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「こども食堂から一線を引く」 《こども食堂》の名付け親が決意した背景 ボランティアでできる支援には限界がある

東洋経済オンライン 5/30(金) 9:02 配信

https://news.yahoo.co.jp/articles/ee52876a04ce3acfbde7cb6b0347473670e1fad7

 

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全国で1万カ所以上の「こども食堂」が存在する。

地域のボランティア活動で子どもたちに無料または低額で食事を提供する場所で、その認知度は広まりつつある。

しかし、この活動では子供たちの貧困問題が解決されないことに近藤博子氏が気づき、一線を引くことを決意した。

彼女は13年前から「だんだん こども食堂」を運営しており、子供の貧困問題を社会に訴えてきた。

彼女は個々のケースに対応し、地域の支援を求めているが、困難や課題もあると述べている。

(要約)

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「こども食堂」名付け親の近藤さん(写真:近藤さん提供) 

 

 「こども食堂」が全国で1万カ所を超えたという。地域のボランティアなどが運営する、子どもが無料あるいは低額で食事ができる場所だ。 

 

 著名な俳優が「こども食堂」を訪ね、子どもたちに促されて一緒に食事を摂るACジャパンの広告は、テレビだけでなく、電車の中の広告などでも目にする。それほど「こども食堂」は社会に定着しつつあるのだ。 

 

 そんな中、「こども食堂」の名付け親で、13年前に東京都大田区で、「気まぐれ八百屋だんだん」の店主として「だんだん こども食堂」を始めた近藤博子さん(65歳)は、この春「『こども食堂』の大きな流れからは、一線を引く」とfacebookに投稿した。 

 

 近藤さんはこれまで機会をとらえて、子どもたちの窮状を社会に伝えてきた。近藤さんは、2023年に第57回吉川英治文化賞を受賞。2024年9月には、首相就任直前の石破茂氏が、「だんだん こども食堂」を訪れ、レクチャーを受けている。なぜ一線を引くことを決意したのだろうか、近藤さんに話を聞いた。 

 

■こども食堂の認知は広がる一方で… 

 

 ――「こども食堂」から一線を引く決意をされたのは、なぜなのでしょうか。 

 

 「こども食堂は子どもの貧困解消に役立つ、良いことだ」というイメージが広がりすぎています。企業も、こども食堂に寄付をすることで、子どもの貧困対策に貢献しているというイメージが生まれています。 

 

 でも、月に1度や2度、あるいは週に1度、食事を提供しても、おコメを2キロ、3キロ渡しても、子どもの貧困は何も変わりません。これまでこども食堂を続けるなかで、子どもの状況はますます苦しくなっている現状を目の当たりにしました。 

 

 子どもの貧困は、国や自治体が、親の就労問題や、子どもの教育問題、住宅問題などに真剣に取り組まなければ解決しません。 

 

 ――そもそも「だんだん こども食堂」をなぜ始めようと思ったのでしょうか。 

 

 私の本職は歯科衛生士です。結婚後、大田区に住み始めました。「歯と健康と食」に関心があったことと、家庭の都合で正規の勤務からパートに変わったことで、「気まぐれ八百屋だんだん」を始めようと思いました。 

 

 買い物に来る人たちと、身の上話やいろいろな話をしているうちに、「気まぐれ八百屋だんだん」は大人や子どもの拠り所のようになり、民間の文化センターみたいになりました。 

 

 その一方、地域にお腹をすかしている子どもや本当に困っている人がいることもわかってきました。 

 

 

 2010年には近所の小学校の副校長が店に買い物に来て、ある児童の母親に精神的な不調があり、その子は学校給食以外は1日にバナナを1本しか食べていないという話を聞きました。 

 

 先生と、その子とこの店で食事ができたらいいねという話になり、地元の知人たちに声をかけて、「子どもが1人で入っても怪しまれない食堂」というコンセプトで「こども食堂」を始めました。その児童は、施設に行ってしまいましたが。 

 

 最初は、あくまでも子どもと一緒に食べられる場所ということで、支援が目的ではありませんでした。状況が変わったのはコロナの時期を通してです。 

 

 大変な人のために何かするという雰囲気が急に社会に広がった。国からもそういう活動に一時支援の助成金が出るようになりました。皆がそちらに向かって活動の舵を切ったという感じです。 

 

■こども食堂の基盤は脆弱 

 

 ――こども食堂は急増しました。なぜだと思いますか?  

 

 食事を作って一緒に食べる、お弁当にして渡すというのは始めやすいのだと思います。それから、お腹をすかしている子どもがこんなにいると思わなかったということもあると思います。子どもたちのために何かをやりたいと思う人がたくさんいるということでもあるのかもしれません。 

 

 ただ、こども食堂の基盤は脆弱です。お金にも人にも困らないところはごくわずかです。こども食堂の助成金もありますが、1万カ所もあると、なかなかの競争率です。 

 

 申請書類を気軽に書ける人ばかりではありません。自分の生活も大変で、仕事に行きたいけれど、あの子が来るから場所を維持しなければというところがあります。中には、ACのコマーシャルを変えてほしいという方もいます。あのおかげで来る人が増えてしまった。自分たちのキャパを超えているというのです。 

 

 それなのに、寄付や助成金が集まって、「こども食堂」は儲かると思われている場合もあります。広告を見た女性が、息子が離婚したので、中学と高校の孫たちが春休みにここにご飯を食べにきてもいいかと聞きにきました。どこからかお金をもらっているのでしょうと。 

 

■運営する中で困るケースも 

 

 困難な事例を抱えて困っているところもあります。母子関係が難しいご家庭があって、子どもがいろいろ話してくれるけれど、児相には行きたくないという。何度か児相に行ったが、同じことしか言わないからと。そう言われてお友達の家に泊めてしまえば、お母さんから誘拐したと言われてしまう。 

 

 

 怖い思いをすることもあります。ギャンブル依存の人が、私が1人でいる時にフラッと現れるのです。食べるものをくれと。ちょっと怖い。警察を呼びますよと言わなければならないこともあります。ただ、そう言うと逆恨みされることもありますよね。 

 

 ――今、こども家庭庁はさらに地域の子どもの居場所づくりを呼びかけています。厚生労働省は、高齢者・障害者・子ども・生活困窮の分野でそれぞれ行われていた相談支援・地域づくりを一体的に実施する重層的支援体制整備事業を民間の力を巻き込んで進めています。 

 

 地域力、居場所作りといいますが、そんな生やさしいものではないです。そういうことを行政の方も知ってほしい。あなたたちはお仕事ですが、私たちはボランティアだということを忘れないでほしい。こども食堂は行政の下請けではありません。 

 

 ハードなケースに関わってしまったら、いつまで続ければいいのか。ハードなケースだからといって、必ずしも上手に児相や区につなげることができない。大変なご家庭の子どもの支援は、行政や学校と情報共有しないと難しいです。しかし、行政は縦割りです。児童相談所と、区の子ども家庭支援担当課や生活保護担当課との連携がいいとは限らない。 

 

 また、地域には町会や商店会など既存の団体があります。自治会長や保護司、民生委員など、肩書きがある方たちもいる。こども食堂は地域の新参者で、なかなか関係を作りにくい。日本の体制って、国民をタダ働きさせるようにできているのではないかと思うこともあります。国民の善意を利用して、これはいいことですから、みんなで頑張ってください。頑張りましょうと。あおってきたんだなと私は思います。 

 

■地域に密着した行政が生まれてほしい 

 

 ――近藤さんは、どのような地域と行政のあり方が理想的だと考えますか。 

 

 地域に密着した行政が生まれてほしいです。夏休みに給食がないので「こども食堂」に頼むのではなく、行政が調査をして、大変なご家庭に、おコメを配ったり、お弁当会社と契約をしてお弁当を配ることもできます。 

 

 大田区には、社会福祉協議会の職員として、地域福祉コーディネーターが置かれています。ただ、人口約75万人に対して15人。まったく足りません。 

 

 

 地域でネットワークを持って活動している人たちに謝礼金を出して、サブコーディネーターとして一緒にケース会議をするなど、きめの細かい対応をすれば、しっかり仕事をしてもらえるのではないでしょうか。大田区では直近で税収が上がっているそうです。だったら、子どもにお金を使ってほしい。 

 

 私は最初からこども食堂はなくなればいいと思っていました。いつ辞めてもいいようにしないと。今抱えている家族は行政に返せばいい。別のこども食堂につなげばいい。それよりも、お隣さん同士がもう少し気を遣いあって、地域を作るほうが大事だと思います。多く作りすぎた煮物や頂き物の野菜を届けるとか。少しの間子どもを預かるとか。それが、ボランティアとしての範囲でできる地域力だと思います。 

