( 295643 )  2025/06/01 05:05:31  
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武蔵小杉の駅から見えるタワマン郡(筆者撮影) 

 

あっちにもタワマン、こっちにもタワマン。気付けば日本の街はタワマンだらけになった。 

それもそのはず。タワマンは2024年末時点で全国に1561棟もあるという。その土地の生活、景観、価値を大きく変えてしまうタワマンだが、足元には地元の人たちの生活圏がいまも広がっている。縦に伸びるタワマンではなく、横に広がる街に注目し、「タワマンだけじゃない街」の姿をリポートする。 

第1回はタワマンの聖地、神奈川県川崎市の武蔵小杉駅前。乱立するタワマンの足元で、変わりゆく街の姿を見つめる旧住民たちの視点とは。 

 

■タワマンが建つ前、武蔵小杉には何があったのか 

 

 日本テレビの24時間テレビは好きになれないが、テーマソングの「サライ」はきらいじゃない。東急武蔵小杉駅(神奈川県川崎市中原区小杉町3-472)から徒歩数分にある「サライ通り商店街」を歩きながら、そんなことを考えていた。 

 

 サライ通り商店街を横切るように流れる渋川という小川の両岸には、ソメイヨシノが植樹されており、桜の名所としても知られる。 

 

【画像7枚】すっかり「タワマンの街」になった武蔵小杉。昔からある商店街には味のある商店や飲み屋が並ぶ 

 

 ここを散策したのは、ちょうど桜の時期だった。 

 

 楽曲『サライ』のようにふぶくほどの花びらは散っていなかったが、サライ通り商店街の空を仰ぐと、いくつものタワマンが見えた。 

 

 武蔵小杉はかつて、工場と住宅が混在する、どちらかというと地味な街だった。神奈川県川崎市中原区のほぼ中央に位置し、東急東横線とJR南武線の乗換駅として機能してきたが、長らく“通過される街”でもあった。 

 

 転機が訪れたのは2000年代半ば。工場跡地の再開発が始まり、2007年にレジデンス・ザ・武蔵小杉(神奈川県川崎市中原区新丸子東3)が竣工。 

 

 その後も次々と大規模マンションが建設され、かいわいはさながらタワマン銀座の様相を見せ始め、「東京に通える未来都市」として注目を集めた。 

 

 2010年代にはテレビや雑誌で取り上げられることが増え、“住みたい街ランキング”の常連となり、人口も急増した。 

 

 現在、駅周辺には10本を超えるタワーマンションが立ち並び、高層ビルの合間をベビーカーが行き交う光景が日常となっている。 

 

 ただ、このエリアには、昭和の香りを残す商店街も残っている。この“ギャップ”こそが、武蔵小杉という街の今を物語る。 

 

 

■タワマンのメリット・デメリット 

 

 タワーマンション(タワマン)は、一般に20階以上または高さ60m超の超高層集合住宅を指すようだが、今や我々がイメージするタワマンは20階や30階ではなく、もっと高層だ。 

 

 タワマンの定義はあってないようなもの。この連載では、「2000年以降に竣工した、すごく高くて、おしゃれなマンション」くらいにしておく。“高い”には価格の高さも含まれる。 

 

 またタワマンのような高層建築物は国の安全認定を受け、耐震・耐火・避難性能など厳しい基準を満たす必要がある。 

 

 高さが100mを超える場合は、はしご車が届かないため、屋上に緊急用ヘリポートの設置なども義務付けられる。 

 

 実際、武蔵小杉周辺の地図をGoogleマップで検索し、航空写真で真上から眺めてみると、駅周辺のタワマンたちの屋上には、ヘリポートを示す「R」マークがでかでかと描かれている。ちなみにこの「R」は、Rescue(救助)の頭文字なのだそうだ。 

 

 高層階からの眺望はもちろんいいし、日当たりも良好だ。立地についても比較的交通などの便のよい場所が選ばれる。また、共用施設やセキュリティの充実もタワマンの魅力といっていいだろう。 

 

 ただ、物件によっては外で洗濯物が干せない、朝夕の混雑時にはエレベーターが使いにくい、地震が起こったときには特に高層階は地上より揺れ幅が大きい、管理費や修繕積立金も高額になる、といったデメリットもあるようだ。 

 

■地元の住民はタワマンの住民を「新住民」と呼ぶ 

 

 東急武蔵小杉駅の南側には、「グランツリー武蔵小杉(川崎市中原区新丸子東3-1135-1)」がどっかりとあぐらをかくようにある。 

 

 大規模な商業施設で、生活雑貨、レストラン、カフェ、衣料品、化粧品、旅行代理店までなんでも揃う。外観がしゃれていて、あまりにも堂々としているので、田舎育ちの私などはちょっと気後れするほどだ。 

