( 296958 ) 2025/06/06 06:13:35 0 00 舞妓時代を綴った投稿が話題となった桐貴清羽さん。あれから3年ほど経ち、25歳となった彼女に話を聞いた(左:桐貴清羽さん提供、右:筆者撮影)
これまでにないジャンルに根を張って、長年自営で生活している人や組織を経営している人がいる。「会社員ではない」彼ら彼女らはどのように生計を立てているのか。自分で敷いたレールの上にあるマネタイズ方法が知りたい。特殊分野で自営を続けるライター・村田らむが神髄を紡ぐ連載の第118回。 桐貴清羽さん(25)は現在はフリーライターなどを生業とするフリーランスだが、元舞妓という少し変わった前職を持つ。
2022年にX(当時はTwitter)に16歳で酒を浴びるように飲まされ、混浴を強いられそうになったという舞妓の世界の闇を投稿した。投稿は、12万リツイート(※当時の呼称に基づく)という、とてつもなく大きい反響を呼んだ。
賛同の声もあったが、バッシングを受けたり、脅されたりすることもあったという。今回は、桐貴さんがそもそもどのような経由で舞妓になったのか。そして、投稿がバズった後にどのようなことがあったのかをお聞きした。
■複雑な家庭環境の中、小学2年生でモデルに
桐貴さんは山口県で生まれ、和歌山県と大阪府で育ったという。
「どちらの県も5年くらいしかいなかったので地元って感じは薄いですね。小学1年のときに母が離婚しました。父親が違う姉がいて、腹違いの兄が2人いて……。
ちょっと複雑な家庭環境でしたね。小学校低学年の頃は楽しいとは言い難い日々でしたけど、上級生になると母や姉との関係もよくなってきて一緒に旅行に行ったり、楽しい思い出も増えてきました」
その頃から、舞妓に憧れていたのだろうか?
「いえ、全然憧れてませんでした。そもそもは小学2年のときにモデルになったんです」
桐貴さんは小学2年生のときにイジメを受けたという。そのとき母親に
「外の世界を見たほうがいいよ」
と言われたという。
【画像15枚】飲酒を強要され、混浴までさせられそうに…当時16歳だった、舞妓時代の桐貴さん
「母は当時ファッション雑誌の『CanCam』が好きだったんですよ。私が『この雑誌の写真かっこいいな』って言ったら、『じゃあモデルの事務所を受けてみたら』って勧められました」
勧められるままに応募して大阪のタレント事務所に所属することになった。
モデル仕事よりも舞台やミュージカル、CM仕事が多かった。
「キッズタレントとしての活動は楽しかったですね。仕事もレッスンも。それで学校のイジメとか気にならなくなりました」
順調に大阪で活動していると、
「東京で仕事をしないか?」
と東京の芸能事務所から声がかかった。
「小4か小5の頃に上京しました。ただそこで、とんでもない事件が起きてしまいました」
■被害にあい、1年ほど芸能活動を休むことに
ある日、桐貴さんは社長から「撮影をするから」と言われてオフィスに入った。桐貴さんが部屋に入ると、室内には誰もいなかった。
不穏な空気を感じた。
「小学生ながらに『これはヤバい!』って直感で思いました。『お母さんに電話したい』と言って部屋から出ると廊下でキスされました。事務所は9階にあったんですけど、エレベーターだと追いつかれると思って、非常階段を走って1階まで駆け降りました」
桐貴さんは、とにかく一階の飲食店に駆け込んだ。そのお店はたまたま、警察関係者がよく来るお店だったため、事情を話すとすぐに通報してくれた。
その後、社長は逮捕されたという。
「その人、たくさんの子に手を出していたらしいです。モデルや女優志望の子たちからたくさんの被害届が出ていたらしいです。結局社長は5年くらい刑務所に入ったそうです。私は本当に怖くて、1年くらい芸能活動を休みました」