 

 私自身は地域教育連絡協議会の委員になっているので、スクールソーシャルワーカーの方にだんだんにきてくださいと伝えることがあります。副校長先生や、担任の先生とも話しやすい。学校の中だけでは対応が難しいことを外から支援することはします。 

 

 ただ、素人的なアセスメントと学校のアセスメント、支援側のアセスメントがなかなかかみ合わないです。多分、当事者も学校と、福祉と、地域とに向ける顔も話す内容も違うんですよ。 

 

■子どもたちのお守りになる場所が必要 

 

 子どもは時間が経てば成長していく。地域のここなら、お父さんやお母さん、先生とは違う大人がいて、話を聞いてくれる。 

 

 子どもたちにそんなお守りになる場所を持たせてあげられればいい。学校に行きにくい日にちょっと顔を出す。それくらいの場所なんです。私もそれが、いつ辞めてもいいと思いながら、続けてきてよかったと思うところかな。 

 

 近藤さんは、こども食堂からは一線を引くが、「だんだんの日」と名づけて食堂を開所するなど、きまぐれ八百屋だんだんの活動は続けていく。 

 

杉山 春 :ルポライター 

 

 

( 295427 )  2025/05/31 05:44:46  
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この記事では、子ども食堂に関する様々な意見が寄せられています。

一部の人々は子ども食堂の存在を支持し、必要な家庭には大きな助けになっていると認識しています。

しかし、他の人々は子ども食堂の利用者には適切な制限が必要だと指摘しており、貧困家庭でないにも関わらず利用しているケースもあるようです。

 

 

さらに、子ども食堂の運営者自身や関係者の中には、本来の目的からは逸れてしまっていると感じる人もおり、運営の難しさや限界を実感している様子が伺えます。

一部の意見では、行政や社会全体で貧困問題に取り組む必要性や、子ども食堂以外の支援方法についての提案もされています。

 

 

子ども食堂は善意から始まった取り組みであり、必要な支援を受けるべき子どもたちにとっては重要な場所であるとの声もあります。

しかし、その運営や利用における課題や限界が指摘される中で、より効果的な支援方法や社会全体での取り組みが求められている様子が伝わってきます。

 

 

(まとめ)

( 295429 )  2025/05/31 05:44:46  
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=+=+=+=+= 

 

頷ける記事だった。 

子ども食堂でご飯を食べることの敷居を低くするために、どんどん利用しようという意見もある。 

低価格だし夕飯を用意しなくてすんだ⋯というネット発信をみた。(裕福な人) 

安く済んだことも、手間暇も誰かの負担になっているわけで⋯ 

そこで食事をして、3千円置いていくという後方支援もあるとは思う。 

 

▲5139 ▼176 

 

=+=+=+=+= 

 

子ども食堂を一度手伝いに行きました。 

小学生三兄弟だけでカレーやデザートのお皿を舐めるくらい綺麗に食べ、ずーっと空のお皿をスプーンですくい続け、おかわりほしいな、、と呟いている子たちもいれば、ママ友で連絡しあって集まっている団体も、、 

大人は300円くらい、子どもは無料でしたが、1人の大人で3人子どもを連れてきて、大人4人前(子どもがたくさん食べるから、と言ってあまりを親が食べる、、)をオーダーすると、300円で4食提供することになる。 

 

他の方のコメントにありましたが、敷居を低くするため・誰でも来ていい と言っても、難しい制度です。 

かと言って、年収が低い証明を出させるとかも出来ないし。 

 

自分でも、どうすべきなのか答えが出ません。 

 

▲3835 ▼64 

 

=+=+=+=+= 

 

実際にこども食堂に関わったことはありませんが、CM等を見るたびに違和感は感じていました。こども食堂は善良な活動だと思いますが、食事が食べられない、家が居場所でなくなっているこどもや大人の課題の解決策にはなっていない気がしています。国や行政が、こども食堂をつくらなくてもいい社会になるための根本的な問題にもう少し着目してほしいと思います。 

 

▲22 ▼0 

 

=+=+=+=+= 

 

家庭や育児の問題は、昔の日本社会では同居する祖父母や親戚や隣近所の人々などが対応して円滑に回っていました。 

今は核家族化が進んでそれらが機能できなくなったのが、この問題の背景にあると思います。 

ボランティアは素晴らしいですが、この時代の変化でうまれた課題のボリュームに対応できると思うのは現実的ではないでしょう。 

そのボランティアにしても、志ある個人の負担と頑張りに頼るしかないのが現実で、それでは長続きしません。 

自然環境のサスティナビリティは良く言われますが、こういう課題でもサスティナビリティが重要であり、こういったボランティアや寄付の点では欧米社会が進んでいるので参考にするもの良いと思います。 

 

▲130 ▼35 

 

=+=+=+=+= 

 

エキスパートの方も書かれていますが、近藤さんの「日本の体制って、国民をタダ働きさせるようにできているのではないかと思うこともあります。」という言葉に尽きますね。 

 

世の中の問題点に気づいて声をあげてくれる方や実際に活動されている方の意見を聞いてボランティアでは手がつけられない根っこの部分を解決するために取り組むのが政治家の仕事じゃないですか? 

 

現場を見に行く、意見も聞くけど、せいぜい支援金出すだけっていう事ではボランティアは続かないと感じます。 

 

そもそも食べていけない人が大勢いるという現実を国は直視しなくてはいけませんね。 

 

日本国憲法には国民は健康で文化的な最低限の生活ができると記されています。 

食べる事が出来ないって健康的ですか? 

国民のなかに食べる事ができない人が大勢いる現状は憲法違反ではないですか? 

こうした現状を解消する事が政治に求められているはずです。 

 

▲51 ▼3 

 

=+=+=+=+= 

 

知人が子ども食堂プラス食料を渡す支援もやっていて子ども食堂に寄付をしている人から支援している家族の年収を調査するように言われた。子ども食堂の主催者としては利用者を疑っているようでやりたくなかったが寄付者の申し出なので仕方なく利用者にアンケートを取った所かなりの世帯が貧困者とは言えない収入だった。結局寄付者の意向で支援の際に収入証明を確認するシステムになったが貧困世帯でないのに善意を利用してお気軽に節約の為に利用する親も多いから大変だよね。 

 

▲2324 ▼28 

 

=+=+=+=+= 

 

私が気になっていたことが記事になっていました。子ども食堂の行き着く先ですよね。 

私は子ども食堂が支援する場所になるのは違うと思っていて、子ども食堂は支援すべき子どもや家庭を見つけ出して適切な行政支援に導いていく場所でないと破綻してしまうと思っていました。依存するようなところになっては意味がないかなと。そこが気になってボランティアに二の足を踏んでました。 

親の状況を聞き出し必要な対応を役場の各課に委ねる足掛かりとして存在し、市井に埋もれた本苦しむ子ども救う場所としてなら意味があると思うし、お手伝いしたいと思いましたが、どうやらうちの地域の子ども食堂は企業が月何回か土曜日に昼食を出すイベントみたいな感じでちょっと違うかなと。 

難しい問題だと思います。隠れたネグレクトや虐待貧困などで苦しむ子どもを助ける手立ては簡単ではないですね。 

 

▲1967 ▼53 

 

=+=+=+=+= 

 

子供食堂があれば助かる家庭も多いとは思うが、それに甘えてしまう家庭もあるだろう 

自分の子供の事は各家庭で責任を持った方がいい 

他人が犠牲になってまで、誰かの子供を面倒見るのむり 

困っている家庭には手当てや給付金もあります 

使い方の問題が大きいと思う 

 

▲1902 ▼70 

 

=+=+=+=+= 

 

この方はこれだけのことを言う権利がありますね。行動した人ですから。 

ボランティアといっても体を動かすだけでなく食べ物を購入する費用が発生するわけですからお金がかかる点でボランティアの範疇を超えています。 

こちらの市ではコロナの時に食料支援がありチラシをもらいましたが行きませんでした。タダでもらえるなら誰でも欲しいですが必要な人にいかなくなるので。しかし、裕福でも図々しくもらいに行く人は絶対いるでしょう。 

 

▲842 ▼22 

 

=+=+=+=+= 

 

善意で始められた事が、その存在が有名になりすぎて規模も大きくなると、本来の目的を果たせなくなってしまい、中には困ってない人までがお金をかけずに楽するためだけに利用するような場所になってしまう。 

名付け親と言われる近藤さんは、その解決の糸口も見えなくなってしまったのでしょう。無念でしょうし悲しいな。 

 

▲965 ▼11 

 

 

=+=+=+=+= 

 

ここかわかりませんが、昔ニュースで取り上げられてて、こんな感じだと誰でも(食費浮かせたくてくる人)とかもいるだろうし、地域に根付いたとしてもどうなんだろ、とか思ってました。 

