊被害は500件以上で、損壊被害は約1万7000件にのぼった。水道も被災後はほぼ全域で断水するなど、多くの人が苦しんだ。
いまだ復興の途上にある被災地に赴かれた殿下は、万博会場を視察された時とは異なり、皇女としての品格を保たれながらも、華美な服装を避けておられた。現地の人々への殿下の奥ゆかしいお心配りが察せられる。
■膝をつき目を合わせて
七尾市の仮設住宅団地の集会所を訪れられた時には、高齢者たちがイスに座って身体を動かす健康体操をしている様子をご覧になった。その後、直接、その人たちにお声をかけられた。腰を下ろし片ひざを床につけ、目を合わせて穏やかにお話をされた。
高齢者に配慮したマスク越しながら、殿下のお優しいまなざしから、お気持ちは十分に伝わっただろう。その際、災害当時の辛かった体験を思い出させるような話題は避けて、今の生活の楽しさを引き出すような会話をなさっていたのは、誰にでもたやすくできる配慮ではないだろう。
殿下との楽しい会話から、周囲の人も声を出して笑う場面が見られた。
■ご公務前の入念な準備
2日目に志賀町を訪れられた時も、沿道で大勢の人たちが出迎えた。
志賀町では20人が亡くなり、今も356戸の仮設住宅で被災者が暮らしている。
ご案内にあたった稲岡健太郎・町長は、敬宮殿下から聴いた話として、志賀町の“町の花”のハマナスは皇后陛下の「お印」なので親しみを感じていただいた、と喜んでいた。殿下はあらかじめ、わざわざ町の花も調べられ、皇室との接点をご自身で見つけておられたのだ。
殿下はご公務に臨まれる際に、入念に事前の準備をされることが知られている。このハマナスの件も、まさに事前調査のたまものだろう。
本当なら、敬宮殿下をお迎えする側の町長の方が事前に調べて、ハマナスが皇后陛下のお印である事実に先に気づくべきだったかもしれないが……。
■選手の1人に「今日はお誕生日ですね」
敬宮殿下の事前準備については、今年2月2日に行われた「天皇杯 第50回記念 日本車いすバスケットボール選手権大会」を天皇皇后両陛下とご一緒に観戦された時のエピソードがある。
優勝チームの1人の選手に「今日はお誕生日ですね」とおっしゃったというのだ。その選手はもちろん、他の選手たちもみんな驚いたという。
殿下がその選手の誕生日をご存じだったということは当然、他の選手の誕生日も知っておられるに違いない。さらに誕生日だけでなく、選手それぞれのさまざまな事柄も(しかもどのチームが優勝するか分からないので他のチームの選手についても)こまかく知った上で、この日に臨まれたことを意味する。
殿下に、そこまで気にかけていただいた選手たちの感激は、いかばかりだったか。
おそらく殿下の事前準備の大変なご努力のほとんどは、誰にも知られないままご公務が終わっているはずだ。しかし、そのご準備があればこそ、初めて会う人たちにも行き届いた配慮ができ、限られた時間の中でも大きな励ましと安らぎを与えることができるのではないだろうか。
■「中長期的な支援も不可欠」を実践
さらに、通りすぎるお車の窓を開けて、車内から精一杯お手を振って沿道の人たちに応えられるお姿からも、現地の人たちにお心を寄せようとされる敬宮殿下の懸命さは、おのずと伝わるのではないだろうか。だからこそ、沿道でお迎えした1人はこんな感想を述べていた。
「(お迎えできて)嬉しかった。元気をもらえました。被災地にいて、これからも頑張ろうと思えたし、勇気を持てた」(理容店経営の大畠広子さん)
殿下は5月3日に開催された「第23回世界災害救急医学会」での初めての公式なご挨拶の中で、災害医療について次のように言い切っておられた。
「被災者の心のケアを含む健康維持のための中長期的な支援も不可欠です」と。
“不可欠”というのは皇族のおことばとしては強い表現だが、今回の敬宮殿下の石川県ご訪問は、まさにご自身でそれを実践されたことになる。
■ご公務とお仕事の理想的な融合
