( 294902 )  2025/05/29 06:43:31  
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小泉進次郎・農水相が打ち出した施策はコメ価格下落につながるのか(時事通信フォト) 

 

 5月12日から18日までに全国のスーパーで販売されたコメ5キロあたりの平均価格は過去最高となる4285円となるなど、終わりの見えない「令和の米騒動」。「コメを買ったことがない」の失言で江藤拓農水相が辞任し、後任には小泉進次郎氏が就任したが、はたしてコメ価格は落ち着くのか。緊急対策として政府備蓄米の新しい放出方式を打ち出したが、そこには大きな落とし穴も潜んでいる──。イトモス研究所所長・小倉健一氏が解き明かす。 

 

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 コメ価格が記録的な高騰を続け、国民の食卓に重くのしかかる中で、新しく農林水産大臣に就任した小泉進次郎氏が緊急対策として打ち出した政府備蓄米の新しい放出方式が注目を集めている。これまでの競争入札を取りやめ、国がスーパーなどの大手小売業者を直接選んで売り渡す随意契約という仕組みである。 

 

 農水省が公表(5月26日11時)した資料によると、この新しい方式の対象者は年間1万トン以上のコメを扱う大手小売業者(見込み含む)であり、POSデータの情報提供への協力も求められる。売り渡される数量は令和4年産米20万トンと令和3年産米10万トンの合計30万トンであり、買戻し条件は付されない。随意契約の方法としては、国が提示した販売価格(売渡価格)で販売し、8月までに消費者に提供される分を申し込み、毎日先着順で受け付け、契約・販売が行われるという。売渡価格は年産によって異なるが、加重平均では60キロあたり税込み1万1556円と設定されている。 

 

 資料の注釈には、この価格が一般的なマージンを考慮し、既存在庫とブレンドしないと仮定した場合に、小売価格が5キロあたり税込み2160円程度となる水準であると明記されている。早ければ6月上旬にもこの価格帯の備蓄米が店頭に並ぶ見込みだという。 

 

 このような、国が直接売り渡し先を選び、具体的な小売価格目標を見据えた価格を設定して市場に介入するやり方には、多くの懸念も寄せられている。見かけ上の価格引き下げが、長期的に見て日本の農業やコメ市場に歪みをもたらさないと言えるのだろうか。進次郎農水大臣の手腕が、一時的な喝采を浴びるだけのパフォーマンスに終わらず、真の意味で日本の農政を改革する突破口となるのかどうか、その道のりには多くの困難と不確実性が潜んでいる。 

 

 

 特に、市場原理を無視した政策介入は、これまで日本の農業が抱えてきた構造的な問題、すなわち補助金や関税といった非競争的な手段による過保護がもたらした弊害をさらに深刻化させる恐れがある。市場の自由な競争が農業の成長と効率性を高めるという国際的な研究の知見に反する政策は、結局「亡国の道」へと繋がるのではないかという懸念が拭えない。 

 

 この新しい放出方式は、法律の専門家からも疑問の声が上がっている。主要食糧法の目的は、政府備蓄を通じて「米の供給が不足する事態に備えること」と明確に限定されており、政治的な価格操作を目的とするものではない。ジャーナリストの浅川芳裕氏は自身の論考(note、5月24日)の中で、小泉農水大臣による備蓄米の価格指定が、主要食糧法の制度趣旨を逸脱した「脱法的な介入」であると断じている。主要食糧法の「価格の安定」という目的は、恣意的な価格操作を正当化するものではなく、需給全体の整合的な調整を通じて安定供給を図ることで達成されるべきものだという指摘は重い。 

 

 今回のように、大臣交代という状況下で政治的なアピールを意識して設定された価格が市場を歪めるような運用は、制度趣旨に反するという批判は正当であろう。行政の裁量権を逸脱したこのような行為によって、農家や流通業者が不利益を被る可能性も否定できず、取消訴訟や国家賠償請求訴訟といった法的リスクすら浮上する。市場の需給に応じて自然に形成されるべき価格に対し、政府が一方的に低い価格水準を指定し、事実上の相場形成に介入することは、経済的損失を被る農家にとって経営の安定性を根幹から脅かす行為となる懸念もある。 

 

 備蓄米の放出によって、本当に市場価格全体が目標通りに下がるかどうかも不確実である。農水省が公表した資料は、販売価格が5キロあたり2000円程度となるよう売渡価格を設定したことを示しているが、これは「一般的なマージンを考慮し、既存在庫とブレンドしない前提で試算した場合」の試算価格に過ぎない。実際の流通においては、業者のコスト構造や、他の在庫とのブレンドなど様々な要因が影響する。 

 

 

 さらに、市場関係者の間からは、政治的な価格介入が予期せぬ副作用を生む可能性も指摘されている。ある農水省関係者は、このような状況に対する懸念を以下のように語った。 

 

「もし、本当にお米の値段がドーンと下がったら、JAはじめ、今年から米を高値で仕入れている流通業者や食品メーカーなんかは、みんな大損を抱えることになります。せっかく高い金出して仕入れたのに、急に安売りしろと言われても……。となると、彼らは大損して安値で手放すよりは、政府備蓄米の放出が終わって、またお米が高くなった時になるまで、倉庫に寝かせて様子を見ることになるでしょう。そうなると、市場に出回るコメの量が逆に減ってしまって、結果的にまた高値になるってことも考えられるわけです。 

 

 その間、保管料やその他の経費もどんどんプラスされていく。政府が今回出す備蓄米の数量は、日本のコメ流通全体から見れば、実はそこまでものすごく大きい量ではないので、影響は軽微なんじゃないかと思われる節もあるんだけど、市場の動きは本当に神経質で、政治が変なボールを投げ込むと、何が起きるかわからない。関係者はみんな固唾をのんで見守っている状況です」 

 

 このコメントが示唆するように、政治的な価格介入は市場参加者の経済合理的な行動を歪め、かえって市場の供給を停滞させるリスクを孕んでいる。高い価格で仕入れた業者が損失を回避するために売り惜しみをすれば、低価格の備蓄米が放出されても、他のコメの流通が細くなり、結果として価格が再び高騰するという皮肉な結果を招く可能性も否定できない。 

 

 日本の農政は長年にわたり、過度な保護と行政の統制によって、農家や流通業者の自立した経営努力や市場競争力の向上を妨げてきた歴史がある。補助金や関税といった非競争的な手段は、国際競争から国内産業を隔離し、革新を鈍らせた。市場の自由な力が農業成長に正の効果をもたらすという世界の知見に背を向け、今回のように価格への直接介入という、市場経済とは相容れない手法に頼ることは、日本の農業が抱える構造的な問題をさらに根深くする危険な道ではないか。 

 

 国民の不安を解消するという緊急性は理解できるが、市場原理を無視した弥縫策が、長期的な市場の歪みや混乱を招き、「亡国の道」につながるのではないかという懸念は深まるばかりである。 

 

【プロフィール】 

小倉健一(おぐら・けんいち)/イトモス研究所所長。1979年生まれ。京都大学経済学部卒業。国会議員秘書を経てプレジデント社へ入社、プレジデント編集部配属。経済誌としては当時最年少でプレジデント編集長就任(2020年1月)。2021年7月に独立して現職。 

 

 

 
 

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