ルールを決めたりかなり限定でもしなければ、助けたい人以外もくると思いますよ。 

やるなら学校と連携して、家庭の事情で本当に困ってる子だけ来てもらい、かなり人数絞りご飯を食べて貰う方が個人的には良いと思う。 

でも結局はその子の親次第、その子の家庭環境なんですよね。 

なので私はあまり効果ないと思ってる。 

 

▲766 ▼36 

 

=+=+=+=+= 

 

この様な制度が崩壊するのは利用基準の曖昧さが一番大きな原因だろう。 

 

本来なら支援の必要の無い家庭の子が利用するから需要と供給のバランスが崩れ供給側が持たなくなる。 

 

が、利用基準を明確にする事は名誉やプライバシーに関わるだけに難しい。 

 

人の善意で成り立ってるものを食い潰すのはいつだってモラルの無い人々。 

 

でもこの様な善意を形にする人に救われてる人は少なくないと思うだけに、行政がボランティア側の人を守る法整備をする事が健全に継続する上で必須だと思う。 

 

▲507 ▼20 

 

=+=+=+=+= 

 

近くの小学校の廊下に子ども食堂の案内が貼ってあって、どうなのかなと先日感じていました。 

その日子供に食べさせることも難しいかもしれないような状況の方もいれば、安いから行こう程度の人もいるかもしれません。 

学校の職員や養護教諭からの案内でも十分な気がします。 

そして大人は食べるものも困るくらいになってしまったら、きちんと役所に行って福祉に頼り、大人として頼るべき機関に頼るようにするべきだと思います。 

 

▲299 ▼8 

 

=+=+=+=+= 

 

ACの子ども食堂のCMが始まったとき、思わずTVに向かって「馬鹿じゃないの」とつぶやいてしまい、娘に叱責されました。 

子ども食堂を馬鹿にしてるのではなく、子ども食堂を賛美奨励するようなCMなんて絶対におかしいと思ったゆえ言ってしまったことを伝え、「馬鹿」とつぶやいたことを詫びました。 

自分の感覚が、当事者のそれとかけ離れていなかったことにホッとしました。 

子ども食堂が必要のない世の中に少しでも向かっていけることを心から願います。 

 

▲385 ▼20 

 

=+=+=+=+= 

 

近くでやってる子ども食堂を覗いた事はありますが…どうみてもファミレス感覚で利用している親子連ればかりで驚きましたよ、確かに利用者がいなければ継続もされないんだろうけど、、どうみても生活に困っている風ではなかったです。本当に利用して欲しい子どもは来ているのかな?学校と連携するなど何か証明書のようなものが発行されるとか…そうすると子どもは恥ずかいかな?色々と考えさせられる光景でした。。 

 

▲257 ▼7 

 

=+=+=+=+= 

 

腹を空かせた子どもがいなくなることが目的なのだから、発展的解消として、子ども食堂が無くなるようにしないといけない。 

それには、善意で助かるシステムは大切だし、多様なシステムも必要だろう。それらを全て機能させるには、公的資金を投入する以外に方法は無いと思う。 

税金を徴収する理由って、煎じ詰めていけば、社会が子どもを育てる以外には無い。子孫を残すために、ひとは生きている。 

もちろん、理想は暖かい家族の中で育つこと。だけど、家族が暖かいとは限らないのだから。 

 

▲467 ▼61 

 

=+=+=+=+= 

 

親自ら働いた稼ぎで自分の子を養える社会が必要だと思う。 

家事育児通勤の所要時間を無視した長時間労働や、専業主婦の家計補助のような賃金・職種では立ち行かない。 

労働の場で冷遇/排除してわざわざ大きな貧困層を作ったところで、その層を支えるだけの税金負担に同意する人も少ないのでは。自ら稼げる/稼がせる社会になると良いと思う。 

 

▲220 ▼24 

 

=+=+=+=+= 

 

この方は本当に真心で支援しようとしたと思います。そこに異論はありませんが、善意だけでは支援が続かないのもまた事実。 

国のやるべき事はこども食堂の支援ではなく、こども食堂なんかなくても各家庭が生活出来るように消費税廃止したり社会保険料減額したり負担を減らす事です。 

多数いる氷河期世代の子供時代にこども食堂はありませんでしたし、それで社会が成り立ってました。 

 

▲127 ▼11 

 

=+=+=+=+= 

 

子どもたちのお守りになる場所があるといいというのは本当に思います。 

家庭や学校など、狭い範囲での世界しか知らなくて、その世界が自分にとって優しいものでなかったり、苦しいものでなかったり、そもそもその事実が分からなかったりする子供たちが、違う社会との接点を持って、人とのつながりの中で社会の広さを知っていくことができたらと。 

 

小学校に入ることから、自分の家庭とその他との比較などができるようになるし、子ども食堂を利用しているというだけで貧困家庭ということが念押しされてしまうようになると、利用しにくいという人はたくさんいるんだろうな。 

日本人てそういうところを見せないのが得意なイメージなので。 

 

ごはんは家で食べるけれど、少し宿題する時間だけいたいんだよね。 

とかもっと複合的なニーズに応えられて、ずるい大人たちに搾取されない取組にいなるといいのにね。 

 

▲70 ▼5 

 

=+=+=+=+= 

 

「子供達は行政に返せばいい」 

 

この言葉に納得がいった。 

そもそもこども食堂って、たった1人の子供でも立ち寄ってご飯が食べれる場所だったんじゃないのかな。 

それがいつの間にか貧困する子供達の為の食の場、特に夏休みに親が仕事を休めずご飯をこども食堂で食べてね、では余りにも理に適っていない。 

尚更、ボランティアでやられていたのだからこそ思うし。 

 

貧困する世帯は沢山ある。 

だからこそ、その家庭が行政に取り合い支援をしてもらう。 

こども食堂が、こども食堂としての許容範囲が広過ぎてしまったのだろう。 

 

▲289 ▼12 

 

 

=+=+=+=+= 

 

難しい問題。給食なとで命を繋いでるような子がいたら食べさせてあげる事は必要。だけど、その場しのぎで長期的にみるとその家庭事情をどうにかしないといけない。私も決して裕福ではなかった。一つの缶詰をみんなで分けたりもしたけどそれでもみんなで食卓を囲って美味しいねと話した。だから子供が生まれて美味しいおかわり!と食べてくれる事が本当に幸せ。本当に食べられないのは辛い。 

 

▲66 ▼1 

 

=+=+=+=+= 

 

私の住んでいる地域でも数年前から子ども食堂の存在を見聞きするようになった。 

利用したことはないが、個人のボランティア精神だけでの運営には限界がある。 

ボランティアの手間や経費の事を考えて提供する食事は見た目や味は二の次でもいいと思う。 

子ども食堂のありかたに賛否両論あるが個人的には地域の色んな人が立ち寄れる場所が必要だと思う。 

 

▲210 ▼48 

 

=+=+=+=+= 

 

10年以上現場で試行錯誤して取り組んできた人の言葉として「国民の善意を利用して、これはいいことですから、みんなで頑張ってください。頑張りましょうと。あおってきたんだなと私は思います。」と口から出てくるのは、付け焼刃では解決しないということのこれ以上ない現実なのだろうと思う。それにシステムとしての行政などの制度・町の機関はある程度は機能するにしても、やはりそこには小さくない隙間が困難を継続させている印象がある。隣の住人にも挨拶することをはばかられる現代の価値観がその隙間を生んでいると思うけどな。知り合いになって横のつながりで助け合うとか、そういうことがやっぱ必要なんじゃないかな。 

 

▲118 ▼5 

 

=+=+=+=+= 

 

貧困家庭には児童手当が出ているはず。基本的にそのお金で子供は食べられないことはないが親が使い込むから食べられなくなる。 

親の自立力を批判しても現状は変えられない。 

子ども食堂という役割は現状に対する受け皿だろう。しかし、無料あるいは格安で飯が食べられるところとイメージしやすい。本来は居場所作りにあるなら子ども食堂という名は変えたほうが良いように思う。居場所作りになれば自立するための手段の学習場所になり生活の立て直しができる。 

ただ、飯が食べられるだけでは子供が成長するということはなく逃げ場所だけにしかならない。 

 

▲73 ▼8 

 

=+=+=+=+= 

 

一時的な救済という点での子ども食堂の理念は素晴らしいと思います。 

ですが、本来親が自分の子供に満足な生活をさせてあげられるよう頑張るべきですが、食事があれば死なないからと子供のために頑張るという意識を持たなくなってはその子供の環境の改善にはならない。 