 

 

 駅の改札を出たところから、前にいた同年輩の男性の背中を追うように歩いてきた。その人は「グランツリー武蔵小杉」を見上げて舌打ちをし、駅方向に戻っていった。 

 

 どういうわけか親近感を覚え、またその背中を追い、東急線武蔵小杉の駅を越えた。南口側に行ってみると、ほっとする風景が残っていた。 

 

 【2025年5月31日14時50分追記】初出時、路線名の記述に誤りがありましたので、上記の通り訂正しました。 

 

 センターロード小杉は、駅の南口からすぐの場所だ。飲食店や居酒屋が軒を連ねる商店街である。このかいわいの住所は、中原区小杉町3丁目となる。 

 

 今回はこの地域を中心に歩いた。というのも、2025年の3月いっぱいで、小杉町3丁目の町内会が解散したという噂を聞きつけたからだ。 

 

 小杉町3丁目は、JR南武線と東急東横線の線路と、川崎堀と呼ばれる小川に囲まれた地域だ。ここにも屋上に「R」マークをのっけたタワマンが4棟建っている。 

 

 それらが現れる前、2004年頃の小杉町3丁目の人口は1851人だったが、2024年には5508人と3倍近くに増えた。ところが町内会加入率は激減した。 

 

 かつてこのあたりは、工業地帯だった。工員やその家族を相手にした商店も多くあったが、今はもう数えるほどしか残っていない。 

 

 そのひとつ、この地で60年以上、お茶と海苔を専門に扱ってきた店に立ち寄った。通りに面したガラス戸の向こうに、テーブルを囲んでお茶を飲む人たちの姿が見える。 

 

 ガラガラと戸を開け、突然の訪問を詫びてから、かいわいを取材していることを伝えた。客のひとりは「名前を出さなけりゃ話をしてもいいよ」と言ってくれた。 

 

 「そう、3丁目の町内会はなくなっちゃった。タワマンの“新住民”と、私らみたいに元からいる人間じゃ生活そのものが違うんだよ」 

 

 地元ではよそから新しくタワマンに入ってきた人たちのことを“新住民”と呼んでいるらしい。「あっちが新住民で、私らは旧住民」と70代の男性は笑って続けた。 

 

 「タワマンにはちゃんと自治会があって、日頃の困りごとなんかはそっちで事足りるんだ。だから町内会に入るまでもないんだな」 

 

■タワマンが立つ前からずっとあるマンション 

 

 

 向かいに座っている60代後半の女性はこう言う。 

 

 「でもさ、町内会主催のお祭りなんかには来るんだよ。別にそれはそれで大歓迎なんだよ。でも、そこで子どもたちにお菓子やなんかを配るだろ、これって町内会費から出てる。 

 

 でも彼らは町内会に入ってないからもちろん町内会費も払ってない。なんだかねぇって言う人もいたよ。コロナがあってからはお祭りも下火だからいいんだけどさ」 

 

 前出の店のご主人が、この地域でマンション(タワマンではない)のオーナーをやっている人物を紹介してくれた。「低層の小さなマンション(本人談)」のオーナーさんには、街の路地で立ち話のようなかっこうで話を聞いた。通りの向こうからひょいっと現れたその人は、いかにも旧住民の雰囲気だ。気取らない普段着がしっくりと身についている。 

 

 「うちは、タワマンが立ち並ぶずっと前に建てたマンションなんですよ。もともとここに代々の自宅があって、その場所に建てたんだ。小さいマンションでね、なんと言ったらいいのかな、地元密着型ですよ。だからってこともないけど、うちのマンションに住んでる人は町内会に入ってもらっていた」 

 

 オーナーさんはそんなふうに語る。 

 

 「タワマンのおかげで人口は増えているし、人気の街になってはいるけど、固定資産税が上がってさぁ。その支払いも大変ですよ」 

 

 なるほど、旧住民にはそんな悩みもあるのかと同情しかけたが、地価の上昇が税を押し上げただけだ。同情なんかしてたまるかと気持ちを引き締めた。 

 

■最後の町内会長「こっちとあっちじゃまったく別の環境」 

 

 3丁目の街を2つに割るように走る府中街道沿いに「有限会社赤城屋(川崎市中原区小杉町3-26)」はある。工業用のノコギリの研磨を請け負う町工場だ。 

 

 かつてはこうした家族経営の工場が地域のいたるところにあったらしい。2代目社長の五十嵐俊男さん(82)は、現在は会長職に退いている。この方が、小杉3丁目町会の最後の町内会長だ。 

 

 

 
 

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