とくに注目したいのは、今回のお出ましでは、皇族としての「ご公務」と日本赤十字社の嘱託職員としての「お仕事」との、“理想的な融合”が実現していたことだ。
殿下のご希望で初日には、当初の予定にはなかったとされる地元の金沢大学のボランティアサークル「ボランティアさぽーとステーション」のメンバーとの懇談の機会が、持たれた。学生たちとの会話の中で、ボランティアの最前線の声に直接触れられるとともに、適切なアドバイスもされていたようだ。
殿下にお会いしたメンバーの1人は、次のように語っていた。
「すごく実務的なことを御質問されたので、ボランティアに関心がおありになって、どうやってご自身の(日赤での)業務に生かされていくのか、すごく熱意のようなものを感じました」と。
■ご自身の意欲のあらわれ
また2日目に志賀町の災害ボランティアの受付会場にも立ち寄っておられた。そこでは、ボランティア受け入れ現場の実情とボランティア支援活動の内容について、つぶさに説明を受けられている。
これらは、日本赤十字社でのご自身の職務にかかわる貴重な情報の収集であるとともに、皇族としてのボランティアやその支援活動に携わる人たちへの力強いお励ましでもあったと言える。
このような、ご公務とお仕事の自然な融合が可能なのは、どちらも“外から”与えられた義務ではなく、敬宮殿下ご自身が1人の人間として、また独立した人格として、自ら意欲を持って、自発的にご活動に取り組もうとされているからにほかならないだろう。
■公務に対する捉え方の違い
皇室のご公務については、おもに「受け身」のものとする考え方もある。たとえば秋篠宮殿下は、以下のように述べておられた。
---------- 「私は公務というものはかなり受け身的なものではないかなと。こういう行事があるから出席してほしいという依頼を受けて、それでこちらもそれが非常に意義のあることであればそれを受けてその務めをする。私自身はそういうふうに考えて今までずっと来ています」(平成16年[2004年]のお誕生日に際しての記者会見)
「(悠仁親王殿下のご成年後に)いろいろなところから(公務の依頼の)声が掛かることが予想されます。そのときに、声を掛けていただいたものに関わるときには一つ一つ大事に思って丁寧に取り組んでほしい」(令和6年[2024年]のお誕生日に際しての記者会見) ----------
これはもちろん、ご立派なお心構えだろう。
しかし、天皇陛下の場合、ご公務の捉え方が少し異なるように思える。次のようにおっしゃっているからだ。
■「国民を思い、国民に寄り添う」
---------- 「国民を思い、国民に寄り添う点で、災害で被災された方々、障害者や高齢者、あるいは社会や人々のために尽くしてこられている方々にも心を寄せ、ねぎらい、励ましていくことはとても大切なことです。それは、私と雅子二人の自然な気持ちであるとともに、皇室としての大事な務めでもあると思います」(令和3年[2021年]のお誕生日に際しての記者会見) ----------
ここで注目すべきなのは、「国民を思い、国民に寄り添う」ということが、「皇室の大事な務めである」よりも“前に”、まずご自分たちの「自然な気持ちである」とされていることだ。
単に外から「依頼を受けて」とか「声を掛けていただいたもの」というだけの“受け身”の務めではなく、自らの「自然な気持ち」つまり主体性、内発性こそが、重視されている。
このたびの被災地にお出ましになった敬宮殿下のなさりようを拝見すると、まさにご自身の「自然な気持ち」に裏打ちされたお振る舞いとしか受け取れない。だからこそ、「言葉にならないくらい感激しました」(今も仮設住宅に住んでいる女性)といった感想が自然に出てくるほど、現地で大きな感動の渦を巻き起こすことができたのではないだろうか。
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