生活保護と同じで命をつなぐという意味では良い制度でも、ちゃんと制限を掛けないと本当に必要な人に、効果が行き渡らないのは難しいですね。 

 

▲26 ▼5 

 

=+=+=+=+= 

 

難しいし切実な問題ですよね。払える能力があるにも関わらず給食費を払わない親御さんの存在。子供食堂もそれと同じで十分に食べれる余裕があるのに、このような施設を構わずに利用する人など。本当に困っている貧困家庭の子供達に行き渡らない。これはボランティアなどの民間頼みにするのでは無く行政がしっかり面倒を見るべきだ。いつか大人になり納税するであろう、今は恵まれない子供達の為に。 

 

▲68 ▼4 

 

=+=+=+=+= 

 

所謂貧困家庭に無料で食べ物を配るボランティアをしている人に話を聞いたことがあるが、3世帯に1世帯くらいの割合で、「リンゴジュースは嫌いだからオレンジジュースが良かった」「ポテチが入っていなかった」「賞味期限が短すぎる」などのクレームを頂くそうです。また、貧困でない家庭の人がウソをついてもらおうとしたり、そうかと思えば本当に必要な人は「恥ずかしい」と利用をしてもらえないとか……。 

子ども食堂はじめ貧困支援は、例えば普通のお客さんがお釣りを寄付し、それを財源にするなど、「経営的に儲かるやり方」を探るべきだと思います。 

貧困に関わらず、「子供ならだれでも食べられる」その財源は、見ず知らずの大人が払っているというのもありだと思います。 

 

▲152 ▼9 

 

=+=+=+=+= 

 

本来なら行政がやらなくてはいけない役割だと思うけれど、ボランティアに頼りきっているしわ寄せがきている。自分の生活もあるのに いつまでも続けられないというのは至極当然のこと。発足当初の志とも大きく乖離してきているのではないかと思う。じゅうぶんに収入がある家庭に対しては子育て支援に手厚くなっている昨今、1日満足に食べれない貧困家庭の子供に対する支援が置き去りにされていると感じる。 

 

▲211 ▼25 

 

=+=+=+=+= 

 

こども食堂ってガッチガチにルールを決めると誰も来なくなり、ゆるゆるにすると変な人が来る 

ちょうど良い塩梅がとても難しいものだと思います 

私の地元にもこども食堂はありますが、助成金に関してはガッチガチにルールを決めているので助成金の申請をする人は決まった人になっています 

行政や社会福祉協議会が支援をされている所もあるようですが、どちらかと言えばルールに則って、窓口に相談に来た人だけって感じで職員が自分の足を使って課題を見つける能力は乏しいように感じます 

故に改善能力も乏しく、助成金等の仕組みを作って満足という感じのように思います 

取り組みはとても良い事だとは思いますが、運営する方の志に頼るという点は改善していかないといけないのかなぁと感じます 

 

▲77 ▼0 

 

=+=+=+=+= 

 

こども食堂、利用したことないですが普通にお金を払って利用したいです。そもそも子連れで栄養バランスが良い食事を食べられるお店がないので。最低価格を決めておいて、多く払える人は好きなだけ払う、それを寄付として受け取ったらどうでしょうか? 

料理さえあれば、あとはセルフサービスでも良いと思う。 

仕事でへとへとのワーママ的には、出社の日なんかは平日保育園で子供をピックアップした後そのまま外でご飯食べられると大変助かります。 

 

▲0 ▼1 

 

 

=+=+=+=+= 

 

納得の読み応えでした。近所に子ども食堂の機能がある駄菓子屋がありますが、地域のヤンチャの溜まり場で、学校からはできるだけ行かないように言われています。運営しているお婆ちゃまはとても優しい素敵な方でしたが、駄菓子屋部分の万引きやら、色々と大変だと言ってました。高齢で後継者を探しているが、なかなかいないそうです。 

 

▲126 ▼3 

 

=+=+=+=+= 

 

本当に必要で行く家庭もあれば、両親高収入で節約家を公言していて、定期的に子ども食堂を利用する家庭も知っている。 

 

お宅が利用するのは違うんじゃない?とは言えないし、モラルの問題だよね。 

 

子ども食堂が儲かっていると思ったことはないけど、そういう人もいるのか… 

 

CMも、フジで沢山流れてるからね。 

 

空腹でいる子とか、ヤングケアラーになっている兄弟からしたら、きっと必要な場所だよね。 

でも子ども食堂だけで子どもを貧困から救えるわけじゃないんだよね。。。 

 

▲78 ▼5 

 

=+=+=+=+= 

 

2年前から「プロボノ」といって専門的な知識を無償で社会のために提供するボランティアをやってます。 

 

私自身、子供が障害児でフルタイムで働くのが難しい主婦なので、積み上げてきたキャリアを活かせないかと思って始めましたが、タダでの提供を「当たり前のこと」と捉えて、相手の思い通りにならなかったことで、去年、認知症傾向のあるシニアから怒りをぶつけられた時に、もう無償ではできないと思いました。 

 

それからは「誰かのため」よりも、自分が無料でもやりたい分野のことしかしない(自分のために)それが相手のメリットになるならそれでいいというスタンスに変わり、相手の利益にしかならないことは正規価格をいただく方針にして、ボランティア依頼を断ることが多くなりました。 

 

「孤立」の背景に病気、障害、貧困など、本当に複雑な事情が必ずあるので、そこをちゃんと見極めて対応するのが、実はすごく難しいことだと感じています。 

 

▲53 ▼0 

 

=+=+=+=+= 

 

年寄りにケアマネージャーがつくように、困ってそうな子供につけた方がいい。ほんとにお金に困ってる家庭て結構普通の人では手に負えない事も多いと思う。知れば知るほど辛くなる上何もできない事も多々あるかと。こども庁作ったんだからこういう事に力入れてほしい 

 

▲79 ▼1 

 

=+=+=+=+= 

 

高校時代から5年間子供食堂で調理ボランティアをしていた。 

料金を決める会議にも参加していた。 

1人300円は?と私が言うと、4人家族で一回1200円が苦しいご家庭もある、と弁護士さんから聞いて衝撃を受けた。 

貧困家庭が色眼鏡で見られないように、誰でもウェルカムの子供食堂は地域柄もあって、一人暮らしの高齢者や塾帰りの子供達が多かった。ボランティア先の子供食堂の問題は、本当に貧しく支援が必要な方達の利用が少なかった事だ。 

 

子供食堂での経験から、本当に必要な人達がいるところに届けたいと考えるようになり、自立援助ホーム(養護施設より大変な子供達がいる)に毎年寄付活動を友人達としている。 

子供食堂は全国に数を増やしただけでなく、関係者にその先を考える機会を与えてきたと思う。 

そのきっかけを最初に作ってくださった近藤さんに感謝している。 

どうも有難うございました。 

 

▲64 ▼1 

 

=+=+=+=+= 

 

子ども支援NPOに関わっているが、数年前の設立当時からすると、その意義は大きく変化してきている。 

ACでだれでも食堂とか言い始めてからは、節操がなくなったというか、得すりゃなんでもOKという感覚の親の利用が増えた。 

共働き(親は大手企業や公務員)だから、夕方以降に子ども達が習い事と塾の合間の食堂代わりに利用させるケースが多い。親同士のSNS網で月曜は◯◯食堂、火曜日は…と日替わりで渡り歩く。 

塾や旅行やイベントの話についていけない、本来支援を必要とする様な家庭の子は来なくなった。 

 

家族旅行やUSJ土産を配り、雨が降るとタクシー呼んで帰って行く… 

 

また、ボランティアにも変化。地方議員の格好のアピールとなるので「子育て支援やってます」と出入りする。 

 

存在の意義が問われる時期にきていると感じている。 

 

▲89 ▼1 

 

=+=+=+=+= 

 

世の中には、色々な人がいるから簡単ではないので、大変だったろうと思う。 

そして、色々感じるものもあったでしょうね。 

こども庁があったと思うけど、どんな仕事をしているのだろう。 

もっと機能してくれるといいと思うけれど。 

 

▲169 ▼6 

 

=+=+=+=+= 

 

ただの地域の集まり、低額もしくは無料でご飯が食べれるお得な場所になってますよね。 

大抵の人はこども食堂を利用する側ではなく支援する側のはずなのに、気軽に子連れで訪れる人が多い。本来であれば、こども食堂ではなく支援センターや親子カフェなどが望ましい人も利用してしまっている。もっとターゲット層を明確に絞るべき。 

 

▲70 ▼4 

 

=+=+=+=+= 

 

こういう取組って、最初のねらいや目的、想いみたいなところは伝わらず、形だけが伝播していくことが多い。 

行政もこういう取組をサポートする、という形をつくると仕事をしている感が出るので、補助金などをつくったりしていくが、劣化コピーみたいなものしか生まれない場合もある。 