その後、桐貴さんのお姉さんに誘われて、地下アイドルのバックダンサーを始めた。その後、ご当地アイドル、舞台など再び芸能活動を始める。
「あるとき『日本舞踊をやってみたい』って思ったんです。当時、母親がお店をやっていたんですが、そこに来たお客さんに『この子は高校に行くより、舞妓になったほうがいいよ』って勧められたんです」
歴史が好きだった桐貴さんは舞妓のネガティブな一面も知っていたので、なりたいとは思わなかったが、母親はその気になった。
「あんた舞妓さんになるんやで」
と言われたし、周りの人たちにも言いふらした。
「母はそういうタイプなんですよ。人に言われると、すぐその気になってしまう。でもシングルマザーで育ててくれて、いろいろ苦労してきたのを見てきたから、期待に応えたい気持ちもありました」
■京言葉の練習や下働きをした“仕込みさん”の期間
最初は1週間だけという話で、京都に体験修行に行くことになった。舞妓の世界では“仕込みさん”といって、デビュー前にお稽古や言葉づかいを覚える期間がある。
「中3の3学期から大阪から京都まで通いました」
“仕込みさん”はあえて“芋(ダサい)”格好をさせられる。犬のキャラがプリントされたシャツに長めのスカート、すっぴんで髪の毛は引っ詰める。眉毛も整えてはいけなくて、ゲジゲジのようにぼうぼうになっている女の子もいたという。
「そういう芋っぽい女の子が、だんだん洗練されていくのをお客様に見せる演出なんです。だから最初はあえて垢抜けさせない。徹底的に“原石”にされます」
デビュー前後の幼さや未熟さを楽しむのは、日本のアイドル文化に通じるものも感じる。
「お稽古場で踊りを学んだり、京言葉の練習をしたりします。『どす』とか『しといやす』とかを日常的に使えるようにします」
そういうレッスンだけではなく、下働きもさせられる。
姉さん(先輩舞妓)の忘れ物を届けたり、酔って帰ってこない姉さんを迎えに行ったり、生活面のサポートもさせられる。
「舞妓の仕込みは裏方のポジションですね。ただ『芸のためなら』みたいな根性論は嫌いじゃないので、そこまで苦ではありませんでした」
■月に2回の休みで手元に残るのは2万〜5万円程
中学3年生の3学期に仕込みが始まって、16歳で舞妓としてデビューした。
「そこからは生活がガラッと変わりました。自由がなくなります。舞妓になると月に2回しか休みはありません。基本的に仕事漬けです。それでいて給料はありません。衣食住は“置屋さん”が面倒を見てくれるけど、お金として手元に残るのは“お小遣い”だけです。2万〜5万円くらいですね」
すべてはそのお金でやりくりしなければならない。
白粉(おしろい)、生理用品、お礼用の手紙の便箋など全部自腹だ。ほとんどお金は残らない。
実質タダ働きに近い。
「『芸を学ばせてもらっているのだから当然』という考えです。舞妓は“職業”ではなくてあくまで“修行中の身”なんです。
“奉公期間”があって、たとえば6年+お礼奉公3カ月、合計6年3カ月が義務という置屋もあります。その期間は辞められないし、給料も出ません。
もちろん客からは高い金額が支払われています。そのお金は置屋に入って、舞妓には回ってこない」
あまりに過酷な時代錯誤なシステムに思える。
「時代錯誤と言えばそもそも舞妓姿はすごくストレスがかかるんですよ。白塗りに重たいかんざし。あれって地毛なんですよ。
ずっと高い枕で寝ないといけないし、洗えないからフケもすごく出る。いつの間にか虫が入り込んでることもあるし。引っ張られ続けるからハゲができてしまうこともあります」
舞妓姿で、さまざまな場所に行って、客の相手をする場合も多い……続く後編では、桐貴さんの舞妓時代について、より詳しく伺っていく。
村田 らむ :ライター、漫画家、カメラマン、イラストレーター
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