 

こどもの貧困に対する認識が一般化することは良いことだが、それに対する手当として、こども食堂の開設だけが目的化するのは、どうかと思う。 

 

▲16 ▼0 

 

=+=+=+=+= 

 

こども食堂を運営されたこの方には敬意を表したいが、全く社会課題が解決していない中でのこの判断は残念に思う。しかも社会課題が解決できないのは行政等のせいだという失敗した社会事業家のお決まりの文句を言っているのも残念だ。こども食堂という手法では課題を解決できないと分かったというだけで、行政等の問題ではない。 

ぜひこの方にはこれまでの経験を活かしてこども食堂ではない別の手法を見出してほしい。 

 

▲1 ▼17 

 

 

=+=+=+=+= 

 

子ども食堂という名前に抵抗がある人も居るからか、 

地元は地域食堂という名前になっている。 

こういった活動は、集まる人も様々なので、 

善意だけで勉強せずにやると、悲しい事も起こったりする。 

あと、居場所を欲している子どもの居場所にするためには、 

興味本位や、こどもが自然体になれない雰囲気で訪れる大人の存在はマイナスになる。 

ある程度勉強して色々な視点ややり方を考えてやっているところに、 

学んで準備してから開始する事が大切だと思う。 

訪れる大人には、集まる子どもの事よりも、自分の満足で不用意に子どもに話しかけて、 

子どもが居辛くなる場合もある。 

管理する運営者には、そういったあらゆる可能性を把握して対応、対策する準備が必要。 

結局メインである子どもに居心地の良い場所にならなければ本末転倒ですからね。食堂は、近所との関係も可能な範囲で良好であるべきですしね。 

 

▲4 ▼6 

 

=+=+=+=+= 

 

私はこのこども食堂という事業については最初から懐疑的でした。イベント的にたまに開催されるようなものは一時しのぎにすぎないことと、支援が必要ない大人が群がってしまうことが容易に想像できたからです。 

家で十分食事が出来ない子どもに食事を提供するという行為は必要なことですが、本来それは政治や行政の役割では?市民の善意におんぶに抱っこの取り組みがいつまでも続くわけはないし、問題の解決には繋がらない。 

 

▲15 ▼1 

 

=+=+=+=+= 

 

子ども食堂がここまでメジャーになる前、近所の公共施設で開催されていましたが、保育園のお友だちのママがタダで食べられるからと子どもを連れて食べに行ってました。共働きでそれなりに稼いでそうな雰囲気(自宅や車などから)だったので、初めは違和感を感じ、でもその後誰でも来てもいいと言うようなCMが流れていたのでそんなものかと納得しようと思いました。が、やはり本来貧困家庭の支援ですよね。地域のお祭りのようにチケット制にして、ひとり親や非課税世帯は配布、一般家庭は子どもも少なくても材料費、大人は手間賃含めた金額で販売するとかはどうですかね。それでもファミレス行くより安価に済みそうなので、貧困家庭の人だけ行くとかにはならないとは思うので、気軽に行けるとは思いますが。、 

 

▲6 ▼1 

 

=+=+=+=+= 

 

政治家がこういった取り組みをどう思うかだ。かつては先進国で羽振りが良かった時代は終わり、この30年戦争もしていないのに子供が満足に食べれないおかしな国となった。こども家庭庁に使うお金を、少しでもこのような取り組みに使って欲しい。 

 

▲218 ▼19 

 

=+=+=+=+= 

 

こども食堂は、官民が一体で、密に連携をとってやっていくべきこと。補助金さえ出せばいいというものではない。 

ここには貧困だけでなく、多くの問題を抱えた子ども、大人がやってくる。ここはいわば、社会の貧困や孤独、あらゆる問題の縮図ともいえそうです。だから彼らに食事さえ提供すれば済む、という単純なものでもないでしょう。繋ぐべき支援、福祉が、ここに来る人達にはあったりもする。だからNPOやボランティアにそれらの対応をすべて任せてしまうのは、あまりに負担が大きい。 

ACがCM流しているけれど、本当は「公」でやるべきものを、こちらに誘導し、悪く言えば善良な市民のボランティアに丸投げしてるようにも思える。 

やりがい搾取は、いずれ破綻する。もっと運営には国や自治体が連携し、関わり、連帯して運営すべきものと思う。 

こういう働きが長続きするための仕組みを、きちんと整えないといけない。 

 

▲43 ▼3 

 

=+=+=+=+= 

 

私の知り合いが普通の食堂をしていて月一ですがこども食堂をしています。 

食材は自腹、寄付等でまかないスタッフはボランティアさんも手伝っています。 

ただ来られる方で新型ベルファイアに子供2人、両親、ジジババまで来るそうです 

子供以外は無料では無いのですが大人は一人300円ほどで食べられます。 

そう言う方は常識が無いのか?ひと月に一回安く食べられる食堂としか思って無いようです。 

本当に貧困な家庭だと逆に恥ずかしくて出入り出来ない方も居るようです。 

先日、子供家庭庁がこども食堂に視察に行ってた様ですが、そもそもこども食堂など無くても幸せに生きて行ける日本にするのが政治家の役目なのに民間のボランティアまかせの日本の政治に腹が立ちます。 

 

▲52 ▼3 

 

=+=+=+=+= 

 

こども食堂をしている人と話すことがありますが、貧しい家庭の子供だけを対象にすると「貧乏だ」と思われるから、来なくなってしまうそう。 

また、制服を貧しい家庭にあげるというと「貧乏扱いしないで」と断られるそう。 

だから、子ども食堂に呼んで、そのときに「制服いらない?」と子どもにいうと貰うそうで。 

 

貧しい人がみんな素直で優しく、ありがたがっているかどうかというとそうでもないそう(大人は)。 

ただ、子供は困っているが、親の目があると素直に言えない。 

 

近所にも子ども食堂がありましたが、ブランド物の洋服やスポーツメーカーのスニーカーを履いている子供が出入りしていて、「ここって必要なのかな?」と思うことが多々ありました。 

 

確かに支援が必要な家庭があるのはわかりますが、それを民間がやるのはどうなんだろうなと常々思っています 

 

▲59 ▼3 

 

=+=+=+=+= 

 

市内でも一番の高級住宅地に、子供食堂が出来たニュースを見ました。 

某有名企業が食材やらを提供して、オシャレなカフェみたいでした。 

来ている子供は、みんな高そうな服を着ていて、カッコいいスニーカーを履いていました。 

大人はカフェ代わりに利用してるようでした。 

億ションが立ち並ぶ、こんな場所ではなく 

市営住宅やアパートのある場所でやれば良いのにと思いました。 

しかし、そうなると本当にハードなお子さんとか来てしまうから厄介なんでしょうね。 

この記事を読みながら思いました。 

 

▲151 ▼3 

 

=+=+=+=+= 

 

知人が7年前からこども食堂のボランティアをしています。当初より子供ではなくお婆さんが多数来ていたそうです。追い返すわけにも行かず食べさせていたらしく。最近は、亡くなったか施設に入られたみたいで来なくなったそうですが。少額でも負担させないと、善意を踏みにじる人が必ずわいてくるのが悲しいですね… 

 

▲53 ▼0 

 

=+=+=+=+= 

 

「月に1度や2度、あるいは週に1度、食事を提供しても、おコメを2キロ、3キロ渡しても、子どもの貧困は何も変わりません」 

 

今現在お腹を空かせてている子どもがいたらとりあえず食べさせる必要があるのはわかるけど、根本的な解決にはならないとずっと思ってました。 

また「子どもの貧困」という言葉も本質的な問題を見えにくくしていると思います。子どもがお金を稼げないのは当たり前なので、実際は親の貧困であり大人の貧困です。 

子ども食堂が出てきたのは氷河期世代が子育てをしている頃と重なります。親がちゃんと稼げる世の中を作ることが必要なのに、子ども食堂をいくら作っても親が貧乏なままでは何の解決にもならないですよね。 

炊き出し的にとりあえず食べさせるだけではなく、大人がきちんと稼げる社会を作ることが必要だったのに。それを怠ってきたから日本人は今現在こんなに貧乏になってしまったのでは。 

 

▲12 ▼2 

 

 

=+=+=+=+= 

 

「子供が一人で食べていても妙な目で見られない食堂」がコンセプトで始まった以上は 

収入や家庭環境を精査して足切りじみたことをしてしまうのは 

アイデンティティを手放すのと同義なんですよね… 

軽い気持ちで利用できるメリットがそのままフリーライド的な考えの人まで取り込んでしまうのは当然と言えば当然ですが 

「貧すれば鈍する」の拡大が地域社会の善意を少しずつ蝕んでいるのを感じてしまいますね 

それでも民間のボランティア前提のセーフティネットはやはり健全とは言えません 

 

▲2 ▼0 

 

=+=+=+=+= 

 

今私には子供2人いて子育て真っ最中です。 

今のところ何不自由ない生活しております。 

これから育つ子供たちには絶対にいい社会を作り上げていかなくては行けないと思います。 

だけど震災や親の仕事でまともな生活が送れなく、困窮している家庭での子供がいます。そういった子供達にも立派な大人になって欲しいです。 

私も少しばかり震災等が起これば支援はしてきました。でもこれは個人ではできないし、やはり行数、国がもっと介入して立派な大人を今から育て上げる事で、日本ももっと豊かになる原動力が作れるのではないでしょうか? 

子供は磨けば放つ金の卵です。もっと社会、国が動きましょう。 

 

▲24 ▼48 

 

=+=+=+=+= 

 

本当によくわかる。同じ気持ち。 

私は不登校支援だけど、今目の前で困っている子を放置したくないから居場所を立ち上げ保護者の相談に乗る。 

お金は本当に僅かしかもらっていない。 

それでもいいと思ってやっていますが、なぜそれができるかというと、少しでも活動してる間に社会の制度を整えてもらって繋いでいこうと思っているから。 

私は一生この仕事(不登校支援)やるつもりだと方々で話していますが、それは一生子どもの居場所をやるってことではなく、困った子どものために動くことを仕事とするという意味。 

私が作った居場所で救われる子なんてごく僅か。 

全国に何十万もいる困っている子を1人で救えるわけもない。当然国や行政が動くべき。 

なのに学校からは随分なこと言われますよ。 

まるでハーメルンの笛吹き扱い。頭に来ます。 

居場所のチラシや啓蒙チラシ一枚すら配ってもくれないくせに。 

うちを責める暇にやれることあるでしょ。 

 

▲18 ▼3 

 

=+=+=+=+= 

 

自分は昔から「こども食堂」が好きじゃない。昔と言っても、多分知ったのは行政がかみ始める少し前、ブームになった辺りから。 

この手の最初の理念が盛り上がりと共に変質してしまうことはよくあること。 

お疲れ様でした。でも、これからも気持ちは変わらず頑張って欲しいです。 

 

▲9 ▼1 

 

=+=+=+=+= 

 

あくまでも理想として、、年齢や立場に関係なく、人間関係において年を取っていくと同時により強く思うようになったのが、先ずはお互いに敬意を持つこと。そして配慮する心持ちと謙虚な姿勢。そしてそれは感謝する気持ちにも繋がり、お互いに尊重し合うことが出来て認め合う事にも繋がる。 それはあくまで理想的な事ではありますが、その結果も含め、人間関係を良好にするための目的でもあるのです。 それがしっかりとお互いに心にあれば、トラブルも減るだろう。 だからこそのお互い様おかげ様からの感謝の気持ちに。 

ただ、所詮人間は自己都合で考えがちなところもある。個人それぞれが少しの利他精神を持ってやれることが理想かなと。 

 

▲45 ▼24 

 

=+=+=+=+= 

 

会社で子ども食堂へ寄付するため  

“フードロスへご協力ください” 

と定期的に(ほぼ毎月)箱が置かれている。 

 

自宅で余剰となっている、なま物以外の期限内の食品をお持ちください、とのことですが 

半強制的というか、、、 

誰々が入れてくれたとか、何を入れたとか大きく話されるので余り気持ち良いものではありません。 

それに、毎月「くれくれアピール」が強すぎて 

子ども食堂自体に違和感を感じてしまうほどです。 

企業としてアピールしたいのでしょうが、自己満足やフリでなく、本当に協力したい方がそっと力になれるような環境も必要だと思います。 

 

家庭で不用だと思う食品を、寄付とはいえ職場のいちばん真ん中にあるその箱の中へ入れるのは、違和感を感じ得ません。 

 

▲39 ▼2 

 

=+=+=+=+= 

 

知人のお店も月1、子供食堂をやってます 

寄付とこの食品が欲しいですと寄付でやってそうです 

100人以上の子どもが来るそうです。 

ただ、来る前にインスタでDMをくださいと 

本当に食べに行きたくても、スマホを持ってない 

親が持っているけど、遅くまで仕事なので 

DMが送れない子供もいると思います。 

少しだけしきりを引くすれば、行きやすい子供も 

いると思います。 

 

▲1 ▼5 

 

=+=+=+=+= 

 

本来、地方自治や国が問題視して貧困対策をしなければならないのにお店などが善意で行う子ども食堂が普及しているから何もしないのはおかしいと思う。最初に始めた方も子ども食堂が普及することを望んだのではなくこの現状を知り行政が貧困対策を行うきっかけになればよいものを子ども食堂に乗っかってしまい改善されないことに憤りを感じたのだと思う。ボランティアはいいことだが、貧困はボランティアにおんぶに抱っこの行政のやり方に疑問を感じる。 

 

▲15 ▼1 

 

=+=+=+=+= 

 

商売でやる食堂でも、お客さんの言動に心がすり減ることが多いのに、ボランティアでとなると相当の覚悟がいります。 

 

「子供を助けたい」の一心だけでは、やっていけないのです。 

「子供の後ろにいる親」までも助けてあげないといけないのです。 

 

ママ友が集まって気軽に子ども食堂を始めましたが、瞬殺です。 

心がポキンと折れる音が聞こえましたよ。 

 

生半可に手を出すと、心をやられちゃいます。 

 

▲30 ▼0 

 

=+=+=+=+= 

 

奈良で有名な某トンカツ屋さんでも、ベンツで乗り付けて最高級のお弁当(事情のある人に無償提供)をいくつも貰う人がいると聞いたことがある。 

志をもっている企業やボランティアでやっているこうした人たちの心が折れないように、真に困っている人達に善意が届くと良いのだけれど、限界があるよね。 

 

▲56 ▼2 

 

 

=+=+=+=+= 

 

うちの近所の子ども食堂は、申し込みが早い者勝ち(しかもLINE)で、本当に困っている子供や家庭には支援が届いていないのではないかなと思う。 

当事者の方々は、もっとシステム上でうまく機能する・支援が行き届くようにちゃんと考えてほしい。シングルマザー、シングルファザー、就学支援制度を使ってる方に優先的に配布する・案内を送るとか。 

 

▲36 ▼8 

 

=+=+=+=+= 

 

資金が潤沢でない子供食堂がほとんどなんだけど逼迫家族全員で利用すると、あっという間に提供分が無くなり、他の子供達に提供出来ないケースがあったな 

 

最近は米不足の影響でスパゲッティとうどんばかりにメニューがなってしまったし 

ただ野菜が安くなっているのはいいね 

 

▲16 ▼0 

 

=+=+=+=+= 

 

以前TVで観たんだが、その店は一般の人が食べに来て子供の為に食券を寄付します。貧困な子供達はその食券を使ってタダ飯が食えるシステムです。食券を寄付する人の中には、善意でする者、子供時にこの店に救われ恩返しに時々寄付する人など様々です。食券が無い時も有るが寄付によって成り立つので長く続いてます。 

 

▲25 ▼0 

 

=+=+=+=+= 

 

たまたまタイミングが合えば食事を提供する、話を聞くぐらいならいいが、継続的に毎日ボランティアで活動なんて、無理に決まっている。それはボランティアではなく報酬が出る仕事でなければならない。 

ちょっと前まで専業主婦だった私は、子どもが小さい頃公園で遊ばせる時は周りの子もみてあげていたし、小学生のころは遊びにくるお友達におやつをあげたりしていた。 

しかし、そのうちお友達のお姉ちゃんも一緒に来るようになり、親しくないお友達も沢山来るようになり、晩ごはんの時間だから帰ったら?というとまだ大丈夫、お母さん帰ってこない、という。こちらが困るので家の前まで送ってあげていたが、おそらく子どもは親には言ってない。 

それからは、私が事前にいいと言った日以外、家の中に友達連れてくる事を禁止した。 

可哀想だけど仕方ない。 

子ども食堂はそれと同じような感覚だと思った。 

 

▲19 ▼0 

 

=+=+=+=+= 

 

結局セーフティーネットの一端を担えれば、あくまで助けになれば、という想いでやっていたのが、助成金渡すから主軸でやってね、って行政から言われて、おいおいそれは違うだろうとなったってことですよね。 

結局続けられなくて活動を停止している食堂も増えてきています。徒手空拳の民間だけでは様々な課題には対処しきれません。 

制度や条例を振るうことのできる行政が主軸になって整備していかないと意味がないんです。 

 

▲25 ▼0 

 

=+=+=+=+= 

 

地域にいろいろ子ども食堂ができましたが、市から補助を受けているところがあり数回利用させて頂きました。というのも、子どもの偏食がひどく、あと見た目が悪いと食わず嫌いで、でも子ども食堂で食べると、みんなと一緒なので、見た目の悪い食事でも食べ、野菜の入った料理でも食べるのです。有難かったです。 

それ以降、そこで開催される子ども料理教室にも参加させ、自分で作ることを体験させ、家でも料理を作るようになりました。とても有難く思っています。 

とても良い活動と思っていますので、もう少ししたらこちらも余裕が出るので、ボランティアで協力して恩返しをしようと考えてます。 

 

▲55 ▼68 

 

=+=+=+=+= 

 

家庭菜園をしています。とくに夏は、連日食べきれない程大量の野菜が収穫できるので、新鮮なうちに希望者を募って無償で配っています。収穫量は、多い時期で1日ミニトマト100個、ナス10本、オクラ20本等です。野菜を捨てたり腐らせる位なら、本当は地域の困っている子供達に、鮮度が良いうちにお腹一杯食べてもらいたいです。しかし、こども食堂の連絡先やシステムが良く分からない、日々の収穫量にバラつきがある、家族が反対しているのが理由で未だ実現していません。 

 

以前、自治体の社会福祉協議会に、新品の子供用お弁当箱を10個程差し上げた事がありますが、そちら経由で問い合わせれば良いのでしょうか? 

食べられない程困っている子供が(一部大人も)いるなら、うちの野菜で良ければ無償で差し上げたいのですが...。 

 

>それよりも地域を作るほうが大事だと思います。頂き物の野菜を届けるとか。 

 

▲11 ▼15 

 

=+=+=+=+= 

 

居場所活動をしてます。 

子ども食堂は貧困だけではない、子どもの困り感 

を地域の大人が知り寄り添う場、大人の育児疲れを癒す場でもあると思います。 

そこに集い、少しホッとできれば、一食作らないことで子どもとの時間が作れる。それが大事だと思ってます。今は共働きやシングルで日常にクタクタなお家が沢山あります。 

 裕福なお家なのにネグレクトな家の子は、色々カムフラージュされて子どものSOSが見えづらいです。 

 そうゆう、色々な支援から取りこぼされた子どもや、親子を救うセーフティネットになってる時もあると思うので一概に貧困家庭だけくれば良いと言うものではないと思うのと。 

 国、都、市はそれを民間ボランティアに頼り過ぎてるとも確かに思いますが、共助だから救われる子どもも親子も沢山いると思います。 

 

▲0 ▼0 

 

=+=+=+=+= 

 

本当に困った家庭の支援なのに、今は利用する人が違う。家庭の食費の節約を理由に、一家総出で利用している。お金に困ってない人達も子供食堂を利用することに恥とも思わない。格安、無料なら当然のように利用する。運営はボランティア活動。誰でも気軽に利用させるのでは、限界はあるんです。ボランティア活動としての、子供食堂から一線を引くのも仕方ないこと。無理なものは無理です。子ども食堂を利用できる年齢を18歳まで。無料にはせず、一律300円。18歳以上、子供の保護者には免許証やマイナンバーカードの身分証の提示の義務。身分証の提示を拒否したら利用はさせない。出入り禁止。一律600円。大盛り、ご飯、味噌汁のおかわりは100円。子供、大人も利用回数制限あり。 

 

▲16 ▼2 

 

=+=+=+=+= 

 

そもそも子供の食事にも困るような家庭だったら生活保護という有難い制度があるし親のない子供なら施設があるし子ども食堂なんて要らない。私も昔母子家庭の5人兄弟だったが贅沢は当然出来ないながら食い物に困るようなことも無くちゃんと育ちましたから、その点は有りがたく感謝してますよ。 

 

▲20 ▼1 

 

 

=+=+=+=+= 

 

ボランティアは行政の下請けではないのこの一言につきますね。 

 

こういうボランティアをしたことがある人は疲れた時思うはずです。 

 

何故行政がしなければいけない事を善意で我々がずっと支えなければならないのか? 

ずっとしなければならない事はそこに残念ながらニーズがあるのです。 

 

税金を使って対応するようにして欲しい。ボランティアに少しお金を出したところで所詮はボランティアなのですから。 

 

責任を持って行政でしてください。 

 

▲46 ▼4 

 

=+=+=+=+= 

 

生きて生活しているなかで特別な善人でも悪人でもない人が普通に前へ歩こうとしているお姿だったのですね。 

 

これまでされて来たことを尊いと思うし、一線を引くという判断も支持します。 

 

これからも、特別な善人でも悪人でもなく普通に前へ歩まれていかれるのですね、きっと。私も私が居る場所で、居ることに今なった場所でそうして行きます。 

 

そのうえで、社会に問題があるなら、行政・公が本格的に取り組むなど社会として解決して行ければなあ、と記事を読んで思いました。 

 

▲2 ▼1 

 

=+=+=+=+= 

 

私は毎月2か所の子供食堂に寄付しているものです。 

寄付しているからいい事をしていると思っていても実際には依存する人を作っているだけのこともあるし、ただ飯を食べよう的な図々しい人に利用されているだけの場合もあります。 

中には子供食堂で安く買って高く転売する子供まで現れるという始末だそうです。 

 

うちの近所にも子供食堂がありますが、良くない人が汚い手でお金を手にして余生で慈善事業を始めた様な所だと知りました。 

来る人も本当に困っているというより、暇つぶしで来ているような感じでした。 

 

確かに本当に困っている人を立ち直らせる手助けをするのが本来の目的で、中々思い通りにはいかないみたいですね。 

 

▲28 ▼2 

 

=+=+=+=+= 

 

利用者のハードルを低くし誰でもタダで食べられるようにしたら本来のターゲットであった子供ではなく 

大人のギャンブル依存症の人のタダ飯食堂になってしまったとの話は考えさせられる 

先日見たテレビでは夕飯作るの面倒くさいから食べに来た人などがいて正直補助金事業としてどうなんだ?と思いました 

本当に困ってる子供の為という原点に立ち返ってやはり利用者の選別はそれなりに必要ではないだろうか 

 

▲13 ▼1 

 

=+=+=+=+= 

 

子ども食堂とシングルマザー向けの支援を手伝ったことがある。 

 

あるシンママさん 毎回欠かさず「手伝いまーす」と言って来るのは構わないんだけど、支援物資を箱詰めする時に自分の箱には好きなものや高額なものを大量に詰めて、それ以外の箱とは大きくバランスを欠くようなことを平気でやっていました。 

自家用車で来ていて「近くに住んでいる人に配ってあげる」と言うので任せたが、後で聞いたら着服されていたり。 

 

そういう行為があると公平性をより一層重視することになり、結果的に支援が薄くなったり止める方向に動いてしまう。 

 

▲67 ▼0 

 

=+=+=+=+= 

 

余裕のある人の「腹が減る」は幸福にも思うけど、 

余裕のない人の「腹が減る」は絶望にもなり得る。 

そして時に絶望は犯罪も引き起こす。 

飢餓の人の目の前に他人の食べ物があったら、食べずに餓死したりしない。 

奪ってでも食べる、それは人というか動物の本能でもある。だから万引きも窃盗も強盗も起きる。 

そんななか、おにぎりでもレトルトカレーでもいいから、何時でも何処でも、ここに来れば一時的にでもお腹を満たせるって場所があれば、少しは世の中平和になるんじゃないかなぁ… 

あ、でもこの理想論はこども食堂ではなく、政府が主体でやるべきだと思う。 

多額の税金はかかるけど、それだけの価値もあると思う。うちも全然余裕無いけど、もしそんな場所が作られるなら、月1000円くらいなら寄付してもいい。 

 

▲3 ▼1 

 

=+=+=+=+= 

 

自分じゃ他人を救うことなど絶対できないな〜。 

自分や自分の家族のことでいっぱいいっぱいです。 

 

被支援者が自分で物事や状況を打破・解決しようと努力もせずに、 

慣れてきたら感謝もされず、要求がエスカレートしていったりしたら、 

って考えるだけでイライラしちゃいます。 

 

自分より裕福そうな人が支援受けにきたら前向きに受け付けてあげることは出来ないだろうなあ、、、。 

 

心の狭い自分ではとてもじゃないけど真似できない。 

 

ボランティアの方々は本当に偉いと思います。 

 

▲10 ▼0 

 

=+=+=+=+= 

 

先日、図書館で区の「子育てサポーター認定研修」の案内を目にし、興味津々で1部持ち帰りました。研修を受けた人は無償ボランティアとして子育て支援(児童の預かり・保育など)に携わることができるとのことで、子どもが好きだしお役に立てるなら・・・と参加に気持ちが傾きかけましたが、思い留まりました。 

日本の市井の人々は、真面目で善人すぎます。こちらのこども食堂の方のように、周囲の人々を助けようと無私の心で尽くそうとする人たちが大勢いる。その人たちの善意を利用し、搾取して、自分たちは吸い上げた税金を還元せずに懐に入れるシステムを嬉々として作る行政って、一体何なんでしょう。 

困っている人たちがいれば、自分のできる範囲で手を貸したいのは山々ですが、安易に無償で労働を提供すべきではない、草の根から立ち上がった有志の活動ならともかく、上から降りてくるものに関してはまず疑いの目を向けた方がいいなと思った次第です。 

 

▲24 ▼3 

 

=+=+=+=+= 

 

こども食堂が出来ても何も変わらないと思っています。乱立され過ぎてて効果もへったくれも無い。本当に貧困な世帯は恥ずかしくていけない。本当に支援が必要な人は来ない。 

ニーズがどこまであるのか見えないし、目先の効果だけで、その先は?と思います。 

ボランティアにも限界は来ますし、全てを考えてからこども食堂はやるべきだと思う。 

今や近所付き合いも減り、高齢者との交流も減り、核家族が増え、様々な問題や課題があるが、結局は尻切ればかり。国もこども家庭庁を作っても意味があるのか分かりません。 

根本的な親育て、子育てをもっと考えるべき。 

 

▲2 ▼0 

 

=+=+=+=+= 

 

細かな意見は数々あれど、貧しいのは教育が行き届いていないから(親) 

何十年も前からアフリカの子供達に支援をしてるけど、何かが変わりましたか? 

生き延びても知識が無いから碌な仕事に着けない。 

お金が無いなら子供を作らなければ良いのにね。まるで野良猫と同じ。 

こども食堂で安く食事を済ませる条件として一定時間の勉学をワンセットにするべきです。 

 

▲22 ▼3 

 

 

=+=+=+=+= 

 

高齢者福祉に携わっていても、記事と似たような事を感じる時があります。 

様々なキッカケから自発的に手を差し伸べようというのが本来のボランティアであるはずなのに、行政や介護事業者たちが「無償で色々やってくれる人達」と自分達の都合のいいように解釈し、実質的に色々な業務を押し付けているケースが多々ある。 

(特に民生委員は表向きはボランティアだが、辞めたければ自分で後任を探してくる必要があり、事実上の半強制となっている。) 

昔勤めていた施設でも、元々はボランティア側から「いついつ行っても良いですか?」という形だったのに、いつの間にか行事の度に施設から依頼するようになり、しまいには「あなた達(スタッフ)を楽させるために来ている訳ではない」と怒って来なくなりました。 

 

▲17 ▼0 

 

=+=+=+=+= 

 

そうなんだよね、仕事である行政と奉仕活動であるボランティア側、双方に隔たりがどの活動でも出来てしまう 

 

田舎の荒れた山林の土地を活用しようと地域の行政に許可を取りボランティア側で整地してキャンプ場にして行政を巻き込んで活用する案が出たが、整地した後にこの土地はキャンプの管理棟を立てたら違法になる撤去してくれ(プレハブで作って固定するな) 

固定の管理人を置かないとダメ(ボランティアなので基本空いてる人複数人で回す予定だった) 

電気水道工事は行政側で負担する筈だったが行政が運営に関わらないので土地前までは引くが内部は知らない 

 

で整地してあと一歩でダメになった話を知ってる、その土地は今では不法投棄に絶好の場所になってて車や何かがわんさか積まれてる 

 

▲0 ▼3 

 

=+=+=+=+= 

 

不思議なんだが、医療側にいると生活保護制度があるので医療費は全くかからない(子供はそもそも児童福祉の予算で払われている)。 

生活保護家庭は、かなりの%を占めるのだが、腹をすかしているとか朝から食べていないとかそういう話は本人からも家族からも一度も聞いたことがない。 

 

ちょうど議員さんに見えないように我々にも見えないのかもしれない。 

 

普通に考えれば低学歴→低収入→失業が多いってなるんですが今の日本ではそうではないんですね。 

 

低学歴でもなんら困らない。 

 

けっこう奥が深いんですよ。 

 

未婚で出産、母子家庭、生活保護なんて抜け道があって、こうなると働く必要もない。 

 

正義だけでは割り切れない話で、奥が深いんですよ。 

 

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辞めることにしたのは「ボランティアでできる支援には限界がある」ことがわかったからなんでしょうか?ボランティアだからいつやめてもよいんだけど、結局この方が始めたことがここまで大きく広がってしまっているのに。ご本人も経験してる通り、誰でも入れるとうたってるから想定していないような人もやってくる。お腹を空かせている子供が週一で一食だけお腹いっぱい食べたところでその子の生活が良くなるわけでもない。「私たちはボランティアだということを忘れないでほしい。こども食堂は行政の下請けではありません。」「ハードなケースに関わってしまったら、いつまで続ければいいのか。」そうなってしまうことは想定できたことかなと思います。続いた人たちがまだ運営しているからこの先も続いていくんでしょうけど。個人的にはこども食堂には最初から否定的だったので、そうなるよな~と言う感じ。 

 

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今から50年程前、私が小学生4年生の頃にこのような「子供食堂」があれば良かったなぁ… 

あの頃は「今の食事」に子供ながら困窮していました。時々学校の先生が朝おにぎりをくれたり、遠足や運動会の時に、先生がお弁当を作ってきてくれたり、近所の同級生のお母さんが「今晩ご飯食べにおいで」と言ってくれて食い繋ぎました。 

毎日の給食と学童保育でのおやつが私の食事のすべてでした。学校が休みの日や給食がない日は、本当に恐怖でしかありませんでした。 

そんな経験をしているから物申しても許されるかも知れませんが、「子供食堂」開設者本来の想いと違う利用をさせている「親」や「行政」なんて日本から追放するか、一部の共産主義国のように「矯正教育」して良いのではないだろうか。 

 

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今の子ども食堂は明らかに当初の趣旨から変わってしまっている。親が忙しいから手抜きのために親子で食べに来るっておかしいだろう。行政から補助が出ているなら尚更どういう人が対象なのか、明らかにしていかなくてはならない。子どもが沢山集まったから万々歳ということではなく、本当に困っている子どもを助ける活動でなくては駄目だ。 

 

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子ども食堂はフードロス解消とかSDGsとかに乗っかった印象もあるが、寄付など外部からの善意頼りの運営に限界があるなんてのは初めからわかっていたことでは? 

もう少し継続性を意識したモデル作りを目指すべきだった。 

 

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成長期のこどもはほぼいつでもお腹をすかせてる。食べても食べても、しばらくするとまた食う。あるだけ食う子も 

多い。そこでこども食堂があれば、食事作らなくていいし、子供タダだし、ちょっとした面倒もみてくれるし、親も300円程度で済ませられて、親トモと語れる。そうだ隣近所声を掛け合ってみんなでこども食堂へ行こう。なんなら兄弟多いところは親子ってことにして人数分の大人も行こう。金はあるけど使いたくないから知り合いの子供借りて行けばいい。なんてことにもなってる。持続性ない。とりあえずいくら子供だからってタダ飯は教育上良くない。大人だってタダみたいな値段なんだから何かやらせるべき。子供も大人もせめて自分の使った食器くらい洗ったり、テーブル拭いたり、他の子供の遊び相手やお世話をさせたりすればいいのに。或いは、食材だけは人数分用意するから親が作れとか、親が来てなきゃ教えるから自分達で作れとか。 

 

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せっかく善意で頑張ってやってくれているのに、その活動を自分の都合の良い解釈で、食事に困っている子供でもないのに利用しようとする勝手な人は、どこにでもいるようで悲しい。 

一生懸命やっている人達に感謝して自分も手伝うとか支援する人が広告やテレビなどで増えるのは良い事だけど、テレビで見ていると誰でも食べに行っても良いと思って、勘違いして食べに行ってしまう人もいるかもと思っていた。 

普通に考えれば子供食堂とは困っている子供の為にやってくれている所だとわかるけど、いろんな人がいるから… 

国がもっと対策してくれたらと思う。 

 

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何もなかった時にこども食堂を始められて発想がすごいし使命感がある方だなと思っていました。でも善意につけ込んで料理が面倒だから利用する人もチラホラ出てきて親が甘えすぎなんじゃないかと懸念していた。それに副校長も一緒に来て子どもをケアしてあげるって異常ですね。学校が何でもやってあげすぎ。だから教員の仕事が増えるし、親も学校に丸投げすれば何とかなると思ってしまうのでは。 

 

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